祇園女御

  • 白河院の寵愛を受け、女御の宣旨は下されなかったものの世人は「祇園の女御」と呼んだ、とする記述が
   『今鏡』にある。

  • その他、『今鏡』『長秋記』に白河殿、『中右記』に院女御といった呼び名が見られる。


  • 『平家物語』巻六「祇園女御」の段に、平清盛の生母が祇園女御であるという一説を載せる。


   「鳥羽院御寵愛ノ祇園女御ハ源仲宗ノ妻ナリ。而して仙洞ニ召シテノ後、仲宗は隠岐国ニ配流セラル」
   という記述がある。
   「鳥羽院」は「白河院」の誤りかとも見られるが未詳。
   また、この話についても根拠が定かではない由。


      参考文献
『平家物語(六)』


最終更新:2014年08月24日 04:18