- 『平家物語』巻十二「土佐房被斬」の段で、源義経暗殺のために源頼朝より派遣された刺客。
系譜未詳。
- 『平家物語』では昌俊の義経襲撃は1185年(元暦二年)九月三十日、
『吾妻鏡』『百錬抄』では十月十七日。
『玉葉』には昌俊の名はなく、同日に小玉党が義経を襲撃した、とある。
- 『平家物語』では、昌俊は義経を襲撃するものの失敗し、
鞍馬山へ敗走、僧正ヶ谷で現地僧に捕縛され、六条河原で斬られたとしている。
(zsphereコメント:無論の事、僧正ヶ谷といえば義経が幼少の頃、鞍馬山大僧正に剣術を教わった場所。
果たして関係あるやなしや)
参考文献
『平家物語(十二)』
最終更新:2014年09月23日 06:04