- 義経の郎従には、(母の出自の低さもあり)有力な坂東武者を欠いていた。
その分、義経の人柄に魅かれた、素性の怪しい者たちが多く集っていた。
義経四天王のひとり
伊勢義盛は、『平家物語』に伊勢
鈴鹿山の山賊であった事が延べられている。
- 義経都落ちの際、騒ぎを起こさず平穏に退去したことで京中の人々が安堵、
その人物を「実ニ義士ト謂フ可キカ」と賞賛していた、という記事が『玉葉』に載る。
- 義経生存説の文献初出は、1670年(寛文十年)成立の
『本朝通鑑』続編に俗伝として記された記事。
参考文献
『平家物語(十二)』
『季刊 怪』No.34
『日本伝奇伝説大事典』
最終更新:2014年09月23日 16:57