日本全国で見られる
田の神信仰だが、これを石像にするのは旧
薩摩藩領にだけ見られる風習であるという。
- しゃもじやお椀を持ち、顔にはおしろいやベンガラで化粧を施された姿が見られる。
初期のものは衣冠束帯の神官型や地蔵型が多いが、後に農民の姿のものなども見られた。
- 刻まれた年号などから、これらが十八世紀前半に発祥した事が知られる。
- 初期の神官型のものはすべて霧島山の方向を向いており、
十八世紀初頭に霧島山の噴火によって山麓に大きな被害が出た事から、当初は山を鎮める目的で造られたのではないか、
とする説も出されている。
参考文献
読売新聞2015年3月4日記事
最終更新:2015年03月11日 00:22