現在かかっている橋は、明治44年(
1911年)に妻木頼黄の設計で作られた洋風のもの。
さらにその頭上を、巨大な首都高速が横断している。
(ちなみにこの妻木は、西洋風官庁街の構想を立てたベックマンの元、ドイツで建築を学んでいる)
- これを景観破壊として、首都高速をどこかにどかそうという話は以前からある。
2003年には国土交通省が音頭をとって「日本橋 みちと景観を考える懇談会」を発足して
アイデアコンペを行った。その際、首都高を地下に埋める計画などが出されたという。
一方、橋の上を暴力的に通り抜ける首都高、というランドスケープは欧米の人々の関心を呼び、
映画『惑星ソラリス』の未来都市のシーンに使われたり、
ヴィム・ヴェンダース『東京画』で撮影されたりしている。
以上、『東京スタディーズ』より
これは徳川家康が関西の摂津から漁師たちを佃島に住まわせ、水揚げされた魚をここで売らせた事がきっかけ。
- 日本橋の南詰西側には、慶長11年(1606年)に高札場ができ、幕府のお触れや町人への訓示が貼り出された。
同様に南詰東側には、罪人の首を晒す晒し場があった。
最終更新:2011年08月07日 11:12