能除太子

  • 本名は参弗理ノ大臣(みふりのおとど)。崇峻天皇の第三の皇子(もしくは第一皇子との説も)。
 羽黒山を開山したと言われる伝説的人物。

  • 非常に醜い相貌だったと伝えられる。顔の長さは一尺九寸、鼻の高さは三寸余り、まなじりは髪の中に入り、口は広く裂けて耳に至り、耳の長さは一尺余りもたれさがり、身の色黒く、その声も悪音だったという。
 この容姿のため、皇位につくことができなかったという。

  • 従兄弟であった聖徳太子は深く同情し、「能除一切苦」という般若心経の要文をさずけて修行僧になる事をすすめた。

  • やがて羽黒山にたどり着いたものの、なかなか山に分け入れずにいたが、片羽八尺もある三本足の烏が飛んできて、太子を導いたと言われる。

(以上、ここまで主に『羽黒山縁起』『羽黒山伝』などによる)


  • 別名を弘海ともいう。江戸時代には蜂子皇子(はちのこおうじ)であるとされるようになり、文政五年(1823年)には照見大菩薩の徽号が宣下された。

  • 参弗理は「みふり」とも「さんふり」とも読むが、「みふり」と読むと解釈した場合、シャーマンがトランス状態の時に身を震わす事を指すのではないか、という説もある。


( 国文学 解釈と鑑賞 1982年3月号 特集「寺社縁起の世界」)
最終更新:2010年11月10日 10:38