種子島

  • 島の北西側に住吉という地名が、南東側に熊野という地名があり、それぞれ住吉神社と熊野神社が存する。


  • 島内では砂鉄が豊富に取れ、古くから製鉄が盛んだった。
 現在でも、特定の場所というより島全体からカナクソが出ると言われる。
 ゆえに、鉄砲が伝来した際にも、現地の鍛冶職人の手によってほぼすぐさま鉄砲の生産が行われたと目される。

  • 種子島内の弥生時代末期の貝塚遺跡(二世紀か三世紀?)から、鉄製の釣り針が発見されている。
 矢じりや鉄剣ならばこの時代に輸入されたものの事例もあるが、釣り針まで輸入されていたかは怪しい。
 が、日本国内で製鉄が始まったのは五世紀頃からとされるので、種子島製と考えるとかなり早く、判断は難しい。


  • 鉄砲伝来の際にこの島を治めていたのは種子島時尭(ときたか)。漂着したポルトガル人から金二千両で譲り受けた。その後、島内の鍛冶職人に分析させ製法を探ったという。
 当時の日本には「ねじ」の知識がなく、その再現に苦労したとされる。以上、慶長十一年(1606年)に種子島家で撰せられた『鉄炮記』にある。

(『街道をゆく 8 熊野・古座街道・種子島みちほか』司馬遼太郎)

最終更新:2011年08月07日 02:52