- 『延喜式』神名帳に「熊野坐神社」(本宮)、「熊野早玉神社」(新宮)の二社が載せられ、
のち平安中期に那智社が加わり、熊野三所権現と称した。
- 主祭神は証誠殿(家津御子神)、中御前(速玉神)、西御前(結宮、夫須美神)を中心に
五所王子と四所宮を加え、熊野十二所権現ともいう。
(『日本神道史』岡田壮司)
- 十一世紀、院政時代に熊野信仰が広がり、白河上皇9回、鳥羽上皇21回、
後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回にわたって熊野参詣が行われたという。
(『要説日本歴史』)
- 熊野参詣は女性の参詣を拒まない事で教線拡張を行っていた。
これは
和泉式部が熊野の神に歌で詠みかけた際、神が式部の月経の障りを
拒まなかったという『風雅和歌集』の説話に依拠している。
(『あやかし考』田中貴子)
最終更新:2012年02月04日 16:42