竹内式部

  • 崎門派儒学、垂加神道を学び、京都で儒学を講じていた儒者。

  • 十八世紀後半より中小公家に共鳴者を得、門弟一党は言動際立ち、
   武術稽古をする事もあったという。

   若い天皇も君主意識に目覚め喜んだというが、
   幕府からの嫌疑を恐れた関白近衛内前らにより
   張本人の式部を京都所司代へ告発する事になった(宝暦事件)

(『要説日本歴史』)


最終更新:2011年08月08日 11:23