蒲生君平

   水戸藩『大日本史』で滞っていた志表を独力で作成するため
   全国の天皇陵を踏査、『山陵志』『職官志』を完成させた。

  • 『山陵志』にて、「前方後円墳」の名称が初めて提唱された。

   即座に『不恤緯(ふじゅつい)』を著す。
   その中で、林子平の冤罪を説き、忠君の徒として
   その霊前に謝し、爵位を与えるべきとした。

(『要説日本歴史』)


最終更新:2011年08月08日 11:24