- 『裏見寒話』巻六に、甲州國玉の逢橋の上で、通行人が「葵の上」を謡うと
暗くなって道を失う、とあるという。
また、逢橋の上で猿橋の話を、猿橋の上で逢橋の話をすると怪異にあうともいう。
「葵の上」は女と女の争いや嫉妬を主題にした曲なので、橋の女神が
好まれなかったのだろうと、『
一目小僧その他』所収「橋姫」で柳田國男は述べている。
- 『出来齊京土産』巻七に、山城国の宇治橋の橋姫の宮の前を嫁入する時に通ると
橋姫の御嫉みにより夫婦の末通らぬとかや、とある。
宇治久世二郡の民、縁を結ぶには橋の下を船で渡るという。
- 貴船神社に参った女が宇治橋で生きながら鬼となった話は、「比較的新しい俗説」と
柳田はコメントしている。
- 「山城名勝志」引く「爲家抄」に、宇治川の辺に住む夫婦あり、夫は竜宮に宝を取りに行って帰らず、
妻は恋悲しみて橋の辺に死し、橋守明神となったという話が載るという。
こちらの方が古い由。
- 近世の「皇大神宮参詣順路図会」に、新たに架けた橋の渡り始めに、美しい女を盛装させて、
その夫がこれに付き添い橋姫の社に参詣することが、伊勢の宇治橋などにあったとのこと。
(『定本柳田國男集 第五巻』)
最終更新:2011年04月30日 10:55