織田信秀


  • 1552年(天文二十一年)三月没(他に天文十八年説、二十年説もある)

(『戦争の日本史13 信長の天下布武への道』谷口克広)


  • 1541年(天文十年)、伊勢外宮仮殿造替費を独力で捻出、
   その朝賞として後奈良天皇より三河守に任ぜられる。

  • 1543年(天文十二年)、土御門内裏の修理費として四千貫の銭貨を献上。
   戦国諸侯から天皇への献金の中では、未曽有の最高額という。

(『信長と天皇』今谷明)



  • 信秀の経済力は、当時の伊勢湾舟運の湊の一つである津島を
   支配下においていたためと見られる。
   この津島には津島神社があり、かつては牛頭天王社だった。

  • その後、信秀は居城を古渡城(ふるわたりじょう)に移しているが、
   そのすぐ近くに伊勢湾舟運のもう一つの大きな湊である熱田湊があった。

(『信長 徹底分析十七章』小和田哲男)





最終更新:2011年08月13日 03:00