沢彦宗恩

  • たくげんそうおん


   1553年(天文二十二年)、政秀寺を建てた際、開山として招かれる。

  • 信長の印判に「天下布武」の四文字を選んだのが、この宗恩だという。
   また稲葉山城と、その城下町井ノ口を「岐阜」と改称するよう意見したのも、
   宗恩だったといわれる。

(『信長 徹底分析十七章』小和田哲男)


最終更新:2011年08月13日 03:07