慈尊院

  • 高野山の行政を行い、「政所」と呼ばれていた。

  • 空海在世中に建立されたという。
   『高野略記』によれば、厳寒の時期にはこの慈尊院まで降りて避寒したとか。

  • 空海の母の廟所。834年(承和元年)に空海を訪ねて高野山へ来、
   空海は慈尊院に住まわせたという(『紀伊続風土記』)。
   翌承和二年二月五日、83歳で他界。同所に葬られ、慈尊院となった。
   なお、空海自身もその一か月余りのちに入定している。

(『街道をゆく 9』司馬遼太郎)


最終更新:2011年12月30日 15:36