平忠盛


  • 得長寿院を造進、三十三間の堂に一千一躰の仏を奉り、鳥羽上皇を感じ入れさせて、
   36歳の時に清涼殿への昇殿を許された、という(『平家物語』)。

  • 『中右記』にも、「国司忠盛遷任の宣旨を下され、又内の昇殿を聴(ゆる)さる」とあり、(長承元年三月十三日条)
   同二十二日に「此人の昇殿、猶未曽有の事なり」とあるとか。

  • なお武人の昇殿の先例としては、1098年(承徳二年)の源義家の院昇殿がある(こちらも『中右記』


(『街道をゆく9』司馬遼太郎)


最終更新:2012年03月07日 02:29