大福遺跡


   1985年、周溝内に埋納されていた銅鐸が発見されている。
   銅鐸の内部に土砂が充填された状態で発見されたとか。

   銅鐸片が発見された。この土坑は土器類が多量に廃棄されていた場所であり、
   また同時期、三輪山周辺の遺跡で二世紀末、三世紀初頭にかけての
   銅鐸が破壊された状態で発見される事例が多く、
   三品彰英はこれを、地的宗儀(銅鐸)から天的宗儀(鏡)への信仰の転換が起こったため、
   と主張したと云々。

(『シリーズ「遺跡を学ぶ」051 纏向遺跡』石野博信)

最終更新:2012年04月28日 01:06