邪馬台国東遷説

 はじめ北部九州に所在していた邪馬台国が、ある時期からヤマトの地に移動したという説。



     根拠
  • 弥生時代の北部九州の葬制で特徴的な副葬品、鏡・剣・玉の組み合わせが
   近畿地方の前期古墳の副葬品として引き継がれているように見える事から。



     疑問点

  • 関東、東海から北陸、四国まで幅広い地域の土器が出土している纏向遺跡には、
   北部九州系の土器はごくわずかしか出ていない(2008年時点で十個に満たない)とのこと。
   これをどう解釈するか。
最終更新:2012年04月29日 02:54