ダンケルク級戦艦

登録日:2015/03/15 (日) 16:38:33
更新日:2020/09/27 Sun 06:05:32
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ダンケルク級戦艦(Dunkerque Class BattleShip(英語表記)、Cuirassé de la Classe Dunkerque(仏語表記))とは、かつてフランスが建造、保持していた戦艦である。

名称の由来はフランス国内の港湾都市「ダンケルク」から。




性能諸元

※括弧内の数値は2番艦ストラスブール
基準排水量:26,500t(27,300t)
常備排水量:30,264t(31,687t)
満載排水量:34,884t(36,380t)
全長:215.14m(215.5m)
水線長:209m
全幅:31.1m
吃水: 9.63m(基準)(9.82m)
   10.15m(満載)
機関:インドル式重油専焼缶6基
   ラテュ式ギヤード・タービン4基4軸推進(ダンケルク)
   パーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸推進(ストラスブール)
最大出力:130,000hp(通常時)(135,585hp)
     133,730hp(公試時)
最大速力:30.0kt(通常時)
     31.5kt(公試時)
航続距離:10kt/10,500海里
     15kt/7,500海里
     31kt/3,600海里
乗員:1,381~1,431名
兵装:Model 1931 33cm(52口径)4連装砲 2基
   Model 1932 13cm(45口径)連装速射砲 2基
   Model 1932 13cm(45口径)4連装速射砲 3基
   Model 1933 37mm(60口径)連装機関砲 10基
   Model 1929 13.2mm(76口径)4連装機銃 16基
   カタパルト 1基
   折り畳み式クレーン 1基
   GL-832HY水上偵察機(後にロワール 130飛行艇に更新)
   ロワール 130飛行艇 常用3機
             予備1機
   サディ式対空レーダー 1基(ストラスブール)
装甲:
舷側:125~225mm(283 mm)
甲板:115~140mm(主甲板)
   40mm(断片防御甲板)
主砲塔:330mm(360 mm)(前盾)
    250mm(側盾)
    150mm(天蓋)
連装副砲塔:20mm(前盾)
      20mm(側盾)
      20mm(後盾)
      20mm(天蓋)
4連装副砲塔:135mm(前盾)
       80mm(側盾)
主砲バーベット部:310mm
前級:ノルマンディー級戦艦(建造中止or空母に改装)
   リヨン級戦艦
次級:リシュリュー級戦艦




建造までの経緯

第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約で厳しい軍備制限を課せられていたドイツが建造した1隻の軍艦が世界の注目を集めていた。
「ポケット戦艦」ことドイッチュラント級装甲艦である。
特にドイツとの激戦で大打撃を受けたフランスとしてはドイツが力を持つことが面白い筈がなかった。

独「取り敢えず技術継承の為にこんなん造ってみました。」

独「(あといつかテメーらをブチのめす為にな!)

仏「うわーヤッベー、ポケ戦超ヤベー(棒)」

仏「これは新型戦艦を造って対抗しなきゃやられちまうぜー(棒)」


というのはあくまで名目。実際は次世代戦艦へ受け継ぐであろう技術の検証の為に建造された実験艦としての意味合いの方が強かった。
所謂、叩き台というやつである。

こうした思惑でフランスがワシントン海軍軍縮条約の代艦建造規定に基づいて旧式化したクールベ級戦艦の代艦として建造したのが本級、ダンケルクであった。





設計と特徴

実験的な戦艦であった為、本艦には様々な実験的要素が詰め込まれていた。
その為、他国の艦船には見られない要素が見られるが某隣国のように英国面ということは無く、高いレベルでバランスの取れた高速戦艦であった。

なお、本級は中型戦艦と言われるが、それは他国から見ての話であり、これまでのフランスの戦艦では最大の大きさだった。
まぁ確かに小さいんだけどさ…




攻撃力

ダンケルク級を見てまず目に入るのはその特徴的な4連装の主砲であろう。
元々フランスは第一次世界大戦の頃から4連装砲塔の研究を行っており、
ダンケルクの主砲は建造中止となったノルマンディー級戦艦の主砲設計を流用した物で、本級はこれを前部に集中配置している。
同じ前面集中配置の艦にはイギリスの迷戦艦ネルソン級戦艦が存在するが、あちらは紛うことなき欠陥戦艦であった。
ただしあくまで本級は対装甲艦兼実験艦なので主砲は約13インチと第一次大戦クラスに毛が生えた程度で、
15インチが主流となっていた欧州では物足りないように思えるが、
実際には射程が最大仰角35度で40,600m、560kgの重量級砲弾を高初速で撃ちだすが故の優れた弾道特性、
距離27,500mで舷側装甲292mm、23,000mで舷側装甲340mmを貫通出来る、遠近共に優れた性能を発揮する主砲だった。
もっとも旋回速度が遅く、散布界も良好では無かった。

また、副砲も4連装と連装の併用で後部に集中という物。
この副砲、Model 1932 13cm速射砲は史上初となる両用砲*1であり、主砲と同じく革新的な装備だった。
性能も仰角45度で射程20,800m、発射速度は毎分10~12発、完全ではないが自動装填となかなかの代物。
後にル・アルディ級駆逐艦の主砲に採用された他にも世界各国に影響を与えた。
が、旋回速度と装填装置に問題があり、リシュリュー級では副砲と高角砲の混載に戻された。

ちなみに同級二番艦では改良版の連装砲塔が検討されたが、就役は1955年までずれ込んだ事もあり結局採用されなかった。


4連装砲塔について

そもそも、フランスに限らず4連装砲塔というものは日本、アメリカ、イギリスなどでも研究が行われていた。
そのメリットとして
  • 他の砲塔え同数の砲を揃えるよりも軽く済む*2
  • バーベット部が少なくなることでバイタルパート(重要防御区画)が短縮出来る
といった重量軽減の面で効果があったので、軍縮条約で有利だったからである。

しかしデメリットとして
  • 砲塔を減らすと1基を失った時の火力低下が大きくなる
  • 砲塔を支えるターレット径が大きくなり、設計や工作が難しくなる
  • 砲塔自体が大きくなるので艦体の全幅が増大する
という面で不利となり、最終的に4連装砲塔を採用した国はフランスとイギリスだけだった。

ダンケルクの砲はある程度この欠点を克服する仕掛けがあった。
その一つが、砲内部を分厚い装甲隔壁で左右に仕切る、すなわち主砲の中身を連装砲2基の並列配置にしたも同然の物だったのである。
重量軽減という点で見れば不適格だったが、構造の簡易化と防御力の向上という点では有利だった。
純粋な4連装砲とは言い難い構造だが、この工夫が正しかったことはイギリスの純粋な4連装砲塔搭載艦キング・ジョージ5世級戦艦が故障を連発したことで証明されている。

更に砲塔の間隔をあけて配置することで片側がダメージを受けても隣の砲へのダメージを軽減することが出来た。

ただしフランスも初めての試みだったので、最初は故障が多かったようだ。
もっとも、それは単なる初期故障程度のものだったとされ、平時の砲術演習などは問題なく行えたという。

割と目を引く見た目の砲だが、世の中には16インチ6連装砲なんて計画も存在していた。


防御力

ダンケルク級の防御は、艦中枢の要所に優先して装甲を配置する「集中防御形式」を使用した。
他にも装甲を内側に12~21度傾斜して貼るインナー・アーマー様式を採用していたので、広い範囲を効率よく防御出来、耐水雷防御も舷側壁面の内側にバルジを設けるインナー・バルジ様式と6層構造の隔壁、二重から三重構造の艦底部となかなか手堅い。

ちなみに2番艦ストラスブールは重量が増加した代わりにダンケルクよりも装甲が厚く、防御力を対15インチ砲防御へ増強している。


機関と機動力

主砲の前部集中配置が幸いして機関スペースに余裕があった為に新設計の機関を搭載し、最高31.5ktと優れた速力を持つ。
航続距離は燃料満載6,500tかつ17ktで17,500海里という長大な航続距離である。
ここまで求められたのは、ポケット戦艦追撃以外にも遠方での通商破壊を目的としていたからだった。

機関構造はそれまでの缶室分離配置を進化させた缶室と機械室が交互に配置されるシフト配置。後檣の直下にも第2機関室が設けられた。

機関室のタービン発電機以外にも主砲塔間の補機室にディーゼル発電機が3基あり、総発電量は5,000kWと、日本の大和型(4,800kW)を上回るハイレベルな電力を誇る。


その他

1941年にはサディ式対空レーダーというレーダーが搭載された。
このレーダーは実験で高度1,500mで80km、対水上で10kmの探知に成功、リシュリュー級戦艦にはその改良型が装備されていた。




総合

フランス初の次世代戦艦かつ高速戦艦でありながらその性能は極めて高く、建造当初こそ不調に悩まされたものの戦艦としての出来栄えは似たようなコンセプトのネルソン級と比較してアメリカの記者が「給炭艦とクルーザー」と言わしめた程だった。イギリスの名誉の為にどちらが給炭艦だったかは敢えて言うまい。
ちなみにその記事が書かれたのはよりにもよって新英国王ジョージ6世の戴冠記念観艦式だった。

最新鋭で革新的な技術を用いて建造された本艦の存在は世界各国の海軍に衝撃を与え、その対抗馬としてドイツにシャルンホルストを、イタリアにヴィットリオ・ヴェネトを建造に踏み切らせた。

本級が体験した大戦は第二次世界大戦、欠陥まみれのイギリス戦艦と違って縦横無尽に大西洋や地中海を駆け回る。

筈だった…







そう、フランスの誇るダンケルク級戦艦は

全くと言っていい程活躍出来なかった。


それどころか、ろくにに運用する機会さえ与えてもらえなかった。





フランス海軍受難劇 ~ライン川とドーバーの向こうの憎いあんちくしょう~


まず、本級が本格的に活動する前にフランスがあっさりとドイツに敗北したのが最大の受難だった。
おまけにそもそも血続き国家戦において艦上機の発達していない海軍の活躍の余地は全くないというダメ押しである。

ダンケルク級2隻は植民地の北アフリカ・メルセルケビール港を根拠地として活動していたのだが、本国ではドイツの傀儡政権・ヴィシーフランスが政権を握った為、ドイツが停戦条約を破って接収しないようにと自由に動くことが出来なくなってしまった。

おまけについ先日まで味方だったイギリスのH艦隊がフランス艦隊がドイツに接収されることを恐れて「英国の指揮下に入るか、さもなくば死ね!」とメルセルケビール沖に現れ、フランス軍が返答を濁すと猛攻撃を加えはじめた。

陸地に艦首を向けて停泊していたダンケルクとストラスブールは副砲でしか反撃出来ず、英国H艦隊旗艦フッドの攻撃でダンケルクと戦艦プロヴァンスは中破・座礁、戦艦ブルターニュは撃沈、ストラスブールだけはどうにか本国のツーロン港に逃走出来た。
この一連の戦闘は「メルセルケビール海戦」と呼ばれ、ダンケルク級が参加したまともに参加した唯一の海戦となった。*3

結局、修復したダンケルクもストラスブールも1942年のドイツ再侵攻時に自沈し、損傷軽微でイタリアが引き上げたストラスブールに至ってはアメリカ軍の爆撃で再び沈められてしまった。

この後、ダンケルクは浮揚解体、ストラスブールは水中爆破実験の標的た挙句に解体されたりと、比較対象だったネルソン級が修理もままならない程沈んでも惜しくないので酷使され、あちこちで活躍したのとは逆にろくに活躍も出来ないままダンケルク級は散々な艦生に幕を下ろした。


ダンケルクとネルソン、どうして差がついたのか…英国面、環境の違い





同型艦


◆ダンケルク
Dunkerque

起工:1932年12月24日
進水:1935年10月2日
就役:1937年5月1日
除籍:1942年11月27日
解体:1945年

1番艦。
艦名の由来は上記の通り。

色々と革新的ではあったが、あまりにも運が無さ過ぎた。



◆ストラスブール
Strasbourg

起工:1934年11月25日
進水:1936年12月12日
就役:1938年12月
解体:1955年5月27日

2番艦。
名前は自国の都市「ストラスブール」に由来する。

こちらは上記のように防御力が対15インチ用に強化されている。
ダンケルクとの見分け方は、煙突のファンネルキャップがより大きいことと操舵艦橋が二段であるところ。

最新鋭のリシュリューとジャン・バールはアメリカと自由フランス海軍に持っていかれ、ダンケルクは修理中だった為に一時期はヴィシー・フランス海軍の旗艦

であったが、自沈→浮揚→沈没→浮揚後標的艦→解体という過酷過ぎる艦生を送った。







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最終更新:2020年09月27日 06:05

*1 対水上・対空の両方で使える砲のこと

*2 例えば、口径が同じならば4連装砲塔2基分で連装砲塔3基分と同等の重量になる

*3 一応、開戦当初は英国艦隊と共に船団護衛やアドミラル・グラーフ・シュペーの追跡には参加している