ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦(リットリオ級戦艦)

登録日:2015/05/27(水) 22:22:13
更新日:2024/03/31 Sun 13:12:25
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ヴィットリオ・ヴェネト級(またはリットリオ級)戦艦とは、イタリアが建造した超ド級戦艦。
近代的戦艦の嚆矢であり、地中海最強クラスの素晴らしい戦艦…である。


性能

全長:224.5m
基準排水量:43624t
機関最大出力:14万馬力
最高速度:31.5kt
航続距離:3920海里/20kt、4200海里/14kt
兵装
  • 38.1cm50口径三連装砲3基9門
  • 15.2cm三連装砲4基12門
  • 9cm単装高角砲9基
  • 3.7cm連装機関砲10基20門
  • 2cm単装機関砲20基

建造経緯

そもイタリアの海軍力は、大英帝国・USA・ドイツ帝国と比べると二枚落ち、広大な太平洋をカバーする日本と比してもそこまで図抜けたものではなかった。
第一次大戦前には列強に吹き荒れた建艦狂騒曲に乗ってド級戦艦であるコンテ・ディ・カヴール級及びカイオ・ドゥイリオ級を建造し
未回収のイタリア問題で対立しているオーストリア・ハンガリー二重帝国に対抗、さらに超ド級戦艦フランチェスコ・カラッチョロ級を建造予定であったが
フランチェスコ・カラッチョロ級は第一次大戦勃発により戦費調達優先で建造中止となってしまい、超ド級戦艦を所持するには至らなかった。
その第一次大戦後はオーストリア・ハンガリー二重帝国が各民族が独立し消滅・新たな仮想敵フランスはボドボドになり自慢の陸軍の再建にさえ手が回らず
アドリア海側の脅威が一気に縮小、フランスもそこまでの警戒が必要とはいえず、一応ド級艦を4隻持つイタリアが戦艦の建造をする必要性はあまりなかった*1のだが…

独「我がドイツの装甲艦は世界一ィィィ!!!」

…復活したドイツ海軍によるポケット戦艦・ドイッチュラント級装甲艦の建造により、連鎖反応的に再び建艦狂騒曲が始まるのであった。

仏「ドイツ、貴様何を作っている!」ダンケルク建造
伊「ヤメロー!ヤメロー!」→本級の建造決定、中継ぎでコンテ・ディ・カヴール級二隻大改装
独「(超ド級戦艦の建造を)出来んことはないィィィーーーッ!!」シャルンホルスト級巡洋戦艦及びビスマルク級戦艦建造開始
仏「負けられん!負けられんのだ!」→ダンケルク級2番艦以下、リシュリュー級戦艦建造
伊「モハヤコレマデー!」→カイオ・ドゥイリオ級大改装

ってな流れの中で、ダンケルク級必ず殺すウーマンとして設計・建造されたのがこのヴィットリオ・ヴェネト級である。
なお項目名に併記したリットリオは2番艦の名前だが、発注・起工は同時で就役はヴィットリオ・ヴェネトの方が速いため、日本ではヴィットリオ・ヴェネト級と呼ばれることが多い。
…のだが、イタリア海軍やアメリカ海軍の分類ではリットリオが一番艦扱いであり、リットリオ級と呼ばれることが多い。
英語版Wikipediaではどっちが一番艦かを定めることを放棄している始末である。



攻撃力

主砲

OTO社(現在のオート・メラーラ社)謹製の38.1cm50口径砲を、3連装3基計9門装備している。
砲塔配置は前方2、後方1の一般的レイアウトである。
仮想敵である英国や仏国の新世代戦艦と比較したとき、これらは前方に集中配置するという極端な配置である。
当然、前方射界で劣ることになるが、逆に後方射撃が出来ない弱点がある為一概に不利とはいえない。

この砲、大和の45口径46cm三連装砲の最大射程46kmに比肩しうる、最大射程44kmを誇る超長射程砲である。
が、狭い地中海でこの長射程はあくまでも副産物的にすぎず、高初速弾を用いた中近距離砲戦での貫通力を最も重視している。
28kmで舷側装甲380mm、18kmなら510mm装甲をぶち抜く*2という貫徹力を誇っていたという。
マトモに当たれば仮想敵のダンケルク級どころか各国の条約型戦艦もタダでは済まないのだから攻撃力という観点では大いに成功したと言えよう。

もっとも散布界は安定せず、原因として砲弾の品質不良が疑われていた。
装薬量が多いせいか砲身寿命が130発以下と短く、こまめに交換しなければいけないという弱点も抱えていた。

副砲

やはりOTO社謹製の15.2cm三連装砲。
軽巡洋艦の掃討を主眼に、カイオ・ドゥイリオ級より大型のものを搭載している。
この砲は軽巡洋艦主砲としても量産されている。

対空砲

対空砲は9cm高射砲や3.7cm連装機関砲や2cm単装機関砲を搭載していたが、航空戦力の発展の前ではやや不十分であった。後に増設はされたが
色々な要因があったとはいえ、4番艦は航空戦力により哀しみを背負うこととなった。

他にはレーダーが随時追加され、弾着観測用の水上機3機と射出カタパルトを1基備えている。

防御力

垂直装甲

垂直装甲に用いられる表面硬化装甲の品質において、イタリアは最優との評価がある。
本級の要求された防御性能は、絶大な貫徹力を誇る自艦主砲に対して16㎞で耐える事
という割と無理難題を吹っかけられており、最大装甲厚は350mm(傾斜11度)を誇る。

この350mmは一枚板ではなく、70mmと280mmの装甲板に50mmの木材を挟む形式である。
通常、一枚板の装甲に比べて張り合わせの装甲は一割引きの防御力となるのだが、
二枚の装甲を間隔をあけて配置した本級の装甲は、場合によっては一枚板350㎜を上回る性能を示す。

そのメカニズムは、
表層の70㎜(11度傾斜)は硬化層の役割を受け持ち、砲弾の被帽を破砕する。
貫徹力の落ちた砲弾を、280㎜(11度傾斜)の主装甲帯が受け止める。
というもの。

水平装甲

優秀な舷側と違い、余り性能が良くない。
イタリアに限らず、枢軸国側は装甲版に用いるニッケルの不足に苦しんでおり、特にイタリア製の均質甲鉄の性能は列強最下位との評価である。
弾火薬庫部分に関しては一枚板換算で約170㎜相当と強力な部類だが、機関部に関しては約120㎜相当と一段落ちる。

副砲防御

副砲防御は列強戦艦の悩みの種の1つであったが、本級では280mm甲板を被せて、昔の主力艦装甲並の分厚さで守るという方式で対応した。
ただ、副砲弾薬庫か主砲弾薬庫と近すぎたため結局副砲をぶち抜かれると連鎖反応で弾薬庫が大爆発するという弱点を抱えることになった。

水中防御

水面下の対水雷防御装甲として、コンテ・ディ・カヴールの近代化改修時に導入されたプリエーゼ式水雷防御を導入している。
単純に言うとクラッシャブルストラクチャとして機能する筒(二重式で外側に重油、内側に空気を充填)に魚雷を当てることで衝撃を吸収し
バルジなしで中核部を防衛しつつ、ダメコンとしても機能し浮力を保てる優れたシステム!という触れ込みであったが
実戦では衝撃波が筒を通して艦体に広がって余計なところにダメージを受ける、筒がズレて刺さる、修理に時間が掛かるなどろくな事がなかったらしい。
ただ、後述の速力を確保するため無駄な抵抗を増やすわけに行かず、バルジを張れないために実装した側面もあるため必要な経費だったと言える…のだろうか。


速力

公試時に31.5ktを記録、常用荷重時は最高速29ktで活動でき、4万トンを超える巨艦でありながら非常に快速である。
ビスマルクやリシュリューと比べても十分であり、ダンケルクも追いかけ回せる仕様である。
しかし、航続距離が地中海での制海権確保が主眼だったとはいえなんと3920海里/20ktと短い。なんせ自国の軽巡洋艦どころか駆逐艦並である。
このため、連合国に降伏後アメリカやイギリスが空母の護衛に最適と目をつけたが

英「おー、いいねこの戦艦!気に入った!ちなみに航続距離は?」
伊「3920海里になっております」
英「3920海里!?使いものにならないよ!」
伊「えー、攻撃力と速力は十分ですし…」
米「空母の護衛は無理だな・・・」

なんていう話もあるくらいである。
戦後生き延びた艦も維持費も嵩むため持て余されてしまい、近代化改修されたコンテ・ディ・カヴール級やカイオ・ドゥイリオ級より先に廃艦・解体の憂き目にあってしまったのだった。

ただ、この航続距離の短さは「どうせ地中海でしか動かないんだから燃料タンク分の重量を攻撃力と装甲に割くべし!」という設計思想故の結果であり、当然の帰結ではある。
アメリカやイギリスのように広大な作戦範囲を持っていない、ジブラルタルを突破して大西洋に打って出るつもりもないと割り切ったからこそ、速力と火力に秀でた戦艦に仕上がったのだ。
航続距離まで求めていたら、イタリアの工業力では足りない部分も出たであろう。



同型艦

ヴィットリオ・ヴェネト

起工:1934年10月28日
就役:1940年4月28日
除籍:1948年2月1日
建造:CRDA社*3トリエステ造船所

  • 艦歴
一番艦であり、一応ネームシップ。
名前の由来は第一次大戦においてオーストリア・ハンガリー二重帝国への勝利を決定づけた「ヴィットリオ・ヴェネトの戦い」が行われたヴィットリオ・ヴェネトより。

1940年と、既に第二次大戦が始まっており同盟国ドイツのビスマルクは既に大西洋に消えていた時期で、イタリアがイギリスに宣戦した後にようやく就役。
しかし9月のタラント空襲でコンテ・ディ・カヴール、カイオ・ドゥイリオ、リットリオが行動不能になってしまい
しばらくはただ一隻の戦艦としてロイヤルネイビーとの海戦に臨むこととなった。
しかし、マタパン岬沖海戦で完敗し自身も損傷。地中海の制海権はイギリスが握ることとなってしまい
その後も輸送船団護衛で出撃するも潜水艦の雷撃で損傷するなど散々であり、北アフリカで戦う陸軍を助ける役目をなかなか果たせなかった。
上層部が大事に扱いすぎて、きちんと運用出来なかった面はあったが…

イタリアの降伏後はスエズ運河のグレートビター湖に係留され、後にイタリアに返還され暫く保存されていたが1960年にスクラップとして解体された。


リットリオ(イタリア)

起工:1934年10月28日
就役:1940年5月6日
除籍:1948年6月1日
建造:アンサルド社ジェノヴァ造船所

  • 艦歴
2番艦。前述の通りネームシップ扱いされることも多い。
名前は古代ローマで要人警護に当たり、権威・結束のシンボルである斧「ファスケス」を担う役職であったリクトルのイタリア語読み。
ファスケスはファシズムの象徴として扱われることも多かったので、降伏後は連合国に配慮してイタリアと改称している。

ドイッチュラント「国名背負って沈んだら一大事だぞって改名させられたんだけど君は大丈夫なのかな?」
大和「平気なんじゃないですか?(目を逸らす)」

ヴィットリオ・ヴェネトの一週遅れで就役。就役直後から練度不足を押して出撃するなど早くから活動。
しかしタラント空襲で損傷し離脱、ヴィットリオ・ヴェネトと揃っての輸送船団護衛に出撃するが最終的には北アフリカ失陥で失敗と
ロイヤルネイビー地中海艦隊の練度と物量の前に戦意も乏しく苦戦するイタリア海軍を象徴するかのように、性能を全開にすることは出来なかった。

イタリア降伏後、4番艦ローマとマルタに向かうがその途上にドイツ空軍の攻撃を受ける。
イタリアは被弾するもなんとか乗り切るが、ローマは大ダメージを負い真っ二つになって轟沈してしまう。
命からがら逃げ切ったイタリアだったが、姉のヴィットリオ・ヴェネト同様にグレートビター湖に係留された後、アメリカに賠償艦として引き渡され解体された。


インペロ

起工:1938年5月14日
就役:就役せず
建造:アンサルド社ジェノヴァ造船所

  • 艦歴
3番艦。名前はイタリア語で「帝国」を意味する。

ジェノヴァで起工され、完成した場合最大最長のヴィットリオ・ヴェネト級の予定だったのだが
対イギリス宣戦時に北イタリアにあり、連合国からの攻撃も烈しいジェノヴァでの建造は難しいと判断され
進水式が終わっただけで、艤装や機関が不十分なままイタリア半島を挟んで逆側のトリエステに曳航してそこで建造続行となったのだが
曳航では宣戦前にトリエステに到達は無理という話になり、アドリア海側のブリンディジで航行できるまで機関を組んでからとなった。この時点で嫌な予感がする。

開戦後暫く経った1942年1月、機関が完成し自力で航行できるようになったインペロは一度ドックのあるアドリア海最奥・ヴェネツィアに寄港するが、
その頃には優先順位がかなり下になっており、トリエステに動かさないまま10ヶ月放置される。
11月にようやくトリエステに到着するが、工事はゆっくりしか進まず結局イタリア降伏までに完成には至らなかった。
その後、北イタリアに侵攻してきたドイツの手に渡るがもちろん完成させるつもりはなく
装備品をひっぺがした上で爆薬の試験などに使うなどして明らかに持て余していた。
ドイツが劣勢になりトリエステを放棄する際に港に沈められるなどろくな事がないまま戦争が終わった。

その後浮揚され解体されたのだが、解体されるまでにもさんざ着底してヴェネツィアの工場に運び込めず、航路外に座礁させられて放置されるなど最後の最期まで本当に持っていない艦であった。


ローマ

起工:1938年9月18日
就役:1942年6月14日
喪失:1943年9月9日、サルデーニャ島沖で戦没
建造:CRDA社トリエステ造船所

  • 艦歴
4番艦。名前の由来は首都ローマ。インペロと合わせて地中海帝国構想を体現しているとかしていないとか。

建造中に長姉ヴィットリオ・ヴェネトの修理パーツ取りのためヴェネツィアに送られるなど建造遅延要素はあったが
トリエステで起工したこともあり完成にこぎつけ1942年6月14日に無事就役。
しかし、劣勢の時期に就役したこともあり戦うこともないまま、停泊中にB-17の爆撃で艦首を破壊されるなどろくなことがなかった。

イタリア降伏後はリットリオ改めイタリアとともにマルタを目指し出港するが、道中で連合国に戦力を与えさせまいとドイツの爆撃機隊が襲来。
しかし、当時の対艦爆撃の定石である急降下爆撃体制に入らなかったため連合国の迎えと勘違いした司令部の判断ミスにより迎撃が遅れ、
爆撃機が搭載していたドイツの秘密兵器・対艦誘導弾ルールシュタール/クラマーX-1、通称フリッツXの攻撃を受ける。
対艦徹甲弾を電波誘導して音速並の高速で衝突させるドイツの秘密兵器を3発*4被弾。
前部弾薬庫、機関室、第二砲塔付近に次々突き刺さったフリッツXのダメージは並大抵のものではなく
弾薬庫や砲塔が爆発して艦は真っ二つとなり轟沈した*5
誘導爆弾兵器によって沈められた初の主力艦となってしまったのであった。

イタリアもフリッツXを浴びたものの、あまりの高速故に貫通して飛び出したため艦内で爆発せず
ダメージを最小限に留められたということもありなんとか離脱に成功した。
この辺り、ローマは運がなかったのであろう。



余談


ポスト・リットリオ級戦艦

第二次ロンドン海軍軍縮条約に批准しなかったイタリア海軍は地中海の制海権確保のために戦艦5隻の新造を構想しており、
内4隻はリットリオ級戦艦として結実したが、5隻目は承認される事無くペーパープランで終わってしまった。
それが1936年に示されたリットリオ級の拡大発展型で、ソビエト連邦向けに提案されたUP41案の原型にもなった。
要目は、基準排水量約42,000トン、全長249メートル、全幅35.5メートル、喫水9.4メートル、
機関出力約177,500馬力、速力32ノット、搭載機数4機、カタパルト1基、
主砲45口径16インチ砲3連装3基9門、副砲55口径6インチ砲3連装4基12門、高角砲50口径90mm砲連装12基24門、
54口径37mm連装機関砲10基20門、65口径20mm連装機関砲8基16門、
主砲防楯約350mm、舷側最大約380mm、甲板最大約180mm、となっている。

ソビエツキー・ソユーズ級戦艦

アンサルド社提案のUP41案は起工に至らなかったが、その設計はソビエツキー・ソユーズ級戦艦に生かされている。
実は1939年に承認された艦隊整備計画に設計案を提示したのはイタリアのアンサルド社であり、
以前から建造を依頼していた関係で技術を吸収していた為、
船体の形状やプリエーゼ式水中防御を採用している点にその影響がうかがえる。

1番艦ソビエツキー・ソユーズ、2番艦ソビエツカヤ・ウクライナ、
3番艦ソビエツカヤ・ベラルシア、4番艦ソビエツカヤ・ロシアの4隻の建造が開始され、
中でもソビエツキー・ソユーズは工事進捗率約20%まで進んでいたが、
独ソ戦の勃発によって工事は中断、戦後に全ての建造計画が破棄された。



追記修正はちゃんとインペロを造ってからお願いします。

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最終更新:2024年03月31日 13:12

*1 一応コンパクトサイズの戦艦、それこそドイッチュラントくらいの艦を多数造って既存の旧型化著しい戦艦を置き換えるプランはあった

*2 16インチ砲にも引けをとらない威力

*3 CANT社の方が通りが良いかも

*4 一説によると2発

*5 二発説の場合機関・砲塔爆発で電源喪失が起こりダメコン不能になり火災が弾薬庫に周り大爆発轟沈という流れ。