リシュリュー級戦艦

登録日:2015/03/23 Mon 21:00:23
更新日:2021/05/30 Sun 16:44:12
所要時間:約 5 分で読めます



リシュリュー級戦艦(Richelieu Class BattleShip(英語)、Cuirassé de la Classe Richelieu(仏語))とは、
かつてフランスが建造、保持していた戦艦である。

名称の由来は17世紀に近代フランスの礎を築いた宰相「リシュリュー枢機卿」こと「アルマン・ジャン・デュ・プレシー・ド・リシュリュー」から。
19世紀には装甲艦リシュリューがいたので、本級は2代目リシュリューとなる。




性能諸元*1

基準排水量:35,560t*2(42,806t)
常備排水量:43,293t(46,500t)
満載排水量:47,548t(49,850t)
全長:247.8m
水線長:33m(35.5m)
全幅:33m(35.5m)
吃水:9.6~10.7m(9.2~9.9m)
機関:インドル・スラ式重油専焼水管缶 6基
   パーソンズ式ギヤード・タービン 4基4軸推進
最大出力:150,000hp(170,000hp)
最大速力:30.0kt(通常時)
     32.0kt(公試時)
航続距離:12kt/10,000海里
     20kt/7,750海里
乗員:1,550~1,670名(2,134名)
兵装:38cm(45口径)4連装砲 2基
   15.2cm(55口径)3連装砲 3基
   10cm(45口径)連装高角砲 6基
   37mm(60口径)連装機関砲 4基(1943年以降換装)
   13.2mm連装機銃 16基(1943年以降換装)
   40mm(56口径)4連装機関砲 16基(1943年以降)
   40mm(56口径)単装機関砲 9基(1944年以降)
   20mm(70口径)単装機関砲 41基(同上)
   カタパルト 2基(1943年以降撤去)
   折り畳み式クレーン 1基(同上)
   ロワール 130飛行艇 3機(同上)
   各種レーダー
装甲:
舷側:330mm~152mm
甲板:150mm+40mm(機関部)
   170mm+40mm(主砲火薬庫)
   150mm+50mm(副砲火薬庫)
主砲塔:430mm(前盾)
    300mm(側盾)
    195mm(天蓋)
副砲塔:110mm(前盾)
     70mm(天蓋)
主砲バーベット部:405mm
副砲バーベット部:100mm
司令塔:350mm
前級:ダンケルク級戦艦
次級:ガスコーニュ級戦艦(建造中止)
   アルザス級戦艦(計画のみ)




建造までの経緯

ダンケルクの完成を念願の近代的戦艦を手に入れたフランスだったが、その優秀な性能は周囲を巻き込んだ建艦競争の激化を招き仮想敵のドイツにはシャルンホルスト級戦艦及びビスマルク級戦艦を、イタリアには旧式戦艦4隻の近代化改修*3ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の建造に踏み切らせてしまう。


独「ナチスの科学は世界一チイイイイ!!」

独「ダンケルクの性能を基準にイイイイイイイ…」

独「このシャルンホルストとビスマルクは造られておるのだアアアア!!」

伊「大西洋じゃどうだったか知らないがな!」

伊「地中海じゃこのヴィットリオ・ヴェネトが王者だ!」燃料の備蓄は無いけどな!

仏「ぐぬぬ…」


当然、ダンケルクを上回る戦艦を仮想敵に持たれるのはフランスとしては一大事であり、更なる戦艦の建造に臨むことになった。

時は1935年。地球のあちこちで戦争の火種が燻り、今にも燃え盛ろうとしていた時代。
フランスのブレスト工廠にて、フランス海軍史上最大最強の戦艦・リシュリューの建造が開始された。





設計と特徴

リシュリュー級は前級ダンケルクの拡大・発展型であり、ワシントン海軍軍縮条約の制限に基づいた条約型戦艦である。
革新的な設計もダンケルクという叩き台を経たことでより精錬され、不完全ながら不具合の解消が成されている。





攻撃力

4連装主砲の前面集中配置は前回から引き継がれたが、本級の主砲は新設計の45口径38cm4連装砲。
砲身長が長く、重量884kgの砲弾を初速785m/秒で発射出来るこの砲は、射距離20,000m台ならば舷側装甲393mmの貫通が可能だとされ、「枢軸国の戦艦で耐えられるのは大和型だけ」と言われる優秀な砲であった。
実は未完成のまま砲戦を強いられたことや不良品の砲弾による爆発事故と弾薬不足などが原因で、完工した1943年くらいまでイギリスを笑えない稼働率だったのは秘密。いいんだよアメリカが完成させてくれたから!
もっとも散布界は約20,000yardで1kmと劣悪で、装填速度もカタログスペック通り発揮できず、戦後に改修を受ける原因となった。*4

前級では両用砲だった副砲もリシュリューでは水上艦用と高角砲に分けられた。
搭載されたのは軽巡洋艦の主砲にも採用されている55口径15.2cm3連装砲。全基が後部測距施設の後ろに三角形に配置されているのが特徴的。

対空兵装として最大仰角80度で高度10,000m、13.5kgの榴弾を毎分10発発射可能の45口径10cm連装高角砲を6基、ダンケルク同様オチキス社製37mm機関砲を4基8門、13.2mm機関銃を16基32丁を備えていた。
これらの機銃は、1943年アメリカで完成した際にボフォース社製40mm機関砲16基64門に換装、1944年イギリスで更に同機関砲単装9基とエリコン社製20mm機関砲41基が追加された。
船体のあちこちに対空兵装を装備したその姿はまるで対空砲のハリネズミである。


防御力

水線上部3.3mから水線下2mまでの広範囲の防御を可能とした内側に15度傾斜して張られた330~152mmの舷側装甲、水平防御は150mm、主砲火薬庫上面で170mmの厚い装甲、断片防御として40~50mmの断片防御装甲、水中防御には液層や空層からなる多重隔壁に加え、魚雷の衝撃波と水圧を軽減するエボナイト・ムースと呼ばれる弾力性充填材が注入されている。
このように、4連装砲と前部集中配置で排水量が浮いた分を防御力に費やせた為、優れた防御力を有している。
その一方、元海軍技術少佐である福井静雄氏は機関部の配置が大胆過ぎると評しており、大和型程の対水雷防御力や抗堪性は持たないだろうと推察している。


機関と機動力

新たに採用されたインドル・スラ式重油専焼水管缶はこれまでのボイラーとは全く異なる構造だがより小型で、より多く防御にリソースを割くことが出来た。
肝心の出力もリシュリューで150,000hp、最大速31ktと速力30ktの計画を上回る良好な結果を残した。

戦後5年経ってようやく完成した2番艦ジャン・バールに至っては出力170,000hpもあった為か、バルジの追加で速力が落ちる筈が、むしろ公試32ktを記録して周囲を驚かせたという。


その他

リシュリュー級の特徴の1つに、戦後世界各国の艦艇に採用されたマック構造が取り入れられたことが挙げられる。
マックというのはマストと煙突の機能を一体化させた構造のことで、リシュリュー級のそれは先駆けであった。
なお、マックは英語表記では「Mack(マスト(Mast)+煙突(Stack)の意)」である。決して全滅する訳でもファーストフードのチェーン店でもない。

この他、ダンケルクで後部副砲の障害だったクレーンとカタパルトの配置も変更されたが、水上機の運用装備一式はアメリカで機銃を増設した際に全て撤去されてしまった。




総合

攻撃力、防御力、機動力のどれをとっても高い水準でまとまっており、そのスペックはヨーロッパでも最強クラスの戦艦であった。
同時期に欧州で建造された英国のキング・ジョージ5世級戦艦、ドイツのビスマルク級戦艦、イタリアのヴィットリオ・ヴェネト級戦艦と比べても一歩先を行く先進的な戦艦であった。

ちなみに、鹵獲した3番艦クレマンソーを調査したドイツ軍は自国の造船技術が20年遅れていることを知ったという。*5
ただしH級改正艦の設計でクレマンソーの調査結果に基づく修正は部分的に留まっており、建艦思想に大きな隔たりがあった面も否めない*6







活躍

戦艦リシュリューを有名にしたのは、性能よりもその数奇な艦歴であろう。
元々フランスがドイツにあっさり負けたのはダンケルクの項目でも触れたが、リシュリュー級も建造中だった3隻の内、進水していたリシュリューとジャン・バールが脱出に成功し、クレマンソーが鹵獲された。

ドイツに保有艦艇を渡したくない傀儡政権ヴィシー・フランスの意向でリシュリューとジャン・バールは未完成のままアフリカの植民地に逃げ込んでいたが、やがてそこにはついこの間まで味方だった連合国軍が現れた。
ヴィシー・フランスは一応中立だったが、いつ戦力がドイツに渡るかわからない状況は看過出来なかったのだ。

ヴィシー・フランス海軍は一度連合国軍を撃退したものの、弾は無い、資材も無い、士気も低いともはや戦闘続行は難しく、1942年にリシュリューはド・ゴールの自由フランスに下り、翌年アメリカのニューヨーク工廠で完成するのであった。

一方のジャン・バールはアメリカ軍にボコされ、大破着底後はほったらかしにされ、戦後になってようやく本国に回航、建造再開となった。

完工後のリシュリューは主にイギリス艦隊の傘下で活動した。だが、既に対抗馬のビスマルクやヴィットリオ・ヴェネトはおろかドイツにもイタリアにもまともな水上戦力は残っておらず、専ら空母の護衛や沿岸砲撃に従事した。
1944年3月以降は東洋艦隊に回されたがここでも水上艦と戦うことは叶わず、1945年9月、日本の降伏調印式への臨席を以てリシュリュー達の第二次世界大戦は終わった。

結局、リシュリュー級戦艦は持てるスペックをフルに発揮することも枢軸側の艦と戦うこともなく、枢軸側の新鋭戦艦を潰す為に生まれた戦艦なのに


連合国軍の艦としか戦ったことのない連合国軍の戦艦


というよくわからない経歴の戦艦になってしまった。
しかし、時代が航空機へとシフトし、戦艦というジャンルそのものが時代の片隅においやられていく中で戦艦同士で戦えた本級は、ある意味幸せな艦だったのかもしれない。
なにせ英国には『先鋒』という名前を貰いながら完全に出遅れた戦艦だっていたのだから…






同型艦

◆リシュリュー
Richelieu

起工:1935年10月22日
進水:1939年1月17日
就役:1940年4月1日
退役:1957年
除籍:1968年

1番艦。
名称の由来は上記。

本国を脱出後はダカールに身を寄せていたが、ダカールに現れた英国海軍に応戦、ダカール沖海戦が勃発した。
リシュリューは浅い港湾部でソードフィッシュの雷撃を受けた為、海底で乱反射・増幅された衝撃波の影響で浸水着底、更に戦艦バーラムとの砲戦の最中に爆発事故を起こして2番主砲の半分が使用不能になってしまっていた。
しかもダカールにはリシュリューを修復出来る設備は無く、オマケに本国陥落の影響で使える装薬は本来ストラスブール用の物で主砲に大きな悪影響が出ていた。

だが、それでもリシュリューは猛烈な対空砲火で爆撃機を返り討ちにし、奮戦した。

1942年、リシュリューは連合国軍に下り、翌年アメリカ・ニューヨーク工廠で完成してからはイギリス本国艦隊、1944年以降は東洋艦隊の傘下で上陸支援、沿岸砲撃に従事した。
東洋で活動していた時には日本の妙高型重巡洋艦羽黒と戦うチャンスが訪れたものの、結局戦うことは叶わず、一度も枢軸国の軍艦と戦わないまま東南アジアで終戦を迎え、何とか第二次世界大戦を生き延びた。

その後は第一次インドシナ戦争に参加したのを最後に保管船となり、やがて解体されていった。

今、ブレスト港にはリシュリューの主砲1門だけが展示され、後世にその威容を伝えている。



◆ジャン・バール
Jean Bart

起工:1936年12月12日
進水:1940年3月6日
就役:1949年*7
退役:1957年
除籍:1961年1月

2番艦。
名称の由来はフランス海軍の軍人ジャン・バール。本艦はその名を受け継ぐ2代目。*8

起工は1936年だが、ドイツのフランス侵攻から始まったゴタゴタの連続でアメリカに回航された後放置され、起工から就役まで実に13年もかかった。
あまりに時間がかかり過ぎた為に世界で最後に竣工した戦艦となった。*9

完成度76%で本国を脱出したジャン・バールはフランス領カサブランカに逃げ込んだが、やがてそこには『トーチ作戦』を発動した連合軍上陸部隊が現れ、ジャン・バールも否応なしに戦闘に巻き込まれた。『カサブランカ沖海戦』の勃発である。
この時使える武装は1番主砲塔と対空兵装のみ、おまけに物資不足で工事が進まず主電源が頻繁に断線、水兵の大半が陸戦隊に回され、止めとばかりにボイラーはたったの1缶のみという散々な状態であった。
そんな状態で襲ってきたアメリカ海軍の戦力は旧式空母レンジャー…そしてサウスダコタ級戦艦マサチューセッツ。世界の海で大和型に次ぐ戦闘力を持つバケモノ戦艦を相手にジャン・バールは決死の抵抗を試みたものの、ただでさえ強烈なスペック差の上に武器も人員も無いような状態でまともに戦える筈もなく、大破着底させられてしまった。

ところがその2日後、レンジャー艦載機の偵察写真を解析したらジャン・バールの主砲がまだ生きていることが発覚、慌てて警告を発したが時既に遅く、今まさしくカサブランカ港に接近していた第34任務部隊旗艦・重巡オーガスタが砲撃を受けた。
幸い全て至近弾だったが、何とか生還した第34任務部隊の指揮官ヘンリー・ケント・ヒューイット少将の肝を潰すには十分だったようで、以後彼は写真偵察活動の信奉者になったそうな。

そんなこんなでパーツだけ取られてほったらかしにされたジャン・バールだったが、終戦後にようやく回航されて1949年にやっと完成した。
その後は地中海艦隊に配備され、第二次中東戦争で出撃したのを最後*10に予備艦となり、1969年にはスクラップとして売却されて翌年に解体された。



◆クレマンソー
Clemenceau

起工:1937年1月17日
進水:1943年2月
戦没:1944年8月27日
解体:1948年

未完成の3番艦。
名称の由来は19世紀の政治家でジャーナリストだったジョルジュ・バンジャマン・クレマンソー。

1番艦リシュリューの問題点を参考に副砲のレイアウトが変更されているらしい。

建造中にドイツが侵攻してきた為、完成度10%で放置されていたのを鹵獲され、ドックを開ける為に半端な状態での進水となった。
進水後は対空兵装を増設した浮き対空砲台として使用され、最終的にはブレスト港の出入り口を塞ぐ閉塞船として扱われた挙句に連合軍の空襲で撃沈されてしまった。

ちなみにクレマンソーの主砲はドイツがノルウェーに沿岸砲台として利用していたが、戦後に回収されてジャン・バールに積まれている。



◆ガスコーニュ
Gascogne

未竣工の4番艦。

本艦からはリシュリュー級の改良型の言わば改リシュリュー級、すなわち「ガスコーニュ級」でもあった。
リシュリュー級との最大の違いは、主砲の集中配置を止めて主砲を艦の前後に1基ずつ、副砲が1番主砲塔と艦橋の間に2基、後部司令塔と2番主砲砲塔の間に1基配置されている点。

本来は1939年9月に起工される予定だったが、資材収集が遅れて慌てている間に造船所がドイツ軍の手に落ちた為、ガスコーニュが建造されることはなかった。



◆名称不明

5番、6番艦となる筈だったが、ドイツ軍侵攻の影響により未竣工。
正確にはガスコーニュ級の2番、3番艦であるようだ。
ちなみに1940年度計画艦である。





発展型

実現しなかったが、リシュリュー級を更に発展させた戦艦の建造も計画された。


ガスコーニュ級戦艦(改リシュリュー級)

上でも触れたが、リシュリュー級4番艦のガスコーニュは設計が改められ、主砲と副砲の配置が大きく変わっている。

フランス海軍はガスコーニュ級3隻とリシュリュー級3隻から成る二個戦艦艦隊の運用を想定していたようだが、ナチスのチョビ髭伍長閣下は本級の建造を待ってはくれなかった。



アルザス級戦艦

ドイツのZ計画に対抗して計画していた物。
設計は概ねリシュリューと同じだが、全長251mと船体がやや大きく、主砲は38cm4連装砲を3基12門、または40.6cm3連装砲3基9門が予定されていた。
また、砲塔のレイアウトは大きく変更され、主砲は前部に2基で後部に1基、副砲が前部に1基で後部に2基の堅実な配置となった。

「アルザス」、「ノルマンディー」、「フランドル」、「ブルゴーニュ」の4隻が計画されていたようだ。








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最終更新:2021年05月30日 16:44

*1 括弧内の数値は2番艦ジャン・バール

*2 アメリカで竣工した際には対空兵装と電測兵装の換装及び航空艤装の撤去も実施されており、40,270tを記録している。近代化改修で約3000トン増加した影響もあるとはいえ、エスカレータ条項発動前の規定を超過しており、設計時の見積もりが甘かった可能性もある。

*3 もはや魔改造と呼ぶのも生温い何かだった

*4 散布界は某欠陥戦艦の100mには及ばないものの300mに、装填速度は45秒おきから32秒おきに改善された

*5 ただし、ドイツの海軍技術は第一次世界大戦での敗戦が原因で大きく遅れていたことを考慮しなくてはならない。戦間期に設計された駆逐艦の航続距離問題や初期の軽巡洋艦のトラブルは技術的後進性の証左である。

*6 ポスト・ジェットランド型艦艇に採用されている傾斜装甲・液層防御・機関のタンデム配置などはドイツ側も戦前から把握しているが、Z艦隊計画艦で導入されたのは一部に留まっていて艦船用ディーゼル機関への拘泥を除けば保守的な様が窺える。

*7 書類上は1940年6月19日

*8 初代は第一次大戦期に建造されたクールベ級戦艦

*9 ちなみに戦艦の始祖とされる装甲艦グロワールを造ったのもフランスだった

*10 しかしアルジェリア戦争の最中テロ未遂事件の標的になった