大日如来

登録日:2015/09/29 (火) 17:55:01
更新日:2021/10/25 Mon 22:38:04
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■大日如来(だいにちにょらい)


『大日如来(梵:マハーヴァイローチャナ)』は大乗仏教(密教)の尊格。
真言宗の本尊。
大乗仏教が発展していく中で古代インド神話やヴェーダ、漢字圏の陰陽思想を巻き込みつつ成立していった密教(秘密仏教)の最高位の仏である。
我が国には弘法大師により齎されたが、他ならぬ弘法大師自身が結縁灌頂を結んだ仏でもある。

古代の太陽神信仰を源流とするとされる尊格であり、仏法の示す“宇宙”その物であるとされる事から法身仏*1と呼ばれる。
このため、SF的に云えば太陽神どころか宇宙神と呼べる存在であり、思想的にはそれをも越えた概念であると云える。
華厳経の主であり、根源仏(※智慧の光により釈迦を生み出した仏)として考え出された毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)(=奈良の大仏様として有名)の概念を更に発展させた存在と考えられているが、大日如来へと繋がる系譜は仏教の黎明期より存在しているとの説もある。

何れにせよ、大日と(毘)廬遮那は共に同じ如来(仏)である、と解釈されている。

廬遮那仏の時点で、仏の智慧の光は太陽の様に宇宙の隅々までに果てしなく広がると共に人々を導く釈迦を生み出し、それが数えきれぬ程の平行宇宙でも繰り返されて仏の慈悲は時間と空間を越えて広がっていく……という、とんでもなくスケールの大きい思想を示した仏様であり、大日如来の場合には、そうして誕生した世界その物もまた大日如来(御仏)の影であると説かれている。

梵名を音写した摩訶(大)毘盧遮那如来(仏)や、遍照金剛(如来)の名も用いられる。


概要

7世紀にインドで成立し、8世紀初めに善無畏三蔵が漢訳して中国に伝えた「大日経(大毘廬遮那成仏神変加持経)」と、同じく7世紀にインドで成立し、8世紀に不空三蔵が中国に持ち帰った「金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)」に説かれる“仏法”その物を顕す仏。
胎蔵、金剛界の両部曼荼羅の中心に座す、秘密仏教が示した仏教宇宙の中心にある仏であり、大乗仏教に於ける宇宙(※眼に視える世界)とは、大日如来の光により生じた実体の無い故に絶えず移り変わる影に過ぎない云う。

よって、釈迦如来をも含む大乗仏教で信仰される仏や神、悪鬼の本性とされるが、より本質的には人や畜生、草木と云った宇宙の凡て(※輪廻による循環や平行宇宙的な概念をも含む)が大日如来の影である。
ここから、密教では己は勿論、この世の凡てに仏性が有ることを悟り、大日如来へ還れと説いているのである。
仏法その物の化身とされる為か、如来としては例外的に仏陀となった後に拓いたとされる浄土が考え出されていなかったのだが、後に浄土信仰をも内包した密巌浄土(世界)*2なる概念が生み出されている。
これは、上記の様に我々の生きとし生ける世界が既に大日如来の浄土であり、真実にさえ気付けは直ぐに仏に至れるという真言密教の即身成仏の境地と合致するものである。


由来

一般的には梵名の毘盧遮那(ヴァイローチャナ)や、それに近い名前=ヴィローシャナが、仏教誕生以前の古代インド神話から、ヴェーダを経てヒンドゥーにまで登場するアスラの名として見られる事から、それが仏教に取り込まれたと解釈されており、そう紹介されている場合も多い。
ただし、元々はこの名はバラモン-ヒンドゥーの成立以前の古代インド~ペルシャ地域の太陽神の系譜の名であり、アスラもまた悪魔ではなく、アーリア人による支配を受ける以前のインダス文明を生んだ同地域の民族に信仰された神々であり、悪魔等では無かった。

原典となる「大日経」を訳出した善無畏の解説に依ると“太陽=毘盧遮那(ヴァイローチャナ)”に似ているが、その功徳がより巨大(=物質的な光の概念を越えた仏の智慧の光)である事から“摩訶(大)を冠して摩訶毘盧遮那如来(マハー・ヴァイローチャナ・タターガタ(Maha vairocana Tathāgata))と呼ぶ”と記述されている。*3
……よって、単にヴィローシャナ(遍照)や、派生でヴァイローチャナ(遍照の息子)等と呼ばれた神性やその眷属が仏教に持ち込まれた……と云う事では無いらしい。

例えば、初期仏教の頃より開祖である釈尊を神格化する流れが起きているが、この時点で釈尊を古代から続く太陽神信仰と結びつける=仏陀の智慧を光として讃える表現が既に見られると云う。*4
これは、前述の様に古代インド*5には、後にアーリア系神話と共にヴェーダとして纏められた自然神信仰があり、太陽神はその最高位の神格であった事、
他ならぬ釈迦牟尼(シャカ族の聖人)を生んだシャカ族自体がコメ作りを行っていた農耕民族であり、シャカ族の生活の根底に日神、月神信仰があった事も理由なのではないかと考えられている*6
遡って釈尊とインドラとの問答と云う形式で描かれた初期仏典の中で、仏陀=釈尊を“太陽を親族とする者”とする記述があり、これを10世紀に法賢が“如来大日尊”と漢訳している。
そして、3~7世紀にインドで広まった「華厳経」では釈迦の異名として毘盧遮那を挙げ、釈迦(応身仏=現実に現れた仏)と盧遮那仏(法身仏=仏法その物となる仮定上の仏)を同格・同一の仏とする記述がある。
いずれにせよ、釈迦の思想を衆生に伝えるべく仏法思想その物を“宝”として体系化していく中で、神格化された釈迦=仏陀の智慧を顕す名として毘盧遮那が用いられており、大乗仏教の興ったとされる頃には既に釈迦牟尼毘盧遮那仏の呼称があったと云う。

……一方、これらの古代インド寄りの土着信仰は、上記からも窺えるようにアーリア系のヴェーダ神話と習合しつつも淘汰され、一時はヴェーダ=バラモンに対しアスラ(非アーリア系神話)が優勢だったものの、最終的には敗れた(吸収されてしまった)経緯がある。
初期仏教に於いて釈迦を毘盧遮那=アスラと呼ぶのは非アーリア系神話から見れば尊称であるが、後のヒンドゥーでは蔑称である。
仏教ではヴェーダ=バラモンの神話が取り込まれていたが、逆に同じ方法で誕生したヒンドゥーではアスラはディーヴァと呼ばれる神々の源流、或いは悪魔の名として取り込まれ、アスラの“神格その物”剥奪されてしまっているのである*7
後のヒンドゥーの時代では、アスラは大意では悪魔の名前となっており、その首領となる有力なアスラに太陽神の名であった筈のヴィローシャナの名が付けられてしまっている。
ヒンドゥーで三大主神となったシヴァヴィシュヌは元来はアスラ(※土着の地方神)だったと考えられており、太陽神であるスーリヤや、太陽光の一つの属性の神格化であるヴィシュヌにヴィローシャナや、それに近しい名が捧げられたりもしているのだが、ヒンドゥーでは元々は天空を意味していたと考えられているアフラ=アスラが「天(ア)にあらざる者(スラ)=唯物論者、仏教徒」とされてしまう等、アーリア系から他の土着民族の蔑視や文化の吸収、破壊もあってか、それらの事実が後に変遷して行き「ヴィシュヌがアスラを滅ぼす為に釈迦に化身した」=誤った思想を流した異端者とする神話が生まれている。
アーリア系=バラモン→ヒンドゥーの立場から見れば釈迦は思想、出自からもアスラ(※宗教的、民族的な蔑視の意味から)であり、それを首魁とするのが仏教だったからである(後に、このヒンドゥー寄りの視点をも仏教は取り込んでいる)。

……いずれにせよ、大日如来=毘盧遮那の名は単に古代の太陽神、光明神が仏教思想に取り込まれたと云うだけではなく……或いは、単にそれだけだったとしても非常に多様な段階での考察を含む事の出来る名であり、その功徳を説く「大日経」系、「金剛頂経」系の教典が成立して東方に伝来して行く中で、実際に多くの新しい解釈をも加えて発展して行った概念である様である。

※大日如来の名を最初に漢訳したのは「大日経」を訳出した善無畏三蔵と、その弟子の一行禅師。
「金剛頂経」系では毘盧遮那如来の名が使われていたが、空海が胎蔵、金剛界を両部曼荼羅として対になる存在として日本に持ち帰り大成させた事もあり、同じく大日如来と訳出される様になっていった。


姿

他の如来が成道者たる釈迦に倣ったシンプルな仏陀の姿をしているのに対して、大日如来は王冠を被り、華美な装飾品を身に纏った古代インドの王の姿をしている。
王者たる大日如来には王者の姿が相応しいと考えられた為とされるが、
これは仏門の宝である智慧と現世の宝である富を兼ね備えた理想の姿であると解釈されている。
また、煌びやかな仏と云えば如来の前段階としての菩薩(※衆生を救うべく敢えて成道しない仏)が在るが、大日如来は存在その物が既に宇宙であり、その本願が生きとし生ける全ての衆生の救済を第一にしている事から=菩薩形をしている*8と云う解釈もされている。
一方、大乗仏教誕生当時の仏典も伝来しているとされるチベットでは通常の如来形の毘盧遮那も発見されていると報告されている事から、現在の姿が定まったのは大乗仏教も後期に入ってからとも考えられており、インドでは釈迦と同じ触地印を示した作例も発見されている。
これらの事から、釈尊を神格化、様々な仏尊として図像化されていく中で大日如来の場合は特に神性の部分を抜き出して成立させられた尊格なのではないか?とも考えられている。

姿には大きな違いは無いものの、智拳印を結ぶ金剛界大日如来(白色)法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来(金色)の二通りの姿があり、これは各々の両部曼荼羅の主尊として密教宇宙の中心に座す。

天台宗やチベット密教では大日如来の功徳を独自に解釈、発展させた仏頂、仏母なる尊格が考え出されており、本尊である釈迦如来と同体とする説が積極的に出されている。


両部曼荼羅


□金剛界

「金剛頂経」に説かれる、宇宙が仏の智慧(知)により統制されて行く姿を描く。
仏との一体化=即身成仏となる事による解脱を段階的に説明した図である。

■胎蔵界

「大日経」に説かれる、宇宙が仏の慈悲(理)により生まれ=互いに影響し合いつつ誕生していく姿を描く。
太陽の如く放射線状に拡がる大日如来の光より、その影たる如来、菩薩、明王、天部、更には悪鬼や羅刹が生まれ、その更に先から幾つもの宇宙が生まれる様を描いた図である。


※両方の曼荼羅は別々の道を辿り成立していった概念だったが、漢字圏の陰陽思想を受けて表裏一体の概念となった。
特に空海は金胎不二の理想を掲げ、曼荼羅世界の象徴化に尽力した。
この両部曼荼羅を基本として、我が国では様々な尊格、または宗派による仏法理念の図像化がバリエーション化されて行く事となった。


五智如来(五仏)

大日如来の智慧を五つの段階と五体の如来に分けた物。
密教思想の最も根源となる仏である。

□金剛界
金剛界大日如来(中央)・阿閦如来(東)・宝生如来(南)・阿弥陀如来(西)・不空成就如来(北)
※光の色は順に白・青・黄・赤・黒。
真言宗系寺院に見られる五色の由来だが青が緑、黒が紫になったりしている。

■胎蔵界
胎蔵界大日如来(中央)・宝幢如来(東)・開敷華王如来(南)・無量寿如来(西)・天鼓雷音如来(北)
※金剛界五仏と名称を異とするが、両者は同一の存在である(金胎不二)。


三輪身

密教では仏は必要に応じて「自性輪身」「正法輪身」「教令輪身」の三つの姿を顕すとされるが、
特に五仏が姿を変えた化身はそれぞれ「五智如来」「五大菩薩」「五大明王」のグループとなっており、教義の体現、説明に用いられている。

■五智如来(自性輪身)
大日如来(中央)・阿閦如来(東)・宝生如来(南)・阿弥陀如来(西)・不空成就如来(北)

■五大菩薩(正法輪身)
金剛波羅蜜菩薩(中央)・金剛薩埵(東)・金剛宝菩薩(南)・金剛法菩薩(西)・金剛業菩薩(北)

五大明王(教令輪身)
不動明王(中央)・降三世明王(東)・軍荼利明王(南)・大威徳明王(西)・金剛夜叉明王(北)

※五大菩薩は東寺の作例に倣う。
※五大明王は五仏の変身と云う事実を越えて大乗仏教を代表する尊格として知られる。


化身・別身

前述の様に大乗仏教で信仰される凡ての尊格が大日如来の影であるが、特に化身として有名な尊格を挙げる。

不動明王(尊)
大日如来の化身として特に有名。
諸仏の王とも呼ばれる。
空海が伝来させた日本仏教の守護者。

■降三世明王
五大明王の一つ。
大自在天(シヴァ)を降伏する際に化身したとされる。
この説話は後に不動尊に組み込まれている。
実は不動尊や降三世明王の起源もまたシヴァにある。

■金剛薩埵
真言宗の第二祖。
梵名から金剛力士と起源を同じくすると考えられるが、密教の深化の中で大日如来の修行中の姿=五仏の師(前段階)と考えられる様になった。
修行僧と大日如来の仲立ちを行う尊格であり、普賢菩薩、金剛手菩薩と同体とされる。

■一字金輪仏頂
天台宗最高位の仏。
究極の梵字「ボロン」の功徳を示した仏である。
一字=「ボロン」、金輪=最高位の転輪聖王(古代インドの理想上の王)=大日如来(仏頂)となる。
本尊である釈迦如来形の金輪もある。
岩手県中尊寺に作例があり“人肌の大日”として知られる秘仏となっている。


関連する神性


アフラ・マズダ
古代ペルシャの太陽神で、後のゾロアスター教の最高神。
アフラ(天空)・マズダ(光)の名と神性の解説、地域的な関連から毘盧遮那と起源を同じくすると見られている。

天照大御神
伊勢神宮内宮に鎮座在す日本の皇祖神。
太陽神である事から神仏習合に於いて同体とされた。


種字

□金剛界 バン
■胎蔵界 アク


真言

□金剛界 オンバザラダドバン
■胎蔵界 ナウマクサマンダボダナンアビラウンケン



追記修正は宇宙と一体であると気づいてからお願いします。


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最終更新:2021年10月25日 22:38

*1 本来は象で顕すことも出来ない“仏”をも生み出す“仏”の本質そのものを指す詞だが大日如来は即ち仏法その物であるためにこう呼ぶようになった。

*2 ※堅牢な仏の世界全て

*3 ※つまり、仏の智慧の光が幾つもの宇宙に広がる様を太陽光に喩えているが、拡がる様子を太陽に喩えているだけで大日如来が太陽神であるとは言っていない。仏の光は宇宙自体の本質でもある故に時間や空間の制約を受けないのである。

*4 ※仏教では智慧が光に喩えられており、阿弥陀如来もまた同様の思想から生み出されたと考えられている。

*5 ※インダス文明を築いた5種族にはアスラ族があり、彼らは太陽神を信仰していた

*6 ※シャカ族は自分達をスーリヤ・ヴァンシャ=太陽の一族と自称しており、後に釈尊を自分達の信仰と結びつけていったと考えられている

*7 ※アーリア系民族の侵略に伴う、土着民族との併合、戦いの縮図と神話化と考えられている

*8 宇宙が存在する=大日如来が常に世の為に働いていらっしゃるということとされた。