ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko3094 学校:冬(前編)
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『学校:冬(前編)』 37KB
虐待 日常模様 飼いゆ 現代 以下:余白
『学校:冬(前編)』
――――親愛なる紫ちゃんへ
紫ちゃん。
六年生になってクラスが替わったかと思います。
紫ちゃんは、仲の良い友達と同じクラスになれましたか?
余計な心配だったかも知れないね。
紫ちゃんは優しいから、きっと誰とでも友達になれると思います。
本当はもっと早くにお手紙を書こうと思ったんだけれど、転校の準備とかですぐに書くことができませんでした。
私の方から紫ちゃんに「手紙を書くね」って言っていたくせにごめんなさい。
テレビのニュースで言ってたけど、そっちはもうすぐ梅雨に入るみたいですね。
北海道には梅雨が来ない、っていうことを先生から聞いてとても驚きました。
そういえばね。
私、こっちの学校で友達がたくさんできたよ。
みんな、優しくていい人たちばっかりなんだ。
この間なんて、クラスの皆が私のために歓迎会をしてくれたんだよ。
まだ教科書が揃ってない私に教科書を見せてくれる友達もいるよ。
送った写真は見てくれましたか?
それに写っているのが私が通う学校です。
友達と一緒に写っている写真は先生が撮ってくれました。
お父さんもお母さんも私とお喋りをして笑ってくれるようになったよ。
お手紙でしか書けないけれど、お父さんもお母さんも「紫ちゃんによろしくね」って言ってたよ。
私は始業式の前の日に転校しちゃったから分からないんだけど、転校してなかったら紫ちゃんと一緒のクラスになれたかな?
もし、そうだったら嬉しいなぁ。
でも多分、私の名前って載ってなかったんだろうね。
紫ちゃん。
私と、少しの間だけでも友達になってくれてありがとう。
お話をしてくれて凄く嬉しかったよ。
紫ちゃんは何度も私に「一緒に学校に行こう」って言ってくれてたよね。
でも、本当にごめんね。
私はどうしてもその勇気を出すことができませんでした。
私が学校に行くのが怖かったのもあるけれど……私のせいで、紫ちゃんまでいじめられることになったらどうしようかと思うと、
怖くて足が動きませんでした。
何だか、言い訳ばっかりしてごめんなさい。
本当は紫ちゃんと一緒に学校でお喋りしたかったよ。
学校に行く時も帰る時も一緒に歩いていたかったんだよ。
でも……私は弱いから、自分でそういう場所に行くことができませんでした。
紫ちゃんは、私のことを呆れているかも知れないね。
我儘ばっかり言って、ちっとも歩き出そうとしない私を見て、本当は腹が立っていたんじゃないでしょうか。
そう思われていても、私は紫ちゃんの事が大好きです。
紫ちゃんと友達になれて良かったと思ってるよ。
紫ちゃん。
私のお願いを一つだけ聞いてもらえないでしょうか。
お手紙を出す時期が遅かったから……もう、私のお願いは叶えてもらえないかも知れませんが……。
一応、お手紙に私のお願いを書いておきます。
あのね……――――
十、
年が明けた。今年は例年以上に強い寒波が列島を覆っているようで、双葉小学校の校庭には時折うっすらと雪が積もることも
あった。もちろん、児童たちは大はしゃぎである。土地柄、滅多に降らない雪を見ては童謡に出てくる犬のように校庭を所狭し
と走り回っていた。その中でも散野くんと白岩くんのはしゃぎっぷりは見ていて清々しいくらいで、むしろ雪の降らない日は表
情が目に見えて暗いのが分かる。しかし、他の児童も程度の違いはあれど大体同じ反応を示す。どうせ寒い思いをするのなら、
雪が降っているほうがいいという理屈だ。「子供は風の子」という言葉は廃れつつあるが、やはり「子供はどちらかと言うと風
の子」なのかも知れない。
紫ちゃんは何度目かの席替えでようやく手に入れた窓際の席に一人で座っていた。頬杖をついて窓の外に目を向けている。こ
の日も雪が降っていた。休み時間の間は換気をするために教室の窓が全て開け放たれている。大袈裟に教室の後ろの壁に数人が
かりでへばりついて身を寄せ合う男子。祈るようなポーズでホッカイロを握りしめたまま動かない女子。そして。
「ざむ゛ぃ゛……ゆっぐり……できな……ぃ……」
水槽の中で歯をガチガチと鳴らしながら震えるれいむの姿があった。見開かれた目にはうっすらと涙が滲んでいる。れいむは
人間で言えば裸の状態で放置されているに等しい。動物のように温かい毛皮も持たない。暖を取る術もない。これが複数単位で
行動するゆっくりであれば、頬を寄せ合って互いの体温を分け与えながら寒さを凌ぐのだろう。だが、れいむにはそれができな
い。容赦なく窓から入り込んでくる風がガラス製の水槽をどんどん冷却していく。れいむにとって水槽は冷蔵庫の様なものだっ
た。
今のれいむへの扱いは酷いものだった。水槽の中には水皿が置いてあるだけである。今は水槽の中にスペースがないからとい
うのもあるだろうが、かつて河城さんが作ってあげたような段ボール製のおうちもなければ、雑巾すら敷いてもらっていない。
ゆっくりが寒さに弱い生き物だという事を知った上での仕打ちだった。休み時間の換気を強要する上白沢先生に文句の一つも出
ないのは、クラス一同が「れいむざまぁ」の心を持っているからだ。
「よう」
「……八坂ちゃん……」
八坂ちゃんが紫ちゃんの前の席に座って物憂げに外を見つめる紫ちゃんに声をかけた。紫ちゃんは何も答えようとはしなかっ
た。何か言いかけようとはするが、すぐに口を噤む。そんな様子を繰り返している。八坂ちゃんは「やれやれ」と言わんばかり
の表情で紫ちゃんと同じように窓の外に目を向けると、
「もうすぐあたしたち、卒業だな」
「……そうね」
「寂しくなるな」
「そうかしら? 中学校でも同じメンバーじゃないの。本当に別れを寂しく思うのは三年後よ」
「三年も先か……」
「……三年も後よ。まるで、卒業して皆と別れるのを望んでるみたいな言い方をするのね」
「そんな言い方をすれば、お前があたしに構ってくれやしないかと思ってね」
そう言って男の子のように笑う八坂ちゃんを見て、紫ちゃんが呆けた表情をしてみせる。それから八坂ちゃんの意図に気付い
た。また、一人で考え込んでいたのだろう。紫ちゃんは八坂ちゃんを見て小さく笑った。八坂ちゃんも笑みを返す。何か談笑の
一つでも……と思っていたところに始業のチャイムが鳴った。八坂ちゃんが「まったく」とでも言いたげな様子で教室正面のス
ピーカーに視線を向ける。紫ちゃんは「もう大丈夫よ」と一言呟いた。
冬休みを終えた双葉小六年生の授業は、小学校一年生からの授業内容の復習へと変わりつつあった。散野くんは九九が言えず
に頭を抱えて悶えている。双葉小学校教師陣も年明けの行事で忙しいのか、特に六年生のクラスは自習の時間が多くなり、学校
全体も四十五分の短縮授業が多くなってきた。
「ゆ゛げぇ゛ッ!??」
放課後。
いつものように水槽から揉み上げを掴まれて引っ張り出されたれいむが勢いよく教室の床に叩きつけられる。その様子を見て
も、誰も何も言わなくなっていた。東風谷さんでさえ、目を背けるだけで声を掛けようとしない。れいむは自分の前に聳える数
人の男子を見てガタガタ震えていた。
男子は慣れた手つきでれいむの口をガムテープで塞いだ。れいむはそれだけで滝のように涙を流して「む゛ー、む゛ー!」と
声にならない叫びを上げた。すぐにれいむをボールに見立てた室内サッカーが始まる。顔中のあちらこちらを蹴り飛ばされるれ
いむは教室の床をゴロゴロ転がったり、壁に叩きつけられたりした。意識を失いそうになると、オレンジジュースをかけられて
回復させられてしまう。それからまたすぐに始まるゲーム。痛みに耐えるために力んだ拍子に漏れ出したうんうんを見てから、
あにゃるにもガムテープが貼られた。
遊び終わった道具はまた道具入れの中に放り込まれる。水槽の中でうずくまったまま、「ゆっ、ゆっ」と呻くれいむを見て教
室のあちこちからクスクスと小声で笑うのが聞こえてきた。れいむは恐ろしくてたまらなかった。もう、数えきれないほどたく
さん殴られたし、蹴られた。炙られたこともあれば、刺されたこともあった。それでも、その痛みと恐怖にはいつまで経っても
慣れることができなかったのである。“その時”を迎えれば反射的に涙が零れた。体が震えた。吐き気がして、眩暈がした。や
っと解放されて、恐ろしい人間たちがいなくなったと思えば今度は凍える夜を一匹で過ごさなければならない。
真っ暗闇の教室の中。誰もいなくなった夜の静寂の中でれいむが呟いた。
「れいむ……もう、……いきていたく、ないよ……。えいえんに……ゆっくりしたいよ……」
疲れ切っていた。心も体も全てが衰弱しきっていたのだ。痛めつけられるだけの日々はれいむから生きる力を根こそぎ奪って
いった。この寒さに耐えて朝を迎えても、待っているのは新たな痛みだけである。れいむは震える体を必死に動かして、水槽の
壁に体当たりをした。ぺちっ、という情けない音がする。れいむには自分を殺すだけの力すら無かった。
「ゆぐっ……ひっく……」
れいむは自分を呪っていた。今、この瞬間、生きていることしかできない自分を激しく呪っていた。れいむが望んだ物は何一
つとして叶わなかったのである。今も、死んでしまいそうなくらいに寒いのに、きっと死なない程度に体力を奪われて朝に目を
覚ます。
「どぼじで……どぼじで……れいむ゛ばっがり……こんな、……ひどい゛、よ゛ぅ゛……」
泣いて、泣いて、泣き続けて。れいむはまた眠りについていた。冷たい教室の空気がれいむの体温をゆっくりと奪っていく。
れいむは眠っていながらも寒さに全身を震わせていた。寝ても覚めても、震えていることしかできなかったのである。
翌朝。れいむの水槽の周りに人だかりができていた。男子も女子も水槽の中のれいむを見て大笑いしている。れいむは水槽の
中で「ゆ、ゆわぁぁ」などと情けない声を出して右往左往していた。涙目になって慌てふためくれいむの右の揉み上げと水皿が
合体している。寝ている間に揉み上げが水皿の中に入ってしまい、その中の水が凍ってくっついていしまったのである。
「ゆひぃぃぃ。とって、とってよぉぉ!!」
自分の揉み上げに異物がくっついていることが余程ゆっくりできないのか、れいむは必死になって助けを求めていた。もちろ
ん、それを助けてやろうする奇特な者は只の一人もいない。クラス一同にとってれいむはこの上ない玩具だった。何もしなくて
も自分たちを楽しませてくれる生きる価値のない道化。れいむが無理矢理、自分の揉み上げを水皿から引き抜こうとした。すぐ
にブチブチィ、という音がして「ゆぎゃああぁぁ」と叫ぶ。集まった一同がまた大きく笑った。
「…………」
そんな様子を遠くから眺める紫ちゃん。
「楽しそうね。貴女も混ざったらどうなの?」
花壇の世話をしていた風見さんが窓から顔を出して紫ちゃんに声をかけた。返事をしない紫ちゃんを見て、風見さんはクスリ
と笑うとまた雑草を引き抜く作業に戻る。
(……私は、どうしたかったのかな……)
紫ちゃんが心の中で呟いた。
四月。学年が一つ上がって新しいクラスになった。れいむはその時から一緒にいた。そして、れいむへの扱いを巡って男子と
女子は真っ二つに分かれて戦争をした。しかし、いつしか男子と女子は隣のクラスという共通の敵を見つけて結束していった。
それとほぼ同時期に起こったれいむに関する事件。東風谷さんを泣かせたこと。運動会で大敗したクラス全員への罵詈雑言。こ
の二つを持ってれいむへの扱いが急激に変化したのは言うまでもない。紫ちゃんでさえ、れいむに対して激しい憤りを感じてい
たのだ。今や、れいむに対して直接手を下していないのは紫ちゃんと東風谷さん、それに八坂ちゃんの三人ぐらいのものだろう。
東風谷さんは傍観者。八坂ちゃんは黙認。形は違えど、それはれいむに対する集団いじめの一翼を担っているのと同義だ。それ
は紫ちゃんに関しても同じことだった。
しかし、紫ちゃんはまだ迷っていた。
れいむがどれだけクラスに対して狼藉を働いても、それこそ殴ってやりたいくらいに腹が立ったときも、紫ちゃんは決してれ
いむに手を上げようとしなかった。
「い゛だい゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛っ!!!!」
男子の一人がれいむの揉み上げと水皿を無理矢理引っ張っていた。男子の表情や力のかけ具合から察するにれいむの揉み上げ
の一部を引き千切るつもりで事に当たっているのだろう。それを囲むクラス一同は、泣き叫んで身を捩るれいむを見てニヤニヤ
と笑っていた。
「や゛べでぇぇぇ!!! れ゛い゛む゛のもみ゛あげざんがぢぎれぢゃう゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!!!」
「あははは!! 知るか馬鹿!!! そんなもんまた勝手に生えてくるだろ!? ケチケチすんなよ!!!」
「ゆ゛んや゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
「……うっざいなぁ、この馬鹿ゆっくり。どうせ、泣いても叫んでも千切られるんだから、せめて黙ってればいいのに……」
れいむの叫び声を聞いてますますヒートアップしていく男子。対して女子は毎度喚き散らすれいむのワンパターンな反応に飽
きが来ている様子だ。れいむの揉み上げの先端部を握りしめているのは男子がかけたせめてもの情けである。本来ならば、揉み
上げの根っこの部分から引っ張って揉み上げを全部引き千切ってやりたかったが、それだと“外傷”を与えてしまう。それをク
ラス全員が理解していたため、男子の半端な行動を誰も咎めようとしない。さすがに揉み上げを失ったれいむを見れば上白沢先
生も自分たちの行為に対して確証を得るだろう。
「ゆ゛ぎゃああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛??!!!」
ついにれいむの揉み上げとれいむの水皿が引き離された。強烈な負荷から解放されたれいむが、今度は激痛に水槽の中をのた
うち回る。それを見てクラス一同は大笑いをしていた。
紫ちゃんは、叫び続けるれいむの声を聞きながらそっと目を伏せている。
男子の一人が未だにもがき続けるれいむの髪の毛を掴んで水槽の上へと持ち上げた。今度は頭頂部の髪の毛がブチブチと嫌な
音を立てる。れいむは泣きながら身を捩っていた。その抵抗がますます髪の毛への負荷をかけてしまうことに気付いていない。
男子はれいむの頬を数発ビンタして、ぐったりさせてからいつもの言葉を呟いた。
「先生に何か言ってみろ……。もっと酷い目に遭わせてやるからな」
「ゆっくり……りかい、しました……」
「素直ないいゆっくりだな。れいむちゃんは」
わざとらしく陽気な口調でそう告げてから、れいむを水槽に投げ入れる。顔面から着地したれいむはその拍子に舌を噛んでし
まったらしく、水槽の隅にうずくまってぶるぶる震えていた。
もし、男子がれいむに対して「もし告げ口をしたら殺す」と宣言していれば、れいむは甘んじてそれを受け入れたかも知れな
い。しかし、クラスの誰もその言葉を絶対に言わなかった。否。言うことができなかった。れいむに対してここまで酷い仕打ち
を集団で行うことができるのには理由がある。それは明日もこの水槽の中にれいむがいるのが分かっているからだ。いくらゆっ
くりが相手とはいえ、小学生にれいむを殺すだけの勇気はなかったのである。
かつて、れいぱーに無理矢理すっきりー!させて茎に実ったれいむのちびちゃんを潰した男子がいたが、それは赤ゆという喚
くだけのピンポン玉を壊したくらいの感覚でしかなかった。加えて、あのとき赤ゆを目にしていたのはクラスの数人だけである。
上白沢先生も見ていない。あの時のメンバーに対してくだらない母性を見せつけたれいむに対する怒りも後押ししていた。だか
ら、あの時の男子は躊躇することなく、れいむのちびちゃんを握り潰せたのである。
紫ちゃんが机の一点をじっと見つめていた。先ほどの男子とれいむのやり取りにかつての記憶がフラッシュバックされる。
――明日も、ちゃんと学校に来なさいよ。
――……はい……。わかりました……。
――やっぱり学級委員長は優等生よね。この調子で六年生になっても皆勤賞目指してね。
今日も短めの授業と自習の時間が続き、一日の時間割が消化された。
紫ちゃんはぼんやりとした表情で下校をしていた。まだ昼の三時にもなっていない。紫ちゃんが足を止める。そして一軒の空
き家に目を向けた。表札は外されている。家主が不在になってから長いのか玄関先には草が生い茂っていた。その傍らに立つ木
製の看板には「売家」との文字が書かれている。
「…………」
紫ちゃんはここに昔、誰が住んでいたのかを知っている。何度か家の中に上がったこともあった。それは去年の今頃。まだ紫
ちゃんたちが小学五年生だった頃の話だ。ここには文武両道で誰にでも優しく接することのできる可愛い女の子が住んでいた。
五年生の紫ちゃんがクラスの副委員長をやっていたときに、委員長を任されていた素敵な女の子。だが、彼女はもういない。
(……私は……あなたのお願いを……叶えてあげられそうにないわ……)
心の中で呟いて目を伏せる。紫ちゃんは黙ってその場を後にした。この家を見ていると今の自分に対して後ろめたさだけが残
ってしまう。この一年間の自分の行動。二つの感情の狭間で何も行動を起こすことができなかった自分を。
(学級委員長なんて……名前だけよね……)
家に帰りついた紫ちゃんはランドセルを床に放り出してベッドの上に仰向けに寝転んだ。右腕で目を覆い、大きな溜め息をつ
く。ちらりと机に視線を向けた。そこには開封されたばかりの封筒と、中身の便箋が置かれている。それから目を逸らして、ま
た小さく溜め息をついた。
――楽しそうね。貴女も混ざったらどうなの?
――いい人振るのはやめなさいな。
――本当は、腹が立つんでしょう?
風見さんの言葉が蘇る。それからクラスの男子と女子の顔が思い浮かび、水槽の中で震えるれいむの姿がよぎった。正直に言
ってしまえば、紫ちゃんは二回れいむのことを殴ってやりたかった。一回目は東風谷さんを泣かされた時。二回目は運動会直後。
それでも紫ちゃんはれいむに手を上げなかった。どうしても、手を上げることができなかった。
ベッドから起き上がった紫ちゃんが机の上に置かれていた手紙に手を伸ばす。それは転校してしまった“友達になったばかり
の少女”からの手紙である。紫ちゃんは、この転校した少女と数回の文通を交わしていた。その手紙を見るたびに……或いは自
分が書いて送った手紙の内容を思い返すたびに……。れいむへの強い負の感情が無理矢理抑え込まれる。抑え込まなければなら
なかった。
それがあの少女に対して唯一自分にできる贖罪。見て見ぬ振りをしていた自分への戒め。
「……手紙に……。嘘ばかり書いてる私に……今さらそんな事を言う資格なんてないのかも知れないけどね……」
紫ちゃんが目を閉じる。いつかの少女の悲しい笑顔が脳裏をよぎった。
二月に入り、寒さはますます厳しくなっていった。教室にストーブは置かれない。職員室には二台も完備してあるのに理不尽
な話である。これほどに寒くなってくると、もはや上白沢先生の指示である教室の換気にさえ不服を漏らす児童も現れ始めた。
れいむは相変わらず水槽の中でガタガタ震えている。二時間目の休み時間を迎えても水皿の氷は溶けきっていなかった。
給食の時間。れいむはクラス一同が給食を食べている間はずっと後ろを向いていた。見ていると自分も食べたくなってしまう
からだ。そして、一度見てしまえば「自分も欲しい」という主張を行ってしまう。そんなことを言ってしまえば、また「れいむ
の癖に」と言われて男子に暴行を受けるだろう。約一年間同じことを繰り返してようやく覚えたれいむの自己防衛である。しか
し、クラス一同の楽しそうな談笑の声。美味しそうな給食の匂い。それがれいむの後ろ髪を引く。一度、ちらりと振り返ってし
まったことがあった。給食の器の中から温かそうな湯気が上がっていたのを覚えている。「このスープ、あったかいね」などと
いう言葉も聞いたことがあった。それが羨ましくて堪らなかったのである。同じように寒い思いをしているはずなのに、自分は
温かい食べ物を貰うことができないのだ、と己の境遇を悲観した。れいむに与えられる餌は給食の残りのパンだけである。
そんなある日のこと。
「あのー……すみません……」
昼休みになった途端に二人の五年生が教室にやってきた。一人は文化祭の百人一首大会で輝夜ちゃんと決勝で死闘を演じた稗
田さん。もう一人は古明地姉妹の姉であるさとりちゃん。そんな珍しい来訪者に教室はなんとも不思議な雰囲気に包まれていた。
「どうしたの……? 誰かに用事?」
真っ先に声を掛けたのは委員長の紫ちゃんである。男子はしばらく遠巻きにその様子を眺めていたが、サッカーボールを持っ
て校庭に飛び出していった。
「誰かに……というわけではないんですけれど……。ちょっと、ゆっくりを見せて貰ってもいいですか……?」
「――――!?」
刹那、教室中に戦慄走る。女子間で広範囲に及ぶアイコンタクトが瞬間的に取られた。
(……なんで五年生がわざわざ、れいむの所にっ!?)
(知らないわよっ!! 誰かれいむの事を言いふらしてる馬鹿がいるんじゃないでしょうねっ!?)
(この二人……どこまで知ってる……?!)
「えと……給食の残りのパンを持ってきたんです。私たち、ゆっくりに興味があって……」
「そ、そうなの……? れいむなら、水槽の中に入っているわよ。きっと喜ぶと思うわ」
「ありがとう! おねーちゃん!!」
紫ちゃんの言葉に二人の表情がパッと明るくなる。一つ上の学年の教室を訪問する事は並外れた勇気がいる。余程れいむに興
味津々だったのだろう。
気が気でないのはクラス女子一同。固唾を飲んで水槽の中のれいむと“招かれざる客”の動きを見つめていた。
「れいむ?」
「ゆ?」
れいむに話しかけた稗田さんとさとりちゃんがれいむの反応を見て顔を見合わせる。それから嬉しそうに笑った。れいむは水
槽の奥にぴったりとくっついたまま、見たことがない二人の女子を見つめていた。稗田さんは犬と接するときのように、目線の
高さをれいむと同じ高さに合わせて優しい口調で語りかけた。
「れいむ。こんにちわ。私は稗田阿求って言うんだよ」
「古明地さとりと言います」
「ゆ、ゆぅ……?」
「れいむは大人しいゆっくりなんだね」
安心させようとしている二人の言葉にもれいむは警戒態勢を崩さない。不安そうにするれいむの顔を見て、稗田さんとさとり
ちゃんはそれに小動物特有の愛らしさを感じたのか、ますますれいむに好感を持ったようだ。さとりちゃんが持っていた給食の
残りのパンを取り出す。れいむはそれを不思議そうな目で見つめていた。
「あのね。給食の残りのパンを持ってきたんだ。お姉ちゃんたちからご飯は貰ってるかも知れないけど……。私たちが持ってき
たパンも食べてくれる?」
言葉の意味を瞬間的に把握できないのか、れいむはなおも、「ゆ? ……ゆぅ?」と小首を傾げるような仕草を続けている。
「あー……可愛いなぁ。さとりちゃん、私、なんだかキュンとなっちゃう……」
「私もだよ。いいなぁ。お姉ちゃんたちのクラスにはこんな可愛いゆっくりがいて……」
「そ、そう……?」
諏訪子ちゃんが視線を泳がせながら呟く。女子一同も思わず生唾を飲み込んだ。この場に男子がいなくて心底良かったと思っ
ていた。男子はこの二人に対して何を言うかわかったものではない。
稗田さんとさとりちゃんの反応。実は二人が極度のゆっくり偏愛者というわけではない。あくまでゆっくりに対して無知でナ
チュラルな感情しか抱いていなかった。その二人がれいむを見て「可愛い」という判断を下した。それが何を意味するか。
この約一年間に渡るれいむに対する暴力行為は、れいむから完全に“ゆっくりらしさ”というものを奪い去っていた。加えて、
人間という存在がどれだけ恐ろしいものかを理解し、自分の身の程も十分にわきまえている。先の給食時間のように、自己防衛
の為とは言え自分の感情を押し殺して無駄な主張を繰り返すようなこともしない。
皮肉ではあるが、今、水槽の中にいるれいむはトップレベルのゆっくりブリーダーが躾を施したのと同じ水準で「飼いゆっく
り」に適した個体となっていたのだ。もっとも、プロのブリーダーは赤ゆのうちにこの状態まで持って行くのが仕事なのではあ
るが。別に人間社会の事について知っているわけではない。むしろ、人間に対して恐怖心を抱いているようなゆっくりをショー
ウィンドウに並べることはできないだろう。しかし、“商品”という概念に囚われなければ……。
「大人しくて可愛いですね……。ゆっくりしていってね、とは言わないのかしら?」
「私も、それを言うのかなぁと思っていたけど、この子は言わないね」
「私たちのことを初めて見るからやっぱり怖がってるんじゃないかな?」
「あ、そうだね。きっとそうだよ。それじゃあ仕方がないよね」
水槽の前で会話をする二人。それから、稗田さんがくるりと後ろを向いて屈託のない笑顔でこう言い放った。
「あの、お姉ちゃん! 私たち、明日かられいむの所に遊びに来てもいいですか?」
「――――――――ッ??!!!」×20
教室内の空気がピタリと止まる。まるでこのクラスだけ異次元空間に飛ばされたかのような錯覚を起こした。紫ちゃんでさえ
フリーズしている様子だ。八坂ちゃんも腕組みをして「どうしたもんか」という顔をしている。東風谷さんは教室の床に視線を
落としたまま動くことができなかった。
「やっぱり……駄目ですか……?」
さとりちゃんが両手を胸の前で組んで、不安そうに上目遣いで諏訪子ちゃんを見つめた。
「あー……うー……」
可愛い五年生の頼み。それだけでなく、この申し出を断ったことを上白沢先生が知ったら怪しまれはしないだろうか。かと言
って、この五年生二人を味方につけられると、れいむに対する集団いじめが難しくなるのは火を見るより明らかだ。クラスの視
線が一点に集中する。その視線の先にいるのは紫ちゃんだ。それに気付いたのか、稗田さんとさとりちゃんも、紫ちゃんの方を
ちらりと見た。
「……分かったわ。ただし、昼休みだけにすること……。それが条件よ?」
「いいんですか!? 昼休みだけでも嬉しいです!」
「また、給食の残りを持ってきても構いませんか!?」
「……いいけれど、パンだけよ? あんまりいろんな物を食べさせると、パンを食べなくなっちゃうかも知れないから」
「うちの犬もそうなんです! だから、パン以外は持ってきません。約束します!」
「お姉ちゃんたち、ありがとうございます!!!」
稗田さんとさとりちゃんが教室中の女子を見渡して何度も頭を下げた。こんなに頭を下げられては、感謝の気持ちを前面に押
し出されては、女子一同も邪険には扱えない。二人はれいむに「また遊びに来るね」とだけ告げると、タタタ……と教室を走っ
て出て行った。
直後、女子一同が円陣を組んで緊急対策会議を開く。
「ゆ、紫ちゃん……大丈夫なの……?」
不安そうに言葉を紡ぐ村沙ちゃん。
「……下手に断れば……きっと上白沢先生が怪しむはずよ。あの五年生二人を敵に回すのはかまわないけど、卒業を目前にして
上白沢先生を敵に回したくはないでしょう……? だから、ちゃんと条件も付けたわ。昼休みだったら私たちもいる。今日のれ
いむの態度を見て分かったでしょ? れいむは私たちだけじゃなくて、あの二人の事も怖がってる。あの二人がれいむと遊んで
いる間も、私たちが睨みを利かせていれば大きな態度は取れないはずだわ」
「……さすがは、紫ちゃんね……」
「……放課後は……好きにしたらいいわ」
「昼休みは男子も外に遊びに行くしね。そっか。放課後に邪魔が入らなければいいのか」
「でも、いつも以上に気をつけなくては駄目よ?」
「了解、だよっ」
手早く会議を終えた二十名の女子が教室内に散っていく。花壇の草むしりをしていた風見さんにその旨を告げると「あ、そう」
の一言だけを返された。掃除の時間に突入すると同時に男子への伝令が光の速さで飛んでいく。男子たちの反応は意外と寛容で、
「下級生が言うなら仕方ないな」の一言で呆気なく了承した。
この日の放課後はさすがに周囲を警戒してか、誰もれいむに危害を加えずに下校した。れいむはそれでも水槽の中で虚ろな目
をしている。死ぬ思いをせずに助かったという気持ちと、早く殺してほしいという気持ちが静かに混ざって溶け合う。
「もう、いたいいたいはいやなんだよ……。だから、はやく、えいえんにゆっくりさせてね……。すぐで、いいよ……」
死の瞬間まで他力本願。しかし、れいむにはそうすることしかできなかったのである。人間たちの一方的な暴力にあえて晒さ
れ、何かの拍子に死んでしまう事くらいしか救いの道がなかった。死の選択権すら与えられていなかったのだ。れいむは、昼休
みにやってきた稗田さんとさとりちゃんを見ても「新しい敵がやってきた」くらいにしか思っていなかった。自分以外の全ての
生き物が信用できなかった。
日が傾いていく。下がっていく気温。水槽がれいむの吐く白い息で曇る。曇りガラスの向こう側でれいむが小さく震えていた。
いっそ、この寒さが自分の命を奪ってくれればどれだけ楽だろうかと。そんなことばかり考えながら、いつの間にか眠りにつく。
最近は夢を見ることさえなかった。神様は残酷でれいむに一時の楽しい夢を見せることさえさせてくれなかったのだ。余りの寒
さに目を覚ましてしばらく涙を流した後、れいむは泣き疲れてもう一度眠りについた。
十一、
翌日の昼休み。
宣言していたとおりに稗田さんとさとりちゃんが水槽の前にやってきた。関与しない程度の距離にクラスの女子一同が配置さ
れている。れいむは相変わらず怯えた様子で二人を見つめていた。稗田さんとさとりちゃんは一生懸命にれいむに喋りかけてい
た。しかし、二人がれいむの頭を撫でようとして水槽の中に手を伸ばすと、れいむはすぐに後ろを向いて差し出された手の一番
遠い側の壁に頬を押し付けた。
「やめてね……っ、やめてねっ……!」
と、泣きそうな声で訴えられるため、二人とも手を引っ込めざるを得ない。それでも二人はれいむの事を心底気に入っている
様子で、諦めずに何度も何度もれいむに話しかけることを続けた。
「じゃあさ、れいむちゃん。私たちとお話をしようよ。絶対にれいむちゃんに触ったりしないから」
「ゆっくりは、お喋りができるんでしょ? ねぇ、こっち向いてよ?」
「ゆ、ゆぅ……」
れいむはれいむで戸惑いを隠せない。最近は理不尽な暴力を振るわれることでしか他者との接点が無かったせいか、稗田さん
とさとりちゃんの行動はれいむを混乱させようとしていた。煮え切らない様子で顔を少しだけ動かして、稗田さんとさとりちゃ
んをちらりと見るれいむ。その仕草が既に愛らしいと感じるらしく、二人は思わず「可愛い……」と、うっとりした表情になる。
「れいむはどこからきたの……?」
「ゆぅ……。わからないよ……」
「わからないの? どうして……?」
「れいむは…………」
「でも、れいむは幸せなゆっくりだね」
さとりちゃんの言葉にれいむが思わず目を丸くした。女子は先ほどの両者のやり取りに聞き耳を立てながら、徐々に速くなっ
ていく心臓の鼓動を押さえようと必死である。
「れいむが……しあわせー……なの?」
“どこが幸せなの”と言いかける前に、さとりちゃんがれいむに向かって暖かい笑顔を見せた。
「だって、そうだよ。こんなに素敵なおうちがあって、暖かい教室の中にいることができて、優しいお兄ちゃんやお姉ちゃんた
ちに囲まれているんだもん。最近はね、れいむちゃんみたいなゆっくりが街を歩いていたら、怖い大人の人たちにどこか遠くに
連れて行かれちゃったりするんだから」
「そう……なの?」
れいむにとって初めて聞く“外の世界の話”だった。さとりちゃんの言葉に嘘はない。多少の御幣はあるが怖い大人の人とは、
保健所職員の事である。
紫ちゃんが教室に入ってきた。横目で稗田さんとさとりちゃんの方を見る。興味がない風を装いながら耳の神経だけは尖らせ
ていた。二人の昼休み時の侵入を許可した身としては、万が一の場合にはカットに入らなければならない。
そんな紫ちゃんの心配をよそに、れいむは稗田さんとさとりちゃんが話す“外の世界”のことに耳を傾けるようになった。さ
とりちゃんはそれが余程嬉しかったのか、普段よりも口数が多くなってきている。れいむはずっと二人の話を聞いていた。とは
言っても“外の世界の話”が気に入ったというわけではない。これはあくまで確認だった。二人はれいむの置かれている境遇を
幸せだと話して聞かせた。もちろん、二人はこの教室の中で普段れいむがどんな目に遭っているかは知らない。だからこそ、れ
いむを楽しい気持ちにさせてあげようと聞かせたこの話。しかし、それはれいむにとって絶望の渦をイタズラに拡大させられる
だけの話だったのである。
ここは地獄だ。れいむにとっては地獄の底以外のなにものでもない。既にれいむは自分の置かれた境遇に対してそう結論づけ
ていた。死にたいと願うほどだ。これ以上の地獄があってたまるものかとさえ思っている。しかし。二人の少女はそんなれいむ
を“幸せなゆっくり”だと言い切った。“外の世界”にはもっと辛い思いをしているゆっくりがいる。人間によっていつ駆除さ
れてもおかしくないゆっくりたちがいる。そんな事を聞かされた。れいむは自分のことを世界で一番不幸なゆっくりだと思って
いた。しかし、自分と同じような……或いは自分以上に不幸な目に遭っているゆっくりは沢山いるのだという事に気付かされた。
それは、“ここ以外の場所に行けば自分も幸せになれるかも知れない”というれいむの淡い気持ちを完全に消し去るに十分な言
葉だった。もう、死ぬ以外に自分が幸せになれる道はないのだと確証を得た。
だから、れいむは笑った。力なく笑った。
二人はれいむの“笑顔”を見て、れいむに気付かれないように小さくはしゃいだ。やっとれいむが笑った顔を見ることができ
たのである。その“笑顔”の意味は、二人が思い描いていたものとは明らかに異なるものであったが。
その“笑顔”はクラスの一部の児童も見ていた。久しぶりに見たれいむの笑った顔に憎悪を感じる。あれだけ痛めつけてよう
やく大人しくなったれいむが、下級生の言葉だけでまた“笑顔”を見せた。理不尽にも、それを腹立たしく思っていた。
紫ちゃんもその様子を見ていた。特に何も感じはしなかった。しかし、図書室で借りてきた文庫本の表紙をめくろうとした時
の事。
「れいむちゃん、初めて笑った顔を見せてくれたねっ! もっと、れいむちゃんの笑った顔が見たいな!」
「――――――ッ!!」
ガタン、という音を立てて紫ちゃんが思わず席を立ち上がった。突然の物音に教室の中にいた児童が紫ちゃんに目を向ける。
紫ちゃんは蒼ざめた様子で肩を小刻みに震わせていた。
教室内が静まり返る。稗田さんとさとりちゃんも心配そうに紫ちゃんを見つめていた。それから二人は今日のノルマは果たし
たという事なのか、近くにいた女子に「今日もありがとうございました」と告げて教室を出て行った。
それから、れいむはすぐに水槽の奥に這って進み、うずくまるようにして壁に身を預けた。
「どうしたの、紫ちゃん。顔色が悪いよ?」
「べ、別に平気よ。何でもないわ」
「そう……? 保健室に行かなくてもいい……?」
「大丈夫、大丈夫。それより大きな音を立ててしまってごめんなさい。図書室で借りてきた本が、自分で借りようと思っていた
本と違っててわざとらしく立ち上がってみただけのつもりだったんだけれど……。大袈裟過ぎたわね」
それだけ言って借りてきた文庫本を女子に見せながら、舌をぺろりと出す紫ちゃん。そんなおどけた様子の紫ちゃんを見て、
駆け寄った女子は「もう、紫ちゃんってばぁ」などと言って肩をペシンと叩く。教室の中にいた一同も「なぁんだ」と漏らしな
がらそれぞれの動きに戻って行った。
紫ちゃんは文庫本を持って教室を出た。真っ直ぐに図書室へと向かって歩を進める。額に汗が浮かぶ。二月なのに。気付かな
いうちに紫ちゃんが歩くペースはどんどん速くなっていった。
図書室の扉を開ける。数名の児童が机に座って本を読んでいた。静まり返った室内の空気。それがようやく紫ちゃんを落ち着
かせた。空いている席に座る。それから文庫本をそっと机の置いた。手が汗ばんでいたのだろう。帯の一部がよれてしまってい
た。目を閉じる。そして深呼吸。無言で机上の文庫本に視線を落とした。
(馬鹿ね……私は。今さら、思い出したくらいでこんなに動揺するなんて……」
それから小さく笑った。自虐的な笑みだった。
放課後。れいむに対する集団リンチが既に始まっている。水槽から引きずり出されたれいむは教室の中央にうずくまっていた。
それを囲うようにクラスの児童が集まっている。まるでコロシアムの壁の様だった。れいむは、さながら猛獣と戦わされる死刑
囚かのようにも見える。
箒の柄で何度も何度も突かれる。叩くことに飽きたのか、児童たちはれいむの皮を突き破らんばかりの勢いで箒を真っ直ぐに
突き出していた。
「え゛びゅえ゛っ!??」
「汚ぇ!! こいつ、また餡子吐きやがったぜ!!」
「後で雑巾で拾ってまた食わせればいいだろ」
吐き出してしまった自分の“中身”。それをまた口の中に押し込まれる事は想像を絶する苦行だった。だらりと垂れた揉み上
げを男子の一人が踏みつける。
「い゛だい゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!!!!」
逃れようとするも、男子の体重にれいむが逆らえるわけがない。抗おうとすればするほど、揉み上げが少しずつ千切れて行く。
れいむはぼろぼろ涙を流しながら抵抗をやめた。抵抗をやめたにも関わらず、クラスの児童はれいむに対して集中砲火を浴びせ
る。泣こうが喚こうが黙ろうが中身を吐こうが暴力を振るい続けた。れいむを叩く音だけが教室に響く。
「ゆ゛ひっ……ゆぎ……っ……」
痛みに呻くだけの饅頭と化したれいむ。謝罪も命乞いも全てが無意味。それを十分に理解しているのだろう。顔を床に押し付
けたまま、その姿勢から動こうとしない。顔面を殴られるのが一番痛いようだ。
「お前、それ踏んでろよ」
「オッケー、わかった」
「……ゆ……?」
れいむのお尻の部分にインステップキックが叩き込まれた。衝撃でれいむが前方に飛ばされようとするが、もう一人の男子に
揉み上げを踏みつけられているため、そのエネルギー運動に対して逆らわざるを得ない。凄まじい負荷が揉み上げの一点にかか
った。
「ひぎゃああ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ??!!!」
「ばっか、お前。少しは加減しろよ。こいつの揉み上げが千切れたら、絶対に上白沢先生が気付くだろ?」
「悪ぃ悪ぃ。でもさ、こんな奴の揉み上げなんて千切れても、セメダインか何かでくっつけとけば案外わからないんじゃね?」
「駄目よ。上白沢先生に見つかってから、何も言い訳ができないじゃないの」
れいむが床に垂らした涎を揉み上げで拭いていく。教室の埃と自分の涎でドス黒くなっていく自分の揉み上げのお飾りを見て、
れいむがまた一つ嗚咽交じりの泣き声を上げた。
「れいむ。お前、やっぱりゴミじゃないな。掃除用具ぐらいにはなれるんじゃね?」
「……ゆっ、ゆっ……ゆぼぉ゛ッ!!???」
口の中に箒が突っ込まれた。箒の柄は喉の奥へと刺さり中身の餡子にまで到達していた。れいむが目玉をぐるんと回転させる。
しかしこの一撃で死に絶えることはない。凄まじい激痛と嫌悪感、嘔吐の反射がれいむを襲った。
「モップ替わりにはなるだろ」
そう言ってれいむの頭頂部を床に押し付けた状態で男子が歩き出す。れいむのリボンで床を拭こうというのだろう。仰向けの
姿勢で餡子を吐き出してしまうものだから、それがまたボトボトと自分の顔に落ちてくる。それを見てクラス一同は大いに笑っ
ていた。れいむは涙と涎と自分の餡子で顔をべちゃべちゃにしながら痙攣を起こし始めている。それを見た男子がれいむの口か
ら箒を引き抜いてから、蹴って転がす。打ち合わせていたかのように男子の一人がれいむの頭にオレンジジュースを垂らした。
「ゆ……ゆぁ……ぁぁ……ゆっ、ゆっ、ゆっ……」
感覚があるのかないのか。それを考えることさえ煩わしいと感じた。すぐに次の痛みがやってくる。れいむの頭に、頬に、顔
に、あんよに。あらゆる方向から一方的な暴力が放たれる。何度、れいむに箒を振り下ろしたか分からない。何度、れいむを蹴
り上げたかも分からない。もはや中毒的に児童たちはれいむをいたぶり続けていた。
抵抗できない生き物が苦しむ顔を見ているのが楽しいのだろう。子供は残酷だ。平気で虫の羽根を千切る。足をもぐ。……そ
れで虫を殺してしまう事は稀だから。だから、れいむに対してどこまでも残酷になれる。完全に叩き潰しでもしない限り、れい
むが死ぬことはないというのが理解できているから。殺してしまうのは怖いから、いつまで経っても致命傷を与えようとはせず、
真綿で首を絞めるような行為に没頭する。
「ゆっくりって最高の玩具だな。“殺さなければ何やってもいい”生き物だもんな!」
「結構丈夫だしね、こいつ。ちょっとやそっとじゃ死なないんじゃないの?」
「あっはっはっはっはっは」
狂気に満ちた会話のやり取りにれいむが思わず身を震わせる。集団心理が児童たちの心をどこまでも黒く蝕んで行く。結局、
この日は一時間以上もれいむは殴られ続けた。
更に数日後の昼休み。
今日も稗田さんとさとりちゃんの二人はれいむの水槽の前ではしゃいでいた。相変わらずれいむは「ゆぅ」と小さく相槌を打
つだけで積極的に会話をしようとしない。それは、クラス一同にとっても都合の良い事だった。
二月も終わりに近づき、気温も少しずつ上がってきた。れいむの水皿が凍るようなことも既になくなっている。春の訪れがも
うすぐそこまで来ていた。ニュースでは双葉町内の野良ゆっくりが冬を越せずに大量死した事が報道されている。そんな情報し
か知らない五年生の二人は、また口々に「れいむは幸せ者だね」と繰り返すのだ。
昼休みが終わると二人はすぐに教室を出て行った。これも日課になっているのでもうそれを気にする女子も減ってきている。
学校も卒業シーズンを迎えていた。職員室では卒業式の準備が着々と進められている。双葉小学校六年生は、そのまま同じメン
バーで双葉中学校へと進学するのだ。
「この学校ともお別れなんだな……」
不意に一人の男子が口を開いた。直後、諏訪子ちゃんがその男子の後頭部を思いっきりはたく。
「なーに言ってんの! また遊びに来ればいいじゃない! 大体、中学校と小学校なんて五キロも離れてないんだからさ」
「そ、それもそうだよな……っ」
男子が笑う。クラス一同もなんとなくつられて笑った。
「上白沢先生、遅いね……」
「今日、漫画の発売日だから早く帰りたいんだけどなぁ」
既に五時間目の授業が終わり、後は帰りの会を待つだけだ。しかし、上白沢先生が来ないことには会を始めることができない。
紫ちゃんが溜め息をついて立ち上がる。
「職員室に行ってみるわ」
「さすが紫ちゃん。助かるよ」
「いやー、ごめんごめん、遅くなっちゃった!」
紫ちゃんが教室を出ようとするのとほぼ同時に上白沢先生が教室に入ってきた。紫ちゃんが「もう……」などとわざとらしく
言うと教室中がまた笑いに包まれた。上白沢先生は持っていたプリントを机の列ごとに配るとそれを後ろへと回させた。
「一番後ろの人は余ったら先生のところまで持ってきてね」
「先生が数えるのミスるからそういうことが起こるんだけどな」
散野くんの言葉に上白沢先生が苦笑いする。それから、今日の日直が教室の前に進み、帰りの会を始めた。学級委員からのお
知らせ、各係からの連絡、明日の時間割の確認……と、滞りなく会は進められていく。そして、最後の先生の話である。バトン
を受け取った上白沢先生が教卓の前に進んだ。
「えーっとね。今日は、れいむの事で一つ皆に言っておくことがあります」
「――――――ッ!」×43
クラス一同が思わず息を止める。れいむは水槽の中でうずくまっていた。上白沢先生はそんな教室の中を見渡して、深呼吸を
してから口を開いた。
「最近、五年生がれいむの所に遊びに来てるよね? 皆ももうすぐ卒業してこの学校からいなくなっちゃうでしょ? だから、
勝手に決めて悪いんだけど、れいむは五年生の稗田さんとさとりちゃんが引き継いで飼ってくれることになりました。それなら、
皆も安心でしょう?」
試すような上白沢先生の口調。クラス一同はそれどころではなかった。来年の事とは言え、れいむは稗田さんとさとりちゃん
にこの一年間で起こった事を全て話さないとも限らない。そんなことになれば、上白沢先生に対して後ろめたい気持ちで中学生
活を送らなければならない。思わず絶句してしまった。
「寂しいかも知れないけれど、れいむの面倒はきっと稗田さんとさとりちゃんが見てくれるわよ」
「…………っ」
唇を噛み締める一部の児童。れいむは自分の名前が呼ばれたことで顔を上げて水槽の中できょろきょろしていた。
「……ゆ? ゆゆ?」
『学校:冬(後編)』へ続く
虐待 日常模様 飼いゆ 現代 以下:余白
『学校:冬(前編)』
――――親愛なる紫ちゃんへ
紫ちゃん。
六年生になってクラスが替わったかと思います。
紫ちゃんは、仲の良い友達と同じクラスになれましたか?
余計な心配だったかも知れないね。
紫ちゃんは優しいから、きっと誰とでも友達になれると思います。
本当はもっと早くにお手紙を書こうと思ったんだけれど、転校の準備とかですぐに書くことができませんでした。
私の方から紫ちゃんに「手紙を書くね」って言っていたくせにごめんなさい。
テレビのニュースで言ってたけど、そっちはもうすぐ梅雨に入るみたいですね。
北海道には梅雨が来ない、っていうことを先生から聞いてとても驚きました。
そういえばね。
私、こっちの学校で友達がたくさんできたよ。
みんな、優しくていい人たちばっかりなんだ。
この間なんて、クラスの皆が私のために歓迎会をしてくれたんだよ。
まだ教科書が揃ってない私に教科書を見せてくれる友達もいるよ。
送った写真は見てくれましたか?
それに写っているのが私が通う学校です。
友達と一緒に写っている写真は先生が撮ってくれました。
お父さんもお母さんも私とお喋りをして笑ってくれるようになったよ。
お手紙でしか書けないけれど、お父さんもお母さんも「紫ちゃんによろしくね」って言ってたよ。
私は始業式の前の日に転校しちゃったから分からないんだけど、転校してなかったら紫ちゃんと一緒のクラスになれたかな?
もし、そうだったら嬉しいなぁ。
でも多分、私の名前って載ってなかったんだろうね。
紫ちゃん。
私と、少しの間だけでも友達になってくれてありがとう。
お話をしてくれて凄く嬉しかったよ。
紫ちゃんは何度も私に「一緒に学校に行こう」って言ってくれてたよね。
でも、本当にごめんね。
私はどうしてもその勇気を出すことができませんでした。
私が学校に行くのが怖かったのもあるけれど……私のせいで、紫ちゃんまでいじめられることになったらどうしようかと思うと、
怖くて足が動きませんでした。
何だか、言い訳ばっかりしてごめんなさい。
本当は紫ちゃんと一緒に学校でお喋りしたかったよ。
学校に行く時も帰る時も一緒に歩いていたかったんだよ。
でも……私は弱いから、自分でそういう場所に行くことができませんでした。
紫ちゃんは、私のことを呆れているかも知れないね。
我儘ばっかり言って、ちっとも歩き出そうとしない私を見て、本当は腹が立っていたんじゃないでしょうか。
そう思われていても、私は紫ちゃんの事が大好きです。
紫ちゃんと友達になれて良かったと思ってるよ。
紫ちゃん。
私のお願いを一つだけ聞いてもらえないでしょうか。
お手紙を出す時期が遅かったから……もう、私のお願いは叶えてもらえないかも知れませんが……。
一応、お手紙に私のお願いを書いておきます。
あのね……――――
十、
年が明けた。今年は例年以上に強い寒波が列島を覆っているようで、双葉小学校の校庭には時折うっすらと雪が積もることも
あった。もちろん、児童たちは大はしゃぎである。土地柄、滅多に降らない雪を見ては童謡に出てくる犬のように校庭を所狭し
と走り回っていた。その中でも散野くんと白岩くんのはしゃぎっぷりは見ていて清々しいくらいで、むしろ雪の降らない日は表
情が目に見えて暗いのが分かる。しかし、他の児童も程度の違いはあれど大体同じ反応を示す。どうせ寒い思いをするのなら、
雪が降っているほうがいいという理屈だ。「子供は風の子」という言葉は廃れつつあるが、やはり「子供はどちらかと言うと風
の子」なのかも知れない。
紫ちゃんは何度目かの席替えでようやく手に入れた窓際の席に一人で座っていた。頬杖をついて窓の外に目を向けている。こ
の日も雪が降っていた。休み時間の間は換気をするために教室の窓が全て開け放たれている。大袈裟に教室の後ろの壁に数人が
かりでへばりついて身を寄せ合う男子。祈るようなポーズでホッカイロを握りしめたまま動かない女子。そして。
「ざむ゛ぃ゛……ゆっぐり……できな……ぃ……」
水槽の中で歯をガチガチと鳴らしながら震えるれいむの姿があった。見開かれた目にはうっすらと涙が滲んでいる。れいむは
人間で言えば裸の状態で放置されているに等しい。動物のように温かい毛皮も持たない。暖を取る術もない。これが複数単位で
行動するゆっくりであれば、頬を寄せ合って互いの体温を分け与えながら寒さを凌ぐのだろう。だが、れいむにはそれができな
い。容赦なく窓から入り込んでくる風がガラス製の水槽をどんどん冷却していく。れいむにとって水槽は冷蔵庫の様なものだっ
た。
今のれいむへの扱いは酷いものだった。水槽の中には水皿が置いてあるだけである。今は水槽の中にスペースがないからとい
うのもあるだろうが、かつて河城さんが作ってあげたような段ボール製のおうちもなければ、雑巾すら敷いてもらっていない。
ゆっくりが寒さに弱い生き物だという事を知った上での仕打ちだった。休み時間の換気を強要する上白沢先生に文句の一つも出
ないのは、クラス一同が「れいむざまぁ」の心を持っているからだ。
「よう」
「……八坂ちゃん……」
八坂ちゃんが紫ちゃんの前の席に座って物憂げに外を見つめる紫ちゃんに声をかけた。紫ちゃんは何も答えようとはしなかっ
た。何か言いかけようとはするが、すぐに口を噤む。そんな様子を繰り返している。八坂ちゃんは「やれやれ」と言わんばかり
の表情で紫ちゃんと同じように窓の外に目を向けると、
「もうすぐあたしたち、卒業だな」
「……そうね」
「寂しくなるな」
「そうかしら? 中学校でも同じメンバーじゃないの。本当に別れを寂しく思うのは三年後よ」
「三年も先か……」
「……三年も後よ。まるで、卒業して皆と別れるのを望んでるみたいな言い方をするのね」
「そんな言い方をすれば、お前があたしに構ってくれやしないかと思ってね」
そう言って男の子のように笑う八坂ちゃんを見て、紫ちゃんが呆けた表情をしてみせる。それから八坂ちゃんの意図に気付い
た。また、一人で考え込んでいたのだろう。紫ちゃんは八坂ちゃんを見て小さく笑った。八坂ちゃんも笑みを返す。何か談笑の
一つでも……と思っていたところに始業のチャイムが鳴った。八坂ちゃんが「まったく」とでも言いたげな様子で教室正面のス
ピーカーに視線を向ける。紫ちゃんは「もう大丈夫よ」と一言呟いた。
冬休みを終えた双葉小六年生の授業は、小学校一年生からの授業内容の復習へと変わりつつあった。散野くんは九九が言えず
に頭を抱えて悶えている。双葉小学校教師陣も年明けの行事で忙しいのか、特に六年生のクラスは自習の時間が多くなり、学校
全体も四十五分の短縮授業が多くなってきた。
「ゆ゛げぇ゛ッ!??」
放課後。
いつものように水槽から揉み上げを掴まれて引っ張り出されたれいむが勢いよく教室の床に叩きつけられる。その様子を見て
も、誰も何も言わなくなっていた。東風谷さんでさえ、目を背けるだけで声を掛けようとしない。れいむは自分の前に聳える数
人の男子を見てガタガタ震えていた。
男子は慣れた手つきでれいむの口をガムテープで塞いだ。れいむはそれだけで滝のように涙を流して「む゛ー、む゛ー!」と
声にならない叫びを上げた。すぐにれいむをボールに見立てた室内サッカーが始まる。顔中のあちらこちらを蹴り飛ばされるれ
いむは教室の床をゴロゴロ転がったり、壁に叩きつけられたりした。意識を失いそうになると、オレンジジュースをかけられて
回復させられてしまう。それからまたすぐに始まるゲーム。痛みに耐えるために力んだ拍子に漏れ出したうんうんを見てから、
あにゃるにもガムテープが貼られた。
遊び終わった道具はまた道具入れの中に放り込まれる。水槽の中でうずくまったまま、「ゆっ、ゆっ」と呻くれいむを見て教
室のあちこちからクスクスと小声で笑うのが聞こえてきた。れいむは恐ろしくてたまらなかった。もう、数えきれないほどたく
さん殴られたし、蹴られた。炙られたこともあれば、刺されたこともあった。それでも、その痛みと恐怖にはいつまで経っても
慣れることができなかったのである。“その時”を迎えれば反射的に涙が零れた。体が震えた。吐き気がして、眩暈がした。や
っと解放されて、恐ろしい人間たちがいなくなったと思えば今度は凍える夜を一匹で過ごさなければならない。
真っ暗闇の教室の中。誰もいなくなった夜の静寂の中でれいむが呟いた。
「れいむ……もう、……いきていたく、ないよ……。えいえんに……ゆっくりしたいよ……」
疲れ切っていた。心も体も全てが衰弱しきっていたのだ。痛めつけられるだけの日々はれいむから生きる力を根こそぎ奪って
いった。この寒さに耐えて朝を迎えても、待っているのは新たな痛みだけである。れいむは震える体を必死に動かして、水槽の
壁に体当たりをした。ぺちっ、という情けない音がする。れいむには自分を殺すだけの力すら無かった。
「ゆぐっ……ひっく……」
れいむは自分を呪っていた。今、この瞬間、生きていることしかできない自分を激しく呪っていた。れいむが望んだ物は何一
つとして叶わなかったのである。今も、死んでしまいそうなくらいに寒いのに、きっと死なない程度に体力を奪われて朝に目を
覚ます。
「どぼじで……どぼじで……れいむ゛ばっがり……こんな、……ひどい゛、よ゛ぅ゛……」
泣いて、泣いて、泣き続けて。れいむはまた眠りについていた。冷たい教室の空気がれいむの体温をゆっくりと奪っていく。
れいむは眠っていながらも寒さに全身を震わせていた。寝ても覚めても、震えていることしかできなかったのである。
翌朝。れいむの水槽の周りに人だかりができていた。男子も女子も水槽の中のれいむを見て大笑いしている。れいむは水槽の
中で「ゆ、ゆわぁぁ」などと情けない声を出して右往左往していた。涙目になって慌てふためくれいむの右の揉み上げと水皿が
合体している。寝ている間に揉み上げが水皿の中に入ってしまい、その中の水が凍ってくっついていしまったのである。
「ゆひぃぃぃ。とって、とってよぉぉ!!」
自分の揉み上げに異物がくっついていることが余程ゆっくりできないのか、れいむは必死になって助けを求めていた。もちろ
ん、それを助けてやろうする奇特な者は只の一人もいない。クラス一同にとってれいむはこの上ない玩具だった。何もしなくて
も自分たちを楽しませてくれる生きる価値のない道化。れいむが無理矢理、自分の揉み上げを水皿から引き抜こうとした。すぐ
にブチブチィ、という音がして「ゆぎゃああぁぁ」と叫ぶ。集まった一同がまた大きく笑った。
「…………」
そんな様子を遠くから眺める紫ちゃん。
「楽しそうね。貴女も混ざったらどうなの?」
花壇の世話をしていた風見さんが窓から顔を出して紫ちゃんに声をかけた。返事をしない紫ちゃんを見て、風見さんはクスリ
と笑うとまた雑草を引き抜く作業に戻る。
(……私は、どうしたかったのかな……)
紫ちゃんが心の中で呟いた。
四月。学年が一つ上がって新しいクラスになった。れいむはその時から一緒にいた。そして、れいむへの扱いを巡って男子と
女子は真っ二つに分かれて戦争をした。しかし、いつしか男子と女子は隣のクラスという共通の敵を見つけて結束していった。
それとほぼ同時期に起こったれいむに関する事件。東風谷さんを泣かせたこと。運動会で大敗したクラス全員への罵詈雑言。こ
の二つを持ってれいむへの扱いが急激に変化したのは言うまでもない。紫ちゃんでさえ、れいむに対して激しい憤りを感じてい
たのだ。今や、れいむに対して直接手を下していないのは紫ちゃんと東風谷さん、それに八坂ちゃんの三人ぐらいのものだろう。
東風谷さんは傍観者。八坂ちゃんは黙認。形は違えど、それはれいむに対する集団いじめの一翼を担っているのと同義だ。それ
は紫ちゃんに関しても同じことだった。
しかし、紫ちゃんはまだ迷っていた。
れいむがどれだけクラスに対して狼藉を働いても、それこそ殴ってやりたいくらいに腹が立ったときも、紫ちゃんは決してれ
いむに手を上げようとしなかった。
「い゛だい゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛っ!!!!」
男子の一人がれいむの揉み上げと水皿を無理矢理引っ張っていた。男子の表情や力のかけ具合から察するにれいむの揉み上げ
の一部を引き千切るつもりで事に当たっているのだろう。それを囲むクラス一同は、泣き叫んで身を捩るれいむを見てニヤニヤ
と笑っていた。
「や゛べでぇぇぇ!!! れ゛い゛む゛のもみ゛あげざんがぢぎれぢゃう゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!!!」
「あははは!! 知るか馬鹿!!! そんなもんまた勝手に生えてくるだろ!? ケチケチすんなよ!!!」
「ゆ゛んや゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
「……うっざいなぁ、この馬鹿ゆっくり。どうせ、泣いても叫んでも千切られるんだから、せめて黙ってればいいのに……」
れいむの叫び声を聞いてますますヒートアップしていく男子。対して女子は毎度喚き散らすれいむのワンパターンな反応に飽
きが来ている様子だ。れいむの揉み上げの先端部を握りしめているのは男子がかけたせめてもの情けである。本来ならば、揉み
上げの根っこの部分から引っ張って揉み上げを全部引き千切ってやりたかったが、それだと“外傷”を与えてしまう。それをク
ラス全員が理解していたため、男子の半端な行動を誰も咎めようとしない。さすがに揉み上げを失ったれいむを見れば上白沢先
生も自分たちの行為に対して確証を得るだろう。
「ゆ゛ぎゃああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛??!!!」
ついにれいむの揉み上げとれいむの水皿が引き離された。強烈な負荷から解放されたれいむが、今度は激痛に水槽の中をのた
うち回る。それを見てクラス一同は大笑いをしていた。
紫ちゃんは、叫び続けるれいむの声を聞きながらそっと目を伏せている。
男子の一人が未だにもがき続けるれいむの髪の毛を掴んで水槽の上へと持ち上げた。今度は頭頂部の髪の毛がブチブチと嫌な
音を立てる。れいむは泣きながら身を捩っていた。その抵抗がますます髪の毛への負荷をかけてしまうことに気付いていない。
男子はれいむの頬を数発ビンタして、ぐったりさせてからいつもの言葉を呟いた。
「先生に何か言ってみろ……。もっと酷い目に遭わせてやるからな」
「ゆっくり……りかい、しました……」
「素直ないいゆっくりだな。れいむちゃんは」
わざとらしく陽気な口調でそう告げてから、れいむを水槽に投げ入れる。顔面から着地したれいむはその拍子に舌を噛んでし
まったらしく、水槽の隅にうずくまってぶるぶる震えていた。
もし、男子がれいむに対して「もし告げ口をしたら殺す」と宣言していれば、れいむは甘んじてそれを受け入れたかも知れな
い。しかし、クラスの誰もその言葉を絶対に言わなかった。否。言うことができなかった。れいむに対してここまで酷い仕打ち
を集団で行うことができるのには理由がある。それは明日もこの水槽の中にれいむがいるのが分かっているからだ。いくらゆっ
くりが相手とはいえ、小学生にれいむを殺すだけの勇気はなかったのである。
かつて、れいぱーに無理矢理すっきりー!させて茎に実ったれいむのちびちゃんを潰した男子がいたが、それは赤ゆという喚
くだけのピンポン玉を壊したくらいの感覚でしかなかった。加えて、あのとき赤ゆを目にしていたのはクラスの数人だけである。
上白沢先生も見ていない。あの時のメンバーに対してくだらない母性を見せつけたれいむに対する怒りも後押ししていた。だか
ら、あの時の男子は躊躇することなく、れいむのちびちゃんを握り潰せたのである。
紫ちゃんが机の一点をじっと見つめていた。先ほどの男子とれいむのやり取りにかつての記憶がフラッシュバックされる。
――明日も、ちゃんと学校に来なさいよ。
――……はい……。わかりました……。
――やっぱり学級委員長は優等生よね。この調子で六年生になっても皆勤賞目指してね。
今日も短めの授業と自習の時間が続き、一日の時間割が消化された。
紫ちゃんはぼんやりとした表情で下校をしていた。まだ昼の三時にもなっていない。紫ちゃんが足を止める。そして一軒の空
き家に目を向けた。表札は外されている。家主が不在になってから長いのか玄関先には草が生い茂っていた。その傍らに立つ木
製の看板には「売家」との文字が書かれている。
「…………」
紫ちゃんはここに昔、誰が住んでいたのかを知っている。何度か家の中に上がったこともあった。それは去年の今頃。まだ紫
ちゃんたちが小学五年生だった頃の話だ。ここには文武両道で誰にでも優しく接することのできる可愛い女の子が住んでいた。
五年生の紫ちゃんがクラスの副委員長をやっていたときに、委員長を任されていた素敵な女の子。だが、彼女はもういない。
(……私は……あなたのお願いを……叶えてあげられそうにないわ……)
心の中で呟いて目を伏せる。紫ちゃんは黙ってその場を後にした。この家を見ていると今の自分に対して後ろめたさだけが残
ってしまう。この一年間の自分の行動。二つの感情の狭間で何も行動を起こすことができなかった自分を。
(学級委員長なんて……名前だけよね……)
家に帰りついた紫ちゃんはランドセルを床に放り出してベッドの上に仰向けに寝転んだ。右腕で目を覆い、大きな溜め息をつ
く。ちらりと机に視線を向けた。そこには開封されたばかりの封筒と、中身の便箋が置かれている。それから目を逸らして、ま
た小さく溜め息をついた。
――楽しそうね。貴女も混ざったらどうなの?
――いい人振るのはやめなさいな。
――本当は、腹が立つんでしょう?
風見さんの言葉が蘇る。それからクラスの男子と女子の顔が思い浮かび、水槽の中で震えるれいむの姿がよぎった。正直に言
ってしまえば、紫ちゃんは二回れいむのことを殴ってやりたかった。一回目は東風谷さんを泣かされた時。二回目は運動会直後。
それでも紫ちゃんはれいむに手を上げなかった。どうしても、手を上げることができなかった。
ベッドから起き上がった紫ちゃんが机の上に置かれていた手紙に手を伸ばす。それは転校してしまった“友達になったばかり
の少女”からの手紙である。紫ちゃんは、この転校した少女と数回の文通を交わしていた。その手紙を見るたびに……或いは自
分が書いて送った手紙の内容を思い返すたびに……。れいむへの強い負の感情が無理矢理抑え込まれる。抑え込まなければなら
なかった。
それがあの少女に対して唯一自分にできる贖罪。見て見ぬ振りをしていた自分への戒め。
「……手紙に……。嘘ばかり書いてる私に……今さらそんな事を言う資格なんてないのかも知れないけどね……」
紫ちゃんが目を閉じる。いつかの少女の悲しい笑顔が脳裏をよぎった。
二月に入り、寒さはますます厳しくなっていった。教室にストーブは置かれない。職員室には二台も完備してあるのに理不尽
な話である。これほどに寒くなってくると、もはや上白沢先生の指示である教室の換気にさえ不服を漏らす児童も現れ始めた。
れいむは相変わらず水槽の中でガタガタ震えている。二時間目の休み時間を迎えても水皿の氷は溶けきっていなかった。
給食の時間。れいむはクラス一同が給食を食べている間はずっと後ろを向いていた。見ていると自分も食べたくなってしまう
からだ。そして、一度見てしまえば「自分も欲しい」という主張を行ってしまう。そんなことを言ってしまえば、また「れいむ
の癖に」と言われて男子に暴行を受けるだろう。約一年間同じことを繰り返してようやく覚えたれいむの自己防衛である。しか
し、クラス一同の楽しそうな談笑の声。美味しそうな給食の匂い。それがれいむの後ろ髪を引く。一度、ちらりと振り返ってし
まったことがあった。給食の器の中から温かそうな湯気が上がっていたのを覚えている。「このスープ、あったかいね」などと
いう言葉も聞いたことがあった。それが羨ましくて堪らなかったのである。同じように寒い思いをしているはずなのに、自分は
温かい食べ物を貰うことができないのだ、と己の境遇を悲観した。れいむに与えられる餌は給食の残りのパンだけである。
そんなある日のこと。
「あのー……すみません……」
昼休みになった途端に二人の五年生が教室にやってきた。一人は文化祭の百人一首大会で輝夜ちゃんと決勝で死闘を演じた稗
田さん。もう一人は古明地姉妹の姉であるさとりちゃん。そんな珍しい来訪者に教室はなんとも不思議な雰囲気に包まれていた。
「どうしたの……? 誰かに用事?」
真っ先に声を掛けたのは委員長の紫ちゃんである。男子はしばらく遠巻きにその様子を眺めていたが、サッカーボールを持っ
て校庭に飛び出していった。
「誰かに……というわけではないんですけれど……。ちょっと、ゆっくりを見せて貰ってもいいですか……?」
「――――!?」
刹那、教室中に戦慄走る。女子間で広範囲に及ぶアイコンタクトが瞬間的に取られた。
(……なんで五年生がわざわざ、れいむの所にっ!?)
(知らないわよっ!! 誰かれいむの事を言いふらしてる馬鹿がいるんじゃないでしょうねっ!?)
(この二人……どこまで知ってる……?!)
「えと……給食の残りのパンを持ってきたんです。私たち、ゆっくりに興味があって……」
「そ、そうなの……? れいむなら、水槽の中に入っているわよ。きっと喜ぶと思うわ」
「ありがとう! おねーちゃん!!」
紫ちゃんの言葉に二人の表情がパッと明るくなる。一つ上の学年の教室を訪問する事は並外れた勇気がいる。余程れいむに興
味津々だったのだろう。
気が気でないのはクラス女子一同。固唾を飲んで水槽の中のれいむと“招かれざる客”の動きを見つめていた。
「れいむ?」
「ゆ?」
れいむに話しかけた稗田さんとさとりちゃんがれいむの反応を見て顔を見合わせる。それから嬉しそうに笑った。れいむは水
槽の奥にぴったりとくっついたまま、見たことがない二人の女子を見つめていた。稗田さんは犬と接するときのように、目線の
高さをれいむと同じ高さに合わせて優しい口調で語りかけた。
「れいむ。こんにちわ。私は稗田阿求って言うんだよ」
「古明地さとりと言います」
「ゆ、ゆぅ……?」
「れいむは大人しいゆっくりなんだね」
安心させようとしている二人の言葉にもれいむは警戒態勢を崩さない。不安そうにするれいむの顔を見て、稗田さんとさとり
ちゃんはそれに小動物特有の愛らしさを感じたのか、ますますれいむに好感を持ったようだ。さとりちゃんが持っていた給食の
残りのパンを取り出す。れいむはそれを不思議そうな目で見つめていた。
「あのね。給食の残りのパンを持ってきたんだ。お姉ちゃんたちからご飯は貰ってるかも知れないけど……。私たちが持ってき
たパンも食べてくれる?」
言葉の意味を瞬間的に把握できないのか、れいむはなおも、「ゆ? ……ゆぅ?」と小首を傾げるような仕草を続けている。
「あー……可愛いなぁ。さとりちゃん、私、なんだかキュンとなっちゃう……」
「私もだよ。いいなぁ。お姉ちゃんたちのクラスにはこんな可愛いゆっくりがいて……」
「そ、そう……?」
諏訪子ちゃんが視線を泳がせながら呟く。女子一同も思わず生唾を飲み込んだ。この場に男子がいなくて心底良かったと思っ
ていた。男子はこの二人に対して何を言うかわかったものではない。
稗田さんとさとりちゃんの反応。実は二人が極度のゆっくり偏愛者というわけではない。あくまでゆっくりに対して無知でナ
チュラルな感情しか抱いていなかった。その二人がれいむを見て「可愛い」という判断を下した。それが何を意味するか。
この約一年間に渡るれいむに対する暴力行為は、れいむから完全に“ゆっくりらしさ”というものを奪い去っていた。加えて、
人間という存在がどれだけ恐ろしいものかを理解し、自分の身の程も十分にわきまえている。先の給食時間のように、自己防衛
の為とは言え自分の感情を押し殺して無駄な主張を繰り返すようなこともしない。
皮肉ではあるが、今、水槽の中にいるれいむはトップレベルのゆっくりブリーダーが躾を施したのと同じ水準で「飼いゆっく
り」に適した個体となっていたのだ。もっとも、プロのブリーダーは赤ゆのうちにこの状態まで持って行くのが仕事なのではあ
るが。別に人間社会の事について知っているわけではない。むしろ、人間に対して恐怖心を抱いているようなゆっくりをショー
ウィンドウに並べることはできないだろう。しかし、“商品”という概念に囚われなければ……。
「大人しくて可愛いですね……。ゆっくりしていってね、とは言わないのかしら?」
「私も、それを言うのかなぁと思っていたけど、この子は言わないね」
「私たちのことを初めて見るからやっぱり怖がってるんじゃないかな?」
「あ、そうだね。きっとそうだよ。それじゃあ仕方がないよね」
水槽の前で会話をする二人。それから、稗田さんがくるりと後ろを向いて屈託のない笑顔でこう言い放った。
「あの、お姉ちゃん! 私たち、明日かられいむの所に遊びに来てもいいですか?」
「――――――――ッ??!!!」×20
教室内の空気がピタリと止まる。まるでこのクラスだけ異次元空間に飛ばされたかのような錯覚を起こした。紫ちゃんでさえ
フリーズしている様子だ。八坂ちゃんも腕組みをして「どうしたもんか」という顔をしている。東風谷さんは教室の床に視線を
落としたまま動くことができなかった。
「やっぱり……駄目ですか……?」
さとりちゃんが両手を胸の前で組んで、不安そうに上目遣いで諏訪子ちゃんを見つめた。
「あー……うー……」
可愛い五年生の頼み。それだけでなく、この申し出を断ったことを上白沢先生が知ったら怪しまれはしないだろうか。かと言
って、この五年生二人を味方につけられると、れいむに対する集団いじめが難しくなるのは火を見るより明らかだ。クラスの視
線が一点に集中する。その視線の先にいるのは紫ちゃんだ。それに気付いたのか、稗田さんとさとりちゃんも、紫ちゃんの方を
ちらりと見た。
「……分かったわ。ただし、昼休みだけにすること……。それが条件よ?」
「いいんですか!? 昼休みだけでも嬉しいです!」
「また、給食の残りを持ってきても構いませんか!?」
「……いいけれど、パンだけよ? あんまりいろんな物を食べさせると、パンを食べなくなっちゃうかも知れないから」
「うちの犬もそうなんです! だから、パン以外は持ってきません。約束します!」
「お姉ちゃんたち、ありがとうございます!!!」
稗田さんとさとりちゃんが教室中の女子を見渡して何度も頭を下げた。こんなに頭を下げられては、感謝の気持ちを前面に押
し出されては、女子一同も邪険には扱えない。二人はれいむに「また遊びに来るね」とだけ告げると、タタタ……と教室を走っ
て出て行った。
直後、女子一同が円陣を組んで緊急対策会議を開く。
「ゆ、紫ちゃん……大丈夫なの……?」
不安そうに言葉を紡ぐ村沙ちゃん。
「……下手に断れば……きっと上白沢先生が怪しむはずよ。あの五年生二人を敵に回すのはかまわないけど、卒業を目前にして
上白沢先生を敵に回したくはないでしょう……? だから、ちゃんと条件も付けたわ。昼休みだったら私たちもいる。今日のれ
いむの態度を見て分かったでしょ? れいむは私たちだけじゃなくて、あの二人の事も怖がってる。あの二人がれいむと遊んで
いる間も、私たちが睨みを利かせていれば大きな態度は取れないはずだわ」
「……さすがは、紫ちゃんね……」
「……放課後は……好きにしたらいいわ」
「昼休みは男子も外に遊びに行くしね。そっか。放課後に邪魔が入らなければいいのか」
「でも、いつも以上に気をつけなくては駄目よ?」
「了解、だよっ」
手早く会議を終えた二十名の女子が教室内に散っていく。花壇の草むしりをしていた風見さんにその旨を告げると「あ、そう」
の一言だけを返された。掃除の時間に突入すると同時に男子への伝令が光の速さで飛んでいく。男子たちの反応は意外と寛容で、
「下級生が言うなら仕方ないな」の一言で呆気なく了承した。
この日の放課後はさすがに周囲を警戒してか、誰もれいむに危害を加えずに下校した。れいむはそれでも水槽の中で虚ろな目
をしている。死ぬ思いをせずに助かったという気持ちと、早く殺してほしいという気持ちが静かに混ざって溶け合う。
「もう、いたいいたいはいやなんだよ……。だから、はやく、えいえんにゆっくりさせてね……。すぐで、いいよ……」
死の瞬間まで他力本願。しかし、れいむにはそうすることしかできなかったのである。人間たちの一方的な暴力にあえて晒さ
れ、何かの拍子に死んでしまう事くらいしか救いの道がなかった。死の選択権すら与えられていなかったのだ。れいむは、昼休
みにやってきた稗田さんとさとりちゃんを見ても「新しい敵がやってきた」くらいにしか思っていなかった。自分以外の全ての
生き物が信用できなかった。
日が傾いていく。下がっていく気温。水槽がれいむの吐く白い息で曇る。曇りガラスの向こう側でれいむが小さく震えていた。
いっそ、この寒さが自分の命を奪ってくれればどれだけ楽だろうかと。そんなことばかり考えながら、いつの間にか眠りにつく。
最近は夢を見ることさえなかった。神様は残酷でれいむに一時の楽しい夢を見せることさえさせてくれなかったのだ。余りの寒
さに目を覚ましてしばらく涙を流した後、れいむは泣き疲れてもう一度眠りについた。
十一、
翌日の昼休み。
宣言していたとおりに稗田さんとさとりちゃんが水槽の前にやってきた。関与しない程度の距離にクラスの女子一同が配置さ
れている。れいむは相変わらず怯えた様子で二人を見つめていた。稗田さんとさとりちゃんは一生懸命にれいむに喋りかけてい
た。しかし、二人がれいむの頭を撫でようとして水槽の中に手を伸ばすと、れいむはすぐに後ろを向いて差し出された手の一番
遠い側の壁に頬を押し付けた。
「やめてね……っ、やめてねっ……!」
と、泣きそうな声で訴えられるため、二人とも手を引っ込めざるを得ない。それでも二人はれいむの事を心底気に入っている
様子で、諦めずに何度も何度もれいむに話しかけることを続けた。
「じゃあさ、れいむちゃん。私たちとお話をしようよ。絶対にれいむちゃんに触ったりしないから」
「ゆっくりは、お喋りができるんでしょ? ねぇ、こっち向いてよ?」
「ゆ、ゆぅ……」
れいむはれいむで戸惑いを隠せない。最近は理不尽な暴力を振るわれることでしか他者との接点が無かったせいか、稗田さん
とさとりちゃんの行動はれいむを混乱させようとしていた。煮え切らない様子で顔を少しだけ動かして、稗田さんとさとりちゃ
んをちらりと見るれいむ。その仕草が既に愛らしいと感じるらしく、二人は思わず「可愛い……」と、うっとりした表情になる。
「れいむはどこからきたの……?」
「ゆぅ……。わからないよ……」
「わからないの? どうして……?」
「れいむは…………」
「でも、れいむは幸せなゆっくりだね」
さとりちゃんの言葉にれいむが思わず目を丸くした。女子は先ほどの両者のやり取りに聞き耳を立てながら、徐々に速くなっ
ていく心臓の鼓動を押さえようと必死である。
「れいむが……しあわせー……なの?」
“どこが幸せなの”と言いかける前に、さとりちゃんがれいむに向かって暖かい笑顔を見せた。
「だって、そうだよ。こんなに素敵なおうちがあって、暖かい教室の中にいることができて、優しいお兄ちゃんやお姉ちゃんた
ちに囲まれているんだもん。最近はね、れいむちゃんみたいなゆっくりが街を歩いていたら、怖い大人の人たちにどこか遠くに
連れて行かれちゃったりするんだから」
「そう……なの?」
れいむにとって初めて聞く“外の世界の話”だった。さとりちゃんの言葉に嘘はない。多少の御幣はあるが怖い大人の人とは、
保健所職員の事である。
紫ちゃんが教室に入ってきた。横目で稗田さんとさとりちゃんの方を見る。興味がない風を装いながら耳の神経だけは尖らせ
ていた。二人の昼休み時の侵入を許可した身としては、万が一の場合にはカットに入らなければならない。
そんな紫ちゃんの心配をよそに、れいむは稗田さんとさとりちゃんが話す“外の世界”のことに耳を傾けるようになった。さ
とりちゃんはそれが余程嬉しかったのか、普段よりも口数が多くなってきている。れいむはずっと二人の話を聞いていた。とは
言っても“外の世界の話”が気に入ったというわけではない。これはあくまで確認だった。二人はれいむの置かれている境遇を
幸せだと話して聞かせた。もちろん、二人はこの教室の中で普段れいむがどんな目に遭っているかは知らない。だからこそ、れ
いむを楽しい気持ちにさせてあげようと聞かせたこの話。しかし、それはれいむにとって絶望の渦をイタズラに拡大させられる
だけの話だったのである。
ここは地獄だ。れいむにとっては地獄の底以外のなにものでもない。既にれいむは自分の置かれた境遇に対してそう結論づけ
ていた。死にたいと願うほどだ。これ以上の地獄があってたまるものかとさえ思っている。しかし。二人の少女はそんなれいむ
を“幸せなゆっくり”だと言い切った。“外の世界”にはもっと辛い思いをしているゆっくりがいる。人間によっていつ駆除さ
れてもおかしくないゆっくりたちがいる。そんな事を聞かされた。れいむは自分のことを世界で一番不幸なゆっくりだと思って
いた。しかし、自分と同じような……或いは自分以上に不幸な目に遭っているゆっくりは沢山いるのだという事に気付かされた。
それは、“ここ以外の場所に行けば自分も幸せになれるかも知れない”というれいむの淡い気持ちを完全に消し去るに十分な言
葉だった。もう、死ぬ以外に自分が幸せになれる道はないのだと確証を得た。
だから、れいむは笑った。力なく笑った。
二人はれいむの“笑顔”を見て、れいむに気付かれないように小さくはしゃいだ。やっとれいむが笑った顔を見ることができ
たのである。その“笑顔”の意味は、二人が思い描いていたものとは明らかに異なるものであったが。
その“笑顔”はクラスの一部の児童も見ていた。久しぶりに見たれいむの笑った顔に憎悪を感じる。あれだけ痛めつけてよう
やく大人しくなったれいむが、下級生の言葉だけでまた“笑顔”を見せた。理不尽にも、それを腹立たしく思っていた。
紫ちゃんもその様子を見ていた。特に何も感じはしなかった。しかし、図書室で借りてきた文庫本の表紙をめくろうとした時
の事。
「れいむちゃん、初めて笑った顔を見せてくれたねっ! もっと、れいむちゃんの笑った顔が見たいな!」
「――――――ッ!!」
ガタン、という音を立てて紫ちゃんが思わず席を立ち上がった。突然の物音に教室の中にいた児童が紫ちゃんに目を向ける。
紫ちゃんは蒼ざめた様子で肩を小刻みに震わせていた。
教室内が静まり返る。稗田さんとさとりちゃんも心配そうに紫ちゃんを見つめていた。それから二人は今日のノルマは果たし
たという事なのか、近くにいた女子に「今日もありがとうございました」と告げて教室を出て行った。
それから、れいむはすぐに水槽の奥に這って進み、うずくまるようにして壁に身を預けた。
「どうしたの、紫ちゃん。顔色が悪いよ?」
「べ、別に平気よ。何でもないわ」
「そう……? 保健室に行かなくてもいい……?」
「大丈夫、大丈夫。それより大きな音を立ててしまってごめんなさい。図書室で借りてきた本が、自分で借りようと思っていた
本と違っててわざとらしく立ち上がってみただけのつもりだったんだけれど……。大袈裟過ぎたわね」
それだけ言って借りてきた文庫本を女子に見せながら、舌をぺろりと出す紫ちゃん。そんなおどけた様子の紫ちゃんを見て、
駆け寄った女子は「もう、紫ちゃんってばぁ」などと言って肩をペシンと叩く。教室の中にいた一同も「なぁんだ」と漏らしな
がらそれぞれの動きに戻って行った。
紫ちゃんは文庫本を持って教室を出た。真っ直ぐに図書室へと向かって歩を進める。額に汗が浮かぶ。二月なのに。気付かな
いうちに紫ちゃんが歩くペースはどんどん速くなっていった。
図書室の扉を開ける。数名の児童が机に座って本を読んでいた。静まり返った室内の空気。それがようやく紫ちゃんを落ち着
かせた。空いている席に座る。それから文庫本をそっと机の置いた。手が汗ばんでいたのだろう。帯の一部がよれてしまってい
た。目を閉じる。そして深呼吸。無言で机上の文庫本に視線を落とした。
(馬鹿ね……私は。今さら、思い出したくらいでこんなに動揺するなんて……」
それから小さく笑った。自虐的な笑みだった。
放課後。れいむに対する集団リンチが既に始まっている。水槽から引きずり出されたれいむは教室の中央にうずくまっていた。
それを囲うようにクラスの児童が集まっている。まるでコロシアムの壁の様だった。れいむは、さながら猛獣と戦わされる死刑
囚かのようにも見える。
箒の柄で何度も何度も突かれる。叩くことに飽きたのか、児童たちはれいむの皮を突き破らんばかりの勢いで箒を真っ直ぐに
突き出していた。
「え゛びゅえ゛っ!??」
「汚ぇ!! こいつ、また餡子吐きやがったぜ!!」
「後で雑巾で拾ってまた食わせればいいだろ」
吐き出してしまった自分の“中身”。それをまた口の中に押し込まれる事は想像を絶する苦行だった。だらりと垂れた揉み上
げを男子の一人が踏みつける。
「い゛だい゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!!!!」
逃れようとするも、男子の体重にれいむが逆らえるわけがない。抗おうとすればするほど、揉み上げが少しずつ千切れて行く。
れいむはぼろぼろ涙を流しながら抵抗をやめた。抵抗をやめたにも関わらず、クラスの児童はれいむに対して集中砲火を浴びせ
る。泣こうが喚こうが黙ろうが中身を吐こうが暴力を振るい続けた。れいむを叩く音だけが教室に響く。
「ゆ゛ひっ……ゆぎ……っ……」
痛みに呻くだけの饅頭と化したれいむ。謝罪も命乞いも全てが無意味。それを十分に理解しているのだろう。顔を床に押し付
けたまま、その姿勢から動こうとしない。顔面を殴られるのが一番痛いようだ。
「お前、それ踏んでろよ」
「オッケー、わかった」
「……ゆ……?」
れいむのお尻の部分にインステップキックが叩き込まれた。衝撃でれいむが前方に飛ばされようとするが、もう一人の男子に
揉み上げを踏みつけられているため、そのエネルギー運動に対して逆らわざるを得ない。凄まじい負荷が揉み上げの一点にかか
った。
「ひぎゃああ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ??!!!」
「ばっか、お前。少しは加減しろよ。こいつの揉み上げが千切れたら、絶対に上白沢先生が気付くだろ?」
「悪ぃ悪ぃ。でもさ、こんな奴の揉み上げなんて千切れても、セメダインか何かでくっつけとけば案外わからないんじゃね?」
「駄目よ。上白沢先生に見つかってから、何も言い訳ができないじゃないの」
れいむが床に垂らした涎を揉み上げで拭いていく。教室の埃と自分の涎でドス黒くなっていく自分の揉み上げのお飾りを見て、
れいむがまた一つ嗚咽交じりの泣き声を上げた。
「れいむ。お前、やっぱりゴミじゃないな。掃除用具ぐらいにはなれるんじゃね?」
「……ゆっ、ゆっ……ゆぼぉ゛ッ!!???」
口の中に箒が突っ込まれた。箒の柄は喉の奥へと刺さり中身の餡子にまで到達していた。れいむが目玉をぐるんと回転させる。
しかしこの一撃で死に絶えることはない。凄まじい激痛と嫌悪感、嘔吐の反射がれいむを襲った。
「モップ替わりにはなるだろ」
そう言ってれいむの頭頂部を床に押し付けた状態で男子が歩き出す。れいむのリボンで床を拭こうというのだろう。仰向けの
姿勢で餡子を吐き出してしまうものだから、それがまたボトボトと自分の顔に落ちてくる。それを見てクラス一同は大いに笑っ
ていた。れいむは涙と涎と自分の餡子で顔をべちゃべちゃにしながら痙攣を起こし始めている。それを見た男子がれいむの口か
ら箒を引き抜いてから、蹴って転がす。打ち合わせていたかのように男子の一人がれいむの頭にオレンジジュースを垂らした。
「ゆ……ゆぁ……ぁぁ……ゆっ、ゆっ、ゆっ……」
感覚があるのかないのか。それを考えることさえ煩わしいと感じた。すぐに次の痛みがやってくる。れいむの頭に、頬に、顔
に、あんよに。あらゆる方向から一方的な暴力が放たれる。何度、れいむに箒を振り下ろしたか分からない。何度、れいむを蹴
り上げたかも分からない。もはや中毒的に児童たちはれいむをいたぶり続けていた。
抵抗できない生き物が苦しむ顔を見ているのが楽しいのだろう。子供は残酷だ。平気で虫の羽根を千切る。足をもぐ。……そ
れで虫を殺してしまう事は稀だから。だから、れいむに対してどこまでも残酷になれる。完全に叩き潰しでもしない限り、れい
むが死ぬことはないというのが理解できているから。殺してしまうのは怖いから、いつまで経っても致命傷を与えようとはせず、
真綿で首を絞めるような行為に没頭する。
「ゆっくりって最高の玩具だな。“殺さなければ何やってもいい”生き物だもんな!」
「結構丈夫だしね、こいつ。ちょっとやそっとじゃ死なないんじゃないの?」
「あっはっはっはっはっは」
狂気に満ちた会話のやり取りにれいむが思わず身を震わせる。集団心理が児童たちの心をどこまでも黒く蝕んで行く。結局、
この日は一時間以上もれいむは殴られ続けた。
更に数日後の昼休み。
今日も稗田さんとさとりちゃんの二人はれいむの水槽の前ではしゃいでいた。相変わらずれいむは「ゆぅ」と小さく相槌を打
つだけで積極的に会話をしようとしない。それは、クラス一同にとっても都合の良い事だった。
二月も終わりに近づき、気温も少しずつ上がってきた。れいむの水皿が凍るようなことも既になくなっている。春の訪れがも
うすぐそこまで来ていた。ニュースでは双葉町内の野良ゆっくりが冬を越せずに大量死した事が報道されている。そんな情報し
か知らない五年生の二人は、また口々に「れいむは幸せ者だね」と繰り返すのだ。
昼休みが終わると二人はすぐに教室を出て行った。これも日課になっているのでもうそれを気にする女子も減ってきている。
学校も卒業シーズンを迎えていた。職員室では卒業式の準備が着々と進められている。双葉小学校六年生は、そのまま同じメン
バーで双葉中学校へと進学するのだ。
「この学校ともお別れなんだな……」
不意に一人の男子が口を開いた。直後、諏訪子ちゃんがその男子の後頭部を思いっきりはたく。
「なーに言ってんの! また遊びに来ればいいじゃない! 大体、中学校と小学校なんて五キロも離れてないんだからさ」
「そ、それもそうだよな……っ」
男子が笑う。クラス一同もなんとなくつられて笑った。
「上白沢先生、遅いね……」
「今日、漫画の発売日だから早く帰りたいんだけどなぁ」
既に五時間目の授業が終わり、後は帰りの会を待つだけだ。しかし、上白沢先生が来ないことには会を始めることができない。
紫ちゃんが溜め息をついて立ち上がる。
「職員室に行ってみるわ」
「さすが紫ちゃん。助かるよ」
「いやー、ごめんごめん、遅くなっちゃった!」
紫ちゃんが教室を出ようとするのとほぼ同時に上白沢先生が教室に入ってきた。紫ちゃんが「もう……」などとわざとらしく
言うと教室中がまた笑いに包まれた。上白沢先生は持っていたプリントを机の列ごとに配るとそれを後ろへと回させた。
「一番後ろの人は余ったら先生のところまで持ってきてね」
「先生が数えるのミスるからそういうことが起こるんだけどな」
散野くんの言葉に上白沢先生が苦笑いする。それから、今日の日直が教室の前に進み、帰りの会を始めた。学級委員からのお
知らせ、各係からの連絡、明日の時間割の確認……と、滞りなく会は進められていく。そして、最後の先生の話である。バトン
を受け取った上白沢先生が教卓の前に進んだ。
「えーっとね。今日は、れいむの事で一つ皆に言っておくことがあります」
「――――――ッ!」×43
クラス一同が思わず息を止める。れいむは水槽の中でうずくまっていた。上白沢先生はそんな教室の中を見渡して、深呼吸を
してから口を開いた。
「最近、五年生がれいむの所に遊びに来てるよね? 皆ももうすぐ卒業してこの学校からいなくなっちゃうでしょ? だから、
勝手に決めて悪いんだけど、れいむは五年生の稗田さんとさとりちゃんが引き継いで飼ってくれることになりました。それなら、
皆も安心でしょう?」
試すような上白沢先生の口調。クラス一同はそれどころではなかった。来年の事とは言え、れいむは稗田さんとさとりちゃん
にこの一年間で起こった事を全て話さないとも限らない。そんなことになれば、上白沢先生に対して後ろめたい気持ちで中学生
活を送らなければならない。思わず絶句してしまった。
「寂しいかも知れないけれど、れいむの面倒はきっと稗田さんとさとりちゃんが見てくれるわよ」
「…………っ」
唇を噛み締める一部の児童。れいむは自分の名前が呼ばれたことで顔を上げて水槽の中できょろきょろしていた。
「……ゆ? ゆゆ?」
『学校:冬(後編)』へ続く