メモ・栃木・茨城・群馬幼少女未解決事件 --- その分類と有希ちゃん事件との関係

■栃木・茨城・群馬には、幼女・少女に関する未解決事件が多い。
それらの情報の一部は普通、↓のリスト類似のコピペとしてネット上で流通している。

リストの一部の事件と有希ちゃん事件とのおおまかな対比はトップページに書いた。あらためて簡単に書くと、有希ちゃん事件の著しい特徴は、心臓を刺された刺殺体が、全裸で、林道脇に晒された、ということ。衣服などの遺留品がなかったことも加えていいかもしれない。
そのような特徴の幼児殺人事件は、ここ数十年のスパンでは存在していない。少なくとも自分は知らない。ただ、先行する行方不明幼少女事件の中にのみ、そのような異常な刺殺の可能性が理屈上わずかに考えられる、ということでしかない。

結論はすでにそういうことに尽きているのだが、ついでなので、そのような視線を入れつつ、ここでは北関東の一連の幼少女に関する未解決事件について、少し詳しく検討してみたい。当然、私見になってしまうが。

まず、よくある、事件を時系列でまとめたコピペを少し改変したものから。カテゴリー別に色分けしてみた。

1979. 8 保育園児(5)殺人・死体遺棄事件 (栃木/足利)福島万弥 ★足利事件関連
1981. 5 少女(9)行方不明事件 (茨城/真壁)酒寄はるみ
1983.10 少女(12)殺人・死体遺棄事件 (群馬/桐生)中島喜代美
1984.11 幼児(5)誘拐・殺人事件 (栃木/足利)長谷部有美 ★足利事件関連
1985.10 幼児(3)行方不明事件 (栃木/日光)佐々木奈保子
1987. 6 少女(15)行方不明事件 (茨城/藤代)根本直美
1987. 9 少女(8)殺人・死体遺棄事件 (群馬/尾島) 大沢朋子     ※1
1990. 5 幼児(4)誘拐・殺人事件 (栃木/足利)松田真実 ★足利事件
1990.12 少女(14)行方不明事件 (茨城/三和)日石嵜容子
1996. 7 幼児(4)誘拐事件 (群馬/太田)横山ゆかり ★足利事件関連
2002. 5 少女(9)行方不明事件 (茨城/取手)大川経香
2005.12 少女(7)誘拐・殺人・死体遺棄事件(栃木/今市[現日光]・茨城/常陸大宮) 吉田有希

茶色の字:足利関連4事件
不可解な大沢朋子ちゃん事件
いわゆる茨城4少女失踪事件
白抜き:それ以外に分類されそうな事件

※1 宮崎勤幼女連続殺人で登場 
 栃木・群馬未解決幼女殺害・失踪事件地図
 足利事件まとめサイト
 宮崎勤事件をも含む関東全体の事件地図  【インモラル(immoral)】〈三〉-≪連続幼女誘拐殺人鬼≫〈3〉保存版その一 より
 足利事件関連不明現場地図

 ★茨城4少女失踪事件ほかの全事件地図

なお、元のコピペにあった1987. 9群馬・荻原功明ちゃん事件、93事件、2004. 1 茨城女子大生・原田実里 さん殺人事件はリストから外した。93事件はすでに扱った。功明ちゃん事件は男児であること、電話で何度か身代金を要求した誘拐事件の側面があることから除外。原田実里 さん事件は93事件のページでちょっと触れたように、なんと今年(09年)になって遺留品から男2人のDNAが検出されていたことが明らかになった。謎の多い事件だが、行きずりの性犯罪がらみの犯行の線が強く、93事件とも性格が異なると判断。

リストのうち、言うまでもないが、「足利事件」については、今年(09年)新たな展開があった。松田真実ちゃん殺害の件で無期懲役となっていた菅家(すがや)利和さんが釈放された。(その経緯などは他サイトを参照されたし。たとえば こことかも)菅家さんはかねて言われていたように冤罪だったわけで、警察、検察、裁判所そして報道への信頼は取り返し不能なほど損なわれた。みんなグルで、一人の平凡な人間の人生を徹底的に潰し、しかも足利の3件の幼児殺人を時効にしてしまった。その罪は大きい。犯罪に等しい。

少し注意を要することだが、リストの事件について、ネット上のサイトにはガセネタや誤りが一部目につく。(たとえば足利事件と有希ちゃん事件でのDNAが一致したとか、大沢朋子ちゃんの遺骨は宮崎勤の告白文から発見に至った、など)要注意。


(1)★の足利事件関連4事件

誰が見ても「足利事件関連」として一括りにできるだろう。少し詳しくリストアップ。

・1979/8/3(金)正午ごろ  福島万弥(5) (足利市)  行方不明直後に絞殺、窒息死
・1984/11/17(土)午後5時過ぎ  長谷部有美(5)(足利市)パチンコ店  行方不明直後窒息死?
・1990/5/12(土)午後7時頃  松田真実 (4)(足利市)パチンコ店駐車場  連れ去り30分後に絞殺、窒息死
・1996/7/7(日)午前10時半頃  横山ゆかり(4)(群馬/太田市)パチンコ店から誘拐  行方不明
ゆかりちゃん事件は足利事件による

ゆかりちゃん事件以外の3件の概要については、足利事件に簡明にまとまっているが、ここの90年の「足利事件」で、犯人が自転車に被害者を乗せていたのを目撃云々、というのは訂正されねばならない。ゆかりちゃん事件については以下のビデオに詳しい。

横山ゆかりちゃん誘拐分析ビデオ映像(NTVバンキシャのサイトより)

これら4事件の共通性は一目瞭然だが、まとめると、

被害者の年齢が4~5歳(性対象)
5~6年の間隔で発生
・それぞれの現場が近いこと
福島万弥ちゃん以外の3人はパチンコ店からの誘拐
3件の死因が窒息 
・殺人3件は遺留品があったこと
・最近になって真美ちゃん事件の目撃者から、「横山ゆかりちゃん事件の誘拐犯が、真美ちゃん事件での男と似ている」との指摘がなされた。

ここの記事、「連続事件(22回)」も参照。なぜ今になってそんな証言が?という理由がわかる。

これらを総合すると、横山ゆかりちゃん事件の誘拐犯が、4事件を起こしたのではないかと考えることはごく自然。
↑にあるビデオを見ても、チビ男は実に手馴れた様子で、余裕すらかましつつ獲物を物色している。
この4事件のうち、ゆかりちゃんと同様パチンコ店から連れ去られた長谷部有美ちゃんは、畑に埋められているのが発見された。したがって、ゆかりちゃんもこのような結果になっている可能性が高い。
また、真美ちゃん事件が性犯罪をともなう殺人事件であることから、4件すべてが性犯罪がらみの殺人事件と想定できる。
これはあまり根拠のない推測だが、4人の女の子は宮崎勤のケースのように、まず殺されてしまったのではないかと思う。どうも想像することさえ難しいけれども、普通の「イタズラ」目的の犯罪であれば、殺す必然性はないはずだ。この犯人は性対象を殺してしまわなければ、自由にイタズラもできなかったのではないか。また、人を殺すことなどなんとも思わない人間であることも確かだ。

真美ちゃん事件(足利事件)の犯人目撃者の男性は、その男について「あまり若い男ではない」と言っているが、ゆかりちゃんのビデオをみても、チビ男はどうも40代くらい、アラフォー以上に見える。

吉田さん(仮名)による、あまり若い男ではない証言映像(1分30秒付近)

■この4件の中では、最初の万弥 ちゃん事件はやや異質な感じがする。平日の昼に不明、またパチンコ店からの失踪ではない。リュックに「えびぞった格好で詰め込まれていた」(ソース失念)遺体が、「6日後」発見ということに異常な気配を感じる。「リュック詰めにされ、リュックがビニール袋に入れられ、その口が紐で縛ってあった」という(産経新聞09/07/11より)。行方不明直後に窒息死と推定されているが、恐らく一旦は遺体は犯人宅に置かれ、その後臭気が強くなったなどの理由で2重に梱包処置・運搬遺棄されたのではないかと思われる。また、誘拐地点が渡良瀬川北側であるのに対し、遺体遺棄地点は真美ちゃん遺棄地点からわずか200mと近いが、渡良瀬川の対岸、南側の河川敷となっているのもやや引っかかる事実だ。これは、犯人の住居が実は渡良瀬川の南側に位置することを意味するのかもしれない。

★有希ちゃん事件との関連で「ゆかりちゃん誘拐との関係」=「4事件との関係」を見ると、

ゆかりちゃん事件の犯人は有希ちゃん事件の時点では歳をとりすぎているはずであること(50歳超と想像)
犯行地点がかなり離れ、犯行様態もかけ離れていること

などから、ゆかりちゃん事件は有希ちゃん事件との関連性はないと見ていいのではないか。すると、ゆかりちゃん事件以後、その犯人は事件を起こしていないことになるだろう。その理由としては第一に加齢が考えられる。50過ぎて枯れた。(50過ぎ、ではまだ枯れないかな?)他にも、転居、性的な代償行動の獲得、病気、心身障害、死亡などが思い浮かぶ。


(2)  大沢朋子ちゃん事件

・事件概要
1987(S62)年9月15日(敬老の日)
群馬県尾島町亀岡に住む町立小学校2年の大沢朋子ちゃん(8)行方不明。翌1988年11月27日自宅から2km離れた同町の前小屋の利根川河川敷で白骨遺体発見。 高崎市の功明ちゃん誘拐事件の翌日発生。午前11時ごろ子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に。午後11時半ごろ((注)午前の間違いだろう)に公園から600m離れた町道を朋子ちゃんが自転車を押した男に連れられて歩いているのを同級生や町民が目撃。Tシャツにスカートでサンダル履き。子猫は抱いていなかった。男の特徴は30歳前後でやせ形。髪はぼさぼさで白髪交じり。自転車は前かごがついていないタイプ
【インモラル(immoral)】〈三〉-≪連続幼女誘拐殺人鬼≫〈3〉保存版その一より

以下、日テレのバンキシャのサイトを最初の手掛かりにしつつ、見て行きたい。

バンキシャのサイトACTION 日本を動かすプロジェクト|テーマ3・未解決事件

「バンキシャ」は2008年に、足利関連の4件と 大沢朋子ちゃん事件が、20km圏内で起きた連続事件だという視点で何回かの放映を行ったようだ。その一部は、上記サイトにある左側のビデオリストから見ることができる。横山ゆかりちゃん誘拐分析ビデオもここにあったもの。記事も見たほうがいいかもしれない。記事は右サイドの「月間アーカイブ」にある。
「足利事件関連不明現場地図」 もここにあったもの。ただし、この地図中の目印は遺体発見現場ではなく、行方不明地点などを示しているようなので注意。

再掲 足利事件関連不明現場地図

「バンキシャ」では、朋子ちゃん事件をも同一犯によるにした。確かに、地図上ではこの5事件は一括りにできる。渡良瀬川と利根川と場所は異なっても、河川敷に遺体が遺棄された点も共通している。特に、朋子ちゃん事件の現場はゆかりちゃん失踪事件の現場に近い。しかし、バンキシャでは何故か詳しく追求していないが、冷静に朋子ちゃん事件の特徴をみると、それは足利関連4事件から浮くように見える

※1 宮崎勤幼女連続殺人で登場 が一番詳しいかも。
       公訴時効の記事(共同)

データ不足ながら※1の記事を主に参考にして朋子ちゃん事件と足利関連4事件を対比させると、

・被害者の年齢が足利関連4事件4~5歳とは違って8歳(性対象年齢の相異)
・遺体がすぐに見つからず、なぜか翌年(1988/11/27)、釣り人によって偶然に遺骨発見
肘から先、膝から先の骨がなかった(これを事実とみなすことにする)
・遺留品がない
・足利関連事件が5~6年の周期で起こっている中で、周期と関係なく生じたように見える。

以上のように特性がかなり違う。
事件後、利根川河川敷の捜索などは念入りに行われたはずなのに、事件当時遺体が発見されなかったのは、足利関連事件と齟齬する点と言っていいかもしれない。埋められていたわけではないのだから。しかも、手足の骨がないということは、犯人が遺体の手足を切断するなどして、胴体とは「別に扱った」ということを意味するだろう。「四肢ともに骨が無い」ということは偶然とは思えない。これは尋常なことではない。また、遺骨が2、3mの範囲に散乱していたということは、遺体が犬、鳥などに荒らされたためかもしれないが、宮崎勤の告白文にあるように、「誰かが後から遺骨を現場に運んだ」、ということかもしれない。
これらから、朋子ちゃん事件が足利事件関連であるとはどうも断定できない。

かなり「宮崎勤的な」犯行状況だと言える。宮崎は手・足・頭部を切断する遺体損壊を行ったことがある。(野本綾子ちゃん事件)言うまでもなく、彼は1988年8月~1989年6月にかけて東京・埼玉で殺人を繰り返した。その最中に朋子ちゃんの遺骨が発見されている。宮崎は今田勇子の犯行声明の中で、わざわざ朋子ちゃん事件の顛末について触れ、その遺骨発見が、自分が殺した今野真理ちゃんの遺骨をダンボール詰めにして真理ちゃんの自宅に運ぶことにした契機になったのだと書いている。しかし実際には、遺骨を運んだのは翌年の2月6日になってからだ。

また、「ですます調」で書かれた今田勇子の告白文の中で、朋子ちゃん事件に関する部分以下少しは、突然息を荒げたような「だ調」で書かれている。事件当時、この部分を読んで「コイツは女ではなく、頭のおかしい、男だ」とピンと来た記憶がある。この部分で、宮崎はなぜ感情的になり、空想構成した今田勇子の世界から足を踏み外し、男の素状をさらけ出したのか。朋子ちゃん事件が、他の誰かの犯した、遠い無機的な客観に属する事柄ではなく、激しく生々しい感覚のもの、自分のしでかしたものであったからではないのか。
また、今野宅に運ばれた真理ちゃんの遺骨は、体全体ではなく、遺体の手足の遺骨は現場に残されていたようだ。それが手足一揃いかどうかわからないが、遺体切断とは異なる意味ではあっても、朋子ちゃん事件と相似する要素だと言えなくもない。

ところが、仮に朋子ちゃん事件が宮崎の犯行だとすると、不自然な点が存在する。
宮崎の住んでいた現在の東京あきる野市から群馬大田市までは、車で60km以上走らなければならない。86年末から宮崎は車に乗るようになったのだが、87年9月、東京都から埼玉を越え、群馬までいきなり足を伸ばして、初めての殺人を犯したことになる。
しかし、連続殺人を最も遠方の地点から始めるものだろうか?実際、88年8月からの宮崎の4件の連続殺人は、埼玉県入間市→埼玉県飯能市→埼玉県川越市→東京都江東区と、だんだん自宅から遠くへと進んでいる。群馬県太田市のケースは宙に浮く。
……まあ、あきる野市~入間市~太田市は国道16号・407号を使えば比較的一本道のようでもあり、87年9月、ドライブがてら大田に行った可能性も完全には棄てきれないが。宮崎はけっこう走るのが好きだったようだし。

1988年5月16日、宮崎にとって精神的に大切な祖父が死んでいる。連続殺人はその後、8月21日から始まる。祖父の死が、事件の何らかの契機になったとすると、それ以前の朋子ちゃん事件は無関係になる。

また、朋子ちゃん事件は1987年9月15日、連続殺人の最初である「今野真理ちゃん事件」は1988年8月22日だから、1年近くの時間的隔たりがある。連続殺人は真理ちゃん事件以後、だいたい、2か月、2か月、6か月という間隔で4件続く。最初に1年弱の間隔があるとしたら、やや不自然な感じだ。
さらに、朋子ちゃん事件の目撃証言とも合わない。朋子ちゃんは「自転車を押して歩いていた男と一緒だった」という。宮崎なら、自転車を押すのではなく、ラングレーに連れ込まなければならないだろう。この目撃証言は無視することができないので、宮崎犯行説を採るなら何か説明が必要になる。ただ、男の年齢は、宮崎26歳とそれほど離れていないが。
まとめると、犯人=宮崎説では、事件を時間的空間的、目撃証言的に見たときどうもスッキリ納得できない点が多いと言える。

しかし、背理法的な考えを持ち込むと、宮崎が犯人でないとすれば、同様な殺人・遺体損壊事件を起こす人間が宮崎事件と同じ頃、太田市近辺にもう1人存在し、しかも単発で事件を起こしたことになる。それも不自然極まる話だ。宮崎以後そのような事件はない。この考え方は、遺体の手足が切断された、という仮定にもとづくものではあるが。

以上、朋子ちゃん事件は足利関連ではない可能性があり、むしろ強く宮崎臭を漂わせながら、しかしそうだとも言えない材料もあり、闇に包まれたまま風化した。

★有希ちゃん事件との関連では、18年という事件間隔、地理的乖離、また遺体損壊の有無、見えない場所に遺体(遺骨)投棄、などの犯行様態の相異から、関連性はほぼゼロと結論していいのではないか。有希ちゃん事件では刺殺後、即、遺体を晒している。


(3)中島喜代美ちゃん事件

この事件は22年後の有希ちゃん事件とは関係が無いとほぼ直感的に断定できる。この事件は朋子ちゃん事件よりいっそう情報がない。風化し尽くし、時のかなたに消えてしまった事件だ。

1983年10月19日 - 中島喜代美(12)殺人死体遺棄事件(群馬/桐生)
群馬県桐生市梅田町から道路を隔てた反対側に位置する桐生川川岸で遺体発見
群馬県桐生市で、小学6年生の女の子(12)が絞殺され、翌日、桐生川河原で胸と肩の上に大きな石を置かれた死体が発見された((注)このようなコピペしか存在しないのでソース略)

この事件の詳細はまったくわからない。当時の地元紙を図書館で発掘でもしなければ、永遠にネットなどには乗ってこないだろう。栃木・群馬未解決幼女殺害・失踪事件地図古いフライデーの記事などでは足利関連事件、朋子ちゃん事件と共に、6件まとめた視線で扱っている。この事件もあまりに情報がないながら、一見して足利関連4事件とは明らかに性状が異なる。

・12歳と4~5歳。6年生か中一と園児との落差。
・何のためか、胸と肩の上に大きな石。他の遺棄状況が不明だが、これは尋常な状態ではないだろう。

詳細が不明なので安易な想像しかできないが、性的な事件で遺体に大きな石を乗せておくなどということは皆無だと思うので、この事件は性的な意味合いがないのではないかと思われる。
このピントの外れた「狂い」は、精神の魔術的な狂い・あるいは精神の未熟さを想起させる。正常な人間のやることではないだろう。また強いて足利事件関連を考えれば、福島万弥ちゃん事件の「狂い」を連想させられるが、感覚的には気配が異なる。
地理的・時間的・犯行状況的に有希ちゃん事件と関係がないのは明らかと思える。


(4)佐々木奈保子ちゃん事件

この事件は失踪事件で、その後の経過が一切わからないので、理屈上は有希ちゃん事件と関連がある可能性を持つ。

失踪日時:1985.10.10(木)
失踪地:栃木県日光市西小来川

【概要】
 帰省中、長女(10)と長男(8)と魚釣りに行き行方不明になる。実家近くの川に向かったところまでを目撃されているが、川は深さ40㎝ほどで溺れる可能性は低く、仮に溺れたにしてもすぐに遺体が見つかるはずだという。事故・誘拐双方の線から捜索が行われたが、何の手がかりも発見できず、事件は時効を迎えている。

【推移】
10.10 12:00頃  家族5人が実家に到着。
13:30頃  長女、長男と魚釣りに出かける。以後行方不明に。
14:00頃  長女、長男が帰宅。奈保子ちゃんの不在に気付いた父親が警察に通報。
2000.10.10   事件が時効となる。
佐々木奈保子より

平日の午後の失踪。連れ去られたことになるが、3歳では単純な誘拐・その後育てるといったことも考えにくい。性犯罪とすると、3歳の女の子を対象にするというのはよほど退行したペドファイルということになる。どちらのケースも有希ちゃん事件とは関係がないだろう。また、たとえ足利関連事件の4~5歳を殺す犯人が、たまたまはるばる日光市小来川に釣りに来て、(ゆかりちゃん事件の犯人は画像解析で帽子に釣り券を付けていたのではないかという説がある。)犯罪を犯したのだとしても、前に見たように、その犯人は有希ちゃん事件との関係はほとんどない。

そうではなく、年少の酒鬼薔薇のような人間が、大事件を起こす前に小動物惨殺を前駆とするケースのように事を起こした場合なども可能性として考えられる。その方が、有希ちゃん事件との連続性を考えやすい。地理的にはこの事件現場と有希ちゃん拉致現場とは比較的近い。この場合、遺体は埋められるなど、犯行の跡が消されたことになる。若い犯人は日光市西小来川近傍に住んでいたことが想定される。
ところがそのように仮定すれば、その後、異常な事件が日光付近で起こっていなければおかしい。
実際にはそのような事件は関東全域でも皆無ではないか。93事件はあるが。したがって、そのような仮定が誤っているか、犯人が大事件を起こす前にそこから消えた場合だけが考えられる。

★有希ちゃん事件までは20年の間隔がある。関連は理屈としては否定できないが、関連性がかなり少ないのは確かだろう。



茨城4少女失踪事件

茨城4少女失踪事件とは、

1981/5/30 酒寄はるみちゃん(9)行方不明事件  (茨城/真壁)
1987/6/20(土) 根本直美さん(15) 行方不明事件  (茨城/藤代)
1990.12 日石嵜容子さん(14)行方不明事件 (茨城/三和)
2002. 5  大川経香ちゃん(9)行方不明事件  (茨城/取手)

参照 茨城4少女失踪事件ほかの全事件地図

茨城の少女行方不明事件はネットの一部で「茨城4少女失踪事件」として一括りにされているようだ。地図を見ても明らかだが、足利関連事件などと比べて、4件を一まとめに見ることはできない。少女の年齢で括ると9歳が2人、14歳、15歳と2群に分かれる。地理的位置では取手付近2人、他2人、と2群に分かれる。
茨城4少女失踪事件も、あまり情報がない。追求したい人は、図書館で過去の地元紙の過去データをあたる以外に道はない。行方不明事件だけに続報もなく、調べても得るものがないかもしれないけど。
各事件をとりあえず年代順に簡単に見てみる。

(5)81年・酒寄はるみちゃん(9)行方不明事件

■ 1981年5月30日午後
 酒寄はるみちゃん失踪事件:茨城県真壁町立紫尾小4年の酒寄るはるみちゃん(9)が小学校から帰宅途中に行方不明。13:45:通学路を自宅に向かって歩いているところを同級生や近所の人が目撃。自宅の玄関には赤いランドセルや履いていた靴。一端帰宅した形跡。チャンバラ遊びをする活発な女の子。(茨城4少女失踪事件)
【インモラル(immoral)】〈三〉-≪連続幼女誘拐殺人鬼≫〈3〉保存版その一より

酒寄はるみちゃん(9)行方不明事件は、上に書いたこの4事件の括り方でみると、仲間はずれになる事件だ。
取手市の大川経香ちゃん(9)事件(2002年)と歳は同じだが、事件は地理的にも時間的にも離れていて関連はなさそう。
さらに、他の2事件とは女児の年齢が離れている。
この事件位置で目立つ点は、地図でみると93事件の現場にやや近いということ。筑波山周辺に位置。この辺に土地勘があるものならば、93事件の2現場にも土地勘がありそうだ。
しかし、この事件から93事件までは12年近くも離れている。また有希ちゃん事件までは24年も離れている。したがって、有希ちゃん事件とこの事件が関連すると考えることは常識的には難しい。そういう流れでは、もしこの事件が93事件の前駆の殺害事件であるならば、93事件と有希ちゃん事件の関連が薄くなる。また93事件が有希ちゃん事件と関連しているならば、はるみちゃん事件と93事件の相関が薄いことになる。93事件と有希ちゃん事件の関連性がかなりある以上、この事件と93事件の関連する確率はその分小さくなる。
したがって、はるみちゃん事件と93事件、有希ちゃん事件の犯人が同一であるケースはほとんど考えられないが、万一同一であるケースでは、はるみちゃん(殺害)事件を起こした人間の年齢はかなり若くなる。少年だった必要があるだろう。

犯罪学的にそのような少年が存在する可能性があるものかどうか自分にはわからないが、純理屈上は100%否定できない。ただ、少年が93事件までに他に重大な事件を起こしていないという面からも、この想定はますます無理があるだろう。

★この事件と93事件との関係は、前に見た佐々木奈保子ちゃん事件と有希ちゃん事件の関係に相似している。
結論としては、有希ちゃん事件との関連はほとんど考えられない。


(6)87年根本直美さん(15)失踪事件

■ 藤代町(現:取手市)で八七年六月二十日(土)、県立藤代紫水高校一年の根本直美さん=当時(15)=が、部活を終えて帰宅途中に行方不明となった。直美さんが乗っていた自転車とカバンなどは町内の小貝川沿いの町道で見つかった。
http://www.joyo-net.com/honbun-kako/honbun010509.htmより
●【根本直美さん失踪事件】高校からの帰宅途中に行方不明. 1987/06/20 19:20:県立藤代紫水高校1年の根本直美さん(藤代町大曲、15)が高校で部活動の軟式テニスを終えて、友人と別れて自宅に向かって以降、行方不明.
高校から自宅は真東.高校から南に小貝川を見てほぼ並行に走る約2キロの道.自宅まで約800mの地点にある小貝橋のたもとで友人と別れ、それ以降の足取りは不明.そこから自宅方向に400m行った先の土手に通学用の自転車と根本さんのスポーツバック.バックの中にあった現金10,850円はそのまま.400m東に進むと自宅.
根本さんは身長168cmでやせ型.髪は肩ぐらい、行方不明当時は紺色のリボンで後ろ髪を結び、エンジ色のジャージに通学用の紺色レインコート.
日本の未解決事件/p2 - Wiki YUMAより


(7)90年石嵜容子さん(14)失踪事件

■1990年12月31日、茨城県三和町の町立中2年の石嵜容子さん(14歳)が友人宅から帰宅途中に行方が分からなくなった。 友人宅に出かけるさい、自宅2階から祖母が「大晦日だから早く帰ってくるんだよ」と呼びかけ、「はい」と答えたという。その後友人宅から自宅に向かったが戻らず、行方が分からなくなった。友人宅から自宅までの道路の途中で、容子さんの自転車が発見された。自転車は自宅ではなく友人宅のほうを向いて置かれ、前かごには容子さんの鞄が入っていた。 年が明けた1991年の正月に本人から自宅に電話があり「人が大勢いて帰れない」と話したが、それ以降連絡はない。
石嵜容子さん失踪事件(茨城県) - 下田雄一郎・未解決事件FILE

■以下、かなり長いが、ある掲示板より全文引用する。

茨城県における少女拉致疑惑・再アップ 投稿者:熊川ビジョン  投稿日:2008年11月19日(水)20時55分1秒 
    「北朝鮮による拉致が疑われる未解決失踪事件」
 (出来るだけ広範囲からの情報を求めています。
 多くの方にこのレポート記載内容の事件を呼び掛けて下されば幸いです。)

 名前:石嵜容子(いしざきようこ)
 性別:女
 失踪時年齢:14
 失踪日時:1990(H2).12.31
 失踪地:茨城県三和町(現、古河市)
 (※管理人くまがわ直貴が、石嵜容子さんのご家族からの承諾を直接得た上で掲載しています。)

【概要】
 ●部活動からの帰宅途中、友人と別れた後に行方不明となる。町内の小貝河沿いで乗っていた自転車と鞄が発見される。
 ●翌年(失踪事件発生時は大晦日。従って明くる1991年元旦)の1月1日、彼女から「大勢の人がいて帰れない」と電話があった。
【推移】
 ●12月31日 夕方?  部活動から帰宅。友人と別れる。
 ●1月1日 ?  「大勢の人がいて帰れない」と電話が。
【容姿・特徴】
 失踪当時、町立三和北中学二年。
   (未解決失踪事件データベース他より転載)

 この失踪者・石嵜容子さん(当時14歳)の事件に関して私が知る様になったきっかけは、2001年(平成13年)末に私宛てに届いた一通の匿名のメールによる情報提供からでした。
 「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚な少女失踪事件」として、「氏名や失踪した場所等は不明」としながらも、
 「平成2年(1990年)の大晦日の夕方に自転車を置いて忽然と姿を消した少女がいる。」 という内容と共に、行方不明になった時の細かい情報等が記されていました。
 私に情報を提供してくれた方がどなただったのか?
 どこでこの情報を入手されたのか?は今に至るまで分かりません。

 内容は以下の通りでした。

 ●平成2年(1990年)の大晦日の夕方、A子さん(小学校高学年~中学生位)という少女が自宅近くから突然行方不明になった。失踪した場所とA子さんの氏名は不明。
 ●彼女は、同級生の女の子と一緒にこの日スーパーマーケットでインスタントラーメンやスナック菓子数点を購入。乗っていた自転車の前かごに二人とも買い物袋をそれぞれ入れていた。
 ●A子さんと友達は自宅近くで別れる。これがA子さんが目撃された最後となった。
 ●夜遅くなっても帰宅しない娘を心配した家族が付近を捜索すると、自宅近くの路上に停められたA子さんの自転車だけが見つかる。
 買い物袋はそのまま前かごに入っており、事故に遭った形跡は見受けられなかった。

 あまりにも断片的かつ少ない情報ながらも、複数の拉致問題関連のインターネット掲示板等にこれを掲載した所、「この事件は茨城県の石嵜容子さんのものです。」という解答が寄せられ、個人及び現場の特定に至りました。
 数年掛かり、石嵜さんのご実家を突き止めるに至り、昨年ご家族に直接詳しいお話を伺うことが出来ました。この度、実名での失踪事件掲載の許可を頂いた為、ここに広範囲からの情報提供を求める上で概要をまとめさせて頂きます。

 まず、大まかな失踪当時の内容は間違いなく、今に至るまで17年間容子さんは行方不明のままとなっています。
 事件発生(失踪)当日、昼過ぎまで容子さんはクラブ活動の為学校に行っており、一旦帰宅し着替えた上で、夕方5時頃まで友達の女子生徒とスーパーマーケットで買い物をしていたとのことでした。
 この時、容子さんが購入したのはノート、スナック菓子、そしてインスタントラーメン(これは「カップラーメン」ではなく、鍋で調理する「袋麺」だったそうです。家出を考えている人物の購入する物とは考えにくい)であり、この点はご家族にも確認してもらいました。
 勿論、家出する様な動機は一切なく、この時の容子さんの所持金では遠くまで行くことは不可能と仰られていました。
 失踪時間については、午後6時より前とのことです。この地域では午後6時に時報サイレンが鳴り響く為、友人の証言などでもそれより前と考えられます。

 そして、不可解な「怪電話」…これまでの北朝鮮拉致事件や拉致が疑われる特定失踪者のケースでは、失踪後に「怪電話」や「無言電話」が度々掛かって来た事例が報告されています。(国内に居住していると認識させる意図があったと思われる)
 ご家族によれば「新宿にいて帰れない」ということも話していたということです。

 新宿には以前から北朝鮮工作組織の拠点があったという疑惑があり、田口八重子さん拉致事件の背景に潜む大物在日商工人の活動拠点も新宿界隈だったとされます。
 また、特定失踪者の内新宿区内に勤務していた事実がある人物も複数存在します。
 石嵜容子さん失踪現場の茨城県は「大町ルート」沿線上にあり、1980年代初頭から多数の未解決失踪事案が発生していることが一部で囁かれています。
 中には1985年(昭和60年)に行方不明となった「ミス梅むすめ」の事件の様に選定拉致を疑わせるケースも含まれています。
 石嵜容子さんの失踪事件は、茨城県警によって再手配が成されているとのことです。
 この事件について何らかの情報をお持ちの方は、どんな小さなものでも匿名でも構いませんのでお教え下さい。http://blue.ap.teacup.com/kumagawanaotaka/
茨城県における少女拉致疑惑・再アップ | 平和について考える市民の掲示板より

以上、石嵜容子さんは北朝鮮による拉致の可能性があるのだという。それに関連して大町ルートという言葉が出てきて、現場はその上にあるとの指摘があるが、自分にはどうにもそうは見えない。また、「未解決失踪事件データベース他より転載」という記述に「町内の小貝河沿いで乗っていた自転車と鞄が発見」とあるのは、(6)根本直美さん失踪事件との混同ではないのか。さらには、部活から帰宅途中不明、との引用をしているのに、自分では「一旦帰宅し着替えた上で、夕方5時頃まで友達の女子生徒と」などとも書いている。掲示板の筆者、くまがわ直貴氏は、容子さんの親御さんに話を聞いているらしいが、自ら情報を混乱させているのはどういう粗雑な神経なのだろうか。引用の最後にあるサイトもなんか妙だ。くまがわ直貴氏とは大丈夫なのか?安易に信用できない人物なのは間違いない。

それはともかく、87年根本直美さん(15)失踪事件と、石嵜容子さん事件はかなり場所が違うが、様態が似ている事件だ。
殺人にせよ、北朝鮮拉致がらみにせよ、この2件は一つに括れるように思う。容子さんが失踪した翌日、電話をかけてきたことからすれば、殺人ではない可能性が高くなるが、不可解な失踪だ。

★有希ちゃん事件との関係はないのは明らかだろう。


(8)2002年大川経香ちゃん(9)行方不明事件

■ 2002年5月19日(日)午後6時頃 - 大川経香(当時9歳、女)失踪事件(茨城/取手市台宿)
- 午後6時自宅近くの公園の目撃情報を最後に行方不明
- 取手市台宿の取手小3年の大川経香ちゃん(9)飲食店従業員の母(31)に「友達の所に遊びに行く」と外出。18:00ごろに自宅近くの公園で友達と遊んでいたという目撃情報。おかっぱ頭で白いTシャツ、水色の短パン、赤いズック靴姿、身長120cm、体重25kg
http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/59657799.htmlより
●大川経香(きょうか)ちゃん(9歳)
取手市台宿2丁目の飲食店店員、大川アナベルさん(30)の長女で、市立取手小3年生の大川経香(きょうか)ちゃん(9歳)が自宅から遊びに出たまま行方不明となり、約2カ月経った今も依然足取りがつかめていない。
取手署などは、6月28日までに延べ1530人の捜査員を投入し、経香ちゃんの自宅から半径3km周辺に亘る川原や神社や空き家、側溝、雑草地などを捜索した。
また、足を向ける可能性のあるコンビニやスーパー、ゲームセンター、駅ビルのほか接触のある小学校教諭や同級生、近所の遊び友達などから聞き込み捜査を行った。
さらに、写真入りチラシ約10万枚を作成して街頭配布し、それを拡大した手作りポスターをJR常磐線牛久駅から上野駅間の12駅に掲示した。
5月25日には、教職員やPTA、取手市民など1000人にも上るボランティアが協力して利根川河川敷一帯を、念入りに捜索した。
これまでの調べで、経香ちゃんは5月19日(日)午前10時ごろ「友達の所へ遊びに行く」と言って自宅を出た。同日午後6時ごろ近くの公園で友達と遊んでいるのが確認され、同7時ごろアナベルさんが帰宅した際には、経香ちゃんが食べたと見られるコンビニ弁当が空になっていたという。
経香ちゃんは身長120センチ、体重25キロで中肉、おかっぱ頭。
白い無地のTシャツに薄水色のショートパンツ、赤い運動靴を着用していた。
事件から3年になるこれまでに捜査員延べ8050人を動員して捜査、またポスターによる情報提供の呼びかけをしたが、有力な情報は得られていない。
無事帰ってきて・・・情報提供求むより

この事件は87年根本直美さん(15)失踪現場に近い。5~6kmしか離れていない。そこで2事件を一括りに見たいが、事件の間隔は15年と大きく開いている。また、ロリコン犯罪としても年齢が異なる。別種の事件ではないだろうか。日本全国に点在する少女の行方不明事件のうちの一件ではないだろうか。このような少女たちは人知れず殺されている可能性が高いのだろう。新潟では9年に渡る少女監禁事件もあったが、それは例外中の例外だろう。

★この事件と有希ちゃん事件との関連を疑わせるものは年代の近さ、身長がほぼ同じこと、などだが、臭い的には異なる。関連がないとみていいのではないか。


■■■以上、北関東3県においての未解決事件をざっと見てきたが、初めに書いたように、行方不明事件をも含めて、いずれの事件も有希ちゃん事件との濃い関連性はないように思える。有希ちゃん事件は極めて特異だ。

最終更新:2009年07月21日 01:14