【旗上の空戦・決着】


 黒い天井を蛇行する一筋の光。
 転がり込んだ谷間は地表の僅かな裂け目に対して、内部は洞窟のように広かった。
 地上の『竜骸山』を迂回するように伸びている。
 奥へ進むほどに後ろの岩を崩す音は小さくなり、涼しい日陰の空気がそれ以上に冷たくなっていく。
「ひゃあ!?」
 動物なのか闇精霊なのか分からない何かが壁や足元をすり抜けていき、セニサが悲鳴を上げる。
 進んでいく内に、前から出口の光が見えてきた。

 しばらくぶりの強い光に目がくらむ。
 光に慣れてくると、目の前に白い山がそびえていた。
 分厚い曇天の空の下、それほど高くない山に季節外れの白い雪が積もっている。
 常冬の山。
 洞窟の出口で道は途絶えていた。
 頭上の地表から真下の緑が生い茂った地面まで、100m以上はある巨大な断崖絶壁。
 更に岩壁は常冬の山を取り囲むように左右に広がっていた。
 おそらく台地の中で、この先の一帯が巨大な陥没穴になっているようだ。
 その上空だけを灰色の雲が覆っていた。
「これが、魔の空域か」


 ズドン。
 再び、大地を揺さぶるような音が近づいてくる。
 ワイバーンたちは地表の割れ目を辿って追いかけてきたらしい。
 ゴーグルを下ろした須賀洋人さんが穴から身を乗り出して、確かめるように下を見ている。
 嫌な予感。
「この崖、飛び降りる自信はあるか?」
 言うと思った。
 そう言われて覗いた崖の下は今までないほど高く見えて、思わず脚がすくむ。
「うぅ…」
 十分な風精霊を呼べるだろうか。
 呼んだとしても、落下しながら地面に辿り着くまで、初対面の精霊に安定して貸してもらえるだろうか。
「…ないです」
「そっか、よし分かった」
 そう言いながら須賀洋人さんはロープや何やら用意し始めた。
「あの…通じてます?私は降りられないって」
「もちろん。だから降りられる自信がある俺が君を抱えてパラシュートで降りる。タンデムジャンプだ」
「え!?」
「余裕さ、君と初めて会った日はもっと高い浮遊島から降りてきたんだ」
「あれは森の中で、しかも私の家があったからで、今回は…」
「君がいる」
 ゴーグルの奥の目は崖の下ではなく、まっすぐ私を見据えていた。
「君はどうだ?俺を信じるか?」
「分かりません…」
「なら、信じてくれ」


 洞窟の内側に戻って、セニサがいつもの笛を取り出す。
 木製のパイプを翼のように束ねた、オルニトの歌う翼(カンターラ)パイプ。
 灰色の両翼でそっと構え、気を落ち着かせるように大きく息を吐く。
 それから胸元の羽毛が膨らむくらい息を吸って、一番端の長いパイプに唇を付ける。
 この小さな世界に風が吹いた。
 荒涼とした大地を渡る風のように力強くも澄んだ音色が。
 叙情的な旋律を奏でる翼の間から時折、金色の瞳を閉じた横顔が覗く。
 青く澄んだ空へ思いを馳せるような表情。
 柔らかな唇がカンターラパイプの歌口の上を走り、流れるようなグリッサンドが薄暗い洞窟から外へ吹き去ってゆく。
 リリン、リリン、リリン。
 軽快な鈴の合いの手が入る。
 光精霊が笛の音に合わせて踊るように瞬き、彼女のハーフパンツの腰に付けた鈴が揺れていた。


 木笛(カンターラ)から口を離すと、外から新鮮な風が吹き込んできた。
 外の様子は見えないが風精霊はそこそこ集まってくれたようだ。
 その間に須賀洋人さんに巻きつけられたロープが肩や股関節、彼が付けているハーネスと同じ場所に食い込む。
 彼が何気なく付けているハーネスはこんなに苦しい物だったのか。
 ロープでパッツンパッツンになったタンクトップの胸元を引っ張ろうとしたが、須賀洋人さんが触れ合いそうなほど近くに立っているのを背中で感じた。
 ガチャガチャと音を立てて、私の体のロープと彼の体のハーネスが金具でがっちり繋がれる。
「いいか、笛はしっかり持ってる?」
「うぅ、はい…!」

 ワイバーンの大きな頭がぬっと現れて、出口の光を遮る。
「ラーーック!!」
 出口へ向かって真後ろから杖がすっ飛んでいく。
 須賀洋人さんが手で投げた杖に驚いたワイバーンたちが、穴から離れた。
「行くぞ!」
「はい!」
 決めておいた右足を二人同時に出す。
「「1、2の…3!」」
 足並みを揃えて走り出し、崖の穴から飛び出す。
 周囲に集まっていた風精霊たちもついてくる。
 一瞬、目の前を落ちていく杖が見えた。

 羽ばたきも風精霊もなしの自由落下。
 今まで感じたこともない強い風が体に吹きつける。
 須賀洋人さんが肩の紐を引きパラシュートが飛び出す音がした。
 肩と股間のロープが食い込み、上から引っ張られるようにして体の向きが変わる。
 が、風にも下から迫ってくる地面にも減速は感じられない。
「今だ!」
 風の向こうから聞こえる須賀洋人さんの合図で、翼に持ったカンターラを思いっきり吹く。
 お願い!
 落下しながら吹く笛の音はかなり乱れていた。
 それでも音を聞いた風精霊たちが向きを変えて頭上のパラシュートへ飛び込み始める。
 全身を持ち上げられるような感覚がして落下スピードががくんと減速した。
 見上げると突風状になった風精霊たちがオレンジ色のパラシュートの物珍しさに惹かれて押し上げていた。
 滑空するようなスピードで前進しながら、陥没した大地の底へ降りていく。

 それでも迫ってくる地面はかなりのスピードに感じられた。
 しかも緑のない硬そうな斜面。
 地球人の脚が土むき出しの斜面にランディングする。
 その体を通じて着地の衝撃が伝わってきた。
 ゴツい靴が地面を削りながら猛スピードで滑り降りていく。
「ぬぅぅぅぅ…!」
 彼の両腕がパラシュートと繋がった紐を力強く引っ張る。
 須賀洋人さんは私を抱えたまま立った姿勢を保っていたが、斜面の終わりに脚を取られて二人揃って倒れ込んだ。
 腰にぶら下げた鈴が光精霊を宿したままシャンシャンと鳴り響く。
 目の前にさっき投げたニカーロさんの杖が地面に転がっている。
 そんな視界を遮るように風精霊のいなくなったパラシュートが覆い被さってきた。

 着地、というより落下の衝撃で体が痺れて動けない。
 須賀洋人さんの首元から飛び出した方位磁針も、地面を指したままピクリともしない。
 ギャアギャアと甲高い鳴き声。
 もうとっくに『魔の空域』に入っているのに、まだワイバーンたちは追いかけてくるようだ。
 どうしてだろう。
 口の中の炎を高めているらしい音が聞こえるが、どうすることもできない。
 しかし体に食い込んだロープから金具が外れる音と共に、パラシュートに覆われていた視界が晴れた。
 須賀洋人さんがゴーグルごとヘルメットを投げ捨てて立ち上がっていた。
 彼も諦める様子はない。
「下がれ!」
 大きく口を開けたワイバーンの前、須賀洋人さんが翼のように手を広げて立ち塞がる。
 私は思わず地面にうずくまってぎゅっと目を閉じていた。
 来ないで!

 一瞬の静寂。
 おそるおそる顔を上げると、ワイバーンが空中で大きな口をあんぐり開けたままだった。
 火の気はない。偶然にも火精霊のエネルギーが尽きていたようだ。
 火炎弾がなくとも直接喰らおうと、そのまま牙を剥いて降下してきた。


 正直、かなりのピンチだった。
 立ち上がるので精一杯で作戦はない。
 猛然と突っ込んでくる竜の顎。
 あの下を掻い潜ってパラシュートを被せるか?
 いくらなんでも荒唐無稽だ。
 ワイバーンの向こうで、空を覆う分厚い雲が一瞬光るのが見えた。
 その光が突然落ち、眼前のワイバーンを撃つ。
 天からの一撃。
 思わぬ攻撃を受けた巨体が呻き声を上げて墜落した。

 雪だろうか。
 はらはらと落ちてきたのは白い羽根だった。
「あれは…?」
 曇天を割き、光を纏って純白の獣が舞い降りてくる。
 まさに降臨するが如し。
 真紅の眼でこちらを見据える鷲の頭に、羽毛を蓄えた胸元から伸びる、隆々とした蹴爪の前足。
 背中から広がるのは鳥人よりも更に大きな翼。
 更に、獅子のようにしなやかで逞しい肉食獣の後ろ足が続く。
「…グリフォン」
 セニサがその名を呟いた。

 二頭のワイバーンが戦場に現れた新たな勢力の周囲をぐるぐると旋回しながら威嚇するように唸る。
 動じないグリフォンの白い首元にボロボロの布が見えた。
 それをマフラーのようになびかせながら、雷に撃たれたワイバーンの方に飛びかかって輪を崩した。
 鷲獅子(グリフォン)翼竜(ワイバーン)
 地球では旗の文様でしかない存在同士が、目の前で互いの命を狙い合う激しい空中戦を繰り広げている。
 グリフォンは若いワイバーンと比べても一回りは小さいが、二匹同時に相手にしながら互角以上に渡り合っていた。
 経験値の差、それ以上に生物としての相性を感じる。

 雷に撃たれた方のワイバーンが火球を放つも、グリフォンはひらりと避けて彼らの風上を取る。
 鷲のような頭が天を仰ぎ鋭い鳴き声を上げると、呼応するように分厚い雲から雷が落ちた。
 雷は一番高く飛ぶグリフォンを撃ち、純白の体表を走る。
 全身に纏った光の球がパリパリと放電し始めた。
 首回りにマフラーのように巻いた布が逆立ち、表面の幾何学的な模様が発光する。
 ルーン文字の回路だ。
 マフラーのルーン回路が全身に付き従う光精霊のエネルギーをグリフォンの頭へ収束させていく。
 その瞳が黄金に輝いた時、激しい閃光と轟音が嘴から放たれた。
「きゃあっ!?」
 セニサが悲鳴を上げるほどの電撃は、一度撃たれて動きの鈍っていたワイバーンを再び捉えた。
 それからグリフォンは息も絶え絶えになったワイバーンを一方的に攻め立て、ついには鋭い嘴がワイバーンの無防備な喉笛を捉えた。
 そのまま真っ逆さまに落下して地上の小高い岩山へ叩きつける。
 大地を揺るがす衝撃と土煙。
 土煙が晴れた時、若くして息絶えたワイバーンと、その上に四足で雄々しく立つグリフォンの姿があった。


 同族を討たれたもう一匹のワイバーンが、激しく威嚇するように鳴く。
 その様子を厳かに見ていたグリフォンが再び飛び上がる。
 軽やかで力強い飛翔であっという間にワイバーンの上空を取ると鋭い嘶きで雷を呼ぶ。
 首に巻いた布のルーンに光精霊のエネルギーが流れ込み、全身の白い体毛がゆらゆらと逆立ち始めた。
 鈴に宿っていた光精霊も呼応するように、安定した光の球形から不規則に放電をしている。
 ニカーロさんはここのワイバーンは地上の動物を獲物としていると言っていた。
 対してグリフォンはワイバーンのように空を飛ぶ動物を獲物にするハンター。
 勝負は決まりきっていた。
 ワイバーンはもう火炎ブレスすら残っていないが、それでも牙を剥く事をやめない。
 どうしてだろう。
 考えるまでもない。彼らもまた食われるつもりはないのだ。

 その時、横で同じく戦いを見ていた須賀洋人さんが口を開いた。
「セニサ、光の杖だ」
「え?」
 彼は転がっていた杖を手に取って続ける。
「この杖にその精霊を乗せてくれ!ほんの少しの間保てばいい」
「は、はい!」
 鈴に宿っていた光精霊を杖のフックに乗せ、翼を使った身振りで圧縮する。
 もちろん光精霊にとっては鈴の方が居心地はいいだろう。
 でもほんの少しだけでいい、力を貸して欲しい。
 パリパリと音を立てて興奮していた光精霊が少しずつ安定状態に収まっていく。

 グリフォンの周囲の光精霊の奔流が収束し始めた。
 その眼が黄金に光る。
「間に合えぇぇっ!」
 須賀洋人さんが全身の力を込めて杖を投げ放つ。
 宿した光球が空に青白い筋を描きながら、杖は真っ直ぐ飛んでいく。
 グリフォンの口から閃光が迸る。
「伏せろ!」
 光の炸裂が全てを呑み込んだ。


 何も聞こえない。
 いや、他の音を全てを塗りつぶす耳鳴りだけが聞こえる。
 視界が戻ってくると、隣にいるセニサが地面に突っ伏したまま両翼で頭を覆うように耳を塞いでいるのが見えた。
 埃っぽい風が吹いてくる。
 見上げるとホバリングをするグリフォンが見えた。
 耳鳴りが収まって、その羽ばたきが聞こえてくる。
 そしてもう一体、ワイバーンは地面にいた。
 黒焦げにはなっていない。
 ワイバーンの目の前、彼らが空中戦を繰り広げていた真下に黒焦げの杖が突き刺さっていた。
「間に合った…」
 間一髪、光精霊を宿した杖が避雷針になってグリフォンが放った雷を逸らす事ができたようだ。
「…みたいですね」
 セニサも土にまみれた顔を上げていた。

 生き残ったワイバーンは今一度威嚇するような鳴き声を上げてから、峡谷の方へ飛び去っていった。
 こうして彼らは『魔の空域』を飛んではならない事を、光精霊を恐れる事を学ぶのだろう。
 グリフォンは獲物を仕留めた岩山の上に着地する。
 それから、勝ち鬨を上げるように咆哮を上げた。
 空の王者を取り巻く光精霊達はエネルギーを使い果たしたのか、穏やかに明滅している。


「まさか異世界の動物がルーンまで使うとは思ってもなかったよ」
「天然のルーンというのもあることにはありますけど、流石にあれは人間の作った物のはずです」
「じゃあ、あれは飼われているグリフォンってことか?」
「飛ぶ人を襲うから普通、オルニトでは飼いませんけど。でも小さい時から育てていれば、人の言う事を聞くようにはなるそうですよ。例えばクルスベルグではグライフリッターって言ってグリフォンに乗る人が…あ」
「どうした?」
「クルスベルグですよ。ニカーロさんがクルスの人に商売しようとした人たちが来てたって。きっとグライフリッター用のグリフォンをここで捕まえるためだったんです」
「へぇー」
 首に巻いた布は随分とボロボロで元の色も分からなくなっていたが、元はいい布だったらしく精緻に織られていて規則的な長方形の縫い目が入っていた。
 更にその上から刺繍されたルーンは少しも綻んだ様子がない。
「様々な方向から光精霊のエネルギーが流れ込んできて、それを首元の一箇所へ集約させるルーンですね」
 ルーンの回路としても隙のない造り。光精霊を強力な武器に出来るだけの事はある。
「周囲の光精霊を安定化させる効果もありそう…」
「あれだけでよく分かるな」
「少なくとも私がああいうルーンを描くなら、そういう感じかなって」
「なるほど、そう見るのか」
「布の様子からすると何十年も経ってるはずなのに経年劣化が殆どない、なおかつあれだけの精霊エネルギーの流れに耐えられるってことは…輝霊鉄(ミスリル)。あれ、ミスリルの金属糸を使ってルーンを刺繍してるんだ。でもあの布は見た事もないような、どこかで見た事あるような…」
「俺も詳しく見てみるか」
 隣の須賀洋人さんが双眼鏡を取り出して見始めた。
 その首元から伸びているオレンジ色の布は精緻に織られていて、規則的な長方形の縫い目が入っている。
「「あっ」」
 思わず声を上げて、須賀洋人さんと顔を見合わせる。
 彼もその事にほぼ同時に気が付いたようだ。
「パラシュートだ。地球の」


 一陣の風が吹く。
 『常冬の山』がある方から枯れ草色のグリフォンが現れた。
 さっきの鳴き声はこのグリフォンを呼ぶ声だったのだろうか。
 2匹のグリフォンが仲睦まじく嘴をすり合わせるようにしてスキンシップを取る姿は兄弟というより、つがいのようだった。
「普通のグリフォン…うん、ああいうのが普通のグリフォンですね」
 純白の体毛に真紅の瞳。
「アイツ、もしかしてアルビノか」
 野性の世界でアルビノは総じて短命だ。
 本来白くないはずの生き物が真っ白な体をしていればよく目立つ。
 それは捕食者としても被食者としても余りにも不利だからだ。
 今では空の王者と呼ぶにふさわしいあのグリフォンも、昔はミスリルを使ったルーンがなければひ弱な存在だったのかもしれない。
 魔の空域。常冬の山。
 何十年も前。
 地球のパラシュート。
「セニサ、あの白いグリフォンは20年くらいは生きてるかな?」
「グリフォン見たのは初めてですから何とも…でもグリフォンの寿命的にそれくらいでもおかしくないかも」
 そう聞かれてセニサも同じ事に気付いたようだ。
「え?まさか、あれが…」
「エルナンドの旗、かもしれない」
 21年前。
 地球から全く未知の異世界に踏み込んだエルナンド。
 神官軍に追われながらも冒険を続け、この『魔の空域』でまだ雛だったあのグリフォンに出会ったとしたら。
 決して余裕のある状況ではないだろう。
 そんな中で、彼は貴重なパラシュートの布や異世界のミスリルを使って、グリフォンを助けたのだろうか。


 須賀洋人さんは何も言わず、ただ2匹が捕らえた獲物をついばむ姿をいつまでも見上げていた。
 その景色を記憶に焼き付けるように。
 須賀洋人さんが追いかけ続けたエルナンド・コラレスと関係があるかもしれないグリフォン。
 自らの領域に入ってきた私たちを追いかけ、そして自らが捕食されてしまったワイバーン。
 やがて白いグリフォンが食べるのやめて頭を上げた。顔の周りは少し赤く汚れている。
 宝石のような真紅の瞳がこちらをじっと見つめる。
 須賀洋人さんも真剣な表情で見つめ返す。
 私たちを狙うそぶりは見えない。
 彼らにとって、飛べない私たちは狩りのターゲットではないようだ。
 ワイバーンを誘き寄せたいい釣り餌かもしれないし、狩りを妨げた邪魔者だったかもしれない。

 ふいと頭の向きを変え、広げた翼で力強く風を起こし始めた。
 首に巻きつけた布がはためいてミスリルのルーン回路がきらめく。
 巨大な脚で跳び上がると肉食獣の巨体が軽やかに風に乗る。
 もう1匹も後に続いて飛んでいく。
 2匹は傾き始めた夕陽に照らされて茜色に染まった『常冬の山』の方へ消えていった。
 光精霊たちも次々飛び去る。
 最後に峡谷からずっと付いてきてくれた子が残っていたが、翼を振ってお礼の鈴を鳴らすとチラリと光って仲間たちに続いた。
「はぁぁぁぁ…」
 見届けた須賀洋人さんが大きな溜め息をついて仰向けに倒れこんだ。
 それを見たら私も思わず尾羽を上げたまま横に並んで寝転がってしまった。
「…やったな」
 彼はそう言って寝転がったまま手を差し出してきた。
「え?あー…はい」
 私も立ち上がる気力はなくて、翼を伸ばして差し出された手に乗せるだけで精一杯だった。
 重ねた翼と手はハイタッチで弾くことなく、ただお互いにその重みを感じていた。

「食うか食われるか。道は2つでも、道なき道を切り拓く道もあるのかもしれないな」
「道なき道…」
 ここまで食べるとか食べられるとかあったけど、それだけじゃなかった。
「ならここは、エルナンドさんが切り拓いた道かもしれませんね」
 須賀洋人さんが「おっ」と嬉しそうな声を上げた。
「その口ぶり、セニサもそろそろエルナンドの存在を信じてきた?」
 この人はエルナンド・コラレスの存在を確かめにオルニトまでやって来た。
 だとしたら。
「いいえ、やっぱりあれだけじゃ分からないです。あの布だって、地球のパラシュートじゃなくて、私のポンチョと同じ『空にふわふわと白く曇った山羊』のウールかもしれません」
「そりゃ、そう言われると確かにそうだけど」
「…だから」
「?」
「その、他の伝説も、自分の目で確かめてみないと信じられないかなー…って」
「もちろん、これだけで終わるつもりはないさ。まだまだ見つけたいものはあるし」
 彼は泥だらけの顔でこっちを見ると、にっと笑った。
「セニサがいないと見られないものもあるしな」
「私が?」
「ここからだと…次は『水瓶島』の伝説なんてどうだろう?」
「何ですか?それ」
「彼が訪れたという浮遊島でな、オルニトの山岳地帯のどこかに…」


 ここから二人で見上げる空は雲に覆われていた。
 彼女の言う通り、今日見た物がエルナンド・コラレスの旗である確証はない。
 そこは確かに絵空事かもしれない。
 だが、グリフォンが割いた雲の隙間から、地球のように月が一つだけ見えた。
 その姿にかつて人類が月へ辿り着き、そして残したメッセージを思い出す。
 ここには白く気高い空の支配者と、そのために貴重なミスリルを使った誰かがいた。
 道なき道を切り拓いた誰かが、確かにいたのだ。


HERE MEN FROM THE PLANET EARTH
FIRST SET FOOT UPON THE MOON
JULY 1969, A.D.
WE CAME IN PEACE FOR ALL MANKIND

The Apollo 11 plaque on the Moon


  • 良い~!スレに参加したかった… -- (名無しさん) 2019-10-14 09:57:59
  • パート最終話おつです。知識と精霊と勇気を合わせた行動は異世界ならではかつ等身大の人のアクションという感じで説得力も想像も膨らんだ。洋人のイケメン度が急上昇しているけど気のせいだろうか? -- (名無しさん) 2019-10-14 14:20:29
  • 野生の本能と本能の衝突の迫力に想像を掻き立てるルーンを使うグリフォンは圧巻でした。精霊もすごく頑張っていた。そうかも知れないし違うのかも知れない物事を確かめたく冒険者はまた一歩踏み出すのだろうか。帰る手立てもなさそうなので次なる目標を目指すフロンティア -- (名無しさん) 2019-10-16 02:28:53
  • 皆様コメントありがとうございます。自分も常には参加できてないので、こうしてここで感想を貰えるのは嬉しい限りです。須賀洋人は書いている時はそこまで意識してなかったんですが実際通して読むとちょっと印象が違う気もしますね。いずれにしてもSSが楽しんでもらえて、読んだ人の新たな想像の一助になれば何よりです。それではまた。 -- (書いた人) 2019-10-21 01:34:34
名前:
コメント:

すべてのコメントを見る

タグ:

L
+ タグ編集
  • タグ:
  • L

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年06月13日 23:20