先に動いたのはティッツァーノだった。だが上をいったのはプロシュートだった。



全てがスローモーションのように、ゆっくり流れていく。
研ぎ澄まされた神経は的確に脳を、そして身体を動かす。ティッツァーノはプロシュートが動くより早く、既に動きだしていた。
聴覚が狂ったのだろうか、まるで音が遅れてやって来るかのよう。しかし極限の集中力が生んだそんな不思議な世界の中でも、彼は驚くほど冷静だった。

静脈注射を施す看護師のように、慎重に狙いを定める。狙いは目の前の男、脳髄を吹き飛ばし確実に仕留める。
考えるよりも前に、身体は動いていた。西部劇のガンマンも青ざめる早撃ち、早貫き。既に銃は構え終えていた。
死をもたらす、無慈悲で暴力的な銃口。夜空より更に深い漆黒、底知れない暗がりが、男の眉間に突きつけられていた。


だが対する男は平然としていた。銃を額に向けられていても汗一つかかず、髪の毛一本動かすことない落ち着き。
一枚上手だったのは暗殺チームの一員、プロシュートという男。
敢えて先手を取らしたのか、そう疑うほどに淀みなく、彼もまた、既に動き終えていた。
ティッツァーノが掲げた腕に巻きつかせるように、プロシュートは腕をからめとっていく。
肩と腕の関節を利用して、ティッツァーノの腕を締めあげる。途端にティッツァーノの顔が、苦悶の表情に歪んだ。

銃を持った腕が震える。当然、銃口の狙いは定まらない。
もはや痛みはとうに次の段階へと移り、段々と腕の感覚が失われつつある。
これはまずいことになった。感覚が失われてきたということは、こうしている今にも、銃を取り落としかねないのだから。
制御の利かない腕に必死で言い聞かせ、ティッツァーノはそれでも銃を離さず、殺意を手放さず。

ミシミシ……深夜、病院の廊下の元、青年の腕はしなり、音をたてて軋む。万力のような力で、男は顔色一つ変えず、負荷をかけ続けていく。
その表情に焦りはない。自分が指先一つで死ぬことになる、そんな恐怖を一切感じていないかのようだった。
だが落ち窪んだ目の奥を覗きこんだとき、真っ赤に燃える何かがティッツァーノを見返していた。


 ―――『ブッ殺す』と心の中で思ったなら その時スデに行動は終わっているんだッ


乾いた音を立て、拳銃が床に落ちた。ティッツァーノの指先から滑り落ちた銃を、プロシュートが踏みつける。
ティッツァーノの腕は砂漠の樹木かのように、萎びれ、渇ききったものへと変わり果てていた。
『グレイトフル・デッド』、プロシュートのスタンド能力を前には流石の親衛隊の意地も折れざるを得なかったのだ。

二人は見つめ合う。落ちた銃に目をくれることなく、黙ったまま二人は互いの瞳を覗きこむ。
廊下の先から、再び少女の悲鳴と銃声が聞こえた様な気がした。それでも二人は動かなかった。
頭上に吊るされた避難灯が男たちの顔に影を落とす。プロシュートがゆっくり瞬きを繰り返した。ティッツァーノがそっと瞼をしぱたかせた。
来るべき瞬間が来るのを待つ二人。断頭台に上った死刑囚が運命を受け入れる様、その瞬間をただひたすら、男たちは待った。


 ――― いったん食らいついたら腕や脚の一本や二本、失おうとも決して『スタンド能力』は解除しないッ


しかし……プロシュートはティッツァーノの腕をゆっくりと手離すと、何事もなかったかのように銃を拾い上げる。
そうして、萎びた腕を庇うようにもう片方の腕でさするティッツァーノに、銃のグリップを突きだした。
親衛隊の男は肩で呼吸をしながら、目の前の男と銃を、ゆっくりと見比べた。

その男の意志が全く読めなかった。目の前の男が一体何を考えているのか、全くわからなかった。
ポタリ、音を立てて、ティッツァーノの顎先から汗が一滴、流れ落ちる。

たった今、敵と認識した男に再度獲物を渡すという行為。敵に塩を送ることなんぞ、この男が最もしないであろう行為だ。
慈悲だとか、正々堂々だとか、そんな言葉はプロシュートに全く持って相応しくない。

困ったら殺す、面倒になったら殺す。敵ならば殺す、味方であろうと時に殺す。
それは何も暗殺チームに限ったことでなく、ギャングならば誰もが実践する原則的ルールだ。ましてやプロシュートは暗殺チーム所属の男。
今さら殺しに躊躇いなんぞはまったくないだろうし、彼以上に殺しを徹底してきた男はいないはずだ。
だというのに何故殺さない……? 何故今さら殺さないという結論に至ったのか……?
何をどう考えたら、たった今銃を突きつけ、その上スタンドを曝け出した相手に、武器を渡すような行為に及ぶのか。
ティッツァーノには全くわからなかった。いくら考えても答えは出てこなかった。

沈黙が続く。空気が凍りついたまま、しばらくの間、時間が流れていった。
やがてプロシュートは我慢しきれなくなったのだろう、半ば強引に彼の掌に銃を押しつけ、そして、くるりと背中を向け走り出していった。

最初はゆっくり、そして次第に駆け足、最後には全力疾走。
暗殺チームの男は一度たりとも振り返ることなく、そして一瞬たりとも立ち止まることなく、瞬く間に廊下の先へと姿を消した。
差し込む月光の中に消えていったプロシュート。ふと手元へと視線を落として見れば、手のひらに収まった拳銃が一丁、そこにあった。

どんな馬鹿だろうと、どれほどマヌケであろうとも、誰だってできる簡単なことだった。狭い廊下ではかわすこともできないし、加えて男は背中を向け走っている。
拳銃を狙いに向け、引き金を引くだけ。それだけで男はもんどりうって、その一生を終えるだろう。たった、それだけのことで。
ティッツァーノはぎこちなく銃を構えると、男の背中に狙いを定めた。対象を真ん中に合わせ、あとは指先に力を込めるだけ。

だが、できなかった。ティッツァーノは引き金を引くことができなかった。
ティッツァーノは馬鹿の一つ覚えのように、その背中を見続ける。
それは何故か。ティッツァーノは今気がついたのだ。プロシュートが何故彼を殺すことなく、そして何故平気で銃を手渡したのか。
それに今、ようやく、気がついたのだ。

男は知っていた。ティッツァーノが引き金を引けないことを。親衛隊所属の男に自分が殺せないことを。
武力や方法という意味ではない。
ティッツァーノには覚悟がなかった。喰らいついてでも必ず成し遂げて見せる、そんな覚悟が感じられなかった。
ティッツァーノには勇気がなかった。どこかで諦め、言い訳していた。思考即行動、それを妨げる、一歩踏み出せない遠慮を男は嗅ぎ取っていたのだ。
だから銃を渡した。だから背を向け、彼は一目散に走っていたのだ。何も心配することなく、殺されないという確信を持って。


『覚悟』がないことを見透かされた。そう、ティッツァーノは『情け』をかけられたのだ。
見下され、蔑まれ、憐れみを……ッ 同じギャングでありながら、暗殺チーム、プロシュートという人間に彼は……ッ


自分の愚かさに気づいたティッツァーノは愕然とした。そしてそんな彼の視線の先から、いつのまにか男は姿を消していた。
後に残されたのは惨めで、間抜けな、敗残兵。真っ暗やみの廊下の下、放り出された一人の、哀れな敗北者。
たった今受けた屈辱、そして最後に男が投げかけた視線。男の後ろ姿が彼の瞼に焼きつき、ティッツァーノはただ、立ち尽くすしかなかった。






研ぎ澄まされた感覚は玄関への扉をぶち開くとともに、一つの殺意を感じ取った。
すかさずプロシュートはその場から逃れるよう、近くの机の下へと飛び込んだ。
直後、彼がたった今いたであろう場所に弾丸が撃ち込まれる。タァン……、重量感を持った銃撃音が部屋内にこだましていった。
プロシュートは闇夜に目をこらし、狙撃手の姿を探る。同時に、今ここで何が起きているのかを、瞬時に把握していく。

見張り番を頼んだはずのマジェントの姿、見当たらず。マジェントが見張っていたはずの老人、同じく見当たらず。
室内、荒れた形跡有り。広いロビーは所々影になっていて隅まで見渡すことはできないが、物を引きずった跡や、家具が動いた形跡がある。
破壊された形跡、特になし。何者かがここで暴れまわったことはなさそうだ。それはつまり、大規模な戦闘は起きていないことを意味している。

プロシュートは考えを進めていく。弾丸飛び交う戦場であろうと、彼は常に冷静だ。

プロシュートはマジェントがもう既に死んだものとして考えを進めていた。それは何故か。
マジェントが言いつけを破って単独行動をするようには思えないのだ。短い付き合いだが、ある程度、彼のことは理解したつもりでいる。
そんな彼がいるべきはずの玄関にいない、姿を見せない。となるとその理由は必然的に一つになる。
マジェントは姿を現すことができない状態にいる、すなわち既にマジェントは死んでいるのではないか。
プロシュートはそう考えていた。

『20th Century BOY』は強力なスタンドだ。だが強力な能力ゆえに、本人の注意力のなさは際立つほど、ない。奇襲から即死、その可能性は十二分にあり得る。
また、これは室内が荒れていないことの裏付ともなる。侵入者はマジェントを一撃で仕留めた、あるいは本人が侵入に気づく以前に殺したのではないだろうか。

ここで疑問になって来るのが、果たしてプロシュートを撃ち殺しかけた相手とマジェントを仕留めた相手は同一人物なのかという点だ。
プロシュートが部屋に飛び込んできたとき、咄嗟に相手は銃を使って攻撃してきた。そう、主な攻撃手段は銃なのである。
ところが玄関の窓は一枚も割れていない。それどころかヒビ一つ入っていない。
そうなると、仮にマジェントが銃殺されたとすれば、窓の外からの狙撃ではなく、面と向かって射殺されたことになる。
それは不可解だ、プロシュートは不機嫌そうに顔をしかめた。
どれだけマジェントがマヌケであろうと、面と向かって銃殺されるほどの大馬鹿ものではないとプロシュートは思っている。
ならばマジェントを殺した人物と、今プロシュートを狙撃している者。これは別々の人物ではなかろうか。
つまり、病院内に忍び込んだ参加者は、少なくとも二人以上いるのでなかろうか。

そこまで考えた時、もう一度聞こえた銃声に思わずプロシュートは首をすくめた。
一度思考を中断すると、男は神経を集中させ気配を探っていく。銃弾は彼に着弾することなく、見当違いのところへ撃ち込まれていた。
銃撃音は室内に反響するため、音から狙撃手のいる位置は容易には掴めない。しかし銃撃の際出たフラッシュのような閃光、それを彼は見逃さなかった。
闇夜に浮かぶガラスが鏡代わりに、一瞬だけ散ったスパークを映しだしていた。そして青白く浮かび上がった少年と少女の顔を、プロシュートは見過ごさなかった。

『グレイトフル・デッド』はそこまで素早いスタンドではないが、注意をしていれば銃弾をはじき返す程度のことは可能だ。
プロシュートは音もなく身体を滑らし、机の影から抜け出す。そうして徐々にバリケートへと近づいて行く。
暗殺者は影のように静かに、闇へ姿を紛らし、接近する。彼の狙いは今しがた見つけた二人組に接触すること。

マジェントを打ち破った者、プロシュートを狙う子供二人組。どちらが与しやすいかと問えば、間違いなく後者だ。
敵の敵は味方。実際のところ子供二人を味方にしたって、戦力になるとは思えない。だが、彼の狙いは二人を味方につけることよりもむしろ、彼女たちに敵として認識されないことにある。
一対一対一 よりも、ターゲットを一つに絞り込む。懐柔する際にリスクはあるが、とりあえず背中を撃たれる危険が減れば、それだけでもお釣りが返ってくる。

体勢を低く、ソファーの影に滑り込んだ。目標の二人組は、まさにこのソファーの裏側に陣取っているに違いない。
困難な事は二人組に話をつける前に狙撃されることだ。同時に、第三の敵にも注意を払わなければならない。
厄介な任務だな、プロシュートは冷静な分析の元、そう判断する。しかし最悪ではない。
これより遥かに難関な暗殺を、彼は何度も成功させてきたのだ。この程度で怖気ついたり、怯んだりする男ではない。

「おい、ガキとお嬢ちゃん。聞こえるか」

距離にするとソファーを挟んで僅か一メートル以内。物陰の裏側でビクリと人が震える気配がした。
可能ならばゆっくり、じっくりと説き伏せたいところだが今は時間がない。マジェントを殺した未知なる牙が、今こうしている間にもプロシュートに迫っているかもしれないのだから。
できる限り単刀直入に。そう思い、男は畳みかけるように言葉を繋げようとした。

直後、長年の勘が我が身に迫る危機を察知する。直感的に、二人組がいるであろう、ソファーの裏側へ身を躍らせた。
ほぼ同時といっていいタイミングで、プロシュートの耳を打つ二つの風切り音。
一つは銃声、一つは彼を掠めるように飛ばされた針の発射音。間一髪のところで、男は危機を脱することができた。

突っ込んだバリケード内、ソファーや椅子に囲まれた狭い空間。飛び込み、受け身をとると、プロシュートも思わず息を吐いた。
流石に紙一重のところで死地を切り抜けると肝が冷える。きっとこの二人の銃撃がなければ、針はプロシュートの身体を的確にとらえていただろう。
ほんのわずかだけ、本当に掠めていっただけだというのに、その針はプロシュートの上等物のスーツを台無しにし、その下の皮膚まで被害を及ぼしていた。
火傷のように、チクリと走る痛みにプロシュートは生きていることを実感する。そして同時に、直撃していれば死は免れなかったな、そう思いゾッとした。

とにもかくにも、予定していた形とは随分違うが、二人組と接触することには成功した。
プロシュートが死なないよう銃で牽制してくれたところをみると、敵意はそれほどないとみていいだろう。
借りを作ってしまったことは癪だが、この際、それは置いておく。とりあえずの礼を言おうと、彼は振り向き、そして、開きかけた口を閉じた。

少女にほとんど抱きかかえられるように、支えられている少年。彼には腕がなかった。
本来なら腕があるべき場所にポッカリと闇が存在し、歪んだ暗闇がプロシュートを見返していた。
ほとんど涙目の少女が、少年の顔にかかった髪の毛をかきあげてやる。鬱陶しそうに彼は少女を睨みつけるも、文句を言わず、ただ辛そうに深呼吸を繰り返していた。


 ―― もう長くないな


プロシュートは冷静に、そう判断する。
今しがた男を射殺しかけた針を、少年はまともにくらっていた。針は十中八九スタンド能力だろう。
刺さった部分から肉を溶かす毒が流れていくようだった。毒は継続的なもので、その上即効性充分のようだなと、プロシュートは自分の傷と少年の状態を確認し判断する。
針が着弾したのは左肩の下あたりだろう。場所が悪かったな、心臓まで毒がまわり、その上肉の爛れが止まらない。
やけに少年の呼吸が荒いのは、融解が内蔵機器まで届いているからだろう。脂汗の量が尋常でない、体温調節もやられているのかもしれない。
皮肉な事でいくらここが病院だからといって、処方できる医師もいなければ、スタンドを処置できる特殊器具なんぞも存在しない。
つまるところ、少年は運が悪かった。プロシュートに言わせればたったそれだけのことだった。

そう、普段の彼ならばそれまでだったであろう。苦しそうなガキがいようと、彼には関係ない。
彼はそれこそ、哀れなガキが惨めに死んでいくところを嫌になるほど見てきた。今さら目の前で二人や三人ガキが死のうと、何ら感慨を抱くことない。
そういつもの彼なら考えていたであろう。

だが、今回ばかりは違った。プロシュートは手を伸ばすと少年の頭を乱暴に握った。そして同時に真正面から、彼と視線を合わせた。


「―――……チッ」


“人殺しの目”、少年の奥底にはプロシュートの中にも潜む狂気と殺意が、幾重にもなって渦巻いていた。
彼は自分自身を少年の中に見た。少年の中に潜む、どうしようもない燃え盛る情熱を、彼は見逃すことができなかった。
見つめ合ったまま、プロシュートはゆっくりと口を開く。僅かにでも視線がぶれるようであれば、そこまでのガキだ。
だがもしもこの子供が、復讐を願うようならば。心の底から、神に何者かを殺すことを祈るような狂信者であるならば。

「坊主、殺したいか。お前をこんな風にしちまったどっかの誰かが、憎いか、殺したいか」

不用意に答えれば浅はかさを見透かされ、考えなしにその問いに答えれば後悔することになる。
低く押し殺したその問いかけには凄味があった。長い間その界隈に身を置いた、一流の男が醸し出す威圧感に、千帆は身を震わした。
だが、早人は脅えなかった。唾を飲み込み、呼吸を整えると言葉を返す。小さな声だったが、一切迷いのない返事だった。

「憎くはない。どうしようもないことだったし、今さらどうのこうのしたって自分が手遅れだって事には気がついてるさ」

だけど、そう最後に付け加える早人。少年は男を見た。男は少年を見返した。

「決着がつけたいんだ。腕の一本をもいだところで僕が負けたってことにはならない。戦いは、まだ終わってないんだから。
 僕は見せつけてやりたいんだ。僕の覚悟を、僕の根性をッ
 終わらせるんだったら僕の手で。このまま、舐められたまま終わるだなんて、まっぴらだ……ッ」

少年がそう言いきると、再び沈黙が三人を包み込んだ。
そして、唐突に男は少年に問いた。名前は何と言うのか、と。
少年は答えた。川尻早人、そう答え、彼は男の返事を待った。
二人は会話を終えても互いを見つめ、そしてどちらからともなく息を吐いた。


「いいだろう……助けてもらった借りもある、一時とはいえ手を組んだ相手を始末された“礼”もある。
 川尻早人、テメーの依頼、暗殺チームのプロシュートが、確かに請け負ったッ」


プロシュートが言った。その言葉には力が込められ、彼の目はらんらんと輝いていた。
単なる怨恨だけならば或いは話はもっと単純に終わっていたのかもしれない。男はそこまで少年に期待していなかったのだから。
だが彼は会話を通し少年の覚悟を受け止め、そして会話以上に心そのもので川尻早人の覚悟を理解した。
そしてその瞬間から、プロシュートにとって彼は少年ではなくなった。
男にとって彼もまた、認識すべき男になったのだ。敬意を払うべき誇り高き魂を、少年の瞳に見つけたのだ。


「さぁ、出てこい、臆病者のマヌケ野郎ッ 出てこないってなら……俺のほうから炙りだしてやるぜッ」


そう、プロシュートは見たのだ。川尻早人の瞳に映る漆黒の殺意が拭い難い、屈折した輝きを放っているのを。


「グレイトフル……、デッドォオオ―――ッ!」


傍らに出現したスタンドが煙を撒き散らしていく。病院全てを飲み込むような、濃縮された霧が辺りを漂い始めていた。
やるとなったらとことんやる。手を抜かず、最初から全力全開の真っ向勝負ッ それが川尻早人への最大限の礼儀となるッ
プロシュートは叫ぶ。己の分身の名を呼び、彼はありったけのスタンドパワーを振り絞った。






グレイトフル・デッド、彼のスタンド能力は老いを増進させること。
その射程距離は丸々列車一つを包むほどであり、また直に触れれば一瞬で相手を老化させることが可能だ。
だがこの能力、一つ弱点がある。氷や冷水によって体温をさげれば、老化のスピードが緩やかになってしまうという点だ。
尤もこの弱点に関しては、スタンドの担い手であるプロシュート自身には関係ない。
彼にとっては未来の出来事だが、実際にプロシュートは護衛チーム暗殺の際、自らを老化させることでグイード・ミスタを欺いたことがある。
すなわち、彼自身は老いの超越者なのだ。プロシュート自身は、老いのスイッチを自らオン・オフ、切り替えることが可能なのだ。

そう、可能『だった』はずだ。スティーブン・スティールによる、ふざけた制限というものがなければ。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
「プロシュートさんッ?!」

千帆が悲鳴を上げた。彼女の金切り声を無視して、プロシュートは構わずスタンド能力を発動し続けた。
彼の体が酷使に耐えかね、老木のように枯れ果てて行っても、ボロボロと崩れ始めても。男はスタンド能力を止めようとしなかった。
プロシュートが吠える。辺りに漂う霧が一層濃くなり、彼自身の体の震えが大きくなった。
それでもやめないッ プロシュートは叫び、病院全体がビリビリと揺れ始めていたッ

プロシュートはここに来るまでに支給品の水を使い切っていた。それは何故か。
制限だ。忌々しいことに、彼のスタンド能力は制限されていたのだ。それも、彼が最も屈辱的だと思う方法で。
射程距離が制限されていたならば、戦い方を変えればいい。能力発動に時間がかかるようなら戦略を練り、頭を絞ればいい。
だが主催者は違った。彼らが仕掛けた制限とは『プロシュート自身にも霧の効力が発動する』、そして『プロシュート自身で老いのオン・オフをコントロールできない』というものだった。

これによって、スタンド使い本人であろうと老いを解除するには身体を冷やさなければならなかった。また、老人に扮して行動することも不可能になった。
だから彼は当初、マジェントと遭遇した時、水をかぶっていたのだ。自らのスタンドの不調に気づき、検証を重ね、彼は自身の能力の異変に気付いたのだ。
制限を気にしては全力で戦えない。必ずどこかでブレーキを踏みながら戦わざるを得なくなる。
それは胸糞悪くなるような、屈辱的な気分であった。怒りのあまり吐き気を催したほどだった。
彼らが施した制限とは文字通り、飼い犬に首輪をつける行為であったから。暴れる獣の牙や爪を奪う行為であったから。


   だがッ! プロシュートという男はッ だからといってそこで留まるような『臆病者』では断じてないッ!


「いったん食らいついたら腕や脚の一本や二本、失おうとも決して『スタンド能力』は解除しないッ!
 やれ、グレイトフル・デッド……全力全開、この病院を、崩壊させてやろうじゃねーかッ」

男は思う。川尻早人の言うとおりだ。舐められたままで終わるだなんて、まっぴらだ、と。
その通りだ。彼はプロシュートと同じだ。プロシュートと早人は似ているのだ。
川尻早人は針のスタンド使い、プロシュートはこの催しものを管理しているクソッたれ眼鏡ジジイ。
相手は違えど互いに抱く感情は一緒だ。それがわかったからプロシュートは手を貸したのだ。
自分と同じ、誇り高い魂を早人の中に見つけたのだから。

「目にもの見せてやろうじゃねーか、川尻早人……ッ
 踏ん反り返って、こっちを見下す頭でっかち野郎。イイ気になっていられるのも今のうちだ……ッ!」

川尻早人、そして双葉千帆のみを避けながらスタンド能力を展開していく。それも制限下という慣れない状況で。
だがプロシュートはやってのけた。自らの体に鞭を撃ち、加速的な疲労を身に感じながらも、彼はスタンド能力を解除しない。
彼は屈しない。他人が作ったレールなんぞぶち壊し、囲い込まれたルールを蹴破った。
死をもってしても、プロシュートの誇りだけは奪えやしないッ!

直後、ソファーと椅子の隙間をぬってプロシュート目掛けて飛ぶ針一群。
目で捕えど、回避が間にあわない。老化した身体は言うことを聞かず、プロシュートは迫りくる針を前に動けない。
だが焦りはなかった。とっさに千帆が自らのデイパックを放り投げるのが目に映った。針はいつものスピードもキレもなく、少女でも十分対処できるほどであった。
凶暴な笑みが男の口元に浮かんだ。グレイトフル・デッドは効いている。それは針のスピードが格段に落ちたことからも明らかだった。
そしてクソッたれスタンド使いもそれがわかっているから、虫の息の早人よりも、容易く仕留められるであろう千帆よりも、プロシュートを狙ったのだ。

プロシュートが吠える。隣で少年が、少女に寄りかかりながらも銃を構えた。
ピンチの後にチャンスあり。射撃型スタンドは攻撃の際、一番大きな隙を生む。攻撃は即ち、自らの位置を知らしめる行為なのだから。

「やれ、早人ッ!」

鳴りひびく銃声、再度飛来する針。弾丸と針は宙で交差することなく、それぞれがターゲット目掛けて飛んでいく。
銃弾は獲物をしっかりと捕えていた。川尻早人はやってのけたのだ。彼は自らの屈辱を、その手で晴らすことに成功した。
耳障りな獣の悲鳴が天井に反響し、男は少年が成し遂げたことを確信した。そして同時に、自分がどうしようもない状況に陥っている事も、また、理解した。

銃弾と同時に放たれた針、これに対処できる人物がいない。
早人は銃を握っていて、片腕はない状態。千帆はそんな早人を抱え、狙いがぶれることないよう支えていた。
自身はどうだ。いいや、彼はとうに限界を迎えていた。
病院を包み込むほどの霧を展開しつつ、早人たちの場所にだけ能力が行かないようコントロール。その上、自らも可能な限り老化しないように神経を振り絞ってきた。
それでもいくらか霧はコントロールしきれず、プロシュートは弱っていた。飛んでくる針を避けられぬほどに、彼は力を振り絞っていたのだ。

針の狙いの先はプロシュートッ! 肉溶かす死神の刃が、彼に襲いかかろうとしていたッ!
迫る……迫るッ! 回避、間に合わない。撃撃、整わないッ
身体を捻るも、射軸から逸れることはできないだろう。軌道を辿っていけば、針はプロシュートの頭部のど真ん中を直撃する。
即ち、プロシュートはここで死ぬ。男の戦いは呆気なく、ここでお終いだ……―――

 ―――連続して、銃声音が響いた。放たれた銃弾がプロシュートの目前で、針を一つ残らず、弾き飛ばしていった。


振り向けば、廊下へ続く扉の脇に人影。いつの間に、いつからそこいたのだろうか。
白く長い髪をなびかせた一人の男が、こちらに銃を向けたまま、そこに立ちつくしていた。
手に持った銃口から立ち上る煙。プロシュートの危機を救ったのはティッツァーノ。
今しがた、プロシュートによって生き永らえた男が氷のように冷たい目で、暗殺チームの男を睨みつけていた。

「……これで貸し借りはなしだ」

不機嫌そうに、彼はそう言った。そしてもはや関係なし、そう言いたげに壁に背を預けると三人と一匹の様子をただ見守っていた。
プロシュートは口角を釣り上げ、何も言わなかった。無様なところを見られた気恥ずかしさがあったが、それを振り払うように彼は今一度、力を振り絞る。
スタンドを再度出現させ、大地へと掌を叩きつける。スタンドパワー全開……ッ! 彼はもう一度、あらん限りの力で叫んだッ!

「グレイトフル・デッドォオオ―――ッ!」

一瞬の静寂が訪れ、そして、ギャース、そう小さい鳴き声が聞こえてきた。
早人の銃弾を喰らいながら、逃げおおせようとしていた小さなスナイパー。
立ち込める霧の中、鼠は手足が痺れたかのように震わせ、弱弱しげにその場に倒れ伏した。
こうして獲物は遂に捕えられ、ここに戦いは決着した……。




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最終更新:2012年11月15日 21:58