90.


「ヤントラ」という文字が使われている,とある草原地帯.東の国は北部の大砂海を越
え,更に南部の大沼地を越えた,そのところが私・・・いや,私たちの今の目的地だ.

謎が謎を呼ぶなか,私は自分の頭の中を整理しようと,レース会場にある一つの腰掛け
に座った.私の記憶世界であるハウスの動力炉という存在,「悪魔」,「天使」と呼ば
れる者たち・・・.それぞれ,オルテガと記憶士の少年から告げられた驚くべき真実を
私は,できることなら今すぐにでもその真実を確かめたかった.しかし,オルテガは,
飛空挺ファンタズマゴリアの修理をしていたし,記憶士の少年は,私の心の中のアンセ
ーヌといがみ合い,疲れているらしく,もっと詳しい話を聞くに聞けなかった.

"ヤントラフィールド"・・・.それが「とある草原地帯」の名前だった.この草原地帯
と,記憶士の少年が言っていた「天使」・・・ヤントラという古代魔法の発動に精を出
している者たち・・・との関連性はあるのだろうか.私はあると思っている.


91.


「クスフス,飛空挺の修理が終わった.もういつでも目的地へ飛んでいけるぜ」

オルテガがそう言いながら私の横に座った.そこで私は,「ハウスの動力炉」について彼
に色々訊こうと,地図を丁寧に畳みしまい,彼に向かってこう尋ねた.

「なぁオルテガ.さっき君が言っていた『ハウスの動力炉』について訊きたいことがある
んだけど」
「ん?ハウスの動力炉についてか.それで,何が知りたいんだ?」
「まず,動力炉そのものについてだ.この世界は僕の今までの記憶が元になってできてい
るんだろう?そもそもの話,僕は自分の理想郷を探す旅に出たはずなんだ.その旅を始め
た時点から,もう既にハウスに,この閉じ込められた世界にいたことになるのか?」

私は何がどうしたのかさっぱりで,混乱し始めていた.やがて,心の中のアンセーヌが言
うことには,

「取り乱さないで,クスフス.あなたが今まで出会ったもの・ひとたちは,確かにあなた
が過去に経験したものなのよ.だからお願い,負の感情であなた自身のしてきたことを顧
みないで」

と.


92.


アンセーヌに気を落ち着かせてもらったが,私は已然として,自分がこれまで歩んできた
旅について疑問を持っていた.今までは,それは一時的なもので,「次の目的地」があっ
たから,一時的に忘れられた.しかし,今回ばかしは,納得がいかなかった.ヤントラフ
ィールドという目的地があるにせよ,私はもう一度,この旅の意義について考えていた.

旅を始めた時点でもう既にハウスにいたのなら,旅を始める前の私自身のことを思い出し
てみればよいのだ.旅を始める前の私.「何かしよう」として,思い立ったこの旅.それ
までは「何もしない」で生きてきた.私は,自分を変えたかったのだ.その決意が,私を
ここまで歩ませた.

果たして,私はいつからハウスにいたのか・・・.自分を変えようとして出た旅の道です
ら,ハウスの中・・・いや,昔の自分の記憶世界の中でのことなら・・・.私が,やっと
のことで思い起こした旅も,過去の自分に依存するのなら・・・.


私は・・・このハウスなんか,いらない.


93.


そこへ,私の心の中のアンセーヌが直ちに言うことには,

「ちょっと,クスフス!それは本当にあなたが思っていることなの?!ちょっと前,北の
国と東の国の境目であなたが思ったこと・・・

『このハウスと呼ばれる世界を存分に味わってから新しい記憶を体験しても良いだろう』

…これは嘘だったの?」
「ああ,そう思ったこともあったね.でも君は僕が東の国へ行くかハウスを脱出するか気
にも留めていなかったじゃないか.君は,まだ僕に話していないことがあるね?」

私がそう答えると,心の中のアンセーヌは黙ったままだった.しかし,僅かの沈黙の後,
彼女はこう返した.

「いいわ.私が『記憶』について,まだあなたに話していないことを話すわ.その代わり
に,ヤントラフィールドへ向かっている最中に話させて.次の目的地がある以上,あなた
はそこへ向かうべきよ」
「・・・分かったよ」

私はすぐ横にいるオルテガに,ヤントラフィールドに向かおう,と言うと,彼は,私たち
を含めた四人を乗せたファンタズマゴリアを始動させた.


94.


飛空挺ファンタズマゴリアの甲板にて,私は,心の中のアンセーヌと話していた.

「あなたが持っている記憶・・・は,あなたが実際に何か行動して体験したものの集まり
に過ぎないわ.エコールで私たちが学んだことのある『歴史』・・・というのも「記憶」
と言えるけど,実際はそうじゃない.過去の偉人が成してきたことは,やっぱりその過去
の偉人だけの記憶に過ぎないのよ.歴史というものは,現在精一杯悩み続けているあなた
にとってはただの『物語』に過ぎない.それをどう受け止めるのはあなた次第だけどね.

話を元に戻すけれど,あなたがこの世に生れ落ちた時点で,既にあなたのハウスも出来上
がっていたの.始めは真っ白なハウスだけど,ものごとを経験することによって,どんど
んハウスの中で新たな場所やひとたちが作られてゆく.あなたが感じている世界は,あな
ただけのもの.生まれてから,今に至るまで,いいえ,これからも世界はあなたを中心に
して動いているのよ」


95.


私が返す.

「その,さ.ハウスについてだけど,君は,僕がこの世に生を受けた時にハウスが出来た,
と言ったけれど,それは他の皆もそうなのかい?他の皆も,自分だけのハウスを持ってい
て,自分を中心として世界が動いている,と言えるのかい?」
「えぇ,そうね」
「では,『過去の箱庭』や『ユニバース』といったものごとについて,理解の方向を変え
なくてはいけないね」
「『過去の箱庭』は,ハウスが分断されあらゆる人々の記憶が集まった場所よ.ユニバー
スというのは・・・私の専門外だから,良く分からないわ・・・」
「ふむ,そうか・・・.でも,なんだか君の話を聞いていたら今まで悶々としていたもの
が消えたような気がするよ.最初からハウスにいた,と・・・そういうことか」

長らく話をしていた私たちだったが,今はなんとなく心が晴れゆくようだった.不意にオ
ルテガが,

「着いたぜ,ヤントラフィールドに」

と言ったので,私たちは昇降口へと足を運んだ.


96.


「ヤントラフィールド」という,夕焼け空のただっ広い草原地帯を私たちはゆっくりと歩いていた.オルテガは,トボトボと心細いように歩く記憶士の少年に手を差し伸べ,おれたちがいるから大丈夫だって!,と励ましていた.

一方,私と,心の中のアンセーヌは,ヤントラフィールドの地に足を降ろしても尚,お互いに話し合うことがあった.それは一体なんだと言うのか?かの草原地帯に着く前までは,「なんとなく心が晴れゆくようだった」のに・・・.

私は彼女に尋ねる.
「僕は・・・少し疑問に思うところがあるのだけれども」
アンセーヌは顔を私の方へ向けた.私は続ける.
「ハウスってなんだかものすごく抽象的で僕のなかではイメージしにくいものなんだ.そもそも,世界,世界って君は言うけれど,そもそも,『世界』って一体,なんなんだい?」
少々強い口調で問い詰めてしまったか,と後悔の念が残ったが,彼女は一呼吸してから,ゆっくりと,そして和やかに「世界」について語ってくれた.その様子を,ヤントラフィールドの満天の星空が美しく見守ってくれるかのようだった.


97.


「クスフス・・・どうしたの,今更・・・.でもまあ,疑問は残さない方が良いわよね.分かったわ.『世界』について,鍵士である私が知り得ることを洗いざらい話すわね.クスフス,あなたはまず,ハウスが一つの精神世界にあることを知らなければならないわ.・・・あっ,また『世界』って言葉を使ってしまったわね」
私は,
「いいんだ.構いやしないよ.それより続きを語ってくれ」
と促すと,アンセーヌは続けた.
「ハウスとは,眠眼の世界でも,起・眠の境界線上に遥かに近い部分で無意識下に見ている現象を集めた場所・・・まぁ,簡単に言えば,『夢を見ている』状態に近い,と言えるかしら.・・・そして『世界』とは・・・.『自分という意識』のことよ.また言いかえるならば,『過去の【経験】が成す記憶』のこと.ファンタズマゴリアのなかでさっき話したでしょう?『世界はあなたを中心にして動いている』って.要するに,あなたが感じ得る全てのものが『世界』,そして感じ方一つで『世界』なんてどうにでもなるってことを私は言いたかったのよ」


98.


「つまり・・・つまりだ,アンセーヌ,僕は理想郷を求める旅に出てから今の今まで,夢を見ている,と言うのかい.あるいは眠眼の世界にいる,と」
私が半ば焦って言いだすと,アンセーヌは,
「そうね,あなたは今,眠眼の世界にいることになっているわね」
と言った.
「じ・・・じゃあ,起眼の世界では僕は眠っていることになるのか・・・.いや,実は,ずっと謎に思っていたことがあったんだよ.そうか・・・.眠眼の世界がハウス・・・.じゃあ,起眼の世界がユニバースってことかい?あ,あとそれと・・・.眠眼の『世界』というけれど,これはもう過去のものじゃないか.それを,どうにでもなる,と言われてもなあ・・・」
「それは,考え方次第よ.ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか・・・で人って大分変わってくると思うの」

などと私とアンセーヌが語り合っていたところ,いきなり,夜空から大量の流星群が降って来た.オルテガが叫ぶ.
「皆!タイムアタッカーの襲撃だ!」
と.


99.


そう,その「流星群」とは,まだ私がこの理想郷を求める旅を始めて間もない頃に襲われた,タイムアタッカーに他ならない.オルテガは更に叫ぶ.
「皆!『思考の鍵』の準備を!」

…私たちはヤントラフィールドの中央部・・・らしきところまで来ていた.中央部・・・というのは,私のカモメから持ってきた魔導探査針がそう言っているのであって・・・.やっとのことで,ハウスの構造を知る手がかりを掴めそうなところまで来たのに,何故今頃,タイムアタッカーなどが襲って来るのだ・・・?!

ともかく,彼らに思考を狂わせられないよう,「思考の鍵」を用意しなければ.オルテガ,私,アンセーヌは,エコール・ノルマル・シュペリュールで「思考の鍵」を学び,そして今,それを思い出すことが出来た.なので,頭上から脳を貫く彼らのことを難なくやり過ごせた.・・・だがしかし,私の旅の同行者のなかで,一人だけ,かの鍵を学んでもいなければ,当然思い出せない人がいた.

そうだ.記憶士の少年だ.


100.


それは一瞬だった.タイムアタッカーが私たちの脳を貫通してどこかへ行ってからしばらく,私たちエコールの卒業生は互いに話し合っていた.アンセーヌが言う.
「あの子・・・いつまで草むらをうろうろしているのかしら」
「アンセーヌさん,それがタイムアタッカーにやられた人の行動だよ.同じ場所をいつまでもうろうろと歩き回っているのもそうだが,ああいう風に両の手を夜空にかざして,星々の光を何度も仰ぎ見定めようとしている.これってつまり・・・なあ,クスフス?」
「ああ.昔々,エコールの書庫にあった古い文献,『タイムアタッカー達の行動論理』に詳しいね.なんでも,彼らに『やられた』人たちは,星の動きを読み解こうとする『天冥士』のように振る舞いたがるらしいんだ」
そう私が言うと,狂ってしまった記憶士の少年は,充血した眼で一度私たちに近づきじっと見つめ,こう言ったのだ.

「僕はやられていない
僕はやられてなんかいない.
絶対零度の極めて密度の薄い空間に漂う星々の欠片を
天冥士さまと ともに視るのだ!」
と.


101.


明らかに普段の記憶士の少年らしからぬことを言っている.オルテガもそう思ったのか,彼は,
「仕方ねぇ.少年はおれが保護しておくから,クスフスとアンセーヌさんはヤントラフィールドの奥地へ行って,ハウスの残された謎を解き明かしてくれ!」
と言って,記憶士の少年を半ば強引にファンタズマゴリアへ連れて行ったのだった.

オルテガが言った,「ハウスの残された謎」というのは多分・・・.私がヤントラフィールドの中央部へ歩を進めて行くさなか,心の中のアンセーヌは,言う.
「オルテガが言った謎って・・・,彼自身から告げられたことね?」
「ああ」
そうだ.先のアンセーヌとの対話の中で,ハウスは眠眼の世界だと判明した.しかし,オルテガが言ったことは・・・.そう,このハウスに「動力炉」・・・つまりエンジンのような・・・ものがあるというのだ.眠っている時に感じる世界に「動力炉」も何もないと思うのだが・・・.

やがて草原を踏みしめ,ヤントラフィールドの中央部へ着いた私は,見覚えのある人に再会した.


102.


「あなたもお察しの通り,此処ヤントラフィールドにいる『天使』たちは,古代魔法『ヤントラ』の発動に精を注いでいます」

ヤントラフィールドの中央部に,彼はいた.綺羅の国で,私を天頂国へと導いた人物・・・そう,マクンプだ.魔導通信機,アームメモリーに一切反応が無かったため,私はまさか此処でマクンプと再会するとは思わなかった.
「その古代魔法が発動すると・・・どうなるのかしら?」
心の中のアンセーヌの疑問を,私はそのままマクンプに問うた.
「ヤントラを発動させると,眠眼の世界が起眼の世界を取り込み,あなたの理想郷は,ハウス・・・つまりあなた自身の精神世界の中に在するようになります」

マクンプはこう答えると,次の質問は?と言っているかのようだった.なので,今度は私が訊いてみた.
「つまり・・・ユニバースに行かなくても理想郷は見つかると?」
すると,マクンプは答える.
「そうです.ヤントラは,自己の精神世界にユニバースを取り込む,素晴らしい魔法なのです」
と.


103.


「では訊くが」
私はマクンプにどんどん質問をしていった.
「何故今更あなたが現れるというのです?ヤントラの魔法は,私が眠ったまま理想郷に辿り着ける,そんな都合の良いものなのでしょう?では何故,アームメモリーで私を呼んでくれなかったのです?」
マクンプは返す.
「その理由は先程あなたたちを襲ったタイムアタッカーに由来します.タイムアタッカーとは,古代魔法『ペタグラ』を発動させようとする『悪魔』たちが仕向けた雇われ襲撃隊のことです.彼らの目的は,あなたと記憶士の少年とを近付けさせないように襲ってきたのです」
「ペタグラの発動と記憶士の少年とに何か関係でもあるのですか?」
「ありますね.その関係を説明するために,あなたにまずペタグラが発動するとどうなるか知らせておかねばなりません.西の国に在する悪魔たちが精を注いで発動させようとしているペタグラは・・・,眠眼の世界と起眼の世界を完全に切り離し,眠眼の世界を孤立化させてしまいます.そして眠眼の世界はハウス・・・.更に悪魔たちは,ハウスの動力炉を持っています.これがどんなに恐ろしいことか,分かりますか?」


104.


つまり・・・つまり,だ.ハウスとユニバースを完全に切り離すための魔法,ペタグラに精を注いでいる悪魔が,ハウス・・・言い換えれば,私が今までに経験した記憶世界,の動力炉を持っているということは・・・.どう動かしもできる,つまり操作することもできる,ということか?!

「待って」
心の中のアンセーヌは叫ぶ.
「此処は冷静になるべきよ.そして,記憶を動かすことができるのは鍵士だけよ.・・・そう,過去の箱庭の管理を担う鍵士だけ.今のあなたができることは,マクンプからできるだけ多くの情報を得ることよ」
ああ,そうだったね.

「話は戻りますが,もう一度,ペタグラの発動と記憶士の少年との関係について尋ねてもよろしいでしょうか?」
「ええ.勿論ですとも.話の途中でしたものね.ペタグラとハウスの動力炉を持つ悪魔と,記憶士の少年との関係性は,十分にあります.あなたが体験している『ハウス』の中での出来事は,実は全て悪魔たちによって組み込まれた偽りの記憶・・・過去なのです」






最終更新:2013年05月25日 17:24