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『4seasons』 春/そして桜色の(第一話)

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§プロローグ

 桜の樹の下には屍体が埋まっている。

 そんな陰鬱なフレーズが頭をよぎるのは、私の精神状態が今どん底にあるからだ。

 新しい教室。新しいクラスメイト。新しい一年。
 今私がいる本校舎三階の西翼は、去年まで、いや先月までの私だったら足を踏み入れる
のに躊躇していた場所だ。
 そこは私たち下級生の力の及ばない区画だったから。
 けれど三年生の教室があるこの一画は、ついに私たちの領土となった。
 これからの一年間、私たちはここで残りの学園生活を過ごすのだ。
 トイレの前、リノリウムの床が歳月の重みに耐えかねて少しへこんでいる。
 廊下の天井を見上げると、どうやって刻印したものか、上履きの足跡が沢山ついていた。
 壁際に並んだロッカーには、とうに卒業した誰かと誰かの相合い傘が落書きされてあった。
 窓から外を眺めやれば、いままでより少し高くなった視界のもと、植え込みの桜並木が
二分葉桜の梢を広げていた。

 桜の樹の下には屍体が埋まっている。

 よく聞くフレーズだけど、もととなった言葉があるのだろうか。
 去年の秋頃、それがなんとなく気になって、みゆきに訊いたことがある。
 確かそう、参考書を買いに一緒に神田まででかけたときのことだ。
 肌寒くなってきた陽射しに“春もこのくらいの気温かな”と思い、さらに傍らを歩く
桜色した友人から、そのフレーズを連想したのだった、
「それでしたら、恐らく梶井基次郎の『桜の樹の下には』という小説からきているのだと
思います」
 いつもながら打てば響くように返ってくる答えに、感心して問い返す。
「梶井基次郎?…えーと、確か『檸檬』の作者だったっけ? そんなに昔からあるフレーズ
じゃないのね」
「ええ、そうですね。確か戦前の作家だったと思います。『檸檬』とこの『桜の樹の下には』
以外にはこれといって知られていないのですけどね。新潮文庫から刊行されている『檸檬』
にはどちらも収録されていたはずですよ」
 感心する想いがいずれ畏怖と尊敬の念に変わっていくのも、いつもながらのこと。
 医学部志望のみゆきにとっては決して得意分野ではないはずの、国文学にしてからこの
知識量だ。
 本当にこの友人の頭の中はどうなっているのだろう。
 溢れんばかりの知識欲と、それを十全に満たす記憶力。物事の本質を能く見極める思考の
深さと誠実さを持っていて、けれどそれらをひけらかすこともなく、一人黙々と知の迷宮を
彷徨っていく。
 きっと本当の智慧というのはこういうものなのだろう。
“それってどういう作品なの?”
 そう聞いてみようと思ったけれど、やめておいた。
 立て板に水のごとく詳細な文芸批評が飛びだしてきたら、それこそ本気でへこんでしまい
そうだったから。
 私にとって、彼女はいつだって“知の巨人”なのだ。
 ――もっとも、他にも自分のモノと比較してついへこんでしまう“巨大なモノ”も、
彼女は色々と持っていたけれども。

「――らぎぃー」
 去年の夏、一緒に海にいったとき階間見た、その“巨大なモノ”を思い浮かべていた。
ああ、あれは本当に巨きかったな。まるで水蜜桃のように膨らんだ二つの――
「ひいらぎってばー!」
「ボインッ!」
 呼ばれると同時にツインテールを思いっきり後ろに引っ張られて、不意を衝かれた私は
思わず考えていたことを口にだしてしまった。
 慌てて口元に手をあてて黙りこんだけれど、時すでに遅し。後ろの席の日下部は会心の
ニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「ボーイーンー? なんだいきなりボインって!? きょぬーになるイメージトレーニング
でもしてたかぁ?」
「う、うるさいうるさーい! なんだよ、いきなり髪の毛引っ張るなよ! なんの用だよ!」
 云い訳のしようもなくて、ただひたすら勢いに任せて怒鳴る。顔が熱くなっていくのを
感じていた。
 よりによって日下部に聞かれてしまうなんて。今後半年はこのネタでからかわれそうだ。
「ニッヒッヒ、ってか、早く体育館いかないと入学式始まっちゃうぜ?」
「……あ」
 云われて見回してみれば、教室に残っている生徒はもうまばらになっていた。ボーッと
しているうちにいつのまにかHRも終わっていたのだ。
「柊ちゃんが先生の話ちゃんと聞いてないなんて、珍しいね」
 峰岸が私たちのところへやってきて云う。
「うん……ちょっとボーッとしちゃってたわ。暖かくなってきたせいかしらね」
 そういって頬を掻く私を、二人は困ったような顔でみていた。
 わかっている。自分がこんなにも落ち込んでいる理由は自分が一番わかっているし、
二人がそれを知っていることもわかっている。
 けれどどうしようもなかった。
 心配してくれている二人には悪いと思うし感謝もするけれど、どうしても今すぐふっきって
明るく振る舞うことはできなかった。

 体育館にいくと、こちらより早くHRが終わっていたらしく、B組の面々はすでに整列していた。
 やっぱり今年も一番前だったこなたが、腰に手を当てて“前習え”をしている後ろ姿が見えた。
 近づいていくと、列の後ろの方にいたみゆきが私に気づいたようだ。微笑みながら手を
振ってくるみゆきに、私も少し微笑んで、力なく手を振り返す。
 つかさもいつも通り真ん中くらい。ほとんど身長が同じ私たちは、こうやってクラスごとに
別れて身長順に整列すると、いつも同じくらいの位置になる。
 何事か真剣に考えこんでいる様子のつかさだったけれど、どうせ頭の中はいつも通り、
ふわふわとしたなんだかわからないもので満たされているに決まっている。
 隣に立ってちょんちょんと袖を引っ張ると、案の定ピクッとして「エリンギ星人!」と
小さく叫んだ。なにを考えてたんだ一体。
「あ、お姉ちゃん、エヘヘ、きてたんだ」
 そういってこちらを向いて照れるつかさに、
「なんだよエリンギ星人って、どこに棲んでるんだそれ」
 と呆れながら云った。
「あ、あうぅ、今の、誰にも喋らないでね……」
 喋るか。同類と思われたくない。
 もっとも、ボインと叫んだ私もあまり人のことは云えなかったけれど。

 そんなことをしているうちに、生徒会長が入学式の開式を告げる。その言を聞いて、
みんなは静まりかえった。
 こういうとき、さすが進学校というべきか、うちの学校には無駄に騒いだり規律を破ったり
しようとする輩はいない。
 ちらと眺めると、こなたも律儀に正面を向いてじっとしていた。
 式もつつがなく進行し、生徒会長が新一年生の入場を告げると、みなで振り返って拍手をする。
 そのとき私に目を留めたこなたが、青竹色の瞳を見開いて微笑んでくれたのが、少し嬉しかった。
 万雷の拍手の中、新一年生が入場してくる。
 紅梅色の髪をした小さな子――ゆたかちゃんがちょこちょこと歩いてきたとき、こなたが
いるあたりから一際大きな拍手の音が聞こえてきた。
 交換留学生らしき金髪の子が、珍しそうにきょろきょろしながら歩いてくる。
 コバルトグリーンの髪をしたスレンダーな子の凜とした佇まいには、思わず目を見張った。
 眼鏡を掛けた少しオタクっぽい女の子が、入り口の段差につまずいて転び掛けたときは、
少しはらはらした。

 やがて新入生も整列し、代表が壇にのぼって入学生宣誓を始める。

“長く続いた厳しい冬も終わりを告げ、ようやく春の息吹が感じられる季節となりました。
私たち一同はこれより陵桜学園の生徒として――”

 こうして陵桜学園は新一年生を迎えた。
 また新しい一年が始まる。

 私たちは、そう、三年生となったのだ。


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 4 s e a s o n s

 春 / そ し て 桜 色 の

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§1

 桜咲く出会いの季節というのに、私がこんなにも落ちこんで自己憐憫の隘路を彷徨って
いるのは、云うまでもなく今年のクラス割りのせいだ。

 初めて神に祈ったのに。同じクラスにしてくれと、あんなに神に縋ったのに。
 私はまた、みんなと別のクラスになってしまった。

 祈りでは足りないとでもいうのだろうか。これ以上神はなにを捧げろというのか。水垢離か、
五体投地礼か、それとも愛する我が子イサクか。
 もっとも、不可知論者の私は、神の実在をまるで信じていなかった。
 冷静に考えれば、やはりまず信じることが先決なのだろう。
 けれど――神社の娘がなんて罰当たりな、と思うかもしれないが――どう考えても論理的に
実在を証明することができない以上、神はいないと仮定するのが科学的態度というものだ。
 あるとき私がそう云うと、こなたは“かがみはホント現実主義者だよね。そんな肩肘張って
ないで、いたらいいなー? くらいじゃだめなの?”なんて云った。
 人の気も知らないで、あいつはのほほんと云いやがった。
 初詣のとき、私がどれだけの思いでいないと知っている神に祈ったかも知らないくせに。
 あのときこなたが云った“かがみには別のクラスでいてもらわないとね”という一言が、
どれだけ私の胸をえぐったかも知らないくせに。

 いっそ全部素直にぶち撒けてしまいたい。そう思うときがある。

 こなたといるとどれだけ楽しいか。
 みゆきのことをどれだけ尊敬しているか。
 つかさがいるだけでどれだけ心から安心できるか。
 みんなといてどれだけ幸せに思うか。
 みんなのことをどれだけ誇りに思っているか。

 こなたにそれを云ったら、あいつはどういう反応をするだろう。
 素直に照れるだろうか、それとも“かがみがツンデレじゃなくなったー”といって悲しむ
だろうか。
 あり得ないと思いつつも、後者の反応をされることが怖くて、私はいつも口をつぐんでしまう。
 云えないで溜めこんだそんな想いが、私の中でどんどん膨れあがっていく。そしてふとした
拍子に顔を覗かせたそれを、こなたにつつかれては悶絶するのが常だった。
 結局のところ、全て見透かされているのかもしれない。
 あの小悪魔みたいな女の子に。

 桜の樹の下には屍体が埋まっている。
 その屍体とは、そうして云えないまま埋葬された私の言葉たちかもしれない。
 そんなことを考える。

 秋にみゆきから教えてもらったあと、くだんの小説を読んでみた。
 私にも知識を蓄えたいという欲求は人並み以上にある。法曹界を目指す人間として、
やはり負けっぱなしは悔しい。
『桜の樹の下には』は文庫本にして見開き2ページ分の、短い掌編だった。
 語り部は、余りにも美しい桜をみて、まるで美しさの代償を求めるように、その根本に
屍体を夢想する。
 美しいものをただ美しいものとして享受できない、その裏になにかの秘密がないと安心
できない語り部のひねこびた心性は、基次郎自身のものだったろうか。
 であるならば、それは素直になれない私自身の、可愛いといわれても喜べない私自身の、
ひねくれた心性と同じものだ。

 そう思ったら、無性に一人で桜が見たくなった。
 溺れるほど大量の桜を。
 ひねくれた私がひねこびた桜に浸れば、まっすぐ前を向けるようになるかもしれない。
 そんな非合理的な、文芸的レトリックに過ぎないことを、本気で考えたわけではない。
結局のところ、一人でなにか凄いものを見て、頭を冷やしたかったのだろう。

「つかさー、ちょっとでかけてくるね」
 台所でなにやらお菓子作りをしていたつかさに声をかける。
「え……こんな時間に? どこいくの?」
 もう九時も回ろうかという時刻。確かに未成年の女子が一人ででかけるような時間帯では
なかった。
「ん……ちょっとね、心配しなくてもすぐ戻るわよ」
「そ、そう……。でも本当に気をつけてね。……えっとね、帰ってくるまで寝ないで
待ってるからね」
「あら? なにか話したいことでもあるの?」
「ううん、そういうわけじゃないけど……ただ、寝る前にちゃんとお休み云いたいなって
思っちゃって……」
「なぁにー? また甘えんぼ病かぁ? ふふ、わかったよ、なるべく早く戻るからね」
 まだ真剣な顔つきで私をみつめるつかさに手を振って外にでた。
 もしかして、私が世を儚んで自殺をするとでも思ったのかもしれない。つかさにも
大きな心配をかけていることを思って、ちくりと胸が痛む。

 権現道の桜堤までは自転車で十五分。
 四月の夜気はまだ冷たいけれど、その裏に温もりの気配を感じさせてどこか優しかった。
 犬の遠吠え。街灯に影を映すコウモリの羽ばたき。見下ろすような弦月に掛かる雲の
グラデーション。
 夜に包まれて、私はペダルを漕ぐ。

 桜の名所として名高い権現道だけれど、すでに盛りが過ぎたこともあり、さすがに月曜の
夜ともなればそれほどの人だかりでもなかった。
 地元の人らしきおじさんおばさんが、酔漢と化して銅鑼声を張りあげていた。カップルや
家族連れの姿もちらほらと見える。
 けれどそれも花見の喧噪というにはほど遠い。緑の葉の混じった桜並木を歩いていくうち、
たまにぽっかりと人通りが途絶えることもあった。

 そんなとき、私は桜の美しさと恐ろしさを痛感する。

 低い枝振りの桜が梢を広げると、空がすっぽりと覆われて世界が桜色で満たされる。
 普段はその下に酔漢や見物客がいるから楽しく思えるのだけれど、ただ一人この世界に
閉じこめられるとなるとたまらない。
 どこまでいっても涯もなく続く桜色は、すでに異界の光景だった。
 人里ならばまだいいのだろう。これが人跡未踏の山奥に、誰にもみられることなくただ
ひっそりとその世界を繰り広げてるさまを想像すると、なるほど基次郎のおののきもわかる
気がした。
 そう考えたとき、以前にも同じような感覚を覚えたことを思い出した。
 デジャブだろうか。いや、そうとも思えない。
 そのときは今ほど独りでいることの不安感は感じていなかった気がする。いつも隣に
いる私の暖かい半身――つかさがいたような。

 そこまで思考を辿ったところで、唐突に思い出した。

 さーっと桜吹雪が舞って、私の心をあのころの私の元へ運んでいく。

 あれはそう、二年前の春の出来事。
 一年生だった。
 今日入学した子たちみたいに、まっさらだった私たち。
 期待と不安ばかりを胸に抱きながら学校に通い――

 そうして、こなたと初めて出会った、あのころのこと。


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コメント:
  • 伝説の始まり -- 名無しさん (2008-08-17 01:26:40)
  • 文が綺麗だなあ…… -- 名無しさん (2007-11-26 00:32:37)
  • ヤバいくらいGJ! -- 名無し (2007-11-25 23:13:18)

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