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黙っと白拍子 第3話

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 嵯峨小早川邸。
 長年都を荒らした野盗・玄道組(げんどうぐみ)を、弱冠十五で成敗した検非違使(けびいし)・
 きよたかが、その愛妻・ゆい姫と、ゆたかの誕生を祝って建てた邸だ。
 ゆたかのために様々な書物や絵が集められた東の対屋(たいのや)からの眺望は、
 当時無名だった庭師・典兆(てんちょう)率いる阿仁明党(あにめいとう)が、その名を轟かせる
 契機となった大傑作。
 都の家々や、山裾に開いた棚田を絶妙に借景した庭園はまさに一幅の絵画。
 邸の名前の由来にもなっている小川は、山からの水をそのまま引き込んだもので、
 蛍や紅葉など、季節に応じて様々な風物を運んでくるという。

 明るい時に、一緒に歩けたらな――
 ゆたかが自分で描いた絵を見せながら、何度も話してくれた景色。
 でも、秋には帝や大臣達も訪れる、由緒ある庭園の片隅から、小倉山の縁を伸びる街道に
 抜け出せることを、知る人は殆どいない。


        第三話 ―― 恋すてふ、ひより ――


 ひよりに別れを告げて、暫く家の方へ向かった後。
 二、三町(一町は約百二十米)ほど住処へ戻るふりをしてから、私は来た道を引き返して、
 御堂まで戻ってきていた。
 邸裏手の竹林を抜け、街道に出た先にあるこの御堂は、まだ賊や獣が多かった頃、愛宕詣の
 無事を祈って建てられたものらしい。
 今はもう廃れているが、私にとっては、ゆたかと初めて出逢った雪の日から、水無月の頃まで
 毎日逢瀬を重ねてきた大切な場所。そして文月が近付く頃、今のように邸に通うように
 なってからは、手引きをしてくれる女房・ひよりとの別れの場所だ。

「…………」
 大丈夫、誰もいない――
 周囲の気配を探ってから、御堂脇から伸びる山道に入る。
 木々に遮られ、星明り一つ届かない墨染の世界。それなのに、道の所だけ積もった竹の葉が
 仄白く浮き上がって、不気味なほどに歩きやすい。
 それどころか、山肌を覆う木々の枝や藪草までが、道際の所だけ悉く背を向けている。
 まるで、客人の衣を傷めないように、草木が意志を持って道案内をしてくれているようだ。
 小早川の者はおろか、夜盗達すら近付かない、秘められた場所へ続く妖の道。
 そこを私は昨日までと同じように、惑うことなく進んでいき……。

「――っ!」

 どうして……どうやって此処に来たのだろう。
 目的地のすぐ近く。
 久しぶりに夜空が見える、森の中の小さな畑。彼女はそこに、月明かりを背にして佇んでいた。
 暗闇を抜けたばかりの目には眩しい光の中、その表情はよく見えない。
 けれど、別れた時のままの姿に、冷たい風に靡く栗色の髪は、見間違いようはなかった。

「やっぱり、こっちに用があったんスね」
 来客が私だと確認してから、ひよりはこちらに歩み寄ってきた。
 ようやく光に慣れてきた目を、真っ直ぐな視線が縛る。夜風の中、ずっと私を待っていたようだ。
「どうして、此処に?」
「ああ、パティと貴方のことで語ろうかな、って」
 声だけは気さくを装おうとしている。
 でも、その瞳は見間違いようもなく真剣で、ゆたかの前では決して見せない感情を宿している。

「けど、いい感じに予定変更っスね。前から聞きたかったんスよ。みなみが邸の外で……
 その書道具をどうしてるのかな、って」
 何もかもを見通し切った視線を、顔から右手で手にしたものへ、そしてもう一度顔へと戻してから
 ――ひよりは、躊躇うことなくそう聞いてきた。

「ずっと不思議だったんスよね。その筆も硯も、多分ゆーちゃんの前でしか使ってない。
 それなのに、上達が変に早いし、暗がりでも分かるくらい筆だこができてるし。
 でも、まさか家で恋文の練習なんてしないだろうし、そうなると……ね」
 思わず俯く私とは逆に、これでも物書きの端くれっスからね、と胸を張る。
 けれど、その自慢げな笑顔の裏側から零れる感情が、酷く心に響く。

「パティの所って、便利っスよね。人も来ないし、夜でも明るいから一日中原稿書けるし。
 『誰か』と違って、ちゃんとゆーちゃんに見せてるけど」
「それは、私の舞と同じ。恋文とは違う」
「見苦しい言い訳っスね。まあ、私も……っスけど……」
「……」

 秋の最後に吹く風が、傍の長月草と、どこか似たもの同士の袖二つを揺らしていく。
 ざぁ……っと頭上を抜け、都の向こうへ遠のいていく木々の声は、まるで何かの合図のようだ。
 時間にすればどれほどだったろう、
 風の音が完全に消えたのを見計らって、私が口を開きかけた、その時。

「ゆーちゃんの文っスけど……」
 私より一瞬早く、ひよりが話を振ってきた。
 さっきまでとは違う、静かで落ち着いた――今までに聞いたことのなかった口調で。
「写してみて、どんな感じっスか?」
「よくわからない。練習するのは幸せだけど、辛いというか……」
 ずっとひよりを見つめ続ける勇気がなくて、思索にかこつけて目を伏せる。
 同じ人に焦がれる恋敵の問いかけに、自分はどうして、こんなに悩んでいるのだろう。
 それなのに、気がついたら考えていた。答えないといけない、そんな気がして。

「ゆたかの書は、本当に綺麗。洗練されているのに堅苦しくなくて、柔らかくて、優しい感じがして。
 でも、私が書くとどうしてもぎこちなくて、ゆたかの感じにならなくて……」
「なるほど、それでずっと練習してたんスか。あんな書が書けるようになるまで、私達に隠れて」
 視線を逸らしたまま、小さく頷く。
「ゆたかに渡しても、恥ずかしくない文にしたかったから。だけど、最近は練習すればするほど、
 ゆたかから離れていくような感じで……」
「うわー、それ激しく分かるっスけど、正直私達には無理っスね。アレは本当に神業っス。
 あの領域に辿り着ける人なんて、それこそ十年に一人いるかどうかっスよ」

 相変わらず、私はうまく気持ちを言葉にできない。ひよりの前でも、ゆたかの前でも。
 けれどゆたかと同じように、ひよりも私の僅かな言葉と仕草から、伝えたいことを汲み取って
 くれる。ただ……二人の間には、絶対的な違いがある。
 それは――
「でも……きつい言い方っスけど、今のみなみのは、『練習』にもなってないっス。
 変にかっこつけて、練習のフリして『先延ばし』してるだけっスよ」
「それは、そんな……私は、ゆたかに少しでも上手な」
「いつまで逃げるのっ!?」

 ゆたかの手前、ずっと抑え続けてきた感情がわっと溢れて、私を抉った。
 あの春の夜、ゆたかに嘘をつき続けていた私に叫んだ時の、風や空も押し黙るような感情が。

「確かにみなみの『字』はまだまだッスよ、でも、字がヘタクソなだけで、もうちゃんと読み書き
 できるじゃないっスか!後は歌の知識だけど……そこも問題ないっスよね!?」
「そんなこと」
「そんなことない!」
 きっ、と声を荒げて、逃げようとする私に楔を打つ。
「みなみは自分が思ってるよりずっと頭いい、漢詩はヘタな貴族より詳しいし、舞なんて間違いなく
 超一流っスよ?そんな貴方が歌を知らないわけない、万葉古今に多分後撰辺りも暗記してて、
 たまには即興歌で舞ったりもしてる筈、違う!?」

 私の肩を荒々しく揺さぶりながら、隠し事を剥き出しにする。ひよりより私の方が背が高い
 筈なのに、青褪めた顔で俯く自分は、先生の前で項垂れる子供のようだった。

 ――そう、私は今日まで、小早川邸で、一度も『和歌』を朗じたことはなかった。
 文字を知らなかった頃は、折角ゆたかがくれた文を、読むこともできない自分が悔しくて。
 文字を覚えた後には、歌を口にした瞬間、約束の文のことを思い出してしまうのが怖くて。
 だからずっと、漢詩だけを声に出して舞ってきた。
 白居易、王維、菅原道真、源順。
 でも、白拍子とは本来、唐渡りの詩よりも、むしろ神楽や戯れ歌、古今の和歌を歌い舞うもの。
 ひよりも、ゆたかも、最初から分かっていて……そしてずっと待っていたんだ。
 ゆたかが待ち焦がれている約束を、きっと私が果たしてくれると信じて。

「ごめん、つい」
 時を巻き戻したように、ざざぁ……っと愛宕からの風が吹き、凍りついた世界に音が戻ってくる。
 それを合図にしたように、肩を捕えていた手が力なく滑り落ちる。
「でも……みなみは、こんな逢瀬がずっと続くなんて、思ってないっスよね」
「それは……」
 けれど、不穏な瞳は変わらない。
 激情とは違うけれど、苛立ちと、痛みと、達観めいたやり切れなさを綯い交ぜにした。

「少し前から、『ゆーちゃんに恋人ができた』って噂が広まってるっス。
 それで今日、女房(にょうぼう:小間使い)のみんなに、ゆい様の前に引き出されて……」

 ばれたら多分、もう会えない――それは、何処で聞いた言葉だったろう。
 いや、もしかしたら、自分の心の声だろうか。
 でも、もしもゆたかと逢えなくなったら。もしも自分が幸せに舞える場所を失くしたら……
 言葉を失う私の中を、ゆたかの居なくなった未来が、死ぬ間際の走馬灯のように心を貫く。

「その場は誤魔化しといたけど、念のため警備を強化することになったっス。
 姫が身分も知れない男といつの間にか結ばれてたなんて、家の浮沈にも関わるっスからね。
 もうすぐ紅葉の宴で都中の貴族が集まるのに、そんな醜聞が漏れたら……」

 ゆたかと過ごす夜。
 睦月の雪の出逢いから、ずっと続いてきた逢瀬。
 それは余りにも幸せだったから、私はその危うさを考えようとしなかった。
 だから、逃げられた。練習しながら考えればいいと、詠めない歌を引きずってきた。
 でも、もう意識してしまった。
 星が季節を巡るように、幸せが露見する日は必ずやってきて……
 その瞬間、天の川に別たれた織女と牽牛のように、『身分』という絶対の掟に引き裂かれる。

「だからその前に、さっさと『約束の筆』で文を書くっス。そりゃ、道ならぬ恋だし、振られるかも
 知れないけど、このままだと絶対後悔するっスから。貴方も、ゆーちゃんも……私も」
「っ、それ!」
 ひよりが懐から取り出したものに、思わず叫びが漏れる。
 私の髪の毛を結わえた、練習用の『筆』――。
「自分でも酷いと思うっス。けど、これがあるとまた、手習いに逃げちゃいそうだから」
 一度見せた筆を懐紙で丁寧にくるんで、ひよりは再び懐にしまった。
 筆を奪われた私よりも痛々しい悪役顔で、恋敵である筈の私に縋るようにして。

 とても筆とは言えない筆なのに、それがどんなに大切にされていたかを心から分かっていて……
 それゆえに私から奪った、ひより。
 そこまでされたら、もう。

「分かった、明日、ちゃんとゆたかに伝える」
「そっか……悪いっスね、こんな阿漕な真似して」
 文を渡してくれたら、必ず返すっスから――と、小さく頭を下げながら、切なげな笑顔を零す。
 そんなひよりに私も、自分に言い聞かせるように再度頷き返すしかなくて。
「じゃあ、これ以上遅くなると叱られるし、これでもう戻るっス。でも、」

 山を下ろうと、私の横を通り過ぎた所で、不意に振り返る。
 蒼い月明かりに、栗色の髪を煌かせながら、祈るように口にした。

「最後に一つだけ、みなみの……みなみに、舞を教えたのは誰?」



















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