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湿度と温度の境界線

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匿名ユーザー

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 そっと触れてみた。――キミの体温を感じた。

『湿度と温度の境界線』




「――お母さん」
 ドアを開け、見えた背中に呼びかけた。
「どうしたの、かがみ」
「……つかさは?」
 母の寄り添っていたベッドへと近づき、そこで寝ている少女の顔を見た。
「大丈夫。……今眠ったところよ」
 いつもは隣にいる自分の双子の妹は、今は頭の下に氷枕を敷き、額にタオルを乗せて、赤い顔で眠りについていた。
 はぁ、と口から息を漏らしているのが、かわいそう。
「お母さん」
「なに?」
「つかさの、近くにいてもいい?」
 自分はよく知っていた。
 熱が出たとき、かぜをひいたとき、すごく苦しくって、――とっても寂しいっていうことを。
 目が覚めて、部屋に一人っきりだと、よけい熱が出てくる気がして、苦しくて泣きたくなってくることもある。
「それじゃあ、お願いしようかしら」
 母がそっと、自分の頭を撫でた。
「そばに……、居てあげてね?」
「うんっ」

 私は、――まだ幼かった頃の私は、力強く頷いた。

「だって私は……、つかさのお姉ちゃんだもん――」




      ♪




 少しボーっとしたまま、目に入ってきた時計の針を見た。
 短針は10の字を。長針は2をわずかに過ぎたぐらい。
「……ちょーっと寝過ごしたかしら」
 リビングの時計を眺めながら、かがみは小さく呟いた。
 世間で言うところの、夏休みというものに入って1週間ぐらいといったところだろうか。
 今日までずっと、朝はちゃんと早めに起きることができていたのだけど、今日はほんの少しだけ遅くなってしまった。
 ――全然遅くなんてないよ! ……って言いそうな人間を、3人は知ってるけどね……。
 まあ、一人は部活の人間だから、起きることぐらいは出来るのだろう。でもそれがなかったら、いつまでも惰眠をむさぼってそうなイメージがある。
 もう一人のほうは、休み中は完全に夜型になってそうだ。遅寝遅起きが習慣にでもなってるんじゃないだろうか。もっとも、それが勉強だったならいいんだろうけど……。
「…………はぁ……」
 思いっきり将来が心配になってくる二人のことを考えて、かがみはなんだかすごく疲れたような感覚を感じた。
 まだ1日がスタートしたばかりだっていうのに、気力がそがれるような生活をしないでくれないだろうか。
 ――ま、心配するだけ無駄だろうけど。
 一人のほうには“保護者”がいるし、もう一人はなんだかんだでちゃんと考えを持ってるし。
 実際なるようにしかならないだろう。
 ――で、だ。
「最後の一人は、どーなのかしら」
 かがみにとって悩みの種となる3人の、あと一人。
 双子の妹であるつかさの姿は、今いるリビングに見当たらなかった。
 というか、ここには誰もいない。
 さらに言うなら、家自体にも人の気配が全然していなかった。
 ……まあそれもそのはずで、みんなそれぞれ出かけてしまっているから当たり前なのだけど。
 なんだか気が楽なような、それでいて寂しいような感じを受けながら、かがみは食卓の上に置かれていた一枚のメモ帳に目を落とした。
 小さな紙片につづられた丁寧な字は、母親のもの。
 そこに書かれた内容は――、
 今日はみんな出かけているから、家にはかがみとつかさしかいないということ。
 もし出かけるとしたら戸締りを。
 お昼ごはんは冷蔵庫に。
 夕飯は帰ってきてから作るから大丈夫。
 そして最後に、――つかさのことをよろしく頼むわね、と一言あった。
 やっぱりね……、と思ってかがみは小さく嘆息した。
 昨日の夜から、つかさは具合が悪いようなことを言っていたのだ。
 薬を飲んで早く寝たみたいだけど、けっきょく熱を出して寝込んでしまったらしい。
 あのコにしては珍しいというか、あんまり夏風邪なんてひかないはずなんだけど。
 むしろ自分のほうが風邪はよくかかるタイプなのだ。
 覚えている限りでは、…………もしかして毎年なってるんじゃないだろうか。
 そういえば夏休みに入る前にもひいてたし……。
 ――まあ、あのコは体が(地味に)丈夫だし、私みたいに長引いたりはしないでしょ。
 今日一日寝ていれば、明日には元気になっているんじゃないだろうか。
 一日無駄にしてしまうのはもったいないかもしれないけれど、それはどうしようもない。
 無理はしないで早く治してしまったほうが得策だ。
 さて――と思いながら、かがみは下ろした長い髪の毛をかき上げた。
 時間的には、まだ昼ごはんを食べるのには少し早い。
 普段の夏休みだったら、つかさでも起こして遊びに出かけるか、それともこなたを電話で叩き起こしたり、あやのと連絡でも取ってみるのだが(みさおは普段は部活があった)、今年の夏はそうも言ってられない。
 ――しょうがない……。おとなしく勉強でもしときますか。
 妹の分まで……は無理だけど、暇を持て余してもいられない。
 こなたあたりが聞いたらまた驚くだろうけど、みゆきとかならこれが普通だっつーの。
 あのグータラ娘がボケそうな姿を想像しながら、かがみは額に浮かんだ汗を拭った。
「…………あつ……」
 さっきから、部屋の中、というか家の中全体に熱がこもっていた。
 ご丁寧に母はちゃんと戸締りをしていってくれたようなのだ。
 おかげでなんだか蒸し風呂状態です。
 ここ最近は、長引いてる梅雨のせいで、曇りや雨が多かったのだけど、今日は随分と晴れているみたいだった。
 それでいながら、じめじめとした感覚が残っているせいで、熱さに磨きがかかっているみたいに感じる。
 朝起きたときもかなり汗をかいてしまっていたし。
「……あのコ大丈夫かしら」
 風邪をひいていながら、この暑さだ。
 余計に具合が悪くなってたりしていてもおかしくない。
「………」
 脱水症状に……いやその前に熱射病? ……熱射病は違う。熱中症だ。
 だけど、まさか。あのコだってエアコンぐらいつけてるだろうし、でも昨日の夜は涼しかったからそのまま寝てるなんてことも、……だけどこれぐらいでそんなことにはならな、あーでもそうじゃなくてもすごい熱なんて出してたりして、うなされてたりしてるかも――、
「って考えすぎだろ、私……」
 かがみはイスに手を掛けながら、頭を押さえた。
 だけどそう考えたら、少し……すこーしだけ不安になってきた。
 別にこなたの従姉妹みたいに身体が弱いわけじゃないし、そんな心配なんてする必要、ないだろうけど……。
 でもほら、万が一とか、そういうこともあるし。
 様子を全然見ないのも、姉としてもどうかと思うし、母にも頼まれているわけだし。
 ずっと寄り添ってあげたいとか、面倒見てあげたいとか、そういうわけでも無いのだから、さ。
 と、そこまで考えて、かがみは頭を押さえながらその場にしゃがみこんだ。
 ホント、何に対して言い訳してんだ私……。
 どこぞの猫耳のおねいちゃんでもあるまいし、もう少し素直になっときなさいつーの。
 結局はそう――。……昨日の夜からずっと心配だったのだ。
 一瞬こなたのあの発言が脳裏に浮かびかかったのを全力で拒否しつつ、かがみはつかさの部屋へと足を向けた。




      ♪




「って暑っ……!」
 思わずかがみはツッコミを入れた。
 つかさの部屋に入った途端、物凄い熱気に襲われたのだ。
 蒸し風呂というよりもサウナ状態……は、言い過ぎかもしれないけれど、なんだか随分と熱い空気が部屋中に充満している感じだった。
 エアコンは……点いていない。
 それでいながら、窓も開いていなかった。
 太陽は久しぶりに顔を出せたせいか、外で思う存分暴れまくっていて、その熱射光線が部屋の中にも届いている。
 しかも時間が経つに連れて、段々と温度を上げてきているようなのだ。
 さっきからそんなに時間が経っていないはずなのに、もう体感温度が上がっているような感覚さえしている。
 今日は久しぶりに真夏日にでもなるのだろう。
 だというのに、この部屋の暑さは相当やばい。
 いつまでもこんな部屋にいたら……、本当に危ないんじゃないだろうか……(考えすぎ)。
 そう思いつつ、かがみはベッドの方へと近づいた。
 返事が無かったから勝手に入ってきたのだけど、横になっている双子の妹は瞳を閉じていた。
 この暑さだ。少し息苦しそうに寝息をたてながら、顔にはわずかに赤みが差している。
 そっと手を伸ばして、額に触れてみた。
 熱は――、……そうでもないみたい。
 そんなに熱いというわけではない。
 だけど苦しそうにしているのは、やっぱりこの暑さが原因なんだろう。
 こんなに暑いなら、目を覚ましてもいいものだけど……。
 ねぼすけ大魔神の妹には、こんな暑さでも起こすのには足りないのかもしれない。
 どっかのカエルキャラ好きの人間みたく、目覚まし時計で埋まったベッドに眠ることにはならないでほしいなぁ……と思いながら、かがみはつかさのほっぺを突っついてみた。
 つかさのベッドは、時計ではないけれどぬいぐるみがいっぱい飾られている。
 相変わらずファンシーというかなんというか。でもその割にはそんなに乙女チックな性格ではないのに、こういうとこだけはちゃんと女の子をしていて。
 だけど今の姿は……。
「あんた風邪ひくわよ……」
 いや、もうひいてますけどね。
 ベッドの上で眠る妹は見事にお腹を出していた。
 それは多分、風邪と暑さで寝苦しかったからなのだろう。
 掛け布団は足元で丸まってるし、シーツはぐしゃぐしゃになってるし、手足もバラバラに投げ出していた。
 本当に風邪をひいてるのかと思う寝相に、かがみはお決まりのため息をつくと、手を伸ばし、乱れたパジャマを直してあげた。
 と、そこで気がついた。
 触れたパジャマが湿っているのだ。
 もしかしたら昨日の夜は、かなり熱が出ていたのかもしれない。
 そしてその後のこの暑さ。そのせいで、かなり汗をかいてしまったみたいで、少しだけ服が重くなっているようだった。
 ――代えの着替えでも……、用意してあげるか。
 いつまでもこのままじゃ気持ち悪いだろう。
 起きたらすぐに着替えられるように、新しい服でも置いておこう……と思いながら、かがみは部屋のタンスに目を向けて、
「……その前にこの暑さをどうにかしないと」
 病人にこれは暑すぎる。
 エアコンも、そんなに身体にいいというわけではないけれど、今のこの部屋の状態に比べればマシだろう。
 さすがにこのままじゃ、妹の風邪も悪化してしまいそう……だけど。
 ――でも、このままじゃあ、ね。
 冷房をつけようにも……、今わかったとおり、妹のパジャマは湿っているのだ。
 これじゃあ冷やされすぎて、今度は風邪をひいてしまう事になりかねない(だからすでにひいている)。
 だけど部屋の中はますます温度が上がってきているみたいだった。
 動いてないのに汗が出てくる。
 起こして着替えさせようにも……、なんだかそれもためらわれるし。
どうしたもんか、とかがみは腕を組んだ。
 早く決定的な打開策を見つけないと、病人の命に関わるぞ。
 さあ考えろ。
 考えろ。
 考えろ。
 やがて汽笛は鳴る――、……ってそんなラノベのネタは置いておいて。
「………」
 ベッドの上で眠る妹は、相変わらず寝苦しそうな息を吐いていた。
 額に汗を浮かばせながら、顔を赤くしているのが……なんだか少しかわいそう。
 取るべき手段は、あれしかないか……。
 本当にこのコは手間のかかる妹だと思いながら、かがみは準備をするために部屋から出ていった――。




      ♪




「それじゃあ、始めるとしようかしらね……」
 なんとなーく、これからすることを思って、かがみはそっと額を押さえた。
 見つけた打開策は、単純なもの。
 手っ取り早く自分が、その汗で濡れたパジャマを着替えさせてあげればいいわけだ。
 で、ついでに汗でベタベタになっているだろう身体も一緒に拭いてあげようと、濡れたタオルも今さっき用意してきたところだった。
 どれだけ過保護なんだ……、とか思わないわけではなかったけれど、でも、その、まあ……これぐらいは姉として普通の事だと思うのよ。
 なにかはわからないけれど、十分に許容範囲内であるに違いない。
 だから、これは、そう。うん。
 早くつかさの風邪が治ってほしいという、優しさなのだ。
 別に甘やかしすぎとか言われそうだけど、断じてそんなことはありませんので、間違えないでいただきたく思います。
 ――と、自分の中で何か(特に多分あの背の低いヤツ)に精一杯納得をさせたあと、かがみは寝ているつかさを起こさないよう、ゆっくりとそのパジャマに手をかけた。
 一つ一つ丁寧にボタンをはずしていく。
 黄色いパジャマをはだけると、中からは白いキャミソールが姿を見せた。
 特に飾りつけも無い、質素なものだ。
 汗のせいで盛大に湿り気を帯びていて、肌にベタッと張り付いていた。
 こんなふうになるとかなり気持ち悪いのよね……と思いながら、かがみはつかさの腕を取り、パジャマの袖を脱がしていく。
 相変わらずの細い腕だ。
 そんでもって、いい肌をお持ちでいらっしゃる。
 若々しいというか、みずみずしいというか。
 隣の芝はなんとやらではないけれど、どうにもうらやましいような気持ちがしてくる。
 パジャマを半分脱がし終わり、つかさの上半身がキャミソール一枚だけになった。
 今度はそれを脱がさなきゃいけないわけなのだが、少しここからが大変だ。
 かがみはつかさの首の後ろの隙間に手を入れて、慎重に背中の下へ手をまわす。
 そして少し強く力をかけながら、そのままつかさの上半身を抱き起こした。
 ふぅ、と一息つきながら、かがみは腕の中の妹へと視線を落とす。
 力の抜けた人間は重くなると言うけれど、確かにこのまま支え続けているのは大変そうだ。
 にしても……すっかり体重を預けきっている妹には、起きる気配が全然なかった。
 スースーと、気持ちよさそうに寝息を吐いている。
 なぜかさっきよりも苦しそうに見えないのは、――私が支えてあげてるから……?
 いやいやいやいや。
 まだ彼女の顔は赤いままだし、さっきからずっと身体に伝わってきている体温はなんだか熱く感じるし、それにそれに――、
「んぅ……」
「…………っ!?」
 かがみの表情が、固まった。
 周りの時間が止まったような錯覚を感じながら、息を潜めてつかさの顔を見つめる。
 少しの間、彼女はむにむにと口を動かして、結局またそのまま元の寝息を立て始めた。
 どうやらまだ……、起きたりはしないようだった。
「………」
 何が、後ろめたいって言うのだろうか。
 やましいことなんて一切まったくしてないし、考えてだって…………いないし。
 腕の中の妹は、ちゃんと目をつぶって眠りについていた。
 顔は赤いけれど、ゆっくりと呼吸をしながら、嬉しそうに微笑んでいる。
 ――嬉しそうに、ですか。
 何が、ですか。
 なにがそんなに嬉しいんだ、あんたは。
 風邪ひいて熱出して、寝苦しそうにしているっていうのに。
 こっちはさっきから妙に暑くて、ずっと汗をかいてるっていうのに。
 その無駄に緩んでいる頬をつねってやれないのが、なんだか悔しかった。
 でもまあ、いつまでもこうしてもいられない。さっさと目的を果たしてしまおう。
 さっきから、少し鼓動が激しくなってるのが気になるけれど……。
「はい、じゃあ、脱ぎましょうね」
 すやすやと眠るつかさにそう言いながら、かがみは肌着の裾に手をかけ、脱がしていく。
 あらわになる肌が視界に入ってくるけれど、なるべく気にかけない。
 キャミから頭を抜き、前の方から手を通して外していく。
 やはり汗のせいで肌にひっかかったりしたけども、どうにかして脱がす事ができた。
 つかさの上半身が、完全に裸になる。
 その白い肌は、お風呂に入って温まったときみたいな、血行が良くなったときみたいな独特の赤みを帯びている。
 一瞬、かがみは視線をさまよわした。
 ……相変わらず自分は何を恥ずかしがっているんだろう。
 同姓だし、姉妹だし、去年旅行に行ったときも一緒にお風呂に入ったことがあるわけだし、そんな、こんな、なにかでありがちな反応を自分がするとは思いもしなかった。
 ――だけど、と思う。
 それだけ動揺するような感覚が、目の前にあるのだ。
 それはこのシチュエーションだったり、つかさの身体が……綺麗だからだったり。
 その細い腕とか。
 腰、とか。
 ……胸、とか。
 首とか、柔らかそうなほっぺだったり、綺麗に伸びてるまつげだったり、うっすらと開いた少し潤んだ瞳だったり――……。

 ………。

 ひと、み?

「――お姉ちゃん……?」
「………」

 一瞬、心臓が止まったような気がしたのは、錯覚ではないと思う。




      ♪




 知らないうちに、つかさが目を開いてかがみのことを見上げていた。
「あっ、えと、……あ……えっと……」
 とにかく何かを言わなきゃダメだと思った。
 だけどいったい何を言葉にしたらいいのか判らずに、口から出るのは単語にすらならない。
 ただ心の中から、なにかが必死になって信号を送り続けているのだけは把握できた。
「……?」
 と、つかさは、寝ぼけまなこのまま、疑問顔でかがみのことを見つめていた。
 さんざん熱っぽい顔で、姉の姿を見つめた後、ふと自分の身体の事に気付いたようで、
「ぁー……」
 と変な叫び声をあげた。
 そしてゆっくりとした動作で、何も着けていない身体を隠そうと、両手を胸の前へと持っていった。
 顔がさらに真っ赤に染まる。
「そのね、つかさ、その」
「いくらなんでも……寝てるときはダメだよ……」
 ――なんて言葉を、上目遣いで言ってくる。
 それなら寝てないときはいいのかよっ――と、自分の奥の中心みたいな変に冷静な部分がツッコミを入れた。
 だけどどうやらそのおかげなのか、どうにか正常な思考が戻ってきた。
 だから……何を慌てる必要があるっていうのか。
 さっきも言ったように、何もやましい事なんてしていないし、考えても……、も……、い、いないし。
 それにこれはそう――。
「なに勘違いしてるのか知らないけど、あんたが汗びっしょりなのに、クーラー入れたら余計風邪が悪化すると思って、だから着替えさせてあげようと脱がしてあげてて……。
で、ついでに身体も拭いてあげようと思って、でもその途中であんたが目を覚ましたから、まだ私はぜんぜん触って無いの。だから大丈夫。それだけっ。判った?」
「えっ、あ……。う、うん……」
 そう一気に早口でまくし立てると、つかさは圧倒されながらも頷いた。
「そっかぁ……」
 一瞬残念そうに見えたのは、多分気のせい――。
「ありがと。お姉ちゃん」
 にっこりと、つかさが微笑んだ。
「わ、……わかったなら、ほら。これで軽く身体拭いて、服着なさい。それでまたしばらく寝てること」
 思いっきり顔が赤くなってくるのを感じながら、視線を逸らしつつタオルを差し出す。
 変にてんぱったせいなのか、部屋が暑すぎるせいなのか、身体にいやな汗をかいていた。
 肌に服が引っ付くような、ベタベタした感触がする。
 自分も着替えた方がいいかもしれないと思いながら、かがみは小さくため息をついた。
「………。…………えっ?」
「え、って何よ」
 つかさがかくんと首を傾けながら、かがみを見つめていた。
「拭いて……くれないの?」
「………。……なんでよ」
 そもそも起こすのがイヤだったから、寝てるうちにしてあげようと思っていたのだ。
 けっきょく目を覚まさせてしまったわけなのだが、このまま自分がする理由はすでになくなっている。
「面倒くさがってないで、それぐらい自分で出来るでしょ? それでさっさと冷房つけて、今日は一日寝てなさい」
「で、でも……」
 と、つかさは眉を寄せる。
「起きたばっかりで、頭がふらふらするし……、まだちょっと顔も熱くて、ボーっとして……。身体も少しだるいし……」
 と、確かにいつもよりもさらにスローな感じで、つかさは言う。
「…………ダメ……?」
「ぁー……、ぅう……」
 かがみはその視線を受け止めきれなくなって、目を逸らした。
 熱があって、目元が赤くなっているからか、つかさの“お願い”してくる顔が、いつもよりも攻撃力が高い気がする。
 ジーッと穴が開くくらい、相変わらず上半身裸のままで見つめられて、これ以上何も言えなくなったのを感じた。
「……判ったわよ」
 と、肌に張り付く髪の毛をかきあげながら言う。
 そう言うと、つかさはホッとしたような顔をした。
 甘い、だろうか。
 いつもいつも自分は、妹といるときは甘くなってしまう気がする。
 妹に対しても、そして……自分自身に対しても。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「ほら……、望みどおりしてあげるから、じっとしてなさいよ」
「うん」
 ――だけどその理由は、けして妹を甘やかすことがイヤではないからだ。
 手間がかかると思いながら、頼ってくれるのが嬉しくてしかたなかったりする。
 でも……、だから困ってしまうわけで。
 そしてまた、それがそんなに困ったことに思えないのも……かなり重症だと思う。
「ふぁ……」
 と、背中にタオルを押し付けたら、つかさが声を上げた。
「……変な声出さないの」
「う、うん」
 あまり力をかけないようにしながら、その背中を拭いていく。
 まっさらだ。
 ショートカットの合い間から見えるうなじから真っ直ぐに、傷一つない肌が一面に拡がっている。
 そこには余分なモノが一切ついていなくて、ただ背骨と、肩甲骨と、筋肉が合わさりながら、なだらかな表面をつくりあげていた。
「っん……」
 つ……と真ん中に手を這わせたら、ピクッと背筋を震わせた。
「じゃ……次は、前ね」
「………。……うん」
 つかさは一瞬、こちらと目を合わせて、でもすぐに……恥ずかしそうに目を伏せてしまった。
 ――そんな恥ずかしがるんだったら、頼まないでよ。
 こちらもそれがうつってしまったかのように、頬が熱くなってきた。
 ただでさえ室温で暑くなっているっていうのに……。
 また少し部屋の温度が上がったような気がしながら、妹の腕をとる。
 つかさが恥ずかしそうに、でも少し嬉しそうにしている様子を視界の端に止めつつ、その肌にタオルを走らせていく。
「ちょっと、思い出すな……」
「……何が?」
 掴んだ左手が握り返してくるのを感じながら、聞く。
「もっと小さかったときね……。あんまり重い風邪をひいたことなかったのに、すごい熱で寝込んじゃって……」
 つかさはまぶたを少し閉じながら、ささやくように言葉を吐く。
「ようやく熱が引いたんだけど……。風邪ひいてるときってお風呂に入れないでしょ?」
「まあ……、ひき始めならともかく、湯冷めしたりとかあるから、それが普通よね」
「うん。だからそのときも、汗をかいててもお風呂で流せないから、身体が汚れてる感じで……」
 かがみは左手を離し、今度は右手に手を伸ばした。
「それでお母さんが、私の身体を拭いてくれて……。……そのとき以来かなぁ、って」
「………」
 子どもの頃は確かにそうだった。
 いつも風邪をひいていたあの頃は、ときおり母がそんなことをしてくれたものだ。
 熱で頭がふらふらしているのを感じながら、優しく触れてくれるのが嬉しかった気がする。
 だけどこの歳になると……さすがに人にやってもらう事はない。
 ……今みたいな例外を除けばだけど。
「だからね」
「ん?」
 肩と首周りを拭きながら、すぐ目の前の瞳に目を合わせる。
「ちょっと……、嬉しいなって」
「……そう」
 と言って、かがみは熱っぽい視線から目を逸らした。
「手、どけて」
「……?」
「前も……、拭くから」
「………。うん……」
 そう言うと、つかさはさりげなく身体を隠していた腕をどかした。
 恥ずかしそうにうつむきながら、でもわずかに口元にいつもの微笑を浮かべている妹の頭をそっと撫でると、かがみはその身体へと手を伸ばした。
「ん……」
 右手を肩にそえながら、左手でお腹の辺りに触れていく。
 タオル越しにも、呼吸をしている動きがはっきりと伝わってくる。
「………」
「………」
 妙な沈黙が二人の間に流れているのを感じつつ、かがみはタオルで拭く範囲を上に移動させていく。
「…………っふぁ…………」
 押し殺した、のかもしれない。
 ピクッと身体を反応させて、つかさがかすかな吐息を口から漏らした。
 喉の奥で鳴るような、小さな声が時々するのを聞きながら、かがみはその手を動かしていく。
 彼女の胸は意外にある。
 といっても、“すごくなさそうに見えて”、実際はある……という意味だけど。
「……っ……ん……」
 触れるたびに、形を変えるのがわかった。
 丁寧に丸く整った形状が、タオルに翻弄されて揺れ動いている。
 つかさの閉じた目蓋が震えていた。
 左手に感じる心臓の鼓動に合わせて、半開きになった小さな口から息が漏れていた。
 包み込むように、優しく、傷つけないよう、その肌にタオルをなぞらせる。
 どこまでも柔らかくて、でもしっかりと押し返してくる感触に、少しだけ指先が震えた。




      ♪




「――はい、終わり」
 身体の隅々までしっかりと触って、もとい拭いてあげて、ようやくかがみはつかさの身体から手を離した。
 使う前は十分湿っていたタオルも、今ではもう乾き始めている。
 なんだかすごく頭に血が上ってるような気がして、かがみはそっと額を押さえた。
 ふと見た窓の向こう側。
 そばにある神社の林から、たくさんの蝉が鳴いているのが聞こえてきていた。
 たとえ閉めきっていても家の中まで聞こえてくるその鳴き声は、もはやこの家の、夏の風物詩と言える存在だ。
 暑い。
 額が汗で湿っている。
 どうしてこんなに暑いのか。
 それは……、もちろん冷房がまったくついていないから。
 なんでって、元々はつかさのパジャマが汗びっしょりで、そのままでは風邪が悪化してしまうから……。で、着替えさせてあげようと寝ている隙を突いてその服に手をかけ、その肌を外気にさらし、さあどうしようかというタイミングでつかさが起きてしまって……。
 ――どう考えても、脱線しすぎよね。
 熱で、やられた……?
 ……なんの熱よ。
 そもそもつかさが、いや……自分のせい?
 ダメだ。
 なんだろう。
 少し熱っぽいような気がする。
 うまく思考がまとまらない。
 そういえばなんか大事なことを忘れてるって言うか、前にも思い当たるような事があったっていうか……。
「その、お姉ちゃん……」
「……なに?」
 声がして顔を向けると、つかさが上目遣いで見上げているのが目に映った。
「あ……、ほら。いつまでもそんな格好してないで、早くこれに着替えちゃいなさいよ」
 そばに用意しておいた新しいパジャマ渡しながら、かがみは言う。
「あっ、うん……。だけど、そのね……」
「……?」
「……えっと……その……」
 ――ああ。
 なんとなく、直感でわかった。
 目の前の妹は、熱で顔を赤くしながら、しどろもどろに何かを言おうと必死になっていた。
 特に今日は、風邪を引いているせいで余計に頭が回っていないんだろう。
 微妙に身体を隠しながらも、迷ったように目を動かしていた。
 自分は知っている。
 この後に妹がどんな事を言ってくるのかを。
 そして、その後の展開も。
「その……ね」
「なに?」
 首を傾げて、続きを促す。
「…………下、も拭いてほしい……ん、だけど……」
「………」
 さっきの予想は、半分当たり。もう半分は……。
「いや……。別に足は拭かなくても、いいんじゃない……?」
 一応、言ってみる。
「でも……、下もけっこう濡れちゃってるし、ベタベタして気持ち悪いし……」
「………。………」
「あ……、でも……。……ダメ……なら……」
 ごにょごにょと口を動かすつかさ。
 内容には少し面食らったけど……、――大方予想通りだ。
「ぁぅ……」
 くしゃりと、妹の頭を撫でくってみる。
 触れた額は……少し熱が上がってるような気もした。
「……終わったら、今度こそ終わりだからね」
「え、あ……。うん……」
 本当にどこまでも予想通りというか、当たるのが決まってるギャンブルなんて、賭けにはならないっていうのに。
「ズボン……、自分で脱げる?」
「う、うん」
「………」
「あっ、っ、ふぇ……、あれっ。…………引っか、かって……――ぁ……」
 熱で手が上手く動かせないのか、湿っていて滑らないせいか、足の途中まで脱げかかっていたのを、かがみは引っ張って下ろしてあげた。
 見るからになめらかそうな太ももから足の先までが、ベッドの上に投げ出される。
 かがみはそっとため息をつくと、タオルを持って、つかさの左足へと手を伸ばした。
「……んっ……」
 やっぱりくすぐったそうに、つかさが声をあげる。
 かがみはそれを聞きながらも、優しい手つきで細い足を拭いていく。
「あの……お姉ちゃん」
「なに?」
 手を動かしながら、やっぱり足も自分のより綺麗かもしれない、と思いつつ聞き返す。
「やっぱり……、迷惑だった……?」
 少しうつむき加減で、つかさは言う。いつもよりも表情が暗い気がするのは……風邪をひいてるとき特有の、ネガティブな思考のせいだろうか。
 拭く足を変えながら、かがみはつかさに言葉を返す。
「あんただって……わかってるくせに」
「え……?」
「私が、断らないってこと」
「ぁ……」
 つかさは眠たげだった瞳を大きく見開いた。
「えっと……違っ……、あれ、で……も……。ちが……」
 わたわたと表情を変える妹に、かがみは苦笑する。
 これはちょっとした、しかえしだ。
 いつも頼りっぱなしな彼女への。
 つかさはどんどん困った顔になっていく。
「あのね、その……、私、別に……――――ひはぅっ……!!」
 ビクッ、とつかさが足を引っ込めた。
 無防備にさらけ出していたその足の裏を、思いっきりつっついてやったからだ。
 「!? ~っ?」と、つかさは目を白黒とさせていた。
「お、お姉ちゃん……」
 眉を寄せながら、つかさはおずおずと目で訴えてくる。
「別に……そんなに気にしないでよ」
「……?」
「私は……、迷惑だったり、困ってるわけじゃないんだから」
 こうやって――、私が彼女の頼みを断らない事なんて、予想通りすぎる展開だった。
 言っちゃ何だけど、つかさに本気で何か頼まれでもしたら、無下に出来る自信は一切無い。
 それはもう、お決まりというかなんというか……。
 なにせ自分は――。
「もう、終わったから。……これでいいでしょ?」
 暑いとかいうのは、もう気にしても無駄だと思ってさっきから無視してるけど、……そろそろ真剣に危険だと思う。
 実際は、けっこう頭がふらふらだったりもしているし、なんだか少しだけ……熱っぽい気がした。
 かがみは顔を上げて――、相変わらずつかさが上に何も着ていないのを思い出して、視線をそらした。
「ほ、ほら……。もういい加減に、服を……」
「――ま、まだ…………」
「………。……?」
 まだ何か――と、一瞬身構えたけれど、……つかさの様子が少し違った。
「……つかさ?」
「………」
 顔が赤いのは、さっきからずっとだけど、今は――さらに赤くなっている。
 それはもう、真っ赤っていうくらい。
「そ、の」
 それは熱が出てるからって言うよりも……、恥ずかしいから……?
 なんだかこっちまで顔が熱くなってきそうになりながら、つかさのことを見つめる。

「最後が……まだ……」
「……え?」
 思わず、聞き返した。
 チラッとこちらを見つめてきた目が、普段の妹のものと全然違って、妙に……ドキッとしたから。
 それは、……予感みたいなもの?
 胸が締め付けられるような、段々と鼓動が速くなってくるような……。
「その……」
「………」
 じっと見つめる。つかさの、その少し赤みを帯びた白い身体を。
「……最後まで……」
「………」
「ちゃんと最後の……、ところまで……。……拭いて…………」
 そう呟いて、つかさは顔を真っ赤にしてうつむかせながら、その身体を震わせた。
 ――最後の、下着一枚しか着けていない身体を。

 ――あぁ……。

 つかさの言葉の意味がなんとなく判って、顔が一気に赤くなっていくのが判った。
 それはつまり……。
「……お姉ちゃん……」
 切なげに、つかさがため息をつくように呟いた。







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