kairakunoza @ ウィキ

あきらの虚勢、白石の心情

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 現役中学生アイドル小神あきらがパーソナリティを務めるラジオ番組、『らっきー☆ちゃんねる』の
アシスタントが僕のバイトに加わったのは、たまに霜の降る冬の真っ只中、年末のことだった。
良いとこ端役、普段通行人と言うエキストラ係の僕としてはその仕事は快挙で、快挙過ぎて、
逆に怪しいとすら思ったものだけど――その勘は的中した。カメラが向いていないときのあきらさん、
いやさあきら様は、とにかくいつも不機嫌そうにのんべんだらりと机に臥せっている。控え室の空気は
滞留して圧し掛かり、プレッシャーとなる。
 勿論僕みたいなぺーぺーの三下とアイドルの彼女は扱いなど雲泥の差だ。僕には控え室なんて上等な
ものは用意されない、大概スタジオの隅の邪魔にならない場所でぼんやりしているのだけれど、
彼女にはリクライニングチェアやテレビ・ゲームのある大きな部屋が与えられている。

 がしかし。
 何故僕はこんな重い空気の中で彼女と一緒にいるのだろう。
 座敷状になっている一角、ちゃぶ台に伏せる彼女の向かいに座りながら――僕は正座だった。

 番組が始まってから少しした頃だっただろうか、彼女の本性や扱い方が判り掛けてきた頃から、
僕はこうやって控え室に呼ばれるようになった。恫喝されるでもなければいびられるでもなく、まして
ゲームや稽古の相手をされるでもなく、ただこうやってぐったり身体を休めている彼女の横にいさせられる。
アイドルと一つの部屋に! と言えば夢もあるかもしれないが、一度たまりかねて訊ねたときは、世にも
凶悪な顔でひと睨みされただけだった。萎縮して二の句が継げなくなった自分はひどくチキンだと思うが、
年下とは言え目上の人であるわけだし、あとやっぱ怖いし。
 収録までにはまだ少し時間がある。その少しがこの部屋ではひどく長い。音を立てないようにゆっくりと
足を崩すと、ぴくり、彼女が僅かに指を動かした。床に顎をつけて眠る犬のようだと思ってから、いや
彼女はネコだろうかと思う。どちらかと言えば、きっとそうだ。鋭い牙と柔らかな頬袋を持つげっ歯類が、
一番近いかもしれない。

 少し痺れた足を揉んでゆるゆると解せば、喉の乾きに気付く。衣装でもある制服は詰襟で、あまり
通気性はよろしくない。加えてプレッシャーから、汗が出すぎなのだろう。ゆっくり立ち上がって靴を履き、
僕は彼女を見る。ぴくり、ぐらいはしたかもしれないけれど、その身体は伏せったままだ。
疲れているんだろう、やっぱり。

「あきら様?」

 囁くように声を掛ければ、だぼだぼの袖がふりふりと返事をした。

「飲み物買ってきますけど、何か要りますか?」
「おれじゅー」
「いつものつぶつぶですね。判りました、行ってきます」

 現役中学生アイドル小神あきらは忙しい。義務教育でもある学業をおろそかにすることは基本的に
許されないし、テスト期間だろうがなんだろうが仕事は絶え間なく収録も絶え間ない。多分一番に削られて
いるのは睡眠――休養の時間、だろう。だから僅かの暇に彼女はぐっすりと、あるいはぐったりと身体を
休める。
 僕も一応役者の端くれなわけで、仕事は欲しいしもっと売れたいと思うけれど、彼女を見ていると
それにも少し複雑なものが混じる。最寄の自販機を見て、あ、と喉から声が漏れた。あきら様御用達の
オレンジジュースはには、売り切れランプが点灯している。勝手に別なの持っていくと怒るだろうなあ。
仕方ない、ちょっと遠いけど、他の自販機に行こう。

 随分小さい頃からこの業界で育ってきたと自負する彼女は、酸いも甘いも通り抜けてきたらしい。
彼女の母親もサポートしただろうが、やはり試されるのは本人、それはおそらく事実なのだろう。少し
性格が歪んで、わがままで横暴だったりはするれど――先輩として尊敬していないわけは、もちろんない。
いじられるだけ僕もまだ先が明るいだろう。暗くても、少なくとも今はそこそこに明るいのだから、
構わないか。事実レギュラー番組があることで、バイト生活は幾分楽になっているのだし。
 彼女はきっと、僕よりずっとハードなスケジュールをこなしているのだろう。あの華奢な身体でよくもつ
なあと、感心するばかりだ。フィジカルな負担もそうだけど、メンタルな負担だって相当なものだろうに――
自分のコーラと彼女のつぶつぶオレンジジュースを両手に持って、僕は小走りになる。
遅れたらちくちくと言葉を刺されそうだ。
 僕にとってそれが特に負担になっていない辺り、なんともなぁ、なんて。

「あきら様、戻りま」

 言葉は途中で止まった。
 ドアを開けると、プロデューサーが彼女の腕を掴んでいた。
 ちゃぶ台に向かい、彼女の隣に身を摺り寄せてそうしているのは、どう見ても穏やかではない。
 僕の登場にプロデューサーは唖然とし、僕もそうなる。
 あきら様だけは、苦虫を噛み潰したような顔で――
 掴まれていた腕を、振り払った。

「白石くんおっそーい! あきらもう待ちくたびれちゃったよぉ、つぶつぶちょーだーいっ!」

 べとり、顔にアイドルの仮面を貼り付けて、きゃぁっと彼女ははしゃいだ声を出す。呆然とした僕は
胡乱な返事をしながら、求められるままに缶を差し出した。その間にそそくさと立ち上がった
プロデューサーは、靴を履いて僕と擦れ違いにドアに向かう。

「それじゃあきらちゃん、今日も頑張ってね!」
「うん、あっりがとー! あきらがんばっちゃうよ、アイドルだもんっ☆」
「はは、流石に元気だね、中学生は……じゃ、じゃあ」

 ぱたん、と響いたドアの音は、いやに白々しかった。

「あ――あきら様」
「うん? なぁに、白石くんっ」
「いえ、その、なんでもありません――ジュース、零さないように、気をつけて……下さい、ね」
「大丈夫だよーっ、コドモじゃないんだから!」

 水で濡れたティッシュをガラスに貼り付けたようにべとりとしたそのアイドル面を剥がすことは、
僕には出来ない。だから何も見なかったことにして、僕は靴を脱ぐ。ちゃぶ台に向かう。
 急いで来た所為か、プルタブを開けたコーラは少し泡を吹き出して、彼女はそれを指でさして笑った。


 ちょっと体調悪いからごめんね、と言って、彼女は収録後の食事をパスした。いつもならタダ飯として
一週間の貴重な栄養源になるそれを、僕もなんとなく断る。プロデューサーはそ知らぬ顔で次の仕事に
向かった――ぺーぺー役者の僕なんて取るに足らないし、あきら様は、隠蔽を主導した。それで、
彼にとっては何もかも十分かつ十全だったのだろう。

 荷物を取りにあきら様の控え室に向かうと、彼女はジュースの缶の縁をがりがりと噛みながら、
あの苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 なんとなく言葉が見付からなくて、僕は鞄とスポーツバッグを拾い上げる。
 傍らに置かれてある可愛らしいボストンバックは、あきら様のものだ。ちゃぶ台の他にテーブルもある
のに、どうしてこんなところに置いておくんだろう、と思う。ブランドっぽいのに。床になんか置いたら、
埃がついてしまう。
 収録後はあきら様が起きている分、それほどプレッシャーは感じないはずだった。ダメ出しされたり
からかわれたりと番組の延長めいていじられるのは、やっぱり嫌いじゃない。やっていることが同じでも
それがプライベートの会話だからだろう、それは――楽しい、かも、しれなくて。

 押し黙った彼女がアルミ缶を噛む音が、カシカシと響く。
 不意にそれが、止む。
 背中を押された、気がした。

「あきら様」

 と呼んでいる途中で、僕は早くも後悔を始めていた。声を掛けたところで、次に何を言うつもりだと――
あの時プロデューサーに何をされていたのかとか、本当に体調が悪いんですかとか、どうして僕をいつも
控え室に置くんですかとか、どれもなんだか都合が悪い。過剰に踏み込みすぎている。きっと機嫌を損ねる
だろう、それは怖くないけれど――嫌われるのは、嫌だ。仕事が遣り辛いとかそういうわけじゃなく、
それは、僕が、僕が悲しいから。
 だから、無難な言葉を、愚鈍な言葉を、精一杯に、

「た――体調は、大丈夫ですか? その、どこが悪くて」
「別に体調はそんな悪くないわよ」
「で、でも」
「胸糞は死ぬほど悪いけどね」

 トーンの落ちた低い声で、彼女はちゃぶ台に缶を置く。軽い音は、もうそれが空だと示していた。不機嫌
そうに口唇を突き出しながら、舌打ちする。これは――突っ込んでも良いのだろうか。それを許されている
隙なのだろうか。逡巡する間に、彼女はくくっと喉を鳴らして肩を揺らす。

「あんたさぁ、意外と空気は読めるみたいだよね」
「く――くうき」
「あそこで大騒ぎしてたらメッチャクチャだったわよ、主にあんたの役者人生が。あのプロデューサー、
 元々ドラマ関連で仕事してたからそっちの方にコネ強いわけよ。ペーペーのパッとしない三下の一人
 ぐらい潰すの、簡単過ぎ。基本的にドラマなんか事務所とテレビ局の関係だしね……、
 イメージどーのこーのなんて後付けよ、後付け」
「あ、あきら様」
「『無かったこと』にすんのが一番手っ取り早くて都合が良いの。そーゆー噂は聞いてたけど、
 まっさか中学生相手にコナ掛けてくるとは思わなかったって言うか、ねぇ?」

 くけけけけけ、と押し殺された笑いはどこか老婆めいて、彼女の風貌に似合わない。
 そういう噂。
 だったらやっぱり、あの時彼女は、プロデューサーに。

 ふつふつと沸いてくるのは怒りだったはずなのに、込み上げて迫り上げるほどにそれは萎んで冷たく
なっていく。諦めのようなものがじんわりと滲んでいくのは、僕も何だかんだで、この業界の人間だから
だろう。女性にはとくにそういうものが多いらしい、だからって――彼女は、中学生だ。そんな対象で
見る気には、到底なれない。
 伺うようにすれば、手持ち無沙汰なのかぺこぺこと缶を鳴らしながら彼女は遊んでいる。
 華奢で小さくて子供みたいでだけど先輩で。尊敬するひとではあるけれどたまに居た堪れない
プレッシャーを与えられたりして。それすらも特に苦痛ではなかったけれど、今は、この空間は、少し苦痛で。
 この部屋で過ごす時間は、いつも少し秒針が遅い。

「……すみません。もっと早く、戻っていれば」
「まったくよ」

 くけけ、やっぱり彼女は笑う。悪そうに、悪ぶって。

「ほんとはマネージャーとかがどーにかしてくれるはずなんだけど、うちのママそういうの全ッ然頼れない
 からさ。だからパパと別居なんかしてんだけど。下手するとあたし売られるかもね」
「そ、そんなッ」
「冗談に決まってんでしょ、半分ぐらいは。とにかく自衛はしとかなきゃってことで、あんたをここに
 置いてるの。大体今日の遅さナニ? なんであんな時間掛かってんの、あんたどーせいっつも
 コーラでしょ。迷ってんじゃないわよ」
「いえ、その、つぶつぶが売り切れで」
「はぁ?」

 だから玄関近くの自販機まで買い出しに行ってたんです、と言うと、あきら様はくすくす笑う。
 それはシニカルでも老婆めいたわけでもなく、いつもの彼女の笑い方だ。
 すぅうっと、胸が透いていく気がして、ほうっと肩の力が抜ける。
 けらけらしながらばたつかせた足は、脹脛もまったいらで細く――
 一瞬大腿まで捲れたスカートに、どきりとした。

 あれ――まずい。
 違う、そういう、わけじゃ。

「じゃ、これからは第二候補まで教えといてやるから、絶対離れるんじゃないわよ。
 ったく手間掛かるんだから、ほら、ちょっとあたしのバッグ取って」
「あ、はいっ」
「さっさと行くわよ。あんま遅くなると混むんだから」
「え、混むって、どこに……あ、待ってください、あきら様っ」

 とててて、と可愛らしく走りながらドアを開け、彼女はくるりと僕を振り向く。

「あきらの、とーってもお気に入りの、お・み・せ☆」
「……って、まさかそんな、いけませんあきらさん!!」
「様って付けろ」
「はいあきら様」
「勘違いしないのーっ! いっしょにご飯食べよって言ってるだけなんだからっ。すっごく美味しいし、
 やっすいんだよー! あきらおごってあげちゃう! いつもジュース貰ってるもんねっ☆」
「は、はい、恐縮です……」


 ちなみに連れて行かれた先はラーメン屋で、お父さんと昔行って以来お気に入りだというそこは、正直
そこまで美味しいと言うほどではなかった。ごく普通、ただ、陽気な店主さんがあきら様の写真を店に
沢山飾っていたし、居心地の良い場所だったと思う。多分そういうものも含めて、彼女には美味しいのだ。
思い出とか、空気とか。
 人を連れてくるなんて珍しいねと、店主さんは言っていた。
 お父さんと行った、と言う辺りに、少しだけもやもやとしたものを感じなくも無い――この複雑な心地は、
あまり自覚したくないと思った。正直、そういうのは、勘弁して欲しい。
 そういう、見込みのないことは――悲しい。

「あの、あきら様」
「んー?」

 大盛りタンタン麺を平らげてご機嫌な彼女は、僕の三歩ほど先を歩いていた。日も暮れているから
一応送っていく為に一緒の帰路についているのだけど、前を歩かれたら意味が無いと思う。
どっちが送られているんだか。方向は、確かに大体同じだけど。

「つぶつぶがないときの第二候補、なんにします?」
「ああ、それね――まあ、あんたと同じコーラで良いかな」
「? あきら様は炭酸飲めないって聞いてますけど」
「あんなんキャラ付けに決まってんでしょキャラ付けに。カロリー高いけど糖分摂んなきゃ
 やってらんないし、その点コーラって結構良いエネルギーよ。眼もさめるしさ」
「やっぱり、しんどい……ですよね」

 フィジカルにも。
 メンタルにも。
 くるりと振り返って、彼女は笑う。

「そんなことないよっ?」
「でも、」
「だってあきらアイドルだもーん☆」

 ああ、と僕は、やっぱり彼女を尊敬する。
 心配なんか、無用ですよね。
 むしろ心配なのは、僕のほうか……。








コメントフォーム

名前:
コメント:



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー