es(1) /// / 原因・理由純詞 \ 13:
seren:
klel:
lumi \ [
ivi ] \ (原因・理由純詞)何故、何ゆえ、どうして、何で \ [
vetyolom ] \ 日本語の疑問詞に当たるものは形骸的な用法を持つが、アルカのは額面どおりの意味しか持たない。それは疑問文を疑問文として保護するためである。アルカでは質問することは重要視されているので形骸的な疑問文は嫌われる。日本語のように形の上では疑問文だが実際には疑問になっていないということなど考えられない。相手が誠実に答えるほどバカを見る。そのようなことをしているとやがて質問者も回答者も忌憚なく質問をしあわなくなる恐れがある。ゆえにアルカでは形骸的な疑問文は使わない \ 「お前何言ってんだよ」では本当に「何」を聞いているのではない。この
場合は
toを使わず
ala ti ku-i anという。「何ちんたら歩いてんだよ」の何はなぜに当たるものだが、これも理由を聞くというよりは単なる非難である。これも
esは使わず
ala ti lof-i tix soaという。「お前どこ見てんだよ」も実際に「目です」などと答えれば余計に相手を怒らせる。これも
amは使えない。
ala ti in-i anという。また、非難だけでなくからかいや皮肉にも日本語は疑問詞を使う。「泣いてあたしに謝ったのはいつのことだっけ?」という場合、
omは使わない。
ti kel-in map ti vant-a an kont enaという \
es(4) /// / 再起格名詞を作る接尾辞、動作主と対象が同じであることを表わす接尾辞、~する人 \ 16:
seren:
klel:
lumi \ [
areu ] \ 再起格名詞を作る接尾辞、動作主と対象が同じであることを表わす接尾辞、~する人 \ [
vetyolom ] \ 動作主と対象が同じであることを表わす接尾辞。たとえば
lab-eを例にとると、
lab-eは「
ulは
onを
totの内容で働かせる」である。よって
labanは働かせる人であり、
labinは働かされる人である。もしこのesがなければ「働く人」も「働かされる人」も区別が付かなくなってしまう。そこでesを使って
labesとすると、
ulに対して
onが再起的な意味を持つようにできる。つまり
labesは働かされる人ではなく、自分で自分を働かせる人、即ち働く人である。このように、接尾辞のesが付いた場合、
ulに対して
onは必ず再起の
enを取る。つまり
labesとは
an lab-e enするような人のことを表わしているといえる。他にも
lofesは歩く人で、
skinesは座る人である。姿勢動詞は再起型が多いのでesはよく使う。尚、
an,
onと違う役割を持つので聞き違いを防ぐため、できるだけ音は離してesにしてある \
最終更新:2007年05月08日 15:15