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■「主権論」「国民主権」に関する様々な見解 <目次> #contents() ---- **◆1.LEC『C-Book 憲法Ⅰ《総論・基本的人権》』 p.65~ 国民主権 ---- ***一 主権の意味 |BGCOLOR(#CCCC99):①|BGCOLOR(#CCCC99):国家の統治権としての主権|BGCOLOR(khaki):統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権|ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項)| |BGCOLOR(#CCCC99):②|BGCOLOR(#CCCC99):最高独立性としての主権|BGCOLOR(khaki):国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権|ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段)| |BGCOLOR(#CCCC99):③|BGCOLOR(#CCCC99):国政の最終決定権としての主権|BGCOLOR(khaki):国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権|国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。&br()ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段)| ***ニ 国民主権の意味 ****《問題の所在》 日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。 それでは、ここにいう「国民」を&bold(){全国民}と考えるべきか、それとも&bold(){有権者の総体}と考えるべきか。 国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという&bold(){権力的契機}と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという&bold(){正当性の契機}をどのように考えるかという点と関連して問題となる。 ****《考え方の筋道》 |BGCOLOR(khaki):Step①|BGCOLOR(#CCCC99):憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1条)| |>|BGCOLOR(WHITE):   ↓ この点| |BGCOLOR(khaki):Step②|BGCOLOR(#CCCC99):主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。| |>|BGCOLOR(WHITE):   ↓ しかし| |BGCOLOR(khaki):Step③|BGCOLOR(#CCCC99):それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。| |>|BGCOLOR(WHITE):   ↓ そこで| |BGCOLOR(khaki):Step④|BGCOLOR(#CCCC99):基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。| |>|BGCOLOR(WHITE):   ↓ ただ| |BGCOLOR(khaki):Step⑤|BGCOLOR(#CCCC99):憲法改正権の存在(96条)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。| |>|BGCOLOR(WHITE):   ↓ | |BGCOLOR(khaki):Step⑥|BGCOLOR(#CCCC99):以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43条Ⅰ参照)。| ****《アドヴァンス》 |BGCOLOR(#CCCC99):A|BGCOLOR(#CCCC99):有権者主体説|「国民」を有権者の総体と考える見解。| |BGCOLOR(#CCCC99): |BGCOLOR(#CCCC99):a-1&BR()主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮)|主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。&BR()従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。&BR() →権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない&BR()(批判)&BR()①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。&BR()②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。&BR()③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。| |BGCOLOR(#CCCC99):|BGCOLOR(#CCCC99):a-2&BR()フランスの議論を採り入れる説(杉原)|日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。&BR()しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。&BR()従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。&BR() →権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。&BR()(批判)&BR()上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。| |BGCOLOR(#CCCC99):B|BGCOLOR(#CCCC99):全国民主体説(宮沢、橋本)|「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。&BR() →このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。&BR()(批判)&BR()国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。| |BGCOLOR(#CCCC99):C|BGCOLOR(#CCCC99):折衷説(芦部)|「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。&BR() →「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質)| |>|>|>|BGCOLOR(TEAL):COLOR(WHITE):CENTER:【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】| |BGCOLOR(#CCCC99):フランスの主権論|ナシオン主権|⇔|プープル主権| |BGCOLOR(#CCCC99):憲法|1791年憲法|⇔|1793年憲法| |BGCOLOR(#CCCC99):主権者|Nation <仏> (= Nation <英>)|⇔|Peuple <仏> (= People <英>)| |BGCOLOR(#CCCC99):国民|観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない|⇔|具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民| |BGCOLOR(#CCCC99):権力行使|授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定)|⇔|国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形| |BGCOLOR(#CCCC99):授権の内容|代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし|⇔|代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり| |BGCOLOR(#CCCC99):契機|国家権力の正当性の根拠が国民に存する|⇔|主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル| |BGCOLOR(#CCCC99):諸制度|制限選挙・自由委任|⇔|普通選挙・命令委任| |BGCOLOR(#CCCC99):歴史的意義|絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的)|⇔|市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的)| ****《One Point》 学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。 なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。 この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。 ****《How To》 近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。 なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。 直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。 ---- **◆2.芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) p.39以下 ---- 国民主権の原理は、絶対主義時代の君主の専制的支配に対抗して、国民こそが政治の主役であると主張する場合に、その理論的支柱とされた観念で、近代市民革命の成立以後、国家統治の根本原理として近代立憲主義憲法において広く採用されている。 もっとも、その原理の内容を具体的にどのように理解するかについては様々な見方が示されてきており、現在もなお活発な議論が展開されている。 ***1.主権の意味 主権の概念は多義的であるが、一般に、 |BGCOLOR(#CCCC99):①|BGCOLOR(#CCCC99):国家権力そのもの(国家の統治権)、| |BGCOLOR(#CCCC99):②|BGCOLOR(#CCCC99):国家権力の属性としての最高独立性(内にあっては最高、外に対しては独立ということ)、| |BGCOLOR(#CCCC99):③|BGCOLOR(#CCCC99):国政についての最高の決定権、| という3つの異なる意味に用いられる。 これは歴史的な理由に基づく。 すなわち、主権という概念は、絶対主義君主が中央集権国家をつくりあげていく過程において、君主の権力が、封建領主に対しては最高であること、ローマ皇帝に対しては独立であることを基礎づける政治理論として主張された概念であった。 ところが、「朕は国家なり」の思想が支配していた専制君主制国家では、3つの主権概念は「君主の権力」という形で統一的に理解されていたが、その後、君主制の立憲主義化にともなって国家の概念も変化し、君主の権力と国家権力とは区別して考えられるようになり、主権の概念が3つに分解したのである。 |BGCOLOR(#CCCC99):(一)|BGCOLOR(#CCCC99):統治権|①の国家権力そのものを意味する主権とは、国家が有する支配権を包括的に示す言葉である。&br()立法権・行政権・司法権を総称する統治権(Herrschaftsrechte, governmental power)とほぼ同じ意味で、日本国憲法(41条)に言う「国権」がそれにあたる。&br()統治権という意味の主権の用例は、ポツダム宣言8項「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限サラルベシ」という規定にみられる。| |BGCOLOR(#CCCC99):(ニ)|BGCOLOR(#CCCC99):最高独立性|②の国家権力の最高独立性(国家権力の主権性とも言われる)を意味する主権は、主権概念の生成過程から言えば、本来の意味の主権の概念である。&br()憲法前文3項で、「自国の主権を維持し」という場合の主権がその例であるが、そこでは国家の独立性に重点が置かれている。| |BGCOLOR(#CCCC99):(三)|BGCOLOR(#CCCC99):最高決定権|③の国政の最高の決定権としての主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威という意味であり、その力または権威が君主に存する場合が君主主権、国民に存する場合が国民主権と呼ばれる。&br()憲法前文1項で「ここに主権が国民に存することを宣言し」という場合の主権、および1条で「主権の存する日本国民の総意」という場合の主権がこれにあたる。| ***2.国民主権の意味 「国民主権」がいかなる意味・内容を有するかについては、さまざまの議論があるが、ここでは、次の2点を注意しておきたい。 ****(一)主体について 第一は、国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にあることである。 従って、主権は君主にあるのでも国民にあるのでもなく、国家にあるとか、主権は天皇を含む国民全体にあるとか、という趣旨の説明は、戦後よく主張されたが、政治的な配慮に基づく考え方で、理論的には正当とは言い難い。 戦前のドイツで支配的な学説であった国家法人説は、先に触れたように(第二章一2*参照)、国家は法的に考えると法人、すなわち権利(統治権)主体であり、君主はその最高機関であると説き、君主主権か国民主権かは、国家の最高意思を決定する最高機関の地位に君主が就くか国民が就くかの違いにすぎない、と主張した。 そして、「主権」という概念は国家権力の最高独立性を示す本来の概念としてのみ用いるべきであるとし、君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした。 それは、急激な民主化を好まない19世紀ドイツの立憲君主制に見合った理論であった。 この国家法人説は、明治憲法の下では天皇機関説に具体化され、憲法の神権主義的性格を緩和する役割を果たした。 しかし、国民主権の確立した日本国憲法の下では、もはやその理論的有用性をもたない。 ****(ニ)権力性と正当性の両契機 第二に注意を要するのは、国民主権の原理には、2つの要素が含まれていることである。 |BGCOLOR(THISTLE):一つは、|BGCOLOR(THISTLE):国の政治のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという&bold(){権力的契機}であり、| |BGCOLOR(TAN):他の一つは、|BGCOLOR(TAN):国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという&bold(){正当性の契機}である。| もともと国民主権の原理は、国民の憲法制定権力(制憲権)の思想に由来する(第一章四2参照)。 国民の制憲権は、国民が直接に権力を行使する(具体的には、憲法を制定し国の統治のあり方を決定する)、という点にその本質的な特徴がある。 ところが、この制憲権は、近代立憲主義憲法が制定されたとき、合法性の原理に従って、自らを憲法典の中に制度化し、 |BGCOLOR(khaki):①|BGCOLOR(khaki):国家権力の正当性の究極の根拠は国民に存するという建前ないし理念としての性格をもつ国民主権の原理、および、| |BGCOLOR(khaki):②|BGCOLOR(khaki):法的拘束に服しつつ憲法(国の統治のあり方)を改める憲法改正権| に転化したのである(そのため改正権は、「制度化された制憲権」とも呼ばれる。この点につき、なお、第八章三3参照)。 |BGCOLOR(THISTLE):以上のような国民主権の原理に含まれる2つの要素のうち、&bold(){主権の権力性の側面}においては、国民が自ら国の統治のあり方を最終的に決定するという要素が重視されるので、そこでの主権の主体としての「国民」は、実際に政治的意思表示を行うことのできる有権者(選挙人団とも言う)を意味する。&BR()また、それは、国民自身が直接に政治的意思を表明する制度である直接民主制と密接に結びつくことになる。&BR()もっとも、国民主権の概念に権力的契機が含まれていると言っても、憲法の明文上の根拠もなく、国の重要な施策についての決定を国民投票に付する法律がただちに是認されるという意味ではない(憲法上認められるのは、国民投票の結果がただちに国会を法的に拘束するものではない諮問的・助言的なものに限られよう)。&BR()主権の権力性とは、具体的には、憲法改正を決定する(これこそ国の政治のあり方を最終的に決定することである)権能を言う。| |BGCOLOR(TAN):これに対して、&bold(){主権の正当性の側面}においては、国家権力を正当化し権威づける根拠は究極において国民であるという要素が重視されるので、そこでの主権の保持者としての「国民」は、有権者に限定されるべきではなく、全国民であるとされる。&BR()また、そのような国民主権の原理は代表民主制、とくに議会制と結びつくことになる。| 日本国憲法における国民主権の観念には、このような2つの側面が並存しているのである。(*) 従って、国家権力の正当性の淵源としての国民は「全国民」であり、すべての「国家権力は国民から発する」、ということになる。 しかし同時に、国民(有権者)が国の政治のあり方を最終的に決定するという権力性の側面も看過してはならない。 そのように考えるならば、憲法96条において憲法改正の是非を最終的に決定する制度として定められている国民投票制(第十八章三2(ニ)参照)は、国民主権の原理と不可分に結合するものと解されよう。 |BGCOLOR(lightgray):(*) &bold(){ナシオン主権とプープル主権}| |BGCOLOR(lightgray):フランスでは、市民革命期に君主主権を否定して制定された新しい立憲主義憲法の主権原理として、ナシオン(nation)主権をとるかプープル(peuple)主権をとるか争われ、この2つの対立が第二次大戦後の憲法にまで及んでおり、日本でも「国民主権」をその概念を用いて説明する学説が少なくない。&BR()しかし、もしナシオンの意味を「国籍保持者の総体としての国民(全国民)」、プープルの意味を「社会契約参加者(普通選挙権者)の総体としての国民(人民)」と解すれば、2つの主権原理は、本文に説いた主権主体としての「全国民」と「有権者団」の区別に対応するが、ナシオンは、具体的に実存する国民とは別個の、観念的・抽象的な団体人格としての国民の意だと一般に解されており、またプープルも、「今日では性別・年齢別の差なく文字どおりの『みんな』」だと解する説が有力であることに、注意すべきである。&BR()しかも、同じプープル主権を説く場合でも、「主権」の意味について、「統治権」と解する説もあれば権力の正当性の究極的根拠と解する説もあるなど、見解に大きな相違がみられる。| |BGCOLOR(lightgray):(*) &bold(){憲法制定権力}| |BGCOLOR(lightgray):憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。&BR()制憲権とも言われる。&BR()国民に憲法をつくる力があるという考え方は、十八世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。&BR()フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。&BR()制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。| ---- **◆3.佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) 第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開&BR()     第一章 憲法の基本観念 第四節 憲法と国家と主権 p.54以下 ---- ***Ⅰ 国家 ****(1)国家の概念 上述のように、憲法は国家生活のあり方にかかわる法であることから、そのことの関係で国家とはそもそも何かについて若干論及しておく必要がある。 国家と呼ばれる社会団体の存在性格・様式は、時代によりまた所により一定しないが、近代国家は、一定の地域を基盤として、その所属員の包括的な共同目的の達成を目的に、固有の支配権によって統一された非限時的の団体であるという点で概ね共通している。 このように、国家の本質を、地域、所属員、固有の支配権の3要素に集約せしめて理解しようとする見解は、一般に国家3要素説と呼ばれる。 (中略) 第三の要素である固有の支配権は、「国権」とか「統治権」とかあるいは「主権」とか呼ばれる。 |BGCOLOR(khaki):「国権」は、伝統的な見解にあっては、国家の法上の人格すなわち国家の意思力を指す観念とされ(ここから国権の唯一不可分性が帰結される)、それに対して「統治権」は国家が国際法および国内法上有する権利の総体である(従って統治権は可分となる)として国権と区別されることもあるが、今日では、国権と統治権は同義に使用されることが多い。| |BGCOLOR(khaki):「統治権」の内容は国によって一様ではありえないことになるが、国家である以上次の3種の基本的能力、すなわち、①領土内にある人および物を支配する権利たる領土高権、②国家の所属員を支配する権利たる対人高権、③国家の組織・権限の有り様を自らの意思により定めることのできる権利たる自主組織権(権限高権)、を備えているものでなければならない、とされる。&BR()なお、また、「国権」または「統治権」は「国家において統治活動をなす権力」の意味で用いられることもある(日本国憲法41条にいう「国権」はその例であるとされる)。| |BGCOLOR(khaki):「主権」の語も多義的で、国権あるいは統治権と同義に用いられることのほか、国権の属性としての最高独立性の意味で用いられたり、また国家の統治活動の有り方を最終的に決定する力ないし権威の意味で用いられたりすることがるが、この点については後述する。| 国家の第三の要素としての支配権は、国際組織が発達し相互依存的な今日の国際社会にあっては、かつてと違って様々な制約を受けることが多くなる傾向にある。 ****(2)国家の法人格性  (イ)国家の法人格性 法的認識の問題としてみた場合、国家は一個の統一的法秩序を形成しているといえようが、この法秩序の統一性をもって擬人的に法人格と称されることがあり、この意味で国家は法人格を有する、つまり国家は法人であるとみることができる。 さらに、国家は、実定法の内容に照らして、人格を有するとみなされる、というように言われる。 我が国の現行法上、国家は、財産権の主体としての関係において「国庫」と呼ばれ(民法239条・959条)、「国債」を負担したり、「国有財産」を有することが認められ、また、対外的な国際法上の関係において法主体として登場する。 この意味における国家の法人格性の範囲は、専らそれぞれの国家の実定法の定めるところによって決まることになる。  (ロ)国家法人説 19世紀ドイツにおいて登場し、我が国に多大の影響を及ぼした国家法人説は、右に述べたような意味での国家の法人格性を超えて、独特の意義と背景をもつものであったことが注目される。 つまり、国家法人説は、国家をもって社会学的には社団であり、法学的には法人であるとするとともに、従来の主権観念をもって専らかかる国家自体の特性を示すものとして把握し、それ以外の主権の意味を回避しようとしたところに特徴をもつものであった。 国家自体が意思力をもち、本来の主権はその意思力の最高性を示す観念として把握される。 このように国家の統治の有り方を最終的に決めるのは人格としての国家であるとする(国家主権説。ここでの国家主権は、国家が対外的に独立しているという意味での国家主権と異なることに注意)背景には、一方では絶対主義的君主主義論を克服し、他方では国民自身による積極的・具体的な統治を追求する国民主権論を抑止しようとする政治的低意が働いていたことが指摘される。 アメリカ合衆国などのように国民主権の確立した国において、とりたてて国家法人説が主張され発展せしめられることのなかったのは、まさにこの説のもつかかるイデオロギー性を示しているといえる。 他方、神権的国体観念を払拭しきれなかった明治憲法下において、国家は法人にして天皇はその機関とする天皇機関説は、結局において、「民主共和の説」として排撃されるところとなる。 国家法人説は、このように法人たる国家に主権があるとしたが、いわゆる国家の自己制限ないし自己義務づけの理論によって、主権の最高独立性と国家の被法的拘束性とを両立せしめ、そのことによってまた個人の自由の観念とも調和せしめようとした。 しかし、個人の「自然権」を基礎とする徹底した立憲民主主義の観点からすれば、いわゆる国家法人説は、国家の統治の正当性の契機を回避するとともに(従来の君主主権か国民主権かの問題は、国家意思を供給する国家機関の組織のあり方の問題と化す)、結局において国家の絶対性を措定し、個人の自由の観念と調和困難な説(国家固有の統治権はしばしば無条件に団体員を支配しその意思を規律しうる力であると説かれる)として受け入れ難いものとみなされざるをえないことになる。 もっとも、政治社会には唯一の究極的で絶対的な権威ないし権力が存しなければならないという観念たる「主権」は、結局のところ抽象的人格性を備える国家に帰属すると考えるとしても(その意味では国家主権説)、そのような属性をもつ国家を誰の権威でどのように運営するかの問題は残り、その主体的・具体的意思・権威はどこにあるかの問題こそ君主主権か国民主権かの問題である、というように考えることはできる。 国家と人権との関係をめぐる問題は後述するので(とくに第四編)、次に国家と主権と憲法との関係をめぐる問題をもう少し立ち入って考察することにしたい。 ***Ⅱ 主権 ****(1)主権観念の展開  (イ)主権観念の登場 主権観念は、まず、フランス王権について、対外的にはローマ皇帝およびカトリック法王の権威・権力からの独立性を、体内的には封建諸侯に対しての優越性を、示すものとして登場した。 この主権観念の確立に理論的指導性を発揮したのはバーダンで、彼は、主権は国家の絶対的かつ恒久的権力であって、最高、唯一、不可分のものであり、すべての国家にとって不可欠の要素であると説いた。 そしてかかる主権観念は、近代国家への移行過程において他のヨーロッパ諸国でも広く用いられるようになる。 この段階では、国家は君主と一体的に観念されていたから(「朕は国家なり」)、国家自体の主権とその国家内において最高意思はどこにあるかということ(国家内における最高権の問題)とは次元を異にする別個の問題であることは十分意識されていなかった。 しかるに、君権に対する市民層の不満を背景に、国民主権ないし人民主権が登場するに及んで、主権論の力点は国家内の最高権の所在の問題に向けられることになる(もっとも、この段階でも君主を人民に取って換えただけで、人民即国家と考える傾向がみられる)。  (ロ)国民主権・人民主権 |BGCOLOR(khaki):(a)|BGCOLOR(khaki):国民主権論は、近代自然法論に依拠する社会契約説を根拠に登場した。&br()社会契約説は、その理論構成如何によっては、なお君主主権を根拠づけるところともなるが(ホッブズ)、一般に、あくまでも各人の自然権の保全を基軸に考え、その保全に必要な限度での統治の権力の信託という構成をとることによって国民主権を帰結した(ロック)。&br()つまり、国家権力を支えるのは国民であり、国民の支持がある限りにおいてのみその行使が正当化される。&br()しかしこの見解は、国民主権の名にふさわしい実をあげる具体的方法・プロセスを明確にしていないきらいがあった。| |BGCOLOR(khaki):(b)|BGCOLOR(khaki):同じく社会契約説に立脚しつつ、それを単に国家統治の正当性の根拠とするにとどまらず、国民による直接統治を帰結する説(ルソー)は、右の国民主権論に対する批判にして一つの解答であったとみることができる。&br()そこでは、主権は子かを構成する全人民の、常に共同の利益を欲して誤ることのない一般意思として把握され、具体的には一般意思は立法意思と同一視され、それは全市民の参加によって行使されるものとみなされた。&br()主権は絶対的なもので、不可分・不可譲・不可代表の性質をもつ。&br()それは議会制を否定する徹底した直接民主主義的人民主権論であるが、従来の絶対主義的君主主権を端的に人民に取って換えたきらいがあり、現実の国家の実態に即した理論としては無理な性格のものであった。&br()一般意思は常に共同の利益を欲する意思だとされるが、具体的な立法意思がそうであるという保障はなく、絶対的な一般意思の名における個人や少数者の抑圧という可能性は常に存する(ルソーの人民主権論が後世において人民独裁の国家論と評されることのある理由はここにある)。&br()また、主権は不可分だとされるが、主権の主体としては具体的な個々人ないしその総体が想定されていて、理論的整合性の点でも問題を孕んでいた。| |BGCOLOR(khaki):(c)|BGCOLOR(khaki):このような国民主権論、人民主権論の問題性の文脈においてみると、国民主権を基本的に憲法制定権力として把握しようとする説(シェイエス)は注目すべき見解であったといわなければならない。&br()そこでは、「憲法を制定する権力(pouvoir constituant)」と「憲法によってつくられた権力(pouvoirs constitues)」とが区別される。&br()そして、前者は、自然法の下に、国民がこれを有し、単一不可分であり、それ自体いかなる形式にも服することのない、「意欲しさえすれば十分である」万能の存在であるとされ、他方後者は、憲法制定権力の制定した憲法によって組織されるところの立法権・執行権といった権力で、憲法による規制下に立つ存在であるとされた。&br()ここではルソーの一般意思と同様主権の絶対性が措定されつつも、他方憲法制定権力と立法権との本質的区別がなされることによって、代議制や権力分立制と結合する途が開かれたのである。&br()&br()この憲法制定権力の観念は、右のシェイエスにみられるように徹底して理論化されるということはなかったが、アメリカにおいていち早く現実のものとなった。&br()権力の根源である国民が人為的に制定した成文の憲法によって国家の統治構造と国民の権利を定め、国政の運営およびそれにまつわる問題の解決は全てこの成文の憲法に立ち返って行なうという行き方が定着した。&br()アメリカの憲法制定権力は、ヨーロッパのそれのように激しく対立すべき“敵”(アンシャン・レジーム)をもたず、当初から民主的基盤の上に成立したことが関係してか、本質的に非実体的・非権力的で、憲法制定会議とその成案の承認を通じて、法律よりも高次の妥当性を根拠づけるという機能に基本的に集約される。&br()それには、アメリカの立憲主義がイギリスの古典的立憲主義と必ずしも切断されず、むしろある面ではそれを引き継ぐ形で成立したものであること、第二に、アメリカの憲法制定権力は、革命初期の諸邦における立法権優位の経験に基づく反動として、個人の諸権利を確実なものとするという保守的な土台の上に構想されたものであること、などが関係していたと思われる。| |BGCOLOR(khaki):(d)|BGCOLOR(khaki):フランス革命期は、君主主権、国民主権、ルソー流人民主権、シェイエス流憲法制定権力など様々な観念が競い合った時代であった。&br()1789年の「人および市民の権利宣言」にはルソー的思想の影響が指摘されているが、1791年の憲法は、君主主権を否定すると同時に、ルソー流人民主権をも斥けて、国民主権に与する姿勢を明確にした。&br()そこでは、「主権は、単一、不可分、不可譲で時効にかかることがない。主権は国民に属する」とされるが、「権力の唯一の淵源である国民は、委任によってのみその権力を行使しうる。フランスの国家体制は代表制である」と明言されている。&br()つまり、主権者たる「国民(nation)」は抽象的な観念的統一体としての国民であって、それ自体として具体的な意思・活動能力を備えた存在ではありえず、委任(包括的・集団的な代表委任)が不可避的に帰結されたのである。&br()代表と被代表との間の選任関係を不可欠の要素とせず、制限選挙制が採用され、訓令委任が禁止されたことなどは、いずれも国民(nation)主権の帰結であった。&br()他方、シェイエス流憲法制定権力は、憲法を制定し変更する権力として一括して把握されてものであったが、91年憲法においては、制定権力と改正権とに分離され、改正権は法的統制下におかれるとされる一方、制定権力は依然として法的統制を受けない存在であるものの、観念化され、憲法の妥当性を根拠づけるという機能に封じ込ようとする姿勢が示された。&br()&br()ところが、93年憲法は、国民主権を斥けて、むしろ人民主権の考え方に依拠することを明らかにする。&br()ここでの「人民(peuple)」は、もはや抽象的な観念的統一体としての存在ではなく、それ自体活動能力を備えた具体的に把握できる存在である。&br()かくして、憲法改正のイニシアティヴは第一次集会に組織された人民に帰属せしめられ、また「人民が法律につき表決する」ものとされた。&br()そして、男子普通選挙制の下で直接選挙によって選出された立法府が統治機構の中で極めて高い地位を占めていることも見逃せない点である。| |BGCOLOR(khaki):(e)|BGCOLOR(khaki):右にみたように、フランスにおいては国民主権と人民主権とは別個のものとして区別され、両者間の葛藤が歴史を彩ることとなるが、選挙権の拡大につれ次第に議会は実在する民意を忠実に反映すべきであると考えられるようになり(第一節Ⅲ(7頁)参照)、第三共和制憲法下においてそうした考え方が定着するに至る。&br()理論上の曖昧さを残しながらも、実質的意味において人民主権への傾斜である。&br()他方、憲法制定権力論は、この第三共和制憲法の下で立憲主義が定着するにつれて後退し、むしろ制定権力をもって法の世界の外の問題と解し、法的には改正権のみが問題とされるようになる。&br()そして、さらには改正権と立法権との区別さえ曖昧化してしまう。&br()この点は法実証主義の強い影響下にあった19世紀後半のドイツ憲法学において一層顕著で、憲法改正権は立法権と同一視されている。|  (ハ)国家主権権 国家主権論については、既に触れた。 繰り返せば、右の君主主権と国民主権・人民主権を忌避して、法人たる国家に主権が帰属するとしたもので、当時のドイツの法実証主義憲法学にいかにも相応しい考え方であったということができよう。 ここでは、主権の主体は法人たる国家に属するということで主権の人格性は残存しているが、本来の主権論からすれば主権観念の非人格化である。 主権観念は歴史的にみて公法学の領域から追放することはできないが、それを限定的に用いようとする態度であって、主権とは、国家権力が法的な自己決定および自己拘束をなす排他的能力をそれによってもつことになる、国家権力の特性である、などと説かれた。 この点さらに押し進めて、主権の主体の問題を認めず、むしろ法秩序の効力の属性の意味、つまり法秩序の至高性・非伝来性の意味において主権観念を捉えようとする見解も登場してくる。  (ニ)実力としての憲法制定権力 シェイエスによって主張された憲法制定権力は、右に見たように、ヨーロッパにあっては、立憲主義の確立過程において、法実証主義的思考傾向の下に、法の世界の外に放擲されたが、ワイマール憲法下において、シュミットによって新たな装いの下に再び重要な観念として導入されることになった。 彼は、ワイマール憲法前文の「ドイツ国民は、・・・・・・この憲法を制定する」の文言および1条の「国権は、国民より発する」という規定に着目し、それは憲法制定権力が国民にあること、つまり同憲法が国民主権主義に立脚するものであることを明確にしたものであると捉えたのである。 それでは、彼のいう憲法制定権力とは何か。 彼によれば、それは「自己の政治的実存の態様と形式に関する具体的な全体決定を下すことのできる、すなわち、政治的統一体の実存を全体として規定することができる実力または権威をもった政治的意思」であるとされた(この「憲法」を前提にしてはじめて妥当する憲法規定の集合は「憲法律」と呼ばれる)。 この憲法制定権力は、シェイエスの場合と違って自然法の観念を払拭した、すべての規範の上に立つ実力であり、そのこととも関連して制定権力の担い手は国民であることを要しないとされている(君主や少数者の組織も担い手でありうる)点に特色がある。 制定権力は、「移付され、譲渡され、吸収され、使い果たされることはありえ」ない、「可能態として常に存続」するものであるが、シェイエスの場合とは違って、憲法改正権とは峻別されている。(第三節Ⅱ(34頁)参照)。 シュミットの制定権力論は、主権の権力的契機を純粋に追求した結果得られた観念であったと解することができよう。 しかし、その実態は何かという段になると、喝采であり、現代国家では世論であることが示唆されるのみで、著しく神秘的色彩を帯びるものとなっている。 ****(2)実定法上の主権観念 以上主権観念の史的展開を瞥見したのみで、その他にも種々の主権観念がある。 そして第二次大戦後、シュミット流の活性的な決断主義的憲法制定権力論を否認ないし克服しようとする傾向が顕著である点は指摘しておく必要があろう。 ここではその委細について論及する余裕はないので、以下実定法とりわけ日本国憲法との関係で重要と思われる主権観念を整理し、その意義を再確認するにとどめておく。 明治憲法は、「統治権」という語を用いつつも「主権」という語は使用しなかったが、日本国憲法は、「主権」という語を何箇所かで使用し、むしろ「統治権」という語を用いてはいない。 「主権」についての明治憲法以来の有力な伝統的説明によれば、 |BGCOLOR(#CCCC99):①|BGCOLOR(#CCCC99):最高権(自己の意思に反して他より制限を受けざる力)、| |BGCOLOR(#CCCC99):②|BGCOLOR(#CCCC99):統治権(人に命令し強制する権利)、| |BGCOLOR(#CCCC99):③|BGCOLOR(#CCCC99):国家内における最高機関の地位、さらには、| |BGCOLOR(#CCCC99):④|BGCOLOR(#CCCC99):国家の意思力そのもの、| を指すといわれた(美濃部達吉)。 これらの意味の中、まず、①は、国家の意思力の最高性、独立性ないし自主性に着眼しているもので、国家の意思力の属性を示すものである。 日本国憲法前文に「この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、・・・・・・」とあり、あるいは平和条約前文に「連合国及び日本国は、・・・・・・主権を有する対等のものとして・・・・・・」とあるのが、その例である。 それに対して、④は、国家の意思力そのものを指してのもので、「国権」とか「統治権」とか呼ばれるものである。 「主権」が唯一不可分であるという場合の主権はこの意味であると説かれる。 もっとも、既に見たように、「国権」あるいは「統治権」という語自体がまた一義的でなく、「国権」は国家の意思力そのものを指すのに対し、「統治権」は国家が有する権利の総体であるとして区別され、国家である以上3種の基本的権利、すなわち地域的統治権または領土高権、対人的統治権または対人高権、自主組織権(権限高権)を有するものでなければならない、などと説かれる。 ②は、このような「統治権」に対応するものということになる。 ポツダム宣言の8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあるのがその例であるとされ、あるいは、領土主権といい、領土の割譲を主権の割譲というがごときもその例であるとされる。 問題は、③の「主権」観念である。 明治憲法時代、「唯一最高無限ニシテ独立」という「主権」概念により、その「主権」の所在如何によって君主国体と民主国体に分かつ説もあったが(穂積八束)、右の説(美濃部説)はそうした「主権」観念を排して最高の機関の地位について語ろうとするものである。 すなわち、美濃部は、明治憲法の「最も重要な根本主義」として「君主主権主義」に言及したが、それは、「統治を行ふ力が君主にその最高の源を発すること」、つまり君主が国家の「最高の機関」として「統治の最高の源泉たる地位に存ますこと」と解し、そして、「憲法制定権力」と「被制定権力」とを区別し、前者はその性質上何らの拘束も受けないというシェイエスの所説に触れて明確にそれを排撃した。 「国民が憲法以上に在って憲法の拘束を受けないものとすることは国民に不断の革命の権利を認むることであって、恰も専制主義の君主主権説に於て君主の権力が憲法以上に超越し、何時でも憲法を廃止変更することが出来るとする説と同様の誤に陥いって居る」というのがその理由である。 美濃部は、第二次大戦後も、国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であると捉え、日本国憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と明言し、本文1条に天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」とあることをもって、「国家の統治権を行使する権能即ち国家の原始的直接機関として統治権を発動する力」が天皇から国民に移ったことを示すものと解した。 が、同時に、美濃部は、日本国憲法の成立に関し、いわゆる「八月革命」説に投じ、「憲法制定権」という言葉も使用したりして、「憲法制定権力」への傾斜を思わせる態度を示した。 この点、「国民主権」にいう「主権」とは、「国家の政治のあり方を最終的にきめる権力あるいは権威」であるとし、「シェイエス流に、『憲法制定権力』といってもいいかも知れない」と明言したのが宮沢俊義である。 そして、憲法にいう「国民主権」をそのような意味において理解する立場が支配的となったが、なおその具体的意味について解釈論上各種の考え方がありうるところで、その点については後に詳述する(第二編第一章第二節(92頁)参照)。 ---- **◆4.佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) 第二編 国民主権と政治制度&BR()     第一章 国民 第ニ節 主権者としての国民 p.92以下 ---- ***Ⅰ 日本国憲法下の国民主権論 ****(1)総説 日本国憲法は天皇主権を排して国民主権に立脚するが、その国民主権の意味ないし内容については必ずしも一義的に捉えきれないところがあり、実際様々な見解が存する。 以下主な諸見解に触れ、あわせてその問題点について述べる。 ****(2)最高機関意思説 いわゆる国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であるとの前提の下に、国民主権をもって、国家の意思力を構成する最高の機関意思、国家の原始的直接機関(ここに「直接機関」とは他の機関から委任されたのではなく、直接に国家の組織法によって国家機関たるものをいい、その中でも、他の直接機関を代表するものではなく、憲法上自己に固有のものとして認められる権能を有するものを「原始的直接機関」という)として統治権を発動する力が国民に属するとする主義であると解し、その国民とは参政権を与えられているものの全体であるとする見解がある。 この説によれば、理論上、主権の所在は憲法によって定まることになり、主権は憲法によって創設された最高権という意味合いをもつことになる(美濃部達吉は、国民主権は憲法の民定性を要求すると解しているようであるが、主権者をもって憲法・法律によって組織された国民と解する限り、憲法以前にそのような国民が存しうるのか疑問である。この点、佐々木惣一は、日本国憲法は欽定憲法であるとなし、ただ、日本国憲法の規定によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは将来は存在しえないと説く)。 主権者たる国民からは一般に天皇は除かれる。 ただ、この国民は、雑然とした多数者であって常に直接国家意思を決定することはできないので、主権者たる国民の意思を現実に表示することを職分とする代表者が必要であり、日本国憲法上は国民の選挙によって選ばれる国会がそれにあたるとされる。 この見解は憲法発足当初有力に主張されたものであるが、次のような問題性が指摘されうる。 |まず、|主権をもって機関意思と把握する以上行為能力が問題となり、そこでこの説は主権者を有権者とするのであるが、国民の中には主権者たるものと主権者でないものとがあることになって、国民主権の根本理念に反することにならないか。| |第二に、|主権者たる国民は具体的には有権者とされるが、誰が有権者かは日本国憲法上基本的には法律で決まることになっていること(44条参照)、また、日本国憲法が国会をもって「国権の最高機関」としていること(41条)、との関係をどう考えるか。| |第三に、|主権は憲法を生み出す力(憲法制定権力)と解すべきであって、憲法によって主権の所在が決まるというのは主権の本質を見誤るものではないか。| |第四に、|論者によっては、国民主権をもって、国民が国権の源泉者または国権の「総攬者」であることの意味に解するが(佐々木惣一)、天皇が「総攬者」であると同じような意味において国民の「総攬者」を語りうるか否か。| |第五に、|この説は、国民の選挙によって組織される国会が立法権を中心に国政を統括する地位に立つとすれば、国民主権の趣旨は満たされるとする傾きをもつが、国会の権能ももとより憲法による拘束下にあることをどう理解するか、また、選挙にそのような本質的契機を認めることは果たして妥当であろうか。| ****(3)憲法制定権力説  (イ)総説 最高機関意思説の右のような問題性を踏まえて、国民主権をもって憲法制定権力が国民にあるという趣旨に解そうとする見解が主張される。 もっとも、この点において基本的発想を共通にしつつも、仔細をみれば、さらに次のような諸説の分岐がみられる。 |BGCOLOR(khaki):(ロ)|BGCOLOR(khaki):実力説|まず、憲法制定権力の本質を最高の実力に求める見解がある。&BR()これは、上述の(第一編第一章第四節Ⅱ(57頁))シュミットの憲法制定権力論に通ずる見解である。&BR()しかし、この見解に対しては、憲法制定権力が実力であるとして、その実態は何かという段になると一向に明らかにされないという批判、あるいは、最高の実力としての憲法制定権力にとって、憲法典の制定とはそもそも如何なる意味をもちうるのかという批判、が妥当する。&br()制定権力の実態は明らかにされず、しかも制定権力はそれを制約づけるもののない全能の存在ということになると、誰もが制定権力の行使の名において憲法を変更することを正当化する途が開かれていることにならないか。&br()そうなると、憲法はもはや法の世界ではなく、全く政治の世界そのものと化してしまわないか。| |BGCOLOR(khaki):(ハ)|BGCOLOR(khaki):権限説|実力説の右の問題性を忌避して、実定的な「根本規範」の存在を想定し、憲法制定をもってかかる「根本規範」の授権に基づき(内容的制限を含めて)行われるところの機関としての行為として捉えようとする見解が登場する。&br()つまり、憲法制定権力は、厳密には憲法制定権限となる。&br()そしてここにいう「根本規範」とは、純粋法学流の仮設規範ないし法理論的意味における憲法ではなく、すべての成文憲法の前に妥当する、人間人格不可侵の原則を核とする価値体系にかかわる規範であるとされる。&br()かかる考え方に依拠して、一般に、権限主体は、シェイエスの場合と同様国民でなければならないとされ、そして君主主権に対峙する意味で国民からは天皇は除かれ、かつ機関としての行為が問題となることから具体的には有権者が想定される。&br()&br()この見解に対しては、次のような問題性が指摘される。&br()まず、憲法制定の権限主体、制定の手続、制定さるべき憲法の内容を定める実定的な「根本規範」といったものはそもそも存在するのか。&br()第二に、人間人格不可侵の原則の実定性が承認されるとしても、その具体的内容および実現の方法は決して一様ではありえず、その違いが如何にして確定されるかはなお重大な問題として残るというべきではないか。&br()第三に、国民の中に主権の担い手たるものとそうでないものとの区別が生じ、国民主権の根本理念に反することにならないか(未成年者などの非有権者は、何故に憲法に従わなければならないのであろうか)。&br()第四に、有権者は日本国憲法上基本的には法律によって定められるが、憲法制定の権限主体が結局国会によって定められることになって不当ではないか。| |BGCOLOR(khaki):(ニ)|BGCOLOR(khaki):監督権力説|主権者としての意思活動を憲法制定権力の発動と把握する立場に立ちつつ、国民主権の本質をもって、国民の代表の行なう統治に対して、同意を与えまたは与えない監督の権力たるところに求める見解が存する。&br()つまり、国民主権は、具体的な積極的行動を行なう組織化された主体にかかわるのではなく、国家の統治作用に同意を与えまたは与えないという受動的な作用を本質とするところの、現に生活しているすべての国民全体の「一般意思」の力であるところにその眼目があると解するのである。&br()国民主権国家にあっては、国権が国民の代表によって行われるにせよ、結局国民の同意が国政における決め手となることが力説される。&br()&br()この見解は、実力説および権限説のそれぞれ有する問題性を免れ、と同時に国民主権における討論の自由(表現の自由の保障)と自由なる選挙の不可欠性を提示している点で優れた説というべきである。&br()が、そこでいう「一般意思」とは具体的に何であり、それは如何にして認定されるか、一時点における支配的意思が「一般意思」として絶対視される危険はないか、あるいは、国政は結局「一般意思」によって行われるということになって悪戯に現状肯定的な保守的説明手段に堕しないか、といった疑問がありえよう。&br()また、国民の同意が国政における決め手であるということであるとすれば、およそ国民が政治的意思を持つ限り、憲法の定め如何に関わりなく国民が主権者ということになりはしまいか、という疑問が生ずる。&br()それは、結局、いわゆる「事実の確認としての国民主権」論や後述のノモスの主権論に接近する。| |BGCOLOR(khaki):(ホ)|BGCOLOR(khaki):最終的権威説|国民主権をもって、憲法制定権力が国民によって担われるという意味において把握するが、制定権力をもって実力とみたり権限とみたりせずに、統治を正当化すべき権威が国民に存するという意味において理解する見解が存する。&br()ここにおける国民とは抽象的な観念的統一体としての国民であって、およそ日本国民であれば誰でも包含され、天皇も私人としてみる限りこの国民に含まれると解することが可能となる。&br()この見解は、主権 = 憲法制定権力から権力的契機を徹底的に排除し、あくまでも権力の正当性の所在の問題として把握し、主権 = 憲法制定権力という実定法上の概念の名の下に憲法破壊ないし人権侵害が正当化されることを回避しようとする立場であると解することができる。&br()そして、主権者たる国民は権威の源泉としての国民であって、国家機関としての国民とは異なり行為能力を問題とする必要はなく、最高機関意思説や権限説のように国民の範囲をめぐる問題にかかわる必要はないという長所をもつ。&br()しかし他面、この説による国民主権はあまりにも無内容ではないか、国民主権はそこから一定の政治組織上の原則が帰納さるべき性質のものと捉えるべきではないか、の批判が加えられることになる。| ****(4)ノモスの主権説 主権をもって事実の世界から完全に切断し、純然たる法理念の問題として把握しようとする見解が存在する。 それによれば、いかなる権力も超えてはならない「正しい筋途」すなわちノモスがあるのであって、国の政治を最終的に決めるものが主権であるとすれば、主権はノモスにあるとみるべきであるとされる(因みに、ノモスは、古典古代のギリシャにおいて自然[ピュシス]の対立概念として考えられ、絶対的なものではなく破られやすいものではあるが、それに従うべきであるとされたものであるという)。 あるいは、この説は、法の効力根拠をノモスという道理・規範に求める説だとみる余地もある(*1)(そうだとすると、この説は、「根本規範」の存在を前提とする先の権限説に接近する)。 この説によれば、国民主権か君主主権かという問題は全く第二義的な問題と化してしまう。 事実、この説は、国民主権も君主(天皇)主権もすべてノモスという理念の支配であるから、明治憲法から日本国憲法に変っても「国体」は不変であると主張した。 しかし、仮にそのようなノモスが存在するとしても、具体的にどのような内容のノモスが、どのような方途を通じて支配するのか、という問題意識がこのノモスの主権説に欠落しており、天皇制の弁明としての性格をもつものであった。 ただ、国民主権の場合であっても、あるべき政治とは何かの課題は残るのであって、その限りでは、ノモスの主権説も考えるべき課題を提起しているといえよう。 |BGCOLOR(lightgray):(*1) 尾高朝雄はこのノモスの主権説の論者として知られるが、そのノモスの主権は結局のところ為政者への「心構え」の問題にとどまって、それに反する立法の無効の主張にまでは及ばなかった。&br()そこには、法の効力をもって「法的規範意味が事実の世界に実現され得るという『可能性』である」と捉える考え方が作用していたようである。&br()つまり、法の効力は当為のレヴェルではなく、事実のレヴェルにつなぎとめられていたからである。| ****(5)人民主権説 国民主権の主権をもって憲法制定権力と解することに反対し、主権を実定憲法秩序における国家権力の帰属の問題として捉えるべきであるとし、従って主権が国民にあるとされる場合の主権は、憲法秩序に取り込まれた構成的な規範原理として、国民をして実際の国政の上で最高権の存在に相応しい場を確保せしめるという民主化の作用を果たすべきものとみるみるべきであるとする見解が存する。 そして、国民主権をルソー流の人民主権の方向で把握するのがあるべき歴史的解釈であるとし、日本国憲法に即していえば、15条1項、79条2項・3項、96条1項などは人民主権に馴染む規定であると捉え、43条1項や51条の規定にかかわらず、命令的委任の採用は可能であると説く(命令的委任の意味は必ずしも明確ではないが、一般に、選挙で選ばれた代表者は選挙区の訓令によって行動する義務を負い、それに違反した場合には有権者によって罷免されうるという要求を内容とするようである)。 この見解は、まず、主権は法的権力であるが、憲法制定権力は法の外の世界に属する事象と捉えるところに特徴をもつ(この説によれば、主権 = 憲法制定権力という定式では、国民主権は建前と化し、結局現実の国政の場で国民を主権者たる地位から追放することになるという。) しかし、主権観念が国家統治のあり方に最も根源的にかかわり合う憲法の制定に無関係とすることは問題で、ドイツのように、「ドイツ国民は・・・・・・その憲法制定権力に基づき、この基本法を決定した」(前文)とうたって、憲法制定権力を実定化している例のあることが留意さるべきである。 そして、主権 = 憲法制定権力と基本的に把握することが、直ちに主権観念をして無内容のものとすると解するべきではなく、後述のように一定の構成的作用を果たすものであるとみるべきであろう。 なお、フランス的文脈でいえば、いわゆる「国民主権」から「人民主権」へという定式が成り立つとしても(1946年憲法も58年憲法も、国の主権は人民(peuple)に属するとしている)、そのことから、一般的に、あるいは日本国憲法上、命令的委任が当然に帰結されるといえるかは問題で、この点については後述する(第二章(13頁)参照)。 国民代表の観念が、現実でないものを現実であるかのごとく装うという「イデオロギー」的性格をもつとすれば、命令的委任も、そのような「イデオロギー」的性格を免れえているわけではない。 ***Ⅱ 国民主権の意義 ****(1)総説 以上みてきたように、日本国憲法下の国民主権の意味について諸種の見解が存するところであるが、今日国民主権は単一の次元においてのみ捉えるべきではなく、複数の次元を包摂する全体像において把握されるべきものと思われる。 すなわち、国民主権には、大別して、憲法を定立し統治の正当性を根拠づけるという側面と、実定憲法の存在を前提としてその憲法上の構成的原理としての側面とがあり、後者はさらに、国家の統治制度の民主化に関する側面と公開討論の場(forum)の確保に関する側面とを包含するものと解すべきである。 ****(2)憲法制定権力者としての国民主権 国民主権は、まず、主権という属性をもった国家の統治のあり方の根源にかかわる憲法を制定しかつ支える権力ないし権威が国民にあることを意味する。 この場合の国民は、憲法を制定した世代の国民、現在の国民、さらには将来の国民をも包摂した統一体としての国民である。 従って、この場合の国民は、基本的には、それ自体として国家の具体的な意思決定を行ないうる存在ではない。 換言すれば、雑然とした国民の全体を一つの観念で把握し、そこに一つの意思があると想定し(あるいはこれを一般意思と呼んでもよい)、その意思に国家の合法性の体系を成立せしめる究極の正当性の根拠をみるのである。 もとより、国民主権を標榜する場合であっても、現実には、憲法は、ある歴史的時点において、その世代の人々により、ある方法をとって(憲法会議と国民投票という方法をとることもあれば、そうでない場合もある)制定される。 その意味では、国家の合法性の体系は具体的な意思ないし実力(権力)から生まれるものといわなければならない。 つまり、権限説やある種のノモスの主権説のように「根本規範」ないし自然法といったものを想定し、国家の実定法体系をその具体化・実現として捉える(法の根拠についての道理説)のではなく、法の根拠について意思ないし実力に求める立場である。(*1) しかし、その場合に問題となるのは、何のために、如何なる原理に基づく憲法を制定するかである。 主権者(憲法制定権者)たる国民が立憲主義憲法を制定する場合、そのときの国民は、個人の人格的自律が尊重される“良き社会”の形成発展という長期的視野に立って自己拘束をなし、また、後の世代の国民がそれぞれの時代の状況に柔軟に対応しつつ“良き社会”の形成発展に向けて自己統治を行なうことを容易にする政治システムを構築しようとするのである。 過去の国民(“死者”)は現在の国民(“生者”)を拘束することはできない。 立憲主義を支える道徳理論によるならば、過去の国民(“死者”)が現在の国民(“生者”)を拘束することが許されるのは、現在の国民(“生者”)が自由を保持しつつ自己統治をなすことを容易にする制度枠組を構築する、換言すれば、現在の国民(“生者”)が自由な主体として自己統治をなすことができる開かれた公正な統治過程を保障するという場合のみである。 国民をもって、憲法を実際に制定した世代の国民、現在の国民、さらに将来の国民を包摂した観念的統一体として把握し、そのような国民の意思に国家の合法性の体系の成立・存続の正当性の根拠を求めることが道徳理論上認容されうるのは、そのような条件が満たされる場合においてのみであろう。 このような意味において、国民がその担い手である憲法制定権力は基本的には端的な実力ではなく、一般的な意思ないし権威となる。 ただ、上述のように憲法改正権は制度化された憲法制定権力と解されるから(第一編第一章第三節(34頁)参照)、改正の場に登場する国民は具体的には一定の資格をもったもの(有権者)のみではあるが、主権者たる国民そのものに擬すべき存在と解するべきであろう。 これによって、主権者たる国民は、制度枠組自体をそれぞれの時代に制度的に適応せしめる途が開かれている。 |BGCOLOR(lightgray):(*1) 宮沢俊義は、尾高のノモスの主権説を批判するにあたって、意思ないし実力説的見地に立つことを示唆したが、他方では、「憲法の正邪曲直を判定する基準になる『名』」の存在、さらには憲法の効力さえ左右する自然法論のごとき立場に与することを示唆した。| ****(3)実定憲法上の構成的原理としての国民主権  (イ)統治制度の民主化の要請 国民主権は、憲法を成立せしめ支える意思ないし権威としてのみならず、その憲法を前提に、国家の統治制度が右の意思ないし権威を活かすよう組織されなければならないという要請を帰結するものと解される。 次節にみるように国民は有権者団という機関を構成するが、それは民意を忠実に反映するよう組織されなければならないとともに、統治制度全般、とりわけ国民を代表する機関の組織と活動のあり方が、憲法の定める基本的枠組の中で、民意を反映し活かすという角度から不断に問われなければならないというべきである。 国民主権のこの要請から例えば命令的委任が帰結されるかどうかは、日本国憲法の定める基本的枠組の解釈の問題であって、その点については後述する(本編第二章(136頁)参照)。 また、有権者団としての国民の意思、その意思に基づいて組織される国家機関の意思は、(2)の憲法制定権力者としての国民の意思そのものではないのであって、絶対性を主張することはできないことが留意さるべきである。  (ロ)公開討論の場の確保の要請 構成原理としての国民主権は、統治制度の民主化を要請するのみならず、かかる統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能ならしめる公開討論の場が国民の間に確保されることを要請する。 集会・結社の自由、いわゆる「知る権利」を包摂する表現の自由は、国家からの個人の自由ということをその本質としつつも、同時に、公開討論の場を維持発展させ、国民による政治の運営を実現する手段であるという意味において国民主権と直結する側面を有している。 しばしば国民主権は“世論による政治”であるといわれるのは、国民主権の右の面にかかわるが、ただ、ここでいわれる世論は憲法制定権力者としての国民の意思そのものと目さるべきでないこと勿論である。
<目次> #contents *■1.主権論整理表 |COLOR(WHITE):BGCOLOR(OLIVE):CENTER: |COLOR(WHITE):BGCOLOR(OLIVE):CENTER:歴史主義・伝統主義 (英米法)|COLOR(WHITE):BGCOLOR(OLIVE):CENTER:反歴史主義 (大陸法)| |BGCOLOR(#CCCC99):権利の本質|BGCOLOR(white):人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として&color(crimson){歴史的権利}を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場|BGCOLOR(white):人間は自然状態において、生来的に&color(crimson){自然権}(natural right)を有していたが、&color(crimson){社会契約}(social contract)を結んで自然権を放棄し、&color(crimson){人定法}(&color(crimson){実定法}:positive law)を定めた、とする立場| |BGCOLOR(#CCCC99):法の本質|BGCOLOR(white):特定の共同体の中で法が自生(自然に成長)した(&color(crimson){法=自生的秩序説})(※注3)|BGCOLOR(white):法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(&color(crimson){法=主権者命令説})(※注1)| |BGCOLOR(#CCCC99):誰が法を作るのか|BGCOLOR(white):法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(&color(crimson){経験主義、批判的合理主義})&br()⇒「法は“発見”するもの」⇒&color(crimson){制憲権(憲法制定権力)を否認}|BGCOLOR(white):法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(&color(crimson){設計主義的合理主義})&br()⇒「法は作るもの」(※注2)⇒&color(crimson){制憲権(憲法制定権力)を肯定}| |BGCOLOR(#CCCC99):補足|BGCOLOR(white):個別性、相対主義、帰納的、保守主義・自由主義と親和的、&color(crimson){法の支配}ないし&color(crimson){立憲主義}|BGCOLOR(white):普遍性、絶対主義(但し価値相対主義)、演繹的、急進主義・全体主義と親和的、&color(crimson){法治主義}| |BGCOLOR(#CCCC99):実例|BGCOLOR(white):英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。&br()明治憲法も日本の歴史的伝統を重んじる形で熟慮を重ねて制定された|BGCOLOR(white):フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。&br()日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法)| |BGCOLOR(#CCCC99):主な提唱者|BGCOLOR(white):コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトン&br()なお第二次大戦後の代表的論者は、ハイエク、ポパー|BGCOLOR(white):ホッブズ、ロック、ルソー&br()なお第二次大戦後の代表的論者は、ロールズ、ノージック| (※注1)「&color(crimson){法=主権者命令説}」は、主権者を誰と見なすかによって以下に分類される。 |BGCOLOR(yellow):①|BGCOLOR(yellow):君主主権|BGCOLOR(white):君主一人が主権者。(1)社会契約説以前の王権神授説や、(2)ホッブズの社会契約説が代表例。| |BGCOLOR(yellow):②|BGCOLOR(yellow):人民主権|BGCOLOR(white):君主以外の人民 people が主権者であり人民は各々主権を分有し人民自らがそれを行使する(=&color(crimson){プープル主権説})。ルソーの社会契約説が代表例。| |BGCOLOR(yellow):③|BGCOLOR(yellow):国民主権|BGCOLOR(white):君主を含めて国民全員が主権者(但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は国民に含めない」として、実質的に人民主権と同一と見なす者が多い)。&br()なお国民主権の具体的意味については、(1)&color(crimson){最高機関意思説}と、(2)&color(crimson){制憲権(憲法制定権力)説}が対立しており、&br()さらに(2)は、<1>ナシオン主権説と<2>プープル主権説に分かれる(プープル主権説は実質的に②人民主権説)。&br()一般的に国民主権という場合は、<1>&color(crimson){ナシオン主権説}(観念的統一体としての国民が制憲権を保有するとする説)を指す。| |BGCOLOR(yellow):④|BGCOLOR(yellow):議会主権|BGCOLOR(white):英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における女王(the queen in parliament)」を主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論| |BGCOLOR(yellow):⑤|BGCOLOR(yellow):国家主権|BGCOLOR(white):帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」を主権者であるとして君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説もこの説の一種である| |>|>|⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、&br()&color(crimson){明治憲法}は制定時において明確に&color(crimson){歴史主義}の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば| |BGCOLOR(yellow):⑥|BGCOLOR(yellow):“法”主権|BGCOLOR(white):つまり「&color(crimson){法の支配}」・・・&color(crimson){歴史的に形成された統治に関する慣習法(=国体法 constitutional law)及びそれを可能な範囲で実定化した憲法典(constitutional code)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束する}| という立場だった。 また大正デモクラシー以降は、美濃部達吉の「天皇機関説」(⑤国家主権説の一種)が通説となっており、それが天皇機関説事件により、いわゆる①君主主権説に転換するのは昭和10年(1935)以降の僅か10年間である。 (※注2)「&color(crimson){法=主権者命令説}」はまた、法を、立法者に有利な特定の価値観のゴリオシ(カントやヘーゲルのドイツ観念論的法思想)や政治イデオロギー(マルクス主義法思想やナチス期ドイツの法思想)に還元してしまう危険が生じ全体主義に接近してしまう。 (※注3)この自生的秩序論を基礎に、①&color(crimson){自生的秩序}を&color(crimson){法以前の「一次ルール(=pre-legal rule 法以前のルール)」}とし、②それが&color(crimson){権威ある機関に承認}されることにより&color(crimson){「二次ルール(=正式な法)」となる}、とする「&color(crimson){法=社会的ルール説}」がハートによって提唱され、現在では英米圏の法理論の主流となっている。(⇒詳しくは、阪本昌成『憲法理論Ⅰ』[[第二章 国制と法の理論]]参照) *■2.用語集 **◆1.主権(sovereignty) |BGCOLOR(#CCCC99):しゅけん&br()【主権】&br()<日本語版ブリタニカ|>|BGCOLOR(white):元来、「至高性」を指す観念で、フランス国王が、①一方ではローマ皇帝および教皇に対し、②他方では封建領主に対し、独立最高の存在であることを示すものとして登場し、その後、近代国家の形成と発展の過程で、各種の政治的背景において、実に様々な意味合いで用いられることになるが、今日、実定法上も用いられる主権観念として重要と思われるのは、次の3つである。| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):&color(green){&bold(){国権ないし統治権}}自体の意味での主権&br()  「日本国の主権は、本州・・・に局限せらるべし」とするポツダム宣言8項がその例で、ここでは①国民および②国土を支配する権利、というほどの意味である。| |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):国権の属性としての&color(green){&bold(){最高独立性}}の意味での主権&br()  日本国憲法前文第3段に、「自国の主権を維持し」とあるのが、その例である。| |~|BGCOLOR(white):(3)|BGCOLOR(white):&color(green){&bold(){国家統治のあり方を終局的に決定しうる①権威ないし②力}}の意味での主権&br()  国民主権とか君主主権とかいわれる場合の主権観念がそれで、日本国憲法前文1段および1条にいう主権が、その例である。| |BGCOLOR(#CCCC99):しゅ-けん&br()【主権】 &br()<広辞苑>|BGCOLOR(white):①|BGCOLOR(white):その国家自身の意思によるほか、他国の支配に服さない統治権力。国家構成の要素で、最高・独立・絶対の権力。統治権。| |~|BGCOLOR(white):②|BGCOLOR(white):&color(green){&bold(){国家の政治のあり方を最終的に決める権利}}。 「国民-」| |BGCOLOR(#CCCC99):sovereignty&br()<新英和>|BGCOLOR(white):1.|BGCOLOR(white):a 主権、統治権(dominion) &br() b 君主[元首]であること| |~|BGCOLOR(white):2.|BGCOLOR(white):主権国、独立国(sovereign state)| |~|BGCOLOR(white):3.|BGCOLOR(white):  《廃》&br()  a 非常に優れていること、優秀(excellent)&br() b (薬の)特効| ※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明 |BGCOLOR(#CCCC99):sovereignty&br()<BRIT>|>|BGCOLOR(white):In political theory, the ultimate authority ①in the decision-making process of the state and ②in the maintenance of order.&br()In 16th-century France Jean Bodin used the concept of sovereignty to bolster the power of the king over his feudal loads, heralding the transition from Feudalism to Nationalism.&br()By the end of the 18th century, the concept of the Social Contract led to the idea of popular sovereignty, or sovereignty of the people, through an organized government.&br()①The Hague Conventions, ②the Geneva Conventions, and ③the United Nations all have restricted the actions of sovereign countries in the international area, as has International Law.| |~|>|BGCOLOR(white):(翻訳)&br()政治理論において、&color(green){&bold(){①国家の意思決定プロセス、および、②秩序の維持、に関する究極の権威}}。&br()16世紀フランスで、ジャン・ボーダンが、封建諸侯に優越する国王権力を補強するために、この概念を使用し、それは封建制から国民国家体制への変革を促した。&br()18世紀の末までに、社会契約という概念が、組織された政府を通じた人民主権(popular sovereignty)ないし主権在民(sovereignty of the people)という観念を導き出した。&br()①ハーグ会議、②ジュネーヴ会議、③国際連合、は全て、国際法が存在する国際分野において、主権国家の行動を制限するものである。| |BGCOLOR(#CCCC99):sovereignty&br()<ODE>|BGCOLOR(white):[mass noun]|BGCOLOR(white):supreme power or authority:&br()・the authority of a state to govern itself or another state:| |~|BGCOLOR(white):[count noun]|BGCOLOR(white):a self-governing state:| |~|>|BGCOLOR(white):(翻訳)| |~|BGCOLOR(white):[物質名詞]|BGCOLOR(white):至高権ないし最高権威&br()ある国家(state)が、自国または他の国家を統治する権威| |~|BGCOLOR(white):[可算名詞]|BGCOLOR(white): 自治国(独立国)| |BGCOLOR(#CCCC99):sovereignty&br()<Collins>|BGCOLOR(white):◆N-UNCOUNT|BGCOLOR(white):Sovereignty is the power that a country has to govern ①itself or ②another country or state.| |~|>|BGCOLOR(white):(翻訳)| |~|BGCOLOR(white):不可算名詞|BGCOLOR(white):ソブリンティーとは、あるcountry(地理的な意味での国家)が、①それ自身、あるいは、②他のcountry(地理的な意味での国家)やstate(政治的な意味での国家)、を統治する権能をいう。| **◆2.統治権、国権 |BGCOLOR(#CCCC99):とうち-けん&br()【統治権】 &br()<広辞苑>|BGCOLOR(white):国家を統治する権力。国土・国民を支配する権利。主権。| |BGCOLOR(#CCCC99):とうちけん&br()【統治権】  &br()<日本語版ブリタニカ>|BGCOLOR(white):①最高の権威、または、②国家の主権、と同義または類似の概念であるが、国家・政府・独立・民主主義などと関連して政治学や国際法において最も論争の多い言葉である。&br()日本では、統治権の概念は、明治憲法に使用されており、第4条によれば、天皇は統治権の総覧者であった。&br()16世紀にフランスのJ.ボーダンは統治権を絶対的で非制約的な概念として捉えた。&br()しかし、統治権の性格は、民主的な政府形態に伴い、次第に、①支配階級と②統治者に対する重要な制約を課するものへと変化を遂げ、また、一国の政府のためよりも、世界平和を目標に行使されるようになった。| |BGCOLOR(#CCCC99):こっ-けん&br()【国権】 &br()<広辞苑>|BGCOLOR(white):国家の権力。国家の支配・統治権。| |BGCOLOR(#CCCC99):こっ-けん&br()【国権】 &br()<明鏡国語辞典>|BGCOLOR(white):国家が国民を支配し統治する権力。国家権力。「-を発動する」| |BGCOLOR(#CCCC99):こっ-けん&br()【国権】 &br()<研究社和英>|BGCOLOR(white):sovereignty; a sovereign right; the right to rule; the authority[power] of the state; state power.| **◆3.国民主権、人民主権、主権在民、君主主権 |BGCOLOR(#CCCC99):こくみんしゅけん&br()【国民主権】&br() popular sovereignty&br() <日本語版ブリタニカ>|>|>|BGCOLOR(white):主権は国民にある、とする憲法原理。&br()&color(green){&bold(){国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が国民にある}}とし、国民主権と全く同じ意味で、&color(green){&bold(){人民主権}}ということもあるが、後者には限定された特殊な用法もある。&br()君主主権に相対する。&br()日本国憲法前文1段および1条は、国民主権に立脚することを明らかにしている。| |~|>|>|BGCOLOR(white):もっとも、&color(green){&bold(){国民主権の具体的意味の理解}}については一様ではなく、大別して、| |~|BGCOLOR(white):(1)|>|BGCOLOR(white):国民主権とは、国家の意志力を構成する最高の機関意思が国民にあることを意味し、それは憲法によって定まる、と解する説(※注:&color(green){&bold(){最高機関意思説}})と、| |~|BGCOLOR(white):(2)|>|BGCOLOR(white):国民が憲法の制定者であることを意味する、とする説(&color(green){&bold(){憲法制定権力説}})とに分れる。&br()基本的には、(2)後者の立場に立つ場合であっても、さらに、| |~|~|BGCOLOR(white):(2)-a|BGCOLOR(white):主権者たる国民は、観念的統一体としての国民で、主権がそのような国民にある、ということを意味する、というように解する説(※注:&color(green){&bold(){ナシオン主権説}})と、| |~|~|BGCOLOR(white):(2)-b|BGCOLOR(white):主権の権力的契機を重視し、主権は個々の人民が分有し、人民自らがそれを行使するところに本質がある、とする&color(green){&bold(){人民主権説}}(※注:&color(green){&bold(){プープル主権説}})とに分れる。| |BGCOLOR(#CCCC99):じんみん-しゅけん&br()【人民主権】&br() <広辞苑>|>|>|BGCOLOR(white):主権が人民に帰属すること。また、その主権。&br()国民主権。| |BGCOLOR(#CCCC99):じんみん-しゅけん&br()【人民主権】&br() <日本語版ブリタニカ>|>|>|BGCOLOR(white):⇒国民主権(※注:国民主権の項目参照)| |BGCOLOR(#CCCC99):しゅけん-ざいみん&br()【主権在民】&br() <広辞苑>|>|>|BGCOLOR(white):主権が国民に存すること。&br()明治憲法では主権が天皇にあったが(主権在君)、日本国憲法では国民にある。| |BGCOLOR(#CCCC99):くんしゅしゅけん&br()【君主主権】&br() <日本語版ブリタニカ>|>|>|BGCOLOR(white):主権は君主にある、とする国家原理で、&color(green){&bold(){国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が君主にあること}}を意味する。&br()もとは君主のもつ権力の至高性・絶対性を意味した。&br()人民主権(⇒国民主権)に相対する。&br()絶対主義を支えた概念であり、いわゆる王権神授説や、旧憲法下での天皇制もその一つであった。| |BGCOLOR(#CCCC99):popular sovereignty&br()  <ランダムハウス英和>|BGCOLOR(white):1.|>|BGCOLOR(white):国民主権、人民主権、主権在民| |~|BGCOLOR(white):2.|>|BGCOLOR(white):《米史》住民主権:南北戦争以前、Stephen A. Douglas などによって提唱された原則;准州の住民は、奴隷制度の採否に関して、連邦政府の干渉を受けず住民自身が決定するというもの&br()[1848.米語]| |BGCOLOR(#CCCC99):popular sovereignty&br()  <ジーニアス英和>|BGCOLOR(white):(1)|>|BGCOLOR(white):国民主権、主権在民;| |~|BGCOLOR(white):(2)|>|BGCOLOR(white):《米史》州権優越《南北戦争前の米国で特に奴隷州を維持するか否かについては、連邦政府の介入を認めず各州の内部問題であるとする主張;《米》squatter sovereignty ともいう》| ※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明 |BGCOLOR(#CCCC99):popular sovereignty&br()  <BRIT>|>|BGCOLOR(white):Political doctrine that allowed the settlers of U. S. federal territories to decide whether to enter the Union as free or slave states.&br()It was applied by Sen. Stephen A. Douglas as a means to reach a compromise through passage of the Kansas-Nebraska Act.&br()Critics of the doctrine called it "squatter sovereignty."&br()The resulting violence between pro- and antislavery factions (see Bleeding Kansa) showed its failure as a workable compromise.&br()See also Dred Scott Decision.| |~|>|BGCOLOR(white):(翻訳)&br()自由州または奴隷州として連邦に加入する決定を、合衆国連邦領の入植者達が行なうことを許容する政治的ドクトリン。&br()それはカンザス-ネブラスカ法可決のための妥協に到達する手段として、スチーブン・A・ダグラス上院議員によって提唱された。&br()このドクトリンへの批判者は、「不法入植者主権」と呼んだ。&br()奴隷制肯定派と反対派の間の暴力的結末(カンザス流血事件を見よ)は、このドクトリンが有効な妥協策として失敗だったことを示している。&br()ドレッド・スコット判決も参照。| **◆4.憲法制定権力(制憲権) |BGCOLOR(#CCCC99):けんぽうせいていけんりょく&br()【憲法制定権力】&br()pouvoir constituant;&br()Die verfassungsgebende&br()(※注:constituent power)&br()<日本語版ブリタニカ>|BGCOLOR(white):&color(green){&bold(){憲法を創出する権力}}であって、憲法はもちろん、&color(green){&bold(){如何なる実定法によっても拘束されない超法規的・実体的な根源的権力}}。&br()既存の憲法を前提とし、それによって設けられるもの、とは区別される。| |~|BGCOLOR(white):しかし、憲法制定の手続が実定法に拘束されるかどうかは、意見の分かれるところである。&br()国民主権を建前とする近代国家における憲法制定権力は、国民自身である。&br()この発想は、シェイエスの『第三身分とは何か』にみえ、&color(green){&bold(){国民}}を&color(green){&bold(){憲法制定権力の主体}}とする&color(green){&bold(){革命憲法制定の理論的主柱}}として、絶大な影響を及ぼした。&br()20世紀になり、C. シュミットは、この観念を用い、①憲法改正手続のもつ合法性に、②国家形態を変更する主権者の正当性を対置した。| **◆5.議会主権、議会における国王(女王) |BGCOLOR(#CCCC99):ぎかいしゅけん&br()【議会主権】&br() sovereignty of parliament&br() <日本語版ブリタニカ>|>|BGCOLOR(white):議会は法的には如何なる内容の法律も制定・改廃できる、という原理。&br()18世紀のイギリスで確立された。&br()イギリスは議会の行動を規制する根本規範としての成文憲法を持たないため、議会が制定した法律の効力を審査できる機関が存在しないことから、議会の権限の至上性が認められた。&br()「男を女にし、女を男にする以外、何でもできる」という言葉は、議会主権のもつ意味を最も端的に捉えている。&br()このような議会主権の考え方は、国民代表を前提とする議会制民主主義の定着とともに一般化され、国会における議会の最高機関性は、いずれの国でも憲法上謳われるに至っている。&br()しかし、政治的にみた場合、民主主義のもとでは、主権は国民にあり、その点において議会主権も制約を受けるのは当然のことである。| |BGCOLOR(#CCCC99):キング・イン・パーリアメント &br()King in parliament&br() <日本語版ブリタニカ>|>|BGCOLOR(white):イギリス憲法上の用語で、立法権は国王に付与されていることを言い表わしている。&br()現在は女王の統治下であるので、“Queen in parliament”という。| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):イギリスには立法を担当するものとして、上・下両院から成る議会があるが、法的には議会は国王によって召集され、また停会や解散を命じられる。&br()  いわば、議会の活動は、国王の意思に左右されている。| |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):また、議会を通過した法律案も、国王の裁可なくしては法律とならない。| |~|>|BGCOLOR(white):従って、国王は立法部の不可欠の構成要素となっている、といわなければならない。&br()このことを、「議会における王」と表現する。| **◆6.国家主権、国家法人説、天皇機関説 |BGCOLOR(#CCCC99):こっかしゅけん&br()【国家主権】&br() <日本語版ブリタニカ>|>|BGCOLOR(white):国家が領域内においてもつ排他的支配権のことであって、単に主権ともいわれるものであるが、主権という用語が多義的であるのに伴って、この国家主権も種々に解される。| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):一つは、ある国家が他の国家の権力のもとになく、対外的に独立しているとき、すなわち、その国家が主権国家であるとき、その国家を主権国家足らしめる力、をいう場合である。| |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):他は、&color(green){&bold(){対内的に国家の最高の力としての主権が、①君主にあるのでもなく、また、②国民にあるのでもなく、③国家そのものにある}}、とされるとき、それをいう場合である。&br()これは、&color(green){&bold(){国家法人説}}にみることができる。&br()なお、この国家法人説における国家主権は、独特の意味内容を持っている。&br()すなわち、この学説は、&color(green){&bold(){①君主主権と、②人民主権、とを妥協させるため、主権の保持者は人格としての国家にある、と主張}}して、③国家主権という概念を創り出したからである。| |BGCOLOR(#CCCC99):こっか-ほうじん-せつ&br()【国家法人説】&br() <広辞苑>|>|BGCOLOR(white):国家を統治権の主体たる公法人である、とする説。&br()19世紀にドイツのアルブレヒト(W. E. Albrecht 1800-76)、ゲルバー(K. F. W. von Gerber 1823-91)らが首唱。&br()日本では天皇機関説として有名。| |BGCOLOR(#CCCC99):こっかほうじんせつ&br()【国家法人説】&br() <日本語版ブリタニカ>|>|BGCOLOR(white):国家理論の一つ。&br()&color(green){&bold(){国家は単一の団体であって、法律関係の主体になる法人である、とする説}}。&br()おもに、ドイツの外見的立憲君主制のもとで主張された。&br()この説を代表するG. イェリネックは、| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):国家は法的には、①権利主体か、②権利客体か、あるいは、③権利関係か、のいずれかでなければならない、| |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):そして、そのうちでは、①権利主体とみるのが、唯一の正当な説であり、国家は法人格を有する、とみなし、| |~|BGCOLOR(white):(3)|BGCOLOR(white):国家機関を通して団体意思を形成し、統治行動を行う、とした。| |~|>|BGCOLOR(white):それは、<1>絶対君主の権力装置としての国家を否定し、<2>君主は国家に含まれる、とすることにより、&color(green){&bold(){君主と人民との対立を回避し、立憲君主制のイデオロギーとして機能}}した。&br()特に日本では、天皇機関説として問題とされた。| |BGCOLOR(#CCCC99):てんのう-きかん-せつ&br()【天皇機関説】&br() <広辞苑>|>|BGCOLOR(white):明治憲法の解釈として、| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):国家の統治権は天皇にある、とする説に対して、| |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):統治権は法人である国家に属し、天皇はその最高機関である、とする学説。| |~|>|BGCOLOR(white):一木喜徳郎、美濃部達吉らが唱えたが、1935年に国体明徴問題がおこり、国体に反する学説とされた。| |BGCOLOR(#CCCC99):てんのうきかんせつ&br()【天皇機関説】&br() <日本語版ブリタニカ>|>|BGCOLOR(white):美濃部達吉によって主張された学説で、&br()&color(green){&bold(){国家を統治権の主体とし、天皇は国家の一機関に過ぎない、とする明治憲法の解釈}}のこと。&br()上杉慎吉らの天皇主権説に対して、大正デモクラシー以後、学界・政界で一時支配的な地位にあった。&br()しかし、満州事変以後、軍部・官僚・右翼団体が、天皇機関説を国体に反する反逆思想である、として攻撃したため政治問題化した。&br()これが、1935年のいわゆる国体明徴運動である。&br()当時、貴族院議員であった美濃部は、議会で弁明を求められ、反論を明らかにしたが、衆議院議員江藤源九郎は彼を不敬罪で告発し、政府でも陸海軍大臣の圧力に押され、『憲法撮要』など美濃部の3著を発禁とした。&br()こうして美濃部自身も貴族院議員を辞任し、天皇機関説は政治的に葬られた。| **◆7.社会契約説(social contract theory) |BGCOLOR(#CCCC99):しゃかい-けいやくせつ&br()【社会契約説】&br() (cotract social フランス)&br() <広辞苑>|>|BGCOLOR(white):17~18世紀に西欧で有力であった政治・社会理論。&br()&color(green){&bold(){国家の起源}}を&color(green){&bold(){自由で平等な個人相互の自発的な契約}}に求め、それによって&color(green){&bold(){政治権力の正統性を説明}}しようとする。&br()ホッブズ・ロック・ルソーらの説。&br()日本では中江兆民らが紹介。&br()民約説。契約説。&br()⇒自然状態、⇒社会有機体説| |BGCOLOR(#CCCC99):しゃかいけいやくせつ&br()【社会契約説】&br() social contract theory&br() <日本語版ブリタニカ>|>|BGCOLOR(white):&color(green){&bold(){個人間の契約によって政治社会が成立した}}とする&color(green){&bold(){政治学説}}。&br()政治社会を自然的に成立したとみる考え方に対して、&color(green){&bold(){人為的につくられた}}とする点に特質がある。| |~|BGCOLOR(white):<1>|BGCOLOR(white):契約説自体は社会を便宜的製作物とみなしてきたギリシアのソフィストの思想に萌芽的にみられ、中世の法学者によって支配-服従契約の名のもとに使用されたこともある。&br()だがそこでは、秩序は自然的に実在しているという見方のもとに支配関係を解釈する原理にとどまっていた。| |~|BGCOLOR(white):<2>|BGCOLOR(white):政治社会を構成する原理として積極的に提示されたのは、伝統的秩序が崩れ始めた17~18世紀においてである。&br()社会契約説は近代自然主義の影響を受けて政治社会の成立を始原的な個体にまで分解して探求しようとした近代の「自然法」学と結合し、政治社会形成の根拠として援用されることになった。&br()その際、自由・平等な個人を政治の主体とし、この主体が政治社会をつくりだすことを論証した。&br()そして究極的には、抵抗権の裏打ちによって近代革命を指導する原理ともなったのである。&br()もっとも、大陸自然法学においてはなお解釈の原理であったのに対し、イギリスの自然法論においては積極的な構成原理として展開された。| |~|>|BGCOLOR(white):もとよりその説には論者によって差異があり、| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):ホッブズは絶対主義を生むものとし、| |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):J.ロックにおいては委託の原理として近代の議会主義と権力の制限の理論的背景となった。| |~|BGCOLOR(white):(3)|BGCOLOR(white):さらにフランスでこの両者を継承したルソーの場合は、この説の背景にあった個人主義的色彩をとどめながら、同時に集団を重視する方向に大きな変化をみることになった。| |~|>|BGCOLOR(white):その後社会契約説は19世紀に至って、歴史主義によって批判されるとともに事実や規範を峻別する批判哲学によって単なる仮説に過ぎないと批判されたが、J.ロールズやノージックの影響で1970年代以降再び脚光を浴びるようになった。| |BGCOLOR(#CCCC99):しゃかいけいやくろん&br()【社会契約論】 &br()Du contrat social, ou principes du droit politique&br() <日本語版ブリタニカ>|>|BGCOLOR(white):フランスの哲学者J.-J.ルソーの著作。&br()1758年書き始められ、61年完成し翌年出版されたルソーの政治論の主著である。&br()著者は&color(green){&bold(){封建制度の隷属的人間関係を強く批判し、人間の基本的自由を指摘することから始めて、自由な人間が全員一致の約束によって形成する理想的な国家形態を主張}}した。&br()この書は政治論であるが、このような政体によって初めて道徳は成り立ちうるとの倫理観と不可分であって、&color(green){&bold(){主権者である人民の国家への奉仕が強く求められており}}、そこから&color(green){&bold(){全体主義的解釈}}も生まれた。&br()『社会契約論』はフランス革命に多大の影響を与えたが、日本では1882年中江兆民によって『民約訳解』として漢訳さえ(第2編第6章まで)、自由民権運動に大きな影響を及ぼした。| ※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明 |BGCOLOR(#CCCC99):social contract &br()<BRIT>|>|BGCOLOR(white):Actual or hypothetical compact between the ruled and their rulers.&br()The original inspiration for the notion may derive from the biblical covenant between God and Abraham, but it is most closely associated with the writtings of Thomas Hobbes, John Locke, and Jean-Jacques Rousseau.| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):Hobbes argued that the absokute power of the sovereign is justified by a hypothetical social contract in which the people agree to obey him in all matters in return for a guarantee of peace and security, which they lack in the warlike "state of nature" posited to exist before the contract is made.| |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):Locke believed that rulers also were obliged to protect private property and the right to freedom of thought, speech, and worship.| |~|BGCOLOR(white):(3)|BGCOLOR(white):Rousseau held that in the state of nature people are unwarlike but also undeveloped in reasoning and morality; in surrendeing their individual freedom, they acquire political libety and civil rights within a system of laws based on the "general will" of the governed.| |~|>|BGCOLOR(white):The idea of the social contract influenced the shapers of the American Revolution and the French Revolution and the Constitutions that followed them.| |~|>|BGCOLOR(white):(翻訳)&br()&color(green){&bold(){治者(the ruler)と被治者(the ruled)の間の現実的あるいは仮想的な契約}}。 &br()この観念の起源となる着想は、神とアブラハムとの間の聖書にある誓約から派生したものと思われる。しかし、それはトーマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン-ジャック・ルソーの著作と最も緊密に結びついている。| |~|BGCOLOR(white):(1)|BGCOLOR(white):ホッブズは、主権の絶対的権力は仮想的な社会契約によって正当化される、と論じた。そこでは人々は、契約が為される以前に存在すると措定されている“自然状態(state of nature)”の中では欠落している平和と安全の保証と引き換えに、主権者に全面的に服従することに合意する。 | |~|BGCOLOR(white):(2)|BGCOLOR(white):ロックは、治者(the ruler)はまた私有財産と思想・言論・信仰の自由を保護する義務を負っていると信じていた。| |~|BGCOLOR(white):(3)|BGCOLOR(white):ルソーは、自然状態では人々は好戦的ではないが理性と道徳が未発達であり、個人的自由を放棄することによって彼らは被統治者(the governed)の“一般意思(general will)”に基づく法制度の中で政治的自由と市民的権利を獲得する、と考えた。| |~|>|BGCOLOR(white):社会契約の理念は、アメリカ革命やフランス革命の担い手達、そしてそれらに続いた成文憲法の作成者達に影響を与えた。| |BGCOLOR(#CCCC99):social contract (also social compact)&br() <ODE>|>|BGCOLOR(white):an implicit agreement among the members of a society to cooperate for social benefits, for example by sacrificing some individual freedom for state protection.&br()Theories of a social contract became popular in the 16th, 17th, and 18th centuries among theorists such as Thomas Hobbes, John Locke, and Jean-Jacques Rousseau, as a mean of explaining the origin of government and the obligations of subjects:| |~|>|BGCOLOR(white):(翻訳)&br() 例えば、&color(green){&bold(){国家を守るために幾つかの個人的な自由を犠牲にすることによって、社会の諸便益のために協同する、ある社会の構成員の間の暗黙の契約}}のこと。&br() 社会契約の理論は、トーマス・ホッブズやジョン・ロックやジャン-ジャック・ルソーといった理論家達の間で、①&color(green){&bold(){政府の起源}}と、②&color(green){&bold(){被服従者の義務}}を&color(green){&bold(){説明する方法}}として有名になった。| ※BRIT(Britannica Concise Encyclopedia)、ODE(Oxford Dictionary of English)、Collins(Collins Cobuild Advanced Dictionary of English)

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