靖國神社参拝問題

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#center{&size(14.5){&bold(){英霊の神聖な座 ~ 靖国神社について正しい知識を得るページ}}} ---- このページでは、靖国神社に鎮まる英霊の遺された思いについてその歴史的沿革も含めて解説します。 <目次> #contents ---- *■1.留魂(りゅうこん)護国の思い ** ◆1.用語説明:「留魂」・「鎮魂」・「招魂」 ◇「留魂(りゅうこん)」は現在では聞きなれない言葉であり、辞書にも記載がないため、後述する。 ※下は、[[一宮海水浴場・陸軍船舶幹部候補生「留魂碑」>http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki8/senpaku/senpaku.html]] &ref(http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1584&file=senpaku01.jpg) ◇「鎮魂(ちんこん)」は広辞苑及びwikipediaには以下のように記載されている。 |BGCOLOR(pink):(広辞苑)ちん-こん【鎮魂】| |①魂をおちつけしずめること。たましずめ。| |②死者の魂をなぐさめること。| |BGCOLOR(pink):(wikipedia)[[鎮魂>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E9%AD%82]]| |鎮魂(ちんこん、たましずめ)とは、人の魂を鎮めることである。今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。しかし、元々「鎮魂」の語は「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものであった。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の二つの儀が行われている。(以下省略)| ◇次に、「招魂(しょうこん)」の説明 |BGCOLOR(pink):(広辞苑)しょう-こん【招魂】| |①[儀礼(土喪礼、注)]死者の魂を招きかえすこと。昔、人が死ぬと生きかえらせようとして死者の衣を持って屋根にのぼり、北に向かい3度その名を呼んだ。たまよばい。転じて、死者の霊を招いて祭ること。| |②(失神したときなどに)魂を招きかえすこと。| ◇次に、関連項目として「招魂祭」「招魂社」 |BGCOLOR(pink):(広辞苑)しょうこん-さい【招魂祭】| |①死者の霊を祀る儀式。| |②招魂社の祭典。| |BGCOLOR(pink):(wikipedia)[[招魂祭>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A5%AD]]| |招魂祭(しょうこんのまつり)は日本の陰陽道・中国の道教で行われる祭祀・呪術のひとつ。宮中でも行われた。| |近代に新しく招魂社・靖国神社などで死者に対して始められた「招魂祭」(しょうこんさい)については靖国神社参照(以下省略)| |BGCOLOR(pink):(広辞苑)しょうこん-しゃ【招魂社】| |明治維新前後から、国家のために殉難した人の霊を祀った神社。1868年(明治1)各地の招魂場を改称。1939年さらに護国神社と改称。靖国神社も招魂社の一であるが護国神社と改称しなかった。| |BGCOLOR(pink):(wikipedia)[[招魂社>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE]]| |招魂社(しょうこんしゃ)は明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した英霊を奉祀した各地の神社。東京招魂社は1879年(明治12年)靖国神社と改称。地方の招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称。そういういきさつがあるので、明治末期になっても、靖国神社という名称よりも、招魂社という名で庶民には親しまれていた。(夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に幼い娘の発言に「招魂社」が登場する。| |また、日本初の招魂社は櫻山招魂場(現・櫻山神社、慶応元年(1865年)8月、山口県下関市)である。| |王朝時代には、死者に対する陰陽道の招魂祭(しょうこんのまつり)は禁止されていた。死者・生者に対する神道儀礼は鎮魂祭と称されていた。靖国神社の旧称「東京招魂社」は「在天の神霊を一時招祭するのみなるや聞こえて万世不易神霊厳在の社号としては妥当を失する[1]」可能性があるために廃されたという。ただし、名称変更後も「招魂祭」(しょうこんさい)は続けられた。(以下省略)| ---- *■2.「留魂」(りゅうこん)とは何か ** ◆1.吉田松陰『留魂録』巻頭の歌 [[吉田松陰 留魂碑>http://www.uchiyama.info/oriori/shiseki/bochi/syouin/]] 安政6年10月26日(安政の大獄による刑死の前日)の夕刻、吉田松陰(1830-59)は獄中で遺書を書き残した。これを松陰自ら題して『[[留魂録(りゅうこんろく)>http://www.geocities.jp/sybrma/36ryuukonroku.html]]』という。 |&ref(http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1584&file=syouin.jpg)|[[『留魂録』(吉田松陰:著)>http://www.amazon.co.jp/dp/4192443570/]]| その冒頭にある歌 |BGCOLOR(pink): 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂| すなわち、身はたとえ朽ちても大和魂を留めて御國(みくに)を守らんとする願意を示した歌である。これを「留魂(りゅうこん)」という。 ** ◆2.西郷隆盛『獄中有感』 西郷隆盛(1827‐77、号:南州)は1862年(文久2年)、薩摩藩主島津久光の怒りに触れて沖永良部島に一時流された時に『獄中有感(獄中感有り)』と題する詩を詠んだ。 その末尾には、「願留魂魄護皇城(願くば魂魄を留めて皇城を護らん)」と、やはり「留魂」の思いが詠われている。 |BGCOLOR(green):CENTER:獄中有感|BGCOLOR(green):CENTER:西郷隆盛作| |BGCOLOR(pink):     朝蒙恩遇夕焚坑  |BGCOLOR(aqua):朝に恩遇を蒙り夕に焚坑せらる| |BGCOLOR(pink):     人生浮沈似晦明  |BGCOLOR(aqua):人生の浮沈晦明に似たり| |BGCOLOR(pink):     縦不回光葵向日  |BGCOLOR(aqua):たとい光を回らさざるも葵は日に向う| |BGCOLOR(pink):     若無開運意推誠  |BGCOLOR(aqua):もし運開くなきも意は誠を推す| |BGCOLOR(pink):     洛陽知己皆為鬼  |BGCOLOR(aqua):洛陽の知己皆鬼となり| |BGCOLOR(pink):     南嶼俘囚独竊生  |BGCOLOR(aqua):南嶼の俘囚独り生を竊む| |BGCOLOR(pink):     生死何疑天付与  |BGCOLOR(aqua):生死何ぞ疑わん天の付与なるを| |BGCOLOR(pink):     願留魂魄護皇城  |BGCOLOR(aqua):願くば魂魄を留めて皇城を護らん| [[西郷隆盛の留魂祠と留魂碑>http://otaku.edo-jidai.com/414.html]] ※西南戦争によって不本意ながらも明治政府に弓を引いた西郷隆盛は靖国神社には合祀されていないが、勝海舟によって、その遺徳を顕彰する留魂碑が建立されている。 ** ◆3.「留魂」・「招魂」・「鎮魂」 以上をまとめて、平たく表現すると以下のようになる。 |①|BGCOLOR(pink):留魂(りゅうこん)|BGCOLOR(aqua):「御国(みくに)」「天皇」あるいは、そこまで明確に意識しておらずとも「故郷」「国民」「家族」を護らんとした殉難者の遺した思い(御霊(みたま))のこと。| |②|BGCOLOR(pink):招魂(しょうこん)|BGCOLOR(aqua):殉難者の思いを御霊(みたま)として神社(正確には神籬(ひもろぎ))に招くこと。| |③|BGCOLOR(pink):鎮魂(ちんこん)|BGCOLOR(aqua):現代的な意味では、殉難者の御霊(みたま)に対して残された人々が感謝の誠をささげ、御霊を慰め鎮めること。| ** ◆4.各地に残る留魂碑・忠魂碑 上記の吉田松陰や西郷隆盛の留魂の思いは、戊辰戦争から大東亜戦争へと続く幾多の戦いの殉難者達の胸の中に引き継がれた。 ◇[[特攻艦隊 留魂碑>http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ren-yamatohoufu.htm]] &ref(http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1584&file=kaiten-ireihi03.jpg) ◇[[軍艦「榛名・出雲」戦歿者留魂碑>http://jp-pride.com/irei/irei18.html]] ◇[[大分護国神社留魂碑>http://www.geocities.jp/bane2161/manmoukaitakuseisyounengiyuugun.htm]] ※なお全国的には、上記のような思想的背景を帯びた「留魂碑」ではなく「忠魂碑」「忠霊碑」の呼称が使われている場合が一般的である。 ※「留魂」の語は陸海軍の士官など一定の護国の思想教育(水戸学・崎門学および国学)を受けた者に好んで使用される傾向があるように見受けられる。 ---- *■3.「七生報国」の志 ** ◆1.吉田松陰『留魂録』巻末の歌 『留魂録(りゅうこんろく)』の末尾は以下の歌で結ばれている。 |BGCOLOR(pink):七たびも生きかへりつつ夷(えびす)をぞ攘(はら)はんこころ吾れ忘れめや| すなわち、松陰は留魂録をつづり終えるに際して、大楠公(楠木正成)の「七生報国(しちしょうほうこく)」の志へと思いを馳せた。 ** ◆2.太平記 巻十六 [[大楠公の最後として「太平記」に誌された叙述>http://bittercup.blog81.fc2.com/blog-entry-637.html]] |BGCOLOR(pink):正成座上に居つゝ舎弟正季に向って、そもそも最後の一念に依って善悪の生を引くといへり、九界の間になにか御辺の願あると問ひければ、正季からからと打笑ひて、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を減さばやとこそ存じ候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども我も斯様に思ふなり、いざさらば同じく生を替へて、此本懐に遷せんと契って、兄弟共に刺違へて、同じ枕に伏しにけり| ** ◆3.皇居を守る楠公像 &ref(http://www35.atwiki.jp/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E4%BB%AE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B855&file=nannkou.png,with,height=500) ----- *■4.神州正気の精 ** ◆1.藤田東湖『和文天祥正気歌』と「英霊」 吉田松陰・橋本景岳・西郷隆盛ら幕末・明治維新期の志士達の思想に決定的な影響を与えたのは、会沢正志斎・藤田東湖に代表される後期水戸学である。 ◇『[[和文天祥正気歌(文天祥正気の歌に和す)>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835006&tid=bcafld&sid=1835006&mid=4055&thr=4055&cur=4055&dir=d]]』 藤田東湖(1806-55 水戸の教学を指導した藩儒)が、藩主徳川斉明が幕府に睨まれて隠居謹慎を命じられた時に憤激して、南宋の文天祥(1236-83 元朝フビライ汗による南宋侵攻に抗して戦い、捕らわれても最後まで節を曲げなかった忠臣)の遺した『正気歌(せいきのうた)』に和して詠んだ詩 |BGCOLOR(green):詩|BGCOLOR(green):読み下し|BGCOLOR(green):大意| |BGCOLOR(pink):天地正大気  |BGCOLOR(aqua):天地正大の気           |BGCOLOR(yellow):天地間の正大の気は、| |BGCOLOR(pink):粋然鍾神州  |BGCOLOR(aqua):粋然として神州に鍾(あつ)まる   |BGCOLOR(yellow):純粋なままに日本に集まっている| |BGCOLOR(pink):秀為不二嶽  |BGCOLOR(aqua):秀でては不二の嶽(みね)と為り   |BGCOLOR(yellow):高く秀でては富士山となって| |BGCOLOR(pink):巍巍聳千秋  |BGCOLOR(aqua):巍巍(ぎぎ)として千秋に聳(そび)ゆ|BGCOLOR(yellow):いつの世にも威容を聳えさせている| |>|>|CENTER:(途中省略)| |BGCOLOR(pink):承平二百歳  |BGCOLOR(aqua):承平 二百歳           |BGCOLOR(yellow):徳川幕府が開かれてより太平の続くこと二百年| |BGCOLOR(pink):斯気常獲伸  |BGCOLOR(aqua):斯の気 常に伸ぶるを獲たり   |BGCOLOR(yellow):正気は、この間つねに人の世に伸び広がっていった| |BGCOLOR(pink):然当其鬱屈  |BGCOLOR(aqua):然れども其の鬱屈に当たりては |BGCOLOR(yellow):そうはいっても、時にこの正気も結ぼれて世に現れぬかと見えたこともあったが| |BGCOLOR(pink):生四十七人  |BGCOLOR(aqua):四十七人を生ず          |BGCOLOR(yellow):その時に、赤穂義士四十七人を生じたのである| |BGCOLOR(pink):乃知人雖亡  |BGCOLOR(aqua):乃(すなわ)ち知る 人亡ぶと雖も |BGCOLOR(yellow):かくして人の肉体は死によって亡びるが| |BGCOLOR(pink):英霊未嘗泯  |BGCOLOR(aqua):英霊 未だ嘗て泯(ほろ)びず   |BGCOLOR(yellow):人が宿していた英霊は決して滅びることはない| |>|>|CENTER:(途中省略)| |BGCOLOR(pink):生当雪君冤  |BGCOLOR(aqua):生きては当(まさ)に君冤を雪(そそ)ぎ |BGCOLOR(yellow):生きてあるならば藩公の冤罪をそそぎ| |BGCOLOR(pink):復見張綱維  |BGCOLOR(aqua):復た綱維を張るを見るべし    |BGCOLOR(yellow):正気によって世道人倫が再び健全に輝く姿を示さねばならない| |BGCOLOR(pink):死為忠義鬼  |BGCOLOR(aqua):死しては忠義の鬼(き)と為り   |BGCOLOR(yellow):もし死を迎えるならば、正気は我が魂に凝(あつま)って忠義の鬼となり| |BGCOLOR(pink):極天護皇基  |BGCOLOR(aqua):極天 皇基を護らん       |BGCOLOR(yellow):天地の尽きるまで皇国を護持するのだ| ※詩中にある「英霊」(この場合は赤穂義士47士を指す)が、靖国神社・護国神社の御霊すなわち「[[英霊>http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn15.htm]]」の語の典拠とされる。 ** ◆2.徳川光圀と「嗚呼忠臣楠子之墓」 水戸学を開いたのは、講壇や時代劇で有名な徳川光圀(水戸黄門)である。 光圀は『大日本史』の編纂をつづける過程で、楠木正成の終焉の地 摂津国(現:兵庫県)湊川を訪ねて、そこに「[[嗚呼忠臣楠子之墓>http://inoues.net/club/minatogawa_shrine.html]]」と刻ませた墓碑を建立した。(現在の湊川神社) 後世、吉田松陰を始めとする幾多の志士がこの楠公の墓碑を拝して涙し、勤皇・護国の志を堅くした。 ◇真木和泉守保臣(1813-64 久留米藩士。安政の大獄によって吉田松陰・橋本左内の指導者をうしなった後の尊攘派を物心両面にわたって先達として指導し、戊辰戦争の前哨戦となる禁門の変(蛤御門の変)に決起して破れて自害した)が詠じた詩の一節 |BGCOLOR(pink):嗚呼一片忠臣石   |BGCOLOR(aqua):あゝ一片忠臣の石| |BGCOLOR(pink):鎮得神州正気精   |BGCOLOR(aqua):鎮め得たり神州正気(せいき)の精| ** ◆3.戦後日本に「神州正気の精」を放つ靖国神社  幕末期に湊川の畔に立つ楠公墓碑が果たした役割を、戦後日本において果たしてきたのは、靖国神社であり護国神社である。  政治家であれ民間人であれマスコミであれ、その人物・組織の靖国神社・護国神社に対する姿勢が、その者の国家観・歴史観を明瞭に私たちに知らしめるリトマス試験紙となっている。 ◇靖国神社に対する姿勢(見取り図) |BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:靖國&br()神社&br()参拝|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:所属|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:東京裁判をどう見るか|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:日本の戦争をどう見るか|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:憲法をどうみるか|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:評価| |BGCOLOR(#DBDB00):反対論|社民党、共産党、公明党&br()民主党(現・民進党)&br()自民党(リベラル派)&br()北朝鮮、韓国&br()朝日、毎日、NHK|日本人は全員謝罪汁!|日中十五年戦争は侵略戦争&br()アジア太平洋戦争で日本は&br()東南アジアをも侵略した|[[憲法9条死守>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/89.html]]&br()平和憲法を守れ|BGCOLOR(#A4F200):CENTER:論外&br()消えて欲し&br()いアノヨ&br()(×)| |BGCOLOR(#DBDB00):分祀論|自民党(一般の議員)&br()中国政府&br()読売、日経|A級戦犯の合祀は問題だ|太平洋戦争はアメリカが悪い&br()しかし満州事変~日中戦争&br()は日本の中国侵略|憲法改正は必要&br()特に9条2項は削除すべき|BGCOLOR(#A4F200):CENTER:半可通&br()もっとよく勉&br()強しましょう&br()(△)| |BGCOLOR(#DBDB00):推進論|自民党(保守派)&br()台湾の李登輝氏&br()産経、チャンネル桜|国内法上は戦犯など存在&br()しない&BR()(国会で名誉回復決議)|[[大東亜戦争は自存自衛>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/67.html]]&br()[[満州事変~支那事変も侵略>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/62.html]]&br()[[とは言い難い>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/62.html]]|[[自主憲法制定が必要>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/241.html]]|BGCOLOR(#A4F200):CENTER:感服&br()よく勉強し&br()ておられます&br()(○)| ※参考:[[「靖国問題」とは何か(赤池誠章・衆院議員(自民党))>http://www.akaike-office.net/report/2009/H210323_yasukuni.pdf]] ---- *■5.安政の大獄と東京裁判 ** ◆1.吉田松陰・橋本佐内を始めとする幕末・明治殉難者 吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎をはじめとする「安政の大獄」の殉難者、真木和泉守を始めとする「禁門の変」の殉難者、さらに坂本龍馬・高杉晋作・清川八郎・中岡慎太郎等々、歴史上に著名ないわゆる幕末の志士・国事に盡して斃れられた方々は、幕末・明治維新殉難者として靖国神社・護国神社に合祀されている。 ** ◆2.留魂の思いを遺した殉国七士・昭和殉難者 東京裁判の結果、法務死を遂げられた東条英機元首相を始めとする殉国七士(所謂A級戦犯)、さらに山下奉文大将を始めとするフィリピンなど南方各地や支那で連合国による一方的な「戦犯」判決によって法務死を遂げられた方々も昭和殉難者として合祀されている。 敗戦の責任を一身に背負い、英・米・蘭・支那など連合国民の極めて不当な敵愾心・復讐心を全て引き受けて、従容として戦後日本の再建の礎となられた、これらの方々もまた、尊い留魂の思いを私たち国民のために遺されたからである。 ** ◆3.所謂「A級戦犯」分祀論は間違い 殉国七士を始めとして連合国による「戦犯」判決が下された方々に対しては、サンフランシスコ講和条約発効前後に(当時の最大野党だった左右の社会党も含めて)その全員の赦免を求める国民的運動(4,000万人以上の署名が集まった)が巻き起こり、国会で共産党・労農党(のちに社会党に合流したマルクス主義政党)を除く全政党議員による圧倒的多数の賛成をもって「戦犯」の赦免・名誉回復決議が行われた。 (共産党機関紙・[[赤旗>http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-15/0615faq_0.html]]より引用) |BGCOLOR(pink):サンフランシスコ平和条約発効(1952月4月)後、国会では戦争犯罪問題の論戦がさかんにおこなわれました。その特徴は、侵略戦争への反省ではなく、逆に戦争犯罪人は「国の犠牲者」「愛国者」であるといった戦争責任の免罪でした。&br()戦犯釈放・赦免要請決議は参院本会議では52年6月9日、衆院本会議では52年6月12日、52年12月9日、53年8月3日、55年7月19日の計5回ありました。これらの決議は、日本共産党と労農党を除いた、自由党、改進党、右派・左派両社会党などの共同提案によるものです。| (引用終わり) *■6.昭和殉難者の遺された手紙・遺書より ◇笹倉林治 命(みこと)(昭和22年12月フィリピン・マニラにて法務死、享年26歳) |BGCOLOR(white):【母上様宛封書】&br() 前略&br() 暫らく御無沙汰致しましたのでさぞ案じ居られた事と存じます。毎週御便りをと心掛け居りますも、手紙の用紙が支給してもらへないので、今日迄延引致し誠に申訳無く存じ居ります。其の後の状況をと存じますも別段変化も有りませんが、私達裁判の再審も終り同ケース死刑四人の内風戸文之君が一人懲役二十年に減刑になり、中村隊長に小生と一条幸真君が減刑無く残されましたので、覚悟はして居たものゝ希みの綱も既に切れました。最後の日に到り何も申し残す事もありませんが、只日本人として将又帝国軍人として従容として立派な態度を以て死にのぞみたいと存じます。故郷の母上一同の事をも案じ居りますも、今更何とも致し方なく、今後御健在にて幸福な家庭を造り、日々をすごされん事を草葉の蔭より御祈り致し居ります。&br() 今日迄の清況をば富山市清水町の田林様が今度皈国するので家に寄るはず故、一切が判る事と存じますから手紙は書きません。此の手紙は隣りの独房の渡辺君に依頼致しました。&br() 友人諸君に宜敷く。&br()&br() 嵐吹き  桜の花は散り行くも   我が魂魄は国を守らん| ◇上田貢 命(みこと)(昭和21年6月フィリピン・マニラにて法務死、享年30歳) |BGCOLOR(white): 遺書     &br()  昭和二十一年四月二十三日&br()一. 御両親様ヘ&br() 三十有余年間ノ御養育其他ニ対スル報恩ノ一端モ尽シ得ズ、先キ立ツ罪ヲ御許シ下サイ。然シ、今此処ニ国ニ殉ジ死ニ赴カントスル一事ヲ以テ、全テヲ御許シ下サル事ト存ジマス。&br() 私ノ死後、新聞ラジオ等ニ依リ、私ノ戦争犯罪事実ガ誤報サレテ伝ハル事ヲ怖レ、次ニ簡単ニ事実ヲ書キ残シマス。&br()●昭和十七年七月六日当時、私ハ四名ノ憲兵ノ長トシテ某部隊ニ配属トナリ、「レイテ」島「タクロバン」町ニ在リマシタガ、七月六日俘虜収容所カラ逃走ヲ計ツタ米人将校一、比島人三ヲ部隊ニ於テ処刑スルニアタリ、憲兵トシテ立会ヲ命セラレ、死刑現場ニ立会ヲシタ事。&br()(途中省略)&br()事件事実ハ右ノ通リデシタガ、裁判ノ結果、比人証人ノ嘘言ヲ信用セラレ、当時私ハ「タクロバン」ノ憲兵隊長デ、右ノ事件ハ全テ私ノ命令ニ依リ行ハレタト判断サレテシマヒマシタ。其レト云フノモ、当時ノ部隊長・直接指揮シタ将校・行為者等全テノ人達ハ現在戦死シタカ行方不明デ居ナク、私一人カ生キ残ツテヰタ故、然モ住民ニ良ク名前ヲ知ラレテ居タタメ、私一人ダケ起訴サレタ次第デス。&br()(途中省略)&br() 内地ノ人達デモ常識ノ有ル人ハ、斯ル馬鹿ナ裁判ガアルモノカト思フ人モアルト思ヒマスガ、此ノ様ナ裁判ハ私ノ場合丈デナク多数アリ、斯ル裁判ガ平気デ行ハレテヰルノデス。ダカラ私トシテハ、裁判ヲ受ケテ殺サレルト思ヘバ残念デスガ、戦ニ負ケテ有無ヲ云ハサヌ敵ニ殺サレタト思ヘバ何ンデモナイ事ト思ヒマス。&br()(途中省略)&br()只、御両親様並ニ弟妹達ノ長命ヲ祈ルト共ニ、妻子ノ将来ヲ御願ヒ申シマス。&br() 愛子ノ将来ニ就テハ、私、少シモ束縛シヨウトハ思フテハヰマセン。全テ彼女ノ意思ニマカセテヤツテ下サイ。最後ニ私モキリスト教徒トシテ昇天シテ行キマス。&br() 神ヨ、我ガ一族ニ祝福ヲ与ヘラレン事ヲ!!&br()(遺骨ガトドカヌト思ヒマスカラ遺髪ヲ同封シテ置キマス)&br()&br()二.最愛ナリシ愛子ヘ&br()(途中省略)&br()三.未ダ見ザリシ最後(ママ)ノ恵子ヘ&br()1.オ前ノ父サンハ国ニ忠義ナ立派ナ日本人ダヨ。&br()2.オ前ノ祖父母サンヤ母サンモ立派ナ日本人デス。父サンガ無クテモ祖父母ヤ母サンノオ教ヲ良ク守リベン強シテ立派ナ人ニナルノダヨ。&br()3.オ前ガ学校ニ行ク頃ハアメリカ流ノ教育ニナツテヰルト思フガ、アメリカ流デモ良イ所ハ進ンデナラヒ、人ニ負ケテハイケナイガ、日本人ダト云フ事ヲ寸時モ忘レテハイケナイ。オ父サンハ永イ間外国ニ居テ、外国ノ女ハ少シモ偉イトハ思ハナカツタ。ヤハリ女ノ人ハ日本ノ女ガ世界第一立派デアツタト思ヒマス。ダカラ大キクナツタラ立派ナオ母サントナツテ立派ナ日本男子ヲ沢山生ンデ、父サンガアメリカト戦ツテ立派ナ戦死ヲシタ事ヲ伝ヘテ下サイ。&br()         昭和二十一年四月二十三日&br()                  於マニラ&br()             &br()     上田貢&br() オ父サンハ何時モオ前ト共ニ居テ、オ前ヲ護ツテ居る事を忘れるな。| ---- 【関連】 [[靖国神社参拝問題>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/72.html]] ---- *■7.ご意見、情報提供 - このような上記の真実があるからこそ、国会議員や閣僚としての参拝はダメだと思う。これ宗教(神道)じゃん。公明党がダメで靖国参拝が良いのは矛盾してないか?(政教分離として) 朝鮮半島や中共のことはどうでもいいとしても、個人(私人として、例えば安倍総理の場合、安倍内閣総理大臣としてではなく、安倍晋三一個人として参拝する)で行ってくれ。また、内閣にはキリシタンや仏教徒もいるし、一神社だけを優遇するのは宗教的に見ても公平ではない。 -- 名無しさん (2017-12-07 21:52:51) #comment #include_cache(政治理論・共通)
*序文  「軍国主義の象徴である靖國神社に参拝する事は、戦争を美化しているのに等しい行為である!」  またもや怒号が飛んできた。毎度毎度、中国・朝鮮のヒステリックな反応には迷惑している。そんなに靖國神社は悪いのだろうか。  靖國神社は、東京都千代田区九段北の九段坂の上に鎮座する神社で、幕末・明治維新以後の国事に殉じた人々(約250万柱)をお祀りしている神社である。ちなみに、爆風スランプ『大きな玉ねぎの下で』に出てくる歌詞「♪九段下の駅を降りて坂道を――」の「坂道」は、九段坂のことだ。  本稿は、天皇陛下および内閣総理大臣がこれに参拝することが、他国にとやかく言われる筋合いがないこと、政教分離の原則にも触れないこと、日本国にとって望ましいことであることを示すものである。 #CENTER{&youtube(http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=TBDtfgcJYHc){500,350}} #CENTER{[[李登輝・台湾元総統、外国人記者クラブでの講演(2007年)>http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=TBDtfgcJYHc]]} *見取り図 |BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:靖國&br()神社&br()参拝|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:所属|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:東京裁判をどう見るか|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:日本の戦争をどう見るか|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:憲法をどうみるか|BGCOLOR(#E6C4BF):CENTER:評価| |BGCOLOR(#DBDB00):反対論|社民党、共産党、公明党&br()民主党(社民系など護憲リベラル)&br()自民党(リベラル派)&br()北朝鮮、韓国&br()朝日、毎日、NHK|日本人は全員謝罪汁!|日中十五年戦争は侵略戦争&br()アジア太平洋戦争で日本は&br()東南アジアをも侵略した|[[憲法9条死守>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/89.html]]&br()平和憲法を守れ|BGCOLOR(#A4F200):CENTER:論外&br()消えて欲し&br()いアノヨ&br()(×)| |BGCOLOR(#DBDB00):分祀論|自民党(一般の議員)&br()民主党(党内で右派とされる議員)&br()中国政府&br()読売、日経|A級戦犯の合祀は問題だ|太平洋戦争はアメリカが悪い&br()しかし満州事変~日中戦争&br()は日本の中国侵略|憲法改正は必要&br()特に9条2項は削除すべき|BGCOLOR(#A4F200):CENTER:半可通&br()もっとよく勉&br()強しましょう&br()(△)| |BGCOLOR(#DBDB00):推進論|自民党(保守派)&br()民主党(保守派:非常に少数)&br()台湾の李登輝氏&br()産経、チャンネル桜|国内法上は戦犯など存在&br()しない&BR()(国会で名誉回復決議)|[[大東亜戦争は自存自衛>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/67.html]]&br()[[満州事変~支那事変も侵略>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/62.html]]&br()[[とは言い難い>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/62.html]]|[[自主憲法制定が必要>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/241.html]]|BGCOLOR(#A4F200):CENTER:感服&br()よく勉強し&br()ておられます&br()(○)| ※参考:[[「靖国問題」とは何か(赤池誠章・衆院議員(自民党))>http://www.akaike-office.net/report/2009/H210323_yasukuni.pdf]] &ref(http://www35.atwiki.jp/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%EF%A8%9C%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%82%E6%8B%9D%E5%95%8F%E9%A1%8C&file=yasukunibanner.jpg,ぼやきくっくり様へ,http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid131.html) *目次 #contents *靖國神社に参拝すべき理由 **世界共通の普遍的な道徳に適うことだから  日本では、恩人に対して感謝の気持ちを示さないことを「恩知らず」といい、道徳から外れることであるとされている。このことは、どこの国においても普遍的なことであろう。靖國神社に鎮座しておられる御魂(みたま)は、我が国のために殉じたのだから、我々にとっての「恩人」といえる。したがって、靖國神社の御魂に対して感謝の気持ちをこめた参拝をすることは、道徳に適うことといえる。 **国柄と照らしあわせて、最も望ましいから。  靖國神社は我が国の伝統的な民族宗教である神道に根ざしており、さらに、靖國神社は明治天皇の思し召しによって立てられた神社であるから、我が国の国柄に則ったものといえる。したがって、靖國神社は、他の施設と比べて、戦没者を偲ぶ施設として最も望ましいといえる。 **御魂が生前に靖國に祀られることを望んでいたから  御魂が生前に書き残した遺書は、『英霊の言乃葉』という本に収められている。これを読めば、「靖國で会おう」といった文言を書く人がとても多かったことがわかる。御魂自身がそう望んでいるのならば、靖國神社に祀るのが最も望ましいといえる。 *靖國神社参拝反対論を糺す **「靖國神社への参拝は、政教分離の原則に背くことになる」 ***最高裁判所が示した判例「目的効果基準」により、政教分離の原則には背かない  政教分離の原則とは、「政治と宗教は分離されるべき」という考え方をいう。この原則は、信教の自由を保障することを目的とするものである。「目的効果基準」とは、最高裁判所が昭和52年(1977)の「津地鎮祭訴訟」において、出した、政教分離に関する基準のことである。その基準は、 ・宗教的意義を持つという「目的」 ・宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉といった「効果」 がない限り、政教分離の原則には背かないとするものだ。  この基準に基づいて、「玉串料を公費から出すこと」に対しては違憲判決が出たが、「政治家が公式に参拝すること」については、違憲判決は出ていない。ただし、法的拘束力のない「傍論」に「違憲の疑いがある」と書いた例はある。 ***靖國神社は公共宗教であり、これに政教分離を適用すべきではない。  政教分離を厳格に推し進めると、「宗教美術などを国宝として保護をすること」や「宗教系私立学校へ助成金を交付すること」なども、政教分離の原則に背くことになってしまう。どこの国でも、政治と宗教との間には、国柄に則った結びつきがあるものであって、これを切ることは不可能なのだ。国柄は尊重されるべきなので、政教分離を適用することは望ましくない。  この、国柄と政教分離との矛盾を解く概念が「公共宗教(public religion, civil religion)」である。これは、カリフォルニア大学のロバート=ベラー教授(宗教学)が唱えた概念である。教授は「米国には、教会と並んで、教会とは明確に区分されて、高度に制度化された公共宗教が現実に存在している」と指摘し、公共宗教は「高度に世俗化され、かつ科学・技術志向を持つ現代民族国家に特有の一種の宗教であって、組織的宗教とは別個に独立して存在しているものの、そのシンボルの多くは既存の組織的宗教に依存している」と述べている。また、社会学者のロバート=ニスベット博士は、公共宗教について「国家の歴史の中に繰り返し認められる特定の公共的な価値および伝統に対する宗教的ないし準宗教的崇敬をいうのであって、過去の偉大な人物や出来事を讃える特別の祭典、儀式、信条、教義を特徴とする」と述べている。この公共宗教に政教分離を適用しないことで、矛盾は解ける。したがって、公共宗教には政教分離の原則を適用すべきではない。  靖國神社は、ニスベット博士が述べる公共宗教の特徴に当てはまる。したがって、靖國神社には政教分離の原則を適用すべきではない。 **「靖國神社への参拝は、中国・朝鮮の人々の気持ちを逆撫ですることになる」 ***中国・朝鮮人が持つ歴史認識は被害妄想である  大日本帝国がしたとされる、「慰安婦強制連行」や「南京大虐殺」は、史実の捏造および誇張であることが明らかになっている。 ***「日中共同声明」に反する  日中共同声明は、昭和47年(1972)9月29日に、日本国と中華人民共和国との間で調印された声明である。この声明の第6条では、「内政に対する相互不干渉」を定めている。中国政府が靖國神社の公式参拝について口を挟むことは、内政に対する干渉に当たる。したがって、「日中共同声明」に反する。   ***他国にとやかく言われる筋合いはない  「恩人」に対して感謝の気持ちを捧げることは、世界共通の普遍的な道徳である。したがって、いかなる国にも、その国のために殉じた人々に、感謝の気持ちを捧げる権利と義務がある。終戦後、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理であったブルノー=ビッテル神父も、そう述べている。 > 自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。 > それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。(社報『靖国』昭和56年7月号) 以上のことから、靖國神社へ参拝する権利を他国に侵される筋合いはないといえる。 ***参拝をとり止めても、中国・朝鮮の理解は得られない  哀れみや妥協として参拝をとり止めるべきでもない。なぜなら、支那・朝鮮の伝統的な死生観にかんがみると、参拝をとり止めただけでは理解を得られないからだ。彼らの死生観は死者に対する絶対不寛容である。中国では、12世紀の南宋の宰相である秦檜(しんかい)がひざまずく像に対し、民衆が唾を吐きかける姿が見られる。さらに、支那事変のときに対日和平論者だった汪兆銘や東条英機の像もある。はるか昔である12世紀の人物に対してまでも、それだけ不寛容なのだ。だから、参拝をとり止めただけでは理解を得られないといえるのである。  参拝をする権利と義務を放り出してでも理解を得られないならば、初めから堂々と参拝をし、中国・朝鮮の無礼な要求は毅然と突き返すべきであり、玉虫色の対応はすべきでない。 **「靖國神社への参拝は、そこに祀られている戦争犯罪人が行ったことを正当化することになる」 ***いわゆるA級戦犯は、法の不遡及の原則により、戦争犯罪人とはいえない  A級戦犯とは、極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)において、国際法上の「平和に対する罪」と「人道に対する罪」に問われた戦争犯罪人のことをいう。この「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は、戦後に定められたものであり、これをもって戦後以前の行為を裁いてはならない。なぜなら、実行時に合法であった行為を、実行後に定めた罰則をもって罰することは、してはならないこととされているからだ。これを「法の不遡及の原則」という。この「法の不遡及の原則」にかんがみると、いわゆるA級戦犯は、戦争犯罪人ではないのだ。 したがって、靖國神社に戦争犯罪人は祀られてなどないことがわかる。  そもそも祀られていない戦争犯罪人について、その行いを正当化などしようがない。したがって、靖國神社への参拝は、戦争犯罪人の行いを正当化することにはならない。 ***日本は東京裁判を受諾してなどいない。  「日本は、サンフランシスコ平和条約第11条によって、東京裁判を受諾している。そのため、東京裁判がどれだけ吊るし上げだったとしても、いわゆるA級戦犯が戦争犯罪人であることに変わりはない」という意見もある。  たしかに、サンフランシスコ平和条約第11条の日本語版には、「裁判を受諾」と書いてある。各外国語では以下の通りになっている。 |英語版|accepts the judgments| |フランス語版|accepte les jugements| |スペイン語版|acepta las sentencias|  英語の「judgments」は、「諸判決」と訳すべきである。なぜなら、「裁判」なら、「trial」か「proceedings」と訳すからだ。その上、スペイン語の「sentencias」は、「判決」だけでなく「宣告された刑」を意味する。それらの法廷により言い渡された刑(las sentencias pronunciadas por ellos)を執行すべきものと書かれている。つまり、日本は、刑の執行をする義務を負うことは受諾するが、裁判そのものの正当性や判決理由は受諾しないということだ。  したがって、日本は東京裁判を「裁判」として受諾していないため、いわゆるA級戦犯が戦争犯罪人ではないことに変わりはないといえる。 **「富田メモによれば、昭和天皇はA級戦犯に対して不快感をもっておられたらしい」 ***不快感をもっておられたとはいえない。 ****昭和天皇はいわゆるA級戦犯に好意すら持っていた。  『木戸幸一日記』(東京大学出版会刊)には、昭和天皇のこんな勅語が載っている。 > 「戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、 > 自分が一人引受けて退位でもして納める訳には行かないだろうか」 > 「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」  また、『昭和天皇独白録』(文藝春秋刊)にも、 > 「元来東条と云ふ人物は、話せばよく判る」 > 「一生懸命仕事をやるし、平素云ってゐることも思慮周密で中ゝ良い処があった」 と書いてある。不快感どころか、いわゆるA級戦犯とされた人々をねぎらい、かばおうともしているではない。 [[「昭和天皇の墓参り」(殉国七士廟を慰霊された昭和天皇)>http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1335185/]]([[花うさぎの「世界は腹黒い」>http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/]]内) ****昭和天皇はいわゆるA級戦犯に既に何度も親拝している。 *****殉国七士廟  また、昭和天皇は愛知県にある三ヶ根山という山の頂上にある、いわゆるA級戦犯7人を祀った「殉国七士廟」という廟に、間接的ながらも親拝されたことがある。昭和54年2月26日、天皇ご夫妻は、愛知県豊田市(当時:藤岡町)での公務にご出席されるご予定であった。しかし、昭和天皇のご内意により、豊田市から遠く離れた三ヶ根山の山腹の宿に泊まることになった。そして、当日の朝、宿のお部屋で、両陛下は殉国七士廟の方角へ向かって、不動のままに佇立(ちょうりつ)しておられたという。この陛下のご佇立は、ご内意という状況証拠と合わせて考えると、殉国七士廟への間接的な親拝であったといえる。昭和天皇が、いわゆるA級戦犯に不快感をもっておられたという理由で靖国神社参拝をとり止められたとするならば、殉国七士廟に親拝されることなどあり得るはずがない。 *****勅使参向  昭和天皇が靖国神社に行幸されなくなった後も、靖国への勅使参向は行われている。勅使というのは「天皇の使い」のことである。いわゆるA級戦犯に不快感があるのなら、どうして勅使参向は続いたのだろう。  以上のことから、昭和天皇がA級戦犯に対して不快感をもっておられたとは、必ずしもいえないことがわかる。 ***天皇陛下の思し召しや勅令に、無条件に従うべきでない ****天皇であっても国柄の下にある  イギリスの法律家であるエドワード=コークは、ヘンリー=ブラクトンの「国王は神と法の下にあるべきである」という法諺(ほうげん)を用いて、法の優位を説いた。これを「法の支配(rule of law)」という。この場合の「法」というのは、英語では「コモン・ロー(common law)」、日本語でいうなら「国柄(くにがら)」もしくは「国体」のことをいう。天皇が靖國神社に親拝されることは、国柄である。畏れ多いことながら、これに背くことは、天皇であっても許されない。当然、内閣総理大臣であっても、背くことは許されない。 ****不快感は、思し召しであって、命令ではない。  「不快感がある」というのは、思し召しの表明であって、「分祀せよ」という命令とは異なる。 ****大日本帝国ですら、天皇の命令を無条件に受け入れなかった。  大日本帝国憲法第55条第2項には、 > 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス と書いてある。要するに、「天皇が命令をするならば、大臣の署名が要る」と書いてあるのだ。ということは、「大臣が署名していないならば、天皇の命令は無効である」ということになる。つまり、大日本帝国ですら、天皇の命令を無条件には受け入れなかったのだ。 ****天皇陛下はゴッドではない。  「天皇陛下は現人神である」と言った場合の、「神」とは、西洋の「ゴッド」とは異なる。ゴッドは、全知全能であることが特徴だ。全知全能とは、「どんなことでも知っていて、どんなことでもできる」という意味だ。その一方、日本人にとっての「神」とは、「上」、つまり、「上に立つ者」という意味にすぎず、「人智を超えた」などという意味は含まれない。ゆえに、天皇陛下の思し召しや命令にご忠言を申し上げることは、あってよい。 ****天皇陛下も望ましくないことをおっしゃることがある。  天皇陛下はゴッドではないので、望ましくないことをおっしゃることもある。例えば、昭和天皇は、昭和50年10月31日の記者会見で、こういう発言をしておられる。 > 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、 > こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、 > やむを得ないことと私は思ってます。  左翼は、たくさんの天皇陛下の思し召しやお言葉のうち、不快感の部分を「天皇の発言は重い」と言って強調するくせに、このお言葉については、何も言わないか、反対する。これは二重基準(ダブルスタンダード)であろう。 **結論  以上のことから、靖国神社参拝反対論は望ましくないといえる。 *解決策 刑法188条には、こんな規定があります。 > 刑法 >  第188条 >   第1項 >    神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、 >    六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。 >   第2項 >    説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。  8月15日になると、靖國神社の前で任侠右翼と左翼が騒乱を引き起こします。どちらもこの罪に当てはまると思います。 *現在も発生し続ける靖國神社参拝問題 ◆[[靖国参拝が「本物の政治家」だ>http://ponko.iza.ne.jp/blog/entry/672598/]]([[反日勢力を斬る>http://ponko.iza.ne.jp/blog/]]内)  国内の反日勢力が、東北アジアを混乱に陥れる主犯者である、と言えましょう。したがって、このような者を徹底的にたたきのめす必要があります。 以下リンクにご協力のほどよろしくお願いします。 [[反日議員を落選させる会>http://blog.livedoor.jp/hanrakukai/]] [[主権回復を目指す会>http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/]] [[反日番組リスト]] [[売国議員リスト]] [[毎日新聞問題の情報集積>http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome]] |&youtube(http://jp.youtube.com/watch?v=KT-Dj8agc4Y){360,295}|&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=UBQ_ra2ktM8){360,295}| |CENTER:[[靖国問題に火を付けたのは報ステの加藤千洋だった!>http://jp.youtube.com/watch?v=KT-Dj8agc4Y]]|CENTER:[[A級戦犯とBC級戦犯の違いは?の問いに答えられない中国人>http://www.youtube.com/watch?v=UBQ_ra2ktM8]]| |&youtube(http://jp.youtube.com/watch?v=B0a60CpBHIc){360,295}|&youtube(http://jp.youtube.com/watch?v=ePsuzrZXQAA){360,295}| |CENTER:[[「朝日新聞南京大虐殺事件」2-1(H19.2.23)>http://jp.youtube.com/watch?v=B0a60CpBHIc]]|CENTER:[[「朝日新聞南京大虐殺事件」2-2(H19.2.23)>http://jp.youtube.com/watch?v=ePsuzrZXQAA]]| ◆素直な気持ちで靖國参拝を [[漁火6・7面>http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/03_08/tokusyu2.htm]]([[漁火新聞>http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/03_08/]]内)  いわゆるA級戦犯の名誉回復の言いだしっぺは、実は社会党(現在の社会民主党と民主党・横路グループ)の堤ツルヨ氏でありました。&u(){土井たか子議員らはよもや先輩のこの行為をほうかむりして、靖國参拝を非難していないでしょうね?!}靖國参拝をする議員さんは、ぜひこういう者が靖國批判をするたびにそこを突いていただきたいものです。 またバチカン・ローマ法王庁は、世間一般で「戦犯」扱いされている刑死者(法務死者)を、&color(red){何とミサの対象者にしているのですよ!!}&bold(){(←ココは重要です。)}したがって靖國神社による東條英機を含めたA級戦犯合祀で騒ぐのならば、&bold(){&color(green){バチカン・ローマ法王庁にも同じように抗議したらいかがでしょうか?!}}もっともそんな事をやったら、世界中のカトリック信者に煙たがれるでしょうが…。となれば、もし反日勢力がこの件でなんだかんだ言ってきたとしても、&bold(){&color(red){「いちいち騒ぐんじゃねぇ!!」}}と言ってさしつかえないでしょうね。 [[靖国神社について>http://www.geocities.jp/mako432/yasukuni.html]]([[雑記>http://www.geocities.jp/mako432/zakki.html]]内) ◆河野洋平・江田五月の度し難い売国行為 [[河野・江田の売国宣言>http://ponko.iza.ne.jp/blog/entry/681475/]]([[反日勢力を斬る>http://ponko.iza.ne.jp/blog/]]内)  あっと驚くタメゴローと叫びたくなる話です。こともあろうか、衆議院&bold(){議長}・参議院&bold(){議長}とつく者が、売国発言をしでかしたのです。最も河野洋平の場合は、売国奴が衆議院議長をしている状態ですから。(→[[「河野談話」の白紙撤回を求める署名サイト>http://kounodanwa.com/]])  上記「素直な気持ちで靖國参拝を」でも触れましたが、かつて国会で「戦犯」の汚名を全員一致でそそぐ決議がなされました。にもかかわらず、この両者は遡及処罰的な対応というより、立派なまでに完全に売国発言です。徹底的に糾弾し倒してしかるべきです。 *跋文  英霊の居場所をなくしてはいけません。英霊の休まる所を守ってゆきましょう。それが日本国民の義務です。僕には靖國にいる英霊の気持ちが分かる様な気がします。「戦後60年も濡れ衣を着せられて、最後の最後には『靖國から出てゆけ』ってか……。」 &ref(http://www35.atwiki.jp/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%EF%A8%9C%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%82%E6%8B%9D%E5%95%8F%E9%A1%8C&file=yasukunibanner.jpg,ぼやきくっくり様へ,http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid131.html) 【関連】 &size(20){[[靖国神社と英霊の思い]]} *国旗の重み 靖国編~ブラジルからの手紙~ #CENTER{&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=8KGdvOE7hs8){500,}} #CENTER{[[国旗の重み 靖国編~ブラジルからの手紙~>http://www.youtube.com/watch?v=04lxh8F4H_c]]} : | 靖国神社に代わる追悼施設建設の動きを知った日系ブラジル人の子どもたちが、 自分たちの思いを日本人への手紙という形でしたためました。その手紙を基にした動画です。 |&amazon(4944219245,text,image)| *■ブログランキング応援クリック : | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒&ref(http://cdn35.atwikiimg.com/kolia/pub/banner2.gif,人気ブログランキングへ,http://blog.with2.net/link.php?667558) ---- *■ご意見、情報提供 - 戦争は戦争によって莫大な利益を得る者達が行う巨大なビジネスである。 -- 田中和夫 (2012-08-11 18:30:54) - 戦犯とは誰が決めたのか -- 名も無愛国者 (2013-05-15 01:08:10) - 靖国参拝は、するべきではない。簡単に考えて、親に言われたことが -- 中谷 (2013-08-04 14:14:17) - 靖国神社は、東京都が認可した宗教法人法による宗教法人ですよね。 -- 東大平行線 (2013-10-05 14:09:11) #comment &include_cache(歴史問題・共通) 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