日章旗と君が代

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【関連】 [[天皇について]] [[万世一系]] [[小和田家の正体]] [[秋篠宮ご一家]] ---- *目次 #contents *はじめに  東京に、学校の卒業式で 日章旗を 引きずり降ろした教諭が、います。その教諭の名は、根津公子。彼女は、平成6年(1994)3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲げられてある日章旗を、引きずり降ろしました。これにより 東京都教育委員会から 減給処分を 受けたのを 皮切りに、赴任先の学校で、次々と問題を 引き起こして、これまでに 合計11回も処分を、受けています。  また、よくあたかも「日の丸・君が代」を軍国主義の象徴と言う者がいますが、とんでもない思いすごしです。これは反日左翼のプロパガンダに乗せられてのことです。これは実に危険なことです。  本稿では、学校の式典で 日章旗と君が代に 起立すべき理由を 示して、彼らの言い分を、糺してゆきます。 *「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めたらいい」 上田清司埼玉県知事は2009年7月1日の県議会本会議で、県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて「式典のルールに従って模範を示さなければならない教員が模範にならないようでは、どうにもならない。」と述べた。その上で「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい。」と強調した。 君が代斉唱時に起立しない教員がいることへの解決法を民主党県議からただされ、答えた。これに対し、共産党県議団は「思想と良心の自由を定めた憲法19条の規定をないがしろにするもので、700万県民の代表にふさわしくない危険な発言だ」とし、撤回を求める談話を団長名で発表した。 引用元・[[【君が代斉唱】「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めたらいい」埼玉・上田知事★7>http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1246467195/]] *学校の式典で、日章旗・君が代に対して、起立すべき理由 **国民的結束の維持に、必要だから  別枝篤彦氏は、国旗・国歌について、 >国民の視覚・聴覚など感情的な面に訴えて自国の独立性を強調し、またそれによって国民的結束の強化をめざす目的をもつ >――『季刊教育法』昭和60(1985)8月臨時増刊号「日の丸・君が代特集」所載 と、述べています。まさしく、その通りです。国家という枠組みで 政治を 行うためには、国民的結束の維持は、不可欠です。したがって、学校の式典で、日章旗・君が代に対して、起立すべきです。 **その国に対して、敵意が無いことを、表すため  挨拶・お辞儀・握手などは、相手に対して 敵意が 無いことを、表すためのものです。これと同様に、国旗・国歌に対する起立は、その国に対して 敵意が 無いことを 表すためです。したがって、起立を しないことは、敵意や侮辱を 表すことに、なります。たとえ、相手が 中国・韓国・北朝鮮のような 我が国との間で 政治的対立が ある国であろうとも、その国々の国旗・国歌に 起立することは、最低限の礼儀作法です。 ***国旗・国歌に起立などをしなかったせいで、顰蹙を買った例 :里谷多英 (モーグル選手)|平成10年(1998)2月、長野オリンピックにおいて 金メダルを 獲得した 里谷選手は、国旗掲揚のとき、帽子を取りませんでした。三位のノルウェーの選手は、即座に帽子を 取って きちんと胸に 当て、国旗を、仰いでいました。この二人の対照的な姿が、テレビに、映し出され、物議を、醸しました。(参考:大和撫吉 著『日狂組の教室』晋遊舎 刊) :K君 (青年海外協力隊員)|事件が起こったのは、夕方の六時ちょうどでした。どこかで笛の音がピーッと鳴るのを聞きました……笛の音は、子供の笛ではなく、国旗降納の合図だったのです。ケニア国民は直立不動の姿勢をとらねばならず、また外国人とて同じです。(しかし)私は起立もせずに下を向いて仕事を続けていました。すると、三方よりライフル銃。頭から血が下がって行くのが自分でも分かりました。……役場へ連行されましたが、言葉なんて出るわけがありません。……“気をつけよう、朝夕六時の笛の音”(引用:『クロスロード』昭和58年11月号所収 「国旗についての十二章」) ***国旗・国歌への侮辱に、厳しく対処している例 :メキシコ|国旗は大変神聖なものとされていて、神聖なものをTシャツにして身につけるという事が国自体を侮辱しているという風にとらえられるのです。(引用:世界一受けたい授業Webサイト http://www.ntv.co.jp/sekaju/class/090214/01_03.html) :日本|外国に対して 侮辱を加える目的で、その国の国旗 その他の国章を 損壊し、除去し、又は 汚損した者は、二年以下の懲役 又は 二十万円以下の罰金に 処する。(引用:刑法第92条 外国国章損壊罪 第1項)  我が国では、外国の国旗だけ侮辱してはならず、自国の国旗は、どれだけ侮辱しても良いことに、なっています。明らかな差別です。 ****その他、国旗・国歌への尊重義務、または、国旗・国歌を故意に侮辱した者への制裁を明文化している(いた)国の一覧 (出典:所功 著『国旗・国歌の常識』、文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm 岩波ブックレット『世界の国旗と国歌』、47NEWS http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012601000027.html) -中国 -韓国 -アメリカ -インドネシア -エジプト -イスラエル -イタリア -カナダ -ギリシア -タイ -ドイツ -スウェーデン -フィンランド -フランス -ハンガリー -チェコスロバキア -ユーゴスラビア -ソビエト ***国旗・国歌を尊重している例 :アメリカ|日本青少年研究所の調査によると、アメリカの高校生は日本の高校生に比べて、国旗・国歌に対して起立する割合が多いです。 平成元年9月 国旗・国歌に対する意識と態度調査――日米比較―― 日本青少年研究所調べ ||日本|アメリカ| |自国の国旗・国歌に対して起立する高校生の割合|25.6%|97.2%| |外国の国旗・国歌に対して起立する高校生の割合|17.3%|93.4%| :イギリス|ある晩、酒場の隅でラジオがその日の議会開院式の勅語の録音放送をやっていました。(中略)バーレィ先生(反王制社会主義者)は大むくれ、勅語にひどい罵声を浴びせていました。そして(勅語が)終わると……ラジオが国歌の演奏を始めました。と同時に、この国の習慣として、あらゆる人間が弾かれたように起立し、眉一つ動かさず直立不動の姿勢をとりました。田舎(ケンブリッジの近く)の酒場のことですから、風体のおかしなものや言動の粗野な人たちもいましたが、国歌演奏の間だけは、ぐっと顎を引きピタリと正面を見据え、実に立派でした。終わると……一同……“国王陛下”(当時はジョージ五世)と叫んで乾盃、あとはいつもの通り賑かに談笑が続きました。(池田潔 著『教師のらくがき』) **国旗・国歌の取り扱いに関する、普遍的な礼儀作法を、身につけるため  先ほどの里谷多英選手やK君の例は、国旗・国歌の取り扱いに関する 普遍的な礼儀作法を 知らなかったが故に、起こったものです。国際交流が 盛んになってゆく現代において、この礼儀作法を 教える必要性が、高まってきています。したがって、学校教育で この礼儀作法を 学べる機会が、必要であり、式典での起立は、その機会の一つである、といえます。 *根津公子らの詭弁を糺す。 **彼らの主張の要点 ・君が代は、皇室を、賛美しており、国民主権と相容れない。 ・日章旗・君が代は、大東亜戦争を、美化し、東アジアの人々の心を、踏みにじるものだ。 ・日章旗・君が代に対して 起立を 強制するのは、思想・良心の自由を、侵す。 ・日章旗・君が代に対して 起立を 強制するのは、人権を、侵す。 ・諸外国には、学校で 国旗・国歌を 掲揚・斉唱する習慣は、無い。 ・君が代は、音楽として、美しくない。 ・日章旗・君が代は、国民に、定着していない。 ・ドイツとイタリアは、戦後、国旗を変えた。 (参考:あなたは君が代を歌いますか? http://www.tetsurotanaka.com/hinokimi/kimigayoutau/kimigayoutau.html、東京都教育委員会 http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr060928.htm) **君が代は、皇室を、賛美しており、国民主権と相容れない。  君が代の歌詞は、以下の通りです。 >君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで 「君」は、天皇陛下を表し、「代」は、竹の両節の間を“よ”ということから、寿命を表します(山田孝雄 著『君が代の歴史』)。「千代に八千代に」は、直訳すると、「1000年も8000年も」ですが、「八百万の神」という語が 「無数の神」を表すことを、鑑みると、「いつまでも」と訳すのが、妥当です。「細石」は、文字通り細かい石であり、「巌」は、大きな岩を、表します。細かい石が 大きな岩になるというのは、細かい石灰岩が 長い年月をかけて雨で溶けて 一つの大きな石灰岩に まとまることを、表しています。これらを、鑑みて、君が代の歌詞を、現代語に訳すと、以下のように、なります。 >天皇陛下の寿命が、いつまでも、細かい石が 大きな岩に なって 苔が生えるまで、長く続きますように  たしかに、皇室を、賛美しています、それの何が、いけないのでしょうか。この歌詞から、「君主主権」や「法の支配の否定」を 意味する文言は、見当たりません。もし、この歌詞から、それらの意味を ひねり出したのだ、とすれば、ひねり出す方が、おかしいです。憲法は、国民主権を、定めていますが、同時に、天皇が 我が国の象徴であることも、定められています。象徴たる天皇の長寿を 願うことに、なんら問題は、ありません。 **日章旗・君が代は、大東亜戦争を、美化し、東アジアの人々の心を、踏みにじるものだ。  日章旗・君が代に、大東亜戦争を 美化する意味は、読み取れません。しがたって、中国・韓国・北朝鮮の人々が 日章旗・君が代に 対して示す反発の態度は、我が国に 対する侮辱です。これに対しては、厳しく抗議すべきです。 **日章旗・君が代に対して;起立を強制するのは、思想・良心の自由を、侵す。  憲法学者の芦部信喜は、著書『憲法』の中で、思想・良心の自由の意味について、以下の二点を、挙げています。 -国民が、いかなる国家観、世界観、人生観をもとうとも、&color(red){それが内心の領域に とどまる限りは}、絶対的に自由であり、国家権力は、内心の思想に 基づいて 不利益を課したり、あるいは、特定の思想を 抱くことを 禁止することが、できない。 -国民が いかなる思想を 抱いているかについて、国家権力が 露顕(disclosure)を 強制することは、許されない。すなわち、思想についての沈黙の自由が、保障される。  国旗・国歌に対する不起立は、内心の領域に、とどまるのでしょうか。国旗・国歌に対する嫌悪感などを、内心に持つのは、自由ですが、それを 不起立という行為によって 表すことは、内心の領域を、超えています。では、国旗・国歌に対する起立の強制は、露顕の強制に、なるでしょうか。平成19年(2007)6月20日の東京地方裁判所判決では、国旗・国歌に対する起立は、特定の思想の表明することには、ならないとしています(国旗及び国歌に関する法律 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E6%B3%95)。したがって、露顕の強制には、なりません。  また、法学者の竹之内一幸・橋本基弘 両博士は、共著『地方公務員法の解説』の中で、地方公務員の職務命令服従義務について述べています。 >職務命令服従義務 >この義務は、行政組織上の指揮系統に基づき、職務命令を発しうべきものの発した命令が、命令とおりに、誠意をもって、かつ最 >善の方法により実行されなければならないことを意味するものです。それゆえ、職員は自分の考えと異なる命令である場合でも、 >職務上の上司から発せられた命令には従わなければなりません。ただし、命令が明らかに違法又は公序良俗に反する場合や、物 >理的に不可能な場合には従う必要はありません。  これによると、地方公務員は、自分と考えが異なる命令であっても、上司の命令には服従せねばならないのです。したがって、国旗・国歌に嫌悪感を持っていようとも、上司の命令には従わねばなりません。 **日章旗・君が代に対して起立を強制するのは、人権を、侵す。  法学者の阪本昌成 博士は、こう述べている。 >○武山小委員 > 世間一般に、人権人権と言って、本当に権利を主張している人が大勢いるわけです。最近の新聞の中で、公立の >学校の音楽の先生が、卒業式に国歌斉唱の伴奏をしなかったというわけです。それで、教育委員会も処分をしな >い、県も処分をしない。ここ数年そういう状態が続いた。その先生は、私は、国旗掲揚、国歌斉唱に、人権を無視し >て反対だということで、音楽の先生としてピアノを弾かなかったということが新聞記事に出ておるんですけれども、こう >いう場合の人権と、先ほどお話しの公法という意味、国家、市民社会という意味では、どう先生は位置づけておりま >すでしょうか。 >○阪本参考人 > それは公立高校ですね。 > 我々の生活は、市民社会において活動する場合と、ある組織体に入って生活する場合とあります。私は公務員 >で、国立大学の中で勤務するときにはその階層構造にあって、公務員であるがゆえに私の持っている市民的自由は >当然に制約されるという局面にあります。そういうのを、従来の法学では特別権力関係と呼んできました、または特 >殊な法律関係。 > 我々がある組織に入りますと、一般的な市民自由をそこでは断念して、その組織にふさわしい、その秩序の中で >生活をしないといけない。人権の問題というは、組織以外で我々が一般的に生活をしているときに、私は国歌・国旗 >に対して反対だ、こういう自由を主張するのならばいい。ところが、学校という組織の中に入って一定のヒエラルキー >構造にあり、一つの役割を背負った人間が市民社会における権利主張をここでするということは間違っています。 > 組織の中における行動と市民社会における行動というものは、人権主張の程度、やり方が違っているということを >大学では教えるはずなんですが。 > >――衆議院 公式ウェブサイト 「第154回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第3号(平成 >14年4月11日(木曜日))」 http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715420020411003.htm **諸外国には、学校で国旗・国歌を掲揚・斉唱する習慣は、無い。  「Xは、多数派である。多数派は、正しい。故に、Xは、正しい」という論証は、多数論証という詭弁の一種である(詭弁 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81)。この主張は、多数論証に、当たります。  また、諸外国でも、国旗・国歌を 掲揚・斉唱する習慣は、あり、この主張は、嘘であるといえます。 ***学校で何らかの形で国旗・国歌を肯定的に取り扱う国の一覧 ||国旗|国歌| |中国|「中華人民共和国国旗法」などにより、学校は、毎日国旗を、掲揚し,また、毎週一度および特別な記念日に、国旗掲揚の儀式を、行わなければならない。教育内容の国の基準である「教学大綱」および党の指導文書等により、各教科その他の活動を通じ、国旗の意義・尊重の義務について 教育することと、されている。|国家教育委員会(現教育部)の通知により、学校は、国旗掲揚の儀式および慶賀の式典・スポーツ大会等において、国歌の斉唱を、求められている。思想政治教育関連の教科で、歌詞の意味を、理解させ、また、音楽の時間等を、通じて、小学校3年生以上が、国歌を、正確に歌えるよう、指導している。| |韓国||文教部編『生活礼節』に、「愛国歌を 歌うときは、祖先の輝かしい業績を、思い出し、国歌の無窮なる発展を、祈願するとともに、真心を、もって、民族と国家のために 尽くすという決意を、固めなければならない」とあり、この方針に、沿って、音楽などの授業で、教育に、努め、祝祭日や学校行事の儀式に、斉唱する。| |アメリカ|連邦法により,学校の校舎を含む公的機関の主要建物等に国旗を掲揚することが規定されている。公立学校では,始業時に国旗に対して忠誠を誓うことが広く行われている。|連邦法により,国旗掲揚中の国歌演奏に際しては,国旗に向かって起立することが規定されている。国歌の斉唱は,学校生活の中で,随時行われている。| |イギリス|国旗の指導は学校や教員の判断により,歴史等の授業で指導される。|国歌の指導は学校や教員の判断により,音楽等の授業で指導される。| |イタリア|公立学校では正面入り口上部に掲揚されている。|中等学校において歴史及び公民教育の一部として取り扱われている。| |インドネシア|教科書に記述があり、とくに公民科などの授業で教育に努め、全国の小・中・高校で毎週月曜日に、掲揚されている。|教科書に記述があり、とくに公民科などの授業で教育に努め、全国の小・中・高校で毎週月曜日に、斉唱されている。| |カナダ|あらゆる場合に掲揚。|| |キューバ|愛国心を昂揚するため、小学校一年から国旗を尊重する教育に努めている。祝日には掲揚。|愛国心を昂揚するため、小学校一年から国歌を尊重する教育に努めている。祝日には斉唱。| |スイス|歴史の授業で。学校一任|| |スウェーデン|国旗には親しみをもち個人的な祝いにも揚げることがある|| |タイ|毎日の朝礼で掲揚。|毎日の朝礼で斉唱。音楽の教科書に載っている。| |ドイツ|通常,国旗に対して敬意を持つことや国旗を軽視してはならないことが教えられている。|ノルトライン・ヴェストファーレン州では,児童生徒が国歌のメロディーと歌詞を習得するよう指導することが文部省通達(1979)により定められている。| |トルコ|学校行事で掲揚。|学校行事で斉唱。音楽の教科書に載っている。| |ノルウェー|祝日などに掲揚。|祝日などに斉唱。小学校の初等課程で教える。| |ハンガリー|学校行事で掲揚。小学校で教える。|学校行事で斉唱。小学校で教える。由来や意義は中級学校の文学で教える。| |フランス|歴史の教科書に載っている。|歴史の教科書に載っている。学校の儀式で斉唱。| |メキシコ|小・中学校で毎週月曜日、授業開始前に国旗掲揚の栄誉礼を行う。小学校四年の歴史教科書の載っている。|小・中学校で毎週月曜日、授業開始前に斉唱。小学校四年の歴史教科書の載っている。| |ロシア|入学式等の学校行事で掲揚される。|入学式等の学校行事で演奏される。| (出典:内閣官房審議室・外務省儀典官室編『諸外国における国旗・国歌について』、文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm 岩波ブックレット『世界の国旗と国歌』)  諸外国には日教組のように国旗・国歌に対して組織的に反対運動を起こすような異常な団体がいないということもかんがみなければなりません。 **君が代は音楽として美しくない。  単なる誹謗中傷であり、侮辱である。また、明治36年(1903)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞しており、ある英国人は君が代を「天上の音楽である」と激賞したといいます(金田一春彦・安西愛子 編『日本の唱歌』)。サッカー選手のラモス瑠偉氏は、著書『ラモスの黙示録』で、「日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。」といっています。また、根津公子らは『朝日新聞』平成10年(1998)1月の中田英寿選手へのインタビューの中の、中田選手の「国歌、ダサいですね。気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」という発言を取り上げているますが、小松成美 著『中田英寿 鼓動』には、これについてこう書いてあります。 >中田選手は記者との雑談のようなやりとりの中で、国歌を歌わないことを聞かれ、君が代を揶揄するような受け答えをしてしまった。 >彼は、記者に対してインタビュー終了後「記事には書かないでください」と、言っている。 >愚かにも口にしてしまった国歌への感想は、心にある真意とは別の言葉だったからだ。 >普段から君が代を侮辱する気持ちなどまったくなかった。(中略) >記事を繰り返し読んだ中田は、朝日新聞の記者が、「君が代」や日本人観について、 >何らかの物議を醸しだすために「書かないでほしい」と言った中田の言葉を敢えて引用したのだと思った。  中田選手の発言を政治利用するのは、「記事には書かないでください」といった中田選手の願いを踏みにじるものです。 **日章旗・君が代は、国民に定着していない。  根津公子らは、定着していない根拠として、『朝日新聞』平成11年(1999)6月30日の世論調査を挙げています。その内容は以下の通りです。 >日の丸の法制化に賛成58%、反対35%。君が代の法制化に賛成47%、反対39%。 >また「今国会で成立させるべきか」という問いには賛成23%、反対66%となっています。 この世論調査に対して社会調査論を専門とする谷岡一郎氏は、著書『「社会調査」のウソ』の中で、その信頼性に疑問を投げかけています。 >(この世論調査の)最後の質問は次のようなものである。 > ◆あなたはこの法案を、八月半ばまでの、今の国会で成立させるのがよいと思いますか。 > それとも、今の国会での成立にこだわらず、議論を尽くすべきだと思いますか。(中略) >この質問では、「今の国会での成立」か、もう少し「議論すべきか」という二者択一の問題にすり替えられているが、 >以下で述べるように、実は民意ははっきりしている。この質問の一つ前の質問は >「政府は国会に、日の丸を国旗とし、君が代を国歌とする法案を提出しました。その法案はカード(別紙)の二条からなっています。 >あなたはこの法案に賛成ですか。反対ですか。」という質問で、賛成は五八パーセントに達している。 >これを考えると、最後の質問は回答者の決断を誘導的に先延ばしさせるものと言わざるをえない。(中略) >自分たちの気に入らない法案は、いつも決まって「十分な審議がなされない」状態であり >(例えば「サッカーくじ」や「組織犯罪に対する法案」)、もっと議論を尽くすべきだと主張するが、 >与党議員による数をたのんだ採決は、常に「数の暴力によるゴリ押し」というわけである。  また、祝祭日に国旗を掲げる家が少ないことを根拠に「定着していない」と述べていますが、その理由は、「国旗を掲げるのが面倒だから」か、もしくは、「街宣右翼・任侠右翼と間違われたくない」からであって、「日章旗を国旗として認めていないから」ではないでしょう。実際、スポーツの国際大会では、日章旗を持参したり、日章旗をボディーペインティングする国民は大勢いますし、それらを「ぷちナショナリズムだ」といって批判する左翼知識人だっているではないでしょうか。仮に定着していないとしても、これから定着するように努めればよいのです。 **天皇陛下が「強制になるということではないことが望ましい」とおっしゃった。  たしかに、天皇陛下は、平成16年(2004)10月28日、園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄 氏から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」とおっしゃった。  しかし、天皇陛下は、平成17年(2005)4月25日、ノルウェーご訪問に際しての記者会見の中で、 >世界の国々が国旗,国歌を持っており,国旗,国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。 >国旗,国歌は国を象徴するものと考えられ,それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。 >オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウィニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には,強制された姿はありません。国旗,国歌については,国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます。 >(出典:宮内庁 公式ウェブサイトttp://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h17-norway.html) ともおっしゃっています。  これらを鑑みると、「強制になるということではないことが望ましい」というご発言は、「わざわざ強制などしなくとも、自発的に国旗掲揚・国歌斉唱してもらえるようになるならば、それが一番 望ましい」という意味だろう。 **ドイツとイタリアは、戦後、国旗を変えた。 ***ドイツ  今のドイツの国旗の絵柄は、黒・赤・金の横じまの三色旗である。この三色は、享和3年(1803)に起こったナポレオン戦争において、プロイセン王国の義勇軍が着ていた軍服の色が、由来になっている。それ以来、この三色は、ドイツ連邦の軍艦旗・ワイマール共和政におけるドイツ国の国旗に使われた。しかし、ドイツ国がナチス政権だったときに限っては、国家社会主義ドイツ労働者党の党章である鉤十字が、国旗だった。戦後も、西ドイツが、再び、三色旗を国旗とし、ベルリンの壁が崩壊した後も、同様に、三色旗を、国旗とした。  以上のことを鑑みると、ドイツが戦後に国旗を変えた理由は、「ナチスが鉤十字を使っていたから」というのもあるが、「ナチスが政権から退いたから」と「伝統的な旗に戻したいから」という理由もあるだろう。しかし、我が国では、大政翼賛会の紋章が国旗になっていたわけではない。戦前から戦後まで一貫して、伝統的な旗である日章旗が国旗である。つまり、日本には、「ドイツにとっての鉤十字」に相当するものが無いのだ。したがって、ドイツの例は、日本に当てはめることが出来ない。  ちなみに、ナチス・ドイツでは、鉤十字だけでなく、鉄十字という紋章も使われていた。しかし、鉄十字については、戦後、廃止されてはいない。ドイツでは、鉄十字を、戦前から戦後まで一貫して使用している。そういう意味においては、日章旗と共通してる。つまり、日章旗は、「ドイツにとっての鉄十字」に相当するものであって、鉤十字ではないのだ。 ***イタリア  イタリアは、戦後、国旗から、王家の紋章を、外した。王家の紋章を外したのは、王制から共和制に変わったからであって、戦争の反省とは関係なかろう。その証拠に、緑・白・赤の三色は、変わっていない。 *日章旗と君が代の歴史 **日章旗  日章旗(にっしょうき)。通称、日の丸(ひのまる)。国旗及び国歌に関する法律第1条に「国旗は、日章旗とする。」と規定してあります。よって、旗の正式名称は日章旗です。同法律の規定によると、旗の形は縦が横の3分の2の長方形、中央の円の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心、色は地は白色、円は紅色とされています。  日章旗は、日が「太陽」、章が「しるし」、旗はそのまま「旗」という意味、つまり「太陽のしるしの旗」です。中央の円は「日章」といいます。  なぜ、我が国の国旗には太陽が描かれているのでしょうか。それは、日本人が古来より太陽を信仰してきた事に由来します。日本人には神道という民族宗教があります。民族宗教とは、ユダヤ人にとってのユダヤ教のような物です。日本で発祥して神武天皇元年(B.C.660)の建国以後およそ2660年間ずっと信仰され続けてきた民族固有の宗教です。この神道における最も重要な神が「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」です。通常は「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」等と呼ばれます。この神は太陽を神格化した物であり、皇室の祖(皇祖神)とされています。  日本人の太陽信仰は、聖徳太子の国書にも表れています。推古天皇15年(607)に当時の支那の隋へ遣隋使を送りました。その時の日本からの国書にはこう書いてありました。「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。」と。「日出る処(ひいずるところ)」とは日本であり、そこの「天子」とは、聖徳太子の事です。対称的に「日没する処(ひぼっするところ)」とは、日本から西側、つまり支那であり、そこの「天子」とは当時の隋の皇帝である煬帝(ようだい)の事を指します。  現存する最古の日章旗は雲峰寺が所蔵しており、これは後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)が源義光に下賜(かし)したとされる物です。つまり、「明治から昭和初期に戦争する為に作った。」というわけではないことがこれで分かります。  天正3年(1575)6月29日の長篠の戦いでは、織田信長・徳川家康の連合軍対武田勝頼軍の戦いで、各戦国武将たちが掲げた旗は日章旗でした。「我こそはこの国の真の覇者なり。」という意味を込めているのです。  そして、嘉衛6年(1853)の黒船来航から、江戸幕府によって「日章旗は日本国の総船印」と定められ、明治に入ってから、正式に「国旗」となったのです。  このように、建国以来の神道の思想に起源を持ち、我が国の長い長い歴史を駆け抜けてきたのが日章旗なのです。 **君が代 |曲名|君が代| |作詞|詠み人知らず| |作曲|林廣守| |歌詞|君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで|  この歌詞は、平安時代の古今和歌集の詠み人知らずの和歌が、もとになっている。「君」は天皇陛下を表し、「代」は、竹の両節の間を“よ”ということから、寿命を表す(山田孝雄 著『君が代の歴史』)。「千代に八千代に」は、直訳すると「1000年も8000年も」だが、「八百万の神」という語が「無数の神」を表すことを鑑みると、「いつまでも」と訳すのが妥当である。「細石」は文字通り細かい石、「巌」は大きな岩を表す。細かい石が大きな岩になるというのは、細かい石灰岩が長い年月をかけて雨で溶け、一つの大きな石灰岩にまとまることを表している。これらを鑑みて、君が代の歌詞を現代語に訳すと以下のようになる。 >天皇陛下の寿命が、いつまでも、細かい石が大きな岩になって苔が生えるまで、長く続きますように  天皇陛下のご長寿を願う良い歌です。 *長野県民をまとめつづる県歌・「信濃の国」  分県騒動を引き起こすなど、地域地域によって地域性が違う長野県民にとって、県歌「信濃の国」は、このような事情を背景に、本来は都市名である「長野」でなく、県内の大方の地域が該当する「信濃」という旧国名で県域を包括したことで、地域全体の共同体意識を喚起する歌として歌い継がれてきました。その面では、長野県民の地域ナショナリズムの根元とも言えます。(参考・[[信濃の国 - Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%BF%83%E3%81%AE%E5%9B%BD]])  これを考えるにつけ「君が代」も日本をまとめつづる上で極めて重要と言えましょう。 *まとめ  子供にとって晴れの舞台である入学式・卒業式を、教諭の政治的信念によって汚してはなりません。自分が生まれ育った国を愛することもできず、嫌いにさせられる子供はかわいそうです。 *■ブログランキング応援クリック : | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒&ref(http://www35.atwiki.jp/kolia/pub/banner2.gif,人気ブログランキングへ,http://blog.with2.net/link.php?667558) ----
【関連】 [[皇室の基礎知識]] [[天皇の本]] [[天皇について]] [[万世一系]] [[小和田家の正体]] [[秋篠宮ご一家]] ---- *目次 #contents *はじめに  東京に、学校の卒業式で 日章旗を 引きずり降ろした教諭が、います。その教諭の名は、根津公子。彼女は、平成6年(1994)3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲げられてある日章旗を、引きずり降ろしました。これにより 東京都教育委員会から 減給処分を 受けたのを 皮切りに、赴任先の学校で、次々と問題を 引き起こして、これまでに 合計11回も処分を、受けています。  また、よくあたかも「日の丸・君が代」を軍国主義の象徴と言う者がいますが、とんでもない思いすごしです。これは反日左翼のプロパガンダに乗せられてのことです。これは実に危険なことです。  本稿では、学校の式典で 日章旗と君が代に 起立すべき理由を 示して、彼らの言い分を、糺してゆきます。 *「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めたらいい」 上田清司埼玉県知事は2009年7月1日の県議会本会議で、県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて「式典のルールに従って模範を示さなければならない教員が模範にならないようでは、どうにもならない。」と述べた。その上で「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい。」と強調した。 君が代斉唱時に起立しない教員がいることへの解決法を民主党県議からただされ、答えた。これに対し、共産党県議団は「思想と良心の自由を定めた憲法19条の規定をないがしろにするもので、700万県民の代表にふさわしくない危険な発言だ」とし、撤回を求める談話を団長名で発表した。 引用元・[[【君が代斉唱】「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めたらいい」埼玉・上田知事★7>http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1246467195/]] *学校の式典で、日章旗・君が代に対して、起立すべき理由 **国民的結束の維持に、必要だから  別枝篤彦氏は、国旗・国歌について、 >国民の視覚・聴覚など感情的な面に訴えて自国の独立性を強調し、またそれによって国民的結束の強化をめざす目的をもつ >――『季刊教育法』昭和60(1985)8月臨時増刊号「日の丸・君が代特集」所載 と、述べています。まさしく、その通りです。国家という枠組みで 政治を 行うためには、国民的結束の維持は、不可欠です。したがって、学校の式典で、日章旗・君が代に対して、起立すべきです。 **その国に対して、敵意が無いことを、表すため  挨拶・お辞儀・握手などは、相手に対して 敵意が 無いことを、表すためのものです。これと同様に、国旗・国歌に対する起立は、その国に対して 敵意が 無いことを 表すためです。したがって、起立を しないことは、敵意や侮辱を 表すことに、なります。たとえ、相手が 中国・韓国・北朝鮮のような 我が国との間で 政治的対立が ある国であろうとも、その国々の国旗・国歌に 起立することは、最低限の礼儀作法です。 ***国旗・国歌に起立などをしなかったせいで、顰蹙を買った例 :里谷多英 (モーグル選手)|平成10年(1998)2月、長野オリンピックにおいて 金メダルを 獲得した 里谷選手は、国旗掲揚のとき、帽子を取りませんでした。三位のノルウェーの選手は、即座に帽子を 取って きちんと胸に 当て、国旗を、仰いでいました。この二人の対照的な姿が、テレビに、映し出され、物議を、醸しました。(参考:大和撫吉 著『日狂組の教室』晋遊舎 刊) :K君 (青年海外協力隊員)|事件が起こったのは、夕方の六時ちょうどでした。どこかで笛の音がピーッと鳴るのを聞きました……笛の音は、子供の笛ではなく、国旗降納の合図だったのです。ケニア国民は直立不動の姿勢をとらねばならず、また外国人とて同じです。(しかし)私は起立もせずに下を向いて仕事を続けていました。すると、三方よりライフル銃。頭から血が下がって行くのが自分でも分かりました。……役場へ連行されましたが、言葉なんて出るわけがありません。……“気をつけよう、朝夕六時の笛の音”(引用:『クロスロード』昭和58年11月号所収 「国旗についての十二章」) ***国旗・国歌への侮辱に、厳しく対処している例 :メキシコ|国旗は大変神聖なものとされていて、神聖なものをTシャツにして身につけるという事が国自体を侮辱しているという風にとらえられるのです。(引用:世界一受けたい授業Webサイト http://www.ntv.co.jp/sekaju/class/090214/01_03.html) :日本|外国に対して 侮辱を加える目的で、その国の国旗 その他の国章を 損壊し、除去し、又は 汚損した者は、二年以下の懲役 又は 二十万円以下の罰金に 処する。(引用:刑法第92条 外国国章損壊罪 第1項)  我が国では、外国の国旗だけ侮辱してはならず、自国の国旗は、どれだけ侮辱しても良いことに、なっています。明らかな差別です。 ****その他、国旗・国歌への尊重義務、または、国旗・国歌を故意に侮辱した者への制裁を明文化している(いた)国の一覧 (出典:所功 著『国旗・国歌の常識』、文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm 岩波ブックレット『世界の国旗と国歌』、47NEWS http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012601000027.html) -中国 -韓国 -アメリカ -インドネシア -エジプト -イスラエル -イタリア -カナダ -ギリシア -タイ -ドイツ -スウェーデン -フィンランド -フランス -ハンガリー -チェコスロバキア -ユーゴスラビア -ソビエト ***国旗・国歌を尊重している例 :アメリカ|日本青少年研究所の調査によると、アメリカの高校生は日本の高校生に比べて、国旗・国歌に対して起立する割合が多いです。 平成元年9月 国旗・国歌に対する意識と態度調査――日米比較―― 日本青少年研究所調べ ||日本|アメリカ| |自国の国旗・国歌に対して起立する高校生の割合|25.6%|97.2%| |外国の国旗・国歌に対して起立する高校生の割合|17.3%|93.4%| :イギリス|ある晩、酒場の隅でラジオがその日の議会開院式の勅語の録音放送をやっていました。(中略)バーレィ先生(反王制社会主義者)は大むくれ、勅語にひどい罵声を浴びせていました。そして(勅語が)終わると……ラジオが国歌の演奏を始めました。と同時に、この国の習慣として、あらゆる人間が弾かれたように起立し、眉一つ動かさず直立不動の姿勢をとりました。田舎(ケンブリッジの近く)の酒場のことですから、風体のおかしなものや言動の粗野な人たちもいましたが、国歌演奏の間だけは、ぐっと顎を引きピタリと正面を見据え、実に立派でした。終わると……一同……“国王陛下”(当時はジョージ五世)と叫んで乾盃、あとはいつもの通り賑かに談笑が続きました。(池田潔 著『教師のらくがき』) **国旗・国歌の取り扱いに関する、普遍的な礼儀作法を、身につけるため  先ほどの里谷多英選手やK君の例は、国旗・国歌の取り扱いに関する 普遍的な礼儀作法を 知らなかったが故に、起こったものです。国際交流が 盛んになってゆく現代において、この礼儀作法を 教える必要性が、高まってきています。したがって、学校教育で この礼儀作法を 学べる機会が、必要であり、式典での起立は、その機会の一つである、といえます。 *根津公子らの詭弁を糺す。 **彼らの主張の要点 ・君が代は、皇室を、賛美しており、国民主権と相容れない。 ・日章旗・君が代は、大東亜戦争を、美化し、東アジアの人々の心を、踏みにじるものだ。 ・日章旗・君が代に対して 起立を 強制するのは、思想・良心の自由を、侵す。 ・日章旗・君が代に対して 起立を 強制するのは、人権を、侵す。 ・諸外国には、学校で 国旗・国歌を 掲揚・斉唱する習慣は、無い。 ・君が代は、音楽として、美しくない。 ・日章旗・君が代は、国民に、定着していない。 ・ドイツとイタリアは、戦後、国旗を変えた。 (参考:あなたは君が代を歌いますか? http://www.tetsurotanaka.com/hinokimi/kimigayoutau/kimigayoutau.html、東京都教育委員会 http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr060928.htm) **君が代は、皇室を、賛美しており、国民主権と相容れない。  君が代の歌詞は、以下の通りです。 >君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで 「君」は、天皇陛下を表し、「代」は、竹の両節の間を“よ”ということから、寿命を表します(山田孝雄 著『君が代の歴史』)。「千代に八千代に」は、直訳すると、「1000年も8000年も」ですが、「八百万の神」という語が 「無数の神」を表すことを、鑑みると、「いつまでも」と訳すのが、妥当です。「細石」は、文字通り細かい石であり、「巌」は、大きな岩を、表します。細かい石が 大きな岩になるというのは、細かい石灰岩が 長い年月をかけて雨で溶けて 一つの大きな石灰岩に まとまることを、表しています。これらを、鑑みて、君が代の歌詞を、現代語に訳すと、以下のように、なります。 >天皇陛下の寿命が、いつまでも、細かい石が 大きな岩に なって 苔が生えるまで、長く続きますように  たしかに、皇室を、賛美しています、それの何が、いけないのでしょうか。この歌詞から、「君主主権」や「法の支配の否定」を 意味する文言は、見当たりません。もし、この歌詞から、それらの意味を ひねり出したのだ、とすれば、ひねり出す方が、おかしいです。憲法は、国民主権を、定めていますが、同時に、天皇が 我が国の象徴であることも、定められています。象徴たる天皇の長寿を 願うことに、なんら問題は、ありません。 **日章旗・君が代は、大東亜戦争を、美化し、東アジアの人々の心を、踏みにじるものだ。  日章旗・君が代に、大東亜戦争を 美化する意味は、読み取れません。しがたって、中国・韓国・北朝鮮の人々が 日章旗・君が代に 対して示す反発の態度は、我が国に 対する侮辱です。これに対しては、厳しく抗議すべきです。 **日章旗・君が代に対して;起立を強制するのは、思想・良心の自由を、侵す。  憲法学者の芦部信喜は、著書『憲法』の中で、思想・良心の自由の意味について、以下の二点を、挙げています。 -国民が、いかなる国家観、世界観、人生観をもとうとも、&color(red){それが内心の領域に とどまる限りは}、絶対的に自由であり、国家権力は、内心の思想に 基づいて 不利益を課したり、あるいは、特定の思想を 抱くことを 禁止することが、できない。 -国民が いかなる思想を 抱いているかについて、国家権力が 露顕(disclosure)を 強制することは、許されない。すなわち、思想についての沈黙の自由が、保障される。  国旗・国歌に対する不起立は、内心の領域に、とどまるのでしょうか。国旗・国歌に対する嫌悪感などを、内心に持つのは、自由ですが、それを 不起立という行為によって 表すことは、内心の領域を、超えています。では、国旗・国歌に対する起立の強制は、露顕の強制に、なるでしょうか。平成19年(2007)6月20日の東京地方裁判所判決では、国旗・国歌に対する起立は、特定の思想の表明することには、ならないとしています(国旗及び国歌に関する法律 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E6%B3%95)。したがって、露顕の強制には、なりません。  また、法学者の竹之内一幸・橋本基弘 両博士は、共著『地方公務員法の解説』の中で、地方公務員の職務命令服従義務について述べています。 >職務命令服従義務 >この義務は、行政組織上の指揮系統に基づき、職務命令を発しうべきものの発した命令が、命令とおりに、誠意をもって、かつ最 >善の方法により実行されなければならないことを意味するものです。それゆえ、職員は自分の考えと異なる命令である場合でも、 >職務上の上司から発せられた命令には従わなければなりません。ただし、命令が明らかに違法又は公序良俗に反する場合や、物 >理的に不可能な場合には従う必要はありません。  これによると、地方公務員は、自分と考えが異なる命令であっても、上司の命令には服従せねばならないのです。したがって、国旗・国歌に嫌悪感を持っていようとも、上司の命令には従わねばなりません。 **日章旗・君が代に対して起立を強制するのは、人権を、侵す。  法学者の阪本昌成 博士は、こう述べている。 >○武山小委員 > 世間一般に、人権人権と言って、本当に権利を主張している人が大勢いるわけです。最近の新聞の中で、公立の >学校の音楽の先生が、卒業式に国歌斉唱の伴奏をしなかったというわけです。それで、教育委員会も処分をしな >い、県も処分をしない。ここ数年そういう状態が続いた。その先生は、私は、国旗掲揚、国歌斉唱に、人権を無視し >て反対だということで、音楽の先生としてピアノを弾かなかったということが新聞記事に出ておるんですけれども、こう >いう場合の人権と、先ほどお話しの公法という意味、国家、市民社会という意味では、どう先生は位置づけておりま >すでしょうか。 >○阪本参考人 > それは公立高校ですね。 > 我々の生活は、市民社会において活動する場合と、ある組織体に入って生活する場合とあります。私は公務員 >で、国立大学の中で勤務するときにはその階層構造にあって、公務員であるがゆえに私の持っている市民的自由は >当然に制約されるという局面にあります。そういうのを、従来の法学では特別権力関係と呼んできました、または特 >殊な法律関係。 > 我々がある組織に入りますと、一般的な市民自由をそこでは断念して、その組織にふさわしい、その秩序の中で >生活をしないといけない。人権の問題というは、組織以外で我々が一般的に生活をしているときに、私は国歌・国旗 >に対して反対だ、こういう自由を主張するのならばいい。ところが、学校という組織の中に入って一定のヒエラルキー >構造にあり、一つの役割を背負った人間が市民社会における権利主張をここでするということは間違っています。 > 組織の中における行動と市民社会における行動というものは、人権主張の程度、やり方が違っているということを >大学では教えるはずなんですが。 > >――衆議院 公式ウェブサイト 「第154回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第3号(平成 >14年4月11日(木曜日))」 http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715420020411003.htm **諸外国には、学校で国旗・国歌を掲揚・斉唱する習慣は、無い。  「Xは、多数派である。多数派は、正しい。故に、Xは、正しい」という論証は、多数論証という詭弁の一種である(詭弁 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81)。この主張は、多数論証に、当たります。  また、諸外国でも、国旗・国歌を 掲揚・斉唱する習慣は、あり、この主張は、嘘であるといえます。 ***学校で何らかの形で国旗・国歌を肯定的に取り扱う国の一覧 ||国旗|国歌| |中国|「中華人民共和国国旗法」などにより、学校は、毎日国旗を、掲揚し,また、毎週一度および特別な記念日に、国旗掲揚の儀式を、行わなければならない。教育内容の国の基準である「教学大綱」および党の指導文書等により、各教科その他の活動を通じ、国旗の意義・尊重の義務について 教育することと、されている。|国家教育委員会(現教育部)の通知により、学校は、国旗掲揚の儀式および慶賀の式典・スポーツ大会等において、国歌の斉唱を、求められている。思想政治教育関連の教科で、歌詞の意味を、理解させ、また、音楽の時間等を、通じて、小学校3年生以上が、国歌を、正確に歌えるよう、指導している。| |韓国||文教部編『生活礼節』に、「愛国歌を 歌うときは、祖先の輝かしい業績を、思い出し、国歌の無窮なる発展を、祈願するとともに、真心を、もって、民族と国家のために 尽くすという決意を、固めなければならない」とあり、この方針に、沿って、音楽などの授業で、教育に、努め、祝祭日や学校行事の儀式に、斉唱する。| |アメリカ|連邦法により,学校の校舎を含む公的機関の主要建物等に国旗を掲揚することが規定されている。公立学校では,始業時に国旗に対して忠誠を誓うことが広く行われている。|連邦法により,国旗掲揚中の国歌演奏に際しては,国旗に向かって起立することが規定されている。国歌の斉唱は,学校生活の中で,随時行われている。| |イギリス|国旗の指導は学校や教員の判断により,歴史等の授業で指導される。|国歌の指導は学校や教員の判断により,音楽等の授業で指導される。| |イタリア|公立学校では正面入り口上部に掲揚されている。|中等学校において歴史及び公民教育の一部として取り扱われている。| |インドネシア|教科書に記述があり、とくに公民科などの授業で教育に努め、全国の小・中・高校で毎週月曜日に、掲揚されている。|教科書に記述があり、とくに公民科などの授業で教育に努め、全国の小・中・高校で毎週月曜日に、斉唱されている。| |カナダ|あらゆる場合に掲揚。|| |キューバ|愛国心を昂揚するため、小学校一年から国旗を尊重する教育に努めている。祝日には掲揚。|愛国心を昂揚するため、小学校一年から国歌を尊重する教育に努めている。祝日には斉唱。| |スイス|歴史の授業で。学校一任|| |スウェーデン|国旗には親しみをもち個人的な祝いにも揚げることがある|| |タイ|毎日の朝礼で掲揚。|毎日の朝礼で斉唱。音楽の教科書に載っている。| |ドイツ|通常,国旗に対して敬意を持つことや国旗を軽視してはならないことが教えられている。|ノルトライン・ヴェストファーレン州では,児童生徒が国歌のメロディーと歌詞を習得するよう指導することが文部省通達(1979)により定められている。| |トルコ|学校行事で掲揚。|学校行事で斉唱。音楽の教科書に載っている。| |ノルウェー|祝日などに掲揚。|祝日などに斉唱。小学校の初等課程で教える。| |ハンガリー|学校行事で掲揚。小学校で教える。|学校行事で斉唱。小学校で教える。由来や意義は中級学校の文学で教える。| |フランス|歴史の教科書に載っている。|歴史の教科書に載っている。学校の儀式で斉唱。| |メキシコ|小・中学校で毎週月曜日、授業開始前に国旗掲揚の栄誉礼を行う。小学校四年の歴史教科書の載っている。|小・中学校で毎週月曜日、授業開始前に斉唱。小学校四年の歴史教科書の載っている。| |ロシア|入学式等の学校行事で掲揚される。|入学式等の学校行事で演奏される。| (出典:内閣官房審議室・外務省儀典官室編『諸外国における国旗・国歌について』、文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm 岩波ブックレット『世界の国旗と国歌』)  諸外国には日教組のように国旗・国歌に対して組織的に反対運動を起こすような異常な団体がいないということもかんがみなければなりません。 **君が代は音楽として美しくない。  単なる誹謗中傷であり、侮辱である。また、明治36年(1903)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞しており、ある英国人は君が代を「天上の音楽である」と激賞したといいます(金田一春彦・安西愛子 編『日本の唱歌』)。サッカー選手のラモス瑠偉氏は、著書『ラモスの黙示録』で、「日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。」といっています。また、根津公子らは『朝日新聞』平成10年(1998)1月の中田英寿選手へのインタビューの中の、中田選手の「国歌、ダサいですね。気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」という発言を取り上げているますが、小松成美 著『中田英寿 鼓動』には、これについてこう書いてあります。 >中田選手は記者との雑談のようなやりとりの中で、国歌を歌わないことを聞かれ、君が代を揶揄するような受け答えをしてしまった。 >彼は、記者に対してインタビュー終了後「記事には書かないでください」と、言っている。 >愚かにも口にしてしまった国歌への感想は、心にある真意とは別の言葉だったからだ。 >普段から君が代を侮辱する気持ちなどまったくなかった。(中略) >記事を繰り返し読んだ中田は、朝日新聞の記者が、「君が代」や日本人観について、 >何らかの物議を醸しだすために「書かないでほしい」と言った中田の言葉を敢えて引用したのだと思った。  中田選手の発言を政治利用するのは、「記事には書かないでください」といった中田選手の願いを踏みにじるものです。 **日章旗・君が代は、国民に定着していない。  根津公子らは、定着していない根拠として、『朝日新聞』平成11年(1999)6月30日の世論調査を挙げています。その内容は以下の通りです。 >日の丸の法制化に賛成58%、反対35%。君が代の法制化に賛成47%、反対39%。 >また「今国会で成立させるべきか」という問いには賛成23%、反対66%となっています。 この世論調査に対して社会調査論を専門とする谷岡一郎氏は、著書『「社会調査」のウソ』の中で、その信頼性に疑問を投げかけています。 >(この世論調査の)最後の質問は次のようなものである。 > ◆あなたはこの法案を、八月半ばまでの、今の国会で成立させるのがよいと思いますか。 > それとも、今の国会での成立にこだわらず、議論を尽くすべきだと思いますか。(中略) >この質問では、「今の国会での成立」か、もう少し「議論すべきか」という二者択一の問題にすり替えられているが、 >以下で述べるように、実は民意ははっきりしている。この質問の一つ前の質問は >「政府は国会に、日の丸を国旗とし、君が代を国歌とする法案を提出しました。その法案はカード(別紙)の二条からなっています。 >あなたはこの法案に賛成ですか。反対ですか。」という質問で、賛成は五八パーセントに達している。 >これを考えると、最後の質問は回答者の決断を誘導的に先延ばしさせるものと言わざるをえない。(中略) >自分たちの気に入らない法案は、いつも決まって「十分な審議がなされない」状態であり >(例えば「サッカーくじ」や「組織犯罪に対する法案」)、もっと議論を尽くすべきだと主張するが、 >与党議員による数をたのんだ採決は、常に「数の暴力によるゴリ押し」というわけである。  また、祝祭日に国旗を掲げる家が少ないことを根拠に「定着していない」と述べていますが、その理由は、「国旗を掲げるのが面倒だから」か、もしくは、「街宣右翼・任侠右翼と間違われたくない」からであって、「日章旗を国旗として認めていないから」ではないでしょう。実際、スポーツの国際大会では、日章旗を持参したり、日章旗をボディーペインティングする国民は大勢いますし、それらを「ぷちナショナリズムだ」といって批判する左翼知識人だっているではないでしょうか。仮に定着していないとしても、これから定着するように努めればよいのです。 **天皇陛下が「強制になるということではないことが望ましい」とおっしゃった。  たしかに、天皇陛下は、平成16年(2004)10月28日、園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄 氏から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」とおっしゃった。  しかし、天皇陛下は、平成17年(2005)4月25日、ノルウェーご訪問に際しての記者会見の中で、 >世界の国々が国旗,国歌を持っており,国旗,国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。 >国旗,国歌は国を象徴するものと考えられ,それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。 >オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウィニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には,強制された姿はありません。国旗,国歌については,国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます。 >(出典:宮内庁 公式ウェブサイトttp://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h17-norway.html) ともおっしゃっています。  これらを鑑みると、「強制になるということではないことが望ましい」というご発言は、「わざわざ強制などしなくとも、自発的に国旗掲揚・国歌斉唱してもらえるようになるならば、それが一番 望ましい」という意味だろう。 **ドイツとイタリアは、戦後、国旗を変えた。 ***ドイツ  今のドイツの国旗の絵柄は、黒・赤・金の横じまの三色旗である。この三色は、享和3年(1803)に起こったナポレオン戦争において、プロイセン王国の義勇軍が着ていた軍服の色が、由来になっている。それ以来、この三色は、ドイツ連邦の軍艦旗・ワイマール共和政におけるドイツ国の国旗に使われた。しかし、ドイツ国がナチス政権だったときに限っては、国家社会主義ドイツ労働者党の党章である鉤十字が、国旗だった。戦後も、西ドイツが、再び、三色旗を国旗とし、ベルリンの壁が崩壊した後も、同様に、三色旗を、国旗とした。  以上のことを鑑みると、ドイツが戦後に国旗を変えた理由は、「ナチスが鉤十字を使っていたから」というのもあるが、「ナチスが政権から退いたから」と「伝統的な旗に戻したいから」という理由もあるだろう。しかし、我が国では、大政翼賛会の紋章が国旗になっていたわけではない。戦前から戦後まで一貫して、伝統的な旗である日章旗が国旗である。つまり、日本には、「ドイツにとっての鉤十字」に相当するものが無いのだ。したがって、ドイツの例は、日本に当てはめることが出来ない。  ちなみに、ナチス・ドイツでは、鉤十字だけでなく、鉄十字という紋章も使われていた。しかし、鉄十字については、戦後、廃止されてはいない。ドイツでは、鉄十字を、戦前から戦後まで一貫して使用している。そういう意味においては、日章旗と共通してる。つまり、日章旗は、「ドイツにとっての鉄十字」に相当するものであって、鉤十字ではないのだ。 ***イタリア  イタリアは、戦後、国旗から、王家の紋章を、外した。王家の紋章を外したのは、王制から共和制に変わったからであって、戦争の反省とは関係なかろう。その証拠に、緑・白・赤の三色は、変わっていない。 *日章旗と君が代の歴史 **日章旗  日章旗(にっしょうき)。通称、日の丸(ひのまる)。国旗及び国歌に関する法律第1条に「国旗は、日章旗とする。」と規定してあります。よって、旗の正式名称は日章旗です。同法律の規定によると、旗の形は縦が横の3分の2の長方形、中央の円の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心、色は地は白色、円は紅色とされています。  日章旗は、日が「太陽」、章が「しるし」、旗はそのまま「旗」という意味、つまり「太陽のしるしの旗」です。中央の円は「日章」といいます。  なぜ、我が国の国旗には太陽が描かれているのでしょうか。それは、日本人が古来より太陽を信仰してきた事に由来します。日本人には神道という民族宗教があります。民族宗教とは、ユダヤ人にとってのユダヤ教のような物です。日本で発祥して神武天皇元年(B.C.660)の建国以後およそ2660年間ずっと信仰され続けてきた民族固有の宗教です。この神道における最も重要な神が「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」です。通常は「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」等と呼ばれます。この神は太陽を神格化した物であり、皇室の祖(皇祖神)とされています。  日本人の太陽信仰は、聖徳太子の国書にも表れています。推古天皇15年(607)に当時の支那の隋へ遣隋使を送りました。その時の日本からの国書にはこう書いてありました。「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。」と。「日出る処(ひいずるところ)」とは日本であり、そこの「天子」とは、聖徳太子の事です。対称的に「日没する処(ひぼっするところ)」とは、日本から西側、つまり支那であり、そこの「天子」とは当時の隋の皇帝である煬帝(ようだい)の事を指します。  現存する最古の日章旗は雲峰寺が所蔵しており、これは後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)が源義光に下賜(かし)したとされる物です。つまり、「明治から昭和初期に戦争する為に作った。」というわけではないことがこれで分かります。  天正3年(1575)6月29日の長篠の戦いでは、織田信長・徳川家康の連合軍対武田勝頼軍の戦いで、各戦国武将たちが掲げた旗は日章旗でした。「我こそはこの国の真の覇者なり。」という意味を込めているのです。  そして、嘉衛6年(1853)の黒船来航から、江戸幕府によって「日章旗は日本国の総船印」と定められ、明治に入ってから、正式に「国旗」となったのです。  このように、建国以来の神道の思想に起源を持ち、我が国の長い長い歴史を駆け抜けてきたのが日章旗なのです。 **君が代 |曲名|君が代| |作詞|詠み人知らず| |作曲|林廣守| |歌詞|君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで|  この歌詞は、平安時代の古今和歌集の詠み人知らずの和歌が、もとになっている。「君」は天皇陛下を表し、「代」は、竹の両節の間を“よ”ということから、寿命を表す(山田孝雄 著『君が代の歴史』)。「千代に八千代に」は、直訳すると「1000年も8000年も」だが、「八百万の神」という語が「無数の神」を表すことを鑑みると、「いつまでも」と訳すのが妥当である。「細石」は文字通り細かい石、「巌」は大きな岩を表す。細かい石が大きな岩になるというのは、細かい石灰岩が長い年月をかけて雨で溶け、一つの大きな石灰岩にまとまることを表している。これらを鑑みて、君が代の歌詞を現代語に訳すと以下のようになる。 >天皇陛下の寿命が、いつまでも、細かい石が大きな岩になって苔が生えるまで、長く続きますように  天皇陛下のご長寿を願う良い歌です。 *長野県民をまとめつづる県歌・「信濃の国」  分県騒動を引き起こすなど、地域地域によって地域性が違う長野県民にとって、県歌「信濃の国」は、このような事情を背景に、本来は都市名である「長野」でなく、県内の大方の地域が該当する「信濃」という旧国名で県域を包括したことで、地域全体の共同体意識を喚起する歌として歌い継がれてきました。その面では、長野県民の地域ナショナリズムの根元とも言えます。(参考・[[信濃の国 - Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%BF%83%E3%81%AE%E5%9B%BD]])  これを考えるにつけ「君が代」も日本をまとめつづる上で極めて重要と言えましょう。 *まとめ  子供にとって晴れの舞台である入学式・卒業式を、教諭の政治的信念によって汚してはなりません。自分が生まれ育った国を愛することもできず、嫌いにさせられる子供はかわいそうです。 *■ブログランキング応援クリック : | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒&ref(http://www35.atwiki.jp/kolia/pub/banner2.gif,人気ブログランキングへ,http://blog.with2.net/link.php?667558) ----

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