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&size(20){&bold(){(仮題)デモクラシーの真実}} <目次> #contents *■1.デモクラシーとは何か **◆辞書による説明 |BGCOLOR(olive):COLOR(white):(1)|>|>|>|>|BGCOLOR(olive):COLOR(white):ブリタニカ・コンサイス百科事典(democracyの項)より全文翻訳| ||>|>|>|>|BGCOLOR(white):最高権力が一般民衆(the people)に帰属しており、彼らが、<1>直接的に、または、<2>通常は定期的な自由選挙に係る代議制度を通して間接的に、最高権力を行使する政治形態(form of government)。| ||>|>|>|>|BGCOLOR(white):直接民主政体(direct democracy)においては、公衆(the public)は政治に直接参加する(例として、①古代ギリシャの幾つかの都市国家、②ニュー・イングランドの幾つかのタウン・ミーティング、③近代スイスのカントン)。| ||>|>|>|>|BGCOLOR(white):今日の殆どのデモクラシーは代議制である。代議制民主政体(representative democrasy)は、欧州中世期から啓蒙期を通して発展した理念と制度によって、そしてアメリカとフランスの革命において大きく興起した。| ||>|>|>|>|BGCOLOR(white):デモクラシーは今日では、①普通選挙、②公職を巡る競争、③言論と出版の自由、④法の支配、を当然に含意するものとなっている。| ||BGCOLOR(white):|BGCOLOR(pink):デモクラシー(民主政体)|BGCOLOR(pink):<1>|BGCOLOR(pink):直接デモクラシー|BGCOLOR(pink):古代ギリシャの幾つかの都市国家(アテネなど)、スイスのカントン(小郡)| ||BGCOLOR(white):|BGCOLOR(pink):の2つの形態|BGCOLOR(pink):<2>|BGCOLOR(pink):間接デモクラシー(代議制デモクラシー)|BGCOLOR(pink):近代以降の殆どの国民国家(nation state)で採用されているデモクラシー| |BGCOLOR(olive):COLOR(white):(2)|>|>|>|>|BGCOLOR(olive):COLOR(white):オックスフォード英語事典(democracyの項)より抜粋翻訳| ||>|>|>|>|BGCOLOR(white):・全人口集団または一国家の全有資格者による政体(a system of government:政治形態)であって、典型的には選出された代議員を通して行われる。| ||BGCOLOR(white):|BGCOLOR(pink):語源(ギリシャ語)|BGCOLOR(pink):democratia|>|BGCOLOR(pink):← demos(=the people:一般民衆) + -cratia(=power, rule:権力、支配)⇒「一般民衆による権力、支配」| |BGCOLOR(olive):COLOR(white):(3)|>|>|>|>|BGCOLOR(olive):COLOR(white):コウビルド英語事典(democracyの項)より全文翻訳| ||BGCOLOR(pink):<1>|>|>|>|BGCOLOR(pink):・デモクラシー(democracy)とは、人々(people)が投票によって自身の支配者を選出する政体(a system of government)である。| ||BGCOLOR(pink):<2>|>|>|>|BGCOLOR(pink):・デモクラシー(a democracy)とは、一般民衆(the people)が投票によって自身の政府を選出する国家(a country)である。| ||BGCOLOR(pink):<3>|>|>|>|BGCOLOR(pink):・デモクラシー(democracy)とは、組織や企業やグループを運営する制度(a system)であって、各々のメンバーは投票と諸決定への参加の資格が付与されている。| **◆自由主義思想家による説明 |BGCOLOR(orange):(1)|>|>|>|BGCOLOR(orange):J.F.スティーブン(英国コモン・ロー学者、王座裁判所判事)『自由、平等、友愛』(1873)| ||>|>|>|BGCOLOR(white):「我々は、支配者を打倒する代わりに、頭数を数えることで力を試すことに同意している。…勝利を得るのは、最も賢明な人々の側ではなく、当分の間、優越的な力(疑いもなく、叡智がその中の一要素である)を、最大多数の積極的共感を支持に取り付ける事によって示す側にある。少数派は譲歩するが、それは、間違っていると確信するからではなく、少数派だと確信するからである。」| |BGCOLOR(orange):(2)|>|>|>|BGCOLOR(orange):K.R.ポパー(オーストリア出身でナチス支配期に英国に帰化した科学哲学者)『開かれた社会とその敵』(1945)| ||>|>|>|BGCOLOR(white):「・・・というのは二つの主要なタイプの政府が区別されるかも知れないからである| ||BGCOLOR(#CCCC99):<1>|>|>|BGCOLOR(#CCCC99):第一のタイプは、血を流すことなく-例えば総選挙によって-排除することの出来る政府から成る。即ち&br()①社会制度は統治者が被統治者によって追い払われる手段を提供し、&br()②社会的伝統はこれらの制度が権力を握っている人々によって容易に破棄されないことを保証する。| ||BGCOLOR(#CCCC99):<2>|>|>|BGCOLOR(#CCCC99):第二のタイプは、被統治者が革命の成功による以外-即ち大抵の場合、全く-排除することの出来ない政府から成る。| ||>|>|>|BGCOLOR(white):私は「民主政体(democracy)」という用語を第一のタイプの政府、また「専制政体(autocracy)」や「独裁政体(tyranny)」という用語を第二のタイプに対する速記表現として提案する。これは伝統的な語法に一致すると思われる。」| |BGCOLOR(orange):(3)|>|>|>|BGCOLOR(orange):L.ミーゼス(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者)『人間行為論』(1949)| ||>|>|>|BGCOLOR(white):「国内の平和のために、自由主義は民主政体的政府(democratic government)を目指す。それゆえ、民主政体(democracy)は革命的制度ではない。それどころか、それは革命や内乱を防ぐまさしく手段なのである。民主政体(democracy)は、政治を多数者の意思に平和的に適合させるための手段を提供する。」| |BGCOLOR(orange):(4)|>|>|>|BGCOLOR(orange):F.A.ハイエク(オーストリア出身でナチス支配期にイギリスに帰化した経済学者・法哲学者・政治思想家)『法と立法と自由(第3巻):自由人の政治的秩序』(1979)| ||>|>|>|BGCOLOR(white):「政治的理想を表現する大部分の用語の宿命であると思われるが、「デモクラシー」はその用語の本来の意味とはほとんど関係のない様々な事柄を記述するために使われてきたし、今でも、実際に意味されるものが「平等(equality)」であるところで、しばしば使われている。| ||BGCOLOR(#CCCC99):<1>|>|>|BGCOLOR(#CCCC99):厳密に言えば、それは、政府の裁決を決定するための方法、ないしは手続きに関係するのであって| ||BGCOLOR(#CCCC99):<2>|>|>|BGCOLOR(#CCCC99):政府の何らかの実質的な善、あるいは狙い(例えば一種の物質的平等)に関係するものでも、非政府組織(例えば教育・医療・軍事あるいは商業に関する組織)に合理的に適用できる方法でもない。&br()これらの誤用はいずれも「デモクラシー」という言葉からあらゆる明確な意味を奪っている。」| ||>|>|>|BGCOLOR(white):「デモクラシーは、専制支配(autocracy)から我々を保護する唯一のもの(例え、その現行形態においては確かなものでないにしても)であるために、固守するに値する理想である、ということである。」&br()「今までに発見された平和的な政権交代の唯一の方法として、それは消極的な価値ではあるが、最高の価値の一つである。それは疫病に対する予防策に匹敵する。」| |BGCOLOR(orange):(5)|>|>|>|BGCOLOR(orange):J.A.シュンペーター(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者、但し自由主義より社会主義的傾向が強い)『資本主義、社会主義、デモクラシー』(1942)| ||>|>|>|BGCOLOR(white):「デモクラシーは一つの政治的な方法である。即ちデモクラシーは、政治的-立法的・行政的な-決定に到達するためのある型の制度的装置であって、従って、一定の歴史的条件下で、それが生み出すどんな結果にも関係なく、それ自体では目的となり得ないものである。」| *■2.政体分類と政体変遷論 **◆古代ギリシャ・ローマの政体論 ・古代ギリシャ/ローマ世界において、プラトン/アリストテレス/ポリュビオスといった哲人・歴史家が様々な政体の分類と変転原因を研究しています。 ・(1)支配者の数、と、(2)統治の状態(良好か堕落しているか)の2つの基準に着目した彼らの分類は、近代以降の各国の政体変動の分析にも大いに参考になります。 ・ただし後述のように、これらの分類には、近代の国民国家が革命・内乱・戦争の末にようやく確立した(3)「権威と権力の分離」や「権力分立」という政体安定化のための重要要素の観点が欠落していることに留意して下さい。 |BGCOLOR(olive):COLOR(white):支配者の数|BGCOLOR(olive):COLOR(white):一人|BGCOLOR(olive):COLOR(white):少数|BGCOLOR(olive):COLOR(white):構成員全員| |BGCOLOR(#CCCC99):良好な形態|BGCOLOR(white):①君主政体(monarchy)|BGCOLOR(white):②貴族政体(aristocracy)|BGCOLOR(white):③民主政体(democracy)| |BGCOLOR(#CCCC99):堕落した形態|BGCOLOR(white):⑥僭主政体(tyranny)|BGCOLOR(white):⑤寡頭政体(oligarchy)|BGCOLOR(white):④衆愚政体(mobocracy)| #RIGHT{&size(11){※僭主(せんしゅ)とは、武力や大衆扇動などの非合法的な手段で支配者に成り上がった者をいい、統治の正統性を持つ君主と区別されます。}} ・これらの政体間の変遷について様々な順序が考えられました。 ・例えば、プラトンは『国家』において、①完全国家(君主政体)⇒②名誉政体(貴族政体)⇒⑤寡頭政体(富裕層の支配)⇒③民主政体(自由すなわち無法の支配)⇒⑥僭主政体 …という順序で国家は一直線に堕落していくと考えました。 ・また、ポリュビオスは『歴史』において、①君主政体⇒⑥世襲により僭主政体に堕落⇒②貴族政体⇒⑤寡頭政体に堕落⇒③民主政体⇒④衆愚政体に堕落⇒再度①君主政体に戻る ・・・という順序で政体が循環すると考えました(政体循環論)。 ・こうした古代ギリシャ及びローマ世界の実経験に学んだ哲人・歴史家たちの研究は、以下のようにまとめられ、この認識が近代に至るまで長く統治者や知識人にとって政治に関する常識とされました。 |BGCOLOR(#CCCC99):(1)|BGCOLOR(white):良臣や賢者に支えられて理想の名君が統治する①君主政体が最良の政体(政治形態)である。| |BGCOLOR(#CCCC99):(2)|BGCOLOR(white):無知・無責任・強欲な貧民が大勢を占める一般民衆が政治を取り仕切る③民主政体は早晩、④衆愚政治に堕落する。| |BGCOLOR(#CCCC99):(3)|BGCOLOR(white):④衆愚政治の混乱の中から、大衆扇動に長けた人物が出て権力を奪取し、最悪の⑥僭主政体が出現する。| **◆政体変遷の実例 ・上記の古代ギリシャ・ローマの政体分類と政体変遷論を実例に当て嵌めて考察します。 |>|BGCOLOR(olive):COLOR(white):国家|BGCOLOR(olive):COLOR(white):①君主政体(monarchy)|BGCOLOR(olive):COLOR(white):③民主政体(democracy)|BGCOLOR(olive):COLOR(white):④衆愚政体(mobocracy)|BGCOLOR(olive):COLOR(white):⑥僭主政体(tyranny)|BGCOLOR(olive):COLOR(white):その後| |BGCOLOR(#CCCC99):(1)|BGCOLOR(#CCCC99):古代アテネ|王国|>|共和国|ペロポネソス戦争敗戦後&br()三十僭主制|民主政体回復するも弱体化→マケドニア王国に服属| |BGCOLOR(#CCCC99):(2)|BGCOLOR(#CCCC99):古代ローマ|王国|>|共和国|第一回三頭政治→カエサル(シーザー)独裁→第二回三頭政治|オクタヴィアヌスの統一→元首制を採用した安定的な帝政へ| |BGCOLOR(#CCCC99):(3)|BGCOLOR(#CCCC99):17世紀イギリス|王国(前期スチュワート朝)|長期議会の支配(名目上は王国)|共和国(残部議会)|共和国(護国卿O.クロムウェル独裁)|クロムウェル死後息子R.クロムウェルが後継するも無能のため無政府状態に陥る→王政復古(後期スチュワート朝)→名誉革命(立憲君主政体確立)| |BGCOLOR(#CCCC99):(4)|BGCOLOR(#CCCC99):18世紀フランス|王国(前期ブルボン朝)|国民議会の支配(名目上は王国)|第一共和政(国民公会の支配→ジャコバン独裁→総裁政府)|ナポレオン独裁(統領政府→第一帝政へ)|ナポレオン戦争で敗北→王政復古(後期ブルボン朝)→七月王政(オルレアン朝)| |BGCOLOR(#CCCC99):(5)|BGCOLOR(#CCCC99):19世紀フランス|王国(オルレアン朝)|>|第二共和政|ルイ・ナポレオン独裁(共和国大統領→第二帝政へ)|普仏戦争で敗北→第三共和政でようやく安定| |BGCOLOR(#CCCC99):(6)|BGCOLOR(#CCCC99):20世紀ドイツ|第二帝国|>|ワイマール共和国|ナチス独裁(第三帝国)|第二次大戦で敗北→西側のみ連邦共和国となり安定| |BGCOLOR(#CCCC99):(7)|BGCOLOR(#CCCC99):20世紀ロシア|帝国(ロマノフ朝)|>|臨時政府(ケレンスキー首班)|ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)…共産党一党独裁(レーニン→スターリン)|第二次大戦で勢力拡大→国内の圧政と長期の米ソ冷戦で疲弊→解体| |BGCOLOR(#CCCC99):(8)|BGCOLOR(#CCCC99):20世紀中国|帝国(清朝)|>|中華民国…袁世凱独裁→軍閥割拠→蒋介石(国民党政府)独裁→国共内戦|中華人民共和国…共産党一党独裁(毛沢東→鄧小平)|共産党独裁は現在も継続| *■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立 ・上記の政体分類のうち良好な形態である、①君主政体、②貴族政体、③民主政体、の3つの各々の長所を組み合わせることにより、安定的で有能な政体が生まれることが、次第に経験的に認識されるようになりました。(混合政体mixed government) ・こうした混合政体では、各機関の権力の妥当する範囲や相互関係を調整するための合意が、慣習あるいは成文として明示され、各機関がそれを遵守することによって政体の安定性が担保されます。 ・分立された各機関の権力が、不文あるいは成文の国憲に拘束され、相互に抑制することにより権力の独占や濫用が防止される政体を立憲政体(constitutional government)といいます。 **◆混合政体の実例 |>|BGCOLOR(olive):COLOR(white):国家|BGCOLOR(olive):COLOR(white):①君主政体の要素|BGCOLOR(olive):COLOR(white):②貴族政体の要素|BGCOLOR(olive):COLOR(white):③民主政体の要素| |BGCOLOR(#CCCC99):(1)|BGCOLOR(#CCCC99):古代ローマ(共和政)|BGCOLOR(yellow):①´コンスル(執政官)|BGCOLOR(aqua):②´元老院|BGCOLOR(yellow):③´平民会・・・護民官を選任| |BGCOLOR(#CCCC99):(2)|BGCOLOR(#CCCC99):古代ローマ(帝政)|BGCOLOR(aqua):①皇帝|BGCOLOR(pink):②´元老院(名目的)|③´平民会(名目的)・・・護民官(名目的)を選任| |BGCOLOR(#CCCC99):(3)|BGCOLOR(#CCCC99):イギリス|BGCOLOR(pink):①国王|BGCOLOR(pink):②貴族院(上院)|BGCOLOR(yellow):③庶民院(下院)・・・首相を事実上選任| |BGCOLOR(#CCCC99):(4)|BGCOLOR(#CCCC99):アメリカ|BGCOLOR(aqua):①´大統領|BGCOLOR(aqua):②´元老院(上院)|BGCOLOR(yellow):③代議院(下院)| |BGCOLOR(#CCCC99):(5)|BGCOLOR(#CCCC99):フランス|BGCOLOR(aqua):①´大統領|BGCOLOR(aqua):②´元老院(上院)|BGCOLOR(yellow):③国民議会(下院)・・・首相を選任| |BGCOLOR(#CCCC99):(6)|BGCOLOR(#CCCC99):ドイツ|BGCOLOR(pink):①´大統領(名目的)|BGCOLOR(yellow):②´連邦参議院|BGCOLOR(yellow):③連邦議会(下院)・・・首相を選任| |BGCOLOR(#CCCC99):(7)|BGCOLOR(#CCCC99):日本(明治憲法下)|BGCOLOR(pink):①天皇|BGCOLOR(pink):②貴族院|BGCOLOR(yellow):③衆議院…首相を選任(1924-32)| |BGCOLOR(#CCCC99):(8)|BGCOLOR(#CCCC99):日本(現憲法下)|BGCOLOR(pink):①天皇|BGCOLOR(yellow):②´参議院|BGCOLOR(yellow):③衆議院・・・首相を選任| ※①´は擬似君主的な要素、②´は擬似貴族的な要素 |BGCOLOR(#CCCC99):&size(12){説明}|BGCOLOR(aqua):&size(12){権威と権力を保持}|BGCOLOR(pink):&size(12){権威のみ保持}|BGCOLOR(yellow):&size(12){権力のみ保持}| **◆古代ローマの混合政体 ・ギリシャ出身で共和制ローマの将軍小スキピオの家庭教師を務めた歴史家ポリュビオスは、ローマの共和政体が、①2名のコンスル(執政官)+②貴族階級の元老院+③平民階級の平民会および彼らの代表である2名の護民官、という君主政体・貴族政体・民主政体の3要素を複合しており、カルタゴやマケドニアなどのライバル国に比較して、はるかに安定的かつ有効に機能していることを指摘しました。 ・共和制ローマは、その後の領域拡大と経済発展による社会の複雑化に対して、従来の任期1年・2名という弱体なコンスル制では対処できなくなり、元老院を中心とする閥族派(スゥラ)と平民派(マリウス)の抗争(衆愚制)、軍事力や財力を背景にした有力政治家による三頭政治(寡頭制)やカエサル独裁(僭主制)の時期を経て、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスによる武力統一に至ります。 ・オクタヴィアヌスはローマ市民の感情に配慮して元老院の権威を尊重し、元老院から「第一の市民」(プリンケプス=元首)という称号を授けられて実質的にローマに帝政を敷くことになります。この元老院に代表される共和制の精神を加味した専制的ではない帝政を元首制(プリンキパトス)といい、アメリカ合衆国の政体(大統領+元老院+代議院)はこれを模して設計されるなど近代の政治制度にも大きな影響を及ぼしています。 ・その後ローマでは、ネロ・カリギュラなどの暴君も一時出ましたが、元老院の権威を受けて帝国を統治する五賢帝と呼ばれる名君が輩出して帝国は大いに繁栄しました。 **◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) ・16世紀後半のエリザベス女王の統治下で大いに国力の伸張したイングランドは、女王に後継者がいなかったため縁戚のスコットランド国王を新国王に迎え入れました。 ・ところがカトリック教徒(スコットランドはカトリック国)であった新国王側は、新教徒(イングランド国教会や清教徒)に宗教的圧迫を加えたので、国王と議会が衝突し、清教徒であるO.クロムウェル率いる鉄騎兵が勇戦した議会側が勝利を収めました(清教徒革命)。 ・O.クロムウェルは国内の混乱を武力収拾すると、国王を処刑し、共和政(コモンウェルス)を樹立しました(護国卿政権)。 ・彼の死後、後を継いだR.クロムウェルは政治的に無能で、一時的に無政府状態に陥ったために、貴族など有力者は、大陸に亡命政権を立てていた王室に帰還を求めました(王政復古(1660))。 ・しかしカトリック教徒の国王側が、宗教政策で再度国民を圧迫したため、議会のトーリー・ホイッグ両党が連名でオランダに嫁いでいた新教徒のメアリー王女と夫のオレンジ公オランダ総督ウィリアムに『権利章典』の承認と引き換えに王位を差し出して、旧教徒の国王一家を追放しました(名誉革命)。 ・その後、メアリー女王の妹であるアン女王が即位した時期に、フランスに亡命していたカトリックの旧王一族の復位を避けるため、王位継承者を新教徒に限定する『王位継承法』が定められ、その規定に従って、アン女王没後に、ドイツから新教徒のハノーバー公が王位に迎え入れられました。(なおアン女王の時代に、イングランドとスコットランドが統一して連合王国(U.K.=イギリス)が誕生しています。) ・ドイツ生まれの新国王ジョージ1世は、英語が話せず閣議を主催できなかったために、ホイッグ党の指導者であったウォルポールがこれを代行し、議会の有力党の党首が国政を執る責任内閣制が生まれました。 ・こうして、イギリスにおいて「国王は君臨すれども統治せず」という政治原則、つまり、①権威(Authority)を体現する国王と、②権力(Power)を保持する議会という「権威と権力の分離」が確立されました。 ・国王と議会は、ともに『マグナ・カルタ』『権利請願』『権利章典』『王位継承法』などの成文法典や慣習化された不文律を含む国憲(constitution)を遵守し、国王のみならず、議会もまた「絶対無制限の権力」を行使することは許されません。 国王・議会・司法官が共に“法”(制定法ではなくコモン・ロー(慣習法たる祖法))に拘束され、 議会といえども無制限の権力を行使しえない原則を『法の支配』(rule of law)といい、 このように『法の支配』の下にある制限された君主政体を『立憲君主政体』といいます。 ・18世紀のイギリス法学者ブラックストーンは大著『イギリス法釈義』を著わして、「法の支配」の原則を定式化しました。 ・また19世紀後半に活躍したジャーナリストのウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』を著わして、「権威(政府の尊厳的部分)と権力(政府の実用的部分)」が分離され安定的に運用されているイギリス政体を明瞭な筆致で分析・描写しました。 ・ブラックストーンの著作は、アメリカ合衆国の建設者たちに大いに参考にされ、バジョットの著作は明治憲法の制定に関わる論議に参考にされました。 ・ところが、バジョットの後に出た憲法学者のA.V.ダイシーは、主著『憲法序説』で、イギリス憲法の特徴を、①法の支配、②議会主権、③憲法慣習律、の3つであると定式化し、本来は、①法の支配と両立しないはずの、②議会主権(議会が最高権力を持つ)という説が流布したまま現在に至っています。 **◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) ・1783年にイギリスから正式に独立を承認されたアメリカ東部13邦では、法制度の整備・運用に当たって、前述したブラックストーンの『イギリス法釈義』が大いに参考にされましたが、実体が曖昧な不文憲法ではなく、明文憲法を採択して政府の権限を明確化することが、分立した各邦との権限の境界を明確にする必要から強く求められ、世界最初の近代的成文憲法である「アメリカ合衆国憲法」が起草されて、各邦が激論の末に順次これを批准して、1788年にアメリカ合衆国が建国されました。 ・イギリス国王の権威から離れたアメリカでは、イギリス式の厳格な「権威と権力の分離」方式は困難でしたが、ローマ帝国の元首制や、ルネサンス期イタリアの共和国の国政を参考に、①国家元首たる大統領(擬似国王的な存在)、②元老院(Senate:上院、各州等分の議席配分で擬似貴族院的な存在)、③代議院(House of Representatives:下院、人口に比例して各州に議席を割り当てる平民院的な存在)の3機関を分立させ、①大統領、②元老院に権力と共に一定の権威を付与する方式を採用しました。 ・それと共に、違憲立法審査権を持つ強力な、④司法裁判所を設置して、特に議会の立法権を制約する仕組みを設け、行政(大統領府)・立法(議会)・司法(裁判所)、の三権が互にチェック&バランスを行う厳格な三権分立方式を採用しました。 アメリカ式の成文憲法によって国政を規律する方式を『立憲主義』(constitutionalism)といい、 立憲主義に基づく民主政体を『立憲民主政体』といいます。  ・このように厳密には、イギリスは立憲君主政体(constitutional monarchy)であり、アメリカ合衆国は立憲民主政体(constitutional democracy)なのですが、イギリスにおいても、政府(立法および行政)の実権は選挙を通して一般民衆に保持されていると見なしうるので、これを民主的政府あるいは民主的政治(democratic government)と呼ぶ今日の用例が発生しました。 **◆なぜ混合政体が安定するのか? ・アメリカ型の厳格な権力分立が機能している場合を除いて、一般に権威と権力が未分離な前近代的政体においては、権力者による専制支配に陥りやすく、これを取り除くには、革命やクーデターによるしか方法がない。これに対して、 権威と権力が分離されている政体では、権力の所在が移動しても、 権威が不動であるために、政治的混乱に陥る危険が回避される。 ・つまり不動の権威の存在が、伝統と相まって、暴力によらない民主的な(=頭数を数えて行う)権力の交代を保障する。 ・現代においても多くのアジア・アフリカの新興諸国、最近までのラテン-アメリカ諸国が政治的に不安定なのは、①国内に伝統的な政治的権威の担い手が存在せず、②権力者の専制支配に陥りがちで、③それゆえに、アメリカ型の厳格な権力分立制度の確立も不可能だからである。 *■4.立憲政体の普及 欧州諸国は、安定的で有能な立憲政体を確立するまでに、各々数十年単位の混乱を経験することになりました。 こうした混乱のあとで出現した立憲政体は、次の3パターンに分類できます。 (1)権威と権力が明確に分離されたイギリス型の立憲君主政体(権力分立は不徹底) (2)厳格な権力分立によりCHECK&BALANCEを機能させるアメリカ型の立憲民主政体 (3)上記の折衷型で、名目的な大統領と責任内閣制を採用した立憲民主政体 **◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 |BGCOLOR(olive):COLOR(white):国家|BGCOLOR(olive):COLOR(white):混乱の開始|BGCOLOR(olive):COLOR(white):混乱のピーク|BGCOLOR(olive):COLOR(white):混乱の収束|BGCOLOR(olive):COLOR(white):混乱期間|BGCOLOR(olive):COLOR(white):混乱後に採用された政体| |BGCOLOR(#CCCC99):イギリス|清教徒革命(1640-49)|クロムウェル独裁(1653-59)|名誉革命(1688)|49年間|イギリス型| |BGCOLOR(#CCCC99):フランス|フランス大革命(1789-99)|ジャコバン独裁(1793-94)|第三共和制発足(1871)|82年間|折衷型| |BGCOLOR(#CCCC99):ドイツ|ドイツ革命・敗戦(1918)|ナチス独裁(1933-45)|ドイツ連邦共和国発足(1949)|32年間|折衷型| |BGCOLOR(#CCCC99):ロシア|ロシア革命(1917)|スターリン個人独裁(1924-53)|ソ連邦崩壊・ロシア独立(1991)|74年間|アメリカ型| **◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 ・欧州諸国は、近代において各々、数十年規模の国内の混乱や戦争の経験を通じて、ようやくイギリス型の「権威と権力の分離」やアメリカ型の「厳格な三権分立」に保障された安定した立憲政体にたどり着いたのであるが、日本においては既に古代から、権威(天皇)と権力(曽我氏・藤原氏など)の分離の伝統が自生しており、ことに中世期以降は、天皇(および公家)は専ら権威のみを保持し、権力は武士階級が保有するという二重構造が定着した。 ・幕末に欧米列強の脅威が高まると、従来の幕藩体制では有効な対処が出来ず、折から高まっていた尊皇攘夷の思想潮流に押し流される形で、徳川政権は、専ら権威のみを保持していた朝廷に対して、政治権力の返還を願い出るに至った(大政奉還)。 ・朝廷は、これを受け入れて王政復古の大号令を発したが、その直後に朝廷の実権を握る倒幕派公家が長州・薩摩など西国雄藩と図って、徳川家に将軍職のみならずその広大な領地の返還と内大臣職の辞官をも要求する挙に出たため、倒幕派と佐幕派の武力抗争が勃発した(戊辰戦争)。 ・しかしながら、緒戦の鳥羽伏見の戦で敗北した徳川家は朝廷の権威に対して恭順の態度に出たために、戊辰戦争は幕府と朝廷および薩長など西国雄藩の全面戦争とはならず、なお薩長の政権奪取の方式に不満を覚える佐幕派と討伐軍との局所的な武力抗争に留まり、まもなく薩長と公家が中核を占める維新政権が確立された。 **◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) ・戊辰戦争で、江戸城開城の行われる1ヶ月前の1867年3月、京都において明治天皇が皇祖皇宗の神霊に誓う形式で、維新政権の基本方針を示した「五箇条のご誓文」が宣布された。 ・そのご誓文は第一条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と明記されており、維新政権においては、従来の武士階級による権力の独占ではなく、広く国民から意見を集めて国家の方針を決定することが示された。 ・以降、この第一条を根拠に、国民各層の意見を求める具体的な制度の導入が官民双方から熱心に検討されるようになり、板垣退助らの自由民権運動(1874年以降)、国会開設の詔勅(1881)を経て、大日本帝国憲法発布(1889)、大日本帝国憲法施行・第一回衆議院選挙(1890)に至って、日本にも混合政体と代議制デモクラシーを備えた立憲政体が確立された。 ・薩長藩閥は、憲法制定当初はなお超然内閣(議会の動向とは独立した内閣)を主張する者が多かったが、まもなく円滑な政治運営のために議会と協調し多数派を獲得する方針に転換し、のちには議会で多数を占める党派から首相を選出する英国型の政治運営方式(「憲政の常道」と呼ばれる)が導入されるに至った(1924-32まで)。 ・代議制に関しては、なお当初は財産による制限により国民の中に占める有権者の割合が低かったが、国力の上昇とともに有権者の範囲は徐々に拡大されていき、大正期に入ると第二次護憲運動の成果によりついに男子普通選挙権が実現する運びとなった(1925年以降)。 ・このように戦前の日本には、当時の欧米諸国と全く遜色のない議会制デモクラシーが営まれていたのである。 *■5.大衆デモクラシーの発展と脅威 ・上記のように欧米や日本では、近代の国民国家の政体は、①混合政体を、不文または成文憲法によって保障する立憲政体として徐々に確立されていった。 ・その中で、混合政体のうち特に権力を代表する部分である民主政体部分は、古代ギリシャにおけるような直接デモクラシーではなく、有資格者が投票により選任する代議制デモクラシー(間接デモクラシー)として発展してきた。 ・有権者の範囲は、当初はどの国家も一定の財産などを前提とした一般民衆の中の限られた部分に過ぎなかったが、近代化が進み一般国民の間に政治的権利を求める動きが高まるに従って、段階的に有権者の範囲が拡大され、やがて一定年齢以上の国民に一律に投票権を付与する制度(普通選挙制度)が普及していった。 ・こうして成立した民主政体部分が肥大化した政治体制を、俗に大衆デモクラシー(mass democracy)という。 ・大衆デモクラシーは、立憲政体を生み出した当時の思想家たちが危惧したように、デモクラシーのモボクラシー化(衆愚政体化)の危険を大いにもたらした。 ・君主政体・貴族政体・民主政体の混合した安定した政体として確立された近代の立憲政体が、その民主政体部分の肥大化によって、古代ギリシャ・ローマ時代からのセオリーどおりに、衆愚政体に接近していってしまう危険に晒されたのである。 **◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 |BGCOLOR(olive):COLOR(white):|BGCOLOR(olive):COLOR(white):真正デモクラシー|BGCOLOR(olive):COLOR(white):衆愚政治(モボクラシー)| |BGCOLOR(#CCCC99):権力の制限|多数者の同意を得た権力であっても“法”(一般ルール)に従う必要がある。&br()⇒制限された政府権力(自由と共存)|多数者の賛同を得た権力は無制限である&br()⇒全能の政府権力(自由を圧殺=全体主義化)| |BGCOLOR(#CCCC99):憲法との関係|成文憲法は、憲法自体の規定により改訂できる。しかしその場合でも、真の憲法(constitution:国憲、国体)に違反する内容を定めることは出来ない|憲法(成文憲法)は、その時々の多数派の意向により自由に改訂できる。なお民衆の意思が全てに優先するので、成文憲法を超える真の憲法(国憲、国体)といったものは認められない(人定法主義)| |BGCOLOR(#CCCC99):立法権との関係|立法府が定めた法律であっても、司法府によって違憲(“法”(一般ルール)違反)とされる場合がある(司法府による違憲立法審査権の行使)|立法府が定めたものが法である。多数派の同意を得た立法府は無制限に法を定めうる。| |BGCOLOR(#CCCC99):思想的背景|英米法の伝統、イギリス経験論の伝統|大陸法の伝統、大陸合理論の伝統| **◆無制限デモクラシーは全体主義に至る ・「政府が行うことは全て、多数者の同意を必要とする」というデモクラシーの原則は、「多数者の賛同があれば政府は無制限に権力を行使しうる」ということを決して意味しない。この両者は完全に別物である。 ・しかし、近代の歴史の教える所によれば、ことに20世紀の歴史では、有力な扇動者が「権力はもはや人民の手中にあるのだから、人民の権力を制限する必要はない」と訴えて、この主張が現実に実行に移された事例が幾つもある(人民主権論)。 ・こうして、デモクラシーはモボクラシー(衆愚政治)を経て、全体主義(totalitarianism)という新たな専制支配(autocracy)・独裁政治(tyranny)に変容する。 **◆なぜ我々は騙されるのか? ・我々が、扇動者の悪魔の囁きにだまされてしまうのは、一つには「デモクラシーが(その来歴から見て)単なる手段(制度)であって目的ではない事」を理解し損ねるからである。 ・例えば日本語においては、「民主主義」という訳語自体が一つの誤解の元、あるいはトリックとなっている。 democracy は -ism(主義・思想)ではなく -cracy(制度)である。 ・このページの一番上に示した辞書による説明を見ても明らかなとおり、democracy は a system of government(政治あるいは政府の一制度)に過ぎず、日本語に訳す場合は「民主政体」「民主政治」が正しい。「民主主義」という言葉は日本語として既に定着はしているが、明らかな誤訳である。  ※もし「民主主義」(国家の主権が人民にあり、人民が主体となって全体の幸福・利益を図ることを目的とする主義・思想)という訳語を使うならば、それは democratism という余り使われない単語に対して使うのが正しい。 ・デモクラシーという制度は、それ自体が何か目的を持っているわけではないが、それが平和的な権力交代を可能にするほぼ唯一の政治的方法であり、その効用が高いために近代以降に世界の国々に順次普及していった制度である。 ・上に述べたような全体主義者によって詐称されたデモクラシー(人民民主主義)ではなく、真正のデモクラシーを採用する国々は、国民の大部分が①意見の形成と、②形成された意見の実現に向けて自発的に参加する事が期待できるので、短期はそうでなくとも、中長期的に見ると、小数のエリートが大多数の無力の人民の指導をする体制の国々に比較して、明らかに良好な政治的・経済的また文化的な成果を達成することが可能となるのである。 ・但し、歴史に明らかなとおり、デモクラシー(民主政体)は、扇動に弱いという弱点を抱えている。特に外部からの強い意図(イデオロギー)を持った誘導工作に弱いことが実証されている。 ・これを克服するためには、国民一人一人の情報識別能力の向上が必須であるが、一般に何時の時代・どのような地域をとっても、それは困難なことである。 *■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある ・ここで真正デモクラシーのあり方を再度確認しよう。 ・真正デモクラシーでは、権力は“法”(=一般ルール)によって制約される。 ・この原則を“法の支配”という。 ・なお、ここでいう“法”とは立法府の定める「法律」ではなくて、「真の憲法、国憲、国体」である。 **◆真の憲法(国憲、国体)とは何か ・戦後教育を受けた我々にとって、憲法といえば成文憲法しか思い浮かばず、それが国家の唯一最高の法規だと誰もが信じこんでいるが、戦前においては、そのようなことは決してなかったのである。 ・例えば、戦前において、「国体」という言葉の解釈を巡って激論が交わされたが、この「国体」という概念は、明治憲法の制定に先立って存在すると見なされ、明治憲法は国体を部分的に明文化したものである、という建前が取られていた。 ・戦後においても、例えば、日本国憲法第九条は、明確に軍隊の保有を禁止しているが、最高裁判所の憲法判断は「自衛隊は合憲」である。 ・最高裁判所の判決理由では、憲法の文言の一部を拡張解釈して「自衛隊は合憲」の結論を導出しているが、憲法がもし今ある成文憲法だけだとすれば、どう憲法を読んでも「自衛隊は明らかに武力を保有しているため違憲」という判断にしかならないはずである。 ・それでも自衛隊が合憲となるのは、成文憲法である日本国憲法より上位に“真の憲法=国憲・国体”が存在し、それが日本国民の当然の権利として、武力の保持を認めている(つまり現行憲法は、真の憲法=国憲・国体に違反している)と解釈するのが真っ当なあり方である。 ・こうした真の憲法=国憲・国体が、たとえ有権者の多数の賛同を得ても、立法府や行政府には、無制限の権力を行使して国民の自由を圧殺する権限は認められない、という一般ルールを定めている、と解釈するのが、真正デモクラシーの原則である。 真正デモクラシーは、“法”(一般ルール)に拘束され、無制限の権力を決して認めない。 この“法”を憲法(国憲・国体)という。この場合の憲法は成文憲法とは限らない。 *■7.参考図書 |&REF(http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1244&file=HAYEK.jpg)|[[『法と立法と自由』(全3巻)F.A.ハイエク著(1971-79)>http://www.amazon.co.jp/dp/4393621786/ref=pd_sim_b_2]]&BR()第一部:ルールと秩序&BR()第二部:社会正義の幻想&BR()第三部:自由人の政治的秩序| ---- 【関連】 [[ハイエクと自由主義]] [[世界政府・地球市民の正体]] *■8.ご意見、情報提供 #comment
//&bold(){(仮題)立憲主義 constitutionalismの説明} #LEFT(){&italic(){&sizex(4){ヨーロッパでの成立の経緯に照らしてみればわかるように、立憲主義は、多様な価値観を抱く人々が、それでも協働して、社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために必要な、基本的枠組みを定める理念である。}}} #RIGHT(){&SIZE(15){&BOLD(){~ 長谷部恭男(東大法学部教授(憲法学))『憲法と平和を問いなおす』p.178}}} ---- ※このページは現在、まだ作成途中です。 //こうして、「すべての殻を取り去れば、自由主義とは立憲主義、すなわち、『人による統治ではなく、法による統治』である」ことは確かである。 ~ F. A. ハイエク『自由の条件Ⅱ 自由と法』(1960年刊) P.85 // //「デモクラシーが実際には、必ずしも、あるいは常に法治国家を維持しうるとは限らないことは、残念ながら、ドイツでの発展についてのラートブルフの記述から明らかである。 // //デモクラシーは、法の支配を維持しないかぎり、長くは続かないであろう、というほうが、おそらく真実に近いであろう。」 ~ F. A. ハイエク『自由の条件Ⅱ 自由と法』(1960年刊) P.161 // //「自由は、法の支配から成り立っている。各人は、法が彼に要求すること以上のことをする必要はないし、また、法が禁止していないものはすべてなすことができる、それが自由である。他のものを願望することはそれを破壊する願望である。」 ~ ルイ・フィリップ(7月王制期のフランス王) <目次> #contents ---- *■1.このページの目的 「平和主義」という言葉がまるで神通力を失ったことに気づいた左翼護憲論者は、近年は「立憲主義」という言葉を新たな旗印に掲げて断固改憲を阻止する構えである。 これに対して改憲論者の側からは、今のところ残念ながら余り効果的な反駁が提示されているようには見えない。 しかし実は、左翼護憲論者の掲げる「立憲主義」の理解は、英米圏で主流となっている正当な理解ではなく、フランス革命に由来するフランス・ドイツなど大陸系の左翼的理解であり、そのことは阪本昌成氏(リベラル右派の憲法学者)のみならず長谷部恭男氏(東大法学部教授(憲法学))のような一応は法学の世界的パラダイムを考慮に入れて発言する近年のリベラル左派の憲法学者からも指摘されていることである。 このページは、そうした「立憲主義」の左翼的理解の誤謬と、その正当な理解を提示することを目指す。 ---- *■2.「立憲主義」の辞書的定義・用語説明 **◆1.日本の辞書による定義 |BGCOLOR(#CCCC99):りっけん-しゅぎ&br()【立憲主義】&br() (constitutionalism)&br()<広辞苑>|>|>|>|>|憲法を制定し、それに従って統治する、という政治のあり方。&br()この場合の憲法とは、①人権の保障を宣言し、②権力分立を原理とする統治機構を定めた憲法、を指し、そうでない場合を外見的立憲主義という。| |BGCOLOR(#CCCC99):りっけんしゅぎ&br()【立憲主義】&br()constitutionlism&br()<日本語版ブリタニカ>|(1)|>|>|>|法の支配 rule of law に類似した意味をもち、①およそ権力保持者の恣意によってではなく、②法に従って権力が行使されるべきである、という政治原則をいう。| |~|(2)|>|>|>|狭義においては、とくに | |~|~|<1>|>|政治権力を複数の権力保持者に分有せしめ、|政治原則である| |~|~|<2>|>|その相互的抑制作用を通じて権力の濫用を防止し、|~| |~|~|<3>|>|もって、権力名宛人の利益を守り、政治体系の保全を図ろうとする、|~| |~|(3)|>|>|>|狭義における立憲主義は、既に古代ギリシア、ローマ、あるいは中世ヨーロッパの一定の都市国家などに見出されるが、近代市民革命を経て、近代立憲主義に変貌した。| |~|~|そこでは、|[1]|国民の一定の範囲における国政参加を前提に、|と考えられるようになった。| |~|~|~|[2]|権力分立構造を通じて国民個々人の権利・自由の保全を図ろうとする意図が明確にされ、|~| |~|~|~|[3]|それを具備する成文憲法を制定することが肝要である、|~| |~|>|>|>|>|立憲主義に立脚する民主制が①立憲民主制であり、君主制と結合している場合が②立憲君主制である。| **◆2.英米圏の辞書による定義 |BGCOLOR(#CCCC99):constitutionalism&br() <ODE>|[mass noun] constitutional government:| |~|・adherence to a constitutional system of government:| |BGCOLOR(#CCCC99):(翻訳)|立憲的政府| |~|・政府が国制システムを堅持していること| ※残念ながら、<Britannica Concise Encyclopedia> には constitutionalism の項目がないため、[[英文wikipedia(2013.8.17時点)>http://en.wikipedia.org/wiki/Constitutionalism]]で代用する。 &color(crimson){※注釈:}以下の文章にある、①記述的(descriptive)とは、物事のあるがままの状態を客観的に記述すること、また、②規範的(prescriptive)とは、物事の当否を主観的に判別すること、をそれぞれ言い表わす説明の方法であり、おおむね、①記述的(descriptive)部分が概念(concept ~とは何か)の説明、②規範的(prescriptive)部分が理念(conception ~はどうあるべきか)の説明に相当する。 |BGCOLOR(#CCCC99):constitutionalism &br()<英文wikipedia>|>|Constitutionalism, in its most general meaning, is "a complex of ideas, attitudes, and patterns of behavior elaborating the principle that the authority of government derives from and is limited by a body of fundamental law".&br()A political organization is constitutional to the extent that it "contain[s] institutionalized mechanisms of power control for the protection of the interests and liberties of the citizenry, including those that may be in the minority".&br()As described by political scientist and constitutional scholar David Fellman:| |~|△|Constitutionalism is descriptive of a complicated concept, deeply imbedded in historical experience, which subjects the officials who exercise governmental powers to the limitations of a higher law.&br()Constitutionalism proclaims the desirability of the rule of law as opposed to rule by the arbitrary judgment or mere fiat of public officials…. &br()Throughout the literature dealing with modern public law and the foundations of statecraft the central element of the concept of constitutionalism is that in political society government officials are not free to do anything they please in any manner they choose; they are bound to observe both the limitations on power and the procedures which are set out in the supreme, constitutional law of the community.&BR()It may therefore be said that the touchstone of constitutionalism is the concept of limited government under a higher law.| |~|>|&bold(){Usage}&br()Constitutionalism has prescriptive and descriptive uses. Law professor Gerhard Casper captured this aspect of the term in noting that: &br()"Constitutionalism has both descriptive and prescriptive connotations.&BR()Used descriptively, it refers chiefly to the historical struggle for constitutional recognition of the people's right to 'consent' and certain other rights, freedoms, and privileges….&BR()Used prescriptively … its meaning incorporates those features of government seen as the essential elements of the … Constitution."| |~|(1)|&bold(){Descriptive}&br()One example of constitutionalism's descriptive use is law professor Bernard Schwartz's 5 volume compilation of sources seeking to trace the origins of the U.S. Bill of Rights.&BR()Beginning with English antecedents going back to the Magna Carta (1215), Schwartz explores the presence and development of ideas of individual freedoms and privileges through colonial charters and legal understandings.&br()Then, in carrying the story forward, he identifies revolutionary declarations and constitutions, documents and judicial decisions of the Confederation period and the formation of the federal Constitution.&br()Finally, he turns to the debates over the federal Constitution's ratification that ultimately provided mounting pressure for a federal bill of rights. While hardly presenting a "straight-line," the account illustrates the historical struggle to recognize and enshrine constitutional rights and principles in a constitutional order.| |~|(2)|&bold(){Prescriptive}&br()In contrast to describing what constitutions are, a prescriptive approach addresses what a constitution should be.&br()As presented by Canadian philosopher Wil Waluchow, constitutionalism embodies "the idea … that government can and should be legally limited in its powers, and that its authority depends on its observing these limitations.&br()This idea brings with it a host of vexing questions of interest not only to legal scholars, but to anyone keen to explore the legal and philosophical foundations of the state."&br()One example of this prescriptive approach was the project of the National Municipal League to develop a model state constitution.| |~|(3)|&bold(){Authority of government}&br()Whether reflecting a descriptive or prescriptive focus, treatments of the concept of constitutionalism all deal with the legitimacy of government. &br()One recent assessment of American constitutionalism, for example, notes that the idea of constitutionalism serves to define what it is that "grants and guides the legitimate exercise of government authority."&br()Similarly, historian Gordon S. Wood described this American constitutionalism as "advanced thinking" on the nature of constitutions in which the constitution was conceived to be "a" set of fundamental rules by which even the supreme power of the state shall be governed.'"&br()Ultimately, American constitutionalism came to rest on the collective sovereignty of the people - the source that legitimized American governments.| |~|(4)|&bold(){Fundamental law empowering and limiting government}&br()One of the most salient features of constitutionalism is that it describes and prescribes both the source and the limits of government power.&br()William H. Hamilton has captured this dual aspect by noting that constitutionalism "is the name given to the trust which men repose in the power of words engrossed on parchment to keep a government in order."&br()(omission)| |BGCOLOR(#CCCC99):&bold(){(翻訳)}|>|| |~|>|立憲主義とは、その最も一般的な意味では、「統治の権威(ないし根拠)(the authority of government)は、特定の一まとまりの基本法(a body of fundamental law)から派生し、且つ、それによって限定される、という原則を、苦心しつつ何とか作り上げている、諸アイディア・諸態度そして諸行動パターンの複雑な集まり」のことである。&br()ある政治機構が、「一般市民の諸利益と諸自由を、(専ら)少数者のものであるかも知れないものをも含めて、保護するための制度化された権力制御メカニズムを備えている」場合、(その政治機構は)立憲的である(と云える)。&br()政治科学者であり憲法学者であるデイヴィッド・フェルマンの説明によれば、| |~|△|立憲主義は、政府権力を行使する公官吏(政府当局)は特定の高次の法による制限に服する、という、歴史的経験が深く埋め込まれている、錯綜した概念として記述される。&br()立憲主義は、官公吏による恣意的な判定や単なる勝手な命令による支配とは正反対のものとして、法の支配(the rule of law)を望ましいものであると明確に表明している。&br()近代的な公法や治世術の基礎を取り扱う諸文献を総て通して、立憲主義の概念の中心的要素は以下の如くである。すなわち、政治社会において政府当局者(government officials)は、その選択する要求を、どのような態様であれ、無制限に実行できる訳ではなく、その共同体における至上の実質憲法(=国制)(the supreme constitutional law of the community)によって予め定められている権力の諸制限および諸手続きの両方を遵守することを義務付けられている、ということ。&br()そのため、立憲主義の試金石は、特定の高次の法の下にある制限された統治(limited government under a higher law)という概念にある、と云われている。| |~|>|&bold(){使用法(慣用法)}&br()立憲主義(という用語)には、記述的用法と規範的用法とがある&color(crimson){(※注釈)}。法学教授ガーハード・キャスパーは、この言葉のこうした側面を以下のように捉えている。すなわち、&br()「立憲主義には記述的と規範的の両方の含意がある。&br()記述的に使用される場合、それは主に、人々の「同意」権や特定の他の諸権利・諸自由・諸特権に関する憲法的認定(constitutional recognition)についての歴史的葛藤のことを指している。&br()規範的に使用される場合・・・その意味には、××憲法典(the ・・・ Constitution)の本質的諸要素と考えられている、統治のそうした諸特徴(those features of government)が組み込まれている。」| |~|(1)|&bold(){記述的(用法)}&br()立憲主義(という用語)の記述的使用例の一つは、法学教授バーナード・シュワルツによるアメリカ合衆国憲法の権利章典(the U. S. Bill of Rights)の諸起源を追跡した5巻の資料編著作集である。&br()マグナ・カルタ(1215年)に遡る英国の先行事例を始まりとして、シュワルツは、個人的諸自由と諸特権のアイディアの発生と発達を、植民諸憲章および法的諸合意を通過点として探索している。&br()そして、そうした物語を推挙するに当たって、彼は、連合期(※注釈:アメリカ独立13邦間に結ばれた連合規約により、1781-89迄存在したアメリカ国家連合の期間。アメリカ合衆国憲法の発効により消滅)の諸革命宣言・諸憲法典・諸文書・司法的諸決定、さらに連邦憲法典(※注釈:1787年起草、88年6月批准、89年3月4日施行のアメリカ合衆国憲法)の成立過程を見定めている。&br()最後に、彼は連邦憲法典の批准に関する諸討論に注意を向けているが、そこでは最終的に連邦(憲法典)に対して権利章典(を追加すること)を要求する高いプレッシャーが懸っていた。&br()「一直線」の説明を提示することは非常に困難ではあるが、こうした説明は、国制秩序に関する憲法的諸権利・諸原理の認知と神聖化に対する歴史的苦闘に、生き生きとした描写を与えてくれる。| |~|(2)|&bold(){規範的(用法)}&br()constitution(憲法ないし国制) とは何か、という記述(的アプローチ)とは対照的に、規範的アプローチでは、constitution はどうあるべきか、が述べられる。&br()カナダ人哲学者ウィル・ワルチャウの提案によれば、立憲主義(という用語)は、「政府(government)は、その権力が法的に制限可能であると同時に(その権力は)制限を受けるべきであり、そして、その権威は政府がそうした諸制限を遵守することに懸っている・・・というアイディア」を表現したものである、という。&br()この(立憲主義という)アイディアは、法学者達のみならず、国家(state)の法的また哲学的基礎の探索に強い関心を持つ全ての者に対して、その関心に対する数知れぬ苛立たしい疑問をもたらしてしまう。&br()この規範的アプローチの一例は、あるモデル国家の憲法典を作成しようとしたナショナル自治体リーグ・プロジェクトであった。| |~|(3)|&bold(){統治の権威(ないし根拠)}&br()記述的あるいは規範的焦点をどう思案するのであれ、立憲主義の概念の取扱いは、すべて統治の正統性(the legitimacy of government)に関するものである。&br()例えば、アメリカ立憲主義に関する最近の評価の一つは、立憲主義のアイディアは「政府当局の正統な実力行使に承認を与え且つ指針を与える」ものの定義に役立っている、ということである。&br()同様に、歴史家ゴードン・S・ウッドは、こうしたアメリカ立憲主義を、constitutions(憲法ないし国制) の性質に関する「先進的な思想」であって、(そこでは)constitution は国家の最高権力でさえも舵取りされるべき根本的諸ルールの特定の一セットとして受胎されたものである、と説明している。&br()最終的に、アメリカ立憲主義は、人々の集合的至高性(the collective sovereignty of the people)-アメリカ政府諸機関に正統性を付与する源-に到達して終わる。| |~|(4)|&bold(){統治機関に授権し且つそれを制限する根本法}&br()立憲主義(という用語)の最も顕著な特徴の一つは、統治権力の源であり同時に制限であるものを、それが記述的に且つ規範的に説明することである。&br()ウィリアム・H・ハミルトンは、この二重の側面を、立憲主義とは「政府が正常に機能するために、人々が羊皮紙に書かれた正式な言葉の効力に信認を置くこと、に対して与えられた名称である」と表現することで把握している。&br()(以下省略)| //※以下、未翻訳の部分 //Constitutionalism vs. constitutional questions //立憲主義 vs. 国制(憲法)的問題 //The study of constitutions is not necessarily synonymous with the study of constitutionalism. //Although frequently conflated, there are crucial differences. //A discussion of this difference appears in legal historian Christian G. Fritz's American Sovereigns: The People and America's Constitutional Tradition Before the Civil War,[12] a study of the early history of American constitutionalism. //Fritz notes that an analyst could approach the study of historic events focusing on issues that entailed "constitutional questions" and that this differs from a focus that involves "questions of constitutionalism."[13] //Constitutional questions involve the analyst in examining how the constitution was interpreted and applied to distribute power and authority as the new nation struggled with problems of war and peace, taxation and representation. //However, // //[t]hese political and constitutional controversies also posed questions of constitutionalism - how to identify the collective sovereign, what powers the sovereign possessed, and how one recognized when that sovereign acted. //Unlike constitutional questions, questions of constitutionalism could not be answered by reference to given constitutional text or even judicial opinions. //Rather, they were open-ended questions drawing upon competing views Americans developed after Independence about the sovereignty of the people and the ongoing role of the people to monitor the constitutional order that rested on their sovereign authority.[13] // //A similar distinction was drawn by British constitutional scholar A.V. Dicey in assessing Britain's unwritten constitution. //Dicey noted a difference between the "conventions of the constitution" and the "law of the constitution." //The "essential distinction" between the two concepts was that the law of the constitution was made up of "rules enforced or recognised by the Courts," making up "a body of 'laws' in the proper sense of that term." //In contrast, the conventions of the constitution consisted "of customs, practices, maxims, or precepts which are not enforced or recognised by the Courts" yet they "make up a body not of laws, but of constitutional or political ethics."[14] // //立憲主義 vs. 国憲的諸問題 // //国憲の研究は必ずしも立憲主義の研究と同義ではない。 //しばしば一緒くたにされているけれども、それらは決定的に別物である。 //この違いに関する議論は法制史家クリスチャン・G・フィリッツによる早期のアメリカの国憲の歴史研究である「アメリカの主権:南北戦争以前のアメリカ国制の伝統と人々」によって明らかにされた。 //フリッツは、分析家は・・・と述べている。 //国憲的諸問題は、分析家たちが・・・ということを包含する。 //しかし、 // //これらの政治的また憲法的争論はまた立憲主義に関する諸問題-集合的主権を如何に特定するか、主権者はいかなる権力を保持するのか、そしてそうした主権者が行為していることを人々は如何に認知するのか-ももたらしている。 //国憲的諸問題と違って、 //むしろ、それらは結論のない問題 // //同様の指摘は英国の憲法学者A.V.ダイシーによって描出されている。 ---- *■3.「立憲主義」とは何か(要約) **◆1.各論者による定義 |BGCOLOR(olive):COLOR(white):CENTER:|BGCOLOR(olive):COLOR(white):CENTER:政治的スタンス|BGCOLOR(olive):COLOR(white):CENTER:論者|BGCOLOR(olive):COLOR(white):CENTER:内容| |(1)|BGCOLOR(aqua):保守主義|BGCOLOR(aqua):百地章|BGCOLOR(white):「立憲主義とは、国家の統治が憲法にもとづいて行われることである。」(『憲法の常識 常識の憲法』p.32)| |(2)|BGCOLOR(lightgreen):リベラル右派|BGCOLOR(lightgreen):阪本昌成|BGCOLOR(khaki):「&color(green){&bold(){統治を、流動的で恣意的な政治に委ねることなく、国制のもとに規律し安定化させる思考}}を「&color(navy){&bold(){立憲主義 constitutionalism}}」という」(『憲法1 国制クラシック』p.26)| |~|~|~|BGCOLOR(khaki):&color(green){&bold(){立憲主義のモデル}}を&color(navy){&bold(){アメリカ}}に求める人物は、《&color(navy){&bold(){立憲主義とは、法の支配と同義であり、それは民主主義の行き過ぎに歯止めをかける思想でもある}}》と考える傾向にある。&br()これに対して、&color(green){&bold(){立憲主義モデル}}を&color(crimson){&bold(){フランス}}に求める人は、「&color(crimson){&bold(){立憲民主主義}}」という言葉を多用する傾向がある。&br()後者は、「立憲」の中に権力分立と人権尊重の精神を含め、「民主主義」の中に、「国民主権」と議会政を含めているようである(民主主義の中に人権尊重を忍び込ませる論者もいる)。&br()が、それらの一貫した関連性をそこに見て取ることは困難であるように私にはみえる(自由主義と民主主義との異同については、後の [26] でふれる)。 &br()私は、《&color(green){&bold(){立憲主義とは、誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想だ}}》と考えている。 &br()本書が「立憲民主主義」という言葉を決して用いないのは、そのためである。(『憲法1 国制クラシック』p.31)| |(3)|BGCOLOR(orange):リベラル左派|BGCOLOR(orange):長谷部恭男|BGCOLOR(white):近代以降の立憲主義とそれ以前の立憲主義との間には大きな断絶がある。&color(green){&bold(){近代立憲主義}}は、&color(green){&bold(){価値観・世界観の多元性を前提とし、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的}}とする。それ以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提としていない。むしろ、人としての正しい生き方はただ一つ、教会の教えるそれに決まっているという前提をとっていた。正しい価値観・世界観が決まっている以上、公と私を区別する必要もなければ、信仰の自由や思想の自由を認める必要もない。(長谷部恭男『憲法とは何か』p.69)| |~|~|~|BGCOLOR(white):・・・近代ヨーロッパで立憲主義が成立する経験においては、宗教戦争や大航海を通じて、この世には比較不能な多様な価値観が存在すること、そして、そうした多様な価値観を抱く人々が、それにもかかえわらず公平に社会生活の便宜とコストを分かち合う社会の枠組みを構築しなければならないこと、これらが人々の共通の認識となっていったことが決定的な意味を持っている。立憲主義を理解する際には、…制度的な徴表のみにとらわれず、多様な価値観の公平な共存という、その背後にある目的に着目する必要がある。(長谷部恭男『憲法とは何か』p.71)| |~|~|~|BGCOLOR(white):ヨーロッパでの成立の経緯に照らしてみればわかるように、&color(green){&bold(){立憲主義}}は、&color(green){&bold(){多様な価値観を抱く人々が、それでも協働して、社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために必要な、基本的枠組みを定める理念}}である。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.178)| |~|~|~|BGCOLOR(white):そのためには、生活領域を公と私とに人為的に区別すること、社会全体の利益を考える公の領域には、自分が一番大切だと考える価値観は持ち込まないよう、自制することが求められる。・・・そうした自制がないかぎり、比較不能な価値観の対立は、「万人の万人に対する闘争」を引き起こす。・・・(中略)・・・。立憲主義はたしかに西欧起源の思想である。しかし、それは、多様な価値観の公正な共存を目指そうとするかぎり、地域や民族にかかわりなく、頼らざるをえない考え方である。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.178)| |~|~|~|BGCOLOR(white):&color(green){&bold(){立憲主義にもとづく憲法・・・は、人の生きるべき道や、善い生き方について教えてくれるわけではない}}。それは、個々人が自ら考え、選びとるべきものである。憲法が教えるのは、多様な生き方が世の中にあるとき、どうすれば、それらの間の平和な共存関係を保つことができるかである。&color(green){&bold(){憲法は宗教の代わりにはならない。「人権」や「個人の尊重」もそうである}}。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.179)| |~|~|~|BGCOLOR(white):立憲主義は現実を見るように要求する。世の中には、あなたと違う価値観を持ち、それをとても大切にして生きている人がたくさんいるのだという現実を見るように要求する。このため、立憲主義と両立しうる平和主義にも、おのずと限度がある。現実の世界でどれほど平和の実現に貢献することになるかにかかわりなく、ともかく軍備を放棄せよという考え方は、「善き生き方」を教える信仰ではありえても、立憲主義と両立しうる平和主義ではない。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.179)| |~|~|~|BGCOLOR(white):「&color(green){&bold(){立憲主義}}ということばには、&color(green){&bold(){広狭二通りの意味}}がある。本書で「立憲主義」ということばが使われるときに言及されているのは、このうち狭い意味の立憲主義である。&br()&color(green){&bold(){広義の立憲主義}}とは、政治権力あるいは国家権力を制限する思考あるいは仕組みを一般的に指す。「人の支配」ではなく「&color(green){&bold(){法の支配}}」という考え方は広義の立憲主義に含まれる。古代ギリシャや中世ヨーロッパにも立憲主義があったといわれる際に言及されているのも広義の立憲主義である。&br()他方、&color(green){&bold(){狭義}}では、立憲主義は、&color(green){&bold(){近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組み}}を指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・社会的領域と公的・政治的領域との区別を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつく。二つの領域の区分は、古代や中世のヨーロッパでは知られていなかったものである。」(『憲法とは何か』p.68)| |(4)|BGCOLOR(#FF3535):COLOR(white):左翼|BGCOLOR(#FF3535):COLOR(white):芦部信喜|BGCOLOR(khaki):※芦部は「近代立憲主義(あるいは現代立憲主義)は~という性質を持っている」とその属性を述べるものの、「立憲主義とは何か」という肝心の概念論・理念論に関しては慎重に口を閉ざしている。これは&color(crimson){&bold(){芦部の憲法論}}が&color(crimson){&bold(){英米圏で主流となっている「立憲主義」や「法の支配」の概念・理念理解とは実は無縁の古いドイツ系法学に依拠している}}ことに原因がある。⇒芦部の後継者である高橋和之も同様。| |(5)|BGCOLOR(yellow):中間|BGCOLOR(yellow):佐藤幸治|BGCOLOR(white):※佐藤も芦部と同様に、「近代立憲主義」と「現代立憲主義」を対比して言及するものの、立憲主義そのものの概念・理念の説明はない。つまり&color(crimson){&bold(){芦部や佐藤の世代ではベースがまだドイツ系法学であったために、英米系の「立憲主義」「法の支配」といった概念・理念を英米圏の用法の通りに消化できていない}}のである。| **◆2.法の支配、アメリカ型立憲主義、フランス型立憲主義 &ref(http://cdn35.atwikiimg.com/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9F%A5%E8%AD%98&file=%E5%9B%BD%E5%88%B6%E3%81%A8%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%85%B82.gif) ※上図の解説は、[[日本国憲法改正問題(上級編)]]参照。 |BGCOLOR(wheat):(1)|BGCOLOR(wheat):保守型 constitution(憲法ないし国制)|イギリスが代表的|BGCOLOR(khaki):成文憲法を持たないため「立憲主義」とはいわず「法の支配」というのが通例である|混合政体、ノモス概念と親和的|BGCOLOR(khaki):広義の「法の支配」⇒[[「法の支配(rule of law)」とは何か]]参照| |BGCOLOR(wheat):(2)|BGCOLOR(wheat):革命型 constitution(憲法ないし国制)|フランスが代表的|BGCOLOR(khaki):「立憲主義」のフランス型モデル(阪本昌成)|民主主義、平和主義、人権論、自然法論、価値一元主義と親和的|BGCOLOR(khaki):左翼護憲論者の強調する「立憲主義」理解はこちら| |BGCOLOR(wheat):(3)|BGCOLOR(wheat):創成型 constitution(憲法ないし国制)|アメリカが代表的|BGCOLOR(khaki):「立憲主義」のアメリカ型モデル(阪本昌成)|民主制、正戦論、権利・自由二元論、価値多元主義と親和的|BGCOLOR(khaki):英米圏(=世界標準)での「立憲主義」理解はこちら| ※民主制(デモクラシー)と「民主主義」の区別については、[[デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る]]参照 ---- *■4.「立憲主義」に関する様々な見解 **◆1.左翼の見解(芦部信喜、高橋和之、LEC) [[芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第一章 憲法と立憲主義 p.3以下>芦部信喜・憲法概念論]] [[高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第3版』(2011年刊)>高橋・2章(立憲主義の基本原理)]] [[LEC『C-Book 憲法Ⅰ(総論・人権)(第3版)』(2011年刊) p.3~>LEC・憲法概念論]] **◆2.リベラル左派の見解(長谷部恭男) [[長谷部恭男『憲法 第5版』>よくわかる左翼憲法論1(憲法とは何か)]] **◆3.中間派の見解(佐藤幸治) [[佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) 第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開>佐藤幸治・憲法概念論]] **◆4.リベラル右派の見解(阪本昌成) ・阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)   第一部 国家と憲法の基礎理論       [[第三章 憲法(典)の存在理由とその特性]]       [[第四章 立憲主義と法の支配]]       [[第五章 立憲主義の展開]] ・阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)   第一部 [[第6章 立憲主義]]    [[第7章 法の支配]]   第二部 [[第1章 日本国憲法における立憲主義]] **◆5.保守主義の見解(中川八洋) [[中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.129以下>中川八洋・国民主権論]] ---- *■5.その他の用語 |BGCOLOR(#CCCC99):ほうち-しゅぎ【法治主義】 <広辞苑>|①|人の本性を悪と考え、徳治主義を排斥して、法律の強制による人民統治の重要性を強調する立場。&br()韓非子がその代表者。ホッブズも同様。| |~|②|王の統治権の絶対性を否定し、法に準拠する政治を主張する近代国家の政治原理   → 法の支配| |BGCOLOR(#CCCC99):ほうちしゅぎ【法治主義】&br()rule of law(※注:原文ママ)&br() <日本語版ブリタニカ>|>|行政は議会において成立した法律によって行われなければならない、とする原則。| |~|<1>|行政に対する法律の支配を要求することにより、| |~|<2>|恣意的・差別的行政を排し、国民の権利と自由を保障することを目指したもので、立憲主義の基本原則の一つに挙げられている。&br()この原則に基く国家を、法治国家という。| |BGCOLOR(#CCCC99):ほうち-こっか【法治国家】&br()<広辞苑>|>|国民の意思によって制定された法に基づいて国家権力を行使することを建前とする国家。&br()①権力分立が行われ、②司法権の独立が認められ、③行政が法律に基いて行われる、とされる。&br()法治国 → 警察国家| |BGCOLOR(#CCCC99):ほうちこっか【法治国家】&br()Rechtsstaat&br()<日本語版ブリタニカ>|>|行政および司法が、あらかじめ議会の制定した法律によって行われるべきである、という法治主義の国家。&br()すなわち、全国家作用の法律適合性ということが、法治国家の本質とされたのであるが、| |~|<1>|その際、イギリス法の「法の支配」 rule of law と違い、| |~|<2>|行政および司法が、国民の代表機関たる議会によって制定された法律に適合していればよい、| |~|>|という形式的側面が重視された結果、法治国家論は、法律に基きさえすれば、国民の権利・自由を侵害してよい、という否定的な機能を果たし、法や国家の目的・内容を軽視する法律万能主義的な傾向を内包していた。| |~|(1)|第二次世界大戦後、西ドイツは、この点に反省を加え、&br()(a)立法・行政および裁判を直接に拘束する不可侵・不可譲の基本的人権を承認し、&br()(b)これを確保するために憲法裁判所を設置して、これに法令の憲法適合性を審査する権限を与えた。| |~|(2)|日本の場合も、憲法は、裁判所に、いわゆる法令審査権を与えている(81条)。| |~|>|このようにして、| |~|[1]|行政・司法が単に法律に適合している、という形式面のみならず、| |~|[2]|その法律の目的・内容そのものが、憲法に適合しなければならない、| |~|>|という原則が確立され、それによって、いわば法治主義の実質的貫徹が期されている。| ---- *■6.参考図書 |&ref(http://cdn35.atwikiimg.com/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E3%80%8C%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D%28rule%20of%20law%29%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B&file=%E9%98%AA%E6%9C%AC%E6%98%8C%E6%88%90%E3%80%8E%E6%96%B0%E3%83%BB%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%AB%8B%E6%86%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E7%9B%B4%E3%81%99%E3%80%8F.jpg)|[[『新・近代立憲主義を読み直す』>http://www.amazon.co.jp/dp/4792304482]](阪本昌成:著 (2008年刊))&br()&br()| |&ref(http://cdn35.atwikiimg.com/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E5%AD%A6%E8%80%85%E5%88%A5%E3%80%8A%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%90%86%E8%AB%96-%E6%AF%94%E8%BC%83%E8%A1%A8%E3%80%8B&file=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%92%8C%E4%B9%8B.jpg)|[[『立憲主義と日本国憲法 第3版』>http://www.amazon.co.jp/dp/4641131449]] (高橋和之:著 (2013年))| |~|[[高橋和之>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%92%8C%E4%B9%8B_(%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%AD%A6%E8%80%85)]]は、故・芦部信喜(東大憲法学の最大の権威)門下の現代左翼を代表する憲法学者。| ---- *■7.ご意見、情報提供 #comment #include_cache(政治理論・共通)

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