長沼ナイキミサイル訴訟の正体

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*■長沼ナイキミサイル訴訟について 本ページはとかく自衛隊の合憲性が問われた訴訟としてのみスポットが当たりがちな長沼ナイキ事件をマスコミが語らない別の視点から検証するものである。 *■ 事件の概要 北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するため、農林大臣が1969年、森林法に基づき国有保安林の指定を解除。 これに対し反対住民が、基地に公益性はなく「自衛隊は違憲、保安林解除は違法」と主張して、処分の取消しを求めて行政訴訟を起こした。 一審の札幌地裁は「平和的生存権」を認め、初の違憲判決で処分を取り消した。国の控訴で、二審の札幌高裁は「防衛施設庁による代替施設の完成によって補填される」 として一審判決を破棄、「統治行為論」を判示。住民側・原告は上告したが、最高裁は憲法に触れず、原告適格がないとして上告を棄却。 一部の政財界による青年法律家協会への圧力との絡みや、また申立て却下を札幌地裁所長が裁判長に示唆したり、 さらには当時の70年安保闘争下に全国で裁判長の激励集会が行なわれるなど、裁判の動向は注目を浴びた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B2%BC%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.A6.82.E8.A6.81 *■堂前正敏氏の証言(元長沼町助役) 南空知新報第(1341、1343、1345、1351、1357、1363、1370、1376、1382)号「長沼分屯基地創設時の思い出1~9」より抜粋 http://blogs.yahoo.co.jp/saisai2252000/3069328.html http://blogs.yahoo.co.jp/saisai2252000/3069616.html http://blogs.yahoo.co.jp/saisai2252000/3070055.html 長沼分屯基地創設時の思い出2(1343) 反対運動について(抜粋) また国内の政治情勢はベトナム戦争が真っ盛りであり、これに反対する学生運動は、べ平連を中心とした三派、革マル派、民生など 混沌とした中で非常に盛んであり、反自民党勢力として日本社会党を中心とした、いわいる革新勢力も依然として一定の力を持って おり、北海道でも全道労協と中心とした革新団体は、長沼ナイキ基地設置反対を声高に叫び、反対デモ行進を日曜に繰り返し、そのたび 警察の機動隊と衝突したのが実体であります。当時はまだ成田闘争は始まっておらず、全国的に見てもベトナム戦争反対と長沼ナイキ 基地反対闘争が結びついて、あたかも長沼町全体がナイキ基地設置反対ともとられかねない様に全国的に報道されましたが、実体は 極一部の町民が反対して保安林解除の取り消し訴訟へと進展したものであります。 長沼分屯基地創設時の思い出3(1345) 長沼ナイキ基地設置発表以来のスケジュール(抜粋) 昭和43年6月14日 町議会定例会で反対請願を賛成2、反対23で不採択▽17日町議会臨時会で条件付設置賛成決議を賛成23、反対2 で採択 8月12~16日保安林解除にに対して百三十二人が異議申し立て 9月15日反対デモ全道労協二百五十人、反日共系学生三百人 逮捕者三人 昭和44年5月7日再開聴聞会前日、全学連(反日共系)全道労協ほか八百人、集会およびデモ、革マル派五十人会場乱入、逮捕者三人▽ 8日再開聴聞会第一日 長沼公民館。反日共系学生四百五十人、全道共労、社会党、共産党千二百人デモおよび集会。反日共系学生 解放区で機動隊と市街戦、パトカー焼き討ち、逮捕者四十二名▽9日再開聴聞会第二日。反日共系学生三百十人、全道労協、社会党、共産党 ほか三百七十人集会▽10日再開聴聞会第三日反日共系学生百七十人、全道労協、社会党、共産党ほか三十一人集会 7月7日保安林解除告示  保安林解除処分執行停止申立 札幌地裁に百七十三人▽8日町議会臨時会 代替工事補正予算六億四千五百万可決。全道労協、社会党、共産党 ほか六百五十人、反日共系学生二百人集会およびデモ▽16日全道労協、社会党、総評弁護団六人町長会見 8月12日全道労協、社会党、共産党ほか集会およびデモ二千人 9月14日反日共系、べ平連、反戦、反対同盟集会およびデモ千五百人▽20日全道労協、社会党、ほか集会およびデモ二千人 昭和45年5月17日全道老農学生デモ、革マル三百人、全共闘三百人、反対同盟二十人、計六百二十人、逮捕者四人 7月5日学生約三十人、砂防ダム工事現場、幕舎に火炎瓶投げ込み、営農学共闘保安林伐採弾劾集会でも、革マル二百人、反戦、べ平連、 反対同盟、全共闘系四百人、逮捕者五人 昭和57年9月9日 最高裁第一法廷、上告棄却を決定  この間、長沼ナイキ基地設置反対闘争は全道労協、社会党、共産党など、あるいは革マルべ平連などが集会、デモ行進、現地調査、 町理事者への設置反対申し入れなど反対運動は長期化し、昭和四十八年九月の福島判決まで延べ百回をこえる活動を行った。 長沼分屯基地創設時の思い出8(1376) 聴耳会で議事進行を妨害 *■上坂 信一氏の証言(元北海道長沼町産業課技術長) http://www.mod.go.jp/j/info/choushi/choushi_pdf/01_05_05.pdf *■現在のこの事件に対するTV報道 TBS 070720長沼ナイキ訴訟と今現在の長沼分トン基地と反対運動に参加した人間の今 #center{&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=yq_YgqSciGU){425,350}} TBS 071213航空自衛隊長沼分トン基地レーダードーム解体 #center{&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=A8ba-h8cgcg){425,350}} http://www.veoh.com/videos/v17187026KSmBbgFm 日テレ 090914(NNNドキュメント)長沼ナイキ訴訟で違憲判決を出した当時地裁の裁判官福島重雄 #center{&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=l8H_fBiHjp8){425,350}} #center{&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=KetdR0aaaVk){425,350}} *■まとめ 堂前正敏氏の証言によると基地設置に反対した地元住民は極一部、反対者は「全道労協」「反日共系学生」「全学連」「革マル派」「社会党」 「共産党」「べ平連」などの町外の政治的組織の構成員で長沼町全体がナイキ基地設置反対ともとられかねない様に全国的に報道されたのは嘘。 又解放区で機動隊と市街戦、パトカー焼き討ちなどを行っており彼らが地元住民のために行動を起こしたのかは疑問。そしてマスコミは今現在も長沼町全体が ナイキ基地設置反対を行ったかのように報道。
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