第4章 象徴天皇制

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[[阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)]]     &color(crimson){第Ⅱ部 日本国憲法の基礎理論   第4章 象徴天皇制    本文 p.126以下}

<目次>
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*■1.君主・元首・天皇

**[83] (1) 象徴天皇制

“象徴天皇制は、国民の意識のなかにしっかりと根づいた”といわれることがある。
国民の意識のレヴェルではそうかも知れない。
ところが、象徴天皇制の法的意味合いを正確に理解することは、想像以上の難題である。

なにしろ、君主は、国民や議会、さらには実定憲法よりも古い歴史をもっている。
君主権限を支えるための理論は、それだけ古く、伝統と重厚さをもっている。
ある論者によれば、君主主権に関する伝統的理論は、近代立憲主義を支える諸理論よりも精緻であるという。
それもそのはず、なにしろ君主は国家自体であったり、国民の一体性を公然と represent する特殊な存在だ、と長く考えられてきたのだから(⇒[63])。
それを支えるための理論にも長い積み重ねがあるわけだ。
君主の地位やその正当性等を理解しようとする者は、おのずから、国家の理論、憲法の理論、歴史等々へと足を踏み込むことになるだろう。
ある憲法学者が「君主を理解できれば、国家と憲法のすべての謎が解明できる」と誇張気味に語ったのも、理由がないわけではなさそうだ。

日本国憲法の象徴天皇制も、君主の歴史を背景として成立している。
確かに、象徴天皇制は君主制との違いをもたせようとした制度である。
が、ふたつの制度の特徴は、チェック模様の如く、一方が他方を浮き立たせている。
だからこそ、象徴天皇制を考えるとき、我々は君主制のことを考えなければならないのだ(立憲君主制の特徴については、[56]をみよ)。

君主制を見届けた後に我々は日本国憲法特有の「象徴天皇制」を検討することになるが、「象徴」とは、権限ではなく、役割を表すタームだけに、法的把握に馴染み難い。
おまけに、「天皇」というタームは、制度をいうとき、職(機関の地位)をいうとき、○○という名をもつ自然人をいうとき等々、様々であり、要注意語である。
心してかからねばならぬ。

**[84] (2) 君主の意義

古くは、君主とは、統治権を意味する主権を一人で保持する自然人を指した。
ひとりで国家の機関となる存在を「独任制機関」という。
独任制機関として統治権を保有するときの君主は、「古典的君主」と呼ばれる。
その後、立憲主義の展開とともに君主の統治権が制限されてくると、議会の地位との対照のなかで、新しい君主概念が登場する。
それによれば、君主とは、
 (ア) 独任制機関であること、
 (イ) その地位取得原因が多くの場合世襲であって、またその地位が終身認められること、
 (ウ) 無答責であること、
 (エ) 国家や国民の象徴としての地位または役割をもつこと、
 (オ) 国を代表する対外交渉権能をもつこと、
 (カ) 統治権の重要部分を行使すること、
の全部または何れかの特性をもつ自然人を指した。
このうち、君主であるための標識として、(ア) (オ) (カ) が通常挙げられる。

この観点からすれば、現行憲法における天皇は、4条にいうように「国政に関する権能を有しない」以上、これらの特性に欠け、君主ではないことになる。
これに対して、天皇が世襲の地位を占め、国民による尊崇の対象とされていることを根拠として、天皇は君主だ、と解するのが内閣の立場である(昭和46.6.28の政府公式見解)。

**[84続き] (3) 元首の意義

元首(※注釈:chief of state[a sovereign])という言葉は、国家有機体説のもとで擬人的な比喩として用いられてきた(⇒[4])。
そのため、厳格な法的意味をもたず、さまざま散漫に用いられる。
ととえば、
 ①古典的君主を指すとき、
 ②執政府の首長を指すとき
 ③明治憲法4条のような統治権の総攬者を指すとき、
 ④対外的に国家を代表する機関を指すとき、
の如くである。

現行憲法典上の天皇は、④の意味において元首であると解することも不可能ではない。
ところが、日本国憲法が外交処理権限を内閣に付与していることを考えれば(73条3号)、天皇は、法上、国家・国民を対外的に代表する機関ではなく、従って、元首ではない。
もっとも、プラクティスとして、諸外国は天皇を対外的な代表機関として扱ってきており、天皇は元首であると意識されているようである。
が、それは、7条において、大使・行使の信任状の認証、その接受などが天皇の国事行為とされていることからの帰結に過ぎない。
その国事行為は、国家の代表機関としての活動ではなく、あくまで形式的・儀礼的な象徴としての行為である。

**[85] (4) 象徴天皇制の狙い

先の [78] でふれたように、日本国憲法は、明治憲法のもとでの国体を根本的に変革した。
その選択肢のなかには、天皇制自体の廃止もあり得た。
が、総司令部は、占領政策を円滑に進めるために、換骨奪胎した形での天皇制を残す方針を選択した。
それが、象徴天皇制だった(⇒[75])。

象徴天皇制は、ふたつの狙いを以って選択された。
第一は、神権天皇制を否定することである。
それは、憲法制定前には、天皇の神格性の否定(「天皇の人間宣言」昭和21年1月1日)、制定後には、教育勅語の排除(昭和23年6月19日)等の一連の措置とともに実現された。
第二は、古典的君主概念を否定することである。
そのために、日本国憲法は、先にふれたように、天皇の「国政に関する権限」を一切否定したのだった。

**[86] (5) 象徴的代表

象徴とは、先に代表の箇所 [63] でふれたように、“国家・国民の一体性を再現できる存在だ”ということを指す(イタリア憲法には、「大統領が国民的統一を代表する」との規定がみられるが、我が国の象徴天皇制は、それと同趣旨である)。
天皇は象徴的代表だ、というわけだ。
では、何を通して天皇は国家・国民の統一性を代表する、というのだろうか。
解答としてあり得るのは、
 ①その一身を通して、
 ②職を通して、
 ③天皇制という「制度」を通して、
であろう。
正解は、③だ。
制度というルール体系を背景にして、その一身や職の意義も始めて浮かび上がるからである。

ところがそう理解したとき私たちは、さらに難題に遭遇する。
上にいう「制度」とは「制度保障」にいうそれ、つまり、反復継続されるプラクティスのうちに立ち現れるルール体系のことである(⇒『憲法2 基本権クラシック』 [20a])。
このルール体系は、現行憲法制定までは、祭政一致を最大の特徴としてきた。
政教分離を明示している現行憲法が祭政一致という制度を公式に受容しているはずはない。
となると、象徴天皇制という「制度」とは、宗教と切り離された世襲のルールを指すことになろう。
いずれにせよ、象徴天皇制は、旧憲法と現行憲法との切断のなかで、据わりの悪い制度である。

もっとも、象徴的代表とは、ある人物または機関の果たす役割を指すにとどまることに留意されなければならない。
それは、公式権限を意味する言葉ではないのである。
通説風にいえば、“国民主権のもとでは、主権という権限を有するものは有権者団という機関であるのに対して、天皇という機関は象徴という機能をもつにとどまっている。だから、両者は矛盾しない”といえるのだ。

このように、「象徴」は、憲法上の権限配分と無関係であって、法的意義を持たない。
1条の「象徴」規定を根拠として、たとえば国会開会式における「おことば」を述べる行為を、国事行為でもない私的行為でもない「象徴としての行為」として説明することは出来ない、と私は理解する(この点については、すぐ後に再びふれる)。
1条は、自然人としての天皇の公式権限、その為し得る行為の範囲を決定してはいないのだ。
それらは、2条以下の個別的な規定によって決定されるのである。

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*■2.天皇の国事行為

**[86] (1) 天皇の国事行為と内閣の助言と承認

憲法3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と定める。
明治憲法下における輔弼制は、立憲君主制のもとでの大臣助言制に倣ったものだったことについては、既に [62] でふれた。
では、現行の内閣の助言と承認の趣旨は何であるのか?
これについては、大別してふたつの見解がある。

ひとつは、助言と承認が天皇の実体的権能を控除して、天皇の地位を名目化する点にあると解する立場である。
この説によれば、“助言と承認は内閣が憲法上有する実体的決定権を行使する(した)旨を天皇に告知するルートだ”ということになる。
憲法上の実体的権能が内閣以外の他の国家機関にあるときには、助言と承認を通して控除すべき対象もないのであるから、この場合、助言と承認は不要だ、とされる。

この立場は、〔天皇の権限-内閣の実体的決定権=国事行為〕という等式か、あるいは、〔執政府の二元的実体権能-内閣の実体的権能=国事行為〕という等式のいずれかを考えているのだろう。
どちらにしても、この見解は、助言と承認とは君主に代わって実体的権能を行使する大臣助言制に類似の制度だ、とみていることになる(ここで「類似の制度」といわれるのは、内閣の助言と承認は、個別の大臣が君主の補佐機関として為す助言とは違っているからだ。[62]をみよ)。
ところが、天皇が国政に関する権能を一切持たないとする4条1項に着目すれば、名目化されるべき実体権能自体はもとより調整権限すれ、当初より、存在しないはずである。

そればかりか、現行の内閣の助言と承認の制度は、次の点で大臣助言制でもなくれば、それ類似の制度でもない(助言制が君主の無答責を引き出すための工夫だった点については [56] をみよ)。
 第一は、その主体が合議体としての内閣であることである。
 第二は、その助言と承認について責任を負う相手方が国会だということである。
 第三は、天皇に対して絶対的拘束力をもつ点である。
 第四は、すべての「国事行為」について必要とされている点である。
以上の相違点に留意したとき、“助言と承認は我が国独自の象徴天皇制に特有の制度ではないか”との着想に至るだろう。
そして、4条1項と照らし合わせれば、こう考えることになるだろう。

内閣による助言と承認の制度は、象徴制を防御せんとするところにその意義を有する。
すなわち、内閣は、天皇が国政に関する権能を行使しないよう、また、統治へ影響を与えず、さらには、統治から影響を与えられないう注意しながら、助言と承認の制度を通して象徴制を防御するのだ、と。

この理解に立った場合、内閣による助言と承認は、次のような意義をもつ。
 第一に、国事行為のなかには、認証や儀式のように本来的に儀礼的な行為があるが(7条8、10号)、この場合の内閣の助言と承認は、儀礼的な行為が適式に行われるよう配慮すべき義務を指す。
 第二に、内閣総理大臣や最高裁判所長官の任命のように、実体的決定権の配分が憲法典上明記されているものがあるが(6条1、2項)、これに関する内閣の助言と承認は、他の機関によって正式に決定されたことを内閣が天皇に確認する意味をもつ。

**[87] (2) 助言と承認と衆議院の解散

国事行為のなかには、国会の召集(7条2号)、衆議院の解散(7条3号)のように、実体的権限の所在が明確でない場合がある。
この場合、実体的権限をどこに読み取るか?
この解釈に、助言と承認の法的正確の理解の違いが反映される。

上にみた学説のうち、助言と承認に内閣の実体的権能が含まれていると理解する立場は、国会の召集権、衆議院の解散権を内閣権限である、とみる。
召集、解散は、内閣がその実体的決定権を持つからこそ、天皇による国会召集・衆議院解散行為は、内閣の決定を外部に表示する形式的行為になる、というわけである。
これは、召集・解散に関する「7条説」といわれる立場に繋がっていく。

これに対して、助言と承認それ自体には実体的権能は含まれていない、と解する立場によれば、召集・解散に関する実体権能は、7条ではなく、憲法上の他の条規または憲法の統治構造に求めることになる。
その際の鍵はモンテスキューの権力分立論にある。
まず、召集から考えてみよう。
モンテスキューはこう主張した。

 《議会は自ら集まって活動してはならない。何となれば、議会は国家作用の第一段階である立法権をもつ強力な機関であるから、これ以上強力な機関とならないとめには、他の機関によって活動能力を与えられることを要す》。

これが、君主の召集権の論拠だった。
いわゆる「他律的招集(召集)(*注1)」である。
この解散権限が大臣の副署権によって統制され、さらには、調整権となっていく(⇒[60])。

次に、解散権と助言と承認の関係を考えてみよう。
解散とは、議員の任期満了前に、議員全体についてその資格を喪失させる行為をいい、日本国憲法においてその宣示行為は、先にふれたように、天皇の国事行為とされている。
助言と承認に実体権能を読み込む立場は、解散権は内閣の7条権限だ、という(7条説)。
これに対して、助言と承認に実体権能は含まれないと解する立場は、日本国憲法の権力分立構造、または議院内閣制に手掛かりを求める。
これは、7条説と対照されるとき、「非7条説」と呼ばれることがある。

この対立のうち、助言と承認のなかに実体権能を読み込む7条説は適切でなかろう。
その理由は、議院内閣制の箇所でふれた、君主または大統領の解散権と内閣または大臣の副署権の関係を思い出せば、すぐに分かるだろう。
それは、《解散は、内閣(または大臣)がその副署権を通して君主(または大統領)の持っている中性権(調整権)としての解散権に訴えることによって為される》ということだった(⇒[60])。
大臣助言制においても、助言(副署)のなかに解散についての実体権限は詰まってはいないのだ。

それでも、7条説は、次のように、議院内閣制について非7条説とはひと味違った理解の仕方をしている。
 ①議院内閣制の要請は、内閣の存在が議会の信任に依拠する点にある([61]をみよ)。
 ②議会 対 内閣というふたつの機関の対立図式は、国民主権の確立したときに「国民へ責任を負う内閣」に変容している(これについても [61] をみよ)。
 ③内閣は、69条の場合に限らず、民意を問うために7条に基づき解散権を行使できる(国民を基点とする統治方針一致原則の実現)。
上の考え方を一言でいうとすれば、“解散権のもつ民主的な意義を重視せよ”ということだろう。
ところが、これでは「民主主義」の名のもとで、内閣に自作自演を許容する理論となって、それこそ民主的でない。

(*注1)召集か招集か
君主が議会を召し集めるときに「召集」というタームが用いられ、その他の場合には「招集」と記すのが普通である。

**[88] (3) 国事行為の意義

さて、内閣の助言と承認を要する「国事行為」とは何か。
憲法4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定め、さらに、6条、7条に国事行為の種類を列挙している。
これらの関連条文から、「国政に関する行為 acts related to government/国事に関する行為 acts in matters of state」との線引きがくっきりと浮かび上がるのであれば、学説の対立など生じないだろう。
「国政」とは「統治」のことである。
ということは4条は“天皇はもはや統治権の主体ではない”と確認しているものと解される。
それでも「国事」の意味は分からない。
残念ながら、「国事/国政」の区別は、憲法学に馴染み深いものではなかった。
そのため、“すべて国事行為は、本来的に、形式的・儀礼的なものだ”と明言することが出来ないのだ(学説のなかには、国事行為が本来的に形式的である、と主張するものもないわけではない)。
だからこそ、7条の1号~10号までのうち、8号の認証行為や10号の儀式のように、本来形式的・儀礼的なものは別にして、学説の対立が生じてくるのだ。

上でふれたように、ある学説は、〔天皇の権限-内閣の実体的決定権=国事行為〕という等式によって、“結果として、国事行為は形式化される”といい、別の学説は、その等式に天皇権限を組み込むこと自体に反対してきた(⇒[86])。

**[88続き] (4) 天皇の行為の類型

「天皇」という言葉は、本章の冒頭 [83] で指摘したように、制度を指すとき、職(国家機関としての地位)を指すとき、その地位を占める自然人を指すとき、そして○○という名前をもって生活をしている人物を指すときがある。
日本国憲法が、「天皇の国事に関するすべての行為」(3条)、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」(4条)、「天皇は、・・・・・・左の国事に関する行為を行ふ」(7条)という場合の「天皇」とは、天皇という職(国家機関としての地位)をいう。
その職にあるため「天皇」と呼ばれている私人(○○という名前をもって生活している人物)が為す行為(私人としての行為)は、右法条の関知するところではない。

天皇職は、国政に関する行為に出ることを憲法上禁止され、国事に関する行為だけに限定されている。
これは、もし天皇職が統治に関与すれば国家・国民の一体性を象徴する役割に亀裂が入るということに配慮したためだろう(⇒[86])。
なぜなら、象徴としての役割は、国家・国民の一体性を儀式と形式のなかでパノラマのように公然と亀裂を入れることなく表出する(represent)ことにあるからだ。

上のような思考の筋道は、《天皇という職にある人物が国事行為を為すとき、象徴としての役割を果たしている》ということになる。
つまり、〔国家機関としての行為=国事行為=象徴としての行為〕という配列が考えられているのだ。
この理解は、“日本国憲法第1章における天皇の行為類型としては、国事行為と、私人としての行為のみがある”というのである。
この立場は、「国事行為限定説」と呼ばれることがある(*注2)。
この説は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」と定める4条に忠実である。
この説によれば、天皇の外国への親善訪問、元首との慶弔伝、国会開会での「おことば」は、象徴としての行為として正当化されることはない。
これらの行為は、国事行為として列挙されていない以上、天皇は為し得ないのである。

この国事行為限定説に対して、天皇の活動範囲を広く捉える学説もみられる。
これは「国事行為非限定説」と呼ばれることがある。
この非限定説も幾つかの立場に分かれている。
天皇が外国元首の慶弔の儀式に参加することを例にとって、幾つかの立場を紹介すると、次のようになる。

第一は、この儀式への参加は、「儀式を行ふこと(主宰すること)」に該当しないとはいえ、“天皇は日本国の象徴として公式にこれを為し得る”という立場である。
この立場は、「国家機関としての行為/象徴としての行為/私人としての行為」という3つの行為類型を考えていることになる。
これは「象徴行為説」と呼ばれることもある。

第二は、儀式への参加は、“公人として天皇の為し得る行為だ”という立場である。
この説によれば、天皇という職(国家機関上の地位)にある自然人は、地位と関連する公人としての地位を占めており、機関行為かそれとも私的行為かという二者択一で説明すべきでない、というのである。
これは「公人行為説」と呼ばれることがあり、「国家機関としての行為/公人としての行為/私人としての行為」の三類型を考えている。

第三は、儀式への参加は、“国事行為に準ずると認められる公的行為として天皇はこれを為し得る”とする立場である。
つまり、外国元首を訪問することは「外国の大公使の接受」が国事行為とされていることとの均衡上、公的行為として認められる、というのである(※注釈:「準国事行為説」)。

これらの非限定説は、いずれも、機関としての行為以外の範疇を置いて、それを、内閣の助言と承認のもとに置こうとする点では共通している。
この第三の範疇を承認した場合には、内閣の助言と承認のもとで、「皇室関係の国務事務」(宮内庁法1条)として宮内庁の所掌となる。
また、その行為に金銭の支出が伴えば、宮廷費(公金)として支弁され、「宮内庁でこれを経理する」(皇室経済法5条)こととなる。

非限定説は、機関行為以外の天皇の行為を内閣の責任(助言と承認)のもとに置くとはいえ、別個の範疇設定によって、限定的であるはずの国事行為の制約を解除することになり、適切であるとは思えない。
但し、この点の広狭いずれが憲法の本意であるかを論ずることは水掛け論となるだろう。

非限定説が適切でないという理由は、次の点にあると私は考えている。
「象徴」は、天皇制という舞台で繰り広げられる天皇の行為を通して、我々が透かして見て取る何物か、である。
象徴とは、天皇が如何なる行為に従事できるかを決定する概念ではないのだ。
次に、公人というタームは何であるのか、英語に置き換えてみれば、その意味が明らかになる。
“public figure”、言い換えれば、celebrity、要するに有名人のことだ。
私はこれを「公衆に知られた存在」と訳すことにしている。
「公人」なる言葉で、天皇の行為を語ることは、私にとっては噴飯ものである。

天皇の行為は、最も簡明な国事行為限定説によって説明されるべきである。
“列挙するは限定するにあり”。

(*注2)天皇の国事行為に関する私見について
日本国憲法第1章は、私人としての天皇の行為については、8条の財産の接受以外何も語っていない、と理解するほうが素直だと私は考えている。
私人としての天皇の行為は、日本国憲法第3章問題だ、というのが私の理解である。
『憲法2 基本権クラシック』 [22] を参照願う。

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