著者ハイエクは、オーストリアからイギリスに移り住んだ有名な経済学者です。彼は、昔オーストリアに居たときと同じ思想傾向が、イギリスの地で数十年遅れて影響力を増していることに気づきました。そこで第二次大戦の終わりに近い年(1944年)に、この書により人々に警告を発したのです。 今、英国において社会主義者が行なおうとしている政策は、かってドイツとイタリアにおいて行なわれて、ナチスとイタリアの全体主義を生み出した政策とうりふたつです。ドイツとイタリアで全体主義が起こったのは、それ以前の社会主義的な政策への反動として起きたのではありません、その社会主義的政策の当然の結果として起きたのです。 それは、人々を中世の農奴の地位に引き戻してしまう政策です。まさに『農奴への道』なのです。その道を舗装してはいけません。 (中略) 『第1次5ヶ年計画』というような、国家によって行なわれる計画は、人々の自由を制限せずに遂行することはできません。だから民主主義を本来の姿のままにしておいては計画は成り立ちません。だから、そのような計画は自由と民主主義を抑圧せずに達成することは出来ません。 経済の力が中央に集権化されるとき、そこに奴隷制度とほとんど等しい状態が出現してしまうのです。 (中略) 19世紀において自由主義は大きく成功しました。人々は、その成功が永続的なものであると錯覚し、それ以上の成功を求めるために、力を結集してより大きな成功を求めようとしました。 それは、『社会主義』の形態でドイツにおいて先頭を切って行なわれました。ナチズムが起こるはるか前から、ドイツの社会主義者たちは、『ゆりかごから墓場まで』という政策をかかげていました。また、政党組織の中に青年たちを教育する場を設け、党のクラブを作ってスポーツやレクリェーションを組織化し、仲間同志の独特な挨拶をし、細胞と秘密組織という監視体制を作っていました。ナチスは、ただそれを引き継ぐだけでよかったのです。 近くで見た者は、そのことをよく知っています。しかし、遠く離れた民主主義国においては、いまだに多くの人々が社会主義と自由は結合できると信じているのです。 かってドイツにおいて国家社会主義を作り出したものは、著述家たちの「保守的な社会主義」というスローガンでした。いま、そのスローガンがイギリスの地を支配しています。 社会主義は、早い段階から多くの思索家によって自由に対する最も重大な脅威と考えられていました。社会主義はフランス革命における自由主義に対する反動として始まったのです。それにも関わらず社会主義寄りの人々は、いまだに社会主義と個人の自由とが結合できると信じています。 (中略) それは社会主義者たちが『新しい自由』という言葉によって自由を再定義したことによっています。そこでは、富者と貧者との差を埋める社会を目指すことが『自由』であるとされていました。 しかし、本来の自由と、新しい自由との間に違いがあるかどうかに注意を払った人は少なく、この二つが結びつくかどうかを問題とした人は、ほとんどわずかでした。このようにして、社会主義へ向かう道が『自由への道』とされていました。 しかし、ドイツ・イタリア・ロシアが、たどった道筋は、過去の思索家の『社会主義は自由の重大な脅威である』とする見方が正しかったことを証明しています。自由への道として約束されていた道は、実は『奴隷へのハイウェイ』だったのです。 なぜなら社会主義者が考えるような社会は、中央に権力を集中せずに実現することは出来ないからです。たとえ、その権力が民主的な手続きによって集中されようとも、その権力を握った人は独裁的な権力を握ってしまうのです。彼は独裁者以外の何者でもありません。 個人の自由は、社会全体が永久に従属させられることとなるような、一つの目的を目指す覇権とは調和できないのです。はっきりとした終点を持つ政策に向かって権力を集中するなら、それも分かるのですが、『平等』という目的は、個人の自由を永久に社会に従属させることとなってしまうのです。 この2・3世代の人々によってかかげられた『民主的な社会主義』という『万人の理想郷』は、言うまでもなく、成就できません。 |
『ニュースピークの諸原理』 ニュースピークはオセアニアの公用語であり、元来、イングソック(Ingsoc)、つまりイギリスの社会主義(English Socialism)の奉じるイデオロギー上の要請に応えるために考案されたものであった。1984年の段階では、話し言葉にせよ書き言葉にせよ、コミュニケーションの手段としてニュースピークだけを使う者は、まだ一人としていなかった。 ・・・(中略)・・・ ニュースピークは2050年頃までにはオールドスピーク(即ち我々の言う標準英語)に最終的に取って代わっているだろうと考えられた。 ・・・(中略)・・・ ニュースピークの目的はイングソックの信奉者に特有の世界観や心的慣習を表現するための媒体を提供するばかりではなく、イングソック以外の思考様式を不可能にすることでもあった。ひとたびニュースピークが採用され、オールドスピークが忘れ去られてしまえばmそのときこそ、異端の思考-イングソックの諸原理から外れる思考のことである-を、少なくとも思考が言葉に依存している限り、文字通り思考不能にできるはずだ、という思惑が働いていたのである。 ・・・(中略)・・・ 「自由な/免れた」を意味するfreeという語はニュースピークにもまだ存在していた。しかしそれは「この犬はシラミから自由である/シラミから免れている」とか「その畑は雑草から自由である/雑草を免れている」といった言い方においてのみ使うことができるのである。「政治的に自由な」あるいは「知的に自由な」という古い意味で使うことはできなかった。なぜなら、政治的及び知的自由は、概念としてすらもはや存在せず、それゆえ必然的に名称が無くなったのだ。 ・・・(中略)・・・ ニュースピークは思考の範囲を拡大するのではなく縮小するために考案されたのであり、語の選択範囲を最小限まで切り詰めることは、この目的の達成を間接的に促進するものだった。 ・・・(中略)・・・ イングソックに有害な思想は言葉を伴わない曖昧な形で心に抱くしかなくて、また、それを名指そうとすれば、様々な邪説全部を一括りにし、それらを明確に定義づけないまま断罪だけする実に雑駁な用語を使うより他ないのだった。 ・・・(中略)・・・ 1984年段階では、オールドスピークがまだコミュニケーションの通常の媒体だったため、人がニュースピークを使うときにその元々の意味を思い出すかも知れないという危険が理論上存在した。 ・・・(中略)・・・ しかし二、三世代も経てば、そのようなふとした過失を犯す可能性すら消失してしまうはずであった。 ・・・(中略)・・・ ひとたびニュースピークがオールドスピークに取って代わられると、過去との最後の絆も断たれることになったはずである。歴史は既に書き直されたが、検閲の目をくぐって過去の文献の断片がここかしこに生き残っており、オールドスピークの知識を保持している限り、それらを読むことは可能だった。しかし将来においては、こうした断片がたとえたまたま生き残ったとしても、判読不能で翻訳不能なものになっているだろう。 ・・・(中略)・・・ これが現実に意味するところは、およそ1960年(※注:『1984年』の革命の年)より前に書かれた書物は全体を翻訳することが出来ないということである。 |
このような社会主義の主張がもっともらしく聞えるようにするために、「自由」という言葉の意味を社会主義者たちが極めて巧みに変更させてしまった事実は、重要極まりない問題であって、我々はこの点を精査しなければならない。 かって政治的自由を主張した偉大な先人達にとっては、自由という言葉は圧政からの自由、つまりどんな恣意的な圧力からもあらゆる個人が自由でなければならないことを意味していたのであり、従属を強いられている権力者たちの命令に従うことしか許されない束縛から、すべての個人を解き放つことを意味していた。 ところが、社会主義が主張するようになった「新しい自由」は(客観的)必然性という言葉で表現されるような、とても逃れえないと思われてきた全ての障害から人々を自由にし、全ての人間の選択の範囲をどんな例外も無く制限してきた環境的な諸条件による制約からも、人々を解放することを約束するものであった。 つまり、人々が真に自由になるためには、それに先立って「物質的欠乏という圧制」が転覆されなければならず、「経済システムがもたらす制約」が大幅に撤去されねばならない、とこの「新しい自由」は主張した。 (中略) つまりは、「新しい自由」への要求とは、富の平等な分配という古くからある要求の、ひとつの言い換えに過ぎなかった。ところが、その主張を「新しい自由」と命名することによって、社会主義者たちは、自由主義者が使用する「自由」という言葉を自分達の言葉として手に入れ、これを最大限に自分たちの目的のために利用してきた。 この言葉は二つのグループ間で全く異なった意味で使われているというのに、この決定的な違いに気付く人々はほとんどいなかったし、ましてこの二つの異なる自由を理論的に本当に結びつけることが出来るかを、真剣に考えようとした人も皆無に近かった。 (中略) 彼らが「自由への道」だと約束したことが、実は「隷属への大いなる道」でしかなかったと実証された時の悲劇は、より深刻なものとなるのを避けられない。 |
★まとめ★ 日本でも、社民党や民社党の左翼や加藤紘一など、自由主義から程遠い“社会主義者“が 「リベラル」(本来の意味は「自由主義」)と自称していますが、その由来がよく分かります。
『隷従への道―全体主義と自由 (単行本)』(F.A.ハイエク:著)
計画経済と生産手段の共有という社会主義政策が、なぜ全体主義に至ってしまうのか。自由を守るために心に留めなければならないことは何か。「法の支配」の真の意味と重要性とは。 後年のハイエクが、自己のエッセンスが全部詰まっているとして一般の読者に薦めた一冊。 第二次大戦末期にアメリカで好評を得たあと、1989年にベルリンの壁が崩れ91年までにソ連が崩壊していった時期に、その恐ろしいまでに的確な全体主義社会の分析によって、この本は再度、西欧世界で熱心に読まれ初めました。 全体主義を厳しく排撃するハイエクを、戦後長く意図的に無視し続けてきた日本の出版界にも1980年代の終わり頃から漸くハイエクの著書を出版する動きが出てきました。 | |
『自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す』(渡部昇一:著)
上記『隷従への道』を各章毎に日本での事例を含めて細やかに解説。本家をいきなり読むよりは、こちらを先に読んだ方が日本人には取っ付きやすく理解し易いかも知れません。なおアマゾンの読者コメントには渡部昇一氏を不当に貶してしるものが幾つも見受けられますが、サヨク的心情の抜け切らない半可通の根拠のないコメントと見なすのが妥当でしょう。 自虐史観から抜け出せていない人は所詮自分の色眼鏡でしか物事を理解できない、というケースの一つです。 | |
『ハイエク 知識社会の自由主義』(池田 信夫:著)
上記『隷従への道』に限らずハイエクの全著作・全思想を一応概観した好著。 但し、この本はあくまで池田信夫氏のハイエク観を述べたものであり、ハイエクに興味を持った方は、ご自身で図書館などでハイエクの2大名著『自由の条件(3巻)』『法と立法と自由(3巻)』を順に読み進められるのが良いでしょう。 なお英サッチャー元首相は、保守党党首に就任時の記者会見で「『自由の条件』が今後の我が党の政策の指針である」と明言しています。 |
『保守主義の哲学―知の巨星たちは何を語ったか (単行本)』(中川八洋:著)
ハイエクの思想を機軸に西欧哲学の正統保守主義(真正自由主義)の系譜と、それに対立する邪悪な全体主義思想の系譜を峻別して分かり易く解説。 エドマンド・バークを初めとする正統保守思想の概略をこの一冊でマスター可能。 後は本書で紹介されている興味の湧く各思想家の書に挑戦しましょう。 |