保守主義とは、 | |
(1) | ルソー革命思想/デカルトに始まる設計主義的合理主義/共産主義/社会主義/ファシズム等の全体主義思想に対する対抗思想として発生したものであって、 |
(2) | その内実は、歴史の中で育まれてきた価値多元的で寛容な自由を守ろうとするもの、即ち自由主義(左翼的リベラリズムではなく真正の自由主義)である |
政治思想ないし イデオロギー |
説明 | 関連ページ | |
保守主義、及び、保守主義の内実を成す概念 | |||
保守主義 (conservatism) |
既存の価値・制度・信条を根本的に覆そうとする理論体系が現れたときにこれに対する対抗イデオロギーとして形成される。 「保守主義の宣言」とも言われる『フランス革命に関する省察』を著わしたE.バークは、人間のあらゆる制度の基礎は歴史であり、具体的な文脈のなかで長い時間をかけて培われてきたものだけが永続性を持つため、抽象的な哲学原理に基づく革命は座絶を運命づけられているとしている。 バークは決して変化を拒絶しないが、それは既存のものの漸進的改良として果たされねばならないと考える。 歴史的・有機的な社会秩序への人為的介入の排除とその漸進的改革が保守主義の思想的特徴であるが、これは現代のF.ハイエクやM.オークショットにもみられる考え方である。 |
保守主義とは何か | |
新保守主義 (neo-conservatism) |
1960年代後半以降、アメリカでリベラリズムや対抗文化の行き過ぎを批判しつつ登場してきた思想。 I.クリストル、D.ベル、S.ハンティントンなどが代表的である。 アメリカでは、ベトナム戦争の経験に伴う文化的混乱から若者を中心として性の自由や家族の解体といった急進的な主張がなされたが、反面、こうした潮流に強い危機意識をいだき、西欧的価値を擁護しながらアメリカの文化的同一性を再定義しようという試みも生まれた。 これらは資本主義と自由の結びつきを強調し、共産主義に対する批判を共有するもので、現実の政策的提言においても連邦政府が過剰な役割を果たすことには懐疑的で、私的集団の活動の場を拡大する「小さな政府」への方向性を示唆している。 このような主張を経済論として展開しているのが、新自由主義である。 |
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自由主義 (liberalism) |
個人の諸自由を尊重し、封建的共同体の束縛から解放しようとした思想や運動をいう。 本格的に開始されたのはルネサンスと宗教改革によって幕をあけた近代生産社会においてであり、宗教改革にみられるように、個人の内面的自由(信教の自由、良心の自由、思想の自由)を、国家・政府・カトリック・共同体などの自己以外の外在的権威の束縛・圧迫・強制などの侵害から守ろうとしたことから起こった。 この内面的諸自由は、必然的に外面的自由、すなわち市民的自由として総称される参政権に象徴される政治的自由や、ギルド的諸特権や独占に反対し通商自由の拡大を求め、財産や資本の所有や運用を自由になしうる経済的自由への要求へと広がっていった。 これらの諸自由の実現を求め苦闘した集団や階級が新興ブルジョアジーであったため、自由主義はしばしばそのイデオロギーであるとみられた。 しかし各個人の諸自由を中核とした社会構造は、その国家形態からみれば、いわゆる消極国家・中性国家・夜警国家などに表象されるように、自由放任を生み、当然弱肉強食の現象を現出させることになり、社会的経済的に実質的な平等を求める広義の社会主義に挑戦されることになった。 しかし、20世紀に出現した左右の独裁政治の実態は、自由主義が至上の価値としてきた内面的自由・政治的社会的諸自由などが、政治体制のいかんに関わらず、普遍的価値があることを容認せしめ、近代西欧社会に主として育まれてきた自由主義は再評価されている。 |
リベラリズムと自由主義 | |
新自由主義 (neo-liberalism) |
(1) | 1870,80年代から勃興したイギリスの理想主義運動、なかんずくT.H.グリーンが主唱した社会思想。 グリーンは、道徳哲学としてはJ.ロック、J.ベンサムなどの功利主義的自由主義ではなく、カントやヘーゲルの影響を受けた観念論的・理想主義的自由主義を、社会哲学としては、自由放任主義(経済的自由主義)ではなく国家による保護干渉主義(社会政策)を主唱した。 しかし決して国家専制主義や全体主義に陥らず、個人の自我の実現、個人の道徳的生活の可能な諸条件の整備に国家機能が存在するとして、自由主義の中心である個人主義を継受した。 この思想はイギリス自由党の労働立法・社会政策に思想的根拠を与えた。 ⇒※注:こちらは正確には new liberalismであり、訳すと文字通り「新自由主義」だが、現在はこちらの意味では使用されなくなったので注意が必要。 |
リベラリズムと自由主義 |
(2) | 1930年代以降の全体主義国家の台頭や第二次世界大戦中から戦後にかけてのケインズ政策に反発して、再び個人の自由の尊厳を説き、政府の恣意的政策の採用を排し、法の下での自由を強調する思想。 このような思想をもつW.オイケン、W.リプケ、L.ミーゼス、G.ハーバラー、F.ハイエク、L.C.ロビンズ、M.フリードマンらの多彩な人材を擁して、47年にモンペルラン・ソサエティーを結成している。 恣意的・強権的権力の行使に反対する点ではかっての自由放任的自由主義と共通する面をもつため、その単なる復活と誤解されがちであるが、普遍的な法の強力な支配の必要を説き、法秩序の下での自由を強調する点で、かっての自由放任とは異なる。 経済政策面でのその端的な表れは、ドイツに代表される社会的市場政策とシカゴ学派に代表される新貨幣数量説である。 ⇒※注:こちらが、neo-liberalism(正確に訳すと「再興自由主義」)すなわち現在使用されている意味での「新自由主義」である。 |
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保守主義に隣接・類似するために混同されやすいが、別概念として区別すべきもの | |||
自由至上主義(libertarianism) ※注:項目なしのため、 リバタリアン(libertarian) の項目で代用 |
福祉国家のはらむ集産主義的傾向に強い警戒を示し、国家の干渉に対して個人の不可侵の権利を擁護する自由論者。 古典的自由主義と同様、リバタリアンも自由市場経済を支持するが、その論拠は自由市場が資源配分の効率性に関して卓越しているということだけではない。 より重要なのは集産主義的介入(⇒コレクティビズム)が、自明の権利である個人の自然権や人権を侵害するという点である。 リバタリアンの出発点は社会の理解に関する徹底的な個人主義的アプローチである。 社会とは何らかの実体ではなく、自律性を権利として保障された諸個人が互いの価値の実現を目指して交流を持つ場である。 経験的な意味で国家や政府による合理的計画よりも自律的な個人の活動のほうが社会的利益を最大化するというだけでなく、道徳的な意味でも個人の自律性を国家や政府の干渉によって強制的に縮小しようとするあらゆる試みは、個人の独自性を破壊し社会の目的のための手段といて扱うことになる。 個人の価値の追求にはルールによる制約が課せられるべきであるが、それは各人の平等な権利を保障するというに限定されねばならない。 国家や政府の役割はそこにあるのである。 ⇒※補注参照 |
中間派について | |
共同体主義(communitarianism) ※注:項目なしのため、 コミュニタリアン(communitarian) の項目で代用 |
人間存在の基盤としての「共同体」の復権を唱える一群の政治哲学者たちの総称。 J.ロールズの『正義論』(1971)が政治哲学の復権に大きな影響を与え、当初その指導的立場にあったのが、ロールズに代表される福祉国家的な自由主義を主張するリベラリストと、ノージックに代表される個人の自由に対する制限を最小化しようとするリバタリアンであった。 一見したところ対立するこの両陣営は「個人」の多元的対立から社会構成の原理を導出しようとする基本的枠組みでは一致している。 この個人主義的な人間像・社会像に対して根本的な次元から論争に参加してきたのがコミュニタリアンである。 A.マッキンタイア、M.サンデル、M.ウォルツァーらを代表とし、その主張は必ずしも一様でないが、人間的主体性を抽象的なアトム的存在の自律性としてではなく、共同体のもつ歴史・社会的なコンテクストに根付いた具体的存在として捉えようとする点では共通している。 コミュニタリアンの登場の背景にはアメリカ社会が極端な個人主義の結果、公共心を衰退させ、そのことが様々な社会問題を引き起こしているという洞察がある。 |
中間派について | |
ナショナリズム (nationalism) |
民族、国家に対する個人の世俗的忠誠心を内容とする感情もしくはイデオロギー。 普通、民族主義と訳されるが、国民主義あるいは国粋主義と訳されることもある。 しかしこれらの訳語はいずれもナショナリズムの概念を十分に表現しているとはいえない。 ナショナリズムの概念が多義的であるのは、ネーション(民族、国民)が歴史上きわめて多様な形態をたどって生成・発展してきたことに起因している。 歴史的な重要概念となったのは18世紀末以後のことである。 アメリカの独立とフランス革命がその端緒となったとされ、南アメリカに浸透し、19世紀にはヨーロッパ全体に広まり、ナショナリズム時代をつくりだし、20世紀に入って、アジア・アフリカで多くのナショナリズム運動が展開された。 ナショナリズムはこうした諸国の独立をもたらす解放的イデオロギーではあるが、民族紛争と戦争の拡大をもたらす危険も大きい。 |
ナショナリズムとは何か 右派・右翼とは何か |
保守主義 | 自由主義との関係 | 該当する概念(=外延) | 隣接・類似するが別概念 | 対抗思想 | ||
(1) | 伝統保守 (真正保守主義) |
古典的自由主義と親和的 (バーク的保守主義) |
・文化的保守 ・宗教保守 (主として社会面に関心) |
・共同体主義(コミュニタリアニズム)⇒中間に分類 ・ナショナリズム⇒右翼に分類 |
・フランス啓蒙思想(特にルソーの思想) ・デカルト的理性主義 |
長い歴史の中で育まれてきた 伝統的権威・文化・社会制度 を破壊する思想 |
(2) | 経済保守 (新保守主義) |
新自由主義と親和的 (ハイエク的保守主義) 即ち、リベラル右派のこと |
・反福祉国家/「小さな政府」派 ・減税主義者 (主として経済面に関心) |
・自由至上主義(リバタリアニズム)⇒中間に分類 | ・社会主義/共産主義/ファシズム等の全体主義 ・リベラル左派(福祉国家/「大きな政府」派) |
資本主義経済体制と それによって担保されている個人の自由 を破壊する思想 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(conservatismの項)より全文翻訳 | ||||
歴史的に発展し、それゆえに継続性と安定性の明証である制度(institutions)と慣行(practices)への愛好を表す政治的態度またはイデオロギー | |||||
保守主義は近代においてフランス革命に対するリアクションとしてエドマンド・バークの著作を通じて最初に表明された。バークはフランス革命は、その理想が、その行き過ぎによって汚された(tarnished)と信じていた。 | |||||
保守主義者は、変化の遂行は最小限(minimal)で漸進的(gradual)であるべきだと信じている。彼らは歴史を愛好し、理想的(idealistic)であるよりは現実的(realistic)である。 | |||||
著名な保守主義政党として、英国の保守党、ドイツのキリスト教民主同盟、アメリカの共和党、日本の自由民主党がある。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(conservativeの項)より抜粋翻訳 | ||||
(政治的文脈において)自由企業・私的所有・社会に関する保守的な理念を愛好すること | |||||
(3) | コウビルド英語事典(conservatismの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | 保守主義とは、変化が社会にとって為されることが必要とされる場合において、それは漸進的(gradual)に為されるべきだと信じる政治的哲学である。 | ||||
<2> | 保守主義とは、変化や新しいアイディアを受け入れることを嫌がることである。 |
(1) | 内包(intension) | 論理学で、一概念に含まれる属性。例えば「空」の内包は、「上、青色、広い」など |
(2) | 外延(extension) | 論理学で、その概念が適用される事物の範囲。例えば、金属という概念の外延は、金・銀・鉄の類 |
(1) | (保守主義とは)常に「現状(status quo)」の中に、①「守る(conserve)べきもの」と、②「改善(improve)すべきもの」を弁別し | |
<1> | 「絶対的破壊(absolute destruction)」の「軽率さ(levity)」と | |
<2> | 「一切の改善を拒絶する頑迷(the obstinacy that rejects all improvement)」 | |
を共に排除しようとするもの、であり | ||
(2) | そのような「保守(preserve)」と「改革(reform)」とにあたっては | |
<1> | 古い制度の有益な部分が維持され | |
<2> | 「改革」によって「新しく付け加えられた」部分は、これに「適合するようにされるべきであり」 | |
<3> | 全体としては「遅くはあるが、しかし申し分なく持続的な進歩(a slow but well-sustained progress)」が保たれることを政治の眼目とする | |
という所に、その顕著な特色がある。 |
<1> | 「現状(status quo)」の中に常に「守る(conserve)べきもの」を見出すことを起点として政治的思惟が進行する、という思考形式と、 | |
<2> | 「遅くはあるが、しかし申し分なく持続的な進歩(a slow but well-sustained progress)」への政治的志向 |
この様な保守主義的政治態度は、政治情勢により「右」へ振れる場合にも、あるいは「左」に振れる場合にも、その振幅を有限化するばかりでなく比較的にいって僅少なものにする。 |
なぜなら、いずれの方向にせよ、過度の振れは「守るべきもの」を放棄することを意味し、また「左」へ振れすぎるときには、進歩の連続性が切れてしまうからである。 |
(1) | 思想形成の反定立(antithesis)性 | 保守主義は既に定立(thesis)された思想の衝撃を待って初めて、その対立者として自己の思想形成を開始する。 |
(2) | 思想内容の他者被規定性 | 保守主義は、思想内容が他者によって(つまり定立された別の思想によって)方向づけられ限定される。 即ちバークにおいては「アンチ・フランス啓蒙思想」「アンチ・デカルト流理性主義」であり、ハイエクやポパーにおいては「アンチ・社会主義/共産主義その他の全体主義」「アンチ・リベラリズム/福祉国家」である。 |
(3) | 高度の状況的機動性(状況適応性) | 保守主義は、それが置かれた具体的状況に密着した思考形式と実現手段を提供する。 つまり保守主義は、その対抗思想のように理論が先行した思考様式ではなく、常に「現状(status quo)」を前提として歴史的継続性の中で、その内容と対応策を見出す。 「イギリス人は新事態が起こるたびごとにそれを如何に利用するかを心得ている」(A.ヒットラー) 即ち保守主義は、①反省的判断力による個性的状況の敏速な把握と、②政治的実践へのその巧みな活用、を本領とする。 |
(4) | 無原則的状況主義(opportunism)との区別 | 保守主義は、一般に「中道(mid-roader)」あるいは「中間(centrist)」と呼ばれる「無原則主義(opportunism、便宜主義・日和見主義)」と違って一定の政治的原則/政治的価値を保持する。 |
(5) | 貴族政治的(aristocratic)志向性 | 保守主義は、民衆政治(democracy)を衆愚政治(mobocracy)に陥り易いものとして警戒し敬遠する傾向がある。 ※関連ページ デモクラシーと衆愚制 |
(1) | 「現状(status quo)」における「保守(conserve)すべき」内容の発見可能性の肯定 |
保守主義は一定形態の歴史意識(但しマルクス主義的な歴史発展法則を肯定するものではなく「過去」と「現在」との継続性という意味での歴史意識)と、そうした歴史を把握する人間の能力(つまりデカルト的な普遍的理性ではなく、歴史的に形成され、個別的に存在する広義の理性)を肯定している。 なぜなら保守主義は「現状(status quo)」の中に一定の「保守すべき」(即ち一定の積極的に望ましいと評価し得る)内容を見出す思想であり、それは従って人間は歴史的な経緯のうちに「保守すべき」価値内容を弁別する能力を保有することを肯定しているからである。 | |
(2) | 政治目的およびその実現手段の「既存性(existence)」の肯定 |
一般に政治的思惟は、①政治的目標の設定に始まり、②その適合的な実現手段を発見し、③その手段の効果的適用による目標実現によって完了する。 しかし保守主義は、①この政治的思惟の起点を「現状(status quo)」における「保守すべき」内容の発見に求め、かつ、②その実現手段をも「現状」に求めている。 「真の政治家というものは、常に、どうすれば自国の現存の諸材料を、最大限度に利用することになるかということを考慮するものである」(E.バーク) | |
(3) | 「申し分なく継続的な進歩(well-sustained progress)」の肯定 |
保守主義は「歴史の流れに順行した」政治、言い換えると慣例を活かし「現状(status quo)」を絶えず制度的ないし観念的に過去に連結していくような政治を理想とする。 政治における新奇な、あるいは革新的な企図は、保守主義の歴史意識にとっては歴史の継続性に対する撹乱要因に過ぎない。 | |
(4) | 「自然的」人間性に対する「歴史的」ないし「社会的」人間性の優位 |
(5) | 「自然的」理性に対する「歴史的」理性の優位 |
(6) | 「抽象的悟性(abstractive understanding)」に対する「歴史的悟性(historical understanding)」の優位 |
「旧い先入見prejudice」と「理由のない慣習」の尊重 |
リベラリズムの段階・種類・区分 | 時期 | 意味内容 | |
<1> | 古典的リベラリズム(classical liberalism) | 16世紀~19世紀 | ①個人の権利・自由の確保、②政府権力の制限、③自由市場を選好…消極国家(夜警国家) |
<2> | ニュー・リベラリズム(new liberalism) | 19世紀末~20世紀 | 経済的不平等・社会問題を緩和するため市場への政府介入を容認→次第に積極的介入へ(積極国家・福祉国家・管理された資本主義) 社会主義に接近しているので社会自由主義(social liberalism)と呼ばれ、自由社会主義(liberal socialism)とも呼ばれた。 |
<3> | 再興リベラリズム(neo-liberalism) | 1970年代~ | スタグフレーション解決のため自由市場を再度選好。 <2>を個人主義から集産主義への妥協と批判し、個人の自由を取り戻すことを重視 |
<4> | 現代リベラリズム(contemorary liberalism) | 現代 | ①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革を志向 1970年代以降にJ.ロールズ『正義論』を中心にアメリカで始まったリベラリズムの基礎的原理の定式化を目指す思想潮流で、①ロールズ的な平等主義的・契約論的正義論を「(狭義の)リベラリズム」と呼び、②それに対抗したR.ノージックなど個人の自由の至上性を説く流れを「リバタリアニズム(自由至上主義)」(但し契約論的な構成をとる所はロールズと共通)、③また個人ではなく共同体の価値の重要性を説くM.サンデルらの流れを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。 |
補足説明 | <2>ニュー・リベラリズム(new liberalism)と<4>再興リベラリズム(neo-liberalism)は共に「新自由主義」と訳されるので注意。 もともと<1>古典的リベラリズムに対して修正を加えた新しいリベラリズム、という意味で、<2>ニュー・リベラリズム(訳すと「新自由主義」)が生まれたのだが、世界恐慌から第二次世界大戦の前後の時期に、経済政策においてケインズ主義が西側各国に大々的に採用された結果、<1>に代わって<2>がリベラリズムの代表的内容と見なされるようになり、<2>からnewの頭文字が落ちて、単に「リベラリズム」というと<2>ニュー・リベラリズムを指すようになった。 ところが、1970年代に入るとインフレが昂進してケインズ主義に基づく経済政策が不況脱出の方途として効かなくなってしまい、市場の自律調整機能を重視する<1>の理念の復興を唱える<3>ネオ(=再興)・リベラリズムに基づく政策が1980年前後からイギリス・アメリカで採用されるようになった。そのため今度は、<3>を「新自由主義」と訳すようになった。 |
① | 18世紀末のE.バークの時代においては、実質的に「保守すべき」内容として、<1>古典的自由主義を意味し、 | 伝統保守(旧保守) | 対抗思想 | フランス啓蒙思想(特にルソーの思想)、デカルト的理性主義(設計主義的合理主義) |
② | 20世紀半ば以降のF.A.ハイエクやK.R.ポパーの時代においては、実質的に「保守すべき」内容として、<3>再興(=ネオ)自由主義を意味した。 | 経済保守(新保守) | 対抗思想 | 社会主義・共産主義・ファシズム等の全体主義、<2>ニュー・リベラリズム(所謂リベラリズム…福祉国家など大きな政府による実質的な個人の自由の剥奪) |
(1) | D.ヒューム(スコットランド出身の英国外交官・道徳/政治哲学者、歴史家)『道徳・政治・文学に関する随想』(1742) | |||
「英国においては到底存在する見込みはないと思われる一政体について、これ以上論議を重ねる必要はありません。我々の間ではどの党派もそれを目的としてはいないように見えます。出来るだけ我が国の古来の政体を育て発展させるようにしましょう。大変危険な新型の諸政体に対する情熱を掻き立てないようにして。」 | ||||
(2) | E.バーク(アイルランド出身の英国下院議員・思想家)『フランス革命の省察』(1790) | |||
「思慮深い警戒心、綿密周到さ、気質的というよりはむしろ善悪判断から来る小心さ、これらが最も断固たる行為をする際に我々の父祖が拠り所とした指導原理の中にありました。彼らは、あの光-つまりフランス人の紳士諸君が自分たちはそれに大いに与っていると吹聴するあの光-に照らされてはいなかったために、人間とは無知で誤りやすいものである、ということを肝に銘じて行動したのでした。」 | ||||
「国家と法を聖別するにあたって、まず第一に則るべき最も重要な原理の一つは、それら国家や法を一時的に、あるいは終身で保有している人々が祖先から受け取ったものや本来子孫に属するものを忘れて、あたかも自分だけが完全な主人であるかのように行為する、といったことがあってはならない、ということです。 即ち、自らの社会の根源的な構造を勝手に破壊し、それによって限嗣相続の制限を解除したり相続財産を浪費したりしても、それは自分たちの権利のうちなのだ、などと思ってはならない、ということです。 もしもそうしたことが行われれば、彼らは後から来る者に対して、住むべき家の代わりに廃墟を残すことになるでしょうし、彼らが自らの祖先の諸制度を殆ど尊重しなかったのだから、彼らが考え出したものもやはりそんなに尊重するには及ばないのだ、と教えるようなものでしょう。」 |
参考サイト | 本当の対立点とは何か?(「保守主義」の定義) (戦争に負けた国blog様) |
用語 | 説明 | 関連ページ | |
小さな政府 (limited government) ※注:項目なしのため、 安価な政府 の項目で代用 ※補注参照 |
「小さな政府」ともいう。 18世紀末頃より用いられた自由主義の財政的標語で、財政規模のあまり大きくない政府をいう。 ナポレオン戦争後のイギリスでは、軍事費の削減はもとより、航海法・独占特許制度の撤廃などの自由主義施策の推進と並んで一般経費の縮減が進められた。 このため1870年頃まで国家財政の規模は年々減少、または漸増するにとどまり、史上ほとんど唯一の「安価な政府」が出現した。 その思想的背景にあるものは、国の役割を国防・警察などに限るA.スミスの夜警国家観である。 しかし、前世紀(注:19世紀)末以降イギリスを含めて経費膨張が避けがたい傾向となったことは、帝国主義の風潮に追うところが大きい。 第二次世界大戦後は、福祉の充実など各経済分野での公共部門の拡大が「高価な政府」へと拍車をかけているが、1980年代アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権下では「小さな政府」への動きがみられた。 その趣旨は、経済・社会政策の領域での政府の役割を削減し、市場機構と競争に多くを委ねることによって財政赤字・政府規制を改め、公営企業の民営化を促し、自立・自助の精神により資本主義経済の再活性化をはかることにあった。(⇒経費膨張の法則) |
ケインズv.s.ハイエクから考える経済政策 |
フュージョニズム(fusionism) | アメリカにおいて冷戦時代に「伝統保守」と「経済保守」の融合・架橋を目指した思想的立場 |
戦後のアメリカ保守主義は二つの流れに収斂されていった。ひとつは伝統主義であり、もう一つはリバタリアニズムである。だが保守主義運動の中で、この二つのグループの間に直接的な接点はなかった。二つの保守主義は共通な価値観を持っていたが、必ずしも同じ理想を求めていたわけではなかった。「大きな政府」を批判する点では一致しながらも、「個人の自由」に関する考え方は大きく違っていた。伝統主義者が倫理や宗教から「個人の自由」を理解しようとしたのに対し、リバタリアンは市場という観点から理解しようとしていた。(p.40) 伝統主義者は敬虔なキリスト教徒が主流を占めていたのに対し、リバタリアンの多くは宗教には比較的無関心であった。伝統主義者は伝統を重んじ、個人主義に対して批判的であったが、リバタリアンはダイナミックに変化する社会経済をイメージし、個人の自由を最大限認める個人主義の哲学を掲げていた。(p.41) |
しかし、思想運動としての保守主義が発展するためには、「小異を捨てて大同につく」ことが求められた。二つの流れを融合させることが必要であった。反共主義がその接着剤の役割を果たした。 |
保守主義の二つの流れを融合させたのが、ジャーナリスト出身の保守主義者フランク・メイヤーである。融合された保守主義思想は「フュージョニズム(融合主義)」と呼ばれた。(p.41) 伝統主義が主張する人間の“美徳”の達成は・・・リバタリアンの主張する“自由な社会”があって初めて可能になると説いたのである。メイヤーは、これによって、それまで対立していた伝統主義とリバタリアニズムを保守主義革命の大義のために“融合”させたのである。(pp.43-4) フュージョニズムが反共主義によって貫かれている・・・。冷戦が深刻化し、共産主義の世界への拡大が現実のものとなりつつあった当時の状況から、全体主義に反対する伝統主義者もリバタリアンも、反共主義にはまったく異論がなかった。その結果、反共主義はアメリカの多様な保守主義の思想を結びつける役割を果たすことになる。(pp.44-5) |
ここまでがアメリカ保守主義革命の第一段階である。メイヤーによる“融合”によって理論武装を終えた保守主義者は、その舞台を思想の場から政治の場へと移していく。彼らは保守主義思想を単なる思想運動に留めることなく、その理念を政治の場で実現しようとした。ここから保守主義革命は第二段階に突入する。 1950・60年代、タフト、ゴールドウォーターという二人の共和党政治家は保守主義の理念を政治の場で実現することに成功しなかった。しかし、その過程で、保守主義運動の本流の流れとは別に、(伝統的な孤立主義を捨てて積極的に国際政治に介入しようとする反共主義者である)「冷戦リベラル」や(人工中絶や同性愛を宗教的な倫理観に反する現象として徹底的に批判する)「クリスチャン・ライト」といったグループが保守陣営に加わり、保守主義者は共和党の一大支持基盤を形成していく。それに伴って、共和党は保守主義を奉じる政党へと変貌していく。そして、1980年、レーガン共和党政権の成立によって、ついに保守主義はその理念を政治の場で実現するチャンスを手に入れた。 |
思いやりのある保守主義 (compassionate conservatism) |
ブッシュ大統領が、冷戦終結で「反共」という共通基盤を失った後の「伝統保守」と「経済保守」を架橋するために打ち出した政策コンセプトであり、さらに「思いやり(compassion)」という言葉に象徴されるように、従来は共和党の支持者獲得のターゲットとはあまりみなされなかった社会的弱者への目配りが含意されている。 英キャメロン首相も、ブッシュ政権に倣いこれを自身の政策コンセプトとして採用しているほか、安倍元首相が政権当時掲げた「再チャレンジ支援構想」もこのコンセプトの影響を受けていると考えられ、21世紀型の保守主義のあり方として注目される。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(libertarianismの項)より全文翻訳 | ||||
個人の自由を強調する政治思想。自由至上主義者は、各個人は、自己の行動が他人の自由を侵害しない限り、完全な行動の自由を保持すべきだと信じている。 | |||||
自由至上主義者の政府に対する不信は、19世紀の無政府主義(anarchism)に起源を持つ。典型的な自由至上主義者は、所得税やその他の政府の課税ばかりでなく、社会保障(social security)や郵便サービスのような他の多くの人々が有益だと思っているプログラムにも反対する。 | |||||
アメリカでは彼らの見解はしばしば伝統的な政党間の境界を横断する(例えば、自由至上主義者はほとんどの共和党支持者と同じ様に銃規制に反対するが、ほとんどの民主党支持者と同じ様に禁止薬物の合法化を支持する)。 | |||||
自由至上主義者の間で愛好されている人物はヘンリー・デビット・ソローとアイン・ランドである。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(libertarianismの項)より抜粋翻訳 | ||||
市民生活に対する政府の介入を最小限のもののみとすることを唱導する極端な自由放任の政治思想。 | |||||
その支持者は個人の道徳は政府の扱う事柄ではなく、それゆえ麻薬使用や売春のような異論もあるところではあるが参加者以外の誰も害さない活動は不法とされるべきではないと信じている。 | |||||
自由至上主義者は無政府主義者と主張内容を共有しているが、但し自由至上主義者は一般には、より一層政治的権利と関連付けられる(主としてアメリカ)。自由至上主義は伝統的な自由を社会的正義に結びつける配慮が欠落している。 | |||||
(3) | コウビルド英語事典(libertarianの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | リバタリアンであったり、またリバタリアン的な態度の人とは、人々は自分が望むままのやり方で考えたり振る舞う自由を持つべきだという理念を信じ、また支持している人である。(= リベラル) | ||||
<2> | 自由至上主義者とは自由至上主義の見識を持つ人である。(= リベラル) |
(1) | 極めて強く個人的自由の領域の拡大を希求する思想であることから「右派」の「経済保守(=リベラル右派)」に近いといえる(そのために新自由主義と混同を招いた)が、 |
(2) | そうした姿勢は、①無政府主義(左派に近い思想と一般には考えられる)につながること、 |
(3) | また、②政府などの公的機関の介入が最小となる社会を合理的に設計できる、としている点でデカルト以来の設計主義的合理主義(左派の根本的思想の一つ)に連なること、 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(communitarianismの項)より全文翻訳 | ||||
①政治生活の実行、②政治制度の分析・評価、③人間のアイディンティティと安寧幸福の理解、に関する共同体(community)の重要性を強調する政治・社会思想。 | |||||
共同体主義は1980-90年代に、ジョン・ロールズ等の思想家による理論的リベラリズムに対する明白な反対思想として興起した。 | |||||
共同体主義者によれば、リベラリズムは非現実的なほどに原子化した抽象的個人という概念に寄りかかっており、また自由と自律といった個人的価値に余りにも重要性を置き過ぎている。 | |||||
共同体主義の主要な代表者には、アミタイ・エツィオーニ、マイケル・サンデル、チャールズ・ティーラーが含まれる。 | |||||
なお、集産主義を参照のこと。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(communitarianismの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 小規模な自治的共同体に基礎を置く、社会組織に関する理論または制度。 | ||||
<2> | 共同体に対する個人の責任と、家族という単位の社会的な重要性を強調するイデオロギー・ |
(1) | 歴史的に育まれた共同体に根付く価値観を正当に評価し維持発展させようと希求する思想であることから「右派」の「伝統保守」に近いといえる(そのために、これこそが真の保守主義であるとする誤認識を招いた)が、 |
(2) | その姿勢は、個人の自由意志を軽視して、集産主義(左派の根本的思想の一つ)につながる傾向が強いこと |
参考サイト | オピニオン●保守と日本精神(細川和彦氏サイト) |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(nationalismの項)より全文翻訳 | ||||
自己のnation(アイデンティティを共有する人々の集合)またはcountry(地理的な意味での国家)に対する忠誠(loyalty)と献身(devotion)であり、特に他の人々の集合や個人的な利害への忠実さを上回るもの。 | |||||
国民国家(nation-state)の時代以前は、ほとんど全ての人々の忠誠先は彼らの直近の地域や宗教的集団だった。 | |||||
巨大な中央集権国家の登場は地方的権威を弱体化させ、日々進行する社会の世俗化は宗教的集団に対する忠誠を弱体化させた。しかしながら人々に共有される宗教は-共通の民族性・政治的遺産・歴史と共に-人々を国民主義運動(nationalist movement)へと誘い入れる要因の一つとなった。 | |||||
18世紀から19世紀初めにかけての欧州の初期の国民主義運動は自由主義的(liberal)で国際的(internationalist)なものだった。しかしそれは次第に頑迷(conservative:「保守的」の意味もあるがここでは「頑迷」の意味ととる)で偏狭(parochial)なものとなっていった。 | |||||
ナショナリズムは第一次世界大戦・第二次世界大戦そして近代におけるその他の多数の戦争を引き起こした主要因と考えられている。 | |||||
20世紀のアフリカとアジアでは民族主義運動(nationalist movements)はしばしば植民地主義(colonialism 植民地支配)に対する反対(抵抗)を引き起こした。 | |||||
ソ連邦の崩壊後、東欧と旧ソ連邦の各共和国の強烈な民族主義的感情(nationalist sentiments)は、旧ユーゴスラビア地域におけるような民族的紛争(ethnic conflict)の要因となった。 | |||||
(2) | オックスフォード英語事典(nationalismの項)より抜粋翻訳 | ||||
<1> | 愛国的な感情・原理・尽力(patriotic feeling, principle, or efforts) | ||||
<2> | 他の国々(country)に対する優越性(superiority)という感情によって特徴づけられた極端な形の愛国心(an extreme form of patriotism) | ||||
<3> | 特定の国家(country)の政治的独立の主張(advocacy) | ||||
(3) | コウビルド英語事典(nationalismの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | ナショナリズムとは自分達は歴史的にまたは文化的に、ある国家(country)の中で特定の分離された集団であると感じる人々の、政治的独立への渇望(desire for political independence)である。 | ||||
<2> | ある個人の自己のnationに対する巨大な愛情をナショナリズムと呼ぶことが可能である。 ある特定のnationは他の全てのnationより優秀であるという信条と、このナショナリズムはしばしば関連付けられるが、こうしたケースは、しばしば(話者の)不承認(不快感 disapproval)を表現するために用いられる(=jingoism 偏狭的優越主義) |
Ⅰ.解放的ナショナリズム (パトリオティズム) |
→ | Ⅱ.国民国家の成立 |
→ | Ⅲ.拡張的(排外的・侵略的)ナショナリズム (ジンゴイズム/ショーヴィニズム) | |
主に他国や他民族の抑圧に対して、①国家・国民形成を図りつつ、②政治的あるいは経済的自決(民族自決)を求める動き ※政治的・経済的自決を求めることから、この段階のナショナリズムは自由主義と親和的である。 |
→ | 国家の要請に適った国民を育成するために、①統一的・画一的な国民教育の実施、②歴史・文化の共有化、③「伝統の創造」(※)といった公定ナショナリズムとでも言うべき諸政策が政府主導で実施される。 ※英歴史学者ホブズボームの用語で、正統性に問題のある新興国家の政府が行いがちな一種のご都合主義的な「伝統」価値の捏造 |
→ | 増大していく大衆の自尊感情の現れとしてのナショナリズム(大衆の自己崇拝、ナショナリズムの市民宗教化)。 Ⅱの公定(=官製)ナショナリズムの結果、政府当局のコントロールが効かない状態にまで大衆の自尊感情が昂進してしまった状態。 | |
少数エリ-トの自覚的な活動(市民型ナショナリズムcivic nationalism)として始まり、次第に参加者を拡大していく | → | 国民の政治参加の意欲が高まる結果、大衆デモクラシーが成立するが、次第に衆愚化していく傾向を免れない。 | → | 理性よりも大衆の無定見な民族感情に流され易くなり(民族型ナショナリズム ethnic nationalism)、①国内的には排外的、②対外的には侵略的傾向を強めていく結果となる。 | |
例1 | フランス革命の最初期 | → | フランス共和国の建設(カルノーの徴兵制etc.) | → | ジャコバン政権樹立以降の「革命の輸出」~ナポレオンの侵略戦争 |
例2 | ドイツ統一運動 | → | ドイツ第二帝国の建設(ビスマルク時代) | → | ウィルヘルム2世の世界政策から第一次世界大戦へ。さらに敗戦からワイマール共和国の混迷ののちナチス政権による侵略政策の追求へ |
例3 | 明治維新~日露戦争・不平等条約改正 | → | 大正デモクラシー(男子普通選挙の導入=大衆の政治参加) | → | 日本の場合は露骨な対外侵略の肯定という形は憚られたが、アジア諸民族と結んで白人支配を覆すという大義(=アジア主義)が利用される形で拡張的ナショナリズムが発動してしまった。 |
内容 | 関連ページ | |
保守 | 国内外の全体主義(共産主義・社会主義・リベラリズムなどの集産主義)の脅威から自由を守る(=自由主義) | 保守主義とは何か リベラリズムと自由主義 |
右翼 | 他国・他国民の侵略的ナショナリズムの脅威から自国・自国民を守る(=解放的ナショナリズム) | 右翼・左翼の歴史 ナショナリズムとは何か |
極右 | 他国・他国民に対して侵略的ナショナリズムを発動している段階。 なお極右と極左は紙一重の双生児であり、極左も当然侵略的ナショナリズムを発動している段階である。 |
右翼・左翼の歴史 |
《問題点》 | 西欧保守主義の本質は、自由主義・個人主義・デモクラシーの肯定にある。 ⇒ ところが、日本の「保守」論客には、自由主義・個人主義・民主主義を否定的に捉える者がかなり多いように見える。変ではないか? |
【考え方】 | 日本の「保守」論客の批判している「自由主義」「個人主義」「民主主義」の内容をよく読むと、ルソー以降に左翼によってその意味を歪曲されてしまった「(左翼的意味の)自由主義」「(アトム化された)個人主義」「(衆愚化した)デモクラシー(=モボクラシー)」のことであることが分かる。 これは、「自由主義」「個人主義」「民主主義」という言葉が、日本でも一般的に使用されるようになった大正時代(大正デモクラシー期)には、これらの言葉は、既に西欧社会においても左翼によってその本来の意味を歪められてしまっており、日本の「保守」論客たちは、それらの政治思想・概念を、本来の意味ではなく、もっぱら歪曲された意味で理解してしまったことに原因があると思われる。 ハイエクやポパー、バーリンらの真正の自由主義者(本来の自由主義者)による「左翼によって歪曲された」政治思想・概念への痛烈な(そして左翼側にとっては致命的な)批判は、第二次世界大戦中あるいはその直後にようやく日の目を見たものであり、このコミュニティでは、彼ら(ハイエクやポパー)の必勝の論法を是非ともマスターすることを強く推奨している。 しかし、これらの左翼批判を受容していない(要するにハイエクやポパーを読んでいない)日本の「保守」論客たちは、いまだに単純で(私見では、残念ながら余り説得力があるようには思えない)従来どおりの紋切り型の「自由主義」「個人主義」「民主主義」批判を繰り返していると思われる。 この点に関する不都合は、戦前から戦後にかけての日本の代表的な保守主義者である平泉澄博士の著作についても残念ながら当てはまることである。(平泉博士はハイエク・ポパーと同時代人であることから、バークのルソー批判までは受容していても、ハイエク・ポパーの全体主義批判までは受容できなかったことに起因) 従って、結論として我々は、 ①日本自生の保守主義の理解のみに立脚するのではなく、 ②西欧保守主義の伝統にも立脚し、 これを左翼・全体主義を完膚なきまでに論破する最上のツールとして是非とも活用すべきである。 |
《問題点》 | 西欧保守主義は、ナショナリズム(=右翼思想)とは区別されるのが普通である。 保守主義の代表者であるE.バーク自身が、イングランド本国ではなくその統治下にあったアイルランドの出身の政治家であり、またハイエクはオーストリアからイギリスに帰化した学者であって、彼らの思想には全体主義に対する激しい批判はあっても、ナショナリスティックな発想は一切混入していない。 ⇒ これに比較して、日本の「保守主義者」の唱える思想には、(1)反・全体主義の主張と、(2)ナショナリスティックな主張との区別が明瞭でなく、そのままでは英米保守主義の定義とは齟齬が生じてしまう恐れが高い。 また最近は、本来の意味での保守主義とはまるで関係ない思想を唱えてるにも関わらず、その言葉のもつプラス・イメージに着目した自称「保守主義者」が続出しており、思想的な混乱が甚だしくなっている。 |
【考え方】 | 「ナショナリズム」の定義を確り押さえずに、やたらに「民族主義」という言葉を使っているケースが多いように思う。 普通に祖国や自国民、自国の文化・伝統・歴史などに愛着を持つことは、西欧保守主義でも当然視されており、これを「パトリオティズム」とは表現しても、「ナショナリズム」とは通常は言わないはずである(nationalismは、①patriotism と②jingoismの両方の意味を包摂するが、現代の用法ではnationalismは②排外的なマイナスの意味合いが強まっている)。 日本の問題はむしろ、西洋であれば「保守」ではなく「ナショナリスト」「右翼」と呼ばれるべき主張を持つ人物・組織が、「右翼」という言葉にマイナス・イメージが定着しているために、文字通り「民族主義者」であるにもかかわらず「保守」と自称している者が非常に多く、その結果、「保守(アンチ全体主義)」と「右翼(ナショナリスト)」が著しく混同されている点にあるのではないか。 つまり、日本においては、 ①単に「パトリオティズム」である祖国愛を、「民族主義」と勘違いしている保守主義者 ②西欧保守主義の基準では、「ナショナリスト」「右翼」なのだが、「保守」を自称する者 の二種類がおり、それらの者の主張内容を確り吟味し、「保守」なのか「右翼」なのか識別する必要がある。 |
にほんしゅぎ【日本主義】 | 明治から第二次世界大戦敗戦までにおける欧化主義・民主主義・社会主義などに反対し、日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動をいう。 一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。 明治の支配層が推し進めた欧化主義への反発として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調となって現れた。 大正や昭和になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、社会主義やマルクス主義が流入すると、これら諸思想の対抗イデオロギーとして機能し、天皇を中心とする皇道や国体思想を強調した。(cf.神国思想) |
① | 明治期の日本主義 | 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) | 他国の侵略から自国・自民族を守る(解放的ナショナリズム)⇒即ち「右翼」思想 |
② | 昭和期の日本主義 | 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 | 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る(日本型保守主義)⇒即ち「保守」思想 |
【観念右翼】かんねん・うよく |
特定の右翼党派ではなく、純粋な日本精神主義を思想や行動の原理とする諸団体。上杉慎吉をその源流とする。第二次世界大戦前の右翼運動を思想形態から分類すると、国家社会主義派(組織右翼)と日本精神主義派(観念右翼)に大別される。上杉の組織した桐花学園(1913創立)、蓑田胸喜、天野辰夫、菊池利房による興国同志会(19)、平沼騏一郎の国本社、興国同志会の流れをくむ七生社(25)などが観念右翼としてあげられる。 |
①革新右翼 | ②観念右翼 |
国家改造 | 国体明徴 |
高度国防国家 | 国民精神総動員 |
解釈改憲 | 護憲(不磨の大典) |
指導者原理 | 臣道実践 |
統制経済 | 資本制擁護 |
親ソ・親独 | 反共・反独裁 |
世界史的な使命 | 日本史的な道統 |
陸軍統制派 | 陸軍皇道派 |
革新官僚 | 財界 |
無産政党 | 既成政党(現状維持派) |
国家社会主義者 | 自由主義者 |
【大アジア主義】
だい・アジア・しゅぎ Pan-Asianism |
欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。 植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。 明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。 日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 ※注:ブリタニカ百科事典にも自虐史観の傾向は当然あり、上記のような「大陸侵略戦争」という問題のある記述がなされている。 |
【大東亜共栄圏】 |
第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。 東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。 しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。 第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 |
運動の性格 | |||||
① | 明治期の日本主義 | 政府の欧化主義に反発し、国粋主義/国権主義(特に政府の欧米協調路線に反対する攘夷主義)を主張した言論活動(政論的ジャーナリズム) | 他国の侵略から自国・自民族を守る (解放的ナショナリズム) |
右翼思想 | 当初は国粋主義的だった在野言論人の活動は、明治末・大正期に日本が大国化したのちも反骨精神は全く変わらず、今度は次第に左翼思想に理解を示す者が出てきた(左右等価気分説(※1))。更に彼らは、戦後は進歩派・市民派左翼文化人として活発に活動した(長谷川如是閑・丸山眞男etc.)。 |
② | 昭和期の日本主義 | 皇道・国体思想を強調して、社会主義やマルクス主義の思想侵略の脅威への対抗イデオロギーとして機能した思想活動 | 全体主義の脅威から自国の歴史・伝統に根差した自由を守る (日本型保守主義) |
保守思想 | 日本精神主義派(観念右翼)。日本主義的教養を武器に学生・知識人の左傾化を防止し日本精神に目覚めさせると共に、革新右翼の狙う国家改造・解釈改憲・国家経済の社会主義化、更には戦争の長期化を「護憲」の立場から制止・抑制するために奔走。いざ戦争が激化すると国防のために生死を厭わず護国のために尽くした者が多い。 |
③ | アジア主義 | アジア諸民族を白人支配から解放するという大義を掲げ、実際にも明治期の孫文を初めインドのB.ボース、フィリピンのアギナルドらの独立運動と連動しつつ遂行された日本の勢力拡張運動。 | アジア諸民族の独立を支援する(排白人主義) (拡張的ナショナリズム) |
極右思想 | 国家社会主義派(組織右翼=革新右翼)と重なる。代表的イデオローグとして5.15事件に関与した大川周明、2.26事件に連座した北一輝。革新右翼は2.26事件暴発後に勢力を急拡大し三木清など転向左翼の多数が近衛内閣のブレーン集団を形成して国策を左右した。 ※詳しくは 右翼・左翼の歴史 参照 |
以上、説明したように、日本においても「保守主義」と「ナショナリズム」を区別することは可能であり、かつ英米保守主義との整合性という観点からもこの区別は必要と思われる。 また、戦前・戦中に「日本主義」を唱えた日本型の保守主義者の系譜は、参考図書 にあるとおり、実は戦後も途切れておらず、現在の日本の保守主義陣営(伝統保守の側)の中核に繋がっていることに注目すべきである。(なお、経済保守についてはこの限りでない) |
『保守主義の哲学―知の巨星たちは何を語ったか (単行本)』
中川八洋(著) 2004.4 刊 出版社/著者からの内容紹介 これまで日本には保守主義は正しく紹介されなかった! 保守主義が真に必要な今、その真髄を初めて体系的に詳解。保守の常識が覆る! アメリカを建国した保守主義の天才、ハミルトン。“法の支配”という自由の砦を大成した、コーク。フランス革命と戦った「保守主義の父」、バーク。それらの思想について、ほとんどの日本人は知ることがない。明治以降、あれほど西欧思想が流入したにもかかわらず、英米を中心とした保守主義はほとんど排除されてきた。 その結果、日本人は保守主義について、あまりに無知である。保守主義者を自称するものも、保守主義とはどういう思想かを理解していない。法曹関係者ですら、“法の支配”の真の意味がわかっていない。この保守への無理解が、ひいては現在日本のあまりの非常識と混迷を招いているといっても過言ではない。 では「保守主義」とは何か? それを体系的に解説したのが本書である。上記の思想家たちの他にも、トクヴィル、ヒューム、アーレント、オルテガ、ホイジンガ、ハイエクなど数多くの思想家を紹介する。いま初めて明かされる保守主義の真髄! 目次 第1部 保守主義の父祖たち(「米国保守主義の父」アレグザンダ・ハミルトン、「法の支配」は復権できるか―マグナ・カルタ再生とコーク卿、「保守主義の父」バーク―「バーク・ルネサンス」を日本に祈る) 第2部 全体主義と戦う「真正の自由」(「隷従への道」を歩む二十一世紀日本―アーレント解題、「赤より死!」の、反ヘーゲル―カール・ポパーの哲学、平等という、自由の敵―警鐘を鳴らすトクヴィル、反撃するベルジャーエフ) 第3部 「美徳ある自由社会」を創る(人間を透視したヒューム道徳哲学、「社会正義」は“亡霊”―自由の原理とハイエク政治哲学、「高貴なる自由」―永遠のバーク哲学) ★ハイエクの思想を機軸に、西欧哲学の正統保守主義(真正自由主義)の系譜と、それに対立する邪悪な全体主義思想の系譜を峻別して分かり易く解説。エドマンド・バークを初めとする西欧の正統保守思想の概略をこの一冊でマスター可能。 残念ながら現在は絶品であり中古本も高額なので同著者の正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒 で代用することを薦めます。 | |
アメリカ保守革命
中岡 望 (著) 2004.4 刊 出版社/著者からの内容紹介 今、世界を席巻しつつある「保守主義革命」は、アメリカで始まった。それは“アメリカ化”という形で、世界の政治、経済、文化を巻き込み、留まることのない勢いで世界の隅々まで行き渡りつつあるようにみえる。日本もその世界的な潮流の埒外に存在しているわけではない。主流だったリベラリズムと対峙しながら、最初は思想運動として始まり、やがて現実の政策へと影響力を拡大していったアメリカ保守主義の発展過程とその内実を縦横に描いた名作。 目次 第1章 戦後の保守主義のルネッサンス(アメリカのリベラリズムと保守主義思想、二人の保守主義思想のゴッドファーザー ほか) 第2章 保守主義思想とレーガン革命(思想運動から政治運動へ、保守主義思想の政治の代弁者たち ほか) 第3章 レーガン革命と冷戦後の保守主義運動(未完のレーガン革命、一九九〇年代の保守主義の思想闘争 ほか) 第4章 新しいエスタブリッシュメント―ネオコンの群像(ネオコンの創始者たち、ネオコンたちの思想的変遷 ほか) 第5章 ブッシュ政権と二一世紀の保守主義(ブッシュ政権の樹立と政策、ブッシュの経済政策―レーガノミックスの再現 ほか) ★戦後アメリカで細々と始まった(1)ウィーバー&カークによる伝統保守の思想運動と、(2)ハイエク・フリードマンらによる経済保守の思想運動の二つの流れが、メイヤー&バックリーによって融和・統合され、やがてゴールドウォーター、レーガンというコミュニケーター(人気政治家)を得て遂にアメリカ政治の表舞台に立つ時がくる。そして不十分な結果に終わったレーガン革命は、クリントン政権期の試練を経て、ブッシュ子政権期に更なる前進を見せる。 60年の長期に渡るアメリカ保守革命のあらましを必要十分に描きつくした好著。 | |
日本主義的教養の時代―大学批判の古層
竹内 洋 (編集), 佐藤 卓己 (編集) 2006.2刊 内容(「BOOK」データベースより) 戦前「護憲」の降魔剣“日本主義”を解明。「右翼」「反動」のレッテル貼りで忌避されてきた一九三〇年代“日本主義”の大学批判。マルクス主義的教養の機能的代替となった日本主義的教養の担い手たち。来るべき時代を読み解く画期的論集。 目次 第1章 帝大粛正運動の誕生・猛攻・蹉跌 第2章 天皇機関説批判の「論理」―「官僚」批判者蓑田胸喜 第3章 写生・随順・拝誦―三井甲之の思想圏 第4章 英語学の日本主義―松田福松の戦前と戦後 第5章 戦時期の右翼学生運動―東大小田村事件と日本学生協会 第6章 日本主義的社会学の提唱―赤神良譲の学術論 第7章 日本主義ジャーナリズムの曳光弾―『新聞と社会』の軌跡 ★未だに自虐史観どっぷりの東大・岩波系とは距離を置く京大系の学者達による昭和10年代日本の思想状況の共同研究プロジェクト全体のガイドライン的な位置づけの本。 | |
日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜
井上 義和 (著) 2008.6刊 内容(「BOOK」データベースより) 国家的危機の時代における大学の使命とは何か。欧化一辺倒の東京帝国大学に学風改革を迫り、高度国防国家を標傍する政府とも命がけの思想戦を繰り広げた東大生たち。戦時体制下で宿命的に挫折した“日本主義的教養”の逆説を読み解き、日本型保守主義の可能性を探る。 目次 第1章 「右翼」は頭が悪かったのか―文部省データの統計的分析 第2章 政治学講義と国体論の出会い―『矢部貞治日記』を中心に 第3章 学風改革か自治破壊か―東大小田村事件の衝撃 第4章 若き日本主義者たちの登場―一高昭信会の系譜 第5章 学生思想運動の全国展開―日本学生協会の設立 第6章 逆風下の思想戦―精神科学研究所の設立 第7章 「観念右翼」の逆説―戦時体制下の護憲運動 第8章 昭和十六年の短期戦論―違勅論と軍政批判 第9章 「観念右翼」は狂信的だったのか―日本型保守主義の可能性 ★現代の日本会議に繋がる国民文化研究会の母体となった昭和10年代の右翼学生運動の系譜を追い、左翼が壊滅した後、国家改造を進める革新右翼(国家社会主義者・アジア主義者)と激しく対立した観念右翼(伝統保守・日本主義者)の論理と実情を具体的に論証する好著 | |
保守主義とは何か―反フランス革命から現代日本まで
宇野重規(著)、中公新書、2016年6月刊 内容(中央公論新社ウェブサイトから引用) 21世紀以降、保守主義者を自称する人が増えている。フランス革命による急激な進歩主義への違和感から、エドマンド・バークに端を発した保守主義は、今では新自由主義、伝統主義、復古主義など多くのイズムを包み、都合よく使われている感がある。本書は、18世紀から現代日本に至るまでの軌跡を辿り、思想的・歴史的に保守主義を明らかにする。さらには、驕りや迷走が見られる今、再定義を行い、そのあり方を問い直す。 目次 序章 変質する保守主義―進歩主義の衰退の中で 第一章 フランス革命と闘う 第二章 社会主義と闘う 第三章 「大きな政府」と闘う 第四章 日本の保守主義 終章 二一世紀の保守主義 ★2016年6月に刊行された本書の著者やその推薦者によれば・・・ ・本書は、対フランス革命や対社会主義革命、対大きな政府など保守主義の時代による変遷をコンパクトに纏めた好著である。 「「保守」を自任する人の多くは、「リベラル」や「左翼」にについて恣意的なイメージを描き、それを藁人形のようにしてたたくことで、自らの「保守」を正当化する。しかしながら、多くの場合、それは空想上の仮想敵を相手にした空回りに過ぎないようにも見える。」という著者の指摘は重く響く ・・・という触れ込みであるが、実際に本書を読んでみると、「日本の保守主義についても…(中略)…アジアの植民地化など批判すべき点の方が多い」(p.212)とか「国の基本的な枠組みを維持する根幹である立憲主義の原理も、むしろ保守主義を名乗る勢力によって破壊されつつある」(p.200)という言説が散見され、結局のところ、著者のスタンスはどれだけ中立を装うとも所詮は丸山テーゼに彩られたアジア侵略史観(自虐史観)(※丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証参照)と戦後左翼的護憲思想(※立憲主義とは何か参照)を脱し切っておらず、もし本書に何らかの意義があるとすれば、著者と同じく未だそうしたスタンスから抜け出し切れない半可通の方が、取り敢えず批判的に「保守主義とは何か?」ということを、表面的であれ、あれこれ考えてみる第一歩になる・・・といったところでしょう。 とくに本書の場合、アンチ全体主義のチャンピオンであるハイエクの著作について、その初期の著『隷属への道』だけは巻末の参考図書に挙げても、彼の本当の代表作である『自由の条件』については本編で若干の言及を加えてアリバイを作りつつも参考図書から外していたり、ハイエクの盟友ポパーの名著『開かれた社会とその敵』を完全に無視している点に明らかに欺瞞を感じる(※なぜならハイエク『自由の条件』やポパー『開かれた社会とその敵』まで読者に進まれると、読者が左翼思想がそこで完膚無きまでに論破されていることをハッキリ理解してしまう怖れが高いから)。 そういう意味で、本書を読了して尚煮え切れない思いを抱いた方こそ、本サイトの左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページの各ページに進んで欲しいものである。 |