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(仮題)リベラル・デモクラシーと「法の支配」


リベラル・デモクラシー(自由民主制)その他の政治体制について考えるページ

<目次>

■1.初めに


■2.政治的スタンスと政治体制

※政治的スタンス5分類・8分類について詳しくは 政治の基礎知識 参照。
◆政治的スタンス五分類(内枠)
進歩重視 伝統重視
親・全体主義
(閉ざされた社会)
I 左翼
(共産主義、社会主義、リベラル左派)
⇔親和性高い⇔
(左/右しばしば転向)
V 右翼
(国民社会主義※1、ナショナリズム)
反・白人/反・英米的
親アジア傾向、独裁制
‡非常に対立的 II 中間(便宜主義) ‡反・左翼で一致だが潜在的には対立 モボクラシー(衆愚制)
親・自由主義
(開かれた社会)
III 真正リベラル
本来のリベラル=リベラル右派)
⇔親和性高い⇔
(伝統に根ざした自由)
IV 真正保守
伝統保守
親・文明/親・英米的
デモクラシー(民主制)



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◆政治的スタンス八分類 (外枠)           極右と極左は隣接 「ナチスとコチスは兄弟」
Political Stance Ultra-Left Left-Winger Liberal Centrist Neo-Liberal Conservative Right-Winger Ultra-Right
政治的
立ち位置
極左
(急進・過激派)
左翼
(革新)
リベラル左派
(中道左派・進歩派)
中間
(オポチュニズム)
リベラル右派
(新自由主義)
保守
(伝統保守)
右翼
(ナショナリズム)
極右
(急進・過激派)
政治制度 一党独裁
(全体主義)
指導政党制
(準全体主義)
選択的多党制・政権交代を前提
(純度の高い議会制デモクラシー = 自由民主制 liberal democracy)※2
指導政党制
(準全体主義・権威主義)
一党独裁
(全体主義)
革命(Revolution)断行 革命・クーデターによる政体変更を否認 維新(Restoration)断行 クーデター断行
経済制度 共産主義 社会主義 資本主義 国民社会主義※1
経済政策 国家管理 高負担・高福祉 やや高負担・高福祉 功利主義・無定見 最小限の介入 中負担・中福祉 高負担・高福祉 国家管理
外交政策 親大陸(反英米) 親英米(反大陸) 反英米・反大陸
日本の事例 社民党(旧社会党) 自民党
日本共産党 民進党 維新政党新風
生活の党 公明党 おおさか維新の会 日本のこころを大切にする党
海外の事例 米・露 ソ連共産党(現:ロシア共産党) 民主党(米) 共和党(米) 統一ロシア(プーチンの与党) 自由民主党(露)
英国   労働党(英) 自由民主党(英) 保守党(英)
ドイツ 左翼党(旧東独社会主義統一党) 社会民主党(独) 自由民主党(独) キリスト教民主同盟・社会同盟(独) ドイツのための選択肢 ナチス党(消滅)
中・台 中国共産党(支) 民主進歩党(台) 中国国民党(華・台)  
国内メディアの
立ち位置
赤旗
(共産党支持)
朝日・毎日・中日・NHK
(民主・社民支持)
読売・日経
(大連立・中道志向)
産経
(自民支持)
チャンネル桜
(保守派支持)
読売は「保守」ではなく「便宜主義」
産経も「保守」ではなく「中道右派」
※政治現象を読み解くために…上の図は頭に入れて置こう⇒上図の詳しい説明は 政治の基礎知識 参照                           ※意見はこちらへ⇒ 政治的スタンス分析
※1国民社会主義 … 「国民」を神聖視した戦後はナチスと結びついた national socialism を「国家社会主義」とワザと誤訳してきたが、戦前の刊行物は「国民社会主義」と正しく訳しており最近の高校教科書の記述も語義どおり正しく翻訳するようになってきた(例:2006年検定合格の山川世界史教科書:「国民(国家)社会主義」と表記)。
※2自由民主制 … 「国民」を神聖視したのと同様に「デモクラシー」を「民主主義」とワザと誤訳して神聖視した戦後は liberal democracy をも「自由民主主義」とワザと誤訳してきた。⇒詳しくは デモクラシーの真実 参照。しかし厳密に学問的な政治学の著作は democracy を「民主主義」ではなく、ちゃんと「民主制」「民主政体」「民主政治」「衆民制」などと表記している。

■3.政治体制の説明

◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治)

(1) 英語版 wikipedia(liberal democracy wiki の項)より定義部分のみ翻訳   ※ブリタニカ百科事典には項目なしのためwikipediaで代用
自由民主制(liberal democracy)は(ブルジョア民主制(bourgeois democracy)あるいは立憲民主制(constitutional democracy))は代議制民主制(代表制デモクラシー representative democracy)の一般的な形態である。
自由民主制の原則によれば、①選挙は自由で公平であるべきであり、②政治的プロセスは競争的であるべきである。政治的多元性(政治的複数性 political pluralism)は通常、複数の明瞭に区別された諸政党の存在によって同定される。
自由民主制は様々な憲法形態をとることが可能である。それはアメリカ・ブラジル・インド・ドイツのような①連邦共和国(federal republic)が可能であり、また英国・日本・カナダ・スペインのような②立憲君主国(constitutional monarchy)が可能である。
それ(自由民主制)はまた、①大統領制(predidential system アメリカ・ブラジル)、②議会制(paliamentary system = Westminster system 英国と共同体諸国 UK and commonwealth countries)、あるいは③混成・半大統領制(hybrid, semi-presidential system フランス・ロシア)が可能である。
※オックスフォード英語辞典・コリンズ-コウビルド英語辞典にも liberal democracy の項目なし。

「自由」を最高の価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。
日本・アメリカ合衆国・英国・ドイツなど現在の先進諸国の政体(政治体制)は、いずれもリベラル・デモクラシーである。
但し、日本・英国などはその政治権力の所在・運用の実質に照らして「デモクラシー(民主政治)」が行われている、と言ってよいが、「政体」という意味では、厳密には「立憲君主政体(constitutional monarcy 立憲君主制)」である。

なお、スゥェーデン・ノルウェー・デンマークの北欧3ヶ国は、立憲君主制に加えて、「リベラル(自由主義的)」ではなく「ソーシャル(社会主義的)」な価値をより重視して長年国家を運営しており、共和制で同様な国家運営をしているフィンランド・アイスランドを加えたこの北欧5ヶ国は「ソーシャル・デモクラシー(社会民主制、社会主義的民主政体)」と表現する方が適切かも知れない(但し social democracy は政体よりも政治的イデオロギーを現す言葉として用いられるのが常なので、代わりにこれら北欧諸国の政治体制を表す言葉として Scandinavian wealfare model あるいは Nordic model が用いられるようである)。

※これに対して、「自由」に価値を置かず、「民主政体(民主制)」でもない政治体制の国も世界には沢山ある。

◆2.全体主義体制(totalitarian regime)

(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(totalitarianismの項)より全文翻訳
市民生活の全領域を国家の権威の下に置く政府の形態(Form of government)であって、唯一のカリスマ的な指導者を究極的な権威とするもの。
この言葉は1920年代初期にベニト・ムッソリーニによって鋳造されたが、全体主義は全歴史・全世界を通して存在してきた(例えば支那の秦王朝)。
全体主義は既成の全ての政治機構や全ての古い法的・社会的伝統を、通常高度に重点的な国家の必要に合致する新しいものに取り替える点で、独裁制(dictatorship)や権威主義(authoritarianism)と区別される。
大規模で組織的な暴力が合法化され得る。警察は法や規則の制約なしに作動する。国家目標の追求は斯様な政府の唯一の思想的基礎であるため目標の達成は決して承認されない。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)はこの主題の標準的著作である。
(2) オックスフォード英語事典(totaritarianの項)より抜粋翻訳
<1> 中央集権的で独裁的であり、国家に対する完全な服従を要求する政治システムに関するもの。
<2> 全体主義的な政治システムを唱導する人物
(3) コウビルド英語事典(totalitarianの項)より全文翻訳
<1> 全体主義的政治システムとは、唯一の政党が全てをコントロールし一切の反対党を許さないものである。
<2> 全体主義者とは、全体主義的政治理念あるいはシステムを支持する人物である。

共産党・労働党などが一党独裁する中国・北朝鮮・キューバなど共産主義国がその一つの典型であり、これを「全体主義的独裁政体(totalitarian tyranny)」と呼ぶ。
これらの国は「人民民主主義(people's democracy)」という偽物のデモクラシーを称する場合がある(totalitalian democracy とも言う)。

◆3.権威主義体制(authoritarian regime)

(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(authoritarianismの項)より全文翻訳
権威への無制限の服従の原理であって、個人の思想や行動の自由に反するもの。
政治的システムとしての権威主義は反民主的(anti-democratic)であり、政治的権力は被統治者に対して何ら憲法上の責務を負わない単一の指導者または少数エリートに集中される。
権威主義的政府は通常、①指針となるイデオロギーを欠くこと、②社会的機構に幾らかの複数性を許容すること、③国民的な目標の追求に全人口を投入する権力を欠いていること、④相対的に予測可能な制限の範囲で権力を行使すること、から全体主義とは区別される。
絶対主義(Absokutism)、独裁制(Dictatorship)を参照せよ。
(2) オックスフォード英語事典(authoritarianの項)より抜粋翻訳
<1> 個人の自由を犠牲にして、権威に対する厳格な服従を志向し強制すること
<2> 他人の意思や意見への関心が欠けていることを示すこと。独断的な。
<3> 権威主義的な人物
(3) コウビルド英語事典(authoritarianの項)より全文翻訳
<1> 貴方が、ある人物や組織が権威主義であると描写す場合、貴方は、彼らが人々が自身で物事を決定することを許容せず全てのことをコンロトールすることに批判的であることを意味する。
<2> オーソリタリアンとは権威主義的な人物である。

ロシアやエジプト、シンガポールのようにデモクラシーの外観は備えているが、事実上一つの党派や個人が独裁的な権力を握っている「権威主義的体制(authoritarian regime)」を取る国々は多い。

■4.日本国憲法の規定

◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念)

現行憲法の前文第一段は、「自由」に価値を置き、「代表制デモクラシー」を採用することを宣言している。
前文第一段 内容
日本国民は、
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 代表制デモクラシー
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、 国際協調主義
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 自由主義
政府の行為によって 自虐史観
再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意し、 非戦主義
ここに主権が国民に存することを宣言し、 国民主権
この憲法を確定する。 立憲主義

◆2.現行憲法の問題点

ここで予め現行憲法の問題点を指摘すると、
(1) 現行憲法は制定過程に重大な瑕疵があり、正統性に乏しい。
(2) 内容的には、日本の歴史・伝統を完全に無視あるいは蔑視さえしており、事実に反する一方的な贖罪意識を日本人に刷り込むことを意図しているばかりか、文言のうえで明らかに日本国民の基本的な自存自衛の権利を蔑ろにし、かつ国家共同体の解体に誘導する意図さえ伺える。
(3) 従って現行憲法は、<1>無効宣言し明治憲法下の体制に一瞬戻した上で明治憲法の改正手続きによって改正するか、<2>現行憲法第96条の改正手続きによるか、に関わらず、内容的には平成18年に安倍内閣によって行われた教育基本法の全面改正に準じた形で全面的に変更する必要がある。
(4) なお、憲法九条限定の小手先の改正は現行憲法に正統性を付与してしまう恐れの方が高いため、やらぬ方がマシである。
以上を踏まえた上で、前文第一段に示された現行憲法の基本理念について、その当否を論じる。

◆3.前文第一段の評価と展望

(1) 「自由」を最高の価値とし「代表制デモクラシー」を採用すること、つまり「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を維持することに全く異存はない。但し現行憲法では文言上曖昧となっている「立憲主義」について、日本の歴史・伝統に照らして「立憲君主政体(立憲君主制)」であることを明確に規定すべきである。
(2) 「自虐史観」に基づく「非戦主義」の規定は、所謂「奴隷の平和(主義)」であり、日本国民の正当な自存自衛の権利に違反するため、全面的に排除する必要がある。
(3) 「国際協調主義」は日本国の正当な権利が保証される限りにおいて意味を持つのであり、事実に基づかない贖罪意識により日本国が一方的に譲歩させられること(所謂「土下座外交」)は許されない。
(4) 現行憲法では「国民主権」が声高に謳われているが、既に「デモクラシー(民衆による政治)」が過剰に行き渡った現在の状況では、安易な「国民主権」の強調は、デモクラシーのモボクラシー(衆愚政治)化を助長するだけである。⇒ デモクラシーの真実 参照
更に「国民主権」は「自由」という最高の価値とも実は両立しない(下記 ■5.参照)。
従って「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を正しく保証すぺく、「国民主権」の概念も全面的に排除する必要がある。

■5.「国民主権」から「法の支配」へ

◆1.「国民主権」では「自由」を保証できない

「国民主権」あるいは「人民主権」(以降併せて「主権在民」論と呼ぶ)の概念は、欧州大陸の絶対君主の唱えた「君主主権」に対抗して登場した。
(1) 「君主主権」では、 君主の恣意的な命令が即ち「法」となり、臣民の「自由」は理屈の上では無制限に奪われる。
(2) 一方「主権在民」論では、 全ての国民ないし人民の意志が一致するはずがないので、結局、比較的多数派の意志が「法」となって、比較的少数派の意志を圧殺することになる。
つまり少数派の「自由」は理屈の上ではやはり無制限に奪われる。
これを防ぐ一つの有力な方法は、何人も奪われぬ「自由」の領域、即ち「多数派であっても変更不可能な自由の領域」を予め憲法上に明記して置くこと、であり、日本国憲法もこの方法に従って多数の基本権が列記されている(基本権カタログ)。
しかしながら、この方法は「法=主権者の意志・命令」という構造である以上、主権者が君主から国民あるいは人民に代わろうと、常に彼らが自らの意志を押し通す誘惑あるいは危険性から逃れられない。即ち、
「法=主権者の意志・命令」 であれば、憲法自体が主権者の恣意的な構築物であるのだから、
主権者は、 ①不都合な条文を勝手に改変したり、
②憲法そのものを停止宣言することによって、
幾らでも少数派の憲法上保証された権利・自由を奪えることになってしまうのである。

以上述べた「法=主権者の意志・命令」説は、デカルト以来主にフランス・ドイツなど欧州大陸で発展した所謂「大陸合理論」と東ローマ帝国のユスティニアヌス法典に淵源を持つ「大陸法」の伝統からの帰結である。 ⇒ 大陸合理論・イギリス経験論については 国家解体思想の正体 参照

◆2.「法の支配」が「自由」を守る

これに対して英国では、中世期のマグナ・カルタに代表されるゲルマン祖法から自生的に発展した慣習法(コモン・ロー)の伝統、すなわち「法=歴史的に形成された自生的秩序」であり、意図せざる人為の産物である、とする観念が育った。
この所謂「イギリス経験論」あるいは後の「英米法」の考え方によれば、
“法”を定める“主権者”なる者は存在せず、
“法”は気の遠くなるほど長い年月をかけて無数の先人達の叡智と経験の積み重ねの中から徐々に“発見”されてきたものであり、
それゆえに確実な権威を持つものであって、
何人であろうと(君主であろうと議会の多数派であろうと)勝手に改変することは許されないもの、とされた。
このような「国王といえども神と法の下にある」状態を「法の支配」(rule of law)と呼ぶ。

英米法の伝統では、恣意的に法を改変できる“主権者”なるものは存在せず、強いて言えば「“法”が王様」即ち「“法”主権」である。(※1)
なお、この場合の“法(law)”は、君主の定める「勅令」や、議会の定める「法律(legislation)」とは区別される、世代を重ねて歴史的に形成された不文の慣習法である(制定法は慣習法を明確化した補完的存在である)。
「自由」を保証するのは、こうした全ての人に差別なく適用され、世代を超えて遵守される慣習法の一般ルールである。

(※1)ちなみに「国民主権」ないし「主権在民」の英訳とされる popular sovereignty をブリタニカ百科事典で引くと
popular sovereignty (南北戦争以前に)アメリカの連邦保有地の入植者達に、自由州または奴隷州としてユニオンに加盟する決定を下すことを許容した政策(以下省略)
とだけ記載されており、「国民主権」「主権在民」という意味は一切見当たらない。
またオックスフォード英語辞典やコリンズ-コウビルド英語辞典には popular sovereignty という言葉がそもそも登録されていない。

◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方

  歴史主義・伝統主義 (英米法) 反歴史主義 (大陸法)
権利の本質 人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として歴史的権利を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場 人間は自然状態において、生来的に自然権(natural right)を有していたが、社会契約(social contract)を結んで自然権を放棄し、人定法実定法:positive law)を定めた、とする立場
法の本質 特定の共同体の中で法が自生(自然に成長)した(法=自生的秩序説 法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(法=主権者命令説)(注2)
誰が法を作るのか 法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(経験主義、批判的合理主義)⇒「法は“発見”するもの」 法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(設計主義的合理主義)⇒「法は作るもの」(注3)
補足 個別性、相対主義、帰納的、保守主義・自由主義と親和的、法の支配ないし立憲主義 普遍性、絶対主義(但し価値相対主義)、演繹的、急進主義・全体主義と親和的、法治主義
実例 英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。
明治憲法も日本の歴史的伝統を重んじる形で熟慮を重ねて制定された
フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。
日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法)
主な提唱者 コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトン
なお第二次大戦後の代表的提唱者は、ハイエク、ポパー
ホッブズ、ロック、ルソー
なお第二次大戦後の代表的提唱者は、ロールズ、ノージック

※注1:「法=主権者命令説」は、主権者を誰と見なすかによって以下に分類される。
君主主権 君主一人が主権者:社会契約説以前の王権神授説やホッブズの社会契約説
人民主権 君主以外の人民 people が主権者:ルソーの社会契約説
国民主権 君主を含めて国民全員が主権者。但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は含めない」として、実質的に人民主権と同一と見なす者が多い
議会主権 英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における女王(the queen in parliament)」が主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論
国家主権 帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」が主権者であるとし君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉博士の天皇機関説もこの説の一種である
⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、
明治憲法は制定時において明確に歴史主義の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば
“法”主権 つまり「法の支配」・・・国憲に関して言えば歴史的に形成された慣習法(を可能な範囲で実定法化した憲法)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束する
という立場だった。
また大正デモクラシー以降は、美濃部達吉博士の「天皇機関説」(⑤国家主権説の一種)が通説となっており、それが天皇機関説事件により、①君主主権説に転換するのは昭和10年(1935)以降の僅か10年間である。

※注2:「法=主権者命令説」はまた、立法者の価値観次第で、法を倫理学(カントやヘーゲルのドイツ観念論的法思想)や政治イデオロギー(マルクス主義法思想やナチス期ドイツの法思想)に還元してしまう傾向が生じる(価値相対主義)。

※自由を巡る西洋思想の二つの潮流について詳しくは ⇒ 国家解体思想の正体 参照

◆3.大陸法の「国民主権」の原理ではなく英米法の「法の支配」の原理が必要である

(1) かってフランスがルソーの革命思想に燃えるジャコバン党の恐怖政治に覆われたとき、強烈な反撃の狼煙を上げたのは英国だった。
(2) ナチス・ドイツが欧州大陸を席巻したとき、ただ一国で踏みとどまってヒトラーの自滅を誘ったのも英国であり、最終的にこれを壊滅させたのは米国だった。
(3) ソ連との持久戦に耐えて遂にこれを崩壊に導いたのは、サッチャー&レーガンの英・米同盟だった。
これまでに世界を襲った恐怖政治と全体主義の脅威から、三度までも「自由」と「デモクラシー」を守ったのは、結局のところイギリスであり、(日本人にとっては些か不本意ではあるが)アメリカであったのは、おそらく偶然ではないはずである。

結局、「リベラル・デモクラシー」は英米法の伝統の中で発展してきた政治体制であり、フランス・ドイツで発展した大陸法の「国民主権」あるいは「人民主権」といった「法=主権者意志・命令」説、人定法主義(法実証主義)の伝統の中では安定的に維持できないのではないだろうか。
明治以来導入してきた大陸法の原理ではなくて、英米法の「法の支配」の原理を正しく日本に導入する必要がある。

にも関わらず、中川八洋氏(筑波大学名誉教授)によれば、英米法の「法の支配」の原理を正しく理解している憲法学者は、既に高齢の伊藤正巳氏しかいないとの事である。

確かに日本国憲法の代表的な解説書(所謂基本書)である故・芦部信喜著『憲法』からは、芦部氏がルソーの人民主権論にシンパシーを寄せ、英米法の「法の支配」の原理を「人権の観念と固く結びつくもの」と曲解している様子が伺える。
また佐藤幸治著『憲法』は、「法の支配」に関連してハイエクの「ノモスとテシス論」や「ノモスの主権論」を簡単に説明しており、ルソー主義の芦部氏よりも遥かにマトモではあるものの、ベースになる思想がロックの社会契約論(つまり「国民主権」論)であるために、結局は、英米法の本流である「法の支配」(による歴史・伝統の重視→社会契約論の否定)とは相容れない立場にしか立っていないように見受けられる。

◆4.モボクラシー(衆愚政治)から「リベラル・デモクラシー」破壊へ?

2007年7月の前回の参院選でマスコミの執拗な安倍首相中傷報道に国民の多くが扇動され自民党が大敗したときには、少なくとも日本の政治は既に「モボクラシー」に突入していたように思う。
だとすれば、去年の衆院選(麻生総理退陣・民主党政権成立)の後に来るのは、いよいよ戦後日本の「リベラル・デモクラシー」の破壊なのかも知れない。

「政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである」
~ペリクレスによる戦士葬送演説:トゥキディディス『戦史』

…という古代アテネの有能な将軍の残した言葉は誤りだったのだろうか?

そしてそのとき、私たちに出来ることは何だろうか。

■6.ご意見、情報提供


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