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仮ページ45 - (2010/09/27 (月) 21:54:17) の編集履歴(バックアップ)


個人主義(individualism)は今日では悪いことを意味する言葉となってしまっており、利己主義(egoism)や自己中心主義(egocentrism)といつも結び付けて語られる。けれども我々が社会主義やその他全ての形の集産主義(collectivism)と対比させながら主張する個人主義とは、これらの利己主義や自己中心主義とはどんな必然的な関係も全く持っていない。
~ F.A.ハイエク(オーストリア出身・英国に帰化したノーベル賞経済学者・政治/法思想家)『隷従への道』(1944年)

自由主義のコア理念である個人主義(individualism)と反対理念である集産主義(collectivism)のまとめページ

<目次>

■1.初めに

本来は「自由主義(=国家からの強制がないという消極的自由を志向する立場)」を意味した liberalism という言葉が、19世紀末から20世紀初めにかけて、社会主義を志向するその反対者たちによって著しくその意味を歪曲され、今では一般に「リベラル」といえば「(自由ではなく平等により価値を置く)マイルドな社会主義者」のことを意味するようになってしまった事情については、ハイエクと自由主義リベラリズムの真実で説明しました。
※なお、本来の「自由主義者」は現在では「ネオ(=再興)リベラル」または「新保守」と呼ばれています。

同様にして、本来は
一人一人の考え方や嗜好を、例えそれが狭い範囲のものであっても、その個人の領域においては至高のものと認める立場 であり
人はそれぞれに与えられた天性や性向を発展させることが望ましい、とする信念 (F.A.ハイエク)
を意味した「individualism(個人主義)」という言葉が、その反対理念である「collectivism(集産主義)」を志向する者達によって著しく意味を歪曲され、今では専ら「利己主義」「自己中心主義」という否定的な意味ばかり含意するものになってしまいました。

例えば、保守の有力論客である藤井厳喜 (国際経済学者)氏や、mixiの有力右派コミュニティ主宰者である細川一彦 氏においてすら、この「個人主義」という言葉に関しては全面的に否定するニュアンスの見識だけを示している状態です。

このページでは、
本来の「自由主義」と密接に結び付き、そのコア理念を形成してきた 「真の個人主義(true individualism)」と
「自由主義」と対立する「全体主義」と密接に結び付いた 「偽の個人主義(false individualism =ルソー的・原子的個人主義)」
及び「集産主義(collectivism 集団主義とも訳す)」
について、概念的な整理を行います。

■2.個人主義・集産主義とは何か

※まず、一般に余り使用されないが、意味自体は明確な「collectivism」という言葉の辞書的定義を説明し、次により混乱を招きやすい「individualism」という言葉を説明します。

◆辞書による説明1(collectivism:集産主義、集団主義)

(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(collectivismの項)より全文翻訳
個々人が所属するグループ(例えば、国家・国民・民族集団・社会階級)に、中心的な重要性を帰属させるあらゆるタイプの社会的組織(social organization)。
集産主義は、おそらく個人主義(individualism)と対照的である。
ジャン-ジャック・ルソーは、近代において最初に集産主義を論述した思想家である(1762年(『社会契約論』))。
カール・マルクスは、19世紀における最も強力な集産主義の唱道者であった。
共産主義、ファシズム、社会主義は、おそらく全て集産主義的システムと呼ぶのが相応しい。
共同体主義(communitarianism)、キブツ、モシャヴを参照の事
(2) オックスフォード英語事典(collectivismの項)より抜粋翻訳
<1> 各々の個人が所属する集団に、個人を超える優先権を付与する行為形態または原理。
<2> 国家(state)または人民(people)による土地(land)及び生産手段(means of production)の所有を意味する政治的原理またはシステム。
(3) コウビルド英語事典(collectivismの項)より全文翻訳
集散主義とは、国家の産業とサービスは国家(state)または国家の全ての人民(all people in a country)によって所有され、管理されるべきだ、とする政治的信条である。社会主義・共産主義はともに集産主義の一形態である。

◆辞書による説明2(individualism:個人主義)

(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(individualismの項)より全文翻訳
個人の自由を強調する政治的・社会的哲学。
近代個人主義は。英国でアダム・スミスとジェレミー・ベンサムの理念と共に出現し、そのコンセプトはアレクシス・ド・トックヴィルによってアメリカ人気質にとって根本的なもの(fundamental to the American temper)として描かれた。
個人主義は、①価値体系、②人間本性に関する理論、③一定の政治的・経済的・社会的・宗教的組み合わせ(arrangements)に関する信条を包摂している。
個人主義者によれば全ての価値は人間中心的であり、個人には至高の重要性があり、そして全ての個々人は倫理的に平等である。
個人主義は、個人の自立独行(self-reliance)、私生活の保全(privacy)、相互尊重(mutual respect)に大きな価値を置いている。
反対に個人主義は、権威(authority)や個人に及ぼされるあらゆる態様の統制(control)、ことに国家によって遂行される場合に否定的立場をとる。
人間本性(human nature)に関する理論として個人主義は、普通の成人の利害関心は、本人に自己の目的と目的達成の手段を選択する自由及び責任が許容される場合に最もよく追求される、とする考えを内包する。
個人主義の制度的具体化は、これらの原理から導かれる。
全ての個人主義者は、政府が、①法と秩序を維持し、②個々人が他者に干渉することを防ぎ、③任意に締結された同意(契約)に強制力を付与すること、に自己の役割を厳しく限定して、個々人の生活に対する介入を最小限に保つべきである、と信じている。
個人主義者はまた、各人または各家庭は所有物を獲得したり、それを彼らの思うままに管理し処分する便宜を最大限に享受する所有システムを含意している。
経済面での個人主義と、民主制(democracy)という形式の政治面での個人主義は、しばらくの間歩を揃えて前進したが、19世紀の成り行きの中で、新たに選挙権を付与された投票者が経済過程に対する政府の介入を要求するに及んで遂に、その二つは不適合であることが判明した。
個人主義は19世紀末から20世紀初めにかけて、大規模な社会的組織の勃興と、個人主義に反対する政治理念-特に、共産主義とファシズム-の出現によってその地歩を喪失した。
個人主義は20世紀後半に、ファシズムの敗北、ソ連と東欧の共産主義の崩壊、そして代議制民主制の世界規模の拡大によって再浮上した。
自由至上主義(libertarianism)を参照の事。
(2) オックスフォード英語事典(individualismの項)より抜粋翻訳
<1> 自立(independent)・独立独行(self-reliance)的である習性または原理。
自己中心的(self-centred)な感情または行為、利己主義(egoism)
<2> 集団的または国家による統制(collective or state control)よりも、個々人の行為の自由(freedom of action for individuals)を選好する社会理論。
(3) コウビルド英語事典(individualismの項)より全文翻訳
<1> 他者を模倣するよりも自分独自で物事を考えたり行動したりする事を好む人の振る舞いに対して「個人主義」という言葉が使用される。
<2> 「個人主義」とは、経済や政治は政府によって統制されるべきではない、とする信条である。

◆自由主義思想家による説明

(1) K.R.ポパー(オーストリア出身でナチス支配期に英国に帰化した科学哲学者)『開かれた社会とその敵』(1945)
「個人主義(individualism)」という言葉は(『オックスフォード辞典』によれば)二つの異なった仕方で用いることができる。
<1> 即ち(a)集団主義(collectivism)の反意語として
<1> また(b)利他主義(altruism 博愛主義)の反意語として
前者の意味を表す他の言葉はないが、後者の意味での同意語は幾つかあり、例えば「利己主義egoism」「自分本位selfishness」などがそうである。
私はこれ以降「個人主義」という言葉を専ら(a)の意味で用い、もし(b)の意味を表わしたときには「利己主義」や「自分本位」を用いることにする。
・・・プラトンは個人主義を利己主義と同一視することによって集団主義擁護と個人主義攻撃のための強力な武器を手にすることになる。
集団主義を弁護する際には、彼は自分本位を排するという我々の人道主義的感情に訴えることが出来、攻撃の際には、全ての個人主義者を自分本位で自分以外の何者に対しても献身できない人というレッテルを貼り付けることが出来る。
(2) F.A.ハイエク(オーストリア出身・イギリスに帰化した経済学者・政治/法思想家)『市場・経済・自由』所収「真の個人主義と偽の個人主義」(1945)
個人主義の意味について世に流布している混乱を次の事実ほどよく示す例はないと私は思う。
即ち、私には真の個人主義の最高の代表者のひとりと思われるエドマンド・バークが、ルソーのいわゆる「個人主義」の主たる敵だと通常は(そしてそれは正しいと)考えられている。
バークはルソーの理論が国家を急速に解体して「バラバラの個人の粉末にしてしまう」ことを恐れたのである。
・・・バークは、最初はルソーをその極端な「個人主義」のゆえに攻撃し、後にはその極端な集団主義のゆえに攻撃したのだが、バークが首尾一貫しなかったのでは決してなくて、ルソーの場合にも他の全ての者の場合においても同じように、彼らの説いた合理主義的個人主義が不可避的に集団主義に到った結果に過ぎなかった。