◇おしゃべり◇ |
BBS |
政党 | 政治的立ち位置(P.S.) | 主な議員 | |||
1 | 自民党 | (1) | 進歩 | 数は多くないがマスコミの支援を受ける有力議員が多い | 河野太郎、河野洋平、加藤紘一 |
(2) | リベラル | 岸田派、旧二階派に多い | 福田康夫、二階俊博、古賀誠、谷垣禎一、野田毅 | ||
(3) | 中間 | 額賀派、大島派、石原派に多い | 青木幹雄、山崎拓、小泉純一郎、町村信孝、細田博之 | ||
(4) | 保守 | 町村派、旧伊吹派、麻生派に多い | 森喜朗、麻生太郎、安倍晋三、下村博文 | ||
2 | 民主党 | (1) | 革新 | 旧社会党・社民連出身者に多い | 江田五月、横路孝弘、菅直人、仙谷由人、千葉景子、岡崎トミ子、齋藤勁、今野東 |
(2) | 進歩 | 旧民社党(労組系)、旧さきがけ出身者に多い | 鳩山由紀夫、岡田克也、直嶋正行、川端達夫、高木義明、平岡秀夫 | ||
(3) | リベラル | 旧日本新党、松下政経塾出身者に多い | 前原誠司、藤村修 | ||
(4) | 中間 | 旧新生党(自由党)出身者に多い | 小沢一郎、渡部恒三、藤井裕久、羽田孜、北澤俊美、野田佳彦、中井洽、山岡賢次、奥村展三 | ||
(5) | 保守 | ほぼ絶滅 | 牧義夫、渡辺周、笠浩史、長尾敬 |
政党 | 氏名 | 政治的立ち位置(P.S.) | 補足説明 | |||
1 | 清和会派 | 首相 | (1) | 福田赳夫 | 保守 | 岸信介の流れを汲み、「タカ派」と評されることが多い。60年代の高度成長期には水田三喜男とともに数度に渡って蔵相をつとめ、また70年代のオイルショック後の転換期にもほぼ一貫して経済運営の中心にあった。総理就任後は1977年のいわゆる福田ドクトリンは、今日に至る日本の東南アジア外交の基軸となっている。また、日中平和友好条約の締結は、その後の日中経済協力の礎を築くことになった。 |
(2) | 安倍晋太郎 | 保守 | 安倍晋三の父。安倍はポスト中曽根を逃したものの竹下政権では幹事長として主流派入りし、ポスト竹下の最右翼と見なされていたが、リクルート事件のダメージを受けたまま病に倒れた。 | |||
(3) | 三塚博 | 安倍晋太郎時代は加藤六月・塩川正十郎・森喜朗とともに「安倍派四天王」と称された。安倍の死後は加藤との「三六戦争」に勝利し、安倍派を継承。しかし第2次橋本内閣の蔵相時に山一証券・北海道拓殖銀行の破綻といった未曾有の金融危機に見舞われた際に目立った指導力を発揮出来ず、大蔵省接待汚職事件の責任を取って蔵相辞任。結果首相への夢はかなわず、翌年には森に派閥会長の座を譲って三塚派から森派とし、政界の第一線から退く形になった。 | ||||
(4) | 森喜朗 | 真正保守 | 「神の国発言」でマスゴミの理不尽なまでのバッシングを受けた被害者第一号。 しかし、このバッシングの真の理由は森氏が後の安倍・麻生両氏と同じく保守であったことに対するマスゴミ側の反感・敵意による(当時はネットによる歯止めが無かったため国民の多数が騙されてしまった) | |||
(5) | 町村信孝 | 保守 | 外相時に中国の反日デモに猛抗議、日本の国連常任理事国就任活動を積極推進、福田内閣では官房長官として福田首相の親中姿勢を抑制し日本の国益確保に腐心。教育正常化を推進し日教組を批判。 | |||
(6) | 細田博之 | 保守 | 麻生元総理の言葉狩りに奔走するマスコミやマスコミの情報を鵜呑みにする有権者を批判したが、女性宮家の創設に反対。 |