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北方領土侵略の正体 - (2010/11/02 (火) 13:22:20) の編集履歴(バックアップ)
北方領土の歴史について
北方領土とは
北海道知床半島の東に存在する国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島から占守島までの列島と南樺太のことをさす。
1945年から現在までロシア連邦(ソ連)が不法占領を続けている我が国固有の領土である。
北方領土と南樺太と千島列島が日本領である根拠
- 1855年の日露通好条約で得撫島と択捉島の間が国境と定められる。
- 日本軍は、1945年8月15日まで南樺太に侵攻してきたソ連軍を足止めさせていたが、その後もソ連軍は攻撃を続け、19日には千島列島最北端の占守島に上陸。ソ連が北方領土を全て占領し終わるのは1945年9月4日(終戦後)のことである。
- 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島と南樺太を放棄と書いてあるがロシアは加盟してないのでこれを援用はできない。
ソ連とロシアはまったく別の国。憲法も違う。ロシアに北方領土について語る資格もない
北方領土に関しては2等分(3.5島)の返還で良いとする私案を発表。
せっかく中韓には強行姿勢を取れていたのに、ロシアに対してはこのような姿勢しかできないのは何故か。
一国の外務大臣が領土を易々と手放すなどという考えは決してあってはならない。
- 日本軍は、1945年8月15日まで南樺太に侵攻してきたソ連軍を足止めさせていたが、その後もソ連軍は攻撃を続け、19日には千島列島最北端の占守島に上陸。
ソ連が北方領土を全て占領し終わるのは1945年9月4日(終戦
後)のことである。
- 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島と南樺太を放棄と書いてあるがロシアは加盟してないのでこれを援用はできない。
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参考リンク
■特定亜細亜ウィキ Specific Asia Wiki - 北方領土