北方領土侵略の正体

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北方領土侵略の正体 - (2010/11/15 (月) 17:17:44) の編集履歴(バックアップ)


北方領土の歴史について





北方領土とは

北海道知床半島の東に存在する国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島から占守島までの列島と南樺太のことをさす。
1945年から現在までロシア連邦(ソ連)が不法占領を続けている我が国固有の領土である。



ヤルタ協定の内容

第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年2月4日から11日までの8日間、ソ連・クリミア半島のヤルタ市(現ウクライナ領)の南方にあるリヴァディア宮殿を会議場に、アメリカ・イギリス・ソ連の3首脳が会談した際に、日本に関して結ばれた秘密協定の内容です。
ロシアはこの密約を根拠に、北方領土の実効支配を正当化していますが、この協定はあくまで密約であり、「当事国が関与しない領土の移転は無効である」という国際法の条文に明白に違反しています。

1.外蒙古(蒙古人民共和国)の現状は維持する。

2.1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、つぎのように回復される。

(イ)樺太の南部及びこれに隣接するすべての島を、ソヴィエト連邦に返還する。

(ロ)大連商港を国際化し、この港におけるソヴィエト連邦の優先的利益を擁護し、また、ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する。

(ハ)東清鉄道及び大連に出口を提供する南満州鉄道は、中ソ合併会社を設立して共同に運営する。但し、ソヴィエト連邦の優先的利益を保障し、また、中華民国は、満州における完全な利益を保有するものとする。

3.千島列島は、ソヴィエト連邦に引渡す。

前記以外の外蒙古並びに港湾及び鉄道に関する協定は、蒋介石総統の同意を要する。大統領は、スターリン元帥からの通知により、この同意を得るために措置を執る。

3大国の首班は、ソヴィエト連邦のこれらの要求が日本国の敗北した後に確実に満足されることを合意した。 ソヴィエト連邦は、中華民国を日本国の束縛から解放する目的で、自国の軍隊によりこれに援助を与えるため、ソヴィエト社会主義共和国連邦と中華民国との間の友好同盟条約を中華民国政府と締結する用意があることを表明する。。


北方領土と南樺太と千島列島が日本領である根拠


  • 1855年の日露通好条約で得撫島と択捉島の間が国境と定められる。
  • 日本軍は、1945年8月15日まで南樺太に侵攻してきたソ連軍を足止めさせていたが、その後もソ連軍は攻撃を続け、19日には千島列島最北端の占守島に上陸。ソ連が北方領土を全て占領し終わるのは1945年9月4日(終戦)のことである。
  • 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島と南樺太を放棄と書いてあるがロシアは加盟してないのでこれを援用はできない。



ソ連とロシアはまったく別の国。憲法も違う。ロシアに北方領土について語る資格もない


北方領土に関しては2等分(3.5島)の返還で良いとする私案を発表。
せっかく中韓には強行姿勢を取れていたのに、ロシアに対してはこのような姿勢しかできないのは何故か。
一国の外務大臣が領土を易々と手放すなどという考えは決してあってはならない。
  • 日本軍は、1945年8月15日まで南樺太に侵攻してきたソ連軍を足止めさせていたが、その後もソ連軍は攻撃を続け、19日には千島列島最北端の占守島に上陸。
ソ連が北方領土を全て占領し終わるのは1945年9月4日(終戦)のことである。
  • 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島と南樺太を放棄と書いてあるがロシアは加盟してないのでこれを援用はできない。




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参考リンク
■特定亜細亜ウィキ Specific Asia Wiki - 北方領土