なぜ薬を飲むのか
ハイテク犯罪とでも言うべき事件が、たてつづけに起きている。インターネットを通じて劇薬を注文し、それを使って自殺する。あるいは伝言ダイヤルで知り合った女性に睡眠薬を飲ませて昏睡させ、金品を奪う。
新聞や雑誌は、パソコンやテレコミというハイテク手段に目を奪われているが、これらの事件の本質は、ハイテクを使ったというところにあるのではない。
自殺をしたい者がそんなに多くいて、しかも自殺願望を共有することで仲間意識を持ちあう。非常に淋しい者たちの共感の空間が成立しているのだ。一方、電話を通じてしか会話を楽しめない者たち。たいていは実際に会って話すことを敬遠しているが、もっと淋しがり屋が、実際に話し相手に会ってみようと思う。会った相手が、「肌がきれいになる薬だから飲んでごらん」と言う。
なぜ彼女たちは飲んでしまうのか。識者らは「不用心だ」「警戒心が足りない」と言うが、彼女らの心理はこうである。「それを断わると、嫌われるかも、責められるかも、人間関係が壊れてしまいはしないか」である。
つまり彼女たちは、関係が壊れて傷つくのを極端に恐れるのである。だから薬を飲むことを断われない。相手から「信用していないのか」と責められることを、何よりも恐れている。
こういう心理は、幼児期から正常な人間関係を経験してこなかった人間、肯定したり否定したりという関係の中で、相手との距離を適切に取ることのできない人間に特徴的な心理である。
深層心理学の研究によれば、乳幼児期に家族の中で、とくに母親から可愛がられたという感覚を持っていない者、母親との間に親密な一体感を体験しなかった者は、他人とも親密な関係を持つことが難しくなる。人間は一度母との一体感を体験したのちに、次第に母から自立しはじめ、他人との間に適度な距離を取ることができるようになっていく。この正常なプロセスを経ないで、一体感から距離を取るまでの基本的な経験を欠いて育つと、他人との間にも、健全な距離を取ることができなくなってしまう。
こういう人間は、親密な関係になるとノーを言ってはならないと思いこんでいたり、距離を取ると嫌われると思っていたりする。そうかと思うと、奇妙な連帯感が自殺の連鎖を生んだりする。
専業主婦は歴史的に最も進歩的
専業主婦という形態は、二つの意味で、歴史的に最も進んだ形態である。第一は近代社会に特有の「働け」イデオロギーから脱して、「ゆとり」を手にしたという点。第二は、その「ゆとり」を使って家族愛、母性愛を十分に発展させる可能性を手に入れた点。
なるほど近代家族の愛情による絆の歴史は短いので、それを人類はまだまだ上手に使いこなしているとは言えない。母が子に過干渉になってしまったり、一方的な価値観を押しつけたりというように、ゆとりや母性を間違って使う例も多い。また「子どもに愛情をそそぐべし」と言われることを重荷に感ずる人や、母性愛・家族愛が「縛るもの」「閉じ込めるもの」だと感ずる人も多い。
しかしゆとりや母性を大切だと思う考え方や、それを可能にする専業主婦という形態自体は進歩的で人間的な要素を持っているのである。
家族のあいだの愛情などの情緒面が重要視されるようになったのは、歴史的に見て大きな進歩である。子どもたちの犯罪や問題行動の背後にあるのは、ほとんどの場合、愛情不足であることを見ても、子どもを父性と母性のバランスのもとに正しく育てることの重要性が認識されなければならない。親がきめ細かな愛情で可愛がって育てることは、子どもの人格が健全に育つためには不可欠の条件である。
21世紀の将来の社会では、家族愛はもっと大切なものと考えられるようになるであろう。そこのところをフェミニストたちは逆に認識してしまっているのだ。フェミニズムの考え方は、逆さまである。近代を批判したかったら、女性を外へ外へと浮き足立たせて駆り立てる近代的「働け」イデオロギーをこそ批判すべきだろう。そして家族がそろって余裕を持ち愛情を交し合うことができる方向を模索すべきではないだろうか。そのほうが歴史的に進歩的な側に立つことができると思われる。
専業主婦という形態は、子どもを健全に育てるためには非常に有利な形態であり、教育という国家百年の計を考えるならば、専業主婦を大切にすることは国を救うための最良の策だとも言えるのである。その意味では、年金にせよ税制にせよ、専業主婦を優遇することは正しい政策である。
女性の社会進出、福祉制度の整備などで、フェミニストや人権主義者から賞賛されることの多いスウェーデンですが、騙されてはいけない、と強く思います。家庭は国の礎であります。
◆愛情のない家庭
スウェーデンの国民は大変個人主義的であることで有名です。まず彼らが考えるのは、個人の自立です。
スウェーデンの女性の社会進出率は80%を超えています。しかし、それが賞賛される結果の裏側には、公的機関が家庭の機能を引き受けている現実があります。
子供を預ける託児所、無料給食、老人を預かる施設等々、これらの増加をもって社会福祉の整備と呼んでいますが、その結果は悲惨です。
若者は、親から、早々に自立するように教育されます。自立と言えば聞こえはいいですが、ようするに親が面倒を見たくないから、子供を放り出しているにすぎません。
その結果、愛情に飢え精神を病んだ若者が急増、強盗、強姦など犯罪率はアメリカを遙かに超えて、先進国中トップ。さらには不安定な家庭に育ち、将来に絶望した若者の自殺も増えてきています。
◆女性の自立と引き替えに失ったもの
女性の仕事にしても、8割がパート労働です。自立したいがために、自分の子供、親を施設に預け、カネをもらって、他の子供、老人の面倒を見る。そしてその収入の多くが税金に消えていく。
そもそも、福祉制度が充実したのは、家庭から子供や老人が追放された結果なのですが、これでは本末転倒ではないでしょうか。
また、女性は男性に自己主張し、抗議するのが当たり前で、夫婦愛は、女性の権利の二の次です。その結果、離婚率が50%を超えています。片親の家庭が急増、母性を求める子ばかりになります。
そのような女性に対して母性をあこがれる男性と、自立を求め子供に愛情の薄い女性が結婚するのですから、長続きするはずがありません。
この悪夢のような社会制度を維持してきたスウェーデンの国家財政は当然危機に陥りました。日本は決して、福祉国家、人権国家のスウェーデンの轍を踏んではいけないのです。}
個人の権利を徹底的に反映するためのアマチュア議員制度も、女性の政治参加も、本来目指すべき人々の政治参加とは形こそ似ても、その内容は極めて怪しいのではないでしょうか。
高福祉社会の残酷な現実
理想的福祉の国スウェーデンというイメージをぶっとばすような、衝撃的な本が出た。武田龍夫『福祉国家の闘い』(中公新書)である。この本にはスウェーデンの現実 (本当の素顔) が豊富な資料と体験に基づいて明らかにされている。その結論は「モデル福祉国家としてのスウェーデンの歴史的役割は終わった」それは「砕かれた神話となった」である。
第二章「福祉社会の裏側──その光と影」の冒頭には、次のようなエピソードが紹介されている。
「一世紀を生きてきた老人 (ちなみにスウェーデンの100歳以上の老人は約700人。もちろんほとんど女性である。1998年) に大学生が尋ねた。「お爺さんの一生で何がもっとも重要な変化でした?」と。彼は二度の世界大戦か原子力発電か、あるいはテレビ、携帯電話、パソコンなどの情報革命か、それとも宇宙衛星かなどの回答を予測した。」
しかし老人の回答は彼の予想もしないものだった。
「それはね──家族の崩壊だよ」。(同書、27頁)
この一言に高福祉社会の問題が集約されている。老人の介護はいかなる時代でも家族の中で行われてきた。しかし今は女性たちが外で働くようになり、家の中の仕事はすべて「公的機関」が引き受けている。すなわち乳幼児の世話をする託児所、学校での無料給食、老人の面倒をみる老人ホーム。
この男女完全平等と女性の社会進出、高福祉による公正で平等な社会を目指した実験は、現実には何をもたらしたか。
まずたいへんなコストがかかることが判明した。最初から分かる人には分かっていたことだが、公的機関の建物を建て、維持する費用、そして人件費をまかなうためには、高額の税金を必要とする。
福祉は「費用拡大の自律運動をやめないということだ。したがって経済成長がなければ福祉が維持できなくなるのは当然となる。そして、大き過ぎる政府と公的部門の肥大化という問題であった。80年代に入るとすでに公的部門の支出はGNPの60パーセント(50年代は30パーセント)、170万人の雇用を集中せしめるに至った(民間企業は240万人。なおスウェーデンの労働人口は410万人)。しかも公的部門には女性が集中し、労働市場のバランスと流動性は失われてしまった。」(同書、38頁)
家庭の中で家族の介護をしていた女性たちは、公的機関の職員となって他人の親を介護するようになった。日本の介護の現実を見ても分かるように、介護に当たっているのはほとんど女性である。なんのことはない、税金を払って、そこから介護手当をもらっているようなものである。ちなみに税金や保険料は給料の約半分だそうである。
それで仕事や給料での男女差別はなくなったか。なくならない、と女性たちは苦情を言っている。賃金は女性のほうが34パーセントも低いと。それは女性たちが事務職や軽労働の職にしかつきたがらないからでもあるが、また多くがパートの仕事しかないからである。
家庭教育は軽視され、子どもは早くから自立を強制される。H・ヘンディン教授の報告書によると、スウェーデンの女性は「子どもに対する愛着が弱く、早く職場に戻りたがり、そのために子どもを十分構ってやれなかったことへの有罪感があるといわれる。つまり彼女にとっては子どもは楽しい存在ではないというのである。幼児のころから独立することを躾るのも、その背景からとするのである。しかし子どもにとって、これは不安と憤りの深層心理を潜在させることになる。男性の自殺未遂者の多くは、診問中母のことに触れると「とてもよい母だった」と言ってすぐに話題を変えるのが共通だった」。ヘンディン教授は「母性の希薄さを中心に生まれる男女関係、母子関係の緊張という心理的亀裂ないし深淵」を指摘している。(同書、128~129頁)
スウェーデンには老人の自殺が多いと言われたことがあったが、今は若者の自殺が増えている。自殺者は毎年ほぼ2000人だが、そのうち4分の1の4~500人が15~29歳である。
自殺よりももっと急増しているのが、各種の犯罪である。「犯罪の実態はまさに質量ともに犯罪王国と呼ぶにふさわしいほど」で、刑法犯の数はここ数年の平均は日本が170万件、スウェーデンは100万件。日本の人口はスウェーデンの2倍ではない、17倍である。10万人あたりで、強姦事件が日本の20倍以上、強盗は100倍以上である。銀行強盗や商店強盗も多発しているという。10万人あたりの平均犯罪数は、日本の7倍、米国の4倍である。(同書、134頁)
こうした恐ろしい現実の背後にあるのが、家庭の崩壊である。「スウェーデンでは結婚は契約の一つだ」「離婚は日常茶飯事」で「二組に一組」が離婚し、夫婦のあいだには「思いやりとか譲歩とか協力とか尊敬といった感情は、まずない。だから夫婦関係は猛烈なストレスとなる。」だから「男と女の利己的自我の血みどろの戦いが、ストリンドベルイ文学の主題の一つとなった」。(同書、146~147頁)
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