よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編)

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よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) - (2019/12/01 (日) 19:44:01) のソース

<目次>
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*■1.「憲法学の権威」芦部信喜
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戦後左翼の言論支配は、様々な分野に及んでいるが、憲法学の分野では、宮沢俊義→芦部信喜と続くラインがその中心となっており、歴史学・政治思想・宗教史など他分野に比較しても、その勢力はなお強大である。

&include_cache(分野別・戦後民主主義の代表者)

しかし結論から先にいうと、芦部憲法論の依拠する法概念理解は旧来のドイツ法学(ないし大陸法学)系の自然法論であって、理論上は既に半世紀以上前に破綻しており(1961年のH.L.A.ハート『法の概念』刊行)、その門下である[[長谷部恭男>よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編)]]からも明白に否定されてしまっている。
このページでは、芦部憲法論のエッセンスを紹介するとともにその致命的欠陥を指摘する。

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*■2.芦部信喜『憲法 第五版』紹介と抜粋(内容チェック)
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|&ref(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/kbt16s/attach/43/97/%E8%8A%A6%E9%83%A8%E3%80%8E%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%80%8F.jpg)|[[『憲法 第五版』>http://www.amazon.co.jp/dp/4000227815]] (芦部信喜:著、高橋和之:補訂 (2011年))|
|~|[[芦部信喜(故人)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E9%83%A8%E4%BF%A1%E5%96%9C]]は、宮沢俊義に始まる東大憲法学(戦後左翼の通説的憲法学)の権威であり、本書は法律系資格受験者に最も参考にされている影響力の大きい基本書である。芦部の政治的スタンスは&color(crimson){&bold(){リベラル左派~かなり左翼より}}と考えると理解しやすい(※参考ページ:[[政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価]])。|
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**▼第一章. 憲法と立憲主義
&size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え}}
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&include_cache(芦部信喜・憲法概念論)
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**▼第三章. 国民主権の原理
&size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え}}
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&include_cache(芦部信喜・国民主権論)
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**▼第十八章. 憲法の保障
&size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え}}
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&include_cache(芦部信喜・憲法改正論)
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*■3.芦部憲法論の致命的欠陥
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**▼1.芦部憲法論の依拠する法概念理解(半世紀前の法学パラダイム)
|&ref(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/kbt16s/attach/43/98/%E8%8A%A6%E9%83%A8%E3%83%BB%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0.GIF)&br()※図が見づらい場合⇒[[こちら>https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/kbt16s/attach/43/98/%E8%8A%A6%E9%83%A8%E3%83%BB%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0.GIF]]を参照|BGCOLOR(lavender):※左記の他に実は、&color(crimson){自然法または根本規範を認めず、憲法制定権力も認めない}(&color(green){特定時点の国民が保持する}のはせいぜい&color(green){「憲法典 constitutional code」(形式憲法)を制定ないし改廃する権力}(つまり&color(green){「国政 national policy」を決定する権力})であり、&color(navy){「国制 constitutional law」(国体法=実質憲法)を制定・改廃する権力ではない}、とする見解もあり、そちらが妥当である。&br()(→[[リベラル右派の「国民主権」論>第8章 国民主権あるいは憲法制定権力]]及び[[保守主義の「国民主権」批判>中川八洋『国民の憲法改正』抜粋#id_03c52ebe]] 参照。この場合「国制」(実質憲法)は過去から現代に至る世代を重ねた国民の長年のプラクティスの中から徐々に形成されるものと理解される。すなわち[[法の支配>リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配]])|

&include_cache(法段階説による法体系と反論)

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**▼2.ハートの法概念理解(現代の世界標準の法学パラダイム)

&include_cache(H.L.A.ハートの法体系)

※上記のように、&color(crimson){ハート}の&color(crimson){法=社会的ルール説}は、&color(crimson){現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供}しており、&color(crimson){特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッド}に過ぎない&color(crimson){法=主権者意思[命令]説}の法体系モデルを、&color(crimson){その説得力において大幅に凌駕}している。

※上図について、詳細な解説は[[法と権利の本質に関する2つの考え方>リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配#id_53446b7f]]へ。

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**▼3.(参考)長谷部恭男による芦部説の否定

自然法に基礎を置く根本規範・憲法制定権力が憲法典を授権する、とする芦部説は、その門下であり近年の左翼リベラル派の護憲論(憲法改正反対論)の中心的論者となっている長谷部恭男(東大法科大学院長)によってさえ以下のように明白に否定されている。
|BGCOLOR(khaki):あえて憲法制定権力という概念を用いてこの問題-なぜわれわれは憲法を尊重すべきか-に答えようとするならば、より説得力のある途は、おそらく清宮四郎や芦部信喜がとった立場、つまり超実定的政治道徳たる根本規範によって拘束され、その授権を受けた憲法制定権力なるものを想定する途であろう。&br()・・・(中略)・・・&br()実定法体系を超える政治道徳に従い拘束されることによって正当化された憲法制定権力の行使の結果であるからこそ、現在の憲法典に従うべきことになる。&br()&br()しかし、そうであれば、むしろ憲法制定権力概念は無用の長物であって、直接に憲法典の道徳的妥当性、つまり超実定的政治道徳との整合性を論ずれば足りるのではないだろうか。&br()憲法制定権力概念そのものには憲法典を正当化する力はなく、すべての正当化の力がその背後にある政治道徳に求められるのであれば、やはり憲法制定権力を持ち出す必要はないように思われる。&br()それは不要な剰余ではないか。|
|BGCOLOR(khaki):憲法制定権力は、世界の存在を証明するために措定された人格神と同等の概念である。&br()世界を創造する神という概念による世界の存在証明が筋の通ったものではありえないのと同様-(中略)-憲法制定権力は憲法の存在と妥当性について筋の通った説明を与えることはできない。|
※長谷部恭男『[[憲法の境界>http://www.amazon.co.jp/dp/4904702026/]]』p.11およびp.22より抜粋

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*■4.参考図書
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|&ref(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/kbt16s/attach/43/96/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E3%80%8E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BA%E6%B3%95%E5%AD%A6%E3%80%8F.jpg)|[[『法学 (ヒューマニティーズ) 』>http://www.amazon.co.jp/dp/4000283235]] (中山竜一:著 (2009年))&br()&br()《目次》&br()1. 法学はどのようにして生まれたか(なぜ法の歴史について学ぶ必要があるのか (西洋法の歴史 ほか)&br()2. 生きられる空間を創る―法学はどんな意味で社会の役に立つのか(法に期待される役割と背景にある思想 (活動促進と紛争解決―民事法の役割 ほか)&br()3. 制度知の担い手となる―法学を学ぶ意味とは何か(法学を学ぶ意味とは? (法的思考のいくつかの特徴―哲学との対比 ほか)&br()4. 法学はいかにして新たな現実を創り出すのか―法学と未来 (法的思考で現実は変えられるか、難事案をどのように判断するか(一)―ドゥオーキンの構成的解釈 ほか)&br()5. 法学を学ぶために何を読むべきか (BOOK GUIDE)|
|~|&color(green){&bold(){ドイツ系(大陸系)哲学をベースにした従来の観念論的な「法哲学」}}ではなく20世紀後半以降に大発展した&color(green){&bold(){英米系分析哲学をベースとする「法理学」}}への扉を開く一冊。&color(green){&bold(){左右の全体主義に陥らない法学基礎理論の第一歩}}として非常にお勧め。&br()なお、これとの対比で&color(green){&bold(){従来型の特定の観念・思想ゴリオシ型の「法哲学」の教科書}}として、笹倉秀夫『[[法哲学講義>http://www.amazon.co.jp/dp/4130323253]]』を挙げておくので、興味のある人はこの両者の法理論を比較してみられるとよい。(笹倉秀夫氏は丸山眞男の弟子で、同書も強度の左翼思想と自虐的史観に満ちており、現在の目で見ると明らかに特定思想のゴリオシが目立ち失笑ものである)|
|&ref(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/kbt16s/attach/43/95/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E3%80%8E20%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E6%B3%95%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%80%8F.jpg)|[[『二十世紀の法思想』>http://www.amazon.co.jp/dp/400026026X]] (中山竜一:著 (2000年))&BR()&BR()《目次》&BR()第1章 20世紀法理論の出発点―ケルゼンの純粋法学&BR()第2章 法理論における言語論的転回―ハートの『法の概念』&BR()補論 ハート理論における「法と道徳」&BR()第3章 解釈的実践としての法―ドゥオーキンの解釈的アプローチ&BR()第4章 ポストモダン法学―批判法学とシステム理論&BR()補論 脱構築と正義―デリダ「法の力」&BR()第5章 むすび|
|~|『法学(ヒューマニティーズ)』と併せて読んで欲しい。&color(green){&bold(){20世紀後半に起こった、ケルゼンに代表されるドイツ系(大陸哲学系)法学から、ハートに代表される英米系(分析哲学系)法学へのパラダイム・シフト(法理論における言語論的転回)}}に焦点を当てた好著。なお20世紀哲学の最大事件「言語論的転回」については[[『分析哲学講義』(青山拓央:著)>http://www.amazon.co.jp/dp/4480066462]]が分かり易い。|
|&ref(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/kbt16s/attach/43/94/hsyek%E3%80%8E%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E6%9D%A1%E4%BB%B61%E3%80%8F.jpg)|[[『自由の条件』(全3巻)>http://www.amazon.co.jp/dp/4393621751/ref=pd_cp_b_1]] (F.A.ハイエク著(1960))&BR()&BR()《目次》&BR()第一部:自由の価値&BR()第二部:自由と法&BR()第三部:福祉国家における自由|
|~|自由主義の真髄を解き明かしてM.サッチャー(英元首相)のバイブルといわれた名著であり、&COLOR(GREEN){&BOLD(){自由と法の関係についてきちんとした知識を持つ上で必読}}の3巻本。続編の『[[法と立法と自由>http://www.amazon.co.jp/dp/4393621786]]』も3巻本で、一冊一冊が高価だが、図書館などで見つけて目を通して欲しい。論旨明快なため、内容はさほど難しくないはず。|
|&ref(https://img.atwikiimg.com/www65.atwiki.jp/kbt16s/attach/43/93/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%8E%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%A6%82%E5%BF%B5%E3%80%8F.jpg)|[[『法の概念』>http://www.amazon.co.jp/dp/4622017431]] (H.L.A.ハート著(1961年))|
|~|&COLOR(GREEN){&BOLD(){20世紀後半の法理論に大転回をもたらした記念碑的な一冊}}であり、&COLOR(GREEN){&BOLD(){現在の法を学ぶ者は避けては通れない名著}}。&BR()しかし一般向けにも興味深いテーマを多く扱っており、また用語も難解でないので読みやすい。&BR()法学徒は必読だろうが、そうでない普通の人にもオススメできる。&BR()&br()《以下概要》&BR()本書では、まず「法は威嚇による命令である」という説を批判する。&BR()その上で、法を第一次的ルールと第二次的ルールとに分ける。&BR()第一次的ルールとは、制裁をもってして何らかの行動を強制するものである。&BR()第二私的ルールとは、法として有効である権能を与える(契約・立法・裁判など)ものである。&BR()法は不確定性をともなうので、法の周縁部においては常に解釈がともなう。他。|

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*■5.ご意見、情報提供
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