アナグラム

 アナグラム (英 anagram /仏 anagramme) は、単語の文字を並べ替えて別の単語を作る遊び。日本語では換字変名、字謎遊びなどともいう。

 日本語だと
  • 「だいよげん」(大預言) → 「いげんだよ」(異言だよ)
    • (注)異言とは、「キリスト教で、聖霊を受けて宗教的恍惚境におちいった人が語る、一般の人には理解しがたい言葉」*1のこと。

のようなものを指す。

 フランス語では
  • Révolution française (フランス革命) → Un veto corse la finira (コルシカの拒否権がそれを終わらせるだろう)

という、歴史の流れを暗示するかのような例が知られている。

ノストラダムス関連

 ノストラダムスが予言の中でアナグラムを使っていたことは、ほぼ疑いのないところである。
 もっとも有名なものの一つはChyrenで、これがアンリのプロヴァンス語表記のヘンリク (Henric) のアナグラムであろうことは同時代のローラン・ヴィデルらも容易に見抜いており、ピエール・ブランダムールら、現代の実証的論者の分析でも支持されている*2

「広義のアナグラム」とノストラダムス解釈

 仏文学者や歴史家による分析の場合、アナグラムは普通、意味不明な固有名詞の読み替えにのみ適用される。上記の Chyren のほか、RaypozRapis などもそれに当たる。

 従来のノストラダムス予言の信奉者たちの読み方にも、そういった例は見られる。Angolmoisを意味不明と見なして Mongolais や Mongolias など、モンゴルの縁語を見出した例などは、その一つといえるだろう。

 しかし、信奉者的解釈の場合、より広くアナグラムが用いられる。
 たとえば 「ある者が王を殺す」 という予言がある場合、懐疑派はその曖昧さを批判する。
 しかし、信奉者は、ノストラダムスが 「ある者」 の正体を文中に込めていると主張し、アナグラムによって導き出すのである。
 こうした手法を突き詰めた論者としては、海外ではヴライク・イオネスクを挙げることができるだろう。

 海外ではさらにエスカレートしまくり、詩文をすべて文字単位にばらし、任意の文章に書き換えてしまうという、原形をとどめない 「解釈」 を披露したV・J・ヒューイット(未作成)のような人物もいる。


【画像】 V.J.Hewitt & Peter Lorie, Nostradamus : The End of The Millenium : Prophecies 1992-2001

 日本の場合、川尻徹が代表的だが、彼はアナグラムに日本語読みを取り入れた上に、詩の表面上の意味から大きく乖離した暗号を次々と導いていった。のみならず、Nostradamus という名前をアナグラムすると真珠湾攻撃の予言が出てくるとまで主張していた*3

 そうした手法では、いくつかの語から都合のよい文字だけを抜き出して並べ替えるため、「使わない文字が大量に余るので、アナグラムにすらなっていない」などと批判されている*4

 ただし、構造言語学の祖とされるフェルディナン・ド・ソシュールのアナグラム研究の場合、アナグラムはより広く捉えられ、詩の背後に隠されたものとされていた。彼はアポロを讃えた次のラテン語詩から複数の「アポロ」を読み取った。

  • Donum amplum victor ad mea templa portato
 この詩の amplum(当時の音価では amplŏm) victor からは a-plo-o すなわち APOLO が、同じく ad mea 以降からも APOLO が導かれるとしたのである。

 ソシュールはこうしたものも広義のアナグラムに含めており、これらはまさしくノストラダムス信奉者たちがやってきた解釈にも通じるものである。
 もっとも、アナグラムを多用するノストラダムス解釈者たちの著書で、ソシュールへの言及が見られるものなど全くない
 ノストラダムス解釈者たちの場合、現代言語学の実験的成果を貪欲に解釈に適用しているというよりも、単なるご都合主義の所産が形式的に似たような手法にたどり着いたにすぎないと考えるべきであろう。

 さて、ソシュールのアナグラム研究に見るような、詩文の中に織り込まれた無意識のメッセージというべきものは、ノストラダムスの予言詩にも存在し、未来へのメッセージを含んでいるのだろうか。

 当「大事典」としてはそのような見解に否定的である。
 精神分析学にも一脈通じる 「アナグラムとして隠された無意識のメッセージ」という概念は、反証可能性を担保しないという点では疑似科学に近い。
 また、そうして読み取った「無意識」は、ノストラダムスの、というよりも、しばしば解釈者個人の「無意識」が反映された結果ではないかと思えてならない。

 他方で、詩的熱狂に憑かれた詩人が織り上げた詩文を鑑賞するという領域が、そもそも自然科学的思考になじまないものであることもまた事実であろう。
 当「大事典」は、信奉者たちが繰り広げてきた広義のアナグラムによる未来解釈にさしたる価値を認めないが、そうした手法 (解釈内容でなく) が文学的鑑賞に対しても、何の寄与もしないものかどうか、その可能性さえ認められないのかどうかについては、さしあたっての判断を保留したい。


【画像】 丸山圭三郎 『言葉と無意識 - 深層のロゴス・アナグラム・生命の波動』


【画像】 ジャン・スタロバンスキー 『ソシュールのアナグラム』

アナグラム否定論

 加治木義博は、第一序文(セザールへの手紙)の中に 「アナグラムで読め」 という指示がないという理由で、ノストラダムスはアナグラムを絶対に使用していなかったと主張していた*5
 加治木はそのかわりに 「発音に対して聴覚を細心に使って悟れ」 という指示があると主張したが、それは二見書房の 『ノストラダムスの遺言書』(1983年) もしくはその改題版 『天から恐怖の大王が降りてくる』(1986年) に掲載されていた誤訳をさらに膨らませたものであって、アナグラム否定論の根拠とはなりえない。

 そもそも16世紀フランスにおいては、ジャン・ドラがきっかけとなってフランス詩人たちの間でアナグラムは広く用いられていた*6
 たとえば、大詩人ピエール・ド・ロンサール (Pierre de Ronsard) がその名を 「ピンダロスの薔薇」(Rose de Pindare) と変えたり、プレイヤード派に属する詩人ギヨーム・デ・ゾーテル (Guillaume des Autels) がその名をグロマリス・デュ・ヴェズレ (Glaumalis du Vezlet) と変えるなどしていた。
 当時の文人フランソワ・ラブレー (François Rabrais) の変名アルコフリバス・ナジエ (Alcofribas Nasier) も有名であろう。

 詩人であるノストラダムスが、当時の流行の技法に無頓着であったとは考えられないし、逆に、理由があってアナグラムを排したなら、むしろその理由を第一序文に明記したはずだろう。


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コメントらん
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  • “再構築アナグラム”(←重要・命名、自分)によって予言が真実の可能性が高まる。 例えば、2行に、ABCDEFGHIJKという11文字の文字列があり、 仮に、1行にABIJK という言う5文字の文字列があったとするならば、 2行のそれから、1行のそれを切り離して、CDEFGH の6文字から組み立てるアナグラムを指す。(これは抽象化した例である) -- とある信奉者 (2013-12-26 22:16:31)
最終更新:2013年12月26日 22:16

*1 『デジタル大辞泉』による

*2 Brind'Amour [1996] p.309

*3 川尻『ノストラダムス暗号書の謎』pp.55-56

*4 山本弘 (1998)[1999]『トンデモ・ノストラダムス本の世界』文庫版、p.105

*5 加治木『真説ノストラダムスの大予言』pp.84-88

*6 丸山圭三郎『言葉と無意識』p.80