66-607『は――はは―――――ばかみたいだわ……はは―――』

『じゃあな、親友! また同窓会で会おうぜ!』
 あれはいつかの公園の事。それから僕らは反対に歩いていった。
 僕はすいすいと、キミはきっと気だるげに。

 きっとキミの中の僕との想い出は、いつか彼女たちに塗り替えられていくのだろう。
 二人歩いた通学路、僕の肘跡が付いたキミの机、語り合った休み時間も、嫌がるキミへの個人補講も。
 僕の場所だった自転車の荷台も、二人で見上げた四季の夜空も。
 ペンキで上からなぞるように。

 でも、僕がここにいた事だけは憶えていて。
 それだけ憶えていてくれたなら、きっとペンキの地肌のように、或いは塗り残しのように、残滓だけでも残るだろうから。
 また出会えたその時に、キミの記憶を掘り起こせるから。
 僕の綺麗な部分が、そっとキミへと呟いた。

『は――はは―――――ばかみたいだわ……はは―――』
 呟く度に、いつかの九曜さんが脳裏に浮かぶ。そんな僕を嘲笑う声。
 婉曲に婉曲を重ね、本音を覆い隠す僕を彼女が笑う。

 彼と涼宮さんが歩いている。彼の勉強を涼宮さんが指導し、彼の自転車に涼宮さんが二人乗りする。
 彼の隣に彼女がいる。キミの隣に僕がいない。
 モザイクのように僕が消える―――

 ――止めてくれ! せめて思い出だけでも残してくれ!

 手放したのは僕だ。キミ達に割り込もうだなんて言わない、そんな見苦しいことなんて言わなかったでしょ!?
 思い出だけでもいいの、だから彼の思い出だけは塗りつぶさないで!
 せめて、思い出だけでも取らないで!
 身勝手な私が誰かに叫ぶ。

 私はそんなに綺麗じゃない。
 彼が思うほど、私は「佐々木」なんかじゃない。
 なのに私は肩肘張って、何を失ったのだろう。なんで泣き叫ばなかったのだろう。
 いつも彼を覗き込んでいたくせに、何で一度もまっすぐに見て「好きだ」と言えなかったんだろう。
 何回後悔を繰り返せば気が済むんだろう。

『なんだ、美顔効果でもあるのか?』
『いや、どうもキミと話している時はなんだか笑っているような顔に固定されているようでね』
 子供みたいな関係だって? それがどうしたんだよ。
 昔を懐かしんでるだけだろって? 知らないよ。
 ただ「好き」なだけじゃいけないの?

 いつも彼を覗き込むか、彼の背中に手を乗せていた。
 そうだよ、たった一歩だけ彼のパーソナルエリアに踏み込む勇気を持てば、彼の胸の中にだって行けたのに。
 あの雨の日に感じた体温を、独り占めにだってできたはずなのに。

『じゃあね、親友』
 でも、それをしないのが「僕」なんだ。
 そう言い張って、僕はどこまでも意地を張り続けた。
 キミと一緒なら意地を張れた。キミと一緒にいる「僕」はいつでも最強だった。だから張り続けられると信じられた。

 いや、本当にそうだったのかな。

『二週間ほど前になる、僕は告白された』
『報道された出来事だけが事実かい? 想像力を働かせたまえ』
『世界で唯一、キミだけなのさ』
 回想する。そうさ、私は女の子なんだよって、私を理解してください、って何度も僕は叫んでた。

『キミの選択に余計なノイズを与えるのは得策ではなかっただろうしね』
『僕は解りやすい敵役になんかなりたくなかった。安請け合いするほど貧していないつもりなのでね』
『イヤだなあ、まるで告白しているみたいじゃないか』
 回想する。なら何で冷笑家ぶってごまかそうとするんだ、お前はいったいどっちなんだ?
 お前だ、お前だよ、なあ「佐々木」? なあ「私」?
 なんて中途半端な「私」なんだ。
 そんなだから―――


『やあ親友』
『それ、誰?』
 涼宮さんが私を指差す。
 その隣、キョンが、首を傾げて私に言うんだ。

『すまん、誰だっけ?』

『は――はは―――――ばかみたいだわ……はは―――』
 僕はいつでも判じ物。パズルで喋って本音を隠せば、きっと結末はご覧の通りさ。
 そんな僕を九曜さんが笑う。まるで壊れたレコードのように笑う。笑う。笑う。だから、その胸を強く……


「痛いぞ佐々木」
 ……キョン?
「…………キョン、ついたてがあったはずだろう? 乙女のパーソナルエリアに勝手に侵入するだなんて感心しないね」
 夢?

 夜明けは遠い、真っ暗闇の和室。
 ついたてで区切って、二組の布団が敷いてある。
 そうだここは旅館の一室、僕はキョンと大学合格記念に小旅行に来ていて…………。

「悪かったな」
「まったく。僕はキミを性差を越えた親友と認識していたのだが」
 暗闇でも、ばつの悪そうなキョンがはっきりと認識できた。急速に頭が目覚めていく。
 なんだろう。ひどく嫌な夢を見ていた気がする。
 ダメだ。「佐々木」を再起動しないと。

「それとも何かい? ついに僕はキミの三大欲求の餌食になってしまうのかな?」
「そうだな」
 唐突に視界が彼で埋まる。
 抱き寄せられたのだ、と理解したのは、彼の胸に顔が埋まってしまってからだった。
 むせかえるような彼の匂い、本能を刺激する彼の体温。
 そっと、彼の手のひらが頭を撫でる。

「睡眠欲に負けたんだよ。お前が泣いてちゃ俺が眠れん」
 ぶっきらぼうに言われて気付いた。
 寝ながら泣いてたらしく、みるみる彼の胸にしみが広がる。
「くっくっ。それは悪かったね、我ながら粗相をしてしまったようだ。謝罪するよ」
「要らねえよ」
 僕が知ってるぶっきらぼうな声。

「…………泣く位なら少しは頼れ」
「キョン、いつか言ったろう。僕に余計な詮索を入れない、それがキミの好ましいところだとね」
「そうだったな」
 我ながら強情だと思う。けれど身体を離すつもりにはなれない。
 ここはたまらなく温かいから。そっと頬を摺り寄せて、僕の匂いをこすり付ける。また一つ矛盾を重ねる。

「……でもな。俺も、この二年で新しいことを覚えたつもりだぞ」
「本当かい?」
 くっくっ。喉奥から自然と笑いがこぼれる。

「当たり前だ。第一、言い募って勝手に自己完結してセンチメンタルに別れて、察してくれと言わんばかりだったろ」
「キミは鈍重な感性が売りだと思っていたんだがなあ」
「茶化すなよ」
 体温が「佐々木」を誤動作させる。
「俺が鈍感だって解ってんだろ、なら理解する時間くらい俺にもくれ」
 確かにね、やっぱり僕は自分勝手なんだなと思う。いつも彼に情報をロクに与えず、勝手に自己完結してきたのは僕だから。
 その癖いつでも「理解して欲しい」と仮面を被ったまま言ってきた。
 僕はいつでも矛盾している。

「俺だって考えなしじゃねえぞ。
 別れ際、お前は「俺が、お前の望みを解ってる」って言ったろ。だからお前を選ばないってな。
 そうさ、俺はお前がお前でありたい事を解ってる。なら「ホントのお前は、お前じゃない」事だって、俺には解るんだぞ」
「くく、まるで早口言葉だね」
「まったくだ」
 本当にぶっきらぼうな声。
 いつかも言った。僕は理性的にありたい、と。それは感情的な自分を隠せない事の裏返し。
 別れ際に見せてしまったような、センチメンタルな私の本質。

「俺に考えさせたくないなら、もっと完璧に立ち去って見せろよ。中学時代にそうだったみたいにな」
 頭上から聞こえる、僕が大好きなぶっきらぼうな声。
「そしたら俺だって安心するさ。またいつでも同じように会えるさってな」
 僕の頭を撫でる大きな手。
「でもあれじゃ心配になっちまうだろ。お前を疑っちまうだろ」
 彼の手からこぼれて、伝わってくる温かい雫。

「だから、もうセンチメンタルな別れなんて勘弁しろよ」
 胸から伝わってくる早鐘のような鼓動。
「俺をそんなに考えなしだと思わんでくれ」
 想われるという堪らない幸福。

「……そうやって、考えてくれたからここに居てくれるのかい?」
「……考えるのが人間の能力だって、言ったのはお前だろ」
 そうだったね。考え、伝える、それが人間の能力。
 言った癖に、使い切れなかった僕の能力。

「だから言っとくぞ。俺はお前に笑顔以外でいて欲しくない」
「了解したよ。最優先事項としておこう。だから」
「だから、何だ佐々木」
「……秘密だよ」
「そうかい」
 今言うのはきっと卑怯だからね。

「ところでキョン」
「なんだ」
「あー、そう、僕の腹部付近に触れている熱いものというか、キミの器官についてなのだが……」
 その一言にキョンはばね仕掛けのように立ち上がる。耳が暗闇でも真っ赤に見えたのは気のせいかな?
 喉奥で笑っていると、向こう側に戻りながらキョンが言った。

「忘れろ」
「くく、さてどうしようか」
「……つうかな、佐々木、やっぱ部屋は分けるべきだったんじゃねえか」
 言われて気付いた。すっかり寝乱れた浴衣は、確かに少々刺激的だったかもしれないね、と。
 ついたての向うでそっぽを向く彼に、さらりと言い返してやる。

「くっくっく、酷いな。僕は一人で泣き寝入っているべきだったというのかい?」
「そうは言わねえよ。けどな」
「添い寝してくれとまでは言わないよ」
「そりゃ言うなよ」
「けど傍には居てくれないかな」
 ほんの少し込めた真剣味に、視線が返ってくる。

「だってそうだろ? 今度は僕がキミを押し倒したくなるかもしれないからね」
 ついたての向うでキョンが盛大に噴出すのが聞こえた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年04月28日 00:04
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。