+ 絶凍の麗姫ヴァレアナ
 あの日々が無ければ、これほどの喜びは感じられなかったかもしれない。
 隣を歩く父の横顔を見上げてそう思う。
 時に息苦しく感じることもあったが、今となっては、自分の人生に満ち溢れていた幸せを理解することができる。



 氷塞都市『コルキド』の王ヴァーンフリートの元に生まれた。
 母の記憶は無い。
 私の出産と同時に命を落としたらしい。
 片親となった自分に待っていたのは、冷たい氷の壁に囲まれた世界の中で行われる父からの厳しい躾と教育だった。

「ヴァレアナ。いつまで起きているつもりだ。早く休め」

「は、はい!お父様……」

「何をしていた?」

「えっと……その……痣(あざ)が気になって鏡を……」

「気にする程のものか。そんなものに気を揉んで睡眠不足にでもなれば、明日の勉学にも触る。その程度のこともわからぬか?」

「はい……申し訳ありません……」

 右腕にうっすらと刻まれている痣。
 自分はその痣が大嫌いだった。
 普段は服の袖で隠しているが、気が付いたときにはそこにあり、どこか骸骨のようにも見えるそれが不気味で堪らなかったからだ。

 そして、大嫌いなものがもう一つ。
 実の父、ヴァーンフリートである。

 彼の厳しさは嫌というほど染み付いており、その声を聞けば体は緊張し、つい背筋が伸びる。

 それだけならばよくある話。
 人に言わせれば教育熱心な父。
 この一言で済まされてしまうだろう。
 当然、私が父を嫌う一番の理由は他にある。

――冷酷

 父をたった一つの言葉で表現するとしたら、ここまで似つかわしい言葉は他にはない。

 私が生まれる以前の父の話は調べるまでもなく耳に入ってきた。
 独裁政治による恐怖支配。
 弟の首を自らの手で刎ねて、眉一つ動かさなかった姿を目にした城の者達。
 私の出産に立ち会うことよりも政務を優先する姿勢。
 母の葬儀の場でも涙一つ流さず、そのまま淡々と式を済ませた事実。
 その言葉を印象付ける話は他にもいくらでもある。

 父を知れば知る程、私の中での苦手意識は密かな憎悪の念へ姿を変えていき、次第に父を避けるようになっていった。
 今となっては同じ城で暮らすことさえ嫌悪感を抱く。
 非情な父の元に生まれたことを恨み、そのどうしようもない想いで執事に八つ当たりすることもしばしば。
 しかし、そんな父から受け取ったものの中に、一つだけ喜ばしく思うものがある。
 あれは私が五歳の誕生日を迎えた時の事だった……

「お呼びですか?お父様」

「うむ。お前にこれを授ける」

 差し出されたのは、まるで氷そのものが形どったかのような美しい弓だった。

「これは……誕生日……祝いですか?」

「正確にはその前の儀式だ」

 その意図がわからなかった。
 今になって娘のご機嫌伺いのつもりだろうか。
 いぶかしむように父の顔を見上げると、いつもの冷たさのような威厳が感じられない。
 無表情を装いながらも、どこか緊張した面持ちにも見えた。
 ますます不審に思い、父の後ろに控える大臣達の様子を伺うと、皆どこか焦っているような、複雑な表情を浮かべている。

「さぁ。受け取れ……」

「……はい」

 拭いきれない不信感。
 父の思惑通りに動くことに思うところもあった。
 しかし、理由はわからないが、目の前の弓に惹かれるものを感じたのは確かだった。
 恐る恐る弓に手を伸ばす……

「え!?」

「これは……!」

 弓に手が触れた瞬間。
 突如強烈な光を発したかと思えば、右腕に燃えるような熱を感じた。

「お、お父様……!!」

「案ずるな!」

「でも……腕が……!」

 何が起こったのかわからず、慌てふためく私に対しての妙に落ち着いた父の言葉。
 異変はその言葉を裏付けるように、次第に収束していった。
 暫らくの静寂。
 辺りの面々を見渡すと、驚きを隠せない様子の大臣達と、意表を突く満面の笑みの父。
 それは私の前で父が初めて見せた笑顔だったような気がする。

 そういえば、この直後くらいだっただろうか。
 いつの間にか腕の痣は消えていた。




「素晴らしい腕前にございます。姫様」

「ありがとう!」

 五歳の誕生日からおおよそ十年。
 王家の名に恥じぬ振舞いと器量を身に着けるべく、ありとあらゆる教育と鍛錬に打ち込んできた。
 それは、弓の稽古もまた同様である。
 初めは慣れない弦の扱いに苦戦した。
 手の至る所にマメを作っては破け、またその上にマメができ、日に日に武人の手の形ができていく。
 とてもお姫様の手とは思えない代物ではあったが、その代償として、腕前は人並外れた速さで上達し、今や指南役さえも舌を巻く程となった。

「才能に溺れず、ひたむきの努力し続けた賜物でございますね」

「そんな立派なものではありません。誇れるようなものではないのです……」

 その言葉を口にしてもらいたい人は他にいる。
 ほんの少しでも自分を認め、優しい言葉をかけてもらうことができればという秘めた想い。
 しかし、今に至るまでその想いは果たされていない。

 ある日、思い立った私は父の書斎を訪れた。
 いつまでもこのままではいけない。
 やがては父の政務を手伝う身となる。
 こんな状態のままで満足のいく成果が得られるはずも無い。
 父との関係を良いものとした上で、将来を考えていきたかった。

――コンコンッ

「誰だ?」

「ヴァレアナです。お話したいことがあります。少しお時間を頂けますでしょうか?」

「うむ……入れ」

 父は思いの外すんなりと部屋へと招き入れてくれた。

「こんな時間に何だ?」

「申し訳ありません。どうしてもお父様と二人で話がしたかったのです」

「そうか……で、話とは?」

「その……」

 いざとなると心が竦む。
 ここにきて口籠る自分に対し、さぞ父は苛立っているだろうと、恐る恐るその顔を見上げる。

「早く話せ」

 父は怒ってなどいなかった。
 ただただ真剣に、まるで政務に臨むかのような表情で私の言葉を待っていた。
 何故かそれが無性に嬉しく、涙と共に言葉が溢れ出た。

「お父様は……私のことをどうお思いなのでしょう……?どうしていつも冷たくするのですか?なぜ優しい言葉の一つもかけてはくださらないのですか!?私は頑張りました!お父様に認めて頂けるよう必死に努力しました!!」

「あぁ。話は聞いている。良くやっているそうだな」

「……っ!?」

 まるで駄々をこねる子供。
 自分自身がそう思えてしまい、急に恥ずかしくなる。
 そうではない。
 ここに来たのは、これまでにできてしまった父との溝を埋めるため。

「……お父様はお母様を愛していらっしゃいましたか?」

 一瞬。
 まじまじと見ていなければ気付くことが出来ぬほどに微かなものだったが、確かに父の身体がピクリと硬直した。

「……無論だ」

 口にすると共に、緊張の気配はすぐに影を潜めた。

「お母様が私を産み、危篤になられた際には傍におられなかったと聞きました。葬儀の際も、涙一つ流さなかったと噂されています!それは本当ですか!?」

「……事実だ」

「そんな…………そんなにも政務が大事ですか?愛するはずの家族よりも優先すべきことですか?」

「それが王たる務めだからだ」

 不可能だ。
 父との溝は絶対に埋められない。
 どうしようもなく父の考えが理解できなかった。

「話はそれだけか?済んだなら早く部屋に戻れ。まだ仕事が残っている」

「くっ……!!」

 私は部屋を飛び出した。
 そして泣いた。
 一晩中、泣いた。



 それから数日が経ったが、父とは口をきくどころか、目も合わせてはいない。
 この時、自分の心は既に決まっていた。
 もうこのままで良いと。

「姫様!一大事に御座います!」

「大臣?どうしました?そんなに慌てて」

「王が!ヴァーンフリート王が!!」

「お父様が何か……?」

 突如、父がいなくなった。

 あの父が仕事を放り出すような真似をするとは到底思えない。
 だとすれば、何か事件に巻き込まれたか、国を揺るがすような一大事が……

「いつからなのですか?」

「わかりません……少なくとも今朝、なかなかお目覚めにならないお父上にお声がけした際には既に……」

 困り顔で説明する大臣。
 その後ろの面々も同じ表情を浮かべている。

 この時、口にこそしなかったが、私の心境は彼らとは真逆のことを考えていた。

――あのような人、いっそのこと戻らなくても……

 大臣達には悪く思ったが、ハッキリ言って父の捜索を進んで行おうという気にはなれなかったのだ。
 自分と父の関係は、それ程までに埋めようのないところまで発展している。
 少なくとも私自身はそう思っていた。

「実は……ヴァーンフリート王の行方に、一つだけ心当たりが御座います」

「心当たり……それはどこですか?」

「王家の方々のみその扉を開くことのできる書斎にて御座います」

「そんなものが……」

「申した通り、王家の血を継ぐ方々にしか開けぬ扉ゆえ、我々ではそこに王のお姿があるかどうかは判りかねます。そこで、姫様にお力添えを頂けないかと参った次第にございます」

「……事情はわかりました。案内してください」

 何故、自分が父の捜索を手伝おうと思ったのかと聞かれれば、興味を惹かれたということが主たる理由だろう。
 心では決めたつもりでいても、まだ私はどこかで希望のようなものを探していたのかもしれない。
 もしかすると、そこに自分の知らない、本当の父の姿。
 それを知るための何かがあるかもしれないと。



「こちらにて御座います」

「これが……」

 案内されたのは父の部屋だった。
 先日ここを訪れた際には気にも留めなかったが、窓側とは逆の壁にもカーテンがかけられており、その裏に隠すようにして扉が設けられていた。

「術式により封印が施されております。定められた符丁を王家の人間が発することによってのみ、その封印を解くことができるのです」

「定められた符丁……」

 符丁。
 それは父が定めた合言葉。
 父だけが知る秘密の言葉。

「どのような言葉かは王しか存じぬことかと。ひとまず、我らが符丁であると思しき言葉を幾らか考えておりますゆえ、姫様には順にそれらを読み上げて頂ければ、と」

「わ、わかりました……」

 一体、この扉の奥には何が。
 予想される符丁が羅列された紙を大臣より手渡され、一つ深呼吸を置いた後、ゆっくりと声にしていく。

「コルキド…………グラース…………三種の神器…………民を豊かに――――」

――――――
――――
――

「――――エーデルライン…………新月…………心映しの儀………………これで、全てです……」

「……どれも違ったようですな。姫様……何か他に合言葉に用いられるような言葉に心当たりは御座いませんでしょうか?」

「私がですか……?」

 無理だ。
 長年の間、毎日父の傍で国を支えてきた大臣達ですら答えに辿り着くことは出来なかったのだ。
 いくら実の娘とはいえ、常日頃から父を嫌い、父を知ることから逃げてきた自分にわかるはずもない。

「お願い致します……」

「あ……私は……」

「…………」

 私と父の関係について、大臣達とて知らぬわけではない。
 頭を下げたまま微動だにしないその姿勢からもそれは伝わる。

「えっと…………」

 なんとか思考を巡らせてはみるものの、何も浮かんではこない。

「やはり私には……」

「…………」

 それでも固唾を飲みながら頭を下げ続ける大臣達。

 彼らは、あの父にどんな理由があってそこまで尽くす気持ちになれるというのだろうか。
 全て諦めたはずの自分が、今になってこんな思いをしなくてはならない理由があるのだろうか。
 そう考えると、あの夜の記憶が蘇り、ジワリと涙が込み上げてくる。

「何故なのですか……!」

「姫様……?」

「私にわかるはずがありません!お父様がどのような想いで過ごしていたのか……どのようなお考えで王の役目を担っていたのか……何がしたかったかさえもわかりません!!」

「お、落ち着いてくださいませ!」

「もう嫌なのです!認められるはずの無い努力を続けることも!気持ちを押し殺してあの人の近くに居続けることも!!」

 自分勝手な父への怒りと憎しみ。
 何一つとして得られない無力感と悔しさ。
 自身の人生で積もり積もった想いが再び溢れる。

 「私がどんな気持ちで生きてきたか……お父様はこれっぽっちも考えてくださらなかった!自ら名付けてくださったという私の名さえも、もう私にとっては呪縛でしかありません……ただの一度さえ“ヴァレアナ”とは呼んでくださらなかった……!」

「姫様!それは違い――む!?なんだ!?」

 突如として眩い光を発した目の前の扉。
 正確には、扉に施された封印の紋様が光り輝き、間も無くして元の静けさを取り戻した。

「これは……封印が解けた!?」

「ですが……私は合言葉なんて……」

「……ヴァレアナ……だったのでは?」

「え?」

「失礼しました。姫様のお名こそが、ヴァーンフリートの王の定められた符丁だったのでは?」

「お父様が……ヴァレアナと……?」

「もはや疑いようはありませぬ。封印を解くための符丁をお決めになることができるのは王家の当主のみ。恐らくは、姫様がお生まれになってから、王が自ら姫様のお名をそのまま符丁に定められたのかと」

「なぜ……私の名前を……」

「その答えも、ここにあるのではないかと……さぁ、姫様」

 促されるようにして扉に手をそっと触れると、重そうに見えるそれは意図も容易く開かれ、隠されていた部屋が皆の前に姿を現した。

 高さ二メートル、広さ五メートル四方程だろうか。
 思いの外、小さな部屋だった。
 奥に申し訳程度に備え付けられた小さな机。
 そして部屋を囲むようにして、天井の高さと同じ背の本棚がズラリと並び、そこにはびっしりと本が収められている。

 王家以外の者が立ち入ることは許されぬ部屋。
 そこに父の姿は無かった。

 部屋の外で溜め息をつき、次の当てを議論し始める大臣達。
 その時、机に置かれていた一冊の本が目に入った。
 おもむろに部屋へと足を踏み入れた私は、それを手に取り適当にページを開く。


――〇〇〇〇年〇〇月〇〇日。
 父の命日が今年もやってきた。
 去年からのたった一年でも国は変わるものだ。
 今日も南側での貴族による直轄区反対運動の対応に追われる。


「……日記?このほとんどが!?」

 几帳面に並べられた本達の数は、優に数千冊を数えるだろう。
 その全てではないにしろ、膨大な数の日記の一冊一冊全てにコルキドの歩んだ歴史が事細かに記されているのかと思うと、この部屋の空気が急に重たく感じられた。
 最も古く見える一冊を観察しただけでも、その年季の入りようがわかる。
 恐らく、父、祖父、曾祖父、その遥かずっと昔から受け継がれてきたものなのだろう。

 再び手にした日記へと目を落とす。



――余のやり方は本当に正しいのだろうか。

――良くしよう、正しくあろうと行動した結果、更なる軋轢を生んでしまう。

――もしかすると、初めから器ではなかったのではないか。

――自分の不甲斐なさに怒りを覚える。



 日記を読み込むほどに聞こえてくる父の心の声。
 それは威厳溢れ、国民からも恐れられるコルキドの王のものとは思えないような、ありふれた一人の人間の叫びだった。
 自分がうまくやれているか。
 こうすべきだったのではないか。
 密かに抱えてきた苦悩、葛藤、不安。
 そんな人として当たり前の弱さに対しても、このような場でしか正直になることが許されない。
 『王』という記号が背負う責任。
 異常な生き方こそが正常。
 そんな父に対し、自分は、国民たちはどれだけ薄情で残酷な言葉をかけてきたのだろう。



――娘が生まれた。
 あれは天使だ。
 世界の全てが変わった気がする。



「これは……私が生まれた日?」

 日付を確認すると、確かに自分が生まれた十五年前の数字。
 なぜ最も新しい日記ではなく、十五年前のものが机にあるのか。
 その理由を探すためにもページをめくり続ける。


――ヴァレアナにエーデルヴェルデを授けた。
 やはり余の目に狂いはなかった。
 これであれは救われる。
 良かった。
 本当に良かった。
 本当に……――――


 そのページのインクはグズグズになっており、それ以上読むことはできなかった。

 『エーデルヴェルデ』
 コルキド王家に伝わる『三種の神器』と呼ばれる三つの武具の一つ。
 名前だけは知っている。
 叩き込まれたあらゆる教育の中、歴史の勉強をした際にその名を記憶していた。
 しかし、今自分の腰に携えている弓こそがエーデルヴェルデであったという事実に、少なからず動揺した。
 一体、父はどんな目的で自分にこの弓を預けたのか。

 本棚へと目を移し、歴史書や資料文献を探す。

 やはりあった。
 三種の神器に関わる書物もしっかりと棚に収められている。
 埃をかぶった一段と古い本だが、つい最近開かれた痕跡がある。
 その中には、エーデルヴェルデを含んだ、神器についての記述が記されていた。

 神器『エーデルライン』『エーデルヴェルデ』『エーデルヴィッツ』
 この三つの武具の名こそが、コルキド王家に伝わる三種の神器と呼ばれる秘宝。
 それぞれ、エーデルラインは城内で代々管理。
 エーデルヴェルデは結界の施された塔に封印。
 エーデルヴィッツはコルキド領の氷海のどこかに沈んでおり、捜索中とのことだった。

 エーデルヴィッツについての情報は詳しく掴めていないのか、それ以上の記述はなされていなかったが、エーデルライン、エーデルヴェルデについては一定の知識が得られた。

 盾であるエーデルラインは手にする者の心に反応し、真に純粋な心を持たぬ者にしか扱えず、正を守護し、邪を清める特性を持っている。
 弓であるエーデルヴェルデにもまた、同様に特殊な力が秘められていた。
 『純粋さ』を特性とするエーデルラインと違い、エーデルヴェルデの特性は『威厳』
 その威厳は絶対にして潔癖たる力。
 王が王たる姿勢を示し、その心持ちと高潔さを民と共有するための力。
 それは悪意や呪いさえも犯すことはできないもの。
 つまりは、正を導き、邪を退ける特性である。

 では、何故エーデルラインが城内で管理され、所有者に足り得る者に受け継がれてきたのに対し、所在が分かっていながらエーデルヴェルデが封印されていたのか。
 それはエーデルヴェルデの所有者の選別に多大なリスクが伴うからであった。
 エーデルラインは相応しい所有者にのみその力を行使することができ、相応しくない者にはただの盾としてしか機能しない。
 しかし、エーデルヴェルデは相応しくない者が触れれば、その特性である威厳の前にその者も組み伏せられることになり、感情は祓われ、廃人と成り果てる諸刃の剣でもあった。
 所有者の選別に際し、これは致命的な欠陥であるともいえる。
 その危険性ゆえ、王家しか知らぬ古の塔に安置され、結界を張り封印されたとのことだった。

「お父様はこんなものを私に……」

 再び日記を開き、ページを戻す。
 必ずあるはずだ。
 封印を解き、大きな危険を冒してまで自分にエーデルヴェルデを託した理由が。

 ページを自分が生まれた日まで戻し、ゆっくりと父の言葉を読み解いていく。


――娘が生まれた。
 あれは天使だ。
 世界の全てが変わった気がする。
………………
…………
……
 だが、その喜びは束の間、私は絶望した。
 娘の右腕に刻まれた呪いの紋。
 それを見た時、全てを理解した。
 あの魔術師のかけた呪いは、被術者本人を呪うものではなく、その末代までの子孫達を対象とした呪いだ。
 あの子の未来はそう長くはないだろう。
 なんということか。


「呪いの紋……?」

 それが、エーデルヴェルデを父から受け取った際に消えた、右腕の気味の悪い痣のことを指していたのだと直感した。
 同時に、私も全てを理解した。

 呪いにより、逃れられない死の定めにあった私。
 必死に呪いを解く方法を探していた父が、最後の最後に縋った希望こそがエーデルヴェルデ。
 父が独断で王家の血でしか解けぬ結界を解き、エーデルヴェルデを実の娘である自分に差し出したのだ。
 己が弓の力に呑み込まれる危険もあったはずだ。
 仮に父は所有者として認められたとしても、私もまた認められるとは限らない。
 もし、そうなれば更に凄惨な事態に陥っていたことだろう。
 恐らくは父にとっては人生最大の賭けだったはずだ。
 王である自身の運命を賭けることは、コルキドの行く末さえも掛け金に乗せることに等しい。
 そこまでして私を救おうとした理由は何だったのか。
 もはや疑う余地も無い。

「あぁ……お父様…………!」

 ただ、愛ゆえに。

 知る由もなかった事実。
 気付けなかった父からの愛。
 十五歳の誕生日の記述までの間、政務に従事しながらも、必死に自分を救おうと奔走していた父の姿が描かれていた。
 目蓋に溜まっていた涙はとうとう溢れ出し、ページの上のインクを滲ませる。
 父もこうして一人、喜びの涙を零したのだろう。

 それからの日記には、私のことばかりが綴られていた。


――最近、ヴァレアナの帰りが遅い。
 政務の手伝いも良いが、万が一にも悪い遊びを覚えたりせぬよう大臣に至急調整させねばなるまい。


――大臣からヴァレアナに結婚を勧めてみてはと進言された。
 余程、我の怒りを買いたいらしい。
 ヴァレアナに目を付けた事は評価に値するが、あれを政治に利用するなど、どこまでもふざけた考えだ。
 無論、どこぞの馬の骨とも知れん軟弱者に渡すこともあってはならぬ。
 突然の事に取り乱しかけたが、よくよく考えれば何か理由があったはずだ。
 もしや、先日届いた見合い話にも関係があるのだろうか。
 あれは我の耳に入った時点で握り潰したため、大臣は知らぬ事実のはず。
 ならば何か別の画策がここで起ころうとしているということか。
 既に城内に手のものを潜ませているとは敵ながら見事な手際の良さだ。
 しかし我の目を誤魔化せるものと思わぬことだ。
 ヴァレアナの平穏は必ず守ってみせる。


「お父様……こんなにも私のことを……」


――場内を寝間着のまま出歩いていたヴァレアナを注意した。
 少しの間といえど、もしもあのような姿を城の男共に見られでもすれば、どんな劣情を生むか知れたものではない。
 城内の秩序を守ることもまた王たる務め。
 まずはヴァレアナに相応の寝間着を用意することにする。
 機能性は勿論のこと、王家の娘に相応しい威厳あるものを仕立てさせなければならぬ。


「お、お父様……?」


――昨日、少々厳しく叱り過ぎたことが原因だろうか。
 ヴァレアナと口を利かなくなって三日が経過した。
 素直に謝罪の言葉を口にすれば許してもらえるだろうか。
 しかし、どのような言葉をかけるべきなのか分からぬ。
 こんなこと、大臣達にも相談できるはずも無い。
 どうすれば良いのだ。


「………………」

 なぜだろう。
 父の知らなかった一面を知る程に、何かが壊れていくような気がする。


――ヴァレアナの本音を聞いた。
 父親として失格だ。
 民のためを想い、後ろ指を指されようとも立ち止まることをしないと誓った。
 それは我にとっての光であるあの子のためにもなるはず。
 なんとしても護りたかった。
 だが、どうやら我は過ちを犯していたようだ。
 娘との僅かなひと時さえも犠牲にした結果がこれだ。
 何も知らず、理解しようともしなかった。
 たった一人の最愛の娘を泣かせて何が国の王か。
 もうヤメだ。


「この日は……」

 自分にとってもあまり思い出したくはないあの夜の日付。
 日記はそこで終わっていた。

「それではダメだと言っておるだろう!国民に気付かれでもすればパニックになるぞ!?」

「機密性を重視すれば人員が割けぬ!もしものことがあればお主、責任は取れるのだろうな!?」

 部屋の外から大臣達の声が響いてきた。
 どうやらこれからの対策について煮詰まっている様子。

「すみません。お待たせしました」

「おぉ、姫様!何かありましたか!?」

「残念ですが、お父様の行方に関する手がかりは何も……とりあえず、一度落ち着きましょう。熱くなった頭では良い案も浮かびません」

「そう……ですな。皆、暫し休息を取ろう。また後程、会議室に集まるということで」

「承知した」

「うむ。そうするか」

 その場を解散し、父の部屋に静けさが戻っていく。
 最後に部屋を後にしようと待っていた時、一人の大臣に声を掛けられた。

「姫様も少しお体を休められると良いでしょう。朝食もお取りになっておられないのに、もう昼過ぎです」

「ありがとう……そうさせてもらいます……」

「姫様?顔色が優れないようですが、何かありましたかな……?」

「……お父様の日記を読みました。後で皆にも伝えますが、どうやら先日、私がお父様とお話したことが今回の発端のようです……」

「あぁ……やはり、あの晩のことですな」

「聞いていたのですか!?」

「いえ。断じてそのような真似は。ただ、姫様がお父上の部屋を後にされるのを目にしたものですので」

「そう……でしたか。失礼しました。許してください」

「いえ。とんでもございません。ただ、そのままお父上の部屋の前を通った際、部屋の中からお父上がお泣きになられているような声をお聞きしました。姫様が去られた直後の事です」

「そんな……」

 一度自室へと戻り、私は泣いた。
 父の秘めていた愛を理解せず、それどころか彼を嫌い、憎んでいた自分を恥じる気持ちと、父への謝罪の念からの涙だった。

 気が付くと、窓の外では陽が落ちていた。
 泣き疲れ、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
 会議の予定だったが、どうやら大臣が気を利かせて起こさずにいてくれたのだろう。

 落ち着きを取り戻した心に溢れる想い。
 父にただ謝りたい。
 できることなら、やり直したい。

 そして私は淡々と旅の準備をする。
 一人で父を探すための。

「どこへ行くつもりだ……?」

「え!?」

 背後から突然かけられた声。
 ビクッと体を震わせ、ゆっくりと部屋の扉の方を振り返る。

「お……お父様?」

「黙って城を留守にしてしまった。大臣共はさぞ慌てていたことだろうな」


 父は髭を凍らせ、身体のあちこちに雪を積もらせていた。
 さらには明らかに見て取れる疲れ。
 何か特別な事情があったのだろうか。

「これまで一体どちらへ行かれて――」

 違う。
 今、かけるべきはそのような言葉ではない。

「お父様。ヴァレアナは、お父様にお伝えしなければならないことがあります」

「……聞こう」

――――――
――――
――

「むぅ!?あ、あの日記を読んだのか!?あれは人に見せるようなものでは……」

 いつになく動揺する父。
 例え実の娘であろうとも、他の人間の日記を勝手に読み漁るという行為は不埒なものであり、しかもそれが国を治める国王の私物となれば事はさらに重大。
 自分の知らない父の本音。
 それを知りたいという好奇心から取った行動の軽率さをここにきて痛感した。

「お、お父様に黙って勝手なことを……申し訳ありません……!」

「いや…………そうか……少し取り乱した。すまぬ」

「ですが、私は――」

「構わぬ。何度も口にしようとしたが……ふふ……我には向いていなかった。結果的にはこれで良かったのかもしれぬ」

「お父様……」

 言葉を遮られた瞬間、怒りの声を覚悟したが、父から向けられる言葉と眼差しはとても穏やかで静かなものだった。

「ヴァレアナ。我と一緒に来てはくれぬか?我はお前との時間を取り戻したい。だが、その前に一つだけやらねばならぬことがある。お前にも手伝って欲しい」

 ヴァレアナ。
 なんの感慨も沸かない自身の名。
 その一言だけで心に張られた氷が瞬く間に解けていく。

「…………」

「む!?や、やはり嫌と申すか……?」

「いいえ。初めてお父様の口から名を呼んでいただきました」

「あぁ……そうであったな。すまぬ」

「ふふ……喜んでお供させていただきます。私がお父様にしたことへの償いが、その程度のことで済むはずもありませんが、これからずっと、少しずつ返していこうと思います」

「……感謝する」

「はい!」

 あの日々が無ければ、これほどの喜びは感じられなかったかもしれない。
 隣を歩く父の横顔を見上げてそう思う。
 時に息苦しく感じることもあったが、今となっては、自分の人生に満ち溢れていた幸せを理解することができる。

 明けかけた夜空に物思いにふける父。
 その父の手を握り、私は引っ張るようにして国の外へと歩き出した。

「そういえばお父様。まずは呪いを解いて頂いたお礼をいなくてはなりません。何か私にできることはありますか?」

「気にすることではない。あれは我の独断でしただけのこと。それにより多少国を騒がせもした。反省せねばならぬが、お前が気にすることではない」

「構いません。私にできる事なら何でもおっしゃってください」

「ん?むぅ……そうだな……」

「お父様?」

「で、では……一度だけで良い。一度だけ……『パパ』と……呼んでみてはくれぬか?」

「…………それ以外でお願いします」

「……うむ。忘れろ」

+ 大樹より流るる風エルミア
「反対だ!エルフなんて得体のしれないヤツ簡単に信用できるわけねぇだろ!!そんなに若い女とご一緒できるのが嬉しいかよ、クソ親父!おふくろに言いつけるぞ!?」

「突然で動揺してしまう気持ちはわからんでもない……が……ここで母ちゃんを出すのは卑怯だろが!!」

 あ、どうも。
 私の名前はエルミア。
 ついでに種族はエルフです。
 私の目の前で口論しているこの二人は、ジン君とそのパパさん。
 旅の途中に森の中で出会った、同じく旅人さん親子。
 ジン君を立派な戦士にするための修行の旅ってことらしいのだけど、私はパパさんに誘われるがまま旅に同行することになった。
 付いて行く理由は……面白そうだったからかな。
 ただ、少し遅れて顔を出したジン君が、これに猛反対しているわけで……

「この嬢ちゃんは俺よりもずっと年上だバカ野郎!!」

「……え?マジで!?いくつだよお前!?」

 まじまじとこちらを見ながら目を丸くしているジン君は可愛いけど、初対面の女性に向かって『お前』呼ばわりですか。
 しかも年齢を聞いちゃいますか。
 でも、これは仕方ないかな。
 自分で言うのもなんだけど、この見てくれでは仕方ない。

「ん~……正確に数えられてるか分かんないけど、少なくともパパさんよりは年上ってことになるのかな」

 正確な年齢は教えてあげないのだ。
 というより、自分でもザックリとしか把握できていない。
 エルフと人間の見た目の違いと言えば、ピンッと跳ねた耳くらいのもの。
 一般的な基準に当てはめれば、私は二十歳くらいに見えているのだろう。
 あらやだ。
 ジン君ってば、またしてもそんなに私の身体をジロジロと……

「マジ……これでババァかよ!?」

「バッ!?お、お姉さんはジン君よりも大人だからね……うん……それくらいのことじゃ怒らないのだ。でも、寿命の長さで言えばまだまだ少女だから、あんまり失礼なこと言わない方がいいんじゃないのかな?うん」

 あ、危うく取り乱すところだった。
 一回目は許してあげよう……一回はね。
 有難く思うことだね。
 ただし、これは親の教育に原因があるんじゃないのかと私は思う訳で。

「すまねぇな、嬢ちゃん。こいつは見た目通りのガキなもんでよ。許してやってくれ。俺がちゃんと説教しておくから」

「……ところで、パパさんはジン君に女性に対して年齢を聞いたりとかはするもんじゃないって教えてあげなかったのかな?」

「俺は教えたぞ!?こいつの物覚えが悪いだけだ!」

「嘘つけぇ!そんなこと教えられた覚えはねぇぞ!!」

「とにかくだ!新たなる旅の共の歓迎もかねて、乾杯といこうじゃないか!ちょうど晩飯の支度をしていたところだ!」

 そう言いながらパパさんはあたふた。
 誤魔化す気配が隠しきれてないよ。
 まぁ、こんなことでいちいち目くじらを立てていては話がいつまでも進まないので、これにて一件落着としておこう。
 しかし、そうは問屋が卸さないと、ジン君は吼える。

「だから、勝手に決めんなよ!!だいたい嬢ちゃんって何だよ!?中身はそんな歳じゃねぇんだろ!?」

「そりゃ嬢ちゃんにその呼び方が良いって言われたからなぁ……」

 確かに、嬢ちゃんって歳じゃないことは認める。
 でもでも、パパさんと会った時にそう呼ばれて、すごく懐かしくて、くすぐったくて、とにかく気に入っちゃったのだ。
 いくつになっても女の子は女の子ということだね。
 見た目的には問題ないわけだし、それくらい目をつむってくれても罰は当たらないと思うんだけどな。

「なんだそれ!?見栄張ってんじゃねぇぞ、ババァ!!オレはお前と一緒に旅なんか――」

 一人抵抗を続けるジン君。
 彼ら親子は人間で、私はエルフ。
 初対面の異種族に対して、過敏に警戒することは至極当然の反応だと思う。
 た・だ・し!
 今何か聞こえたね。
 絶対に聞き逃せない言葉が含まれてたね。
 二度目だね。
 許してやるのは一度目だけだ。
 この世の厳しさを思い知るがいい、小僧。
 喰らえ……このプリチーな拳から放たれる乙女の怒り!

「教育的指導っ!!」

「ぐぉ……お……」

「フンっだ!失礼しちゃう!!」

 あ……思わず手が出てしまった。
 現在、全力でみぞおちに拳をねじり込まれたジン君は地面をバッタんバッタんのたうち回っております。
 続いてクネクネしながら苦しんでおります。
 少し心配ではあるけれど、まぁこれも修行の一環ということで。

「ち……くしょ……オレは……認めてなんか……ねぇ――」

 少しして、気味の悪い動きが止まったかと思うと、ジン君は何やら呟きながら失神してしまった。
 さすがにやりすぎちゃったかな?
 でも、不意打ちとは言え、こんなか弱い女の子のパンチだし、たぶん大丈夫だよね。
 しかしまぁ、息子を落とされた父はどう思っているのかな?
 私は恐る恐るチラッとパパさんの様子を伺ってみる。

「世間を知る良い経験になる……!」

 腕組み仁王立ちのパパさん!
 心なしか、何故か誇らしげにも見えるよ。
 流石はパパさんだね。
 父親でもあり、師匠でもあるわけだ。
 ジン君は良いパパさんを持って幸せだねぇ。

「ま、細かいことは気にすんなっ!こんなバカ息子だが、よろしくしてやってくれ!」

「ところで……殴った後で言っても遅いんだけど、ジン君は大丈夫だよね?」

 一応、形だけでも聞いてはおかないとね。
 怒りに身を任せた結果とはいえ、手をあげるのは正直悪かったとは思う次第で。

「まだガキとはいえ俺の息子。仮にも『武神』一族だぜ?」

「ぶしん……?」

 パパさん曰く、流浪の村『コーク』は、大平原を点々と移動しながら生活する遊牧民が集った小さな村。
 そんな生活なもんだから、移動先で魔物や野党なんかに遭遇することも珍しい話ではなく、自然と村人全員が村を護る戦士になるのだそうで。
 その中でもパパさん達の一族は根っからの武闘派で、その昔『武神』と呼ばれた英雄をご先祖様に持っているとのこと。
 感情が昂ると額に角が生え、とんでもない力を発揮する。
 そんな話を聞かされてしまうと、嫌でも興味が湧いちゃうね。
 世界どころか、この大陸にさえ私の知らないことはまだまだたくさんあるようで、旅路の続きもまだまだ捨てたもんじゃない。
 とりあえず床に転がしっぱなしにしておくのも可哀想なので、ジン君の頭を膝の上に乗せながら私はそう考える。

「ふむふむ……で、ジン君にも立派な戦士になってもらうために修行の旅をしている……と」

「そういうことだ。なぁ、それよりも俺は嬢ちゃんがさっき言ってた『長命エルフ』ってのに興味があるんだが?」

 そういえばそうだ。
 森の中で会った旅人のパパさんと、せっかくだから交流を深めようと、いろいろ話をしようとしてたんだよね。
 相手の好奇心を確実に誘う私の殺し文句「実は、私って伝説の『長命エルフ』なんだよね~!」が炸裂したところだった。
 そこにジン君が登場したもんだから、有耶無耶になっちゃったままだね。

「ぶっちゃけ私も詳しく知らないんだけど、メルキスに生まれたエルフの子の中に、たまにいるらしいの。『長命エルフ』っていうすごく寿命の長いエルフが」

「ほぅほぅ……それで?」

「ん~……小難しい話は苦手だから最初から話しちゃうね?」

――――――
――――
――



「うわっ……またエルミアが一番だ……!」

「ニッヒヒー!まだまだだね、君たち!」

 確か五歳くらいだったと思う。
 私は極々普通の家に生まれて、同い年の友達と毎日遊んでた。
 ちょっぴり元気が有り余っていたくらいで、この頃は自分がみんなと違うだなんて思ってもいなかったし、街の大人達も気付いてなかったはず。
 私は子供達の中で誰よりも正確に弓を扱えて、上達するのも飛びぬけて早かった。
 才能があったなんておこがましいこと言うつもりはない。
 ただ、なんだかそれがすごく誇らしくて、大人に褒められるのも嬉しかったのは覚えてる。
 だから弓が好きだったのかな。

「でも俺の方が背は高いもんね!!」

「そんなの関係ないじゃん!私だってすぐ伸びるんだから!!」

 この頃の私の悩みは、みんなより少しだけ成長が遅かったこと。
 でも、それは時間が自然と解決してくれる。
 そんな風に考えていた。

 私は毎日陽が暮れるまで遊び尽くした。
 好奇心がくすぐられるがままにあちこち走り回り、友達がみんな疲れて家に帰った後も、一人で遊び続ける程に。
 思えば、こうした成長の遅さや、有り余る体力なんかも、私がみんなとは違ったからなのかなって、今さらながら考える。

 十歳……二十歳……三十歳……
 時を経るごとにみんなとの違いは目に見える様になっていった。
 友達だったはずの子供達は、自分に比べてとっくにおじさん、おばさんになり、そのうち結婚して家庭を持ったりもしたけど、私はそんな気は毛ほどもなかった。
 私の若いままの心と体は、忍び寄ってくるモヤモヤを振り払うように遊び続けたんだ。



「もしかしてとは思っていたけど……あなた、まさか…………」

 十代後半くらいの姿で完全に成長が止まっていた私に、ある日ママは告げた。
 私が伝説に語られる『長命エルフ』かもしれないと。

 これは後に、メルキスで最も物知りで知られたお爺さんが話してくれた話だけど、『長命エルフ』はメルキスに生を受けたエルフ達の中に極めて稀に出現する存在で、千年以上の寿命を持つとされるエルフのことをそう呼んでいるとか。
 これも後々知った話だけど、私がうすうす感じていた異変は周囲も同じように感じており、母親がこの話をしてくる頃には、もはや私は長命エルフとして皆の知るところとなっていたらしい。
 長命種が生まれる確率は、数千年に一人とも言われており、文字通り伝説級の希少種だけど、過去にもこうしたエルフが実在していたことだけは確かだという話。
 ただ、その生まれについては謎に包まれていて、他に有力な説も無いし、メルキスの大樹に住まう精霊の寵愛を受けたためってことになっていた。

「ふーん…………そっか、ラッキーだね!」

 まるでお伽話のような話だったけど、だからと言って、何かを変えてみようとは思わなかった。
 ただいつも通り、興味の赴くままに遊ぶだけ。
 時を経るごとに私と周囲のズレは大きくなっていく。
 でも、それを心から実感するのは、まだ先のことになるんだろうな、なんて考えた。
 だから私はこれを悲観せず、幸運だと思うことにしたんだ。
 寿命が長い。
 それは決して悪い事ではないはずだから。

 ただ、この話を聞いてからというもの、それまで当たり前に見ていた世界が、少し色褪せて見えたような気がした――――





「――こんな感じだけど、うまく伝わったかな?」

「……あぁ、十分さ。なんというか……珍しい話を聞けたよ!ありがとう!!」

 この話を誰かに聞かせる時はいつも気を付けようと考えるけど、困ったことにどうしても湿っぽくなっちゃうね。
 でも実際、決定的に何かを知ってしまう前にメルキスを飛び出したから、私自身なんとも感想を言いにくいのだ。
 結果、パパさんには余計に気を遣わせてしまったかもしれない。
 ぎこちない笑顔を浮かべながら、わざとらしく明るく振る舞うパパさん。
 パパさんは不器用だね……そして、優しいよ。
 ジン君ならどういう反応をするのかな。
 今度、機会があったら話してみよう。

「う…………はっ!てめぇ!このクソババァ!!よくも殴りやがったな!!」

 ジン君がここで飛び起きる。
 思っていたよりも早いお目覚めで。
 さぞかし私の膝枕は寝心地が良かったことでしょう。
 それにしても、湿っぽい空気を吹き飛ばすにはナイスタイミングだね。
 その功績に免じ、聞き捨てならない単語を吐いたことは、今回だけ私の気のせいだったということにしておいてあげよう。

「こら、ジン!いい加減にお前も頭を冷やせ!嬢ちゃんがいれば色んな話が聞けるし、お前が教われることも多いはずだ。これはお前のためにもなることなんだぞ?わかるだろ?」

「教われるどころか、襲われてるっての!ちょろっと話をしただけのエルフ相手になに簡単に丸め込まれてんだよ!!」

「この嬢ちゃんなら大丈夫だ!俺の見立てに間違いはねぇ!」

「はぁ!?根拠も何もねぇじゃねぇか!!」

 またもや始まってしまった親子間の激論。
 しかし、パパさんや。
 信用してくれるのは素直に嬉しいけど、そこまでの信頼がどの時点で生まれたのか是非聞いてみたいもんだ。

「俺は人を見る目には自信がある!母ちゃんにだって一目惚れだったが……やっぱり間違っちゃいなかった!!」

 ジン君はそういうのを根拠がないって言ってるんだと思うけど。
 二人の会話はいつもこうなのだろうか。

「だから――」

「もう決めたことだ!ってな訳で、嬢ちゃん!バカなこいつだが、いろいろと教えてやってくれ!」

「お……おい!!」

 ジン君ってばパパさんに頭を押さえつけられちゃって可哀想に。
 とはいえ、頭二つ並べて下げられてしまうと断れないかな。
 というか、元々断る気はなかったんだけどね。
 なんか楽しそうだし。

「しょうがないなー!ジン君がそこまで頼むなら引き受けてあげましょう!!」

「はぁ!?誰がお前みたいなババァに――ぐっふぉえ!?」

「……何か言ったかな?ジン君~??」

「く……そ…………」

 このループもいい加減飽きたので、うるさい子は膝の上に寝かせておいて、話を先に進めよう。
 こうして私ことエルミアは、ジン君とそのパパさんと一緒に旅をすることとなりましたとさ。




 翌朝。
 天気は清々しいまでの快晴。
 新たな旅の始まりとしてはこれ以上ないシチュエーション。
 こじんまりした馬車に揺られながら、果てしなく続く道をゆっくりと進む。
 いいじゃん、いいじゃん。
 御者さん役のパパさんも案外似合ってるね。
 一方、その息子さんはというと……

「ジン君はいつまで拗ねてるのかな~?」

「拗ねてねぇ!まだオレは許してないだけだ!」

 馬車の荷台の隅っこで、こちらに背を向けたままブツブツと独り言を呟いているジン君。
 その背中を見てしみじみ思うわけだ。
 それを拗ねてるって言うんじゃないのかな、と。
 一晩寝ればそれで解決、とはいかなかったね。
 しかし、困った。
 どうせ旅路を共にするなら、お互い楽しい方がいいと思うんだけど……

「ねぇねぇ!どうしたら機嫌治してくれるの?どうしたら私が一緒に旅するの許してくれる?」

 ここは下手に出て、ジン君の警戒網を一つずつ突破していこう。
 力尽くなやり方が無駄だってことは、昨晩パパさんとジン君のやりとりを見ているから知っている。
 遠回りのようだけど、これが一番確実な方法じゃないかな。
 と、何やらジン君の様子がおかしい。

「な!?お、おいっ……あんまり顔近づけんなよ!!」

「んん?」

 私は背中越しにジン君の顔を覗き込んだだけなんだけど……
 あぁ、そういうことですか。
 実年齢はひとまず置いておいて、見た目はジン君よりも少し年上のお姉さん。
 顔を間近に近づけられて、恥ずかしくなっちゃったわけだ。
 その証拠に耳まで真っ赤だよ。
 こんなにも素直な反応をされると嬉しくなっちゃうね。

「も~!照れちゃって可愛いなぁ、ジン君は!」

「ちょっ!?やめろ、馬鹿!!」

 背中から抱きついてみると、やっぱりこの反応。
 こういうスキンシップが距離を縮める一つの手段として有効だとわかったところで、遠慮なくいってみようか。

「お、お前は恥ずかしくないのかよ!?男と女がそんなに……ベ、ベタベタくっつくとか……!!」

 何を言い出すのやら、ジン君や。
 私の年齢を考えればジン君はまだ赤子以前のレベルなわけで、おもちゃ……は少し聞こえが悪いので、小動物としておこうね。
 そんな可愛らしい動物とじゃれ合うのに、恥じらっちゃう人はまずいないと思う次第である。
 でも、まぁ、つい夢中になってしまったことについては少し恥じる気持ちがないでもないかな。

「だってジン君まだ子供だし?恥ずかしいとかは……ねぇ?」

「ぐ……!!」

 これは少し大人気なかったかな、と反省。
 距離を縮めようという目的を忘れてはいけない。
 物理的に縮めても仕方ないのだ。

「ゴメン、ゴメン。からかい過ぎたよ!もうしないからさ?」

「言ったからな?もうするなよ?」

「……それはフリかな?」

「ちげぇよ!!」

「ニッヒヒー!」

「なぁ……謝りついでに、一つだけ聞いていいか?」

「お?おぉ??」

 まだ完全にではないにしろ、少し心を開いてくれたのかな。
 拒絶一辺倒だったジン君との会話らしい会話。
 この好機は見過ごしては弓使いの名折れだね。
 しっかりジン君のハートを射止めてみせるよ。

「もちろん!何が聞きたいの?何でもお姉さんに聞いてみな~?」

「じゃあさ……お前って、ホントのとこ今何歳なわけ?」

「……………………」

 暫しお待ちを。
 怒りをねじ伏せるのに必死なもので。
 それにしても、よくよく考えてみると、こうした質問も純粋な好奇心から生まれる問い。
 この際、長命エルフではあっても、やっぱり一人の女でもあるっていう私の気持ちは押し殺しますか。
 興味の赴くままに、は私も信条とするところだからね。

「ふむ…………ん~??」

 そうだった。
 正確な歳など、もはや自分でさえ覚えていないんだった。
 集まるのだ。
 私の脳に刻まれし記憶達。
 全ての思い出を総動員し、自分の年齢を導き出せ。

「え~っと…………たぶん……二百歳ちょっとってとこ?」

「「二百ぅうううう!?」」

 ジン君の声に被さる様に御者台の方から聞こえてきたのはパパさんの声。
 実はしっかりパパさんも聞いてたのね。

「まぁ、少なくともそれくらいはいってると思う。私がメルキスを旅立ったのが五、六十歳の時で、それからはずっと一人で旅してたから、誕生日を数えるのもそのうち忘れちゃってね……ニヒヒ」

「凄まじいババァじゃん……!!」

「貴様ぁああああああああ!!!!」

「ぶっふぉえぇええええ!」

 あぁ……ゴメンよ、ジン君。
 またしても怒りに負けてしまった私の心を許しておくれ。
 というか、いい加減に学べよ。

「く……っそ…………」

 何だとぅ!?
 我が拳は確かにヤツの腹部を抉ったはず。
 万一気絶を免れたとしても、悶絶は必至だ。
 しかし、だというのに、何故ヤツは立っていられる!?

「大丈夫かい?ジン君?」

「ま……た、避けれ……なかった!」

 まさか、我が拳の速度に順応しつつあるというのか!?
 ヤツが我の全力を垣間見たのはまだ数度。
 目で追うこともできてはいないはず。
 恐らくは拳が放たれる直前の殺気を本能的に察知し、体を後ろに倒しつつ、腹筋で衝撃を和らげたのだ。
 流石は武神一族。
 楽しませてくれるではないか……

「ニッヒヒ……さぁ、幼き武神よ……第二幕の開演といこうか?」

「おぉ……やってやらぁああああああ!」

「アチョーッ!!」

「ぐぼぉっへぇああああああ!!」

「ハッハッハ!もうすっかり打ち解けたみたいじゃないか!その調子で旅の話でもいろいろ聞かせてやってくれよ」

 そんな時、御者台から聞こえてきたのはパパさんの痛快な笑い。
 いかん、そうであった。
 いやいや、そうだった。
 変なスイッチはオフにして、クールダウン。
 ともあれ、少しはジン君との距離も縮まってきたのでは?
 ここはパパさんのフォローを活かし、旅の話でもって、きっちりジン君のハートを掴み取らないとね。

「ま、まだ……勝負は……!」

「はいはい。わかってるってば。今日のところは引き分けでいいよね?」

「……お、おう」

 やっと大人しくなったジン君を見て思う。
 遊び半分とはいえ、初めて実際に手合わせしてみたことで気付いたけど、ジン君の戦闘能力は、この年頃の子供としては群を抜いている。
 パパさんによる教えや、流れる武神の血。
 そういう理由もあるんだろうけど、それ以上にこの子には才能があると素直に感心した。

「じゃあ一休みがてら、エルミアお姉さんの旅のお話でもしてあげよう」

「つまんなかったら寝るからな?」

 言葉半分にお昼寝体勢へと移行するジン君に、またしても込み上げてくるちょっぴり殺意。
 これは誤算かな。
 変な刺激の仕方をしたせいか、対抗心の方はさらに度が増している様子。
 それでもゆっくり話を聞いてくれるようになっただけ、進展はしているものとしておこうか。

 ではでは、まずは掴みとして、こんなお話から――――





――あれは私がメルキスを飛び出して間もない頃。

「さてと、まずはどこへ行ってみよう……?」

 辺りを見渡し、旅の行先を、というよりも進む方向を決める。
 向かって右側にはどこぞの街へと続いていただろう街道。
 向かって左側には視界を遮る程に木々が生い茂る大きな森。
 これは考えるまでもなかったね。

「左!森でしょ!何か面白いもの出てこーい!!」

 行く手を塞ぐ枝葉をひょひょいと避けながら森の奥へと駆ける。
 念のため最低限の警戒はしていたけど、それは不毛に終わることになった。
 残念なことに、生き物の姿一つ目撃することはなかったのだ。
 私があまりに遠慮なしにドコドコ走っていたもんだから、みんな驚いて物陰に隠れてしまったのかもしれないね。
 そんなことを考えはしたものの、それでも足を止めることができないくらいに、当時の私はウキウキしていた。



「なんか……面白くない……」

 随分走ったと思う。
 未知との出会いへの期待が裏切られたショックと、単純に体力が消耗したことも相まって、私は疲れて森の中にへたり込んだ。
 そんな時、私はふと何かの気配を感じ取る。
 とても静かでいて、でも力強い空気のようなもの。
 私はそのままハイハイしながら、その気配の元を辿ってみることにした。

 少し森を進むと、草木が途切れ、開けたところに出る。
 そして……

「わっ!?」

 と、思わず声が出て、すぐに口を塞いで森の中へと急転回。
 少し息を落ち着かせてから、そろ~っともう一度、その場所へ。
 開けた土地の中心には、透き通った水がなんとも涼やかな美しい湖が広がる。
 で、肝心なのは、その淵で気持ち良さそうに寝息を立てていた、ある生き物。

『グゴォオオ…………グゴォオオ…………』

 寝息と言うには少し豪快すぎたかな。
 でも、人間大のスケールで言うなら、これも寝息程度のものだよね。

 だって竜だもの。

 ここで私はようやく自分の勘違いに気が付いた。
 何故、森の中に生き物一匹見当たらないのか。
 そりゃ近くに竜なんていたら、大抵の魔物でさえ物陰に隠れちゃうって話だね。

 それからどうしたかって?
 勿論、近づいてみたよ。
 竜なんて絵本の中でしか見たことなかったからね。
 せっかくゆっくりと観察できるチャンスなのに、見逃せるはずないのである。

「おぉ……!」

『グゴォオオ…………グゴォオオ…………』

 文字通り、目と鼻の先まで近づいてじっくりと観察したよ。
 凶悪な牙も、ゴツゴツした鱗も、鋭い爪も。
 ただ、本で想像したよりも大きな個体ではなかったね。
 そういう種なのか、もしかしたら子供だったのかもしれない。
 で、ここでまたしても魔が差してしまうわけだ。

 記念に鱗を一枚頂こう。

 さっき思わず声を上げてしまった時も、竜が起きる気配はなかったし、未知との出会いで変に高揚していたのかも。
 平常心でも同じ行動を取っていたって可能性は否定しきれないけど……

「そ~っと……そ~っと…………」

 私は矢を一本取り出して、矢尻を竜の皮膚と鱗の間に慎重に刺し入れてみる。
 ここでも私は一つ勘違い。
 魚の鱗のように簡単に剥げると思っていた鱗が想像以上に硬い。

「む……?むむむ~……??」

『グゴォオオ…………グゴォオオ…………』

 ゆっくりと矢を握る手に力を込めていくけど、竜は相変わらず深い眠りの中。
 だからこそ油断したんだと思う。

 『ぷすっ』
 そんな音が聞こえた気がした。

『グゴォオオ……グゴッ……グルルルルルルル!!』

 目を覚まし、ゆっくりと頭を起こす竜。
 眼下に見えるのは私。
 矢尻の先をほんの少し血でぬらした矢と、まるで金属のようにキラキラ輝く鱗を持ってます。

「ニヒヒ……ご、ごめんあそばせ……?」

『グォオオオオオオオオオオオ!!!!』

 そりゃ怒るよね。
 私だって気持ちよく寝てるとこを起こされたら怒るもん。
 しかも鱗を剥がれてるわけだから、私で例えると……薄皮とか?髪の毛とか?そんな感じ?

「わひゃっ!?」

 いきなりの頭突きを紙一重のところで回避する私。
 ちなみにこれはまぐれ。
 反射的に身体が飛び退いてくれただけ。

「あうっ!!」

 でも、避けられたのは頭突きまで。
 背中から鞭みたいに飛んできた尻尾に吹き飛ばされて、湖の中に真っ逆さま。

『グルルルル!!』

「……っ!?」

 もしかして、このまま湖の中を泳いでたら助かるかな、なんて考えたけど無駄だった。
 今だからわかるけど、この個体は水龍種の幼体だったわけね。
 当然、水中だろうがお構いなしに飛び込んでくるし、空を舞うように泳ぎ回る。

 普通はここで諦めちゃうと思うんだけど、私は違ったんだな。
 すぐさま弓を取り出して、矢を引き絞った。
 ここで負けて食べられでもしたら、せっかく始まったばかりの旅が一ページ目で終了なんてオチになっちゃうもん。

 あとはがむしゃら。
 手持ちの矢も、肉捌き用のナイフも全部使って戦って……

 なんか勝っちゃいました。

 仕留めることはできなかったけど、いくつかの傷を与えたところでどっかに逃げていっちゃった。
 たぶん、幼体だから戦闘という行為に慣れてなくて、傷付けられることが怖かったんだね。
 そう考えると、悪いことしちゃったなって気になったから、鱗はそのまま湖の中に置いてきた――――





「――って話でした。お終い、お終い」

「…………」

 話の最中、一言も発せず聞き入っていたジン君だけど、話を終えても黙りっぱなし。
 自分では結構うまく話せたと思うんだけど、ダメだったかな?

「お前、一人で竜倒したのか……すげぇな……!」

「え?まぁ、倒したかと聞かれると微妙なとこだけど、なんとか勝つことはできたんじゃないかな?」

 さっきまで噛み付いてきてばかりだったのに、こうも素直に褒められてしまうと照れてしまうね。

「でも……どうしようもなくアホな」

「むっ!?せっかく褒めてくれてたのに、なんでいきなりアホなのさ!?」

「寝てる竜に悪戯かますとか、ただのアホだろ!アホエルフ!!」

 でしょうね。
 ジン君の性格を考えれば話の論点はそこでしょうね。
 むしろこの方がしっくりくるように感じ始めちゃったよ、あぁ、もう!

「はぁ……もっとマシな話ねぇのかよ?アホじゃないやつな」

「ぐ……もちろんあるよ!いくらだってあるよ!じゃあ、次は宝探しの話ね」

 落ち着け私。
 このままじゃジン君の中での私への評価が『アホエルフ』に決定されてしまう。
 ならば、この話で評価を一変させてやろうではないか――





――つい最近、どことも知れない遺跡に忍び込んだ日の話。

「獲物は逃がさないぜ!ランビー!」

「全部いただくよ!リシェル!」

「飛び入り参加だよ!エルミア!」

「「二人揃って!お宝トレ――――誰!?!?」」

「あぁ、ごめんごめん。なんだか楽しそうだったから混ざっちゃったよ」

 私は遺跡の奥に何があるのか気になって忍び込んだわけなんだけど、遺跡がどういったモノか知らないまま忍び込んだものだから、いろんな仕掛けや迷路みたいな道に翻弄されまくっちゃって、最奥まで辿り着く前に飽きちゃったの。
 結局、ずっとグルグルしてても仕方ないなってことで、引き返そうとしてたところだったんだけど、その帰り道で出会ったのが可愛らしい少年少女の二人組。

「つまりあれだな。お宝トレジャーズの新たなるメンバーになりたいって話だな!」

「そうなのランビー!?この人なんか困ってるみたいだったけど、新メンバーになりたがってたの!?」

「間違いないぜ、リシェル!オレの第七感がそう告げている!!」

「じゃあこれから『三人揃って』だね!!」

「エルミアの決め台詞も考えてやらないとな!!」

「え?あぁ、うん!えっと……ありがとう?あれ?いつの間に仲間になったの私??」

「一回仲間になったら離れ離れになっても仲間だって親父が言ってたぜ!昨日の敵は今日の友ってヤツだな!な、リシェル!!」

「アタシは聞いたことないけど、その通りだね、ランビー!!」

 なかなか要領を得ない二人との会話だったけど、どうやら二人は『お宝トレジャーズ』っていう盗賊団……ごっこ?の最中らしく、お宝を求めて大陸中を旅しているって話だった。
 で、私は何気なく聞いてみたわけさ。

「お二人さん。お宝トレジャーズはどんなお宝を探してるの?」

「え!?あー……えっと……何だっけかなぁ、リシェル?」

「え!?!?あー……あれだよ……ほら……宝石とかね」

「んん?なにやら隠し事の気配がするぞ~??」

「す、すまねぇ!こればっかりは同じお宝トレジャーズの仲間でも話すわけにはいかねぇんだ!!」

「ゴメンね!お詫びにほら!ドゲザ!!パパがいつもママにこうしたら許してもらえてた!!」

「いやいや!そこまでしなくていいから!誰にでも聞かれたくない秘密はあるもんだよ!」

「リシェル……エルミアってなんかすごく良い人だぞ?」

「ランビー……パパ達よりもカッコいいこと言ってるよ!?すごいね!」

 まぁ、こんな感じですっかり気に入られてしまったわけ。
 で、ここからが本編。
 小さな子供達二人だけを置き去りにするのは心苦しかったし、私はその宝探しを手伝うため、遺跡の探索に付き合うことにしたの。
 途中までは道もわかってたしね。

 でも、その道中は私の知っているはずの道じゃなかったんだ。
 あれは……地獄だったよ。

 私でも気が引ける様な怪しいスイッチを見つける度に躊躇わずポチポチするし……
 回避したはずの落とし穴を覗き込んで『この下にこそ、真の道がある』とか叫び出して飛び込むし……
 坂道を追いかけてくる大岩トラップを本気で受け止めようと立ち止まるし……

 その度に私は二人を抱えて、走って、跳んで、砕いたよ。
 若さって怖いよね。
 敵わないな、なんて思っちゃった。

「はぁ……はぁ……二人共……いつもこんなことしてるの……?」

「もちろんだぜ!だって俺達――」

「「お宝トレジャーズ!!」」

「ホントに危なくなったらパウパウが教えてくれるしな!」

「影の妖精さんも助けてくれるしね!」

「え!?じゃあ、私のしたことって無駄だったの……?」

「そんなことないぜ?今回はいつもよりずっと楽だったし、タンコブもできてない!!」

「アタシは前の遺跡で膝すりむいちゃったけど、今日はケガしてないよ!?」

「そっか……ニッヒヒ!ならもう少し頑張ってみようかな!」

 私達は諦めずにメチャクチャしながら遺跡の奥へ進んでいった。
 そして、遂に辿り着いたの。
 最奥の部屋へ。

 一本道の先に待ち構える重厚な鉄の大扉。
 私一人の力ではとても開けることはできなかったけど、三人で協力してやっと扉は動いて、ゆっくりと開いていく隙間からは眩い光が差し込んで……はこなかった。
 そこにあったのは宝の山……ではなく、小さな宝箱が一つだけ。

 それを見た時、正直私はちょっとガッカリした。
 あれだけ頑張った報酬がこれっぽっちかって。
 でも、お宝トレジャーズの二人は違った。

「「うぉおおおおおおおおおおおお!!」」

「あったぞ、リシェル!お宝だぁああああ!!」

「やったね、ランビー!お宝だぁああああ!!」

「「お宝トレジャーズ!大勝利!!」」

 二人は襲い掛かるみたいに宝箱に飛び付いて、それを開いた。
 するとね、中にはいくつかの装飾品が入ってた。
 ネックレスと、指輪と、小さな王冠。
 それにどれくらいの価値があったのかはわからないけど、私は二人の喜ぶ姿を見ているだけで笑っちゃったんだ。
 まるで世界一のお宝を発見したかのように踊り始めるんだもん。

「ニヒヒ……!」

「……ん?どうしたんだ、エルミア??」

「エルミアは嬉しくないの??」

「え?いやいや、嬉しいよ!?」

「ははーん……オレにはわかるぜ?」

「え?何々、ランビー!?」

「いやいやいやいや!私は別になにも――」

「分け前のことが心配なんだな?」

「なーんだ!そうだったんだ!!」

「分け前……?いや、私は別に宝物が欲しいわけじゃ――」

「ほいっ!」

 変に拍子抜けしていた私の頭にランビーが乗せてくれたのは小さな王冠だった。

「わっ!?ランビー!!エルミアって王様だったの!?

「違ぇぞ、リシェル!王様は髭が生えてないといけないんだ!」

「じゃあMVPってことだね!?ヒーローインタビューしないと!」

「あぁ……オレも超頑張ったが、今日のところは負けだ!でも、次は負けないからな!!」

「アタシだって負けないからねー!!」

「次は絶対優勝するぞ………」

「「おーーーーーー!!」」

 この時、気付いたんだ。
 今日手に入れた一番のお宝は、どんな宝箱の中にも絶対に入ってないものだなって。
 ちょっぴり泣きそうになっちゃったよ。

 その後、二人とは遺跡の外に出たところで別れたんだけどね。
 でもバイバイは言わなかったよ。

 もう三人は仲間だからね――――





「――だから絶対に再会して、また一緒に冒険するんだ!」

「で、その頭に乗せてる王冠が、その王冠ってわけか……」

「その通り!!」

 とっておきの良い話をしてしまった。
 これでジン君からの評価もうなぎ登り間違いなしだね。

「…………いや、やっぱアホじゃん」

「なんで!?!?良い話だったでしょ!?私はお姉さんとして子供達を引率しながら、見事にお宝を発見したんだよ!?最後までちゃんと二人を守り抜いたんだよ!?」

「いや、まともな姉ちゃんならそんな危ないとこに子供を連れて行くなよ。そのまま保護して街にでも届けるのが普通だろ」

「だって行きたがってたんだもん!!子供達の夢を叶えてあげたんだよ!?素晴らしいことじゃない!?」

「でも、それって盗掘ってやつだろ?悪い事じゃん」

「いやいや、だって――――あ!」

「なんだよ?」

「そういえば約束してたんだった……オレ達のことは誰にも内緒だぜって……」

「やっぱアホじゃん!!!!」

「あ~!!忘れて!!今の話は忘れてぇええええ!!!!」

 私は語る。
 私が見てきたいろんな世界、いろんな街、いろんな人達のこと。
 ジン君はあーだこーだ言いつつも、その全てをしっかり聞いてくれていたようだった。
 辛いこともたくさんあったけど、それ以上に楽しく、とても充実した日々。
 今の旅のことも、幸せな思い出として誰かに聞かせる日が来るのかもしれないね。




 ジン君とパパさんとの旅も今日で一カ月。
 月日が流れるのは早いことで。
 こういう感覚は歩んできた人生の長さや、寿命の違いがあっても変わらないものなのかな。
 それが楽しいと感じる時間であればなおさらね。

「ジン!飯の前に水浴びでもしてこい!汚いままだと嬢ちゃんに嫌われちまうぞ……?」

 ジン君がパパさんとの手合わせを終えて、食料を調達し終えてたら水浴びの時間。
 お風呂なんて立派なもの、ちゃんとした宿にでも泊まらないと入れないからね。
 なにが起こるかわからない旅の道中、お金は大事に大事にしないといけないのだ。
 まだ暖かい季節だしね。
 ホントは入りたいけど……

「はぁ!?なんでオレがこんなババ――」

「んん?何を言おうとしたのかな?」

 すかさずジン君の顔を覗き込むと、慌てて言葉を飲み込んだ。
 別に言ってもいいんだけど、その後どうなるかを忘れちゃってるなら、思い出させてあげることもお姉さんの務めだ。

「バ……バ……バーカ!!いちいちこんなヤツのことなんて気にしてられるかよ!!」

 さすがに一カ月も経つと、いくら覚えの悪い子でも学ぶものだ。
 とはいえ、誤魔化しつつもしっかり悪口に持っていく辺り、まだジン君には私を拒絶する気持ちが残っているということなのか、それとも単なる照れ隠しなのか。
 年頃の男の子は難しい。

「あれあれ~?いいのかなぁ?私はともかくとして、通りかかった町々の女の子達にいろいろ言われちゃうよ~?」

「ふんっ!そんな誰かもわからねぇヤツの評判なんて気になんねぇよ!」

「ふ~ん……『ねぇねぇ!ちょっとあれ見てよ!!やっだぁ……汚らしい。あんな恰好で町中うろつかれる身にもなってよね~!』とか?」

「……べ、別に気にならねぇ」

「『きっと身体を鍛える事ばっかりで頭の鍛錬はしてこなかったのね!お風呂の入り方ひとつ知らないなんて、なんて可哀そうな子なのかしら!!』とか?」

「…………」

「『うげぇ!?くっさ!ジンくっさ!!そんな体じゃ一生かかっても女の子のお相手なんてできそうにないわね!ギャハハハ!!』とか?」

「うるせぇな!オレは行かねぇなんて一言も言ってねぇだろ!?だいたい言われなくてもそろそろ行ってこようかなって考えてたところなんだよ!!」

「ふ~ん……」

 ふむふむ。
 異性に対する興味もすくすくと成長しているようでなにより。
 単に私のニヤケ顔に対抗心を燃やしただけの可能性も捨てきれないけど、微妙に顔を赤らめていることから察するに前者だね。
 これはまだまだからかい甲斐がありそうだ。

「一人で心細いなら私が一緒に入ったげよっか?」

「バ!?バカ言ってんじゃねぇよ!!」

「ニッヒヒ!かわいぃなぁ……顔真っ赤にして照れちゃって」

「ち、違ぇよ!!お前が怒らせるからだろ!?」

「そうだね~」

「ぐ……クソ……!もういい!!行ってくる!!!!」

「いってらっしゃ~い!」

「覗くんじゃねぇぞ!?」

「それはフリかな?」

「ふざけんな!!!!」

 そう言って、ジン君は手ぬぐい片手に近くの河原へと向かって行くわけだけど、プンスカしてる感じがひしひしと伝わってくるその背中がまた可愛いのなんのって。
 フリまで頂いたことですし、まだまだお姉さんの戯れは終わりませんのことよ。
 背中が見えなくなったことを合図に、すぐさま気配を殺して、いざ、ストーキングの開始。
 ジン君は果たして私の存在に気付くことができるかな?
 誰かに誤解されないうちに釈明しておくと、私にとってはこれは戯れでも、ジン君にとっては修行なのだ。
 果たしてジン君は、気配を絶ちながら背後をつけ狙う敵の存在に気付くことができるかどうか、というね。
 決して意味もなく遊んでいるわけではない。
 私の欲望を満たすためだけのものではない。
 たぶんね。

 とか考えてたら河原まですんなり尾行出来ちゃったわけだけど、ジン君はというと既に真っ裸で水浴びを堪能中だったり。
 残念だよ、ジン君。
 私は君の進化に期待していたというのに、すぐ背後の草むらに隠れている私に全く気付かないなんて、一カ月もの間てんで成長していないじゃないか。

「ったく……いつもいつも何かと絡んできやがって。どっちがガキなんだっつーの。歳だけはババァのくせに中身はてんでお子ちゃまじゃねぇか……」

――ガサッ

「ん……?」

 危ない、危ない。
 突然の言葉に動揺して足が飛び出しそうになってしまった。
 まさかとは思うけど、微かに気配を察知して、正確な位置を把握するために揺さぶりをかけにきてるわけじゃないよね?
 そうだとしたら、君を抱きしめてあげたくなるほど嬉しいよ。
 ただ……それが単なる独り言だったとしたら、君は普段から私のいないところでそんなことを口走っているわけだから、絞め殺してやらないといけなくなるんだけどね。

「まぁ、ここはオレの方が大人にならないとだよな。とりあえずババァってのは止めてやるか。でも、それなら何て呼べばいいんだ?エルミアか?いや……今さら名前で呼ぶのもなんかなぁ……」

 今度は逆に持ち上げてきた!?
 やはりこれは揺さぶりをかけにきているね!?
 思わぬ成長ぶりに感激だよ……
 そのまま素敵ニックネームでも付けてくれた日には、私は敗北を認めなくちゃいけないね。

「おぉ!クソエルフだ!クソエルフで十分じゃねぇ――」

「挑発に乗ってやるよ、このクソガキがぁああああ!!」

「ぐほぉえ!?」

 その瞬間、私は頭が真っ白になって、気づけばジン君の背中にドロップキックをお見舞いしていた。

「ふんっだ!ちょっとは見直してあげようかな~と思ったのに、ジン君ってば――あれ?ジン君?」

「………………」

 ジン君が水面に突っ伏したまま微動だにしない。
 これはおかしい。
 隠れていた私の気配に気付いて挑発していたのなら、その後の攻撃に対処する心構えもしていたはず。
 なのに、ジン君は避けるどころか、もろに食らって、完全に意識を失い水中に……

「って――わぁああ!?息できないじゃん!死んじゃうって!!」

 私は慌ててジン君を川辺に引き上げて膝の上に寝かせる。
 真っ裸のジン君を。
 結局、この子は私の尾行には気づいていなかったようだ。
 ジン君が真っ裸になった時点で、私が気付くべきだったね。

 この子を膝枕してあげるのはこれで二度目。
 一度目は、初めて会った森の中だった。
 こうしてみるとよくわかる。
 真っ裸のジン君を。
 何一つ変わっていないように思えても、この一カ月の間に色んなところが少しずつ変化している。
 髪が伸びたね。
 身体中に付いた小さな傷は、古いものから順番に消えて、別のところに新しい傷ができてる。
 背もちょっぴり伸びたかな?

 そういえば、私もママによく膝枕してもらってたっけ。
 私もジン君みたいに元気いっぱいで、無鉄砲なとこがあって……
 ジン君を見ていると、私が放っておけないって気持ちになってしまうように、ママも私にそんな想いを抱いていたのかな……

「うぉ~い!飯の準備が出来たから、早く戻って来いよ~!」

「わわっ!?」

 森の木々をすり抜け、遠吠えのように聞こえてくるパパさんの声に、思わず体がビクりと反応。
 いつの間にかしんみりした気持ちになっちゃってたね。
 いけない、いけない。

――バチィン!!

 と、私は頬を叩く。
 自分のじゃ痛いから、ジン君のをね。

「うぉお!?え!?な、なんだ!?」

「やっと目を覚ました!大丈夫?ジン君」

「あれ?オレは何を?確か水浴びをしていたら突然……」

「さ、さぁ。何があったかは全然知らないけど、とにかく無事でよかった!!」

「え?まぁ……そうだな」

「早くパパさんのとこに戻ろ。もうとっくに晩ご飯できてるよ!」

「おぅ。そうだな」

 まだ少し痛みが残ってるのか、ジン君が背中を気にしていたようなので、私はスリスリとそこを撫でてあげる。
 正直、ちょっとやりすぎちゃったかなという反省がなかったわけでもなく、これも隠れた謝罪の形として認められることを願おう。
 それから、本人は気絶したショックで忘れてるだろうけど、恐らくジン君はこの場の状況を恥ずかしがるだろうと予想して、早く気付かせてあげようとそれとなく促してもあげる。

「……ねぇ、ジン君。こんな時、私がどんな反応するのが好みだったりするのかな?キャッ!とか言った方がいい?」

「ん?」

 キョトンとした表情で、視線を自分の胸元へと落とすジン君。

「てめぇ!気付いてんなら早く言えよ、クソエロエルフ!」

「はい。ジン君の服」

 そばに置いてあった服まで手渡してあげるアフターケア付き。
 しかも、グチャグチャに脱ぎ捨ててあったものを、わざわざ綺麗に畳んであげたのだ。
 ここまですれば、キック一発かましたことを差し引いてもお釣りがくるよね。

「くっそがぁああああああああ!」

 顔を熟れたリンゴのように赤々と染めたジン君は、私から服を乱暴に受け取ると、そのままキャンプへと逃げるように走って行きましたとさ。





 そして、その日はやってくる。





 旅路は三カ月を数え、三人での行動もすっかり馴染んできた。
 そんな時に通りかかった小さな村で、私たちはこんな話を聞く。

「どうか、あの翼竜を倒し、我々をお救い下され……!」

 村長さんは言った。
 この地の傍にある海峡付近に、翼竜の巣が存在する。
 その翼竜は、長年ここ一帯の竜達を従え、群れのボスとして君臨する巨大な翼竜。
 強大な力と群れの規模のせいで、迂闊に手出しもできないもんだから、その勢力はどんどん拡大しちゃって、とうとう村にまで脅威が及ぶようになってきた、と。

 当然、正義感溢れるパパさんがこの話を断るはずもなく、二つ返事で翼竜討伐の依頼を引き受けることになったわけだけど、ここで一悶着起こる。
 パパさんは今回の依頼の危険度を考えて、ジン君を村に残して、私と二人で翼竜討伐に向かおうとしたのだ。
 これにジン君は猛反発。
 今までの修行の成果を見せてやる、と意気込み、自分も同行させろと願い出る。
 とはいえ、パパさんはジン君には荷が重いと判断した上で決めたわけだから、ジン君が何を言おうと聞く耳を持つはずないわけで、親子喧嘩に発展するのは必然だった。
 そこで私はこんな提案をしてみる。

「私が常にジン君のそばでサポートするよ。だから、ジン君も連れて行ってあげて!」

 私は見てきた。
 パパさんに幾度となく打ち負かされても立ち上がり、強くなろうという一心で努力を続けてきたジン君の姿を。
 たぶん、今日という日は、これまでの成果が試される一つの試練なんだろう。
 そう思った。

 それでもパパさんは首を縦に振ろうとはしなかったけど、なんだかそのうち私までムキになっちゃって、パパさんが根負けするまで二人でしがみつき続けた末、三人での討伐ミッションを勝ち取ったのだ。



 しかし、現実は無情。
 討伐目標である巨竜の力は、パパさんや私の想像を超えていた。



「なぁ……助かるんだろ?親父は平気なんだろ……?」

「…………だ、大丈夫!私、薬草取ってくるから!パパさんを見てて!!」

「わ、わかった!!」

 翼竜との戦闘の際、パパさんはブレスに巻き込まれそうになったジン君を庇い、瀕死の重傷を負ってしまう。

 私が持つ医術知識は経験によるもので、云わば自己流。
 専門家にはとても敵わないけど、傷の程度くらいは診られる。
 そして、そんな積み重ねてきた経験が警鐘を鳴らしていた。

 このままじゃ助からない。

 震えるジン君を落ち着かせるために口を突いた『大丈夫』という言葉。
 一体何が大丈夫なのか。
 いつもそうだ。
 考え無しにその場のノリで突っ走り、壁にぶつかって怪我をしてからようやく過ちに気付く。
 自分一人が怪我するならまだマシだ。
 他の誰かを巻き込まないだけ可愛いらしい。
 だけど、今回大怪我をしたのはパパさんで、ジン君の心にも大きな傷を負わせてしまった。
 ジン君は私がサポートする?
 結局、あの子を守ったのはパパさんだ。
 守ると息巻いた挙句、私は自分の身を守ることで精一杯。
 おかげ様で、ほらこの通り。
 戦いを終えてもピンピンしてる。

 パパとママを死なせてしまった時と同じだ――――





――私が五十歳を迎えた頃だった。

「パパ……ママ……!」

 もう歳だというのに、最後まで仕事に打ち込み続けていたパパが倒れたのが数日前のこと。
 ずっとそれを一人で手伝っていたママも、追いかける様にベッドで寝たきりになってしまった。
 それまで私は何をしていたのかって?
 ただただ遊んでた。
 昔は友達だった同い年の仲間達がみんな仕事で汗を流す中、私は彼らの子供たちと友達になって、遊び呆けていた。
 言い訳のように聞こえるとは思うけど、そうして夢中になっている時間だけは、年々忍び寄ってくる周囲との違いから感じる不安を忘れることができたから。
 ママとパパは、それを察してくれていたから、どんなに無理をしてでも私に仕事を手伝わせようとはしなかったのかもしれない。
 だからこそ、私はパパたちの看病に必死になった。
 ごめんなさいを言う様に。
 これまでの恩を、ほんの少しでも返せるように。
 でも……

「パパ……?パパ!?」

「ゴメンよ……エルミア…………いつまでも傍にいてやれないパパを……どうか許しておくれ…………パパ達は……オマエが……」

 数カ月も経たぬうちに、パパは静かに息を引き取った。
 そのショックからか、ママの体調も悪化。
 日に日に衰弱し、やせ細っていくママの手を握り、私は懸命に祈り、願った。

「私にくれた長命の加護はお返しします!だから、その代わりに、同じだけの時間をママにお与えください!」

 メルキスの大樹に宿るとされる精霊は、私の声に応えてくれることは無かった。
 散々好き勝手生きてきた私のお願いなんて、精霊でなくたってお断りだろうね。

「よく聞いて、エルミア。アナタは長命エルフであることで、たくさんの悩みを抱えていたことでしょう……それはお母さん達には到底理解できないようなことかもしれない……でも、それを悲しいものだとは思わないで……」

「……ママ?」

「長い命を授かったことは、間違いなくアナタにとって幸運な出来事のはず……だからアナタは生きなさい。そして、他の人よりもたくさんの幸せを見つけるのよ……そうして初めて、アナタの人生は報われるから」

 私はママのベッドを涙でグチャグチャに濡らしながら、その声を決して聞き逃さまいと頷いた。

「最後にアナタに苦労をかけてしまってゴメンなさい……可愛らしいアナタの姿に、ついついお母さん達は甘えてしまったの。でも、もうその心配もいらないわ……」

「ママ…………いやだよぉ……一人にしないでよぉ……!」

「お母さん達はね……アナタが笑顔でいてくれることが何より嬉しかったの……どうかいつまでも……アナタは好きな事をして、アナタらしく笑っていて……ね……………………」

「………………グスッ…………ママぁ……!」

 私は翌日、メルキスを旅立った。
 ママ達との約束を果たさないといけなかったから。
 親が子に託す夢を叶えることが、子に出来る最大の恩返しだと理解したから。

 いつまで続くかもわからない悠久の時の中で、少しでも多くの幸せを探す旅。

 私はその日、初めて自分の人生を歩み始めた――――





「――ジン君!パパさんは!?遅くなってゴメンね……」

 助けなきゃ。
 こんな形でジン君達の旅を終わらせてたまるもんか。
 ママ達が私に夢を託したように、パパさんにもジン君へ託している夢がある。
 あの子が立派な武神一族の戦士となった姿を、パパさんが見るまでは終わらせてはダメ。
 今の私がそうであるように、ジン君だってその夢を叶えるために頑張っているのに。

「なかなか目当ての薬草が生えてなくて。それで――」



 洞窟で私を待ってくれていたのはジン君だけだった。



 一体、彼はどんな想いで私を待っていたんだろう。
 初めから当てになんてされていなかったのかな。
 どちらにしても、もはや意味はない。
 動かなくなった父の前で呆然と項垂れる息子。
 その光景は、何もかもが手遅れであることを私に悟らせた。

「…………あぁ……ゴメン……ゴメンなさい……私が……私がジン君の傍にいるって言ったのに……!私がもっとしっかりしてれば、パパさんが――」

 なんて薄っぺらいんだろう。
 言葉にしてみると笑いが出そうになっちゃうよ。
 元々ジン君を確実に守り切れる保証があったわけじゃない。
 それでも何とかなるかな、なんて考えていた今朝の私を殴り飛ばしてやりたい。
 ジン君は今日、一つの大きな戦いを乗り越えて、自分の成長を実感できるはずだったのに。
 明日からの修行の旅も笑いながら続けられるはずだったのに。
 ジン君が思い描いていた理想を粉々に打ち砕いて、絶望の淵に叩き落としてしまったのは全部私の責任だ。
 きっと許してはもらえない。
 許してもらおうと思うことがおこがましい。
 それほどのことを私はしてしまった。

「違う…………オレが……オレのせいだ」

「ジ、ジン君……?」

「オレが無理言って付いてこなきゃ親父は死ななかった……オレがちゃんと戦えてれば親父は死ななかった……オレがもっと強ければ親父は死ななかった……」

「そんなこと――」

「違わねぇよ……!」

「……ジン君」

「だからエルミアは悪くない……」

 私のことを庇ってくれている?
 それとも、本当に全ての責任が自分にあると考えている?
 今はたぶん、心の整理を付ける時間が必要なんだ。

「…………とりあえず。パパさんを送ってあげよ?」

 パパさんの遺体は拍子抜けするほど軽く、同時に、なにより重くも感じた。
 洞窟を出て、岸壁をよじ登ると、そこには気持ちの良い風が吹き抜ける原っぱが広がっていて、私は一番日当たりが良さそうな場所を選んで穴を掘る。
 地中にパパさんを寝かせ、少しずつ土をかけていく間、ジン君は手伝うでもなく、止めるでもなく、ただ無言でその光景を見つめ続けていた。

「ほら……ジン君もパパさんを見送ってあげて?」

「………………」

 ジン君は私の隣に座り込むと、静かな表情のまま手を合わせた。
 きっとパパさんと歩んできたこれまでの人生を振り返っているのだろう。
 楽しかった思い出も。
 悲しかった思い出も。
 でも、もう新しい思い出が生まれることは無い。

 私はというと、手を合わせながらひたすら心の中で謝り続けた。
 そして、誓う。
 ヤツは私が殺す。
 パパさんに捧げるせめてもの贖罪として。

「……これは置いていくよ……親父」

 墓標代わりに積み上げられた小石の傍らに、ジン君はそっと自分のハンマーを置き、何処へともなく歩き出す。
 そこで私は気が付いたんだ。

「どこに行くの?ジン君」

「…………」

 肩に担いでいたのはパパさんのハンマー。
 やっぱり君は決めたんだね。
 昔の私がそうだったように。

「ヤツのところに行くんだね?」

「…………行かせてくれ」

「止めても行くんでしょ?分かってるつもりだから。ジン君の気持ち」

 ホントは私が行くつもりだったけど、ジン君がそれを果たすと言うのだから、私はそれを見送る他ない。
 その表情だけでも、復讐なんて単純な気持ちによる行動じゃないことが容易に伝わってきた。

 パパさんに見せてあげるつもりなんだね。
 ジン君がパパさんから託された夢を、果たしに行くんだね。

 だったら私も、ジン君の決意とパパさんの夢を守るため、もう一度頑張るよ。

「傷ついたあの翼竜は巣へ逃げ帰ったんだと思う。傷が癒えるのを待つには自分の住処が一番安全で安心できるからね」

「…………エルミア?」

「相手はヤツ一体だけじゃないよ。私達がヤツと戦ってた時、他の竜が邪魔に入ってこなかったから忘れかけてたけど、ヤツは群れのボスなんだ。だから巣の周りには従えてる小型の翼竜がいるはず」

 少し前ならポカンとした可愛らしい顔を見せてくれていたのに、今はすっかり戦士の顔だね。
 それは私にとっても、パパさんにとってもきっと喜ぶべきことなんだと思う。
 でも、微かな不安がどうしても拭えない。
 もしかしたら、もう元のジン君は二度と戻ってこないんじゃないかって……
 私は、もう一度あの顔を見ることができるのかな……

「アイツは逃げるとき、海の方に飛んでいったからね。もしかしたら海岸線に大きな洞窟でもあるのかもしれない」

「…………」

「あくまで予想だから、外れるかもしれないけど。とりあえず浜辺の方に向かってみると良いと思う」

「…………あぁ」

「無事に帰ってきてね。ジン君。待ってるから!」





 海岸線に下り、浜辺をなぞるように歩いて約五百メートルのところに険しい岩壁があった。
 その中腹にはポッカリと大穴が開いている。
 見張り番として、小型の翼竜が数匹上空を旋回しているし、間違いない。
 ばっちり予想は的中。
 ヤツの巣だ。

 そのちょっと手前。
 私と巣の中間地点に位置する砂浜を歩くジン君の背中。
 私はその小さな背中を見つめ、彼の微かな挙動さえも見逃さまいと、細心の注意を払っている。
 あの子に私の存在が悟られないように。

「ゴメンよ、ジン君……」

 君のことは信用している。
 君はきっとパパさんとの誓いを果たしてみせるだろうし、必ず帰るという私との約束も守ってくれると信じてる。
 でも、やっぱり心配なんだ。
 一人で全部乗り越えてこそ、ようやくパパさんに託された夢を叶えられると思っているんだろうけど、それでも君を死なせるわけにはいかない。
 危ないと思ったら私は君の前に迷わず飛び出す。
 その時は、私を恨んでくれてもいいよ。

「…………」

 岸壁の中腹で口を開けている大穴見上げてジン君は立ち止まる。
 やっぱりダメだ。
 岸壁をよじ登っている最中に見張りの竜に襲われたらひとたまりもなし、戦おうにも足を滑らせるだけで海に転落しちゃう。
 でも、ジン君のハンマーじゃ砂浜からの攻撃は届かない。
 ここは私が出て行くしか……

「――って……あれ?」

 私は駆け出そうと力を込めた足をすぐに引っ込めた。
 ジン君が見張りの竜に攻撃しようとするわけでも、岸壁を登ろうとするわけでも、ましてや立ち止まって考えるでもなく、何故か急に岸壁の側面へと回り込むように歩き出したから。
 ここからじゃ見えないけど、横穴でも見つけたのかな?

「え……嘘……?」

 ジン君が岩壁に向かってハンマーを振り上げたところで私はあの子の思考を理解した。
 そして、それがあまりに現実味に欠けた策であることも。
 壁の厚みは数メートル?
 巨竜が住処にするような洞窟なら、中にはそれだけ広大な空間があって、そんな空間を支えられるだけの岩壁をハンマー一つで貫けるわけがない。
 そして次の瞬間、私は目撃する。
 ジン君の底に秘められた力。
 武神の力の片鱗を。

「………………ふっ!!」

――ズドンッ!!!!

 大地が一瞬揺れたことを、私の足は確かに感じた。
 付近の木の奥に隠れていた鳥達が慌てて飛び出してくる中、ジン君はさも当然といった表情で、壁に突き刺さったハンマーを引き抜くと、そこにはハンマーの縁を象ったかのような綺麗な丸い穴。
 それは、壁の奥深くに根付く迷路のような通路まで見事に繋がっていた。

 すごいよ、ジン君。
 素直にそう思うしかない。
 力の全てを一点に集中して、衝撃を杭のように走らせることで生み出した貫通力。
 それはハンマーを打ち込む際の力がとてつもないものであったことと、そんな力を見事に操りきった技の冴えを私に知らしめる。
 パパさん。
 ちゃんと見てたよね?
 パパさんの教えは、しっかりジン君の中で生きてるよ。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 雄叫び。
 巨竜と対面する恐怖に打ち勝つため?
 パパさんが倒れた光景を拭うため?
 大丈夫。
 溢れる想いの強さがひしひしと伝わってくるよ。
 君はもう戦士だ。
 あとは、それを証明してくるだけ。

 駆け出したジン君の背が洞窟内に消えたのを確認して私は立つ。

「さてさて……じゃ、私も頑張らないと!」

 まずは一本、矢を放つ。
 狙いは、ジン君を追おうとした見張りの翼竜の側頭部。
 続いて二本目、矢を放つ。
 狙いは、仲間が打たれ、私の存在に気付いた別の見張りの心臓。
 そして三本目、矢を放つ。
 狙いは、標的を私に切り替えた、また別の見張りの眉間。

 そりゃ、あんな盛大に轟音響かせた上に、雄叫びまであげちゃったら嫌でも気付いちゃうよね。
 ジン君はボスの元に向かう侵入者。
 見張りとしてはそれを黙って見過ごすわけにはいかない。
 当然、追いかける。
 あの子は後ろから追いかけてくるのも全部返り討ちにしながらヤツのとこまで行くつもりだったんだろうけど、それは流石に無茶が過ぎるってもんだよ。

 だから、私はジン君が開けた穴の前に陣取って宣言するわけだ。
 奥に進んでいったジン君に聞こえなくたって構わない。

「ジン君、こっちはエルミア姉さんに任せなさい!!外にいる見張りも、なんか入り口からワラワラ飛び出してくる……ひー、ふー、みー…………とにかくいっぱいも任せなさい!!」

 たぶん巣の奥にも何体かは配下の竜がいるはずだけど、今のジン君なら問題なく倒せるよね。
 そしたら残るはヤツとの決着だけ。
 私はその邪魔をさせないように、死んでもここを守り抜くよ!




『ギャゥウウ!!』

「わっ!?ととっ!」

 小型の翼竜とは言っても、人間やエルフとは比較にならないような力。
 尻尾を振り回すだけでもこっちにとっては致命傷にもなり兼ねない攻撃になる。
 直撃だけは食らわないようにと立ち回るのが精一杯。
 こうも数が多いと、それも難しいんだけど、それでも逃げ出すわけにはいかない状況なわけで……
 二十匹くらいは倒したから、残りは何匹?
 まだまだ沢山。
 でも、ボスの元に向かえない焦りと、攻撃を避け続ける私への苛立ちで、攻撃はどんどん単調になってきている。
 ここまでは順調。
 気を抜くな。
 集中しろ。

「はぁっ!!」

『ギュォオオ……!』

 ただ、一つ気がかりなのは、たんまり用意していたはずの矢はどんどん消費されて、その残りがもう心許ないってこと。
 残りの竜達よりも明らかに少ない。
 矢は残り十本。
 今また一匹倒したから九本か。

「まぁ、やっぱりこうなっちゃうよね……!」

『ギュァアアア!!』

「ダメだよ!通してあげないっ!!」

 残りの矢は八本。
 いっそのこと、死骸から矢を抜いて再利用する?
 堅い竜の皮膚から矢を抜いてる暇はある?

「ニッヒヒ……ちょっとくらい休ませて欲しいなぁ……!」

 七本……六本……
 残り僅かとなった矢をさらに使えど、敵は減らない。
 四本……二本……
 窮地へのカウントダウン。
 予想していなかったわけじゃないしね。
 矢がなくなったらナイフで戦えばいいだけのこと。
 ナイフも折れちゃったら今度は石でも投げてみようか。
 それもダメなら格闘戦?
 あ、またアホなこと考えてた。



『グルル……!』

 お客さん、もう看板ですよ。
 矢は一本たりとも残っていない。
 残りの敵は……数える気にもならないね。
 でも、戦い方は変わらない。

「はあっ……はぁっ…………」

 朦朧としてきた意識の中、自分の動きを繰り返しシミュレート。
 腰元からナイフを取り出して、しっかりと構える。
 戦う距離が変わるだけ。
 攻撃を避けつつ、穴に潜ろうとする竜だけを確実に仕留める。
 ちゃんと構えられてるかな?
 もう自分がどう動いているかもあやふやだ。
 ちょっと掠っただけでも大きなダメージってんだからやってられない。


『グギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

「…………っ!?」


 場を寸断するように響き渡る咆哮に私はハッとした。
 まずい。
 意識が途切れかかってた。
 でも今の鳴き声は……洞窟の奥から?

「……え?」

 その直後、私の前にズラリと並んでいた竜達が動きを止めた。
 彼らは一歩後ずさり、そのまま逃げる様に飛び去って行く。

「何で…………あっ!」

 辿り着いた一つの答え。
 彼らがこの場を去る理由。
 それはこの奥に向かう必要がなくなったから。
 つまりは、付き従い、守らなければいけない群れのボスがいなくなったから。

「ジン君……勝ったんだね……!」

 先の咆哮の正体が、巨竜の断末魔だったことが分かった途端に脳裏をよぎったのはジン君の顔。
 そして、私の意識は深い安心と共に、泥の底へと沈んでいく――





――コツンッ。



 ん?小突かれた?
 気持ちよく寝ている人の頭を叩く悪い子は誰かな?

「あ……遅かったね、ジン君。あんまり待たせるから追いかけてきちゃったよ」

「もう一回寝とくか?良かったら手を貸すぞ??」

「ニヒヒ……大丈夫だったんだね。無事に戻ってきてくれてありがとう」

「……おぅ!」

 その時のジン君は、ちょっとムスッとして見える生意気な表情。
 旅の途中、いつも私の近くにあったあの顔だ。
 頑張った甲斐があったよ。
 約束を守ってくれたんだね。

 私達は身体を休めながら、これからについて話し合った。

 ジン君はパパさんのことを報告するために、一度コークに帰ると言う。
 ママさんに今日のことを話して、一緒にパパさんの墓参りをしたいのだそうだ。

「その後はどうするの?」

「旅を続けるに決まってるだろ?まだまだオレの修行は終わってないからな」

 ゴメンね、パパさん。
 今日のこと、私はどれだけ謝っても許してもらえるとは思ってない。

「そっか……強くなろうね。ジン君」

「もう親父に護ってもらわなくてもいいようにならないとな!!」

 それでも、私はジン君と旅を続けたいと思うんだ。
 ジン君がパパさんに託された夢はまだ途中だって言うからさ。
 だから私にも、もう少し頑張らせてください。

「お~!言うようになったねぇ!じゃあ、それまで先生役として、私もまだ暫らくは一緒に旅をしてあげないとだね!」

「ずいぶんと悩みの多い旅になりそうだな……」

 パパさんの夢をジン君が果たすその日まで。

「大丈夫、大丈夫!きっと悩んでいる暇なんてないくらいにたくさんの新しい出会いや発見が待ってるよ!!」


+ 夜を舞う死と影の闇メアリ
 商業都市イエルへと続く街道。
 商人や傭兵、旅人が賑わう中、黒いローブを羽織った2つの影が溶け込んでいた。

「なんでアンタみたいな子がこの組織に入れたのかしら?」

 リリヴィスが怪訝そうな表情で口を開く。
 2人は顔を合わせてからまだ日が浅い。
 基本的には他人に干渉しないというのが組織の中で暗黙のルールとなっているが、今回の任務は長旅。
 革命軍に接近し、内情の調査。
 更には、帝国の情報を入手し、可能であれば殲滅せよという、今まで2人が受けてきた任務の中でも、飛び抜けて難易度の高いものといえる。
 そんな任務だからこそ、互いの信頼は必須。
 そのためにも、ここまでの道中、少し踏み込んだ内容の会話を続けてきた。
 にも拘らず、出発時から漂うギクシャクとした空気が今なお場に満ちている。
 それはメアリの心の芯にある、人から恨まれなければならないという信念とは別の所からきている。
 ここまでの話の中で、互いの想い人が同一人物だと知ってしまったのだから。

 いや、リリヴィスの隣を歩く少女。
 メアリにとっては、リリヴィスの言う『想い人』というのとは少し違うのかもしれない。
 まだ幼いメアリが、大人の男を相手取り、その者の“妻”となるとまで言う理由。
 それはリリヴィスがメアリに訊ねた、組織に彼女が入った理由に絡んでくる。

「私のこの命は……あの方から頂いたから……」


――

――――

――――――


 7年前

 鎮魂の街ソーン。
 教会が守る街という大陸では珍しい街。
 穏やかな時間が流れる神聖な土地。
 人々は毎日欠かさず教会を訪れ、神に祈りを捧げ、一日を感謝して過ごす。
 そんな中、この地に相応しくない争いの声が響いていた。

「てめぇら!!こんな事してどうなるかわかってんのか!?」

「黙れ!人殺しのクズ野郎が!てめぇは今から神父様の裁判を受けて極刑になるんだ!最後くらい大人しくしていろ!!」

 教会騎士に縛られ、連れられているのは、ある農民の男。
 街の人々は、普段は口数の少ない温厚な男だったと口を揃えて言うが、彼に同情をする人間は一人としていなかった。
 男の家から、彼の一人娘が瀕死の状態で助け出され、そのまま家宅捜索を行った際、地下室から妻の死体が出てきたのだから、人々から冷たい視線を投げられるのも無理はない。

 瀕死の状態にあった娘の名はメアリ。
 意識のない状態で教会の治療院へ運び込まれたが、無数にある身体の傷から何かしらの感染症を患っており、助かる見込みは殆どない状態だった。
 術士が一昼夜彼女の治療に専念した結果、意識こそ取り戻したものの、衰弱しきった身体を回復させることは難しく、あと1、2週間も息があれば運が良い方だという見解だった。

 住人はもちろん、慈悲深い教会の人間さえも、この男を許そうとはしなかった。
 しかし、神父だけは違った。

「その者の娘……メアリと言ったか。どんな男であろうと父は父。彼女が目を覚ましているのならば、父の処遇をどう望むのか訊ね、神の耳に入れる必要がある。神はその声の元、男の未来を決めてくださるだろう」

 一同が目を丸くした。
 そんなことを聞いて、いくら酷い仕打ちを受けたとはいえ、残された唯一の肉親を罰してくれなどと口にする娘がいるだろうか。
 まだ5歳の少女に、正しい判断ができるはずがない。
 生まれてからというもの、一番身近にいた存在である両親に、二度と会えなくなると言われて首を縦に振る訳がないのだ。




「……いいよ……殺して。お母さんの仇を…………」



 無表情のまま、少女はそう神父へと告げた。
 罰を与えるべきかという質問に対し、直球でその答えが返ってくる。
 5歳の少女にそうさせるほどの苦悩。
 メアリの精神は、そこまで追い詰められていたのだろう。
 彼女がこれまで受けてきた仕打ちを想像すると吐き気がする。

 その一言によってメアリの父は極刑となり、街外れの木に吊るされた。
 きっと数日もすればカラスが群がり、魂が土へと帰るだろう。

 しかし、だからといってメアリの容態が回復するはずはなく、時間が経つにつれて彼女は少しずつ衰弱していった。
 神父は神に祈った。
 是非、力になりたいと願い出た術士たちは、可能な限りの延命を試みた。
 だが、いよいよどうすることもできなくなってしまう。
 メアリの現状を目にした者は、口を揃えてこう言った。
 下手に生き長らえさせるより、いっそのこと楽にしてあげた方が良いのではないかと。
 痛みに苦しむ少女の姿は、それ程までに凄惨たる有様だった。


 自分はもうすぐ死ぬ。
 彼女自身さえ、そう思っていた。


 メアリが救助されてから13日目の夜。
 その日は『真紫月(しんしづき)』が空に浮かぶ幻想的な夜だった。
 紫色の光が窓から差し込み、メアリが横たわるベッドを怪しく照らし出す。

「はぁ……はぁ……」

 身体中を休みなく襲い続ける激痛。
 それ故に呼吸さえもままならない。
 そんな状況の中、ただただ死を待ち続けることしかできないメアリは、この世の全てを恨んだ。

「神様なんて……いない……」

 神を崇めるこの地において、幼い少女が孤独と絶望の中で導き出した答えは、悲しい現実。
 もはや救いの手など存在しない。
 早く楽になってしまいたい。
 そう願った。

 次第に、メアリは意識が遠のいていくのを感じた。
 同時に、身体の感覚が徐々に消えていく。
 指先から始まり、腕、足、その不思議な感覚は身体中に広がっていく。
 これが死か。
 既に途切れかけていた思考は、自身の身に起こっている出来事を冷静に分析する。

 そして遂には、全ての感覚が失われた。
 開けているはずの目に、先程まで眩しいくらいに感じていた紫色の月光は映らない。


「こんばんはお嬢さん。気分は……あぁ、それどころではないね」


 耳に届く男の声。
 無に帰したはずの感覚の中、男の声だけがやけに大きく響く。
 だが、決して不愉快な気持ちにはならない。
 それどころか、何故かとても心地よく、包み込んでくれるかのような声。

「あなたは……神様……?」

 メアリは声の出処を探す。
 そして、すぐにベッドの横に立つ真っ黒な影を見つけた。
 男が窓とベッドの間に立ったことで、月の光が遮られていたのである。

「ごめんね。私は神などではない。君を救いたいと思った通りすがりの者だ」

 顔は……よく見えない。
 月明かりに浮かぶ黒いシルエットから、男が大きなハットを被っていることだけはわかる。

「私は……もう助からないから……神父様も……シスターさんもそう言ってた……」

 男は消え入りそうなメアリの声を聞き届ける、そっと彼女の手を取り、優しく両の手で包む。
 感覚がなかったはずの手に、何故か温もりは伝わってきた。

「もし、君がこの世界を恨んでいるのなら、その生命を私に預けて欲しい。私なら君を救うことができる」

 男はゆっくりと話した。

「うらむ……?」

「君には幸せになる権利があった。それは誰もが持っている権利なんだよ。しかし、悲しいことに、世界は君の幸せを拒んだ。そのせいで、君は一人幸せになることなく、短い人生を終えようとしている。私は胸が痛い。君みたいな素敵な子に、幸せになって欲しいと思うんだ」

「しあわせ……?」

「君が幸せになることを許さなかった世界を恨むのならば、力を授けよう。君はもう一度、幸せになる権利を得る。君を不幸にした大人達の幸せを、君のものにするんだ」

「私の……幸せ……?」

「そうだよ。どうだろう?君が望まないのであれば、私はいなくなる。君が世界を恨むのならば、私は君の新しい家族となる」


 思考力の失われた意識では、男の言葉を全て理解することはできなかった。
 それでも、その時のメアリには、この男が一筋の光に見えた。
 ――希望
 それはまさに、希望だった。


「よく……わからないけど……この世界は……嫌い……」

 そう言うと、真っ黒な男の影が、笑ったような気がした。

「ならば契約といこう。君の生と死を入れ替える、魂の契約を」


 メアリの手を包む男の手が怪しく光り始める。
 影のような闇のオーラが身体を包み込み、それが天井に達するまで部屋に立ち込めた時、そこにこの世の者とは思えない、まさに悪魔の化身のような怪物が現れた。

「我らの声を聞き給え。誓約の音を奏でし死神よ。汝は幼子の魂をその贄とし、この地に新たな狂乱の炎を灯し給え」

 男は怪物に対し、呪文のような言葉で何かを告げた。
 すると、それを受けた怪物はメアリの近くへと歩み寄ってきた。
 不思議と恐怖心はない。
 つい先程まで、自らの傍で佇んでいた“死”に比べれば、どんな見てくれであれそれは希望。
 今更、何を恐れることがあろうか。
 それが、存在し得なかったはずの未来さえも紡いでくれるとあらば……


――――――

――――

――


「それじゃあ何?あなたは一回死んだって言う訳なの?」

 リリヴィスはメアリの話に目を丸くする。

「私もよくわからない。でも、団長がこの命をくれた。それは変わらない」

「なるほどねぇ……その歳で、どうしてそんなに人の死に慣れてるのか不思議に思ってたんだけど、まさかアンタ自身が死んでたとはねぇ……」

 茶化す訳でもなく、今まで感じていた違和感の真相を知り、スッキリしたと言わんばかりに頷くリリヴィス。

「あら……私の所じゃなくて、あなたのお友達の所に団長が来ていれば、とか言い出すかと思ったけれど、そうでもないのね」

 メアリは、すました顔でリリヴィスの顔色を伺う。
 自分は世界を恨む異端者。
 なればこそ、自分もまた恨まれなければいけない。
 あれからずっと、そんなことを考えている。
 だから、あえて人の恨みを買うような発言を繰り返してきたし、進んで人を不幸に陥れてきた。
 団長以外の全ての人間になら恨まれても構わない。
 自分の存在というものは、あの日からそういうものだから。

「そうね……もし、あの子に同じ質問をしたとしたら、きっと世界を恨んでなんかいないと答えたと思うわ。私のことですら、恨んでいなかったくらいだから。あんたみたいな絶望的な状況とは違うのよ」

 いつになく真面目な顔で答えるリリヴィスに、メアリは違和感を覚えた。
 このガルムは、普段はムキになって色々と言い返してくるが、この話題の時だけは、いつでも真剣に話している。
 それだけ、大事な人だったのだろうと察した。

「それで、あなたのその闇の力は、その契約と関係無い訳じゃないのよね?」

「そうね……」

「あら?その秘密は教えてくれないのかしら?」

「私もそこはよく分からないから」



――

――――

――――――


 怪物を目にした直後、男に連れられ、言うがままに教会を出たメアリ。
 自分の足で歩けることに驚きながら、月明かりの元、紫色に光る森の中を歩いた。
 この時、教会の人間が一人もいなかったことを不思議には思わなかったが、今思い返すと、やはり不自然。
 男が幻術のようなものをかけていたのかもしれない。

 体の痛みはもはやどこにもなく、夢の中にいるようだった。
 自分ではなく、世界の方が生まれ変わったかのような感覚。

 大きなハットの男は、森の奥まで来たところで足を止めた。

「では、君のパートナーを紹介したいのだが……おっと、まだ名前を聞いていなかったね」

「メアリ……」

「メアリ……良い名だ。メアリのことを守ってくれる友達のようなものだ」

「友達?」

 男がパチンと指を鳴らすと、メアリの目の前に大きな化物が出現した。
 先ほどベッド脇で見たものとは別の風貌。
 まるで死神のような、明らかに生や死といった理からかけ離れた存在。

「君はこの友達と契約をしたんだ。彼は君の幸せを運んでくれる。仲良くしてくれるかな?」

 化物は笑みを浮かべているような、こちらを睨みつけているような、なんともいえない表情をしていた。
 しかし、その時もやはり恐怖は感じていなかったと思う。
 普通であれば、絶叫してもおかしくない状況なのだが、信頼に値する何かを感じ取っていたのだ。
 本当に不思議な感覚だった。

「これから、よろしくね」

 メアリがそう発すると、化物はゆっくりと黒い霧に姿を変え、少しの間空中を漂うと、そのままメアリの手元に集まる。
 それを受け止めるように手を差し出すと、霧は徐々に形を成し、やがて禍々しい弓の姿へと変化した。

「おめでとう。彼もメアリを気に入ったようだ。これからは、その弓が君を守ってくれるだろう。さぁ、こっちへおいで」

 男に手を引かれるまま、長い道のりを歩く。
 村の方角とは逆方向に。
 躊躇はなかった。
 今踏み出している足が、新たな人生へと向かう一歩だと思うと、歩を進める程に心が晴れ渡っていったから。

 そして、メアリはそのまま、夜の鍵の一員となった。
 唯一メアリが不安に思っていた事柄として、新たな人間関係の構築が挙げられるが、これも幸い杞憂に終わる。
 団員達はまだ幼いメアリに少し驚きはしたものの、決して無下に扱うことはせず、可愛がってくれたのだ。
 ハットの男、団長が指揮するこの組織で、メアリの新たな人生は幕を開ける。


――――――

――――

――


 イエルへと到着した2人は、ある酒場に入っていた。
 リリヴィスが誰かと待ち合わせをしているらしい。

「誰と待ち合わせをしているの?」

「新入りよ。といっても、あなたよりは年上でしょうけど」

「…………」

 リリヴィスはニヤニヤとしながらメアリを舐め回すように眺めている。
 この女、これまでも事あるごとにメアリがまだ幼いという事実を小馬鹿にする発言を続けてきた。
 メアリとっては別段気にする程のことではないのだが、こうまでしつこいと、敵対心とも呼べるその感情の出所がどこにあるのか気にかかる。

「もしかして、私が言ったことに怒っているの?」

「なんのことかしら?子供に何か言われたところで、大人は動じないの。でもね、それが恋敵なら話は別よ」

 恋敵……
 それはつまり、あの事だろう。


『そうねぇ~……言うならば、私の片想いかしら。なぜそんな事を聞くの?』

『私は私を助けてくれた団長に心を寄せているわ。だからこうしているのだし。私は団長の妻になりたいの』

『あはは!あなたみたいなお子様が?10年早いんじゃない?』


 もちろん、メアリは冗談を言ったつもりなどない。
 自分に自由を与えてくれた。
 そして命を与えてくれた。
 優しさをくれた。
 未来をくれた。
 そんな団長のためならば、その命さえも喜んで差し出せる。
 それ程までに想っている相手なのだ。

 あのお方が死ぬ時が来たとして、その時は自分が側に居たい。
 そして、逆に自分が最期を迎える時は、あのお方に看取って頂きたい。

 そんな気持ちは膨れ上がり、最終的に夢として描いた未来こそが団長の妻となった自分。
 この気持ちに嘘偽りはない。

 そういえば、前にこのコウモリ女も団長に救って貰ったと言っていた。
 メアリと同じように、それをきっかけに団長に恋心を抱くようになったのだとしてもおかしくはないのだろう。
 だからこその、恋敵なのだ。
 負けたくない。
 メアリはそう強く思った。

「理解したわ。でも、残念ね。私には未来がある。あなたみたいな賞味期限の切れた女には到底無理な話なんじゃない?」

「な、なんですって……!?」

 当然、リリヴィスは怒る。
 だが、ここは引けない。
 それに、あくまで事実を言っただけ。
 嫁にするのであれば、若い女の方が良いと相場は決まっている。

「あんたみたいなゾンビには不釣り合いじゃないの?あーあ、可愛そうね。死んでなければチャンスもあったでしょうに」

「あのお方は私に未来があると言ってくれた。つまりはそういうことよ」

「あははは!!子供の脳みそっていうのはどうしてこうも都合の良いようにしか解釈が出来ないのかしら?柔らかくないのはその絶壁だけにしてちょうだい。頭の中までカチンコチンだと男が寄ってこないわよ?」

「口が過ぎるわ……あなたの方こそ、その頭の中に詰まっているのは脂肪なのかしら!?」

「このガキ……大人を馬鹿にするのもいい加減にしないと痛い目を見るわよ!?」

「大人すぎてそろそろ更年期障害まで患っちゃったのかしら!?いい加減に自分を客観的に見た方がいいわよ!!」


「二人共、その辺にしておけ。周りの注目を集めているぞ」

 リリヴィスとメアリがテーブル越しにバチバチと火花を散らしていると、見知らぬ女が割って入る。
 そこでメアリはハッと我に返り、浮かしていた腰を再び椅子へと落ち着けた。

「ごめんなさい。迷惑をかけたわね」

「はぁ……」

 大きな盾を持った白髪の女は、テーブルに盾を立て掛けると、そのまま椅子を引いてメアリ達のテーブルについた。

「あの…………あなたは……?」

 メアリは不思議そうな面持ちで白髪の女を見つめるが、その向かいで、いつの間にか余裕の笑みを浮かべているリリヴィスが口を開く。

「遅かったじゃないダリア。随分待ったのよ」

「自分達の立場が分かっているのか?こんな所で騒ぎを起こしてどうする?」

 ダリアと呼ばれた白髪の女性は、周りの目を気にしながら、コソコソと小声で話している。
 だが、リリヴィスの声のトーンは変わらない。

「あらぁ~?女が男を取り合う喧嘩なんて、どこでだって見られる光景じゃない。大人の女ならそれくらいわかるでしょう?小声でコソコソとやってる方がよっぽど目立つものよ。あなたには分からないでしょうけど……」

 そう言うと、リリヴィスは流すような視線をメアリへと送る。
 本人は嫌味を言っているつもりなのだろうが、メアリにして、そんなもの分かりたくもないというのが本音。
 さも気にしていないという様子で、両手で持ったコップを口元へ運ぶ。

「私にはわからないな。誰を取り合っているのか知らないが、その話は後にしてくれないか?」

「真面目なのはいいことだけど、少しは余裕を持たないと疲れちゃうわよ?まぁいいわ。今は新入りさんを立ててあげる。場所を移しましょう」

 至って冷静のまま、ダリアがリリヴィスに言い聞かせると、少し気を削がれたのか、つまらなそうにリリヴィスが答えた。

 直後、酒場を後にした3人は、イエルの郊外へと歩いていく。
 既に日は落ち、こんな時間から街を出る者が殆どいない中、3つの影は深い闇へと溶けていった。


「それで、革命軍はどんな感じなのかしら?」

 打って変わって真面目な表情になったリリヴィスが、ダリアに問いかける。

「あぁ、順調だ。既に妖精にそれとなくリリヴィスの情報も流してある。適当に酒場で傭兵の仕事をすれば、その噂を聞きつけて接触してくるだろう。」

「ふふふ……仕事が出来る子は嫌いじゃないわ。口の減らない生意気なお子様じゃなければだけど……」

「口が減らないのはあなたでしょう?そんなにベラベラと喋ってるといつか舌を噛んで死ぬわよ」

 再びバチバチと散らせる火花。
 もう、どうあってもこの女とは相容れない。
 メアリがそう確信した瞬間だった。

「それで、本部から私に何か新たな司令は?」

「そうだったわね~。メアリに現状の革命軍の動きと内情を報告すること、そして引き続き革命軍の中で任務にあたること。それだけよ」

「2人も革命軍へ来るのではないのか?」

 確認するダリアへ、メアリが答えた。

「私はあなた達の報告を本部へ通達する役目を担ってるの。隠密行動は得意だから」

「そうか。わかった。では報告をさせて貰う」




――黒の森


「報告は以上となります」

 ダリアから伝えられた内容を一言一句違わずに復唱し、報告を終わらせるメアリ。
 団長は満足気な頷きを見せた後、次の司令を伝える。

「そうか。ご苦労だったな。では、引き続き、革命軍の動向を三者で追ってくれ。帝国との戦闘も激しくなってきているようだ。奴らが王都を奪還するために動く日も近いかもしれん。帝国の力を見極め、そして我々の邪魔が出来ないように潰す必要がある」

「御心のままに。死力を尽くさせて頂きます」

「戦闘が激化すれば、それだけお前達にも危険が及ぶ。くれぐれも用心するように」

「団長に救って頂いたこの身、組織のために散るならば本望です」

 それを聞いた団長は椅子から立ち上がると、片膝をつきながら頭を下げるメアリにゆっくりと近寄り、その頭の優しく撫でた。

「そう悲しい事を言ってはいけない。私は皆の幸せを願っている。間違えても、その身を粗末に扱ってはいけない。いいね?」

「勿体無いお言葉……!」

 メアリにとっては、この世の何よりも嬉しい、至福の極み。
 団長が自分のことを気にかけてくれている。
 失うに惜しい存在だと思ってくれている。
 それだけで、胸がいっぱいになり、自然と涙が溢れてきた。




――商業都市イエル

 再びこの街へと戻ったメアリは、リリヴィスと落ち合うため、酒場へと向かった。
 中に入ると、既にリリヴィスの姿があるが、何やら酒に酔った男に絡まれている様子。

「姉ちゃん良いねぇ~!ちょっと俺と遊ぼうやぁ~!」

「今日は用事があるからまた今度ね~。そ・れ・と・も宿を教えてくれたら人が寝静まった頃に遊びに行っちゃおうかしら?」

 相変わらず下品な会話をしている。
 小さなため息を一つこぼした後、メアリはリリヴィスの元へと向かった。

「別に用事は後でもいいわ。その男と遊んできたら?」

 その声に振り返った男は、メアリの姿をじっと見てから舌打ちをした。
 さらに、吐き捨てるように言葉を並べながら、リリヴィスを睨み付ける。

「なんだよ姉ちゃん子連れかよ!?全く……人の事からかいやがって~~。期待させるのは悪い女だぜ~」

 その後、ガッカリした様子で男は違うテーブルへすたすたと歩いていく。

「やっぱり誰から見ても子どもに見えるのねぇ~」

 お次はリリヴィスが楽しそうにメアリを見下ろす。

「人のことより、姉ではなくて子持ちの母として見られたことに危機感を持った方がいいんじゃない?」

 が、これに屈することなく絶対零度の視線で返すメアリ。

「あんたねぇ……」

「何かしら?」

「大勢の人前で泣きべそかきたくないでしょ?今すぐ謝るって言うなら、許してあげなくもないわよ?それともこっぴどいお仕置きが必要かしら?子供を叱るのは大人の責任ですものね」

「もし仮にそうなったとしても、そんな恰好で堂々と人前に出ているあなたに比べれば、もはや恥でも何でもないわ。責任なんかを語る前に、羞恥心の一つくらいは身につけたらいかがかしら?」

 酒場に居合わせた一同の視線が油となって火に注がれる。

「そりゃ、あんたみたいなツルペタスットーン!だったら恥にもなるんでしょうけど、私は違うわ。あんたが到着するまでの間、この完璧な身体で何人の男を虜にしたか教えてあげましょうか?」

「あら……あなたの脳内では盛りのついた家畜を男として数えるのね。そんなにお気に召したなら早く行ってあげればいいじゃない。きっとフゴフゴ言いながら相応のメスを待ちわびてる頃だと思うわよ?」

「おい!そりゃ俺のことを言ってんの――」

 メアリがここを訪ねた際、リリヴィスに声をかけていた男が、自分が矢面に立っていることを察して、思わず声を荒げるが……

「「あんたは黙ってろ!!」」

「は……はい…………」

 もはや二人の間に割って入ることのできる者など、その場にはいなかった。

「ごめんなさい。はしたないことに、少し熱くなってしまったわ。私のことはいいから、あの家畜と楽しい時間を過ごしてきてもいいのよ?」

「何か勘違いしてるようだけど、私にとって、あんなの擦り寄ってくる有象無象の内の一匹でしかないの。小さな歩幅でちんたら歩いてるあんたを待つ間の暇つぶしをしてただけ。で?そんな底辺の男すら擦り寄ってこないあなたは一体なぁに?腐り果てた残飯ってとこかしら?」

 どこまでもヒートアップしていく二人の戦い。
 もはや血を見ることでしか決着はない。
 一同がそう思い始めた頃、メアリがスッと視線を床に落とした。

「ちょ、ちょっと……?ここで泣くのは卑怯なんじゃないの!?」

 リリヴィスの様子が一転。
 慌ててメアリに駆け寄るが、すぐにキョトンとした表情を浮かべる。

「え……?あんた……何笑ってるの?」

「いいの。私は腐った残飯でもいい。だって……あのお方は……こんな私のことを…………」

 頬を赤らめながら、そこまで口にしたメアリが、恥ずかしそうに手で顔を覆う。

「は……?あんた……?ちょっと、何かあったの……?あのお方と何かあったのね!?何があったのよ!?聞かせなさいよ!!」

「あぁ、あなたは知らなくてもいいの。あなたには関係ないこと。これは私とあの方の問題だから。ふふ……ふふふふ…………」

「ふ、ふ~ん……色事の『い』の字も知らないガキが、大したこと言うじゃない?」

「そういうのはいいの。これは二人だけの問題だから。二人だけのね……ふふふふ……」

「…………帰るわ!アジトに帰って直接問いただす!」

「別に私は構わないけど、時間の無駄だと思うわよ?」

「どうかしらね……私もしばらく会ってなかったから。あんたみたいなチンチクリンしか傍にいなかったのなら、あの方も嘆いていたでしょうね。私が優しく慰めてあげたら、あんたなんか宇宙の果てまで忘れ去られちゃったりして……?」

「そ、そんなことないわ……!!」

「ふふ……ま、現実ってのはいつも受け入れがたいものよ。でも、挫けちゃだめよ?女は失恋を経ることで磨きがかかってくるものなの。私としても心苦しい限りだけど、これもあなたの成長を想ってのことなのよ……?」

「ふ、ふん……あの方はあんたなんかになびいたりしない」

「私があの方に会えばわかる話。じゃ、そゆことで!遠いところご苦労様だったわね」

「ま、待ちなさい!私も……私もアジトに戻るわ!」

「あら~?さっきまでの余裕はどこにいったのかしら?わざわざ直接ショッキングなシーンを目にすることもないと思うけど?」

「逆よ!私がどれだけあの方に必要とされているか、あなたに見せつけるために一緒に戻るの!」

「まだそんなことを言える元気があるのね……ホント、口の減らないガキだこと!」

 もはや指令のことなど頭の隅にも残っていない二人。
 このまま決戦場が、アジトに移されるのかと思われたその時だった……

「あ~……こほん。そろそろいいか?二人共」

「ダリア!?」

「い、いつの間に……!?」

 リリヴィスとダリアを取り囲む客の中に、ダリアの姿があった。

「『家畜』の辺りからだ。ここに入る時、大きな声が聞こえたもので、様子を伺っていたのだが……そろそろ収拾がつかなくなる頃合いだと思ってな」

「丁度いいわ。あんたもアジトまで付いてくる?このガキんちょが泣き喚くシーンを一緒に見てやろうじゃない?」

「はぁ……あえて自分の痴態を晒す人間を増やそうだなんて。たしかにその頭じゃ羞恥心を詰め込む余剰スペースも無いはずね」

「いい加減にしろ、二人共。私たちが何のためにここに集まっているのかを思い出せ。それを反故にすることは、あの方への何よりの反逆。違うか?」

『反逆』
 ダリアが口にしたその一言は、まさに鶴の一声。

「そ、そうね……ちょっと熱くなりすぎちゃったかもね……」

「きょ、今日はこの辺にしておきましょうか……冷静になってみたら、恥ずかしくて死にそうになってきたわ……」

 一度平静を取り戻したリリヴィスとメアリは、今しがた、自分たちがどれだけ好奇の視線の真っただ中にいたのかを冷静に分析し、顔を青々と染めている。

「ヤツらが大きく動く。それに、メアリの伝言も聞きたい。一緒に来てくれ。どの道、ここでは落ち着いて話もできないだろう?」

「わかったわ……ガキの子守にも丁度飽きた頃だったしね」

「あら?あそこの家畜、あなたの忘れものじゃないの?」

「この……クソガキ……!」

「何かしら……おばさん……?」

「………………」

 出口に向かうなり再び散り始める火花に、もはや溜め息一つこぼすことはないダリア。
 その無表情とも言える顔に、呆れ具合が十二分に伺える。

「あ、そういえば……ダリアに付きまとってたストーカーみたいな男。あれはもういいの?」

「な!?何故、今その話が出てくる!?」

「ダリア……あなたもこのコウモリ女みたいに、あちこちで愛想振り撒いてたのね……人は見かけによらないものだわ……」

「待て!メアリまで何を言う!?あれは……その……何と言ったらいいか…………」

「「わかってる、わかってる」」

「こんな時だけ意気投合するのはやめろ!ただの人違いだ!!私はあんな男知らん!!」

「「はいはい……」」

「貴様らぁああああ!!!!」

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最終更新:2017年07月28日 17:25