project nemo_22

ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo




第22話 "夢"への誘い



本当に、祈るような気持ちだった。
被弾した愛機は、時折ガタガタと不気味な振動を繰り返す。計器はすでに赤いランプで賑やかなことになっており、鼓膜を休みなく叩く警報音が耳障りなことこの上ない。うるさい、黙れ、危ない
のは分かりきっていると手を伸ばし、片っ端から警報を切るが、あっちを切れば次はこっちが、と言う具合にコクピット内で騒音が途絶えることはなかった。
不安げな視線は、愛機F-2の後部胴体に向けられた。高射砲弾の至近距離による爆発によって、垂直尾翼の半分以上が食いちぎられている。正直なところ、飛んでいられるのが不思議だ。エンジン
こそとりあえずは動いてくれているが、眼に見えないところで重大な損傷を追っている可能性だってあった。

「メビウス1、大丈夫ですか?」

護衛を務めてくれた空戦魔導師からは、心配そうな声が届く。大丈夫だ、どうにか持つよと気丈に返事はしたものの、実際のところは彼自身、大きな不安を抱えている。
巨大飛行物体への、正面からの攻撃作戦。被弾したメビウス1は後を二番機に託し、戦線より離脱していた。
AWACSの誘導で何とかここまで来たのだが、果たしてこんなところに緊急着陸出来るような場所はあっただろうか? GPSで確認しようにもアンテナが死んだのか何も表示されず、肉眼でキャノピー
の外を見渡しても、夜の闇に覆われた大地とも海面とも似つかない眼下の世界では、ここがどこなのか判断つかない。
これはいよいよ、俺も"イジェクト"かな。射出座席のレバーにチラッと目配りしながら、ボロボロの翼を抱えたF-2は雲の中に入り、突き抜ける――途端に、視界が開けた。暗いばかりで何も見え
なかった大地、ようやく希望の光が見えてきた。間違いない、あの人工の輝きは滑走路の誘導灯だ。

「……待てよ?」

ふと、コクピットで彼は妙な感覚を覚える。あの誘導灯の配置、見覚えがある。チラホラと見えてきた明かりのおかげで、周囲の地形もおおむね把握出来るようになってきたが、これも見たことが
あるような気がしてならない。
否。俺は、ここを知っている。何度もここから飛び立った。何度もここに舞い降りた。通信機に飛び込んできた管制官の声が、その思いを確信へと昇華させた。

「こちら管制塔。メビウス1、滑走路はクリアです。いつでもどうぞ――覚えてます、僕のこと?」
「……グリフィスか? 元機動六課の副官」

なるほど、聞き覚えのある声だ。元機動六課時代でも、部隊で唯一の戦闘機となった彼のために通信機の先にいるグリフィス・ロウランと言う若者は副官業務をこなしつつ、同時にメビウス1を誘
導する管制官としても働いてくれた。
――となれば、だ。見覚えのある滑走路、地形。疑う点は、もう見当たらない。ここは、かつての機動六課隊舎。その上空だ。部隊は数ヶ月前に解散したが、施設は未だ残されていたのか。
何にせよ、降りれる場所があると言うのはありがたいことだ。酸素マスクの内側でかすかに安堵のため息を漏らしつつ、機体を着陸態勢に持っていく。垂直尾翼が半分食いちぎられているので、操
縦はいつも以上に慎重に行わねばならなかった。従来機と違ってサイドスティックと呼ばれるF-2の操縦桿、握る右手は細心の注意を払う。
幸いなことに、着陸コースに乗るまでの間機体がこれ以上駄々をこねることはなかった。胴体着陸も覚悟の内ではあったが、脚も異常なく出てくれた。あとはエンジン・スロットルレバーを微調整
し、速度を下げてゆったりと地に足を着かせるのみである。
もう少しだ、頑張れ。愛機に語りかけるように、彼は呟いた。あと一息だ。戻ったらゆっくり休んでいい。だから、あと少し――

「!?」

ドスンッと、コクピットが揺れた。計器を覗き込むようにしてチェック、エンジン内の温度が急激に上昇している。慌てて振り返れば、夜空を背景にしてもなお目立つ黒い煙が後方に向かって伸び
ていた。ここまで来て、ついに戦闘機にとっては心臓にも等しい部分が悲鳴を上げたのだ。

「メビウス1、エンジンから煙が出てる。早く脱出を――!」
「こちら管制塔、救護班は滑走路脇で待機!」

付き添ってくれた魔導師、それに管制塔のグリフィスの声が通信機に飛び込む。脱出とは言われたが、しかしメビウス1に愛機を捨てるつもりは無かった。ここまで飛んできてくれた相棒だ、もう
滑走路は目の前にある。むざむざ脱出など、出来るものか。
計器に手を伸ばす。燃料供給カット、エンジンを緊急停止。それでも内部温度は下がらない。ひょっとしたら火災でも起きたか。額に汗を浮かべて、彼は正面を睨んだ。誘導灯に照らされる滑走路
は、もう目の前にあった。
垂直尾翼半壊、エンジン損傷と言う深手を負っているにも関わらず、F-2の着陸は思いのほか優雅なものだった。アスファルトの大地に足を下ろし、直後に黄色い減速用のドラッグシュートを展開。
速度計の数値は、順調に下がっていく。それがゼロになった瞬間、ボンッと振動があって、とうとうF110エンジンから赤い火の手が上がった。やばい、とパイロットの表情が露骨に歪む。
とは言え、滑走路脇からは消防車がすでに出発していた。あらかじめグリフィスの手際よい指示を受けていた彼らはF-2から火が見えるなり飛び出し、数分もかからず機体の傍に到着。ありったけ
の消火液をエンジンに向けて放水し、火の手をあっという間に鎮圧させてしまっていた。
ふぅ、とメビウス1は今度こそ安堵のため息。額どころか顔中に浮かんだ冷や汗をグローブで拭い、キャノピーを開けた。
ヘルメットを脱ぎ、振り返る。消火液にまみれた愛機、F-2はもう使い物にならないだろう。吹き飛んだ垂直尾翼、そこにリボンのマークはない。
また機体無しになっちまったな――悔しそうに表情を曲げていると、コクピットに梯子が引っ掛けられた。駆けつけた整備班が、機体をどかすから早く降りてくれと彼に伝えてくる。言われるがま
ま、メビウス1は愛機から降りた。

「やれやれ、飛べる機体は残ってんのかな……」
「あるよ。無限書庫のヘリで本局から輸送してきた」

大地に足を下ろすなり、呟いた独り言に反応する声が一つ。誰の声かなんて予想はついていたが、一応振り返って確認する。

「おかえり、メビウス1。まだ仕事は残ってるよ」

コンタクトにでも切り替えたのか、定かではないが。普段の穏やかな雰囲気を眼鏡と共に外し、リボン付きを出迎えたのは無限書庫司書長、ユーノ・スクライアだった。



何度目かになる自動ドアを潜り抜け、ティアナは巨人の中を、敵巨大飛行物体内部を歩み進んでいた。
突入前にミサイルと機関砲の全弾を叩き込み、確かに外から見た限りではこのくろがねの巨鳥は悲鳴の如く黒煙を上げていた。それなのに、いざ乗り込んでみれば艦内は――航空機としては規格外
の大きさであるし、空中空母としての機能すら持っていたからこう表現するのが妥当だろう――ほとんどダメージを受けた様子は無い。出迎える者は誰も居らず、耳に入るのは鉄の床を踏む度響く
自分の足音、それから心臓の鼓動のような、機体の動力炉の駆動音のみ。

「探査魔法の結果はどう?」

決して正面に構えた銃口を下ろすようなことはせず、彼女はその銃に向かって問いかけた。拳銃型のインテリジェントデバイス、相棒のクロスミラージュの電子音声は、しかしあまり芳しくない。
敵艦内は、当然ではあるがティアナにとってまったく未知の領域だった。最初の自動ドアを潜り抜けたと同時に探査魔法をかけて艦内を自動走査させておいたのだが、相棒の語る結果報告は広すぎ
る上に複雑すぎて、探査し切れないと言うものだった。

<<Sorry>>

自分の不甲斐なさに謝るデバイスに、少女はいいのよ、と言った。こうなることは、ある程度覚悟の上である。
無機質な通路を進んでいくうち、途中で道が分かれていることに気付く。まっすぐ進むか、左に曲がるか。ひとまず白いバリアジャケットを羽織った背中を壁に寄せ、左への通路を警戒。わずかに
顔を突き出して、誰もいない、何もないことを確認する――待って。床に何か落ちてる。
クロスミラージュをツーハンドホールド、両手でしっかりグリップを握って構えたまま、床に付着していた赤い何かに近付く。右手で銃口は正面に向けたまま、左手のグローブを外して触れてみる
と、かすかに暖かい。それに、このむせ返りそうな臭い。

「血……?」

視線を上げる。よくよく見れば、血痕は通路の奥の方へと伸びていた。警戒心を強めたティアナは、血痕の跡を追っていく。
床に落ちていた血の跡は、自動ドアの前で一旦途切れていた。どうやら何かの部屋らしく、見慣れない言語で扉の上に文字が描かれていた。この向こうに、血痕の持ち主がいるのだろう。
視覚強化の魔法を行使、赤外線探知。一度閉じられた瞳が開かれ、少女の視界は壁の向こうまで見通す。どうやら、扉の奥には予想通り何者かが潜んでいるようだ。
――数は二人。片方は、肩を抑えてる。怪我をしてるのはこっちの方ね。もう一人は、無傷のようだけど何か話してる?
さすがに視覚強化だけでは限界があるか。そう判断した彼女は、クロスミラージュを構えなおし、扉の傍に立つ。本当ならもう一人、突入時のバックアップが欲しいのだが――脳裏に、今は救助隊
で活躍している親友の顔が浮かぶ――今は、自分だけでやるしかない。
すっと息を吸い。意を決したように扉に向かう。自動ドアが開くなり、下ろしていた銃口を警戒心と共に跳ね上げた。

「動かないで」

静かに、しかしドスの利いた声で。およそ一六歳の娘が発したものとは思えない強い口調で、ティアナは部屋の中にいた二人の男に警告する。
怪我をしているらしい男はこちらを見上げただけだったが、無傷の男は違った。部屋に入ってきた所属不明の少女に向け、懐に隠していた拳銃を突きつける――発砲、銃声。落ち着き払った銃士の
正確な魔力弾射撃が、男の手から拳銃を跳ね飛ばす。

「抵抗は無駄よ。妙な気は起こさないことね」
「――分かった、抵抗はしない」
「おい、アシュレイ」

もはや観念したのか、アシュレイと呼ばれた右肩を左手で庇うように抑える男が、諦めたように呟く。拳銃を跳ね飛ばされた男はまだ動きを見せようとしていたが、アシュレイに「ミヒャエル」と
名を呼ばれ、渋々抵抗をやめた。

「それじゃあ早速聞くわよ。あんたたちは何者? 例の"ベルカ公国"とか言う連中かしら」

相手が降伏する姿勢を見せても、ティアナは銃口を下ろさない。男たちの服は飛行服のようだが、縫い付けられていた階級章の線と星の数は妙に多い。外見年齢的に見ても、おそらくは指揮官だ。
ああそうだ、と怪我をした男、アシュレイが答える。我々は、ベルカ公国。その復活を望む者たち、と。



この女、何とかして利用できないものだろうか。
出血しているにも関わらず、アシュレイ・ベルニッツの思考は回転する速度において衰えを見せない。八方塞の状況下において、思わぬ不確定要素が飛び込んできたのだ。上手く使えば、窮地を脱
するどころかこの"XB-O改"を取り返すことも可能かもしれない。
オーシアの秘密警察の捜査から逃れ、存分に戦力の拡張を行える世界として彼らが選んだのは、ミッドチルダと言う魔法の世界だった。現地では時空管理局なる治安組織が存在していたが、計画の
ほとんどは彼らを出し抜くことに成功し、いよいよXB-O改の完成と共に元の世界へと帰還を果たす寸前にまで及んでいた。
充分に整った戦力、兵器群はほんの一〇年と少し前、彼らの土地を荒らして回ったオーシア、その同盟国であるユークトバニア、小ざかしくも小国の分際で独立したウスティオに鉄槌を下し、強く
正統なるベルカ公国を取り戻す。次元世界を股に駆けた計画は"Project nemo"――全てを"nemo"、無に帰すことで結局のところ、今の傀儡ではない祖国を再建することが目標だった。
その計画は、一人の狂気の科学者によって破綻しつつある。現地世界に不慣れな彼らは虫の息同然だった"ソイツ"を助け、協力関係を築いていたのだが。
狂気の科学者は、再び力を取り戻すと彼らの意図を無視する形で独自に行動を始めていた。これ以上の関係続行は計画に悪影響を及ぼすとアシュレイは判断し、XB-O改発進と同時に彼を射殺。とこ
ろが、この狂気はまさしく狂気だった。銃弾を受けたはずの白衣は何事も無かったように立ち上がり、本来のこの艦の持ち主を逆に殺し、祖国再建のための戦力を丸ごと奪い取った。艦橋部から逃
げ出す際にアシュレイも負傷し、何とか志を同じくとするミヒャエル・ハイメロートと合流することに成功し、今に至る。

「それで、このフネは何? 今から何をしでかそうって言うの?」

拳銃のようなものを突きつけてくる、橙色をした髪の女の声は、若い外見とは裏腹に強い口調だった。おそらく時空管理局の一員であろうとアシュレイは推測し、質問に答える。

「知らないな」
「……ふざけてると、頭をぶっ飛ばすわよ」

少女の声に、怒りが混じった。それもそのはずだろう、彼女はおそらくXB-O改がアシュレイたちの手でここまでやって来たと考えているのだろうから。

「ふざけてなどいない。本当に、我々も奴が何をしでかすのか検討もつかん」
「"奴"――?」

悔しさと怒りを隠すように、ミヒャエルが呟いた。彼の言葉を聞くなり、女の顔が怪訝な色に染まる。

「貴様、管理局の人間だろう」
「それがどうしたのよ」
「ジェイル・スカリエッティを知っているな?」

アシュレイの言葉に、彼女は答えない。だが、彼にはそれで充分だった。わざわざ口に出さずとも、かすかに驚きを見せた少女の表情が全てを物語ってくれていた。

「いいか。艦の制御は今、奴が握っている。何をするつもりなのかは、会って直接聞くことだ。艦橋に行け。場所は、ここから通路に出てまっすぐ進み、階段を昇ればあとは一直線だ」
「それをどうしてあたしに教える訳?」
「奴の目的が知りたいんじゃないのか? 急がないと、本当に何が起こるか分からんぞ」

ギリ、と女が歯を噛み鳴らす。数歩だけ足を進めて、銃口を間近に突きつけてきた。

「一つ聞くわ」

相手が抵抗力を失った怪我人であっても、容赦しない。今の彼女からは、そんな雰囲気が見て取れた。瞳に宿るのは、怒り。表情を染める、黒い感情。

「メビウス1を誘拐したり、第二三管理世界に核攻撃を行ったりしたのはあんたたちの意思なの? それとも、スカリエッティなの?」
「我々だ」
「――!」

ガッと、怪我人の頬が銃のグリップで殴られる。止めに入ろうとしたミヒャエルには、いつの間にか少女の左手に出現したもう一つの拳銃が向けられ、手出しすれば迷わず撃つと言う無言の警告が
なされていた。
激昂する彼女の怒りは、殴った程度では収まらない。冷たい鉄の床に叩きつけられたアシュレイは痛覚を覚える間もなく、襟元を掴まれ強制的に身体を起こされた。吐息がかかりそうなほどの至近
距離、並みの者なら見ただけで怯みそうなほど怒り狂った少女の顔がそこにある。

「あんたは! あんたたちは! 自分たちが何をしたのか、分かってるの!? ベルカ公国だかなんだか知らないけど、あんたたちのせいで大勢の人が死んだのよ! エリオもキャロも、なのはさんも、
あたしの大事な仲間も死にかけて! あたしの好きな人だって、危険に晒されて!」
「それが――どうした」

何、と彼女の表情が大きく歪んだ。対照的に、アシュレイの表情は同じ歪みでもまったく正反対の方向。すなわち笑み。唇の端から血を流さそうと、男はなお歪んだ笑みを消そうとしない。

「我々は国を失った……残ったのは戦勝国に利益も利権も、土地さえも貪られ、それを甘んじて受ける傀儡政権だ。祖国を取り戻すためなら、その程度の犠牲――」
「……黙れ、下衆野郎」

再び、ガッと頬をグリップで殴りつけられる。跳ね飛ばされた男を放置するようにして、彼女は離れた。解放されたアシュレイはミヒャエルに身体を支えられ、部屋の扉へと向かう少女を痛みに耐
えながらどうにか、視界内に捉えた。少女は振り向き、口を開く。

「いい? この部屋から出ないで。艦橋に昇って、スカリエッティを倒したら戻る。あんたたちには、航路の変更をやってもらうわ」
「ほ、う……我々を、殺しはしないのか」
「それは裁判所が決めることよ――もっとも、あんたたちには殺す価値も感じないわ」

自動ドアが開かれる。それっきり、少女は部屋を出て艦橋に向かって戻ってこなかった。
残された二人は、と言うと――ひとまず、ミヒャエルは部屋にあったあり合わせのもので傷ついた同志の応急処置を始めた。救急袋が設置されていたのは何よりも幸いなことで、止血剤や消毒液な
ど、衛生兵ほどではないにせよ一通りのことは出来るはずだった。
応急処置を進める手を休めずに、ミヒャエルはアシュレイに問う。どうしてわざわざ、殴られるような挑発を行ったのか。

「試したかったんだ」
「試したかった? 何をだ」
「あの小娘、感情的なようでどこまでも冷静だ。その気になれば俺たちを問答無用で撃ち殺せたのに、やらなかった。ああいう人間でなければ、あの狂った輩はどうにも出来まい」

狂気に対抗するには、自分を律せられる強い心が必要だ、と。そう付け加えて、アシュレイは今この場では互いにたった一人になってしまった同志の問いの答えた。
そうして応急処置が終わるなり、彼は立ち上がった。まだ動くなとミヒャエルは止めるが、彼は首を横に振る。鋼の如き精神力を持って、亡国の戦士は語った。

「XB-O改は我々の、ベルカ公国のものだ。奴の好きにはさせんし、小娘一人に任せる訳にもいかん――手伝え、ミヒャエル。我々にはまだ、出来ることがあるはずだ」



気に食わない。気に食わないが、やらねばならない。他にアテに出来る情報もない。
身の内で相反する二つの感情を必死に抑えながら、ティアナは階段を昇る。本来ならエレベーターでも使うはずなのか、あくまでも階段は非常用らしく、やたらと長い。昇り始めは勢いよく駆け出し
た足も、わずかに速度が鈍りだしていた。こういう時は、体力バカのスバルが羨ましいと頭の片隅で雑念が喚く。
それでも、先ほどあのアシュレイとか言うベルカ公国の男によって焚きつけられた怒りが彼女を突き動かす。奴らの言うとおりに動くしかないのは癪に障るが、先述した通り、他にアテになる情報
は皆無と言っていい。黒い感情を闘志に変えて、少女はひたすらXB-O改の艦橋を目指す。
最後の段差を昇りきった時、銃士を出迎える者がいた。鼻を突くほどに強く、蔓延する甘ったるい臭い。たまらず顔をしかめながら、確信する。これは、血の臭いだ。歩みを進めば、嗅覚はさらに
血の臭いを強く感じ取る。この先に何があるのか、本能が否応なしに恐怖さえ覚えた。
怖さを押し殺して、ティアナは先に進む。一際大きく、頑丈そうな扉の前にたどり着くと、ちらっと視線を上げた。見慣れない言語で、扉の上にはプレートに何か文字が描かれている。無論異国ど
ころか異世界の言葉、読めるはずもなかったが、なんとなく意味は分かった。血の臭いも、ここからさきが一番強く臭ってくる。
突入前に、手中の拳銃、クロスミラージュをチェック。以前使っていたアンカーガンのようにジャムを起こすようなことは無いにせよ、いざ敵と遭遇した時に不具合があっても困るだろう。
電子音声が自己診断プログラムを働かせ、異常がないことを告げる。自身の眼でもそれを確認した彼女は、よし、と意気込み、扉の前に立つ。ティアナの接近を感知した自動ドアは、歓迎するよう
に機械音を鳴らして開いた。
足を踏み入れ、四方を警戒。あっちこっちに銃口を向けるのは映画だけ、視線のみ動かして敵影の有無を確認する――う、と視界に入ったものを見て、かすかに彼女は表情を曲げる。
瞳が捉えたのは、積み重なった死体の山だった。いずれも軍服のようなものを着ているが、どの死体も激しい銃撃に晒されたように穴だらけ。流れた血が、金属の床を毒々しいほど真っ赤に染め上
げていた。もしかしたら、アシュレイたちの仲間かもしれない。

「人間とは脆いものだなぁ。そう思わんかね」
「っ!?」

本当に不意な出来事だった。何の気配も感じていないのに、耳元で聞き覚えのある声が囁かれる。生理的嫌悪感に近い感覚、ティアナは相手も確かめずに背後に向かって肘打ちを浴びせ――手ごた
えがない、避けられたか――ただちに反転、クロスミラージュを突きつけた。
おやおや、と視界に映った相手は、銃口を向けられているにも関わらず余裕の表情。直接会ったことはないが、指名手配の写真は何度も見た。声だって、通信回線上のものではあるが幾度も聞いた。
間違えるはずがない。白衣を着たこの狂気の科学者、無限の欲望こそかつてのJS事変の首謀者、ジェイル・スカリエッティ。

「そう攻撃的にならなくてもいいだろう――君は、ええと、確か」

額に手をやって、狂人は何かを思い出そうとするような姿勢。ティアナは沈黙を守り、ひたすら銃口を突きつけていた。

「そうだ、ティアナ・ランスターだ。元機動六課、スターズ分隊所属! 現在はフェイト・T・ハラオウン執務官の下で補佐官を務める傍ら、地上本部において"リボン付きの再来"と謳われる戦闘機
乗り、メビウス2!」

名前を言い当てて、スカリエッティは嬉しそうに笑う。大の大人のはずなのに、浮かべた笑みはどこか子供っぽさすら感じられた。ティアナの表情が怪訝に染まるのも、無理なことではない。
さんざん喜び舞ったところで、彼は「いかんいかん」と動きを止めた。子供のような笑みは消えて失せ、代わりに姿を見せるのは、大人のような静かな、だけどどこか不気味さすら感じさせる静か
な微笑み。

「失礼、初対面なのに挨拶が遅れたね。私は、ジェイル・スカリエッティ。見ての通り、狂人だ」
「――この上なく分かりやすい自己紹介ありがとう。言うこと聞いてもらっていいかしら?」

それは出来ないなぁ、と。目の前の自ら狂人と名乗った白衣の男は、首を振って答えた。もちろん、ティアナとて素直に相手が指示に従うとは微塵も思っていない。
銃口をわずかに下げて、引き金を引く。手のひらに軽い反動、響く銃声。放たれた魔力弾はスカリエッティの足元を貫き、小さな穴を開けた。
ほう、としかし狂人は大して驚かない。せいぜい珍しいものを見たような反応を見せて、目の前の少女に問う。これは警告、と言うことでいいのかな?

「言うこと聞くなら、撃つのはやめてあげるわ。ただし聞かなければ――」
「……ハハハッ」

再び、彼は笑い出す。ただし今度は、子供のような笑みとも、大人のような静かな微笑みとも違う。ケタケタと壊れた人形のように、見る者も聞く者もぞっとさせるような笑い。
何なの、こいつは。恐怖とは別の感情が、銃を構える彼女の中で募り始めていた。すなわち、苛立ち。

「君が、クク、私を、撃つ? ハハハッ、出来るのかね、そんなことが?」
「疑うなら、試して――」
「出来る訳がないさ。こうすれ、ば」

パチンッと、スカリエッティの指が鳴る。白衣は消えて失せ、代わりに姿を現すのは――嘘でしょ、とティアナは呟く。驚きで、表情が露骨なまでに変わってしまった。
白衣の代わりに、視界に映ったのは緑色の飛行服だった。肩に縫い付けられたワッペンは、愛機の尾翼にあるものと同じ、リボンのマーク。"メビウス"の輪の形をした、正真正銘"リボン付き"のエ
ンブレム。声も、顔も、彼女の前にいるのはこの場にいるはずのない、"メビウス1"その人だった。

「よう、ティアナ――って、何だ、何で俺に銃口向けてんだ!? おい、冗談でもよせ!」
「……うるさいわね。そんな猿真似で、あたしが動揺するとでも思ったの?」

だいたい、あの人は普段あたしを"ランスター"って苗字で呼ぶのよ、と。目の前の彼が、スカリエッティの纏った幻影であることなど分かりきっている。
"メビウス1"は、あくまでも銃口を下ろさないティアナを見て、フムン、と唸る。その仕草は、どう見ても本物とは似つかない。ならこれだ、と"メビウス1"の声で、狂人は再び姿を変える。飛行
服の代わりに見えたのは、白い教導隊の制服。

「ティアナ……駄目だよ。お遊びでも銃口を向けちゃいけないって、陸士学校で習わなかった?」
「なのはさんの姿になっても一緒よ」

それは残念、と"高町なのは"の幻影を纏った狂人は露骨に肩を落とす。これもやはり声色はそのまま本人であったが、いかんせん目の前で姿を変える瞬間が見えてしまっているのでは意味がない。
そろそろ本当に撃ってぶちのめしてやるべきか――おふざけにも付き合ってられないし、と少女はいよいよ引き金にかけた指に意識を集中させようとする。

「困ったなぁ。こうなるともう、君にはあの姿しか通用しないことになる――仕方ないか。本当は死人に化けるなど、縁起が悪くて好きじゃないんだが」

いかにも渋々と言った様子で、再びスカリエッティは姿を変える。またなの? 芸が無いわねとティアナは半ば小馬鹿にしたような視線をもって、一応変身を見届けてやった。
――瞬間、クロスミラージュを構える腕に力が入らなくなった。必然的に銃口も下を向き、手放しそうになる。震える両手を必死に押さえようとするが、動揺は止まらない。
胸が苦しい。息が出来ない。目の前の出来事が認識できない。嘘だと切り捨てるのは簡単だったが、理性も本能も言うことを聞こうとしなかった。
今、あたしは何を見ているの?
今、あたしの前に立っているのは誰なの?
今、あたしに微笑みかけるのは誰なの?

「やぁ――ティアナ、久しぶりだな。しばらく見ないうちに、大きくなって」

違う。
だって、だって、もう死んだはずじゃない。
あたしはちゃんとこの眼で見た。棺に入れられた遺体を。葬儀を。墓に埋められる棺桶を。
なのに、なんで、今、目の前にいるの?

「おいおい、感動のあまり声も出ないか? まぁ、仕方ないよな。死んだって思われていたんだし」

その通り、死んだはずなのだ。もう何年も前に。
だけど、開かれた口から出た声には、確かに聞き覚えがあって。
だけど、優しい微笑みには確かに見覚えがあって。

「ほら、ティアナ。おかえりの一言くらい言ってくれよ――ティーダが、兄貴が帰ってきたんだぜ?」

クロスミラージュが、手のひらから離れ落ちた。
彼女は知る由もない。この艦橋に入った時点で、すでにスカリエッティの手の内に飛び込んでしまっていたことを。
目の前にいるのは幻影――ティーダ・ランスター。大好きだった、自分の兄。

「兄、さん?」
「あぁ、お兄ちゃんだ……ほら、言ったろう? 君が私を撃つなんて、出来る訳がない」

ティーダの声が、途中で別の誰かに変わる。ハッと我に返った時にはもう手遅れだった。
ガッと、伸びてきた腕に首を掴まれる。ぐ、と短い悲鳴を上げるだけで彼女は抵抗もままならず、艦橋の壁と叩きつけられた。
締め付けられる細い首筋、何とか振りほどこうと両手で"ティーダ"の腕を掴むが、外れそうにない。
薄れゆく意識。そのうち悲鳴すらもままならなくなり、抵抗を試みた両腕にも力が入らなくなってきた。脳が、酸欠にあえいでいる――違う。酸素が足りないなら、脳裏に浮かぶこのビジョンは説
明がつかないだろう。
それは、遠い記憶。心の奥底で埃を被っていた、幼い頃見たもの。顔も思い出せないほど昔に亡くなった両親と、こちらははっきりと覚えている兄と、家族四人が揃って幸せそうに暮らしている光
景。今のティアナにとってあり得ない、それゆえに見せ付けられると手が伸びてしまいそうになる、絶対に手に入らない"幸福"。

「君も夢を見るといい。メビウス1と、同じように」

最後に現実世界で耳にしたのは、狂人の夢への誘いの言葉だった。








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最終更新:2010年11月08日 16:45